2010年12月30日

2010年が暮れようとしている。
このブログも、2010年最後のアップになる。
今の受験生は、年末年始も関係なく、毎日予備校に通っているようだ。受験生を抱える家族も年末年始関係なく、その支援体制に入る。一方で、今、卒業間近の大学生で就職が決まらないのが4割という。既に卒業していても親の保護のもとで自宅に暮らし、アルバイトで小遣い稼ぎをしている人も少なくない。そういう先行きが不安な世の中での受験体制は、本人も家族もしんどいことだろう。
今の社会、企業はとことん優秀な人を求めている。その優秀な人にどんどん仕事は集中し、忙しい人はどんどん忙しくなる。365日体制、24時間体制の仕事を求めたりする。
一方で、普通の人は仕事をみつけるのも一苦労だ。就職活動の厳しい競争を繰り返す中で精神的にボコボコにされて自信を失っていく。でも世の中の多くの人は、そういう普通の人だ。普通の若い人が普通に仕事を見つけられないような世の中というのは不幸なことだ。どんな人にでも、それぞれその人に合った仕事があって、それぞれが自立できる、しかも相互に思いやりが持てて助け合えるような心の余裕もある・・・そんな社会になればいいのにと思う。
ほんの一握りの優秀な人だけがまともな仕事にありつき、心身を壊すほど働かざるを得ないなど、幸せな社会であるわけがない。
2011年が、そういう幸せな社会に向かっていくためのステップになればと思う。

2010年12月22日

神様のご利益

今日発売の「妊娠できる!病院選び完全ガイド2011」(主婦の友社)は、不妊治療というナーバスな悩み解決をお手伝いするガイドブックとして発行されるムックだ。私はその企画制作等に関わり、この数ヶ月間それに奮闘していた。不妊治療については考えさせられることも多いがそれは別の機会に改めて触れることにしたい。
そのガイド本の中で、子宝スポットを紹介するページがある。子宝を望む神社仏閣等を紹介しているのだが、その企画を進めるにあたって、NHKの「直伝 和の極意」にもレギュラー出演されていたテラタビスト(寺旅研究家)の吉田さらささんと出会った。
神社仏閣をしばしば訪ね歩き、詳しい吉田さんに、私は下世話ながらそのご利益の有無について尋ねてみた。
吉田さんのお答えは「ご利益はあるでしょう」。
そのご利益というのは、「気の持ちようみたいなところが大きいと思う」ということだった。その気持ちというのが、「神様(や仏さま)にお願いする」という気持ち、「こうやってお願いしたのだから・・・」という気持ち等々、そういう気の持ち方が大事なのでは?ということだった。そういうことが地道に効いてくるのだろうということだった。吉田さんご自身は宗教心が特に厚いというわけではないそうだが、神様(や仏さま)はひいては“自然”に通じるものであり、お参りをするということは自分の力ではどうにもならないような“自然”に対して、謙虚な気持ちでいるということになるのではないかしら・・・と話された。その言葉には、私もとても共感するところがあった。
私も12月21日に、「運」がいいのも本人次第と書いたが、まさにそういうことなのだろうと思った次第。。。
世の中には、自分の力だけではどうにもならないことがたくさんある。うまくいくことも自分の力だけでそううまくいくわけではない。そんなことを日々思いながら、仕事も謙虚に進めていきたいものだ。

2010年12月16日

仕事に「愛」は必要か?

先日、かつて勤務していた会社で後輩だった男と飲む機会があり、仕事観について話をした。
私は日頃、クライアントやパートナに対しての「愛」がない仕事はダメと公言している。一方で彼は「仕事に愛なんかいらない」とよく言っていたた。けれど、彼の仕事への姿勢や考え方は私とよく似ていたので、そのことについて私が彼に突っ込んでみた。彼の言葉によれば、それは「愛」ではなく「スキル」だということだったのだ。
「愛」ではなくて、クライアントに喜んでもらうための「スキル」。
「愛」という言葉の概念、捉え方が、私と彼と違ったようだ。彼が言うには、「仕事の上で喜んでほしい」というのは、個人的な感情ではなく、あくまでも仕事の上での話である。だからこそ、「愛」などという曖昧な言葉にはしたくない、仕事の上のことはスキルであるというのだ。ましてや、「人間力が求められる」などというのは、彼にとってあり得ない表現だという。なぜなら、本来人は、仕事だけでなく仕事以外の場面でさまざまなことがあるわけで、仕事のある一場面だけで問題があったとしても、それでその人が否定されるわけではない。「人間力」とか言ってしまうと、それはもはやその人を否定しかねないわけで、そんな表現は使いたくないし、それはあくまでも「スキル」であるはずだ・・・と。
なるほど。彼の考えを聞いて、私は妙に納得。そして、自分が情緒的でありすぎたことを反省する機会を得た。そう言えば、女はとかく情緒的、と世間では言われるなあ・・・などと違うことまで考えてしまった。
私にそういう思いをさせてくれた彼は、そもそも優秀なアドマンであるけれども、彼は、約10年前に私の部下であったこともある後輩だ。そういう人が自分を反省させたり納得させたり感動させたりする機会に出会うと、私はとてもうれしくなる。

