2016年9月22日

メイクの力〜今日のキレイを明日の希望に〜

男性の方にはあまりピンと来ないかもしれませんが、メイクには大きな力があるそうです。

正直なところ、私自身は顔つきには興味があるけど、メイクにはあまり・・・・。
メイクの方法や化粧品の素材などには、ふだんほとんど興味がありません。

だけど、そんなことを言っているくせに、
プロの方にメイクをしてもらった時にはとても気持ちが上がることは、
自らの体験でよくよく知っています。

そう、人はちょっときれいにしてもらうだけで、気持ちは変わるのですね。

自分を再確認する

8月6日、東京・日本橋にてこんなイベントがありました。


その会場ロビーに展示されていたのが、笑顔の女性たちの写真。




「プラチナメーク&フォトプログラム写真展」とありました。
そのキャッチフレーズが、「今日のキレイを明日の希望に」。



メークはがん患者さんの気持ちを明るくポジティブにする効果があると言われています。

メークで自分をキレイにしてもらい、そういう自分を再確認することが、
きっと自分の中で力を作っていくのですね。

写真としてキレイな記録を残すことは、
本人が自分自身を客観視できるし、
そのキレイな私を繰り返し思い出せます。
それは、家族など周囲にとっても、きっと嬉しいに違いないと思うのです。

この写真展は、今、治療が続いている患者さんへの応援メッセージとして、
日々明るく過ごしてほしいという願いが込められた写真展で、
化粧品会社が協賛していました。


メイクの力

 心の回復、自力支援をしている宗像美由さんは、
アフターDVからの回復自立支援を目指す一般社団法人たんとすまいるの代表。
若かりし頃の辛かった状態から、
自分を取り戻すために前に進んだきっかけはメイクだったそうです。

アフターDVとは、かつてのDV被害経験のために生きづらさを抱えている状態。
DV経験のせいで自分のことを認められなくなり、
たとえそれから時間がたってもずっと自分のことを大事できなくなってしまう状態です。

その回復自立支援として
一般社団法人たんとすまいるが用意しているプログラムの一つにメイクがあります。

辛いことや哀しいことが続いて顔が曇っていく。
そのうち、そういう顔つきへと定着してしまいそうなとき、
きれいにメイクしてもらうことで、自分の顔が曇っていたことに気づく、
いつもより少しきれいになると気づく、
~そういうことで自分のことを少しづつ認めることができるのだそうです。


自分のためにも「いい顔」でいたい

私自身はメイクが上手ではないし、化粧品にもあまり興味はないけれど、
顔や顔つきはとても大事だと思っています。
いつのまにか、生き方までが滲み出てくるのが、顔だ、と。

ずいぶん前に「人は、生きるように逝く」という言葉に私は強く共感し、
それをきっかけに、人の命や生き方についていろいろ考えるようになりました。
今回この写真展を目にしたのは、「キャンサーフォーラム」にやって来たからでした。

素敵な顔でいることは、周りから素敵だと思われるだけでなくて
自分自身の気持ちを上げるためにも、
自分自身のことを前より好きになるためにも、
とても大事なことだと思います。

そして将来、今の生き方が滲み出た顔になるのだと思うと
納得した生き方をせねば、と改めて思います。

今よりもいい顔になるために、いつも普段から

今の私、どんな顔してるだろう?

と、気にしながら、生きていきたいものですね。








2016年9月19日

会社を辞めたら、私どう生きる? そのための「副業」はいけないことですか?

今の時代、40代以降の雇用環境の流れは、
「早期退職制度」と「定年延長」。
だけどこれって、正反対の話!
両方の制度を進めるということは、まるでアクセルとブレーキを同時に踏むようなもの。

一方「私」たちにとっては、
会社に居続ける道と、
早めに卒業して次の道を探すのと、
幸せな道はどちらか?!・・・それを選択するということです。

気をつけなくてはいけないのは、
あくまでも「私」にとってということ。
みんな一緒ではありません。


「私」のこれから・・・

今の会社、いつまで働く?

会社を辞めたら、私、どうする?どう生きる?

会社を辞めてからの私の人生、どれくらいある?

会社を辞めてから、私は仕事する?しない?

仕事するなら、私はどんな仕事する?

