「会社は何のためにあり、社員は何のために働くのか? それは仕事を通じて世の中に役に立つためだ。」
これは、資生堂副社長の岩田喜美枝さんの言葉である(2012.1.5読売「日本あれから 幸せの座標1回目)。
昨年12月から、私は知人からの依頼がきっかけで、「自分のキャリアを考える勉強会」を数回主催した。
私自身は、元々は本来キャリア形成の専門家ではないが、長年働いてきた中で、結局のところ自分自身の働く意味を曖昧にしていると、どんなに働くことが好きであったとしても、働くことが苦しくなる時期にぶつかる、という実感があった。もちろん、その「働く意味」というのは人によって百人百色。
誰もが自分自身の意味を考えることで、イキイキと働けるはず、そうすればイキイキと生きていけるはず。
私はそう考えて、各々が自分で納得できる回答を探したりみつけたりするための勉強会のプログラムを考えたのだ。
構成してみたら、それは、「働く」ことには限らず、「生きる」ことを考えることに近くなった。
自分が「働く」という意味は、自分がどんな時に満足感を得るのか、幸福感を得るのか、ひいてはやりがいや生きがいを感じるのか、ということに大きく関わってくるからだ。
その勉強会では、「キャリア」を必ずしも「報酬を得る仕事」とはとらえず、「あらゆる活動」と定義づけた。ボランティア活動も家事も含むいろいろな活動だ。
自分に何ができるか、周囲は自分に何を求めるか、
それまでの自分の人生を振り返り、自分の価値観を改めて確認する、
他の人とどこが違うのかを認識する・・・
勉強会では、各自がそんな作業を、いろいろなきっかけを与えるワークを通じて繰り返す中で、自分が働く意味や、これからどういう働き方をすることが自分にとって心地よいかを探す、どう生きて行くかをみつける。
漠然と思ってはいても、なかなか深く考えることのないテーマだ。
勉強会のスタート時には先が見えない不安を持っていた人が、その不安の本質を発見し、自分の目標を設定していく様子が、まさに目の前で展開されていった。
おかげさまで、毎回終了するたびに参加者からはご好評をいただいたが、私自身も得るものが大きかった。
とは言うものの、私はこれが本来の専門ではないのでいったん終了するが、自分自身のためにも、この勉強会は年に1度くらいは開催していこうかと考えている。
価値観の多様化、自分らしさを大事に、などは世間でよく言われることではあるが、それを自分の問題にして具体的にどう対応するのかが実に難しい。
今の時代は、これをつかめないとなんとなく幸せじゃない気持ちがずっと続いてしまうのだと思う。
この状態は、個人にとって不幸なことはもちろんだが、その個人がやりがいをもって働けない状態であることは産業界にとっても不幸である。
さらに、そういう状態を解決したり、道筋を見つけるきっかけにできるような、研修事業ではない「何か」がこれからの時代の新たな商品として生まれないだろうか?と、私は考えてみたりする。
より多くの人がイキイキと生きていけることにつながるようなことが商品化されれば、世の中の幸福度も上がるのに・・・・
今回スタートした「アイ・フェイス i-face 」も、私の思いはそこにつながっている。
最後にその新聞記事にあった、印象的な言葉をいくつか紹介する。
「最近のキャリア教育のせいか、今の若者は、自分が役立っていることを確認できないと不安になる。上の世代に甘えと受け取られてしまう。」「働く意味を考える若者は、仕事への意識が高いとみることもできる。意欲を引き出し、若手がチャレンジできる機会を増やして行ければと思う。」(関西学院准教授、鈴木謙介さん)
「後に何かが残り、誰かが元気にする仕事がしたい」(元IT関連会社勤務38歳女)
「社会や人から感謝される仕事がしたい」(日本生産性本部・客員研究員の仕事に対する考えを聞いた質問で、96.4%とトップ)
「この3~4年で、出世よりも社会に役立つ仕事を望む学生が増え、震災でその傾向が加速。日常的な仕事も社会に貢献していることをなかなか理解できない面もある」(立教大キャリアセンター部長)
2012年2月28日
「アイ・フェイス i-face」への思い
