2014年12月29日

時代に取り残されるかもしれない、という焦り

掃除嫌いな私にとってはつらい年末に突入した。
1年間溜まった汚れを落とす大事なタイミングとなる。
日頃からキレイにしていればあっという間なんだろうが、私の場合は一つ一つに時間がかかり、大変な作業だ。

昨日の掃除は冷蔵庫。
すべての中身を出して、庫内の汚れを落とし、もう一度元に戻す。
毎年、一度使ったきりの調味料が奥の方に眠っていたのに気づいたり、同じ調味料が2本出てきたり、思わぬ食材が冷凍庫に眠っていたりするのを確認することになり、我ながら情けない。

この冷蔵庫、清潔な手入れができるようにと、ほとんどの棚が取り外し可能になっている。
特に日本製の冷蔵庫は、小さなポケットや引き出し、卵の置き場、バターの置き場、牛乳の置き場・・・と効率よく置けるように細かい仕切りがある。
使う上ではとても便利だ。



掃除をするとなると、
本来なら、
①まずすべての食品を出し、
②不要な食品を処分して、
③すべての取り外し可能なパーツを外し、水洗いして拭いて
④庫内を水拭きして、
⑤パーツをもとの位置に戻し
⑥食品を冷蔵庫に戻す。
という流れが一番やりやすいのだが、私の場合、この流れで進むと、
「⑤パーツをもとの位置に戻し」ができなくなる。
外すことはできても、取り付けることができなくなるのだ。

どこに、どのパーツが、どうやって入っていたか・・・。
まるで複雑怪奇のパズルのようになってしまう。
毎年これを繰り返してしまう。




そのため、まずAのパーツの部分だけについて、
①Aのパーツ部分にあった食品を外に出し、
②不要な食品を処分して、
③Aのパーツだけを外し、水洗いして拭いて、
④Aのパーツがあった庫内壁面を水拭きして、
⑤Aのパーツをもとの位置に戻し
⑥食品を冷蔵庫びAのパーツに戻す。
を行い、次にBのパーツを外して①~⑥を、次にCのパーツを外して・・・と、今年は一つ一つをやっていった。
こうすれば、そのパーツをどこに取り付けるかはわかるし、取り付け方がわからなくてもパーツは一つなのであれこれやっていればなんとかなる。
例年、元通りにできなくなって夫に助けてもらっていたが、今年は時間はかかったが、途中で途方に暮れることはなく、なんとか一人だけで終了できた。

私はこういう能力が極端に劣っている。
冷蔵庫だけじゃない。
最近はいろいろなもので組み立て式が多い。
収納家具などはほとんどが組み立て式で、私は欲しくても組み立てることを思うとできなかったらどうしようと思い、買うことをためらってしまう。
中には組み立てサービスというのもあるらしいが、なんだかダメ人間みたいでとても頼む気にはなれない。
つい先日も、姪っ子にプレゼントしたレインボールーム(輪ゴム編み機)で、私が教えてあげるはずが途中でできなくなりギブアップした。

組み立て式であれば、できあがった製品よりもメーカーは安く出せる。
運搬費も安くなる。
安いものを求める消費者にとっても好都合だ。

そういう中で、私のような組み立て能力に劣った者が置いてきぼりになってしまう。
でも私のように組み立て能力が劣る人だけじゃない。
体力がない人や、高齢者だって、きっと組み立てられなくて困っているのではないか。

かつては得手不得手の問題として自覚していたのだが、
今は何でも組み立て式の時代・・・そんな風に思うと、自分自身がこの時代の流れについていけない前時代的な人間であるような気がして、焦りすら感じている。

もしかすると、IT化の波に乗り切れない人の焦りというのもこんなものなのかもしれない。
まずい、まずい。
願わくば、そういう消費者がいることもメーカーにわかってもらいたいところだが、でもおかげでそういう人の気持ちも多少理解できる。

ちなみに我が家の冷蔵庫の組み立ては、作業のやり方で能力不足を補いとりあえずキレイになって、まずはめでたし、だ。



2014年12月26日

好きなことをして生きていく・・・それは必ずしも絶対正解とは限らないと思う。

「好きなことで生きていく」・・・この言葉で検索すると、Gppgleなら124万件がヒットする。

有名なところで行けば、今年の11月に出た心屋仁之助さんの「『好きなこと』だけして生きていく」だが、いろんな人がいろんな形で好きなことをして生きていこう、と言っている。

その通りだし、そうなれれば幸せだ。
誰だって、できればそうありたいと思うだろう。
でも、誰もがそうできるわけではない、きっと。・・・私はずっと、そう思っていた。

そうできる人と出来ない人がいるんじゃないかと。
その違いはいったい何なんだろう?!・・・おぼろげにそんなことを考えてきたような気がする。

それは、ここまで格差社会が進んできた今、そんな呑気なことを言っていていいのだろうかという思いがあったから、という面もある。
食べることにいっぱいいっぱいで、就職もままならない人が多い今の時代に、そんなことしてたら本当に食べていけなくなる人だっているんじゃないか。
好きな仕事って?という話をしていた時に、そうできる人ばかりじゃないんだから!と、今から10年くらい前に叱られたこともある。

好きなことをして生きている人には、そういう能力が優れているからできるんじゃないか。
頭の回転が速く、理解力が高く、文章もうまい、・・・そういう人だから可能になっているんじゃないか。
私の周りで好きなことをして生きている人は皆、実際に能力が高いと思う。

それなのに、こんなにもあちこちで、誰もが好きなことをして生きていこう、という今の風潮は果たしてどうなんだろう?

