2014年2月17日

写真で作る自分史は、脳を動かす効果も。

特に告知していないのだが、写真で構成する自分史作成サービスを手がけている。
自ら作る自分史というよりは、子どもから親への贈り物として、基本は親の自分史を作る「写真で綴る、贈る自分史」と名づけて。

「親への贈り物としてそんな需要あるの?」
「親に対してそんな風に思えるなんて、よっぽど豊かで幸せなほんの一握りの人だけじゃないの?」
今までによく言われてきた。

そうかもしれない。しかし、ちまたにあふれるせっかく作った自分史は、果たしてどれくらいの人の目に触れているのだろうか。
自分史作りというのは、本人が自分の人生を改めて振り返ることができるのが最大の価値だとは思う。本人にとって、出来上がるまでの充実感は大きい。本人が主役なので、本人の満足が一番大事ではあるのは確かだ。
けれども、せっかくできあがった自分史を、あまり見てもらえないのはもったいない。

自立した高齢者施設((高級老人ホームや高齢者専用住宅)にある図書コーナーに、立派な体裁で仕上げられた入居者の自分史が何種類も並んでいるのを見る。せっかく作った自分史、果たしてどれくらいの人に読まれただろう。
本人は何度読み返したことだろう。
著名な人ならいざ知らず、一般の人の場合はよほど近い人でないとなかなか読んでもらうことは難しい。周りの人にとっては、内心はもらっても困るしかもしれないし、読むことは少ない。家族であっても、文字ばかりの自分史を読んでもらうのは大変なことだ。

それでも、もしもその自分史が写真中心であればどうだろう。
読むだけでなく、見る楽しみが増えるに違いない。
そう思っていた時に出会った「聴くを贈る」をコンセプトとして活動する「家族遺産プロジェクト」。
高齢者施設向けにギフトとして絵本型の自分史を1冊から提供しているのですが、その仕組みを利用させてほしいと提携を申し出て、個人向けに商品化したのが、「写真で綴る、贈る自分史」だ。

昨年作成したこちらは、両親の写真自分史を作りたいという依頼だった。


お父様はすでに他界し、お母様は認知症で施設で暮らしており、毎週施設に行っていると言う。
依頼者のひとり息子さんは、これを作ることをきっかけに古い写真の整理を始めた。何の写真かわからないものが多く、施設に行くたびにその写真について話を聞く日が続いた。
一緒に写っている人のこと、場所のこと、お母様は写真を見るとどんどんしゃべり出す。止まらなくなるくらいに。写真からいろんな話が聞ける。

それをまとめて仕上げるのが、「写真で綴る、贈る自分史」だ。

できあがった写真自分史をお母さまに見せたところ、お母様は涙を流して喜び、何度も何度も見返したそうだ。さらに写真にまつわる話を始めたそうだ。
その息子さんは、結局一族が集まる場で親戚にも配るために15冊作成し、配ったところ大賑わいで 皆に喜ばれたそうだ。受け取った親戚は皆、その写真にある歴史の中のどこかを共有しているからだ。



この「写真で綴る、贈る自分史」は、100冊200冊配るような自分史ではないけれど、本人が喜び、家族も喜び、しかも何度も見返したくなる自分史だと私は秘かに自負していた。

そうしたら、TBS「夢の扉」(2月9日放送)で、 それだけではない効果を知らされた。
番組の特集は、「認知症予防法」だった。
会話と写真が脳を活性化させる、それも認知症に関わる脳の部分を活性化させると言う報告だったのだ。


上記のお客さんは、お母様が認知症になってからこの写真自分史を作成したが、そこまで年を重ねるよりもずっと前から、少しづつ古い写真を整理する―その作業自体が、認知症予防にもとても効果的なようだ。
この、写真とおしゃべりの効果を語っていたのは、千葉大学大学院 工学研究科 准教授/工学博士/大武美保子さん。自らの体験からこの研究が始まったそうだ。