前回書いたように、新サービス「アイ・フェイス i-face」 をスタートした。
このサービスのベースになったのは、もう一つのブログ、「遺影について思うこと~自分らしく生きるために~」(以下「遺影ブログ」)である。
きっかけは遺影だった。
遺影は人生最後の晴れ舞台に飾るものだ。
だから最後をきちんと締めくくるためには、いい遺影の方がいい。
遺族の悲しみを少しでも和らげるようなもの、その人らしさが表現されたものを。
そして何より、本人が納得し、満足できるものにしたいものだ。
遺影ブログを書き始めた時、私はそう考えていた。
大震災を契機に天災の恐ろしさを再認識したこともあり、いい遺影のための撮影をしておこうと思い、実際に私自身も撮影してもらった。
昨年夏のことだ。
そこでの発見が、自分の知らない顔に出会えるということだった。
遺影を意識して自分を撮影することで、当の本人は、自分の知らない自分、気づかなかった自分をみつけることができるのだ。
自分が気づかなかった自分のよさや価値を、カメラマンが探して引き出してくれる。
いい遺影を残すための作業は、「死」とはまったく別の効果ももたらす、ということを教えられたのだ。
「遺影」は人生の最期=エンディングの象徴的なもの、「死」を意識するものではある。
けれども、「遺影」を自分で用意する作業は、自分の「生き方」を考えることにつながる。
それなのに、写真を撮られることが嫌いでカメラから逃げ回る人は少なくない。
人生最後の晴れ舞台のはずの遺影が残念なもものになりかねないだけでなく、
プロに撮ってもらうことで、自分に自信が持てるかもしれないのに、と思うと、本当に残念なことだ。
そんな私の体験と思いから生まれたのが、「アイ・フェイスi-face」です。
どうぞ、よろしくお願いします。
このサービスのベースになったのは、もう一つのブログ、「遺影について思うこと~自分らしく生きるために~」(以下「遺影ブログ」)である。
きっかけは遺影だった。
遺影は人生最後の晴れ舞台に飾るものだ。
だから最後をきちんと締めくくるためには、いい遺影の方がいい。
遺族の悲しみを少しでも和らげるようなもの、その人らしさが表現されたものを。
そして何より、本人が納得し、満足できるものにしたいものだ。
遺影ブログを書き始めた時、私はそう考えていた。
大震災を契機に天災の恐ろしさを再認識したこともあり、いい遺影のための撮影をしておこうと思い、実際に私自身も撮影してもらった。
昨年夏のことだ。
そこでの発見が、自分の知らない顔に出会えるということだった。
遺影を意識して自分を撮影することで、当の本人は、自分の知らない自分、気づかなかった自分をみつけることができるのだ。
自分が気づかなかった自分のよさや価値を、カメラマンが探して引き出してくれる。
いい遺影を残すための作業は、「死」とはまったく別の効果ももたらす、ということを教えられたのだ。
「遺影」は人生の最期=エンディングの象徴的なもの、「死」を意識するものではある。
けれども、「遺影」を自分で用意する作業は、自分の「生き方」を考えることにつながる。
それなのに、写真を撮られることが嫌いでカメラから逃げ回る人は少なくない。
人生最後の晴れ舞台のはずの遺影が残念なもものになりかねないだけでなく、
プロに撮ってもらうことで、自分に自信が持てるかもしれないのに、と思うと、本当に残念なことだ。
そんな私の体験と思いから生まれたのが、「アイ・フェイスi-face」です。
どうぞ、よろしくお願いします。
2012年2月19日
新サービス i-face スタート
2月20日、新たなサービスを開始する。

アイ・フェイス。
大人のための、青空出張写真館です。
2月14日に愛をこめてホームページを公開した。
語りたいことは山ほどあるのだが、細部まで公開しきれていないので、これから徐々に説明しつつ、公開して行きたいと思う。

アイ・フェイス。
大人のための、青空出張写真館です。
2月14日に愛をこめてホームページを公開した。
語りたいことは山ほどあるのだが、細部まで公開しきれていないので、これから徐々に説明しつつ、公開して行きたいと思う。
2012年2月15日
「仕事が生活のすべて」を見習う?
