2012年1月31日

もらう側と与える側

ツイッターで、20代の女性が
「どう見積もっても与えられることの方が多い人生を送っている。残りの人生で、与える側として頂いた以上のものを返して行けるだろか?」とついぶやいていた。
彼女は、私の取引先の人でもあるので、ツイッター上でのつぶやきとは言え、私自身はリアルな彼女をよく知っている。いつも明るく笑顔を絶やさず、仕事にも前向きで熱心な女性だ。

もらう側と与える側。
ふ~ん、今の20代はこんなふうに思うんだ・・・。
私自身は、このような発想をしたことがなかったので、新鮮だった。

さて私は、自分自身が、今までもらった以上のものを、与える側として返していけるだろうか?
無理だ!
本当に多くのものをもらってきた。今ももらっている。
それだけのもの(こと)を人に与えるのは無理だとしても、できるだけ与える側になって、返していきたいものである。

そう言えば、私が後輩に奢った時に、御礼を言ってくる後輩たちに向かって、
私は「いずれ、あなたが後輩に奢ってあげなさい」とよく言っていた。
「与える側」として自分自身が返すことができなくても、循環が生まれて結果的に与えることになるのなら、それでもいいのかもしれない。
これなら、自分自身で返すよりも多くを与えることができそうだ。

2012年1月24日

大御所の訃報

料理写真家の大御所、佐伯義勝先生が亡くなりました
享年、84歳。

私が仕事を始めたばかりの頃、雑誌で美しいシズルを出す料理写真と言えば、佐伯先生だった。
「家庭画報」など、目を見張るほどのきれいな料理写真は、たいてい佐伯先生の撮影。
大学で栄養学を専攻した私は、卒業後、広告代理店に就職し、テレビの料理番組や食物関係の企画制作の仕事を担当した。
食物の栄養のことは勉強して知っていても、料理を美しく見せたり、盛り付けたり、ましてや写真のことなど何も知らなかった。企画制作どころか、その前の資料集め等準備が中心で、撮影現場に連れて行ってもらった時は見学しつつ雑用のお手伝いを少々。ほとんど役に立ってなどいなかった。
当時、料理関係の撮影となると、佐伯先生のお弟子さんのカメラマンさんがやってくる、というのが通例で、カメラマンは自ら「自分は佐伯先生の何番弟子だ」などとおっしゃっておられるほど。まだヒヨッコだった私にとって、佐伯先生は雲の上の方だった。

その佐伯先生のお料理の撮り方は、おいしいものをそのまま。
「湯気も照りも、おいしいものは一番おいしそうなところをそのまま。余計な手は加えない。」と。
熱いものはアツアツのうちに。少しでも冷めたらすぐに作り直しで、いくつも作ったものだった。

一方で、写真撮影の技術と環境は、この数十年で劇的に変わった。
フィルムからデジタルに変わり、撮影する前の食材に手を加えることどころか、撮影後の写真にデジタル加工するなど当たりまえの世の中だ。

最近の私は、料理に関わる仕事をしていないので、最近の佐伯先生が、どのようなお仕事をされていたかは存じ上げないが、近しい人のお話によれば、前日まで、撮影のお仕事をされていたそうだ。
「佐伯先生らしい最期だと思います。」とのこと。


昨今どんな業界でも、例え大御所といえども一線を退かざるを得ない世の中ですが、最後の最期まで現役で仕事に携わっていられるというのは、本当に輝かしいことであり、理想の逝き方だと思います、と、かつての仕事仲間から、連絡をもらったのだった。
前回「元気な大人増殖を目指したい」でも書いたように、後進に道を譲ることを絶賛する風潮の中、その佐伯先生のお話には、なんだか嬉しくなった。
どんなに年を重ねても、若いものに負けない腕があるのならば、譲らない美学があってもいい。

佐伯先生の訃報連絡をくれた友人からのメールには、
「こうやって昭和を代表する巨匠がいなくなることは、淋しいことでもあります・・・」
と書いてあった。
本当にそうだ。
だからこそ余計に、いくつになっても頑張っているいろいろな方を見ると感動するし、勇気がわくのかもしれない。

