2011年12月28日

情熱が社会を動かすはず

今から6年近く前のことだ。
私は、会社の仕事はおもしろかったのだが、他に何か新しいことを始めたいと思い、既に会社を辞めることを決意していた。新しいことを探すために、起業を支援するプログラムや勉強会にときどき参加していた。
そこではその場で会った人同士で、名刺交換をしたり少し話したりすることはあるが、だいたいがそれっきり。あまり記憶に残らないし、その後のつながりに発展することもほとんどなかった。
けれどもそんな中で、「ワンコイン(500円)で簡易的な健康診断をする」プランで起業を考えている若者がいた。
そのプランを聞いた勉強会の講師は、「それはうまくいかないですね。そんな安い費用だと信用できない。医療というものに簡易的なものなど社会は受け入れにくい。もう少し消費者の気持ちを考えて」というアドバイスをしていた。
しかし私はそうは思わなかった。おもしろいことを考える人だな、と思ったのだ。
当時そういう場で発言など滅多にしなかったのだが、私はその場で「私はおもしろいプランだと思いますよ。ぜひ頑張ってほしいと思います。」と、わざわざ発言したのだった。まるで講師に挑むようで、講師にとっては感じが悪かったかもしれない。
私は、確かに彼のプランを面白いとは思ったが、実はそれ以上に彼の情熱が魅力的だった。
彼は看護師としての勤務経験があるようで、その経験の中で健康診断をしないがために重篤な状況に至ってしまった人たちを見てきていたという。病院に行けない人や健診の機会がない人などだ。だから簡単にできる健診の重要性を感じていたのだ。
私は、自分自身が学生時代に栄養学専攻だったことから、医療関係に進んだ友人が少なくない。生活習慣病の怖さや、予防意識の重要性も一応は知っていた。だからその彼の考えがよく理解できたのだ。
その1年後、本当に彼はそれを進めるために会社を設立し、店舗をオープンさせた。
その人が、今週発売のAERAの特集、「日本を立て直す100人」に取り上げられている。
電車の中刷りを見て特集に惹かれて買って見つけたのだ。



その彼とは、株式会社ケアプロ川添高志さんだ。
AERA以外にも、 「次代をつくる100人」(日経ビジネス)、 「日本を救う中小企業100社」(ニューズウィーク)などにも掲載されているという。
2008年、そのワンコイン健診のお店がオープンしたニュースを知った時、私はすぐにお店を見に行ったことを思い出す。
ここのところ、彼はメディアによく取り上げられている。つい先日もNHKに取り上げられていた。

今、改めて私は思う。
「社会への使命感から湧き出るような本当にやりたいこと」は、やはり強いものがある。
もし自分が顧客だったら欲するサービスかどうかの視点には意味があったとしても、このサービスを消費者がどう思うか、このサービスは社会が受け入れるか、などという評論家のような視点は、そういう情熱の前ではまったく弱い。
あの時講釈した起業プログラムの講師は、当時のことを覚えているだろうか・・・

人は感情のある生き物だから、情熱が伝われば感動するし、応援したいと思う。感謝の気持ちにもなる。
周りが彼の情熱に突き動かされていくのだ。
やはり起業家はそうであってほしいし、そうでなければいけないと思う。

2011年12月20日

自分のベース

12月10日の朝日新聞beの連載記事「逆風万帆」は、ジャーナリストの鳥越俊太郎さんが取り上げられた記事の「中」(3回連載の2回目)。
記事は、冒頭からこんな風に始まっている。
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「死んだら、棺を毎日新聞社の社旗で覆ってもらいたい。」鳥越俊太郎(71)は常々、家族にこう語り、大きな旗を用意している。
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そしてその記事に大きく掲載されている写真は、鳥越さんが毎日新聞テヘラン支局長時代のイラン・イラク戦争の戦場での写真である。



この写真の左には、
「葬式の遺影にはこれを使うよう遺言している。=1984年、鳥越氏提供」
と注釈が記載されている。
1984年と言えば、30年近く前の写真だ。

鳥越さんご本人と面識はないが、テレビで拝見するに、さまざまなご経験ご体験をもとに精力的に活動される第一線のフリー・ジャーナリストとして私は認識している。
けれども記事を読む限りは、鳥越さんご本人にとっては、新聞記者としては決して順調ではなく挫折の連続だったようだ。
その鳥越さんが、「棺を毎日新聞社の社旗で覆って」と家族に語り、また、遺影は毎日新聞テヘラン支局長時代の写真を使うように、と伝えているということは、フリー・ジャーナリストとしてご活躍中の鳥越さんだが、そのベースは毎日新聞時代にあるのだと、ご本人が強く認識されている証でもある。

私は今、このブログとは別にこんなアメブロを書いていることもあり、この記事につい反応したのだが、
さて、私にとってのベースはどこにあるのだろう?
自分が強く意識した時代はいつ、どこなんだろう?
そんなことを改めて考えるきっかけになった。

