2015年7月31日

年を重ねてわかること、若い時に思っていたこと

メガネをかけたり外したり

現金を引き出すために銀行のATMに行ったら、男性がタッチパネル画面と手元の書類を頻繁に見比べながら、メガネをかけたり外したりしていた。
銀行に限らず、しばしば見かける風景である。

手元を見る時、やや離れたところを見る時、だいぶ離れたところを見る時、焦点が合わず見にくくなるから、メガネをかけたり外したり・・・・・


俗に言う「老眼」のためだ。

そういう光景を見るたびに思い出すことがある。
50~60歳前後の女性を対象にした商品の広告関係の仕事をしていた時のことだ。

この文字、読みにくくないか・・・

それは真摯に作っているいい商品で、
パッケージや説明書類、案内パンフレット等々、高級感、上質感、品位・品性を大事にしていた。
華美になりがちなものも抑えて抑えて。
色、レイアウト、書体は、あくまでも品よく、綺麗でいいものを作っていた。

だけど・・・この文字、小さくないか、老眼のお客さまに読みにくくないか・・・。
気になった。

文字の大きさとデザイン

キャッチフレーズ、小見出し、本文、注釈等々、
文字にはいろんなサイズの文字がある。
その強弱がきちんとついていること。それはデザインに大きく関係することだった。

小さい文字を大きくすると、全体のおさまりが悪くなる。
文字の強弱が少し曖昧になる。結果、言いたいことの優先順位がわかりにくくなる。

デザイナーに相談すると、

新聞、雑誌、パンフレット・・・それらは、さあ読もうと思って読むもののはずです。
そういうとき、老眼の人はメガネをかけるでしょう?
文字を大きくしたら、デザインが崩れてしまう。
しかもわかりにくくなっては意味がないでしょう?
だからこのままでいいと思いますよ。
さあ読もうと思って読むものについては、そういう心配はありませんよ。

なるほど、そうか。
私も納得し、部分的には多少文字を大きくしたものの、
上質感、デザイン性とわかりやすさを優先させた。

想像していたことが現実になると

私自身は子どもの頃から目がよくて、遠くのものがとてもよく見えた。
学校の黒板、車に乗ればずっと遠くの標識、遠くの方にいる人の顔・・・なんでもよく見えたので、目の悪い人の気持ちがあまりよくわからなかった。

だけど、今、バリバリの老眼で苦労している。
見えないということがいかに大きいストレスを生むのかがよくわかる。
近眼と違って手元が見えない老眼の場合、ふと手元を見るとそのままでは見えないのだ。
手元で見るものというのは、細かいものが多い。
料理中の手元や使用する食品のパッケージだったり、届いた郵便物だったり、スマホやガラケーの画面だったり、識別したいものだったり・・・
それらは、「さあ読もうと思って読む」ものではない。

家で家事をしているとき、私はメガネをかけていない。
さあ読もうと思っていない時に目にすると、読みづらいから読まないのだ。
かつて、テレビを見ながらなどちょっとした時間の合間にも目を通すことができたはずの新聞・雑誌などの読み物は、もはや、さあ読もうと思った時しか読まなくなる。
バタバタと忙しくしているとき、「さあ読もう」という時間をとるのはなかなか難しい。

さあ読もうと思って読むときはメガネをかけるはず

間違いではないけれど、いざその立場になってみると、微妙に違った。
綺麗な仕上がりは大事なことの一つではあったけれど、
それ以前に情報を伝えるというコミュニケーション機会を失っていたことになる。

想像とリアルは確実に違う

お客様はきっとこういうところが不自由だろう・・・
こういう風に行動するだろう・・・

私たちはいろいろなことを想像し、思いをめぐらす。
企業もきっとそうやって商品を開発したり、企画したりしていることだろう。

しかし所詮想像だ。

私自身が想像していた40代50代と、実際に40代になり、50代になってみて思う感覚は全然違う。
50代に突入しても、心の中は大学生の頃とあまり変わっていない気がする自分がいる。
だけど、私がイメージしていた50代はもっともっと「オバサン」だと思っていた。
自分の年齢を口に出し、自分でびっくりしてしまうねと同級生と笑いあったことがある。

そうは言っても体型が変わり、体力が衰えているのも事実。
そうなってみて初めて、今あるこれがもっとこうなっていればいいのに、
こういうモノがあればいいのに、と思うことが多いこと多いこと・・・。
ファッション、化粧品、雑貨、食べもの、飲食店、靴、街・・・・
若い頃に欲しかったもの、欲しかったこととは確実に違う。

リアルな声、もっと生かされれば

60代、70代、80代のことも、私が今想像している様子とはきっと全然違うんだろう。
きっとこうだろう、という想像をもとに作られたものでは、どこか中途半端なんじゃないかな。
今、シニア世代に売れていると言われているものだって、本当に満足しているとは限らない。
それしかないから選んでいることだってあるだろう。

リアルな声が生かされたモノづくりの必要性を感じる。
高齢者というと介護問題がクローズアップされがちだけど、実際は元気な高齢者の方が多い(年代にもよるが)。。
高齢化がどんどん進む今の時代だからこそ、60代、70代、80代、それ以上のリアルな声が生かされるモノづくりがされるといい。

60代、70代、80代、それ以上の人たち自身が、実際の商品開発に多少でも関われたら・・・
元気な高齢者が心から満足できる商品がたくさんあれば、
今よりももっと楽しい60代、70代、80代、それ以上になるように思えてならない。


2015年7月28日

「若く見えるより魅力的に見えたいの」Over60のNYマダム達から教わること


若く見えるより魅力的に見えたいの

Over60のマダム達にスポットを当てたドキュメンタリー映画に出ていた一人の女性が語った。
映画、「アドバンスト・スタイル~そのファッションが人生~」の一コマだ。