2010年12月10日

運も実力のうち

私は、かなり若いころから自分のことを運のいい人間だと思っている。今でもそれは変わらない。
どのように運がいいのかと言えば、健康であること。大きな病気をすることなく、心身共に健康で、かなりの苦境やハードな場面に立たされても、体を壊すことはないし、多少寝なくても平気なくらいのタフさは持っている気がする。おかげで仕事でトラブルがあったときも、体力的に無理ができ、バタバタしながらも乗り切れたことは少なくない。就職してからは上司に恵まれた。何度かの人事異動を繰り返すも、いつもいい上司に恵まれていたように思う。そのおかげもあって、若い頃には分不相応にいい扱いを受けたり、実力以上のチャンスをもらうこともあったような気がする。そして何より、出会う人に恵まれている。仕事もプライベートも含めて、本当にいい人に出会ってきた。これは最大のラッキーだと思っている。
すごく優秀だけど、しばしば「運がいいね」と言われる男がいた。彼は、そう言われるたびに「ハイ!運だけで生きてますから!」と明るく返しているが、いやいや彼の場合は、周りの妬みもあって「運がいい」と言われるにすぎない。運がいい風に仕向けて行くために、彼は人の何倍も努力し、頭を使っていることが、私にはよくわかるのだ。
11月27日の朝日新聞で、勝間和代氏が「幸運は天から降ってこない」というコラムを書いていた。イギリスの心理学者の法則をベースに、幸運は天から降ってくるものではなく、心がけ次第で自分で見つけられるものだと最後に締めている。おもしろかったのは、運がいいか悪いかは、後天的な考え方や行動習慣から違いが現れるということ。運がいいと思っている人は、例え不幸があっても運が好転するし、うまくいくだろうという自信があるというのだ。
「運も実力のうち」とよく言われるのは、どうやらうそじゃなさそうだ。
小さいころから私を見てきた母は、私のことを「運が悪くてかわいそうだと思うのに、当の本人はなんとおめだたいこと!」と言って笑うが、とんでもない! 私自身はやっぱり運がいいと思っている。
勝間氏が紹介してくれた、心理学者ワイズマンの4つの法則は、私自身は知らないものだったが、意外と私の行動規範に合うもので、私をさらに幸運にしてくれそうな気もして、気分がよくなった。
私自身は前述の彼のように運がよくなるような努力をしているとはまるで言えないのだが、これからも運のいい人であり続けたいものだし、そう心がけていきたいと思う。

2010年12月5日

スジを通す

新たな分野の仕事を始める時には、たいていその業界やその分野に関連する資料を調べたり、関連する人を捜して話を聞く機会をうかがったりするようにしている。特に人の話を聞くことは、資料では計り知れないことがわかったり、裏事情をのぞけたりするので、大きな価値がある。
けれども、その業界や分野によっては、「人」にたどりつくのが意外と大変だったりする。というのも、「人」には“格”と言うのがあって、その“格”を無視すると面倒なことになるからだ(と思われる)。例えば、その分野の話を聞くには、まず誰に話を聞くかだが、ある人に話を聞いた後で他の人にも話が聞きたいとなる場合は、それぞれの“格”が問題になるのだ。はじめに聞いた人よりも“大物”に、あとから話を聞くわけにはいかないという場合が出てくることがある。まず聞くなら“大物”からで、“大物”から話を聞けなかったらその次の“大物”・・・という風に、スジを通さねばならない、とアドバイスをもらうことがあるのだ。
事情は推察できるので、私自身もその法則にのっとって動くようにはしている。けれども往々にして“大物”ご本人は、あまりそのようなことを気にしていないケースが多い。こちらの趣旨や目的が明確でさえあれば、とても気さくに話をしてくれたりする。そういうことを気にしているのは、ご本人よりもむしろ周りにいる人たちのような気がする。「○○さんをさしおいて・・・」ということなのだろう。
中に入る人や周りの人とも気持ちよく仕事を進める上で、スジを通すことは大事なことではあるけれど、それ以上に大事なことは、こちら側がどういう考え方で何のためにどんな話を聞きたいのかが明確であることだと思う。もちろん、ご本人に迷惑がかからないことは言うまでもない。