2014年9月21日

もし働きたくても、会社員は定年が来たら終わり

20年以上勤務していた広告会社を辞めて7年が経つ。
多少の不満はあったとしても、
私にとって広告の仕事はエキサイティングで楽しかった。
同僚も先輩も後輩もいい人ばかりだし、
担当によっては不規則な時もあったが休みなしということはなかったし、
充実した日々だった。
今でも当時勤務していた会社が好きだし、かつての同僚はもちろん、
私が会社員だった時には知らなかった人、すなわち退職後に入社した人との
つながりも大事にしている。

それでも辞めようと思った理由の一つが、会社員には定年があったからだった。

今までずっと仕事中心に生きてきた私は、
心はサラリーマンおじさんそのものだった。
気づくと就業時間なんて関係なく、遅くまで働いている。
家が嫌いなわけじゃないのに、仕事が終わってもあまりまっすぐ家に帰らない。
「飲みに行こう」と誘われれば、下戸なくせにホイホイ誘いに乗る。
休みの日の遊びが楽しいのも仕事があるからこそ。

こんな私が定年を迎えたら、いったいどうやって暮らすんだろう? 
不安だった(苦笑)。

私は新卒でその会社一筋。
しかし長い会社員生活でいろいろなことをやってきたから、
そろそろその経験で何かもっと世の中に役立つようなことができればいいと
考え始めていた。
定年したらそういう他の「何か」をやりたかったが、
定年後のスタートでは間に合わないのではないかとも思って、・・・辞めた。

要は働くのが好きなのに(苦笑)、
好きな仕事を定年なんかで止められたくなかったのだ。
今思うと、辞めるも続けるも自分の意思で決めたいと思って
退職を考え始めたように思う。

ずっと仕事を続けている高校の同級生(女性)が、
これからどんな風に働いて行くかを考える上で、
60代70代の働き方に興味がある、と最近話していたが、
当時、まさに私はそう思って退職を決意したのだ。
そんな風に考え始めたのは10年くらい前だと思う。
「そんな前から思っていたなんて、ちょっと早すぎだわ〜」と笑われた。

当時は定年延長の時代が来ることは考えなかったが、延長したとしても65歳。
まだまだ十分元気な歳だ 。

もちろん人それぞれ。

働くだけじゃなく、さまざまな生き方があっていいのだが、
私の場合は、できれば好きな仕事がしたいと思う。
できるだけ長く働きたいと思う。

働くのは苦しかったり大変だったりすることもたくさんあるけれど、
働くことで知らない新しい世界を知ったり、素敵な出会いがあったりするのが、
私にはエキサイティングな瞬間だ。
だからと言って仕事一色がいいわけではなく、働くからこそ、
趣味の時間や遊ぶ時間も、私には楽しく貴重なものになる。

世の中には、私のような働くのが好きな人も、結構いるのではないだろうか。
そういう人は定年退職したらどうするのだろう。

青年海外協力隊派遣で有名なJICAでは、「シニアボランティア」という制度がある。
JICAの言うシニアとは、40歳以上。
40歳をシニアと呼ぶなんて衝撃的だが(苦笑)、
それまでの経験を国際協力に生かすのが海外シニアボランティアだ。
しかも「ボランティア」というが持ち出しや無償ではなく、報酬もあるらしい。

経験が生かされる。
喜ばれる。
貴重な体験が得られる。
国際協力に貢献する。
・・・働く面白みが詰まっている。

先月、私が手伝っているNPOでその体験者に話をしてもらいたくて、
会いに行ってきた。


「いやぁ、楽しいですよ。本当に。
 私が行ったのはスペイン語圏だったから英語なんてほとんど役に立たない。
 でも語学なんてほとんど通じなくても、人との関わりは面白いです。
 気持ちですから。いろいろ工夫するんですよ。」