新聞に掲載された広告

実はこの映画、
写真集発売と合わせて開催された写真展に出かけたときに知った。
私はファッションにはとんと疎いのだけれど、
写真展でたくさんのOver60のマダム達を見て、お洒落をしたくなった。
ワクワクしちゃう、楽しくなっちゃう・・・
そんな気がした。
たぶん、写真展にいた私は、一人だったけど笑っていたと思う。

写真集は、
Advanced Style--ニューヨークで見つけた上級者のおしゃれスナップ


映画では、そのなかの7人が紹介されていた。
これを着ればモテる、みんなから浮かないのはコレ、できる女に見せるには、
・・・・そんな小手先じゃなくて、自分の魅せ方をちゃんと知ってるマダムたちのファッション。
ファッションとは、自分を表現すること。
生き方そのものである!とマダムたちは教えてくれる。
今まで大変だったこと、楽しかったこと、生きる上での信条、ファッションへの思い・・・
映画の中で、そんなことをいろいろ語っていた。

いろいろあったから、今がある。
年齢を重ねているからこその魅力が、あちこちに溢れている。
それは、私が常々「顔」「顔つき」について言っていることではあるけれど
ファッションもそうなのだと教えてくれる。

それでも加齢は残酷で、映画ではそんなきれいごとだけじゃないことも最後に語っている。
哀しいこと、怖いこと、辛いこと・・・・

それでもやっぱり力強い。カッコいい。
あんなふうになれたらいいなあ・・・・

若く見えるより魅力的に見えたいの

そうだ、そうだ。
かつては、
私、たぶん人より若く見えるかも・・・そんなことを自慢に思っていた頃もあったけれど、魅力的でなければ意味なし!
今、私の周りには、素敵な先輩が何人もいる。その方々は魅力的だ。

魅力的に見えるってなんだろう。
そんなことをたくさん考えさせてくれる、写真集と映画だ。
で、私が映画を見て思う魅力的というのは、結局のところ、自分らしくいるかどうかに尽きるように思う。

人は歳をとると、自分自身を受け入れるようになるわ。
自己評価が寛容になるのよ。
私は私。どうにもならないでしょう?
   (会場で購入した映画のプログラムより部分抜粋)

これは、映画に出てきた95歳のマダムが言った言葉。
しばしば自分を受け入れられなくなる私だが、年をとることが怖くなくなる。楽しみになる。
私をとても嬉しくさせる。
自分らしく生きることを大事にしようと改めて思う。

この映画、5月29日公開ロードショーで、私はすぐに観に行った。
観たとき、気持ちがいっぱいでどうやって文章にしようかなと思ってたら、こんなに時間が経ってしまったのだけれど、どうやら場所によって今も公開されている模様です。



全女性、いや男性にもオススメです。






2015年7月27日

年を食ってからする勉強は、若かりし学生時代よりずっと楽しい

大人になる(=年齢を重ねる)とは、
いろいろな経験をしてきたこと、そのものです。
その結果、勉強することが若い時に比べて、大好きになったりします。
きっと、「知りたい」気持ちが大きくなったり、
勉強する「意味」や「価値」が自分の中でちゃんと認識できるようになっていくからでしょう。
おもしろいことじゃありませんか?!

50代になって新たに出会う「ご学友」

50代になると同窓会が活発になるそうだ。

子育てが一段落する、
仕事は自分でコントロールできるようになったり、最前線から少し引いたりと、
環境が変わる、
会社だけじゃない関係を大事にしたくなる、
等々、いろいろ理由があるだろうけど、
私の場合も、ここ数年で学生時代の仲間と会う機会が増えてきた。

だけど、私にとっての“ご学友”は、若かりし学生時代の仲間だけじゃない。
昔のご学友だけでなく、
オトナになってからのご学友も、なかなか貴重な存在である。

昔の学生時代にはあんなに大嫌いだった勉強だけれど、
だいぶ大人になってからの今、勉強するのはとても面白いのだ。





もっとおもしろいのは、学びの場で出会う人たち、“ご学友”だ。
経歴や年齢はバラバラだけど、

その学びの場で出会うのだから、そのテーマへのアンテナを持っていることが最低限の共通項になる。
そんな共通項をふまえた出会いは、学びの場だけでなく、

いろいろな意味を持っていくと予感している。

昔と今では「学ぶ」ことのいろいろが違う。

20年くらい前に定年退職した叔父が大学生になったときのこと。
経済畑一筋だった叔父が選んだのは、社会人向けに開かれた農学部だった。
当時、叔父がそこで「一生の友を得た」と言うのを聞き、
30歳くらいだった私は何を大仰なことをと思ったけれど、
今、それはあり得るかもしれないと思う。

学ぶと言っても、机に向かう、教科書(テキスト)を読むというだけではない。
自分の幅を広げたくて、自分が成長したくて、仕事に活かしたくて、お友達に会いたくて・・・という、自分自身の心がまえの違い。
そこではさらに新しい視点に出会えたり、体系的な理論を知ったり、知らない世界のことを知ったり・・・といった知る喜びの違い。

いつのまにか、私は勉強好きになった。

自分から勉強したい、学びたい、と思ってその場に臨むのが今。、
勉強しなくてはいけないから勉強する、
学校には行くものだと思って行ったことで結果的に勉強することになった若かりし頃。
昔いやいや勉強していた学生時代と、今知りたくて勉強する一番の違いはここだ。

さらに言うなら、昔は親が学費を払ってくれた。
けれど、今、お金を払うのは自分だ。
だいたい昔は学費がいくらかなんて知らなかったが、今はちゃんと知っている。

お洋服を買うか、旅行に行くか、飲食に使うか、学びに使うか・・・
いろいろ買いたいものの中の一つとして、自分で学費を選択しているのである。

そこに込められる気持ちは、違って当然。
だからご学友も、昔と今では少し自分にとっての意味が変わる。


・・・と思っていたら、

昔、机を並べた「ご学友」と再び

昔のご学友から、

同級生で学びの会をやらないか?