~「副業」は、そんなことをちょっとでも考えている人にとって
一つの選択肢かもしれません。
なぜなら、「副業」は
将来やりたいことの準備として、
できるかどうか、私に向くかどうかのステップとして、
将来に向けた修行として、
のカタチだから。

「副業」しても大丈夫か、不安

本業とは別の活動には趣味とかボランティアとかいろいろあるでしょうが、
収入を得ると、「副業」です。

お給料が上がりにくい今の時代、収入になることも魅力、
ですよね。

だけどその「副業」が会社にバレたらどうしよう?!と不安に思う人は
少なくありません。
だって、会社が副業禁止だから。

バレたら、どうなる? クビになるの?

それに、マイナンバー制度の導入でバレるんじゃないかと気にしている人も多いようです。

マイナンバーのせいで、バレるんでしょ?

そんなわけで「副業」することにビクビクしてたり、
「副業」するのを我慢したり、あきらめたりする話をよく聞きます。
「副業」していない人も、これからの考えながらも気持ちにブレーキがかかる人もいるようです。

でもできればやりたいことはあきらめたくないし、人生はまだまだ長い。
いや、むしろこれからです。
だから自分がやりたいこと、追い求めたいこと、面白そうなことは
できれば少しづつ準備したいもんです。

本当のところを、きちんと知ろう

私は、40代の時に会社を卒業しましたが、
会社員の頃には「副業」をしていませんでした。
新しいことを始めたいと考えて卒業したにもかかわらず、
実際には何も準備していませんでsた。
そのため、ずいぶん回り道をすることになりました。
当時は「副業」しながら少しづつ準備する、など思いつかなかったのです。

ではその「副業」を会社にバレないようにするにはどうしたらいいのか?
そして、改めて自分の人生をどうしたいのか考えてみる。
そして、自分で人生をデザインしたい。
「副業」する不安のモトをきちんと知って
「副業」することを選ぶなら、不安なく「副業」したい。
自分の人生のために。

そんな思いをお伝えしたくて、
本当のところをぶっちゃけ教えてもらうセミナーを企画しました。

 【日 時】 10月26日(水) 19:15~21:30

 【会 場】 東京・千代田区神保町

 【参加費】 3,500円(事前振込)

教えてくれるのは、
労務管理とマイナンバーのプロ、岡田裕之先生です。



会社バレしないための秘策は何か。
サラリーマン(サラリーウーマン)がやっていいこと、悪いことは何か。

・・・・岡田先生に教えてもらいます。
聞き洩らしそうなことは、私が本音で突っ込み質問する予定です。


お問い合わせ・お申し込みはこちらから。


そろそろ会社を卒業しようと思う人、

役職定年後に自分で何かやっていきたい人、

副業しながら、いつもドキドキしている人、

これから副業しようかなと思っている人、

副業は考えてもいないけど、将来のことを少しづつ考え始めたい人


お待ちしています。


トラベシアフォーラム
「『マイナンバー社会に副業は危ない!』は本当か?!」
http://www.kokuchpro.com/event/fd5261c21ebf0300ab8f3d777a56ced8/



日々の生活、日々の仕事に追われて、ふだんなかなか考えられないこと、
この機会にご一緒に考えてみませんか。

2016年8月9日

「ザビエルになって愛を語れない」・・・なぜ?!できないと思うのにはわけがある

覚せい剤取締法違反で14年に懲役3年(執行猶予4年)の判決を受けたASKAは、フランシスコ・ザビエルになったから、愛を語れないと嘆いているのだそうです。



これだけ知って、私が思ったのは、
なぜ伝道師になると愛を語れないのかしら?ということでした。
私にとって、ザビエルと言えば「伝道師」なので。
 
だけどASKAが言うザビエルは見た目のことだったのです。

フランシスコ・ザビエルと言えば

フランシスコ・ザビエルと言えば、キリスト教伝道師。
歴史をほとんど知らない私でも、
歴史の教科書にザビエルのイラスト(肖像画?)が出ていたのは知っています。
最近はその肖像画が誤りだという話もあるようで、
今の教科書には載っていないらしいですが、
私たちの世代で、その風貌を知らな人はあまりいないと思います。

ASKAの言うザビエルとは、その風貌だったのです。
つまりは、髪の毛が薄い人、それも頭のてっぺんが薄い人のことでした。

ザビエルはなぜ愛を語れないの?