そういう話をするその方の目はキラキラと輝いている。
人は、面白がって話をする時には、実にいい顔をすると改めて思う。

そういう話を聞くと、聞く方もワクワクする。
体験者のナマの話は、文字で読むのとはちがって、リアリティがある。

お話をしてもらうのは9月27日。
まだお席があるので、興味がある方はこちらをご参照ください

  日 時;9月27日(日) 15:00~16:30
 
  場 所;麹町区民館(東京都千代田区麹町2‐8)

  テーマ;海外シニアボランティア~途上国で活躍する日本のシニア達~

ちなみに派遣先は、旅行ではあまり行かないような国、場所が多いが、
JICAがついているから安心なのだそうだ。
フォロー体制もしっかりしているそうで、語学が堪能ではなくても、
海外赴任前には教育もあるという。

海外シニアボランティアとして活動した人たちは、
帰国後、今度はその経験を活かそうと活動している。

会社を辞める頃には知らなかったことだが、定年前でも、定年後でも、
働く面白みを追いかける方法は、きっといろんな選択肢があるのだ。
10年前の私は広告業界しか知らず、
考え方も探し方も思いも及ばなかったのは、ちょっと残念でもある。

ちなみに退職後の私自身の試行錯誤については・・・、
それは別の機会に改めて書こうと思う。

2014年9月9日

プロフィールに年齢を出すかどうか・・・


先日、今の時代のプロフィール写真について書いたところ、カメライターのかさこさんが自らのブログで紹介してくれた。

実物より見栄えがいいプロフィール写真は逆効果
  つぶやきかさこ~生き方・働き方・考え方+旅 より。

そこでは、プロフィール写真と合わせて、
プロフィールに出す年齢についても書かれていた。

相手からすれば、いくつぐらいの人なのか、
知りたい欲求があるのもわからないわけではないが、
女性のプロフィールで年齢を明らかにしている人は圧倒的に少ない。
私の場合、絶対に秘密というわけではないし、
7月に朝日新聞の取材を受けた際には年齢がしっかり公表されている。
それでも自分のプロフィールを出す場では、敢えて明らかにはしていない。

かさこさんによれば、年齢は時代背景とかがわかるから、
仕事を頼む上でその人のことを理解するヒントが増える、だから年齢は
明らかにして方がいい、という。

確かに その通りだとは思ったのだが、では自分が即公開するかどうかと言えば、
そこはオンナごころとしては、少々ハードルが高いなと思い(苦笑)、
私はそのままにしていた。

さて、その記事が出た2日後、私は都内のある地域で約40名ほどの方に
拙著「失敗しないエンディングノートの書き方」に関連したお話をする機会が
あった。

集まる方の平均年齢は75歳。
生涯教育の場で学んだ卒業生を中心にしたコミュニティだという。
事務局や役員等、中心的な役割をするのは男性だが、
メンバーは圧倒的に女性の方が多い。
「エンディングノートの話」という呼びかけで、集まった方々だ。

始まってから、会場では私が掲載された朝日新聞が回覧された。

途中の休憩時に参加者さんから声をかけられた。

「最初に見たときに、エンディングノートの話なのに、こんな人?と思った。
 若い人に何がわかるんだ?!ってね。
 でも、新聞に出てた年齢を見て、あ、意外に年いってるんだな、と思って
 お話を聞く気になりました。」

若く見られたようで、ありがとう!ではあるけれど(苦笑)、
それ以上に思ったのは、年齢で信頼感や説得感が変わるということだ 。

日本は年齢を気にしすぎる。
仕事に年齢は関係ない。
要は中身でしょ。

・・・よく言われることではある。
理屈の上ではその通りなのだが、人の気持ちや納得感はそれだけではない。

老性自覚という言葉があるらしい。
老性自覚とは、「自らの老いを受け入れ、認めること」だそうだが、これが難しい。
私自身も、信頼感や説得力に悪影響があるというのに、
それよりも若く見られたことに浮かれている私がいるのだから情けない。

それでも、参加者さんからそんなことを言ってもらったことで
自分の中の殻が一つ割れたような気がする。
かさこさんのブログで書かれた内容も思い出し、
そろそろ開き直って年齢をだすかなと、ただいま検討中である。