それはまるで、かつてよく言われていた
「諦めなければ夢はかなう」
と同じように、甘い夢を見せてくれているだけじゃないのかと思わないこともない。
ハシゴをかけるだけかけて外すんじゃないの?!って。

しかも今のこの風潮は、まるで好きなことをして生きていかないやつはマヌケだと言っているかのようにすら見える。
本来なら、好きじゃなくても何かのためにこんなにもがんばっている、ということで満足している人もいるかもしれないのに。

私が言いたいのは、誰もが好きなことをして生きていくのがいい、という風潮は少し気持ちが悪いんじゃないかということだ。

そういう人もいる。
でもそうじゃない人もいる。
そういう考え方もあるし、そうじゃない考え方もある。
そうできる人もいるし、そうしたくてがんばってもできない人もいるんじゃないかな。
すべてを自分で決めるよりも、ある程度決められている方がやりやすい人もいる。

どれを選ぶかどうかは人それぞれであって、どういう形を選ぼうが正解はない。
周りがとやかく言うべきものじゃないし、ましてや周りにどう見られるかなんてどうでもいい。
どういう形を選ぼうが、きっと迷いもあるし、嫌なこともある。

そういう多様性というか、柔軟性があっていいように思う。
大事なのは風潮とか世相とかに流されず、自分のスタイルを求めることなんじゃないかと思うのだ。
自分のスタイルがわからなければ、自分のスタイルを探すことだ。
極端なことを言えば、生きている限り探し続けるのかもしれない。、

そもそも好きなことをして生きていくってどういうことなんだろう?!

私自身について言えば、たまたま好きなことをして生きてきた部類に入るのかもしれない。
でもそれは、最近よく言われる形とは少し違うと思う。

受験で失敗したと当時は思ったけど入ってみれば意外に楽しかったし、就職したのは第1志望ではなかったけれど、新卒入社した会社には結局25年も勤め続けた。
1年目の時は、こんな会社すぐに辞めてやると思っていたにもかかわらずだ。
別に辛い中で我慢強かったわけではない。
そりゃあ楽しいことこともあるし嫌なこともあったけれど、でも今になって思えば、総じて好きなことだったと思う。
特に辞める頃は、まさに私の好きな仕事だなとしみじみ思っていた。
でも「好きなことだけ」をしてきたわけではない。

私の場合は、自分のスタイルを求めるなど考えたこともなく、成り行きの泥縄式で生きてきた。
普通に会社員をやっていた結果だが、今になって思えば、その中で好きなことを探し、わずかでも見つけられた好きなことに価値を見いだせていたような気がする。
現状の中から、小さな「好き」を探すことだって、できるのではないかしら。

好きなことをして生きていこうという発信が多いのは、きっと多くの人がそれを望んでいるからだろう。

だけど今までをリセットして、いきなり好きなことの世界で生きていくなんてあるはずがない。
そういう好きなことは、きっと今までの人生があるから、それが土台になって好きなのだ。
身近にも自分では気づかない「好き」が転がっているかもしれないし、好きじゃないと思っていても後から考えれば意外に好きなことだった、と思うことだってあるにちがいないのだ。

まず好きなことをしよう!ではなく、自分が心地よい生き方かどうか。
自分のスタイルでさえあれば、それでいいのだと思う。


「いい顔」にこだわってきたトラベシアが撮影する撮影会、参加受付中。
巣鴨で1月31日(土)に開催。


生き方を考えるワークショップ、参加受付中。1月21日(水)19時から麹町で。
若者にとっても生き方を考える時に便利なエンディングノートですが、その中でも難しい項目の医療にスポットをあてたワークショップ。
緩和ケア病棟看護師のお話をきっかけに、自分の今を考え、生き方を考えます。

2014年12月25日

人としてつきあう上で求められるのは、自信があるけど謙虚であること

20年以上前に仕事で出会った人、Zさんに久々にお会いした。
当時、私が勤務していた会社に出入りしていたプランナー兼コピーライターだった。

Zさんは感性も発想も豊かな方で、当時の私から見れば大先輩。
今も変わらず言葉に真摯で発想が豊かで尊敬するけど、今、私は緊張することなく和やかにZさんとお茶が飲めるようになった。
物理的な年齢差は変わらないのに、心理的な年齢差はどんどん縮まるように思うのは、年を重ねるメリットの一つかもしれない。

現在70代半ばと聞いたが、背筋はピンとしてるし、回転は早いし、話す内容は面白いし、とてもそんなお歳には見えない。
お孫さんにジイジと呼ばれるのを拒否し、ミスターと呼ばせているそうだ。
昔から大の長島ファンだったから。

まだまだ社会と関わることへの未練がいっぱいでね〜と笑う。
以前より随分減ったそうだが、今でもいろんな場面でアドバイスをしたり、企画を提案したりしている様子がうかがえる。
最近は30代40代の仕事仲間からもミスターと呼ばれるようで、彼らと飲みに行くことも少なくなさそうだ。