という話が飛び出した。

高校を卒業して30年以上が経ったよね。
みんなそれぞれ、いろいろな専門に進んだり、経験をしたりしてきたでしょう?
それを分かち合えれば、私たちいろんなことが学べるんじゃない?

・・・これから、年に何回か集まる学びの会を始めようと言うのだ。
何十年の時を越え、再び机を並べようと。


それを聞いて今、その企画をおもしろがり、楽しみにしている自分がいる。
思いもしない形で、昔のご学友が再び今のご学友になろうとしている。

かつてあれほど勉強嫌いだった私が、
数十年後にこう思うようになるなんて、想定外だ、
昔の私に見せてあげたい(笑)。

まあ、昔若かった学生の時から、「もっと知りたい」と思い、学ぶ「意味」や「価値」をきちんと認識できていた同級生も、実はちゃんといたんだけどね・・・。

ゆっくり成長して50の坂を超えた今、やっと私もかつての彼女たちに追いつくことができたのだから、やっぱり時間というものは偉大にしてありがたいものである。

2015年7月24日

こんな場所に入り浸りたい!「居場所ハウス」という「居場所」~岩手県大船渡市

「居場所ハウス」という言葉を聞いて、あなたが想像するのはどんな家でしょうか?
岩手県で実際に見てきたそれは、「施設」ではなく「家庭」をめざした、高齢者を中心に多世代の人が集まるまさしく「居場所」でした。
「将来は自分もこんな場所に入り浸りたい」
私と同じ気mポチを感じる人は少なくないと思います。

「居場所ハウス」の理念

岩手県大船渡市に「ハネウェル居場所ハウス」という場所がある。



東日本大震災復興の拠点としてできた場所だ。
米国ハネウェル社から建設資金の支援を受けて建設された。
そこには、高齢者自らが社会的役割を見つけることで活動を促進させるNGO「ibasho」(本部;ワシントンDC)が大きく関わっている。

この「居場所ハウス」が、建築家・設計士らが学ぶ勉強会でテーマとして取り上げられ、その講師、NGO「ibasho」創設者が米国から招かれていた。
参加していたのは、高齢者施設や病院を手がける建築家や設計士だろうか。
縁あって私はそれに参加する機会を得、この「ハネウェル居場所ハウス」を知った。

「施設的」から「家庭的」へ
家庭は不便だし非効率的だし、片付いていない。
でも居心地がいいのは、家庭のそういうゆるさであって、完璧は実は心地よくない。
・・・そんな話から始まった。

その「ハネウェル居場所ハウス」には8つの理念がある。、
 ①高齢者が知恵と経験を生かすこと
 ②「普通」を実現すること
 ③地域の人がオーナーに
 ④あらゆる世代がつながり
 ⑤いろんな経歴・能力を持つ人が力を発揮し(できることを探す)
 ⑥地域の魅力や文化を発見し
 ⑦持続性ををもって
 ⑧完全を求めない。

「ハネウェル居場所ハウス」は、高齢者を弱者ではなく地域のリソースと捉え、
高齢者の知恵や経験が生かされる場所を目指して作られた。
ゆるやかに混ざり繋がる場所。
多世代の知り合いができる場所。
さまざまな背景の人々が混ざって安心できる場所。

この話を聞き、これはどんなものかぜひ見に行きたいと思って行ってきた。

子どものころ遊びに行った、おじいちゃん・おばあちゃんの家のようなゆるさ

大船渡の高台の普通の住宅街の中に表れた立札のような看板。



古民家風建物の壁にはこんなメッセージがあった。

中に入ると、
大勢の人たちが何か食べながらテーブルを囲んでおしゃべりをしていた。
どなたがスタッフさんなのか、それともお客さんなのか、見る限りはわからない。

この居場所ハウスではランチも出しているということなので、
昼時にうかがっていただくことにした。
そうしたら、さっきまでテーブルを囲んでおしゃべりしていた女性たちが立ちあがり、キッチンで支度をはじめ、太巻き、お漬物、サラダ、うどん、フルーツ・・・
次々と食卓に食べ物が出てきた。
子どもの頃に、おじいちゃんおばあちゃんの家に遊びに行ったようだ。


どれも「懐かしく、ほっこりするような味だ。
ランチをいただきながら、館長の鈴木軍平さんにお話をうかがった。


この施設は東日本大震災の被災者支援でスタートした。

 支援というのは、まず日常生活の支援。
 生活環境の改善。
 まず買物。

居場所ハウスでは朝市を開き、近隣の人が集まってくる。
元々近隣に住んでいる人たちや、仮説住宅に住む被災した人たちで
80代など、高齢者の人たちが中心だ。
来た人たちは買っていくだけでなく、来た人同士が交流する。おしゃべりする。
そういう人たちのイキイキしている一人一人の顔を見るのが嬉しいと、
館長の鈴木軍平さんは言う。

お話を聞いている途中に、次々といろんな人が表れる。
外で、このハウス関連の何か仕事をしてきた人たち、
偶々届け物を持ってやってくる近隣の人・・・
そのたびに鈴木さんは声をかける。

勉強会で聞いた話そのまま、その理念を貫いて運営されているのがよくわかる。
とても居心地のいい空間だ。

続けるためには課題もある

それでも運営し続けるためには、なかなか難しい現実もありそうだった。
最初は補助金だのみで運営してきたけれど、2年目になった。
これからどう自立していくか、が課題だ。

