動的平衡で有名な科学者、福岡博士は「うまく言えないけれど」を使わない、と自分に課しているそうだ。
それを知って、正直なところ私はハッとした。というのは、私は「うまく言えないけれど」を口癖のように使っていると改めて感じたからだ。「うまく言えないけれど」は、本当はいろいろ考えているけれど(実は考えていなくても相手にはどう思ってほしい)、適当な言葉が見つからないことを理由にして話をするときに、私は使っている気がする。考えてみれば「うまく言えないけれど」はかなりずるい表現だ。本当はちゃんと考えているのなら、伝わる言葉を探せばいいわけだし、ただフリをしているごまかし以外の何物でもないと思ったのだ。イタイ。
それにしても、自分が言葉を大事に選んでいるだろうか?と改めて思う。コミュニケーションに関わる仕事をする者として、今一度福岡博士の言葉を胸に刻みたいと思った。
2010年7月14日
2010年7月7日
権利は与えられるもの?勝ち取るもの?
前回は香港女性の意識について書いてみたが、もう少しオンナ問題について続けて書いてみたい。
とは言っても私が仕事を始めた頃の日本の話だ。当時はまだ男女雇用機会均等法前だった。お茶くみは普通だったし、お客さんと飲みに行けばデュエットとチークダンス。私はセクハラなんて言葉も知らなかったし、仕事の接待とはそういうものなのだと思っていた。それでも当時私が勤務していた会社は、男女関係なくいろいろな仕事のチャンスを与えくれたし、能力がなければ先輩が育ててくれた。そして私は少しづつ仕事を覚えながら、それとともに会社にいろいろな要求もできるようになっていったのだ。
男女雇用機会均等法が施行され、「セクハラ」という言葉を知らない人もいなくなり、いつのまにか仕事の上での「女性の権利」は勝ち取るものではなく、当然のようになってきた。オンナの私が言うのも変な話だが、そういう女性の与えられて当たり前の姿勢や意識に、私はやや違和感を感じている。何事も与えられて当たり前という風土・環境は、結局のところ、人の成長を止めるような気がする。勝ち取っていくための努力や智恵を積むからこそ、その価値が大きくなるし、勝ち取る者にとってはそのありがたみや充実感が増すのだと思う。勝ち取っていく作業は苦しい半面、男性にはできない作業だし、自分と格闘する絶好のチャンスでもある。
企業として女性を戦力化すべきと考えているファーストリテイリングの柳井社長は、女性が活躍するための制度を会社として用意するのは当然としながらも、その仕組み作りには女性が声を上げ、それを形にしていくことが望ましいと、朝日新聞のコラムで書いていたことがある。
その通りだと思う。私自身はあまり女性問題を考えることはないが、それでも女性が頑張る姿勢に接すると、つい自分自身の若かりし頃と重ねて応援したくなってしまうことがある。しかしその女性が長続きしなかったり、簡単に物事をあきらめたりするのに接して、残念に思うことが少なくない。
今や日本では、専業主婦志向の大学生(女子)が増え、私のような考えはもはや前時代的なのかもしれない。でも仕事を通じて、そしてひとつづつ働く上での仕組みやチャンスを手に入れていきながら、自分にとって心地よい環境を手に入れていくことは、必ず自分自身の成長につながるのではないかと私は思う。
とは言っても私が仕事を始めた頃の日本の話だ。当時はまだ男女雇用機会均等法前だった。お茶くみは普通だったし、お客さんと飲みに行けばデュエットとチークダンス。私はセクハラなんて言葉も知らなかったし、仕事の接待とはそういうものなのだと思っていた。それでも当時私が勤務していた会社は、男女関係なくいろいろな仕事のチャンスを与えくれたし、能力がなければ先輩が育ててくれた。そして私は少しづつ仕事を覚えながら、それとともに会社にいろいろな要求もできるようになっていったのだ。
男女雇用機会均等法が施行され、「セクハラ」という言葉を知らない人もいなくなり、いつのまにか仕事の上での「女性の権利」は勝ち取るものではなく、当然のようになってきた。オンナの私が言うのも変な話だが、そういう女性の与えられて当たり前の姿勢や意識に、私はやや違和感を感じている。何事も与えられて当たり前という風土・環境は、結局のところ、人の成長を止めるような気がする。勝ち取っていくための努力や智恵を積むからこそ、その価値が大きくなるし、勝ち取る者にとってはそのありがたみや充実感が増すのだと思う。勝ち取っていく作業は苦しい半面、男性にはできない作業だし、自分と格闘する絶好のチャンスでもある。
