2009年11月30日

「人」対「人」

新たに始めるサービスのため、Webサイトを立ち上げようと準備に入っている。
イメージよりも内容訴求が目的なので、わかりやすくシンプルにしたい。訴求内容による変化を解析したいので、内容を小まめに書き換えたい。などと考え、制作にあたっては複数のプロのお願いしていた。それにもかかわらず結局は、偶然別件でネットサーフィンしている時に見つけた業者さんにお願いすることにしたのだ。
お願いした業者さんは、地域密着と子育てを中心に据えて、その中で個人でできる範囲の仕事をしていく、というスタンスを貫いている小さな個人事業主だ。
何よりも私が気に入ったのは、彼が誰にでもわかりやすい言葉を使い、相手の状況や立場を思いやり、そして自分の弱さを最初に説明し明確にした上で、「それでもよければ一緒にやりましょう」という対応のしかたであった。言葉にすると陳腐だし、私自身がそんなことは当たり前だと日ごろ思っていることなので、「今さら」感があるっものの、それでも書きたくなるのは、毎回彼の対応が唸ってしまうほど丁寧で、誠実だからである。当初は彼にお願いする気など全然なく、相談だけのつもりだったのだが、結局私は彼にお願いするしかない、という気持ちに変わるのに、そう時間はかからなかった。
仕事はやはり「人」対「人」。心が通うことで成立するものだと実感した。仕事をするうえでの基本姿勢を改めて学んだような気がした。
それでも、自らのサイト制作を発注するというのは、予想外に悩ましいことが多い。私自身が、クライアントのWebサイト制作には数多く関わってきたことを考えると、ちょっと情けない。それでもが問題を整理してくれたことで、現在順調に進行中である。

2009年11月20日

人生相談

元来のお節介な性格のせいか、「カウンセリングとか人生相談みたいなことを仕事にする予定はないのか?」と聞かれることが少なくない。
なぜか私は、人の相談ごとにのる機会が多い。それが仕事であったり、働き方に関連することであったり、生き方であったり、恋愛話だったり・・・。
そんなとき、私は特に何かをアドバイスする、というわけではない。大体、相談する本人自体がコトの本質を見失っていたりすることが多く、それを、話しながら結果的に私が紐といて整理するうちに、解決策が見えてくるのだ。
これは、私が今までコミュニケーション活動をプロデュースするうえで行ってきたことと同じ作業である。クライアント企業の不満や夢など、さまざまな話を聞きながら、現状の問題を発見し、そのための解決策を見つける作業だ。企業がその問題を解決するための魔法の杖や薬があるわけではなく、そのクライアント企業ならではの方策を見つけていかなくてはならない。
個人的な人生相談や働き方相談も同じような気がする。そういう相談をされた時に、私は、相談してくる人自体の価値化に屋感が合え方に寄り添うことを心がけている。特に女性の場合は、男性のように幼いころから「大人になったら働いて家族を養うもの」として育つわけではないので、人生の選択肢の幅がとても広い。例えば、「働くこと」ひとつでも、意識しているかどうかは別にして、自ら選択して選んだ結果だ。「働かない女性」という生き方も、社会では認められているわけだから。その選択肢をどのように選ぶかは、その人によって千差万別なわけで、誰にでも共通する答えなど、ありえないのだ。その人ならではの答えが必ずあるはずだ。
けれども私自身は、カウンセリングの勉強もコーチングの勉強もきちんとしたことがないし、現実的にはあくまでも友人・知人として相談を受けるだけだし、私自身もそれは厭うものでもない。
でも、もしそういうことを仕事にすると考えると、これはかなり「怪しい」きがするがどうだろう? 占いならともかく、もしも私自身が相談する立場だとしたら、そういうことを商売にするような人に相談などするだろうか?と考えてしまうのである。
とは言うものの、私に相談する人が、それによって明るくなり、結果喜んでくれるのであれば、私自身もハッピーだ。私と話をすると元気が出る、と言ってくれる人も少なくない。そんな嬉しい言葉をもらうと、私はもっと元気になり、それが私自身の仕事への活力にもなる。