 自分たちで運営する。
 お客さんも一緒になって運営する。
 ・・・そうは言っても、
 誰もが自由に出入りできる「居場所ハウス」であるためには
 決められた時間はいつも開いていなくてはなりません。
 それは最低限必要なことです。
 たとえ誰も来なくても。
 
 そうなると、一番の問題は人件費です。
 いくらボランティアを中心に運営する、などと言っても
 お金を全く払わずに、ということはできないし、したくはありません。
 だって1日2日の話じゃない。継続していくいことが大事なんですから。

今、「居場所ハウス」ではそのための収益事業を少しづつ始めようとしていた。
いただいた昼食の提供も、居場所ハウスとして野菜を作ること、
それを朝市で販売すること、などもその一環である。
理念だけでは成立しない。

さらに、たとえ収益にならなくてもより多くの人に施設を利用してもらうためにと、次々と新しいことを始めようとしていた。
イベント的なことを企画したり、実施したり・・・。

そのために毎月定例会を行い、ボランティアの人たちも一緒に企画を考える。
ボランティアも高齢者が中心だ。

今、新しい試みとして「わらしっこ見守り隊」というのが始まった。
高齢者だけでなくいろんな世代に、ということで子どもたちにも来てもらおう、と。
子どもたちを見守っていこうという取り組みだ。
中心となるのは、元学校の先生である。

顔を出さないと、みんなが心配してくれる

昼食をいただいたテーブルの奥にはこんな和室が広がる。
スタッフの一人が話していた。

 あれ? ○○さん今日はまだ来ていないね。
 どうしたんだろう?

○○さんとは、居場所ハウスに毎日欠かさず来ている女性だ。
普段家で食べる分程度の野菜を畑で作っているという彼女は、
自宅から歩いて約20分。
毎日来ているから、来ないと自然にそう思うようになるのだ。
その直後に、話題の彼女がやってきた。

 来れば楽しい。
 誰かしらいるからね。
 ここがあるから、毎日歩くんだよね。

この女性がやってくるほんの少し前、
それはまさに施設ではなく「もうひとつの家」のようなものだった。

いつか東京にも

こんな施設が東京にもできたらいいと思う。
隣近所とのお付き合いが薄くなっている都市部だからこそ、
いろんな人が自由に出入りできるような場所がほしい。
ときには茶飲み話をしに、ときにはイベントに参加するために、ときには・・・。
夢はどんどん広がる。

大船渡の居場所ハウスは、古民家を改造したそうだ。
デッキがあって、スペースもたっぷり広々。
もし都市部で、と考えるとこんな余裕あるスペースはなかなか難しいかもしれない。

例えスペースは無理でも、こういう居場所があったらいい。
あってほしい。
もしあれば、私も行きたい。将来は入り浸りたいものである。


ハネウェル居場所ハウス
大船渡市末崎町字平林54-1

「居場所ハウス」の活動を継続するためのサポーター(賛助会員)募集中。
年会費/個人サポーター(1口) 2,500円
※会費は「居場所ハウス」の運営、「居場所ハウス」を通した地域づくりために活用。
振込先(ゆうちょ銀行口座記号・番号)
*02280-7-115147
加入者名(漢字):特定非営利活動法人居場所創造プロジェクト
加入者名(カナ):トクヒ)イバショソウゾウプロジェクト
詳しくは「運営サポートのお願い」参照

2015年7月23日

家に住む人の高齢化で、街の景色が変わる。

ご近所の大きな家が解体され、あっと言う間に更地になる。


ついこの前まで人が住んでいたお宅だ。
これが一軒二軒ではない。
この半年で何軒が解体されたことだろう。

住んでいた人は、毎朝家の前を掃除されていた人、
お庭の薔薇の手入れに余念がなかった人、しばしばマイカーを磨いていた人、
お会いすればご挨拶をしていた人、・・・皆さん高齢だった。

私が今の家に移り住んだのは、今から15年前。
ご近所は何十年も前からそこに住む人たちが多く、当時アラフォーだった私たち夫婦は、周辺では超若手だった。

15年経った今、周辺には空き家が増えた。
その理由は、住んでいた人が亡くなる、家で暮らすのが難しくなり施設に入る、などなど。
お元気でお一人で暮らしていた人が突然家で亡くなったこともあった。
もともと住んでいた人は、みな高齢だった。

その一部が今、こうして解体されている。
土地もそこそこ広いし、大きな家だった。
更地になったあとは、きっと小さな家がいくつも建つようになるのだろう。

そうすれば、街の景色が変わる。住む人も変わる。
それは経済を動かすことなんだろう。

それでも、15年そこに住んできた私にとっては、なんとも寂しい限りである。

寂しい理由はいくつかある。
それは、
長く空き家だったわけではなく、ついこの前まで住んでいた家であること、
解体しなくてもいいくらいの立派な家が壊されてしまうこと、
壊されて更地になるのは、あっという間であること、
木々の緑や季節のお花も一緒になぎ倒されること、
ご近所づきあいが皆無になること、など。

解体前、比較的大きな家でお庭があって緑が豊富だった場所は、
きっと小間割りされて何軒かが建つようになる。
そうなればおそらくお庭がない小さな家がたくさん建つ。
お庭がない家が建てば、庭木もお花もあまり見られなくなるだろう。
若い世代が入ってくるだろう。

街というのは、きっとそうやって変わっていくものなのだろう。
頭ではわかるけれど、寂しい。なんとも残念だ。
こんなふうに私が古きよきものを懐かしむのは、自分が年をとったからなのだろうか(苦笑)。