企業として女性を戦力化すべきと考えているファーストリテイリングの柳井社長は、女性が活躍するための制度を会社として用意するのは当然としながらも、その仕組み作りには女性が声を上げ、それを形にしていくことが望ましいと、朝日新聞のコラムで書いていたことがある。
その通りだと思う。私自身はあまり女性問題を考えることはないが、それでも女性が頑張る姿勢に接すると、つい自分自身の若かりし頃と重ねて応援したくなってしまうことがある。しかしその女性が長続きしなかったり、簡単に物事をあきらめたりするのに接して、残念に思うことが少なくない。
今や日本では、専業主婦志向の大学生(女子)が増え、私のような考えはもはや前時代的なのかもしれない。でも仕事を通じて、そしてひとつづつ働く上での仕組みやチャンスを手に入れていきながら、自分にとって心地よい環境を手に入れていくことは、必ず自分自身の成長につながるのではないかと私は思う。
2010年7月2日
香港の女性たち
前回、スピード時代について書いたにもかかわらず、全く更新ができないまま2週間が過ぎてしまった。スピード時代と逆行したBlogになってしまった。日々の業務や雑事に追われる中で、ついつい遅れがちになってしまうのだが、「スピード時代」について前回書いていただけに、お恥ずかしい限りだ。
さて、今回は香港の女性について書こうと思う。
仕事の関係で、香港や中国の人と接する機会がある。仕事の話だけでなく、それぞれのお国柄や価値観、意識の話を聞けることが私にとっては興味深い。特に仕事関係の資料などではなかなか見えてこない“気持ち”に関わるテーマはおもしろい。
先日聞いた香港の女性の話によれば、香港の女性は仕事場に化粧をしていくことはないという。日ごろ化粧をしない、というわけではなく、仕事の場に「女」を持ち込まないということだそうだ。仕事はスキルを提供する場であるのだから、そういう場でお洒落をしたり化粧をしたりといった“チャラチャラしたこと”を持ち込む女性は、ちゃんとした女性から見ると軽蔑に値する、と言うのだ。だからと言って香港の女性がきれいにしないのかと言ったらそうではなく、香港の女性は恋人の前ではお洒落をし、きれいに化粧をする。「女」であることは彼の前だけでいいのだから、彼女はとさらりと言ってのけた。
香港の女性は、しばしば「強い」と言われる。実際、男を立てることもなく、カップルを見ていても、どちらかと言うと男が女の後をついているような感じだ。共働きは当たり前だし、仕事の上司やボスは女性のケースが多い。どうやら、その背景には環境的なものが大きいようだ。
香港では、かなり前から大体どこの家庭でもお手伝いさんがいるのが一般的で、妻(母)は家事をしないと言う。朝食からお粥などの外食も一般的だし、食事の宅配のようなケータリングも充実しているので、食事作りの必要がない。洗濯や掃除などの家事はお手伝いさんがやってくれるので、主婦(妻、母)の仕事として家事が必要ないのだ。子どもが小さい時は子育てもお手伝いさんが熱心にやってくれるので、母親は普通に仕事を続け、子育てというよりはスキンシップやコミュニケーションなどの愛情を注ぐことに集中すればよいのだ。
そう言えば、かつて私が香港に遊びに行ったとき、日曜日の公園がフィリピン人であふれかえっているのを見たことがある。フィリピンの人たちは皆、香港の人に雇われているお手伝いさんだそうで、日曜日はお休みなので、公園に集まるのだという話を聞いたことがある。
香港の共働き夫婦にとっては、お手伝いさんの費用は世帯収入の15%程度なのでそう負担もなく、女性にとってはストレスなく働くことができるのだという。そういう話をいろいろしてくれた彼女(香港女性)はまだ20代の独身で、今、日本と香港を頻繁に往復している。日本企業と仕事をする中で日本人の価値観や女性観、仕事意識をよく理解しているので、彼女は日本で仕事をするときはスーツを着て化粧をし、仕事場の男性をきちんと立てて仕事をしている。
国が変わると意識や価値観が変わる。円滑に仕事を進めていく上では、そういった価値観を踏まえてコミュニケーションをとらなければならないことを、彼女を見ていて改めて感じる。あらゆる場面で国境の壁がどんどん低くなる今、そういう意識を磨くことも見過ごすことができないはずだ。