2012年1月17日

元気な大人増加を目指したい

年末の掃除をしていたら、1999年頃の新聞記事スクラップが出てきた。
10年以上も前の記事だが、見返していて気になるコラムをみつけた。
1997年から朝日新聞でスタートした吉沢久子さんの「老いじたく考」。
当時から、高齢者向けの市場拡大や介護市場の有望性などはよく語られていた頃だった。
そういう中で、吉沢久子さんが介護の話題を老人の立場で聞くと、長生きしては申し訳ない気分になる、と書いていたのだ。
吉沢久子さんご自身が、介護の社会化が必要とかつて考えていた当人であったが、それは介護者の立場であって、老人の立場に立ってみると申し訳ない気分になる、と。「これでは元気に生きる気持ちも萎えてしまう」と書いていた。
吉沢久子さんご自身は、現在93歳。
20年以上前、既に家事評論家として大変ご活躍だったが、今現在も明晰に暮らし、執筆や講演をこなすようで、現役そのものだ。

私の関係する広告会社の営業マン。
今の時代、ただの広告営業でだけでは仕事などとれないからと、次々新しいことを仕掛け、まったく異なる業種の人に多種多様な相談をし、「いやぁ、勉強になる!」と言いながら営業活動を続けている方がいる。既存取引先への積極的な新提案だけでなく、新規取引先へも次々と飛び込み営業も行うその営業マンは、現在80歳を超えているが、お洒落な着こなしで背筋がピンとしたカッコよさだ。

こういう大先輩がいる、ということ自体が、私に勇気を与える。
そういう大先輩に、私は頭が下がる。心から尊敬するし、ワクワクする。
自分も少しでもそういう風になれればいい、と思う。
日々がんばろう!という気持ちになる。
凹んでなどいられないと思う。

それは、20代から見た40代や50代や60代・・・
40代から見た60代や70代や80代・・・
素敵な大先輩がいることは、自分自身の目指す将来をイメージしやすいし、それをめざしてがんばろうと思うのではないだろうか?


だから私は、ちゃんとした大人、元気な大人がいる、ということは社会を元気にすると思うのだ。

中小企業白書のデータによれば、2002年の起業希望者141万人に対して、2007年は101万人。この間には、ライブドア事件があった。ベンチャーの星、ホリエモン(堀江貴文氏)が逮捕されているのだ。彼は、起業を目指す人にとってわかりやすい目標であったはずで、彼の逮捕によって目標が分かりにくくなったのだと思う。

だから、多種多様な元気な大人が増えれば増えるほど、その下の世代にとって多種多様な目標が描きやすくなるはずだ。
けれども、現実はどうだろう?
年を重ねることで、しょぼくれたり、夢や希望をなくしたり、人生を諦め、どうでもいいと思ったり、何事も先送りにしようとしたり・・・そんな人も多く存在することも否めない。

でもそれは、就職難だから、若者に仕事がないから~と、後進に道を譲らざるを得ないことも影響しているだろう。
若者が活躍することが評価され、世代交代していくことが是とされる今の時代。

もちろん一理あるとは思うけれど、私は道を譲っても現役から退かない先輩が好きだ。

今、10年以上前の吉沢久子さんの新聞記事「長生きしては申し訳ない」というフレーズに触れ、介護問題に限らず、仕事を含めた生き方において、もっとワクワクしたり使命感を持つなど、熱い思いで前を向いて生きていくのをそいでしまうような論調が行きすぎてはいないだろうか?と気になった。それこそ「これでは元気に生きる気持ちも萎えてしまう」。
もちろん、そんな論調に負けないくらいの強さがあればいいのだが。

やはり、私自身は前述のような大先輩のように生きていきたい。
一方で世代など関係なく、大先輩も若い人も関係なく交流し続けたいと思う。
できれば自分が作った道は、どんどん後進に譲り、そしてまた新しいことに挑戦する、という形を目指したいと思っている。

2012年1月12日

家庭ありきの仕事

当たり前のことだが、自分の年齢が上がってきたことで、親の年齢が上がってきた。

最近、私の周りでは、親が弱ってきたことでさまざまな問題を抱える人が増えてきた。
親の病気、親の介護を抱えながら仕事をしている人たちだ。
かく言う私も、昨年、夫の父を看送ったばかりだ。義父が亡くなる前の1年間は、病気とのおつきあいでもあった。今、義母は一人で暮らしており、義妹が頻繁に様子を見に行ってくれていて、うちは週に1度くらいのペースで行っている。
一方、私自身の両親は、二人で暮らしているが、近年急速に老いが目立つようになってきた。体のあちこちに故障を抱えるものの、緊急性が高いわけでもなく、二人揃っていることもあるので、私が行くのは月に1度くらいのペースだ。