2015年7月21日

「シニア男性の引きこもり」から気づく、心がけのポイント

素敵な人生の先輩がいると、元気が出る。

 こんなことやっている先輩がいるのか。
 先輩はこんなふうに考え、見ているのか。

そういうことを知ると、自分はまだまだだと思うことがある。
自分のこれからをもっと考えたくなることもある。
そして、自分のこれからの可能性を感じられる。
・・・そんなことはないだろうか。

シニア向けのiPad講習を展開する山根さん。


現在80歳だそうだが、今の活動、それまでの活動をうかがうと、元気が出る。
そんなことを以前書かせてもらったが、その山根さんに同世代の男性についての話を聞いた。

山根さんによれば、男性が会社を卒業して失うものは次の三つなのだそうだ。

 ① 行くところ
 ② 会う人
 ③ やること

そして、そんなことは彼ら自身もちゃんとわかっている。
だから地域デビューを目論むわけだが・・・

山根さんに同世代の男性について聞いてみたら、暗い顔になった。

 女性は失うものがないから遠慮しないでしょう?
 リタイアした男性に向かって、「そんなこともできないの」とか平気で言うから。。。

 今まで会社と家の往復だけで、
 仕事関係以外のつきあいがほとんどなかった男性は、
 そんなことちょっと言われるだけで、ものすごく傷つくんですよ。

え?!
女性はそんなこと言いますか。

 例え言葉で言われなくたって、
 そう思われていることくらい敏感に察知しますよ。

 だって会社では上司や周りがどう自分を見ているかを察知する訓練を
 ずっとしてきたのだから。
 そういう気持ちは敏感に察知します。
 これが、シニア男性の地域デビューの悲哀。

たしかに、女性の言葉は無邪気なおしゃべりで容赦ない、かもしれない。

地域活動では、女性は男性に肉体労働やアッシー(車の送り迎え)を求めていることが多いのだそうだ。
だけど当の男性は地域に知的労働を提供するつもりで張り切ってデビューする。
だが、女性は知的なことなどほぼ期待していない。
完全に需要と供給のミスマッチである。

無力感を感じた男性は自分が社会から必要とされていないと感じ、
引きこもってしまうのだという。
あえなく挫折してしまうのだ。

私は男性じゃないけれど、ずっと男性中心の会社社会で生きてきたから
わからなくもない。

そうならないようにするにはどうしたらいいのでしょう?
山根さんはどうしてそうならなかったんでしょう?

 ときどきイヤなババア、イヤなジジイを見かけるでしょう?
 そういう風になりたくない。

それが山根さんの動機づけなのだと言う。

 若者は頭に投資、中年になったらカラダに投資、シニアになったら心に投資、

なんだそうで・・・。
まずい、まずい。
自分自身を省みると、頭にも、カラダにも投資をしてこなかった。
これから心に投資、か。
心に投資ってなんだろう。
心に余裕をもつこと、穏やかであること、心を強く持つこと・・・

そういう山根さんが今、大事にしていることは「四つの気」。
「四つの気」とは、元気、やる気、思う気、根気。

思う気とは思いやる気持ち、という意味合いなのだそうだが、
この「思う気」が、心に投資することにつながると思えた。

この四つの気、
実は今から約50年前、小学生の息子さんの授業参観に行ったときに壁に貼ってあった言葉だそうだ。
いい言葉だなと思って、それ以来ずっと大事にしてきたと言うが、
まさに! 
子どもよりも大人こそが、大事にしたい心がけのポイントである。

2015年7月17日

証明書用の顔写真、どんな写真にしたい? どれくらい気にしますか?

10月には割り振られる12桁のマイナンバー、年明け1月にはマイナンバーカードへの引き換えと運用が始まる。


マイナンバーのキャラクター、マイナちゃん(内閣府のホームページより)

よくよく聞いてみれば、マイナンバーカードには写真が入るという。
その写真が入る仕組みってどうなってるんだろう。
どこで撮られるのかな。

私は、
生き方が顔に出るからブランディングにもそういう顔つきを生かしましょう
と提唱しているので、日常的に人のプロフィール写真が気になる人だ。
ときにはブランディングと合わせて、
プロフィール写真の使い方アドバイスや撮影プロデュースもする。
(自分のプロフィール写真についてはこの際棚に上げとく)

そんなこともあって、写真が入るというマイナンバーカードが気になり、
7月10日に、マイナンバーとは何か、気をつけるべきことは何かについて教えてもらうセミナーを自ら主催して開催したばかりだ。

それによると、マイナンバーカードを手に入れるまでの流れはこうだ。

1)個人ごとに割り振られた12桁のマイナンバーが、10月に住民票がある場所に書類と共に郵送されてくる。

2)書類に必要事項を書いて、写真を同封して返送する。

3)1月になったら、できあがったカードを区役所(町村役場)に取りに行く。

4)大人の場合は、10年間そのカードが有効になりそうだ。

むむむ?!
写真は、運転免許証のように、カード発行手続き段階でどこかで撮影されるものと思いこんでいたが、そうではなく自分で用意して郵送するのだ。

運転免許証の場合は免許センターでアッと言う間に撮影されるものだけど、
マイナンバーカードの写真は自分で用意する。
果たしてどんな写真を用意するだろう。
どの写真にしようかと、どの程度気にするだろうか。

気になるのは使用期間。10年有効となると、結構長い。

流れとしては、パスポートに近いけど、
パスポートよりは使いそうな気がする(度々海外に行く人でない限りは)。

カードのオモテ面に写真が入る。
こちら側は、いわば身分証明用のだ。
肝心の12けた番号は、裏面に入る。
だから、12けた番号はむやみに人に教えないほうがいい、というわけ。