さて、今回は香港の女性について書こうと思う。
仕事の関係で、香港や中国の人と接する機会がある。仕事の話だけでなく、それぞれのお国柄や価値観、意識の話を聞けることが私にとっては興味深い。特に仕事関係の資料などではなかなか見えてこない“気持ち”に関わるテーマはおもしろい。
先日聞いた香港の女性の話によれば、香港の女性は仕事場に化粧をしていくことはないという。日ごろ化粧をしない、というわけではなく、仕事の場に「女」を持ち込まないということだそうだ。仕事はスキルを提供する場であるのだから、そういう場でお洒落をしたり化粧をしたりといった“チャラチャラしたこと”を持ち込む女性は、ちゃんとした女性から見ると軽蔑に値する、と言うのだ。だからと言って香港の女性がきれいにしないのかと言ったらそうではなく、香港の女性は恋人の前ではお洒落をし、きれいに化粧をする。「女」であることは彼の前だけでいいのだから、彼女はとさらりと言ってのけた。
香港の女性は、しばしば「強い」と言われる。実際、男を立てることもなく、カップルを見ていても、どちらかと言うと男が女の後をついているような感じだ。共働きは当たり前だし、仕事の上司やボスは女性のケースが多い。どうやら、その背景には環境的なものが大きいようだ。
香港では、かなり前から大体どこの家庭でもお手伝いさんがいるのが一般的で、妻(母)は家事をしないと言う。朝食からお粥などの外食も一般的だし、食事の宅配のようなケータリングも充実しているので、食事作りの必要がない。洗濯や掃除などの家事はお手伝いさんがやってくれるので、主婦(妻、母)の仕事として家事が必要ないのだ。子どもが小さい時は子育てもお手伝いさんが熱心にやってくれるので、母親は普通に仕事を続け、子育てというよりはスキンシップやコミュニケーションなどの愛情を注ぐことに集中すればよいのだ。
そう言えば、かつて私が香港に遊びに行ったとき、日曜日の公園がフィリピン人であふれかえっているのを見たことがある。フィリピンの人たちは皆、香港の人に雇われているお手伝いさんだそうで、日曜日はお休みなので、公園に集まるのだという話を聞いたことがある。
香港の共働き夫婦にとっては、お手伝いさんの費用は世帯収入の15%程度なのでそう負担もなく、女性にとってはストレスなく働くことができるのだという。そういう話をいろいろしてくれた彼女(香港女性)はまだ20代の独身で、今、日本と香港を頻繁に往復している。日本企業と仕事をする中で日本人の価値観や女性観、仕事意識をよく理解しているので、彼女は日本で仕事をするときはスーツを着て化粧をし、仕事場の男性をきちんと立てて仕事をしている。
国が変わると意識や価値観が変わる。円滑に仕事を進めていく上では、そういった価値観を踏まえてコミュニケーションをとらなければならないことを、彼女を見ていて改めて感じる。あらゆる場面で国境の壁がどんどん低くなる今、そういう意識を磨くことも見過ごすことができないはずだ。
2010年6月16日
スピード時代
サッカーのワールドカップが始まった。私自身は特にサッカーのファンというわけではないが、ワールドカップは国民的お祭り。初戦のカメルーン戦は、当然生中継観戦することになった。
サッカーファンでない私でも、1-0の勝利は本当によかったと思う。社会がなんとなく暗く、景気・経済もなかなか上向かない今、「日本勝利」は社会を明るくする素材にすらなる。あの北朝鮮でも、北朝鮮が負けた試合でも中継しているそうだ。頑張っている姿は国民の意識を元気にするからではないかと「コリア・レポート」の辺真一氏がテレビで語っていた。
電車の中は携帯やゲームばかりで、雑誌を読む人などなかなか目にすることができない今なのに、ワールドカップ初戦が近づくとともに、その特集の雑誌「graphic Number」を電車の中で読む人を、私は何人も目にした。世の中がサッカーに夢中になっている空気がある。
その初戦で勝利を決めた10時間後に、その様子が掲載された「サッカーマガジン」が配本された。発売日は配本日の翌日。試合が終わったのは午前1時である。私がその「サッカーマガジン」を見せてもらったのは午前11時だ。半日もたっていない。本田のゴールを決めたシーンはもちろん、その試合の数々の写真とその様子が、新聞ではなく、雑誌で掲載されている。 いったい、何時に出来上がっていたのだろう? 昨日全国に配本され、今日はその発売日。おそらく多くの人たちが、その「サッカーマガジン」を手にしているに違いない。