昨年12月に東証マザースに上場した株式会社リブセンス。
社長が25歳と上場会社史上最年少ということで、1月にはNHKのニュース生出演もあり、大きな話題になった。
話題の村上太一社長は、結果的に大金持ちになったわけだが、特に生活が変わることもなく、小さなワンルームの自宅には冷蔵庫もない。
仕事環境がそのまま自宅にもあり、会社のデスクと自宅はなんら変わらない。
村上社長は、「仕事が生活のすべてである」と、出演したテレビでさらりと語っている。
が、私が注目するのは、彼の業績や言動ではなく、
このニュースを見て「私も見習わないと行けないな…。」と
ブログで書いたいた人がいたことだ。
もちろん、リブセンスの村上社長はすごいな!と、私も思う。
羽振りがよくなることもなく、生活に変わりもなく、謙虚で気負うところがない。
この若さでこれからが楽しみだと思うし、こういう人たちがこれからの日本を引っ張って行くことに大いに期待したいと思う。
けれども、「『仕事が生活のすべて』であることを見習う」ことについては、私は少々疑問を抱いてしまうのだ。
「下山の思想」(五木寛之著・幻冬舎新書)が話題になっているように、今、仕事のしかたも新しい局面に入ってきたと思う。
「下山の思想」は、下山はあきらめるのではなく、再び上るためのプロセスであって、実りある下山をと提案している。「生きる」ための真理、幸せとは何かを書いているのであって、仕事の話が書いてあるわけではない。
私は、10年くらい前から、上昇や成長を追いかけない仕事・働き方があるはずではないかと悶々としてきた。4年半前に会社を辞めた理由の一つと言えるかもしれない。
私自身は仕事が大好きだし、生活の中で仕事の占める位置は実際大きいのだが、それでも売上・利益至上主義にはどこか疑問を感じてきた。
4年前に某大学で経営戦略を学んだことがある。自分の会社時代の経験が学問的に体系立てられ、その講座自体はとても有意義だったのだが、成長が大前提であることから始まっていることが引っかかった。成長ありきではない経営戦略はどう考えたらいいのか、何を指標にしていけばいいのか、を質問して、講師を困らせたことを思い出す。
私は、やはり今の時代だからこそ、成長や売上拡大ではない仕事の目的、働く意味、そういうものを探し続けたいと思う。「仕事が生活のすべて」ではなく、「○○のために仕事も××もある生活をする」という生き方を目指したいと思う。
社長が25歳と上場会社史上最年少ということで、1月にはNHKのニュース生出演もあり、大きな話題になった。
話題の村上太一社長は、結果的に大金持ちになったわけだが、特に生活が変わることもなく、小さなワンルームの自宅には冷蔵庫もない。
仕事環境がそのまま自宅にもあり、会社のデスクと自宅はなんら変わらない。
村上社長は、「仕事が生活のすべてである」と、出演したテレビでさらりと語っている。
が、私が注目するのは、彼の業績や言動ではなく、
このニュースを見て「私も見習わないと行けないな…。」と
ブログで書いたいた人がいたことだ。
もちろん、リブセンスの村上社長はすごいな!と、私も思う。
羽振りがよくなることもなく、生活に変わりもなく、謙虚で気負うところがない。
この若さでこれからが楽しみだと思うし、こういう人たちがこれからの日本を引っ張って行くことに大いに期待したいと思う。
けれども、「『仕事が生活のすべて』であることを見習う」ことについては、私は少々疑問を抱いてしまうのだ。
「下山の思想」(五木寛之著・幻冬舎新書)が話題になっているように、今、仕事のしかたも新しい局面に入ってきたと思う。
「下山の思想」は、下山はあきらめるのではなく、再び上るためのプロセスであって、実りある下山をと提案している。「生きる」ための真理、幸せとは何かを書いているのであって、仕事の話が書いてあるわけではない。
私は、10年くらい前から、上昇や成長を追いかけない仕事・働き方があるはずではないかと悶々としてきた。4年半前に会社を辞めた理由の一つと言えるかもしれない。
私自身は仕事が大好きだし、生活の中で仕事の占める位置は実際大きいのだが、それでも売上・利益至上主義にはどこか疑問を感じてきた。
4年前に某大学で経営戦略を学んだことがある。自分の会社時代の経験が学問的に体系立てられ、その講座自体はとても有意義だったのだが、成長が大前提であることから始まっていることが引っかかった。成長ありきではない経営戦略はどう考えたらいいのか、何を指標にしていけばいいのか、を質問して、講師を困らせたことを思い出す。