さて、そのカードを何に使うかと言えば、今のところは以下の三つだけ。

1)社会保障
2)税
3)災害対策

これが将来的にどんどん拡大しそう、というのが
マイナンバーについてなんとな~くイヤな感じがするモトです。。。

こういうマイナンバーカードの肝心の写真だけど・・・・
う~ん、どんな写真にするか、みんな気にするかなあ。

だって、その写真入りのマイナンバーカード、
大人の場合は10年使用すると言うのだから。やっぱり気にはなるかも。

10年後に嬉しくなるくらい若作りしちゃおう!とか、
多少微笑んだ写真にしちゃおう!とか、思うのかなあ。

街中にある、児童の証明書写真ボックスに入ってサクッと撮るのかなあ。
それとも、お友達や家族同士で撮ったりするのかなあ。
それとも写真屋さんに撮ってもらったりするのかなあ。

そもそもわざわざ写真撮ったりなんかせず、今ある写真から探すのかなあ。
今やデジカメだから、昔のデータを見ながらどうしようかなあって?!

マイナンバーカード、実はここが私の知りたいところ。

え~っ?!そこ~?!

そんな声が聞こえてきそうですが・・・、すみません。
もちろん制度自体もすごく気にはなるのですが(汗)。

個人情報にナーバスになりながらも、個人ブランドが重視され、
どんどん増える個人事業主はプロフィール写真に気を遣い、
一般の人でもfacebookなどのSNSでは自分の顔写真を出すのが普通になり、
モデルさんのようにメイクして、
本人とはわからないくらいにきれいに化けたプロフィール写真までが横行する
今の時代。
自分の顔や見られ方を気にする人は、今、とても増えている。

その時、マイナンバーカードの写真はどうなるだろう?!
人はどうするだろう?!

私自身は、「顔」「顔つき」にこだわりがある人だけれど、
マイナンバーカードについては、どうでもいいと思っている。

今回開催したマイナンバーセミナー参加者からも、

証明写真というのは、
写りが悪いぐらいでちょうどいいという思い込みがあります。
あんまり素敵な笑顔でもヘンというか。

というメールをくれた方がいらっしゃいました。

だけど、もしも急に亡くなって写真が必要になって急いで探さなくてはいけなくなったとき、なかなか写真が見つからなかったら。マイナンバーカードの写真が使われる可能性はある。
例えば、お葬儀で遺影用写真を探しておてなかなか見つからないとき、
きっとマイナンバーカードから加工されるに違いない(今までは運転免許証だ)。

でも、本来マイナンバーカードの写真は身分証明の役割。
身分証明とは違う用途で使いたい顔写真だったら、
マイナンバーカードとは別の写真をすぐにわかるようにしておけばいいだけの話なんだけどね。

身分証明と自己紹介、プロフィールはやっぱりちょっと意味合いが違うと思う。
でもちょうどいい機会だから、兼ねようと思うのも十分ありだけど。

さて、あなたはこの機会に、自分のお気イ入り写真を撮りますか?



2015年7月15日

自分が知りたいと思うことは、自分以外にも知りたいと思う人がいる。~マイナンバー制度のセミナーを開催してみて

まだまだ先だと思っていたけど、10月には個人ごとに割り振られた12桁のマイナンバーが郵送されてくるそうだ。
そして年明け1月にはマイナンバーの運用が始まる。

何のカードなのか、どんなふうに使われるカードなのか。
自分自身がそれによってどんな影響を受けるのか、受けないのか、
もうすぐ始まるというのに、私はまったくわかっていなかった。

周りに聞いてみると、大企業ではそろそろ対策を考えようとはしているけれど、具体的にどうやって対策するか、まだ会社としても明確な方針が決まっていないところが多いようだった。
それでも、会社によっては、専門家に相談したり、会社として研修を発注したり、少しづつ動き始めている。
ときどき、自治体(やその関係団体)が一般市民ために基礎的な説明会を開いているところもあると聞くが、私の周りにはあまり見つけられない。

こういう国の新しい動きがある時、
小さな会社や個人事業主は、自ら動かないと、情報から取り残されてしまいがちなんだなあ。

私は、個人事業主としても、また一般市民としても、基礎的なことをちゃんと知りたい、と思った。
総務省のサイトを見る、資料を読む、本を読む・・・いろんな方法があるだろうけど、
私の場合は、
まずはわかりやすく話してくれる人から、その人の言葉で、教えてもらいたい。

そうすれば、自分にとって大事なこと、どうでもいいことなどがなんとなくわかる。
そういうことをまず整理した上で、サイトを見る、資料を読む、本を読む
・・・・この方がはるかに理解が進むし、結果的に学びの時短にもなる。
・・・・そう思う人は、きっと他にもいるのではないか?

そう思って、自ら企画し、開催したのがセミナー「マイナンバー制度を知る」だった。

話を聞くんだったら、
できれば企業にマイナンバー対策を提供しているような専門家さんから、
できれば専門家であってもわかりやすく説明してくれる人から、
~それが私の望みだった。

そこで社労士の田邊雅子さんに声をかけ、説得し、無理を承知でお願いし、
快諾いただいて、今回のセミナーが実現した。


私は、マイナンバーとは何か、気をつけるべきことは何かについて、体系的に話を聞ける機会を作りたかった。

いざ当日、私が知りたいと思ったように、ほかにも知りたいと思う方が多数おられたようで、
今回、大勢の方においでいただき、どうもありがとうございました。

せっかくの機会なので、もしも知りたい方がいらっしゃればご一緒に、と思い、
Facebookを中心に呼びかけてみたが、私と直接つながりがない参加者が3割。
個人事業主の方に、という切り口で呼びかけたが、フタを開けてみれば総務人事系部署に属する会社員の参加が半分。
個人事業主は確かに多かったとはいえ、副業や予備軍の人たちも、実は会社員でもあった。