私が奨めたかったのは、人生を聞くこと。それも写真の中に詰まった人生を聞いていくこと。家族も知らないこと、深い愛情など、改めて感じられると日常の幸せを再認識できると思うからだ。自らが提供するサービスの一つ「写真で綴る自分史」が、人の心を動かし、脳を活性化させると知ったのは大変うれしい。

今までは特に告知をしてこなかったが、この価値について、今後はもう少し丁寧にお伝えしていこうかと考え始めている。

2014年2月10日

大雪で感じた地域力


我が家は古い住宅街なので、家の前のそう広くない道路沿いは大小の戸建て住宅が並び、その間にはアパートが点在している。
昨日の東京は28センチの積雪。30年ぶりの大雪だという。
こういう時は家に限ると決め込み、昨日の私は引きこもっていた。同じように家にいた夫は、何度か外に出て家の周りを確認し、雪かきを始めた。お隣りは既に雪かきを始めていた。すぐにまた積もってしまうとは言え、結局夫は3回雪かきをした。

さて、大雪から一夜明けた今日。
前日夜まで降り続いたので一面雪景色だが、いい天気だ。

都知事選投票日でもあるし、歩けるように雪かきを始めようかと夫が外に出た。なかなか戻らないので様子を見に私も外に出たら、お隣の家の人がずっと遠くの方まで雪かきをしていた。これはすごいと思って見に行ったところ、数軒先のお宅のお年寄りが体調を崩して救急車を呼んだそうだが、雪で救急車が入って来られないと言う。
お隣の家の人は、救急車を呼んだお宅の前の雪かきをしていたのだ。私は家の前の雪かきをしていた夫を呼びに行き、手ぶらだったのでちりとりを取りに行った。立ち往生した救急車から救急隊員がスコップを持って出てきた。そのうちストレッチャーが家の前に来て、お年寄りは救急車で運ばれて行った。運ばれたのは99歳の女性。動物好きのおばあちゃんで、犬を散歩に連れて行けず飼えなくなったからと野良猫を可愛がっている話を聞いたのは10年くらい前になるだろうか。当時は一人暮らしだった。救急車に同行して行った男性 、見送った女性はおそらくそのおばあちゃんの子ども夫婦であろうが、自らも高齢者だ。

さて我が家の前に戻ると、その反対方向には若い夫婦や子どもたち、初老の人など何家族もが外に出て雪かきをしていた。子どもたちは隣りの家、またその隣りまで雪かきをし、初老の人が「ゴミ収集車が通る時に、ここをやっておくと通りやすいよね〜」と話している。中には普段ほとんど顔を合わせることなどないご近所の方も、こういう時はワイワイガヤガヤ。いろいろな世代が混ざって暮らすからこその光景だろう。「うちの前をやってくれてありがとね〜」と声をかけられ、ちょっと嬉しい。

いざという時に地域がまとまる。地域で助け合う。地域力だ。
今回の大雪は、そういうことの大切さを改めて思い起こさせてくれる出来事でもあった。いざという時に大事なのは、動くカラダ・体力と支え合う気持ちだということを再認識させられた 。また、そういう支え合う気持ちに溢れたご近所さんに恵まれた地域に住んでいる幸せを再確認できたことも、私にはありがたかった。

聞けば、そういう様子は我が家の周りだけではなかったようだ。SNSでもそういう光景がいくつも投稿されていた。
平日ではなかったからこそかもしれない。日曜日がいいお天気というのもよかった。外に出たくなるし、明るい中で声をかけ合いたくもなる。
大地震が近いとか、近所の人の顔も知らない無縁社会とか、不安にさせる話題はたくさんある今の時代に、神様が粋な計らいをしたようにさえ思えた。
離れて暮らす家族は、大勢で一緒になって雪かきをするご近所周辺の風景を、「なんか昭和っぽいね~」と言う。
確かに近所でワイワイガヤガヤ一緒になって何かする、ということは、昭和の風情なのかもしれない。そういう風景の中で、少しワクワクしている自分がいる。