2009年11月13日

出版不況

出版系の仕事に関わったことがきっかけで、出版企画を検討し、出版社に持ち込む機会があった。出版不況で本が売れないといわれる時代だが、それでも書籍ン御信頼性は高い。私は、出版社の負担をできるだけ減らし、安く作りたいと思い、しかも自分自身がほしいと思う本を提案したいと考えていた。
提案したところ、企画のおもしろさを理解してはくれたものの、即実現、とはなかなか進めにくいことになった。ここ数年で人は本を買わなくなり、特に若い人は、だいたい携帯で情報入手を済ませ、お金を出して本を買うことはない傾向に、出版は強い危機感を持っている。そのため、読者の「深刻なニーズ」に対応する書籍でないと、大手出版社ですら出版に対してとても臆病になっているような印象を受けた。「深刻なニーズ」に対応するものは、例え読者数がわずかなであっても、その人にとっては深刻なので、「お金を出して本を買う」行為につながりやすいというのだ。その通りだろう。けれども、例えば命に関わるような「深刻なニーズ」に対応する本ばかりが増えていくことを想像すると、私はなんともさびしい気がした。
出版社は、出版にあたっては今まで以上に売れるかどうかを厳しく精査する。当然のことながら、私の企画自体の弱さが大きいのは否めない。
現在の出版不況の厳しさを改めて感じるとともに、例え「深刻なニーズ」でなくても、豊かで楽しい気持ちになるために「お金を出して本を買いたくなる」ような出版企画をさらに練り直したいと思う。

2009年11月6日

情報のインパクトと社会の受け止め

私は、通勤電車で2回乗り換え、3種類の電車に乗る。電車に乗るとキョロキョロし、人の様子と中吊り広告を見るのが習慣になっている。
今日もいつものように電車に乗ったら週刊誌の中吊り広告が目に飛び込んできた。
「****34歳の正体」****には実名が入り、大きく顔写真も入っている。関わる男性の不審死で最近世間を賑わせている結婚詐欺師の女性だ。テレビや新聞の報道では写真にモザイクが入り、もちろん実名も出ていないため、正直驚いた。そして電車を乗り換えるとやはり同じ中吊り広告。こちらは実名部分が●●●●と黒く塗られた●で、写真も目の部分が黒く塗られていた。さらに電車を乗り換えたらまたもや目の前に同じ広告で、今度は実名&写真入り。最初に乗ったのは私鉄、2番目と3番目に乗ったのは東京メトロ(地下鉄)だ。その後外出で乗ったJRは、実名部分が●●●●と塗られており、東京メトロ(地下鉄)は実名、都営は●●●●だった。
実名を出す出さないの判断はどこの段階だったのだろう? 同じ東京メトロでも実名が出たりでなかったりしていることからして、少なくとも媒体側の判断ではない。広告主がどこかの段階で判断し、それが間に合ったものとそうでなかったものの違いかもしれない。しかし、これが出たかどうか、その様々な影響の違いは計り知れないだろうし、その週刊誌の売れ行きも大きく変わったはずだ。
中吊り広告の主目的が雑誌の売上アップであることは間違いないが、広告やPRなど、社会に対してコミュニケーション(1wayであったとしても)をとる際に、その出し方によって見識を問われることがある。現在、殺人容疑が確定しない段階でこのような出方になるのを、社会はどのように受け止めるであろうか?(掲載された本人や家族への影響はもちろんだが)
社会とコミュニケーションをとろうという時に、売上拡大という以上に大事なものがあるはずで、それはマスコミ業界に限った話ではないと思う。メーカー、サービス業など、どんな業界もコミュニケーション活動を行っており、それは顧客、社会に少なからず影響を与えるはずだ。その時、企業として恥ずかしくない発信をしたいと、私は思う。あえて言葉にすれば、それは品格や品位かもしれないし、「愛」かもしれない。コミュニケーションとは、そういうものを常に意識するようでありたいと私は思う。コミュニケーション活動というものは、そういうことがじわじわと伝わっていくはずで、長い目で見て、それが「売上拡大」という結果につながっていくはずだし、そこで信頼関係を勝ち得るものなのだと私は信じている。