そのZさんは、男性の会社定年後に社会とうまく馴染むための方法として、以下の三つを挙げた。

 怒らない。
 威張らない 
 自慢しない。

せっかく新しいコミュニティに入っても、会社員時代に偉かった意識が抜けず、これができないために馴染めなくなる人が多いのだと言う。
地域デビューなども、定年後サラリーマンにとってはマンションや地域の自治会長は人気の役職だそうだが、いざ自治会長になると地域の人を「○○君」とクン付けで呼んだり、上から目線で仕事の指示を出したりして、次第に受け入れられなくなるケースがあるのだそうだ。
Zさん自身がこの三つを心がけているからこそ、若い世代から飲みに誘われることも多いのだろう。

この三つ、どこかで聞いたことがある話だなと思った。

NHKスペシャル 「JAPAN BRAND 日本式サービスで世界を目指す」(11月9日放送)の中で言われていた、日本企業が世界に進出する時に求められることによく似ていたのだった。

 威張(いば)らず、
 驕(おご)らず、
 媚(こ)びず、
 諂(へつら)わず、

Zさんの言っていたことに、さらに付加されている。

要は、自信があるけど謙虚であること。
人としてつきあう上で求められることだ。

偉そうにしちゃいけない。でもそれだけじゃない。
基盤はしっかりしているけど偉そうにしないから価値がある。
上から目線はダメだけど、自分の考えはある。

Zさんも、まさにそうだった。

会社仕事は、つきあいたくない人ともつき合わなくてはいけない場合がある。
会社仕事でなくても、、利害関係でつき合わなくてはいけないこともあるだろう。
しかし、無理してつきあう必要がなくなれば、威張る人、驕る人、媚びる人、諂う人とは、つきあいたくない。
自然に相手にされなくなるのだ。

智恵がつき、経験を重ね・・・・・年を重ねるゆえ、日常のおつきあいの中でも、ついつい驕る気持ちになりがちなのは無理もない。

でも、会社定年に限ることじゃない。
年を取るからだけじゃない。
人としていつだって・・・。
日本が諸外国でうまくいかない時もそうなように・・・。

自信があるけど謙虚であること。


私自身も意識しておかないと!
自分にも敢えて言っておこう。



「いい顔」にこだわってきたトラベシアが撮影する撮影会、参加受付中。
巣鴨で1月31日(土)に開催。


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緩和ケア病棟看護師のお話をきっかけに、自分の今を考え、生き方を考えます。

2014年12月23日

男性の女装嗜好が増えているような気がする

少し前まで、私はあるサイトで「イメージ・コンサルタント」のカテゴリーに登録されていた。
どうやら、私が人となりや生きざまが表れている「顔」に関心を持っていて、そこにかかわっていることから、このカテゴリーになったようだ。

私自身は、メイクもファッションもあまり興味がなく、色彩感覚も全然自信がないので、このカテゴリーには大いに違和感があるのだが、個人、あるいは企業の代表者がイメージ戦略としてどのような「顔」を出していけばよいかをアドバイスしたり、出している「顔」が企業理念に一致しているかどうかを見せていただいたり、企業理念を反映させた「顔」の撮影プロデュースをしたり・・・・そういうことに取り組んでいるので、イメージ・コンサルタントというカテゴリーに入ってしまったようなのだ。

それによって、「イメージ・コンサルタント」への質問が、そのカテゴリーに入っている人全員にメールで一斉に届けられる。
その中で、しばしばいただく質問が、男性からの女装に関する質問だった。

メイクのコツ、
肌の手入れ、
女性らしいきめ細やかな肌になるための手入れ法
女性らしい色の組み合わせやコーディネート    等々

男性が女装したときにより美しく見せるにはどうしたらいいかを尋ねてくる数があまりに多いことに、正直なところ私は驚いた。

念のため書き添えておくが、彼らは心が女性というわけではない。
また、性的に男性を恋愛対象としているというわけではない。
そういうことではなく、単純に女装して街を歩きたいというのだ。
世の中には、女装したい男性がそんなにたくさんいる、ということが、私には大きな驚きだった。

尾木ママで有名な教育評論家の尾木直樹さんが「男性が女装するって、想定外の綺麗さがある。自分が綺麗って発見できるのも楽しい」とテレビで語っていたのを聞いたことがある。


ちなみに、女性からのよりたくましく見せるための質問というのは1本もなかった。
想定外のたくましさや凛々しさを表現したいという超えはほとんど聞かないのに、なぜ、女性の外見になりたい声が多いのか。
女性のように綺麗になりたいと思うのか。

ここが私が不思議に思うところだ。

今の世の中、どちらかと言うと女性の方が生きやすい世の中に見えることはないだろうか。
女性蔑視は論外で、女性の権利を守ることを推奨され、女性は大事にされることが多い。
場所によっては必要以上に優遇されることもある。
本来女性はそれをあまり望んでいないことがあったり、実際は見せかけだけの優遇だったりするケースも実は多いのだけど、それでも瞬間的にでも女性になりたい男性が、今、増えているような気がする。