セミナーでは話の途中でも次々と質問が飛び出した。
中には、今の国の進め方への不満までが飛び出した。
私も一番後ろの席から、他の参加者と同様に挙手していろいろ質問させてもらった。
講師には、その質問一つ一つに丁寧に答えてもらった。
参加者からの質問に対して、別の参加者が自らの法律関係知識をもとに回答を話すような場面もあり、参加者の関心の高さがうかがえた。

とは言え、実際には不確定要素もあり、まだまだ国の動き、自治体の動きをにらみながら、というところも多そうである。

私自身が講師としてセミナーをやるのではなく、
今回のように、私がテーマを考え、その内容の専門家を検討し、私から直接ご本人にお願いする形での開催を、私は時々企画している。
そこには、私自身がその方のお話を聞きたいからという思いももちろんあるのだが、
せっかくならこの人の話をほかの方にもお聞かせしたい、という思いがある。

そういう形で開催すると、
「石崎さんが選んだ講師らしい人だね。わかりやすかった。」
「こういう話をする人をよく呼んできたね。」
「石崎さんも参加者と一緒になって質問するんですね。」
と言われることが多い。
今回も同じような感想をいただき概ね好評に終了できて、ホッとしている。
講師をお引き受けくださった田邊雅子さんのおかげだ。

講師の
我々国民がどうリテラシーを上げていくかが課題だ、
という言葉は、大いにうなづけるところ。
どんなことも人任せにできない、すべては自分のリテラシー、という時代に入ったことを改めて実感するのである。


参加者の方が、ブログで参加報告を書いてくれました。
セミナーで教えてもらった内容が書かれています。ご参考まで。

カッキーの『めざせ♪オモロウゴ』
http://ameblo.jp/86077739/entry-12049109598.html

2015年7月13日

もしも今、離れて暮らす親が認知症と診断されたとしたら?

離れて暮らす親が認知症と診断された。どうしよう?!

最近、実際にそういう場面に直面した方から相談を受ける機会が増えた。


著名芸能人が認知症だと公表される、著名芸能人が認知症家族の介護を告白する、NHKが認知症キャンペーンを行う・・・

超高齢化社会を迎えるという報道のおかげで、もはや「認知症」という言葉を知らない人はいない。

自分の物忘れが度重なると、自分が認知症になってしまったのかしらとビクビクする。それは認知症になったらどうしようと思っているから。いつのまにか私たちは認知症が怖いと思って知らず知らすにドキドキしている。

認知症とはどういう病気なのか、私たちはいったい何を知っているのだろう。なぜ怖いものと思っているんだろう?

 認知症にはいろんな種類がある。 頭をぶつけて脳に血液が溜まって認知症のような症状になるタイプもあるが、  それなら手術で血液を取り除けば治ることもある。 実は認知症の症状というのは、 誰にでも共通する中核症状と、必ずしも出るかどうかは人による周辺症状がある。 イメージしがちな暴言・暴力や徘徊、食行動異常などは周辺症状だ。

・・・ケアマネージャーで介護支援専門員でもある人の話を聞くと、自分がイメージ先行で怖いと思いこんでいることに、改めて気づくのだ。経済的にも精神的にも厳しい雰囲気や、暴言・暴力や徘徊、行動異常などの映像は、テレビ的にセンセーショナルだし、見る側にとっても印象に残りやすいのだ。でもそれは中核症状ではなく、周辺症状だ。つまり誰もがそうなるわけではない。

まだ何もないのに「怖い」のは「知らない」から、だ。どういう病気なのか。そうなったら、どんな助けがあるのか。その助けが欲しければどうしたらいいのか。そういうこと一つ一つを、ほとんどの人が介護などに直面するまで知らない。

地方に親が離れて暮らしているという40代男性(会社員)が母親が認知症と診断を受け、すぐに会社を辞めて故郷に帰らねばと相談に来たケース。その母親がどんな種類の認知症なのか、どこでそれがわかったのか、どうやってわかったのか、今のカラダの状態など、40代男性(会社員)は、オロオロしているわりには何も知らなかったという。そのお母さんについてさらに聞けば、4点杖を使って外出しているご様子だ。

それなら、介護保険を利用していることはほぼ間違いないでしょう。

介護保険を使ってれば、ケアマネが介在している。この場合にやるべきことは、退職することよりもケアマネと連絡をとることだ。家族が離れて暮らすことは少なくないので、ケアマネは、離れた家族からの連絡にも慣れている。離れた家族からの「助けて」に、提案をくれることもある。どこに「助けて」と言えばいいかがわかれば、少しだけど安心が増える。
そういう一つ一つの積み重ねを大事にしていきたい。

私が去年の4月から始めたエンディングノート講座

エンディングノートの中身は人生を考えることそのものなので、
エンディングノートを使って自分の人生を考えてみる。
親のことを考えてみる。

「老いじたく」ではなく「どう生きるかを考える」ための講座である。
毎回エンディングノートの項目をテーマに設定し、実際に考えたり書いたりして進めて行く継続講座だ。

もしも今、親(配偶者)が認知症と診断されたとしたら?