2011年12月13日

ようやく発行

昨年秋から手がけていた書籍「からだにおいしい魚の便利帳 全国お魚マップ&万能レシピ」(高橋書店)が、今月に入ってようやく発行された。



2年前に発行され、引き続き好評な「からだにおいしい魚の便利帳」の続編にあたる。前書は、この種の書籍としては異例の発行部数(現段階で20万部超)で、本書の売れ行きも期待されるところだ。

ただ、私にとっては別の思いもある。
私自身は、社会に出て間もない頃の仕事のひとつとして、魚食普及や魚の啓蒙という仕事があった。もはや四半世紀前のことだが、消費者の魚ばなれとともに冷蔵・冷凍技術が進歩して海外からの輸入が進み、日本の漁業・水産業の振興を進めてきた国にとっては大問題な時期だった。私はその仕事に10年近く関わったが、消費者の魚ばなれは止まらなかった。魚食普及のための予算も年々大幅に縮小され、私もその仕事から離れるようになった。
当時と比べて、魚の流通も消費のしかたも、今は大きく変わっている。
それでも、日常の料理を主に担当する主婦にとっては、魚は面倒な食材であるという意識は、当時も今もあまり変わりはない。むしろ益々その意識は進んでいる。一方で、より本物、よりおいしいものを求め、食べること自体を楽しむ文化は、完全に定着してきた。

去年の段階で既に前書は売れてはいたものの、本書では「自分では魚を捌くのは面倒だと思うけれどおいしい魚を食べたい」という人のために、より読者の裾野を広げることを目指して、秋頃に企画が始まった。私個人としては、かつて手がけた魚食普及につながる思いもあり、高いモチベーションでスタートした。
全国の魚周辺情報をできるだけ幅広く面白く、料理をしない人でも楽しめるように・・・私が実際に接触した先は500件近くにまでなり、なかなか大変な労力が始まった。もう少しで終わりそうだ、という時に、あの東日本大震災があった。
水産関係なだけに、被害を受けたところは少なくなかった。このまま進めていいものか、5月になってから被災地を訪ね、協力先の一部をお訪ねしたりしながら、発行自体もどうなるか先が見えない時間が続いた。
まだ水揚げが難しいものもある。工場が被災して製造できない加工品もある。
けれども必ず復興するから、掲載されたらそれを励みにするから、という声を寄せてくれた方が多くいらっしゃった。
水産物なので、例え被災地でなくても間接的に影響を受けているところもある。

だから私は、本書発行に当たってはさまざまな思いを隠せない。
被災地の食材を改めて大事に思うこと、まだ難しいものは静かに待つこと、被災して頑張っていらっしゃる方々のことを忘れず見続けること・・・。本書を手に取ってくださる方々とも、そういう思いを共有できればと願わずにはいられない。巻末には協力先の連絡先も出ているので、問い合わせられるし、おいしいもの探しをしてほしい。
この書籍の発行が、水産業界の方々の励みの一端になり、そして、魚食普及に少しでもつながればと思う。

2011年12月6日

心を寄せる

昨年末以来、水産関係の食べ物に関する実用書の仕事に関わっていたこともあって、私は5月に被災地訪れている。その際、記録の意味から多少のスナップを撮ってきた。仕事関係や友人などの間で震災の話題になる時にはその時の話をしたり、写真を見せたりしていたところ、思わぬところでその写真を使っていただくことになった。
それは、静岡県の「第32回森町民文化祭」(10月22・23日)「第7回菊川市文化祭」(11月5・6日)だった。どちらも町(市)の文化協会・教育委員会主催の文化事業イベントだ。
そのイベントで、地域の子ども~大人までを対象にした「渡辺バレエ教室」が、演目「LIFE・手をとりあって~希望・そして生命のDANCE~」を発表したのだが、その演目内舞台フィナーレで震災のスライド紹介をした際に、そのスライドの一部で、私が撮影してきた写真がお役に立てたのだ。このバレエ教室では、震災直後から発表会と合わせて被災地への募金活動をしてきた地域の教室でもある。


地域の人々からは賛同を得て、森町では震災募金活動のお手伝いもできたとうかがい、想定外な形でお役に立てたことを嬉しく思っている。
東日本大震災から、早くも9カ月がたとうとしている。
被災地の方々にとっては、まだまだ大変で厳しい状況は続いている。むしろ、人々の関心が薄れつつあるこれからの方が、いろいろな意味で大変になっていくことだろう。
パフォーマンスや写真(スライド)、映像などは、一目でわかりやすい力を持っている。
こういう形で心を寄せ、継続すること、それも地域住民などのように小さな単位で少しづつ進めて行くことに、改めて私は今、価値を感じている。

今回、上記をこのブログに書いてもいいかどうかについて渡辺バレエ教室に相談したところ、「一番大切なことは、何らかの形で震災に心を寄せてもらえる機会が作れること」という答えが返ってきた。
渡辺バレエ教室と私をつないでくれた人も、「静岡は東日本大震災の前から東海地震の危険が言われていることに加え、浜岡の原発問題を抱えてもいるので、今回の災害を風化させるわけにはいかないのです」と力説された。
そういう一般の人たちの気持ちや声の小さな蓄積が、いろいろなことを変える社会へと、今、少しづつ動いているような気がする。