男とか、女とか、そんなことは関係なく生きれば楽なのに・・・私はそう思っている。

蛇足だが、最近私はその「イメージコンサルタント」に登録されていたサイトから離脱したので、今ではそういうカテゴリーで登録はされていません。

2014年12月21日

私の場合、意外に「孤独」は仕事の大敵だった

一人で仕事をすることで私が困ることの一つに「孤独」がある。
寂しいと言うわけではないのだが、私にとって孤独は少々困りものだ。

一人で考えていくと行き詰まることがある。
モチベーションが下がっていくこともある。

でも人と関わることで、自分の頭の中が整理されたり動いたり、元気になったりすると、強く感じるからだ。
それは必ずしもいい話を聞けるとかアドバイスをもらえるとか、そういう類のことだけではない。
たとえイラついたり、面倒だったりする関係であったとしても、自分以外の人の話を聞くことで、新しいことに気づいたり忘れていたことを思い出したりすることがある。
それをきっかけに、それまで固まっていた頭の中がクルクルとまわり出すような気がする。
まるで、かざぐるまに息を吹きかけて回すような感じだ。

会社を辞めて一人で仕事をしようと思った時には、周りに邪魔されなくなるから好きなようにできるつもりだった。
一人が困ることなど、予想もしなかった。

しかし、いざ一人で仕事を始めてみると、それまで周りに人がいるのは当たり前になっていたことに気づかされた。
その周りの人のおかげで自分の頭が回っていて、自分一人だと動いてもすぐに止まってしまうことに気づいた。
自分一人の弱さにがっくりし、仕事への自信も落ちてくる。

そういう時に、力になったのが一緒に学んだ知り合いだった。
学びの友だち、学友。
普通に読めばガクユウだが、今どきの言葉ならマナトモ、とでも言おうか。

仕事で行き詰っているとき、普通の友だちや遊び友だちは大事な気分転換にありがたい存在だけど、学友はそれとはまた少し違う意味があるように思う。

会社員時代は、会社がらみの研修以外にどこかで学ぶことなどほとんどなかったのだが、最近の私はいろいろなところで勉強するようになった。
特に今年は、いろいろなところでいろいろなことを学ぶ機会が増えた。
参加者(受講者)は共通の目的意識があるので、共通した価値観があったり、わかり合える部分があるせいか、ちょっとした会話だけでも元気をもらったり、新しい発想が浮かんだりすることがある。
こrは、私にとっては学ぶことと同じくらい価値がある。

学友の中でも、私と同じように個人で仕事をしている学友は、一人で考えていて行き詰った時は、ノートだけを持って散歩に出かけると言っていた。
街を歩く人を目にしたり、話をしている声が聞こえてくるだけで、アイデアが浮かぶと言う。
やはり、ずっと一人で引きこもっていると思考が止まってしまうと言う。

人は一人では生きていけない・・・なんてあまりにもよく言われるから陳腐なくらいだけれど、たしかにその通りだと、今、身に染みて感じる。
私の場合、一人では頭が動かなくなる。動きが鈍くなってくるのだ。
だから「孤独」だと、きっと仕事の質が落ちていくのだ。

一人の時間はとても大切だけど、一人じゃない時間も大切で、それがあるから頭の中が動いたり止まったりを繰り返し、アイデアが浮かんだり、と俄然やる気が出てきたりする。
私の場合は人と話をすることで、新しい発想が次々と湧いてくることもあるし、次にやりたい新しい仕事がはっきりすることもある。今の仕事がスピードアップしたりもする。

一人で仕事をするようになってせっかく得た「孤独」ではあるが、その「孤独」に負けないように、私は時々意識して人と会うように心がけている。
場合によっては、あまり知らない人でも、自ら連絡をとることもある。
そういう時に、営業の匂いを感じさせたくないし感じたくもないので、学友はありがたい存在だ。

2014年12月16日

ご用件をお伺いします。ご用件はなんですか?

ネット環境や機器の充実で、どこででも仕事ができるような時代になった。
おかげで、私はいろいろなものを持ち歩くようになっている。
携帯電話、wifi、iPad、パソコン、資料、手帳・・・これらを毎日持ち歩くのは大変だ。
考えてみると、今ではまずメール連絡が中心で、携帯電話で話す時間が激減している。

私は今までずっと、ガラケー派でこだわってきたけれど、通話時間が減ってきたのでそろそろスマホの方ががいいのか検討を進めていた。

実際のモノを見てみようと、携帯ショップに入るとすかさず、
「ご用件をお伺いします。ご用件はなんですか?」
と聞かれた。
見に来た段階なので、まだ「ご用件」にはなっていない。
ちょっと見るだけ、というのはなんとも気まずい。



「ご用件をお伺いします。」
・・・・伺わなくてもいいんですけど(私の心の声)。

「ご用件はなんですか?」
・・・・用件ってほどのものじゃないので、ちょっと店内を見させてください(私の心の声)。

お店の人は、おそらく顧客サービス向上のために聞いてくれるのだろうが、私にとっては、ちょっと放っておいてほしい。
わからなければこちらから聞くので、と思う。
でも、あまりそうは言えない。
せっかく声をかけてくれているのに、悪いかなと思うからだ。

銀行でもそうだ。
普段の銀行との関わりはATMだけど、窓口とのやりとりが必要で店舗に入るとすかさず、
「ご用件をお伺いします。ご用件はなんですか?」
と聞かれる。
用件を言うと該当する整理券を取ってくれて、それを渡されて
「お待ちください」だ。