インターネットや電子メールがあたりまえのインフラになり、24時間動き続けるのがあたりまえになったとは言え、その記事を書いたライター、デザインをした人、そして印刷、製本・・・10時間で仕上げるシステムはすばらしい。もちろん、その裏では大変厳しい労働を強いられている人が多くいることは間違いないのだろうが・・・。とは言え、そのスピードに改めて驚いた。さらに、この国民的お祭りで、それに夢中になる空気があるのだから、確実にその情報を待つ人は増えていて、出版社はその商機をきっちりつかんでいく。それは、社会を明るくしたり、元気にしたりすることにも、必ずや貢献するに違いない。
サッカーファンでない私でも、1-0の勝利は本当によかったと思う。社会がなんとなく暗く、景気・経済もなかなか上向かない今、「日本勝利」は社会を明るくする素材にすらなる。あの北朝鮮でも、北朝鮮が負けた試合でも中継しているそうだ。頑張っている姿は国民の意識を元気にするからではないかと「コリア・レポート」の辺真一氏がテレビで語っていた。
電車の中は携帯やゲームばかりで、雑誌を読む人などなかなか目にすることができない今なのに、ワールドカップ初戦が近づくとともに、その特集の雑誌「graphic Number」を電車の中で読む人を、私は何人も目にした。世の中がサッカーに夢中になっている空気がある。
その初戦で勝利を決めた10時間後に、その様子が掲載された「サッカーマガジン」が配本された。発売日は配本日の翌日。試合が終わったのは午前1時である。私がその「サッカーマガジン」を見せてもらったのは午前11時だ。半日もたっていない。本田のゴールを決めたシーンはもちろん、その試合の数々の写真とその様子が、新聞ではなく、雑誌で掲載されている。 いったい、何時に出来上がっていたのだろう? 昨日全国に配本され、今日はその発売日。おそらく多くの人たちが、その「サッカーマガジン」を手にしているに違いない。
インターネットや電子メールがあたりまえのインフラになり、24時間動き続けるのがあたりまえになったとは言え、その記事を書いたライター、デザインをした人、そして印刷、製本・・・10時間で仕上げるシステムはすばらしい。もちろん、その裏では大変厳しい労働を強いられている人が多くいることは間違いないのだろうが・・・。とは言え、そのスピードに改めて驚いた。さらに、この国民的お祭りで、それに夢中になる空気があるのだから、確実にその情報を待つ人は増えていて、出版社はその商機をきっちりつかんでいく。それは、社会を明るくしたり、元気にしたりすることにも、必ずや貢献するに違いない。
2010年6月7日
日本ブランドと憧れ
日本の安心安全ブランドについては、いろいろな場所で報じられているが、日本の中で暮らしていると、そのブランド価値については、あまり実感できるものではない。私自身は「そんなものかしら・・・」程度に感じていたのだが、最近それをリアルに感じる話をいくつか聞いた。
海外では日本車への人気は高く、日本車の中古車は高額で取引される。そういう中で、日本車の中古車を定期的定量的に取引できるルートをどう確保するかが課題になる。ある知り合いは、ヨルダンの人からそういう相談を受けたということだが、需要の方が大きくてなかなかそれに応えることができず残念がっていた。
中国では、食品や医薬品・化粧品について、日本ブランドが高く位置づけられている。中国人の話によれば、中国人自身も「中国製品は少し怪しくて信用できない。」と考えており、できることなら日本製品を購入したいと考えていると言う。経済的に余裕があれば日本製品を購入するのはもはや当然で、お金がないからやむなく中国製品で我慢しているのだと言う。その分、中国人はカラダに免疫ができていて、悪いものが体内に入っても、日本人のようにひ弱ではなく、体が対応できるくらい強くなっているのだと笑っていた。
