2010年9月14日

見せたい、見られたくない

東京マラソンの人気で皇居ランナーは大変な数だ。
皇居ランナーのウェアも多岐にわたり、特に女子のウェアはとても可愛いものが多い。ユニクロでもランナー用の速乾性ウェアが多くラインナップされている。ランナーの気持ちの中には、走っている姿を見せたい意識があるのを感じさせる。
見せたいのはランナーだけではない。ロードタイプの自転車もほぼ同様だ。今は「自転車」を「バイク」と呼ぶようだが、バイクはもちろんのこと、バイクに乗る人のウェアもデザイン性に富んだものが多く、見られることを明らかに意識して走っている。それは若者だけではない。中高年に至るまで、住宅街や公園などで黙々と歩いたり走ったりする人が多いし、休日の道路はおじさんバイカーであふれ、車が走りにくいほどだ。そしてみんな結構お洒落なのだ。
見せたい(見られたい)意識は、周りからの羨望や憧れを前提としているわけで、そういう意識のもとに成立するものは、市場も拡大していくのを期待させる。自然と「走ること」「自転車に乗ること」は時代にマッチしてカッコイイものなのだと私は思っていた。
しかし、地方に行くと少し事情が異なる。「歩いたり走ったりするのを見られたくない」と強く思うのだという。それは、周りがすべて知り合いなので、見られるとすぐに周りからあれこれ言われるのでそれがとても嫌だというのだ。その人は、健診で痩せるように言われたから何か運動をしなくてはと思ったのだが、歩いたり走ったりすれば「歩いているのね」「痩せたいの?」などと必ず言われることになる。周りから何か言われたくないので、人に見られない何かをと考え、家の中でできる運動を家族にも内緒で始めたのだという。
東京では体を鍛えたり、体を動かす姿勢は、むしろ周りに見せたい意識が少なからずあるのに、地方では間逆なのだ。私は不思議に感じた。
周りがすべて知り合いで、何をしているのか、何のためにしているのかを詮索される地方と、知り合いの方が少なくて、例え知り合いでもあまり他人の行動をあれこれ言わない都会との差なのだろうか。それとも、そもそも体を動かす美意識が根本的に違うのか。
「歩く」「走る」「自転車」など運動周辺のマーケットも、地域によって意識にはこんなにも差があり、マーケティングは一筋縄ではいかないものだ。
この見られたくないという地方の意識も、もう少し時間がたつと、「見せたい」意識へと都市化する日が来るのだろうか?

2010年9月8日

仕事がないのは景気のせい?

景気低迷の時代と言われるが、一方で人手が足りないという話も耳にする。
あるデザインプロダクションも、手が足りないのでデザイナーの求人活動をしているそうだが、採用に至る人に出会えないと言う。それなりにいい仕事の経験に恵まれ、十分なキャリアがある人がたくさん応募してくるにもかかわらずだ。
そのプロダクションの代表が言うには「うちでは戦力にならないから」。
時代がどんどん変化し、社会の仕組みも志向も嗜好もどんどん変化している。例えばデザイナーでも、大事なのはデザインが上手いかどうか以前に、、「今」を踏まえてどう表現するのかが重要になってくるのだ。過去の実績や経験が優れているとしても、それをどう今に生かすか・・・。
それが企画力や構成力につながってくるはずなのだが、大きい仕事ではスタッフ数も多く、意外と個人が「考える」ことを多少おろそかにしても、進んで行く。その蓄積の結果、新しい「今」をどうとらえ、どう構成して表現するのかが見えなくなっていくのだ。
今、景気低迷の中で、仕事が減っているのは確かなことかもしれない。実際、広告業界は確実にパイが縮小している。けれども、そういう時代だからこそ、(今までになかったような)新しい仕事の可能性はたくさんあるし、小さくても化けさせることも可能になってきたのだと私は信じたい。
前述のプロダクションに応募してくるのは、大きな仕事を経験してきた40歳前後のベテランデザイナーが多いそうだが、採用に至らない人たちに共通して言えるのは「今、仕事がない(=少ない)のを景気のせいにしている」ことだそうだ。
デザイナーに限る話ではない。仕事がないのは不景気のせいではないし、不景気のせいにしていては仕事なんて益々なくなって行く。プロダクションの人の話は、どんな仕事をしている人にも言えることだし、私自身も大いに共感と反省をする機会になった。

2010年9月1日

言葉の意味

私は、この春からある広告代理店の業務委託を受けて若手営業マンに対するアドバイスを行っている。若手営業マンとはキャリア3年以下の20代前半であるが、知識も経験も浅いので、少しの手助けや指導で、想像以上に効力を発揮し、日々成長するのを見るのは、私にとっても嬉しく意義深い。
その仕事を通じて、言葉のチカラや意味を理解する必要性を改めて実感する。
彼らはキャリアが浅いとは言え、広告業界に身を置くようになって新たに覚えた業界用語が、時とともに日常の言葉になってくる。それは、その言葉が業界だけに通じる言葉であることを忘れて行く危険性と隣り合わせだ。さらに深刻なのは、普通にその言葉を使いながら、その言葉の本当の意味を理解できているかが、私から見て微妙な気がすることだ。
専門用語に限らず、ビジネス用語などでも、本当の意味が曖昧なままに使用しているシーンには、一般的にしばしば出会うことがある。「効率的」「効果的」広告業界なら「イメージアップ」など、よく使われる言葉だが、どういう意味で「効率的」なのか、何と比べて「効果的」なのか、どんな「イメージアップ」なのか? それが相手にどこまで伝わっているのか? 例えば、「効率的」「効果的」「イメージアップ」などは、とても便利な言葉ではあるが、言っている本人がどこまできちんと消化して使っているのかどうか、疑問に思うことは多い。言葉を安易に使ってはいないだろうか?
昨今の学生時代から続くコピペ(コピー&ペースト)文化が、もっともらしい言葉を身近にするうえで大きな役割を果たしたと思うが、結果的に言葉を理解しないまま使う方向に向かわせたことで、結果的に思考停止になっていきかねないのだ。
日本語に堪能な外国人と日本語で会話をするときに、気の置けない相手だと、ちょっとした世間話であったとしても、「それはなに?」と突っ込まれることが少なくない。そういうときに、その日本語独特の表現について、言葉の意味を説明しようとするのだが、これが本当に難しい。その言葉の本質を理解しているかどうかを、自分に突きつけられたような気がするし、自分自身の理解の甘さにうんざりすることもある。
難しい言葉で言うのは簡単だが、平易な言葉で言うのは難しい。本質まで理解していないと、平易な言葉にはできないからだ。
だからビジネスの場面においても、難しい言葉でもっともらしく説明するのは、場合によっては物事を理解していない証拠でもあるのだ。