私は、やはり今の時代だからこそ、成長や売上拡大ではない仕事の目的、働く意味、そういうものを探し続けたいと思う。「仕事が生活のすべて」ではなく、「○○のために仕事も××もある生活をする」という生き方を目指したいと思う。
2012年2月8日
正しく「あきらめる」ことはポジティブ
「がんばる」ことを重視していくと、「あきらめる」ということは、どこか後ろめたく敗北感に近いものがある。
けれども、仏教講師の菊谷隆太さんによれば、そのうつむく感覚が少し異なり、上に向ける気がする。
そもそも「あきらめる」は仏教由来で「諦観」、「アキラカニ真理ヲミル」ことだそうな。
だから元々の「諦める」は、【なぜそんな結果になったのかの原因を明らかに見なさい】ということで、だいぶニュアンスが違うと菊谷さんご自身もfacebookの個人ページで書いておられる。たしかにぐっと上向きな感じになる。
夢をあきらめる、目標達成をあきらめる、などの言葉は敗北感がある。
けれども、そう至るには必ず原因があったわけで、なぜ夢をあきらめるのか、なぜ目標達成をあきらめるのか、その原因を分析してそに対策を考えたち、克服に努めたりすれば、結果も変わるというのだ。
そこで原因を見なかったりごまかしたりしないこと。
仏教講師の菊谷隆太さんの言葉には沁みるものがある。
あきらめる原因に向き合う方が、あきらめないよりも却って苦しいこともあるだろう。
けれど、あきらめることもポジティブであることを認識できるのは嬉しい。
昨年11月に発売になった、女子サッカー澤穂希選手の著書『負けない自分になるための32のリーダーの習慣』と『夢をかなえる。思いを実現させるための64のアプローチ』は、いずれも売行好調だったそうだ。
そのプロモーションでもしばしば使われる「諦めなければ夢はかなう」。
あまりの明言で、諦めないことだけが正しいように語られる風潮に行きすぎはないだろうか?
たしかに彼女は素晴らしいけど、「あきらめない」姿こそポジティブであり、強くて、正しくて、あきらめる人はダメなように言われる今の風潮に、私は少々違和感がある。
All or nothingではなく、いろいろながんばりがあっていいと思うのだ。
菊谷さんの言葉は、そんな行き過ぎた風潮に、少し歯止めをかけてくれそうに私には思え、温かい気持ちになった。
けれども、仏教講師の菊谷隆太さんによれば、そのうつむく感覚が少し異なり、上に向ける気がする。
そもそも「あきらめる」は仏教由来で「諦観」、「アキラカニ真理ヲミル」ことだそうな。
だから元々の「諦める」は、【なぜそんな結果になったのかの原因を明らかに見なさい】ということで、だいぶニュアンスが違うと菊谷さんご自身もfacebookの個人ページで書いておられる。たしかにぐっと上向きな感じになる。
夢をあきらめる、目標達成をあきらめる、などの言葉は敗北感がある。
けれども、そう至るには必ず原因があったわけで、なぜ夢をあきらめるのか、なぜ目標達成をあきらめるのか、その原因を分析してそに対策を考えたち、克服に努めたりすれば、結果も変わるというのだ。
そこで原因を見なかったりごまかしたりしないこと。
仏教講師の菊谷隆太さんの言葉には沁みるものがある。
あきらめる原因に向き合う方が、あきらめないよりも却って苦しいこともあるだろう。
けれど、あきらめることもポジティブであることを認識できるのは嬉しい。
昨年11月に発売になった、女子サッカー澤穂希選手の著書『負けない自分になるための32のリーダーの習慣』と『夢をかなえる。思いを実現させるための64のアプローチ』は、いずれも売行好調だったそうだ。
そのプロモーションでもしばしば使われる「諦めなければ夢はかなう」。
あまりの明言で、諦めないことだけが正しいように語られる風潮に行きすぎはないだろうか?
たしかに彼女は素晴らしいけど、「あきらめない」姿こそポジティブであり、強くて、正しくて、あきらめる人はダメなように言われる今の風潮に、私は少々違和感がある。
All or nothingではなく、いろいろながんばりがあっていいと思うのだ。
菊谷さんの言葉は、そんな行き過ぎた風潮に、少し歯止めをかけてくれそうに私には思え、温かい気持ちになった。
登録:
投稿 (Atom)