ASKAの嘆きはさも当然のようで、そこに理由なんてありませんでした。
でも私には、それがどうにも不思議な感じがしました。

誰なら愛を語れて、誰なら愛を語れないのか。
・・・そんなこと、きっと誰も思っちゃいないつもりなんだけど、
ふと自分がそうなると、これじゃダメだと思う。

それはきっと自分では気づかなかったけど、
実は○○だと愛は語れないと思いこんでいた自分が確実にいたから。

ASKAの場合も、きっと無意識にそう思っていたのでしょうね。
だから、自分が覚せい剤か治療の影響で髪の毛が抜けたことで、
そんなことを嘆いたんだと思います。

それより嘆くこと、他にいっぱいあるでしょう?とツッコミたいくらい、
私から見ればどうでもいいようなことだけど、ね。

でもASKAは、自分が髪が薄くなることはあり得なかったのでしょう。

私の○○はなに?あなたの○○は?

「○○だと愛は語れない」はほんの一例ではあるけれど、
でもそんな○○は、きっと人によっていろいろあると思うのです。
それが髪の毛ではなく顔の中身だったり、体型だったり、匂いだったり、声だったり・・・
それは人の好みの場合もあるでしょうが、
もし自分が○○になった時、と思うのは、
自分が大事にしていることの裏返しなのかもしれません。

「私が○○になったら、愛を語れない」と思うことはいったい何だろう?
そんなことをふと考えてしまいました。


2016年8月7日

「女性にとってのロールモデル」・・・必要なのかな?!

「会社を辞めたのはロールモデルがいなかったからかも・・・」
私がそう言ったら、同世代の男性が言いました。

「ロールモデルがいない~それ、女性はよく言うよね?!
そんなにロールモデルって必要なのかなあ?!」

うーん、
たしかに必要ではないのかもしれません。
だけど、私の世代の場合、目指す形であるかどうかは別にしても、
そもそも先輩(女性)が極端に少なかったんです。
なぜなら、私の場合、社内では27歳の時からずっと最年長の女性社員だったので。
それは、その会社を辞めるまで20年以上も続きました。

目指す相手はもちろんのこと、比較対象もいなかったから、
私の前に道はない・・・・

今から考えると、常に「ロールモデルがいない」
不安と不満を抱えていたような気がします。


女性活躍推進の課題はロールモデル


そんな風に思っていたのは私だけかと思ったら、
そんなことはありませんでした。

全産能連の調査によれば、
女性活躍推進に向けての職場の課題は、
「ロールモデルの不在、または不足」がトップ。
漠然と感じていた私の不安は、当時から意外にみんなも感じていたのかもしれません。



http://www.jad.or.jp/knowledge/tabid/225/Default.aspx



男性の場合、もともと先輩がたくさんいるでしょう?
中には自分のロールモデルに近い人がいるかもしれない。

たとえロールモデルなんかいなくても、
複数の人のいいとこ取りで自分の目指す形をイメージできたり、
「ああいう風にはなりたくない」と逆イメージできたり、
することはないでしょうか。

あるものを肯定したり否定したりすることと、
何もないところから考えることとは、
雲泥の差。

女性が「ロールモデルがいない」としばしば言うのは、
たぶんそういうことではないかと思います。

もちろん、何もなくても自ら一生懸命考えられる人、
悩まずに走れる人もいるでしょうが、
誰もがそうはいきません。

私の場合、当時はロールモデルがいないから不安だったということにすら、
気づいていませんでした。
10年以上経って初めて、
私の不安とは、結局はそういうことだったのかと思うに至ったのです。

東洋経済の記事には「ロールモデルは不要、百害あって一利なし
とあったけれど、私は必ずしもそうは思いません。

目指す形をイメージしやすいかどうかは、実はとっても重要なこと。
ロールモデルって、自分が目指す形をイメージするための
お助けになるのはずですから。


これからのロールモデルは?

50歳を目前にして私は会社を辞めましたが、
その後は、流れに身を任せてみたり、自発的に仕掛けてみたり。
会社員の時以上に試行錯誤しているように思います。

では、今の私にロールモデルがあるか?と言うと
あるような、ないような、・・・・

生きていれば先輩諸姉はたくさんいるから、参考にできることも無限大。
年齢を重ねていけば、必ずしもロールモデルは年上とは限らないかもしれない。

その結果、今の私は具体的なモデルは持たないけれど、
多くの先輩諸姉の生き方を見つつ、自分より若い人の生き方も参考に、
自分自身と相談することが多くなりました。

ロールモデルがあることはきっと力になるでしょう。
だけど、ロールモデルがないことは、必ずしも問題ではない。

今の私はそう思っています。



2016年7月29日

欧米から見て、仏壇の遺影に語りかける日本人の姿はヘンな人?!