時には、あまり言いたくない用件のこともある。
いくら言ったところで、どうせこの人とは違う人にまた説明しなきゃいけないのになぁと、面倒な気持ちになることもある。

携帯ショップもそうだけど、あれはいったいなんのためにやってるんだろう。

整理券くらい自分で取れる。
用件があれば、こちらから聞ける。

来店客をさばきやすいように振り分けるためというのなら、それは顧客サービスではなく、お店都合だ。
無意識にそういう感じがするから、私はそれに抵抗したくて放っておいてほしいと感じるのかもしれない。

もしも顧客サービス向上のためであるなら、お客さんを放っておいてくれればいいし、何か用がありそうな人や戸惑っている人がいたら、すかさず声をかけてくれれば、心配りのある優しいお店だなと感じられるのだけど。

そういう店舗であってほしい。
いろんなお店で、すかさず聞かれるたびに、私はいつもそう思う。

2014年12月15日

学ぶことと、自分で考えようとすることが、新しい可能性を伸ばすはず

p25年勤務した会社を退職した直後、あるご縁でビジネススクールの
MBAエッセンスというクラスに通ったことがある。

それは、MBAの導入部分を網羅的に学ぶというものだったが、
その中には、ネゴシエーション、プレゼンテーション、という
カリキュラムがあった。
お稽古ごとではなく、会社の研修でもなく、
いわゆる学校に定期的に長期で通うというのは、大学を卒業後
初めての体験だった。

それまで私は広告会社の企画部門で6年、営業部門で19年
仕事をしてきた。
MBAとは言え、ネゴシエーションやプレゼンテーションを
授業で学ぶこと自体に、若干疑問を抱えて出席したのだが
それは予想に反して、とても意味のあることだった。

今まで長い時間をかけて経験的に身につけ、培ってきたことが体系化
され、理論的に整理されていたからだ。
しかもワークが豊富で身につきやすいだけでなく、新しい気づきも
豊富な構成になっていた。
もっと早い時期に、もっと若かった頃に、こういうことを学んでいれば、
おそらくもっと早くにもっと大きな成果を得られただろうと思った。

経験で学ぶには、長い時間がかかることがあるし、
いくら経験しても気づかないこともあるし、気づけないこともある。

考えてみれば、私はそれまで「考えるより先に行動するタイプ」だった。
意識無意識問わず、自分の興味の赴くままに情報をキャッチしてきた。
偶々仕事が好きだったので、その時の仕事に関わることは多少勉強して
きたとは思うが、どちらかといえばそれも成り行き。
行き詰まったり、苦しんだり、うまくいったりを繰り返しながら、
まがりなりにも多少は成長してきたように思う。

それは、ABCを知らないまま外国に行ってビジネス英語を身に
着けていくようなプロセスだったかもしれない。
意識を高く持ち、一生懸命頑張ればそりゃあ身につくのだろうが、
きっと事前に英語の基礎を学んでいれば、より早く身につくだろう。
基礎なしでも身につくかどうかは、本人の資質が大きく影響するのではないか。

「座学だけじゃ意味がない」
「理論ばかりで頭でっかちじゃしょうがない」
会社の研修に対してそういう声を耳にすることがあるが、
それは学び方とその後の生かし方によるのだと思う。

仕事は学校の勉強とは違うので、経験はたしかに大事だけど、
経験が浅い頃こそ、そのベースとなる考え方や方向性、やり方を知ることに意味があると思う。
その後の成果に関わるのではないかと思う。
それも、仕事を始めて少し経った頃に学ぶ価値が大きい。
多少仕事がわかってからだと、学ぶことがグングン浸み込んでくる気がする。

しかも、その学びで、どんな経験を積むのがよいかを自分で考えられれば、
その人のキャリア形成に、大いに生かされるように思う。

そうでないと、結局は元々個人が持っている資質やそれまでの経験に頼る要素に
左右される気がしてならないのだ。

私自身は、元々勉強することは全然好きじゃなかった。
それでも、今、学ぶことの価値を感じている。
企業も個人も、元々の資質に頼るだけではもったいない。
人は、いつからだって、どんな時からだって、
学び、そして自ら考えようとすれば、その新しい可能性を必ず伸ばせるはずだと思う。


2014年12月12日

この人と私の距離は近過ぎる?遠すぎる? 程よい距離感とは?

運動不足の日常が心配になって、簡単なスポーツクラブに通って1年になる。
自宅仕事の合間に行くので行くのはだいたい平日の昼間で、よく会うのは50代60代の女性たちだ。
そこのスタッフ(コーチ)は入会した会員全員の名前を覚えていて、行った時と帰る時には必ず名前、それも下の名前を呼んで挨拶する。
例えばドアを開けて中に入ると、いつも必ずスタッフ(コーチ)が「キミコさん、こんにちは!」と名前で声をかけてくるのだ。
これが、毎回必ず、見る限り全会員に対して、だ。
そして運動中には会員を励まし、時には話し相手にもなる。