香港では、ファッションも、イケメンも、日本がお手本だという。日本は憧れの対象であり、まさにファッションはそのように位置づけられる。これは中国の都心部でも似たような傾向がある。雑誌も、一部中国の言葉に書き換えられた日本のファッション誌を愛読し、そのスタイルをお手本にしている。なぜそうなったのか?・・・それは今の香港の若者の、憧れのエンターテイメントは日本のコンテンツだったからと言う。子ども時代に好きだったのは「セーラームーン」。青春時代にジャニーズ系のアイドルに憧れ、
ジャニーズ系アイドルの国、日本に強く憧れてきた。二十歳を超えると、人によっては何度も日本に来ている。都市部だけでなく、全国の観光地を巡っている人も少なくない。ジャニーズが生まれた日本を知りたい、観光に行きたい、という気持ちからなのだと言う。そしてさらに日本語を勉強するようになるのだ。香港の女の子にとっては、SMAPはすごい人気だ。私が話を聞いた香港の女の子(25歳)はキムタクが大好きで、いつかキムタクと話ができるチャンスが来たときのためにと、日本語の勉強を始めたのだという。
それは昔々の日本で、ビートルズやハリウッド映画に夢中だった少年少女時代に欧米諸国に憧れ、欧米諸国の文化やブランドを好み、より深く知るために英語を頑張って勉強していた、30~40年前の日本の少年少女によく似ている。憧れる力が上昇志向へとつながってきたのだろう。
今、日本はどこに憧れているのだろう。何に憧れているのだろう。かつて憧れた欧米諸国を追い抜き、身近になってしまったため、目標や憧れなどを失ってしまったようだ。
憧れは、大きな力になる。憧れる気持ちがなくなった今、何に向かって進めばいいのかもわからなくなっているのかもしれない。
海外では日本車への人気は高く、日本車の中古車は高額で取引される。そういう中で、日本車の中古車を定期的定量的に取引できるルートをどう確保するかが課題になる。ある知り合いは、ヨルダンの人からそういう相談を受けたということだが、需要の方が大きくてなかなかそれに応えることができず残念がっていた。
中国では、食品や医薬品・化粧品について、日本ブランドが高く位置づけられている。中国人の話によれば、中国人自身も「中国製品は少し怪しくて信用できない。」と考えており、できることなら日本製品を購入したいと考えていると言う。経済的に余裕があれば日本製品を購入するのはもはや当然で、お金がないからやむなく中国製品で我慢しているのだと言う。その分、中国人はカラダに免疫ができていて、悪いものが体内に入っても、日本人のようにひ弱ではなく、体が対応できるくらい強くなっているのだと笑っていた。
香港では、ファッションも、イケメンも、日本がお手本だという。日本は憧れの対象であり、まさにファッションはそのように位置づけられる。これは中国の都心部でも似たような傾向がある。雑誌も、一部中国の言葉に書き換えられた日本のファッション誌を愛読し、そのスタイルをお手本にしている。なぜそうなったのか?・・・それは今の香港の若者の、憧れのエンターテイメントは日本のコンテンツだったからと言う。子ども時代に好きだったのは「セーラームーン」。青春時代にジャニーズ系のアイドルに憧れ、
ジャニーズ系アイドルの国、日本に強く憧れてきた。二十歳を超えると、人によっては何度も日本に来ている。都市部だけでなく、全国の観光地を巡っている人も少なくない。ジャニーズが生まれた日本を知りたい、観光に行きたい、という気持ちからなのだと言う。そしてさらに日本語を勉強するようになるのだ。香港の女の子にとっては、SMAPはすごい人気だ。私が話を聞いた香港の女の子(25歳)はキムタクが大好きで、いつかキムタクと話ができるチャンスが来たときのためにと、日本語の勉強を始めたのだという。
それは昔々の日本で、ビートルズやハリウッド映画に夢中だった少年少女時代に欧米諸国に憧れ、欧米諸国の文化やブランドを好み、より深く知るために英語を頑張って勉強していた、30~40年前の日本の少年少女によく似ている。憧れる力が上昇志向へとつながってきたのだろう。
今、日本はどこに憧れているのだろう。何に憧れているのだろう。かつて憧れた欧米諸国を追い抜き、身近になってしまったため、目標や憧れなどを失ってしまったようだ。
憧れは、大きな力になる。憧れる気持ちがなくなった今、何に向かって進めばいいのかもわからなくなっているのかもしれない。
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