このような雪かき風景は、我が家の周辺の場合は戸建て住宅の前が多かった。アパートやマンションの前にはそういう風景はほぼ見られない。集合住宅ではそういう意識は生まれにくいのだろう。
お年よりのお宅の前がそのままになっているのをみつけ、住んでいる人が高齢者であれば、なかなか雪かきはできないことを納得する。
我が家から駅に行くまでの道、普通の靴でスイスイ歩ける所とそうでない場所がはっきり分かれる。そこに、昭和っぽい風景が続けられない時代の移り変わり、事情が覗けるような気がした。

2014年2月3日

尊厳死の法制化、その2

前回に続いて、尊厳死の法制化について考える。


医療関係者に話を聞くと、本人が元気な時に延命治療を拒否する意志を示していたとしても、いざ家族が判断せざるを得ない場面になった時、家族は延命治療を拒否できない場合が少なくないと言う。
「やっぱり、なんとかしてください」と。
「生きていてくれるだけでいい。」
「最後まで望みを捨てたくない。」と。
事前に延命治療は望んでいないと言っていた家族であったとしても、そういう風に言い出すことは珍しくないそうだ。

わかるような気がする。
本人の意志は大事〜 というのは間違いない。私も本人だったらそうあってほしい。そうありたい、その通りだと頭では理解する。
しかし、家族の思いはどうなるのだろうか。
しかもその時本人に意識がないという状態の時に。
そのとき、改めて今一度確認することはできない。

本人の意志は事前に確認済みとは言っても、人の意志は時とともに変わるものだ。特に生命への執着心というものは、倫理観、人生観を明確に語れる人は別として、一般の普通の人の意志は一定ではないと思うのだが、どうだろうか。

私の父は40代の頃、寝たきり状態になった自分の母(私の祖母)を見て、自分が年をとったときにそうなりたくないと何度も言い、冗談交じりに、もしもそうなったら、うまく人生を終わらせてほしいと私に頼んでいた。
しかし、80歳を超えた今、娘の私から見て、その時とは少し違う印象を受ける。
時を経て、きっと気持ちが変わっているのだと思う。
その理由はまだ聞いたことはないが、父自身も明確に語れることではないように思う。
万一、今、父の身体が何かの事情で急変し、私が延命治療をどうするか判断する家族の立場になったとしたら…?
40代の頃の父の意志を、今、そのまま本人の意志と、私は言えない。

家族が命に関わる病気になり、複数ある治療法を選択すべき場面に立ち合ったこともある。
そのとき医師は患者に、「どの治療法を選択するかは、あなたの人生観、倫理観に照らし合わせ、ご家族ともよく相談して、よく考えて決めてください。」と言い、本人は迷いに迷ってなかなか決められなかった。
人生観、倫理観など言われても、そういうことを考えたこともなく人生を走ってきた者にとっては、なんとも難しい問題だ。病気自体で大きな負荷がかかっているのに、人によっては、病気になったこと以上の負荷がかかるのだ。そこに寄り添い、共に考える家族の思いも、それと同じくらい難しい。

結局のところ、命は誰のものなのか?自分だけのものなのか?という問題に行きつくように思うと前回書いたが、そうなると、
・どれだけ命について話してきたか(話を聞いてきたか) 、
・考え方を伝えてきたか(考え方について理解を得られているか)、
・それが 時系列を含めて、度々繰り返されているか、
等が大きく意味を持つようになってくるのだ。

尊厳死と安楽死は違うと言うが、それでも線引きは難しい。
昨年4月公開された 草刈民代主演映画「終の信託」(周防監督)は、主治医が患者本人から 託されたことを「医療か?殺人か?」と問うた映画で、考えさせられることが多かった。
医師にすべての責任を負わせてしまうことは、もちろんあってはならないし、そのための法整備が必要なことはよくわかる。
しかし、それが患者本人や家族の不利益になることは絶対にないだろうか。
また、医師を守ることになる法整備であるにもかかわらず、医療関係者が本人の意思と家族の要望との板挟みで 苦しむことはないだろうか。
法案整備に反対派の中には、医療を必要とする社会的弱者を軽視することになりかねないという主張もある。
何かしらの法整備は必要ではあるが、もう少しいろんな立場からの見解を含め、議論が必要なのではないかと個人的には感じている。