入った当初、すごいなと思った。
ちょっとこそばゆいけど、覚えられていることを実感でき、悪くない気分だ。
火を重ねるごとに、スタッフとの心の距離感が縮まっていく。

スタッフ(コーチ)はほぼ固定している。
でも、時々応援スタッフ(コーチ)がやってくることがある。
その応援スタッフ(コーチ)が
「キミちゃん、おはよう!」と声をかけてきたことがある。

それを聞いて、私はとても嫌な気がした。
その人はいつもの固定スタッフよりも年上で、立場も上の人のようだった。
でも、私はその人と1対1で一度も話をしたことがない。
名前もあまりよく知らない。
だから、あなたに「キミちゃん」なんて呼ばれたくない!と思ったのだ。

このクラブでは、会員同士はとてもフレンドリーだ。
特に50代60代の女性たちはおしゃべりが大好きで、ストレッチをしながら、運動が終わっても、本当によくしゃべっている。
しかも、そこにはスタッフ(コーチ)も引き込まれておしゃべりに熱中することも少なくない。

私がプログラムを終了して帰ろうとする時は、スタッフ(コーチ)が毎日「キミコさん、お疲れ様!今日は○○でしたね。」などと声をかけてくれるのだが、会員のおしゃべりに巻き込まれているときにはそれができないこともある。
そうなると私は、冷たくされたような気がしなくもないのだ。

人との距離感とはそういうものなのだ。

自分が近いと感じるようになった相手には近くあってほしいと感じ、自分が近いと感じていない時に近くまで入ってこられるのは気分がよくない。
近すぎると怖かったり、不愉快だったりするし、遠すぎると寂しさを感じたりする。

セミナーや新しい学びの場で会う人、仕事で会う人の中でも、この距離感は微妙なものがある。
私が感じている距離と相手が感じている距離とに大きな差があると、気持ち悪さが出てくる。
例え初めて会ったとしても、距離感の感じ方というのがずれることもある。

私は、どちらかと言うとズケズケとモノを言うタイプに見られるので近い感覚に感じられがちだが、実際には初対面に弱く、距離感には結構神経質になりがちだ。

年齢を重ねると、距離感のとりかたはどんどん難しくなると感じているのだが、いかがだろうか。
会社など、閉ざされた組織の中の距離感は簡単だが、組織外の距離感、地域の距離感・・・・

程よい距離感をとれるかどうか。
ここを躓いてしまうと、意外と関係性の構築は難しいと思う。


2014年12月5日

強制じゃないという強制。

私の住む地域は古い住宅街で、うちの近所は約2割が60年以上前からこの場所に住んでいる。
うちは今から約15年前に引っ越してきた新参者だ。
その2割に当たる昔から住む人たちは、小学校時代からのご近所さん。
言わば幼なじみだそうで、ご近所の奥さまは60歳を超えた紳士を今も◯◯クン(下の名前)と呼ぶ。

ここでは細々ながらも町内会が維持されていて、例年、今の時期は歳末助け合いの募金があり、1年交代の当番制で回ってくる地域の係がこの集金に回る。

私が前回係をやった時から、うちの周りの加入世帯数は3割ほど減った。
高齢化で亡くなった人や老人ホームに移った人で空き家が増えたからだ。
家を売却して老親の介護のために移転した人もいるが、その家に新たに転入した世帯は町内会には入らない。

今年の係は我が家だった。
50歳を超えた私たち夫婦は、この地域では若夫婦世帯だ。

さて、この係の仕事で私が最もイヤなのが、年に何回かある恒例の募金活動である。
私は、地域力の重要性を感じているし、町内会の意義を支持しているから、係のおつとめがイヤなのではない。
地域のつながりが大事なのは十分理解しているつもりだ。

宛先ははっきりしている募金だし、その募金が大きな助けになるだろう人たちがいっぱいいるのもわかっているが、毎年のことだからと誰もが募金するのが当然のように、係の私が直接各家を訪問して、募金をお願いするというのが苦痛なのだ。

1年に何度もいろんな募金があり、歳末助け合い募金は、今年で3回目の集金になる。




もちろん募金は強制ではない。
毎回、もしよろしければ・・・という形でお願いするものではある。
けれども実際に近所のよく知る人に直接自宅に訪問され、お願いされた時、「今回は遠慮します」などと言える人がいったいどれだけいるのだろう。
そう思うと、私は集金が苦痛になるのだ。

今年の2回目だった秋の募金活動のときは、私は考えた挙句、直接訪問せずに募金袋にお手紙を添えて各世帯のポストに投函した。
賛同した人だけが我が家のポストに投函してくれればいいと考えたのだ。

結果は、1軒以外全世帯からいつもと同じように集まってきた。
「こういう形にすることは大賛成です」と返事を同封してくださる方も複数いた。
多少は前進だったかもしれないが、それでも強制力があったのではないかと気にはなった。