2014年9月1日

SNSとのおつきあい① 知らない人からの嬉しい贈り物

SNSの使い方、つき合い方は難しい。
よかれと思って失敗したり、面白くなってついついやりすぎて中毒みたいになったり。

特に知らない人とのおつきあいの広がりは悩ましいことが多い。
SNSの面白さでもあり、怖さでもある部分だ。

知らない人の投稿を見て、なるほどと思ったり、あれ〜?と思ったり、感動したり。
逆に自分の投稿に対して、知らない人からいいね!やコメントをもらったりすることもあり、SNS
がきっかけで、つながりが生まれたり、強化されたりもする。
でも、炎上や誹謗中傷される可能性もあるわけで、いくら面白くても、使う人の使い方や覚悟、ルールが必要なのはよく言われる通りだ。

覚悟と言えば、顔出しがある。
私は当初、顔出しには抵抗感が強く、長いこと似顔絵を出していた。
パーツを組み合わせて似顔絵が描けるサイトをみつけ、自分で描いたものを載せていたのだ。
その似顔絵がこちら↓。



しかしある日、初めて会って名刺交換した人が、帰宅後に似顔絵が掲載されていた私のブログを見て「似顔絵じゃない方がいいのに。イメージダウンになるのでは?」とおっしゃった。
私としてはなかなかよくできた似顔絵だと思っていたのだが(苦笑)、他人の目から見るとそうではなかったようだ。

それから私は、似顔絵を使用していたものを再検討し、少しづつ写真に変更・・・すなわち顔出しをするようにしていった。
このプロセスにはかなりの勇気が必要だった。
しかし、身内からはこの似顔絵がよく似ているとも言われていたので、Twitterだけはこの似顔絵のままにしていた。

そうしたら、そのTwitterを通じて知らない人からダイレクトメッセージが送られてきた。
その人は私のブログを読んでの感想メッセージをくれたのだ。
ありがたいことだ。
ちなみに私は、ブログでは顔出し(写真掲載)をしていた。

そうしたら今度は、その方が描いた私の似顔絵(イラスト)が送られてきた。
「もしよかったら、アイコンで使ってください。」とメッセージを添えて。
その人は、私がブログに出していた写真を元に描いてくれたようなのである。
その似顔絵がこちら。↓


これは嬉しい贈り物だった。

SNSにはこういう面白さがある。
一度も会ったことがなくても、お友達になっていくような感じ。
ゆるくつながっているような感覚。知り合いのような。
発信している情報で興味を持ったり、相手を想像したり。
何か聞いてみたくなったり、教えてみたくなったり、仕事をしてみたくなったりすることもあるかもしれない。

なお、今回、この似顔絵を描いてくれた方は、あとでわかったことだがイラストレーターさんだった。
どうりで綺麗に仕上げてくださったわけだ。
益々、嬉しい贈り物をいただいたと、ありがたく思った。

さあ、私をリアルにご存知の方は、さて、この二つの似顔絵を見てどう思われるだろう(笑)?!
正直なところ、私としてはよくわからないのだが、ナマの私をご存知の方には感想を聞いてみたいところである。
今のところ、「特徴をよくとらえている。」「鼻がちょっと違うかもね~」などと、一部から感想をもらっている。

会ったことがない人が描いてくれているのだから、ナマと違うのは当たり前。
それでも意外に似ていると言われるし、ありがたい気持ちもいっぱいなので、せっかくなのでしばらく私のTwitterのアイコンとして使わせていただこうと考え、一昨日から差し替えてみた(もちろん、ご本人にもご連絡済み)。



しかし、SNSはこのようないいことばかりではない。
悩ましいこともたくさんある。
それについては、またいずれ。



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 私自身の変化がよくわかり、恥ずかしくもあり、不思議でもあります。

友達は量?質?(2011年10月)

Facebookは少し不気味(2011年8月)