遺影というのは、日本独特のものだとご存知でしょうか?


海外の場合はポートレート。
生きている時にこそ飾られるもので、
亡くなってから飾る、ということがないから遺影がないのですね。


この遺影との向き合い方は、日本人の死生観と大きく関わっているようです。



ご先祖さま、という概念


私たち日本人には、「ご先祖様」という概念があります。
無意識にも、亡くなった人が見守ってくれる、
亡くなった人に見られている、と思っている節があります。

そういう概念があるから、
故人に力を貸してください」と祈ったり、
故人に対して恥ずかしくないかと自分を戒めたり、
故人に叱られる、故人が褒めてくれる、
と思ったり・・・。

ほら、遺影に向かって話しかける人、あなたの周りにもいませんか。
もしかしたら、あなた自身も無意識に話しかけているかもしれませんね。

甲子園やオリンピックなどでも遺影を抱える姿もよく見かけます。
それは、大事な場面を故人に見せたい、
故人に対して、見ててね、力を貸してね、という
気持ちの表れでしょう。

もちろん人によって、宗教観によって、その違いはあるとは思いますが、
それでも日本人のこのような遺影に接する様子を見て、私たちはあまり違和感を感じないと思います。



この人、ダイジョウブ?


けれども欧米の人から見ると、
仏壇の遺影に語りかける日本人の姿は、ヘンな人にしか見えないようです。
この人、大丈夫かしら?と疑われかねない光景なのだそうです。

文化人類学と
「ターミナルケア(終末期医療)」「みとり」をキーワードとした
医療・福祉の文化的背景が研究テーマの郷堀ヨゼフさんは、
1979年、チェコスロバキア(現チェコ)生まれの
上越教育大非常勤講師で淑徳大(千葉市)准教授。

このたび日本人の死生観などに関する考察をまとめた著書
「生者と死者を結ぶネットワーク〜日本的死生観に基づく生き方に関する考察〜」
が出版されたそうですが、そのニュースによれば、

来日後に見た仏壇の遺影に語りかける日本人の姿を見て、
欧米では精神疾患すら疑われかねない光景に驚き、
これが研究の出発点になった

そうです。



この死んだ人と生きた人とのつながりというのが日本独特のもののようで、
これはその日本人らしい生き方というのに考察を加えた本だそうです。

私たち日本人にとっては普通の死者との会話、故人との対話で、
たしかに私たちは慰められたり、チカラをもらったり、します。

そこで自分が一人ではないことを再確認します。
でもそれは、自分自身と向き合うきっかけを得ることもあり、
実は自分との対話でもあるのです。

大事なことを故人に報告します、よね。
私の父はお墓詣りに行くと、
お墓に向かって大きな声で延々と家族の近況を報告していました。


今の時代、死者との対話の機会は激減


今、都会に暮らす私の家には仏壇がありません。
供養に関わるものもありません。
でも実家にはあるので、ときどき実家に帰ったときに仏壇に手を合わせ、
そこで故人を思う程度。
死者との対話の機会など、ほとんどありません。

郷堀さんは
新潟県糸魚川市能生地域で研究テーマのフィールド調査を実施したそうです。

地域には亡くなった人を含め、脈々と続く人々のさまざまなつながりがあり、
「決して1人ではなく、何かがあれば、手を差し伸べてくれる」関係性があった。
一方で、田舎の煩わしい人間関係を嫌い、都会に出て行った若者が孤立すると、
地域や死者との「縁」が断ち切られるという。

人との「縁」は故人とのつながりだけじゃない、ということです。

私たちは、日本人にとって日常だったはずの脈々と続くさまざまなつながり、縁
というものを、今、忘れつつある

外国人の目が警鐘を鳴らしている、とも言えます。


遺影があれば亡くなった人と対話できる

だけど、遺影だったらどうでしょうか。
仏壇がなくても、供養をしていなくても、
遺影という故人の写真を見るときには、私はふっと故人を思うことができます。
心の中で声をかけることもあります。

それは、実は自分自身に語っていることなのかもしれません。
報告しながらも

がんばれ!
よしよし!

と。

現代人は、この日本独特の「遺影」に対して、
もう少し注目してもよいのではないでしょうか。
人と人とのつながりを大事にする、手を差し伸べる、助けを乞える社会のためにも。

いい遺影を遺そうとすることは、やさしい社会のためにもなるのかもしれません。