これが継続講座の今月のテーマだった。
のテーマに、参加者の一人は「途方にくれる」と答えた。

今回講座では、ケアマネで介護支援相談員の人を講師に招き、話を聞かせてもらった。

テレビは怖いことばかり言うからね~、見せるからね~

そう笑いながら、講師は日々直面する事例をもとに、いろんなケースを話し出した。参加者からの次々と出る質問の嵐に、ニコニコしながら答えてくれて、最後に言った言葉がこれ↓

できることしかできない。
でも当事者の気持ちをわかろうとすることが大事。

講師の最後の言葉に、参加者誰もがホッとし、力をもらえたに違いない。


2015年7月7日

お医者さんから検査結果を聞くとき、家族としてはできればもうひと手間かけた い

病院に行くと、いろんな可能性を疑い、いろんな検査をする。
今や医学が発達し、いろんなことがわかるので、そこで何も見つからない方が奇跡なくらいだ(苦笑)。
それでも一般人にとっては、そこで何か言われることを晴天の霹靂と感じる場合も少なくない。
何かが見つかるということはお医者さんにとっては日常茶飯事なのだろうけど、言われる方はそうでもないということだ。

私が子どもの頃、テレビドラマの中でガンが告知されるシーンは、家族だけが別室に呼ばれて、実は・・・と言われるものだった。そして、本人に告知するかどうかについて、お医者さんと家族が相談するのだ。
それはもはや余命宣告されるようなものだった。

しかし今は違う。
早期発見できるし、医学の進歩で治療法もいろいろあるし、治る病気になりつつある。
だからお医者さんは、まるで「風邪ではなくてインフルエンザです」と言うがごとく、至って普通に「ガンですよ。」と言う。いつもの診察の延長で。



エンディングノートには、病名について告知してもらいたいかどうかを答える項目があるけれど、現実は本人のそんな気持ちなどお構いなしだ。
今はいつもの診察室でスルッと告知される。

言われた方にしてみれば、なかなかその衝撃は大きい。
いくら病名告知を希望する人であったとしても、だ。
ましてや告知を希望しない人はどうなんだろう。

今の時代、お医者さんは普通にガン告知するのがデフォルトだが、患者側は必ずしもそれがデフォルトと思ってはいない。
告知しないでほしい、という希望など受け入れられない。
かつては、知る権利が守られないことがしばしば議論になったが、今、知らされない権利は守られることはない。
お医者さんはすべてを話し、治療法の選択肢を提示して、あなたの人生観に照らし合わせ、家族ともよく相談して、決めてください、とボールを投げるのだ。

確かにそれは正しい方法だと思う。
自分のカラダのことなんだから、自分で知っておきたい。治療法は自分で選びたい。ーーそれが望ましい形だ、ときっと誰もが言うだろう。

だけど、いくらそれが早期発見であったとしても、何の前触れもなくそう言われて、果たしてどれくらいの人が冷静に話を聞き続けられるだろうか。
お医者さんの話を理解できるだろうか。
途中で頭が真っ白になることなく、冷静に選択肢を考え、治療法を選べるだろうか。
ましてや、ガンと聞くだけで余命宣告に近いイメージを抱く世代はどう思うだろうか。

検査結果を聞く時にはできるだけ1人で行かないこと、
家族だったら、1人で検査結果を聞きに行かせないこと、

以前、終末医療に携わる看護師に聞いたことがある。

つい先日、家族の検査結果を聞く機会があり、私はその看護師の言葉を思い出して付き添いとしてついて行った。
どんな結果になるかはわからなかったが、病院で受付した際に(診察前に)、本人が神経質であること、何事も気にしやすく気に病むタイプであることをあらかじめ伝えてみたところ、受付が担当ドクターと連携をとってくれた。
検査結果は芳しいものではなかったが、さまざまな配慮をしてもらえたことに、私は今とても感謝している。

それができたのは、ガン告知を受けた家族がガン専門病棟に治療で通う時に毎回付き添った経験があったことが影響している。
その病院でいろいろな相談をし、数々のアドバイスを受けたからだ。
病院がどんな体制であるのかも経験的に知る機会になった。

「どんな具合ですか?」〜患者よりも目の前の端末だけを見て、話をする電カル(電子カルテ)ドクターが今は多い現実がある。
病気は何か、どんな治療法があるか、そういう情報が重視されがちだけど、でも大事なのはそれだけじゃない。
患者も医者も生身の人間、心がある。
そこまで含んで医療だと思う。

家族から一言病院に伝えておく。
そういうひと手間をするかしないかで、受ける医療の質が変わってくる。

そんなことまで患者側が気を遣わなくてもお医者さんがそこまで配慮してくれるべき、という考えもあるだろう。
私もそれは否定しないけれど、人によって感じ方の強さが違う。
Aさんという患者にとってなんでもないことが、Bさんという患者にとっては大衝撃ということだってある。
医師だって、かなり気をつけて話したつもりでもぶっきらぼうな人がいたり、元々優しそうな人がいたり。
だから、患者側のひと手間を私はお勧めする。
さらに付け加えるならば、私の場合はお医者さんの話を聞く時に録音をとらせてもらうことも欠かさない。
人は話を聞く時に、印象的なことだけを記憶する傾向があるから。
改めて聞き直して発見することが多いのも付記しておく。

医学は進歩し、進んだ治療が受けられる今の時代。
患者本人や家族がもうひと手間かけて医療の場に臨みさえすれば、
医術だけでなき心ある医療が受けられる時代とも言えるのだと思う。
経済格差だけじゃない。
心を尽くす、手間をかける価値は、こんなところにも影響してくるのだ。





マイナンバー制度って、つまりどうなる? 大丈夫? いいことある?
私が知りたいので、教えてもらうセミナーを開催します。
7月10日19:15~、神保町で。
お申し込みはこちら



トラベシアのエンディングノート講座 開催中
http://www.travessia-endingnote.biz/group/index.html




 7月8日  もし親(配偶者)が認知症と診断されたら?
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 8月19日 モノの整理と心の関係~自分のモノ整理、親のモノ整理~
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 6月10日 生きざまと顔の関係 自分の顔について考える。
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