2015年2月17日

高齢の親の病院に付き添う、中高年の息子や娘が書くエンディングノート

私の家は長寿家系だ。
親も親戚も、あちこち具合が悪いと言いながらも、比較的大きな病気もせず元気にしてきた。

しかしながら、元気な親も年老いてきて、さすがにそうそう安心してはいられなくなってきた。
あちこちの病院に通う日々で、お世話になることも増えた。

病院で大事な話がありそうなときには、私たち子どもがついていくようにしないと、お医者さんの話が聞きとれなかったり、理解しにくかったり。

先日、私は母と一緒に父の病院の付き添いに行ったところ、
先生から薬の量を少し増やそうという話があった。

診察が終わり、会計をしようとしたところ、
「薬は増えるけど、飲まないつもりだ。」と、患者本人がボソッと言った。
聞けば、その薬のせいで腸の具合が悪いようだと言うのだ。

もちろん、そんな話は私も初耳だし、先生にも話していない。
そのままにしておくわけにはいかないので、私はもう一度先生に診てもらうようにお願いし、先ほどはきちんと話さなかった非礼を詫びた上で薬のことを尋ねたところ、その薬は胃腸にはまったく影響のないものであると説明を受けた。
それを聞いて本人も納得し、安心して病院を終えた。

古い世代は、肝心なことを医者に聞けず、言われるまま何も言えない。
言おうとすると、先生を不快にさせてしまうこともある。
それでも、我慢している高齢者はきっと多いんだろう。

重篤な病気の場合は、人生観をふまえた治療法の選択を迫られることだってある。

医療者と話をするのには、テクニックが必要だ。
多少の知識と交渉術が求められる。
高齢の親だけではなかなか難しい。

高齢になった親を抱える子どもは、そういう時に頼られるのだろうが、遠方の場合はなかなかそれが叶わない。
(「子ども」とは、概ね40歳以上の中年)
会社勤めをしている場合はほぼ難しいだろう。
高齢の親から見れば、頼りたくても頼れない。

わかっていてもできない子どもも多いだろうし、ついて行った方がいいことにすら気づかない子どもも多いに違いない。


親にエンディングノートを書いておいてもらおう・・・という声をよく聞く。

私がエンディングノートについての話をするとき、60歳以下の人はほとんどが「エンディングノート」を知ってはいるけれど、見たことがないと言う。
そういう人が、親にエンディングノートを書いてもらおうとするのには、私は否定的だ。
書くかどうかはあくまでも本人の問題。

むしろ書いておいてもらうのではなく、自らが親のことを考えるきっかけとして、エンディングノートを見てみることを、私はお奨めしたい。
子どもの立場で、親のことを考えながらエンディングノートを見ることには、大いに意味があると思うからだ。

エンディングノートには医療の項目がある。介護の項目がある。
親に書いておいてもらうかどうかではなく、子どもとして親から何を聞いておけばいいか、のチェックリストとして使えるのではないか。
これからどんな知識を仕入れておこうか、というヒントにもなる。

高齢の親を診る医療者と話をする時、
その家族が命や終末についての知識や意識をきちんと持っているかどうかは意外と大事なことだし、それによって医療者側もきちんと対応するようになるのではないかと思う。


蛇足だが、病院の診察室に呼ばれて中に入ったときのこと。
患者本人が椅子に座り、家族は横に立ち、医師は電子カルテ(モニター)を見てキーボードを叩くだけで何も話さない・・・。これが2分40秒。
今の病院は、電子カルテしか見ない「デンカルルドクター」ばかりだ。


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