今、まさに親の介護問題に直面しながら仕事をしている友人が、「家庭がざわざわすると、仕事どころじゃない。」としみじみと言う。
家庭がざわざわするというのは、家庭が落ち着かないということだ。
介護を抱えこんではいけない、というのはよく言われることだ。
しかしそのために各種サポートを受けようとしても、まず親本人がそれを嫌がることがあり、それをクリアしなくてはサポートを受けることができない。
親を説得してクリアしたとしても、親が入院する、入院先の医師と面談する、親に介護が必要になりケアマネージャーとの度重なる打ち合わせが入る、などなど、次々と時間が拘束される案件が発生する。仕事中でも連絡が入る。コントロール不能なので、自分のスケジュール管理にも支障が出る。・・・こういう状態で、今、仕事をしている人は世の中にどのくらいいるのだろう。

そういう中で大事になるのは、兄弟姉妹など家族の協力体制に他ならない。
家庭がざわざわしても、できるだけ仕事には支障が出ないようなローテーションを組むなどの家族の協力体制は、経済的な生活基盤を守るだけでなく、個々人の精神的負担を軽くする上でもとても大事なことだ。社会にとっても望ましい形であるのは間違いない。
震災以降、家族や絆の重要性が叫ばれるようになった。
こういうところで、その「絆」が生かされればと思う。
ちなみに私自身は三人姉妹。夫には妹がいる。
私の親の場合も夫の親の場合も、それぞれ妹たちに大いに助けられており、感謝している。
その点、兄弟姉妹のいない一人っ子は大変なことだろう。
最近は一人っ子が増えてきたことだし、少子高齢化問題はいずれ、深刻な老人(介護)問題へとつながっていくにちがいない。

2012年1月5日

欲しいものがない

2012年がスタートした。
昨年は東日本大震災、原発事故、世界経済不安と、次々と大変なことが続き、考えることや思い悩むことが多い年になった。価値観も大きく変わってきた。本当の幸せとは何だろうと、私自身もそうだが、誰もが考えるようになったことだろう。
そういう年を受けて明けた今年は、どんな年になるのだろう。

我が家の場合、東京を離れない限り、お正月は夫婦双方の実家でそれぞれ集まるのが恒例だ。そこでは必ず、子どもたちへのお年玉を配る、という行事がある。
我が家には子どもがいないのでお年玉は配るばかりで、もらったり使ったりするのを身近で見ないため、私は現代のお年玉事情をよく知らない。

今の子どもは、なぜお年玉が楽しみなのか?
お年玉で何を買おうとしているのか?

先日、同世代の男性が「今、欲しいものがない。」と言った。
欲しいものがないのはつまらないことだ。
何かが欲しいからそれを買うためにお金が欲しいし、そのために人はがんばって働くし、欲しいものを考えるのは楽しいし、欲しいとなったら手に入れるまでの気持ちは必死だたりワクワクしたりするものである。楽しみな気持ちは幸せのひとつのように思う。
でも、それがないと言うのだ。
考えてみれば、私もそうかもしれない。
モノとなると、今、私は欲しいものが浮かばない。
私が若かったころは、欲しいものをリストにして一つ一つ手に入れるためにがんばっていた。
親にねだるのではなく、自分で手に入れたいと思った。親に買ってもらう人を羨ましながらもどこかで見下していたように思う。そのためにアルバイトもしたし、やりくりもした。手に入るまではあれこれ悩んだものだ。
でも今は、欲しいものは手に入れてしまったので、もういらない、という状態なのかもしれない。
モノがいっぱいありすぎてしまう場所がない。
所有するモノに自分がとらわれたくない。
だから欲しくないという側面もある。

そう考えると、モノを作っている企業は大変だ。
買ってもらわないことには経済活動が回らない。
だからいろいろな付加価値をつけてくる。
こんな機能がついている、こんな役にも立つ、と言う風に。
けれどもそれはあまり使わない機能だったり、欲しくもない価値だったりする。
へぇ、すごいね。でも私は別に必要ない、ワクワクしない・・・という風に。

その話をした彼が言うには、「何もなかった昔は、ないから、欲しかった。」。
今はあるから必要ないのだ。

いつもお腹がいっぱいで、飢餓感がない。
だから、「欲しい」という欲求を感じなくなってしまったのだ。

今の子どもはどうだろう? 「欲しい」と感じているだろうか?
最近の子どものお年玉の使い道のトップは「貯金」だとか。
「欲しい」気持ちを我慢しての「貯金」ならまだしも、「欲しい」気持ちがわかないのだとしたら、それは大変なことだ。

モノで気持ちがワクワクする時代など、もうとっくに終わってしまったのかもしれない。