さあ、今回はどうしよう。
もしも係の私が何もしなかったらどうなるのだろう。
・・・そう思って、今回私は何も動かずそのままにしておいた。

時間が経ち、〆切を過ぎ、役員の方が我が家にやってきた。
「集まった募金を受け取りに来ました」と。

来たか。。。
私は正直に気が進まなくて回っていないことを伝え、私の分だけ募金をお支払いするわけにいかないかと申し出たが・・・・ダメだった。

 例年のことだから大丈夫。

 あなたが気に病むことはない。

 皆さん、ちゃんと理解してくださる。

 あなたが恨まれることはない。

 お辛いなら、私が代わりに回って差し上げるから。

役員さんからはそういう話だった。

私が気にしたのはそういうこととは全く違うことだったのだが、伝わったのか、伝わらなかったのかはわからない。
その役員さんは、さらにこの募金をまとめてどこかに提出する立場だし、ご近所さんでいつも献身的に動いてくださる人なので、悩ませるのも不本意だ。
私はそれ以上言うのをやめた。

「わかりました。私がすぐに集めます。」

そんなわけで先ほど秋と同様にポストへの投函をした。
週末明けたところで集まった募金を提出する予定だ。

今月中には母子家庭など然るべきところに集めたお金が届けられるのだそうだ。
こういう形でなければなかなかお金が集まらないのは残念なことだけど、これがきっと大きな助けになるのだろう。

でもこれは「強制じゃない」と言いながらも、やっぱり半強制だ。

昔からずっとやっていることだから。
みんながやることだから。
言う通りにしておいた方が波風が立たないから。

結局私は何も言えなかったし、何も変わらないのだけど、交代で回ってくる係が、半強制な呼びかけをする張本人になることに、どうしても違和感を感じずにはいられないのである。







2014年12月4日

子どものいる世界

我が家には子どもがいないので、日々の暮らしで小さな子どもがいる状況というのがあまり想像ができない。

私の妹たちには子どもがいるし、夫の妹にも子どもがいて、その子どもたちが小さい頃から接してきているので、私が子どもを全然知らないというわけではない。
それでも、私は一般女性が妊娠・出産する時期もずっと会社員として働いてきたこともあり、我が家には子どもがいないので、そもそも子どもを目にする機会が極端に少ないと思う。
子どもは好きだし、苦手というわけではないのだが、暮らしの中にいる図はイメージができないのだ。

会社員を辞め、仕事も作業は自宅をベースにするようになってから、私は子どもを目にすることが増えた。
それは、昼間前後に近所を歩くようになったからだ。
子どもを連れたママが比較的多い時間だ。

先日、昼間に最寄駅から電車に乗ろうとしたら、子どもを連れた知り合い(女性)に会った。
会ったのは3年ぶり。
その頃彼女は子どもを産んだばかりだったが、その赤ちゃんだった子どもは、3歳になっていた。

一緒に電車に乗り、互いの近況を話していると、私ではなく自分と話してほしいと、子どもがママになった彼女に甘える。

彼女たち親子が数駅で先に電車を降りるその時、その3歳の子どもが

「バイバイ、お仕事がんばってね~。
ちゃんとしなきゃダメだよ~。」

と、私に大きな声で呼びかけた。

電車の中で、知らない人たちが一斉に笑った。
親子が電車を降りた後で、「かわいい子ね~」と声をかけあい、しばらく知らない人と電車の中で話をした。
子どもの何気ない一言が、電車の中の空気を一気に変えたのだ。

もちろん、子どもはかわいい時だけでなく、ぐずることもあるだろう。
しかし、こういうちょっとした一言で一気に周りを和ますような、こういう世界を私は今、あまり感じたことがない。
私にとって近しい子どもだった甥っ子姪っ子たちや、友人の子どもたちがどんどん大きくなり、私自身が子どもに接する時間が少なくなったということもある。
でもそれだけでなく、世の中の子どもが少なくなり、子どもを「見る機会がないから、そういう世界を感じることがないのだ。
しかも今、安全面もあって、普通に遊んでいる子どもの姿を目にしにくくなってきた。

近年の世知辛い世の中、ぎすぎすした空気、というのは、かわいい子どもたちを見る機会が減り、子どもの何気ない一言を聞く機会が減ってきたことも影響しているのかもしれない

2014年12月2日

人は生きてきたように死んでいく

どんなに目鼻立ちがよかった人でも、年齢を重ねると素敵でなくなる人がいる。
それと逆に、目鼻立ちとは関係なく、年齢を重ねて実にいい顔つきで魅力的な人がいる。

その違いはどこにあるんだろうと思う時、そこにはそれまでの生き方が出てくるのだと思わずにはいられない。

優しい人は優しい顔をしている。
お金に執着する人は卑しい顔をしている。
ふてぶてしい人はふてぶてしい顔をしているし、いつもイラついている人はイライラした顔をしている。

若い頃と違って、年齢を重ねた顔は生き方そのものである、と思う。


初めて、中下大樹さん(僧侶)のお話を聞いたのは何年前だろう。

  平常時は、隠れている人間の本性が、非常時にむき出しになる。
  「死」というのは、人の最大の修羅場であり、誰しも本性がむき出しになる。
  いざという時に、その人の進化・人間力が問われる。

そういう話だった。
それは、中下さんの著書、「死ぬ時に後悔しないために今日から大切にしたいこと」(すばる舎)に書かれている次の言葉につながっている。

  「逝き方」は「生き方」です。
  人は生きてきたようにしか死ねないのです。


年齢を重ねた顔に通じる話だと思った。

私は、昔から哲学や倫理観には疎い人間だ。
そもそも、そういう発想がなかった方だし、そういうことを考えずにいい歳の大人になった。
そんな哲学や倫理観に疎かった私でも、「生き方が表われる顔」に照らして考えてみるとわかりやすかった。


「『死にざま』こそ人生 『ありがとう』と言って逝くための10のヒント 」、「人生の実力―2500人の死をみとってわかったこと」等多数の著書があるターミナルケアの第一人者、柏木哲夫医師も、「人は死を背負って生きている」「人は生きてきたように死んでいく」のだと語る。

  しっかり生きてきた人は、しっかりと亡くなっていく。
  ネチネチ生きてきた人は、ネチネチと亡くなっていく。
  普段から感謝している人は、感謝しながら亡くなっていく。
  不平ばかり言って生きてきた人は、不平ばかり言って亡くなっていく。

  死に際に現れるのは 地位や職業ではなく
  その人の「生き様、人生への態度」だそうです。

上記は、九州のセレモニー司会者、高橋加代子さんが、以前Facebookでご友人が書いた柏木哲夫医師の話をシェアしていたもの。
私の心にずっと残っていた。

日頃、元気に毎日を暮らし、家族も元気で、多少メチャクチャなことをやっても一応日々がまたくりか返されていくと、特に何かを考えることなく日常が過ぎていく。
ましてや、なかなか生きることをちゃんと考えることなどない。
人生への態度、などとてもとても・・・私には難しすぎる。
ありがたいことに、私は心身ともに健康に恵まれていたので、特にそうなのかもしれない。

けれども、数年前に義父(夫の父)が病気になり、その治療に付き添い、段階ごとに治療方法を一緒に選択し、1年後に看送った経験がきっかけで、私は死について向き合い、考えざるを得ない状況になった。
その後、東日本大震災があった。

きっかけがあれば、少し考えることができる。
さすがに、私の人生への態度を考える、態度を変えるのはちょっと難しそうだが、それでも少しだけ考えることができる。

死を意識すると、今をもう少し大事に生きていけるように思う。
意識する機会を作ることは、自分を大事にすることはもちろん、自分の周りの人との関係を大事にすることにつながっているように思う。




■ワークショップを開催します。

 エンディングノートを通して、自分らしく生きるために考える

2014年12月1日

無意識に我慢している・・・・朝の電車から。

1年半前から、私は仕事場を固定しない働き方をしている。
事務所の住所はあるものの、事務所でも、自宅でも、外出先でもどこでも作業できる、いわゆるノマドワーカーだ。

考える作業はどこでだってできるし、メールはどこででも確認できる。
ITの進化のおかげで、メールだけでなく、かつて職場でやっていたことのほとんどが、どこででもできるようになった(ようだ)。
私のITリテラシーの問題があるので、すべて何でもというわけにはいかないが、それでもちょっと前とは雲泥の差だ。
それまでは、朝出勤し、夜帰宅する、というリズムで働いていたのが、今ではその日のスケジュールによって何時頃家を出るかがばらばらになった。

そういう日常の中でも、朝9時頃都心に行かねばならなかったのが今日。
ただでさえ電車が最も混み合う時間帯なのに、今日は月曜日。
しかも朝から雨。
いつも以上に混んでいて、電車は混雑による遅延により、乗り切れない人たちがホームに溢れていた。
その状況に、私はすっかり怯んでしまった。
その怯んでいる自分に、私は自分で驚いてしまった。

私は中学の頃から満員電車で通っていたせいか、中学生の頃からずっと、大人になっても、かつて勤務先に電車通勤していた頃も、私は満員電車がイヤだと思うことはほとんどなかった。
その中で何ができるかを考えれば、できることはいろいろあった。
お友達とのおしゃべり、文庫本を読んだり、音楽を聴いたり、新聞を読んだり、それなりに有効活用できていたからかもしれない。
麻は電車が混むもの、そういうものだと思っていた。

けれども、それが当たり前ではなくなった今の私は、今まで平気だったことが大きな苦痛に変わっていた。
もしかしたら、昔からずっと大きな苦痛だったのを、自分でも気づかずにフタをしていたのかもしれない。

働くということは、そうやって無意識に我慢していることが意外にたくさんあるのだろう。
無意識に我慢していたというのは気づかない幸せだったのかもしれない。
しかし、無意識であったとしても我慢していた私はちょっとかわいそうだった(苦笑)。
それは私だけでなく誰だってそうだ。
できれば、そんな我慢は最小限で働けた方がいいし、職場自身が職場として成果を上げるためにも、我慢を最小限にしながら働く環境を整えていけたらいい。

ノマドワーカーにとっては、いつでもどこでも仕事できる今の環境は大歓迎だが、会社員にとってはなかなか厳しい。
会社用携帯を支給され、仕事時間とは関係なくいつでもどこでもつかまってしまい、グローバル化も進んだせいで、休みも夜中も関係なく仕事に追われる会社員は多い。
いつもいつも追われていて、我慢は昔以上なのではないか。
それなのに、朝の通勤電車ラッシュが今も昔も変わらないと言うのは、どうにも不思議でならない。
どこの職場も、休みの日まで仕事を強要しながら、昔と同じように朝出勤して夜仕事を終わるリズムを守っているに違いない。
そうやって我慢を無意識に重ねている人が増えているであろう現代は、会社も経済も疲弊していくのではないかと思う。