2011年11月5日

諦めなければ夢はかなう?

土曜日、日常の仕事もなく、ゆっくり過ごす朝。
朝日新聞土曜版の「be」は、私の楽しみの一つだ。
11月5日「be」読者とつくるページのテーマは「諦めなければ夢はかなう?」だった。
経済界やスポーツ界の成功者が、必ずと言っていいほど発する言葉である。
しかし、一般人にとってはどうだろう?

この言葉ほど、人によって受け方・捉え方の差が出る言葉はないに違いない。
例え同じ人であったとしても、その時のさまざまな状態によって、受け方が変わるのではないだろうか。

前回も書いたように、私は「何か新しいこともやりたい」という理由で、無謀にも、居心地がよく働きやすく好きだった会社を辞め、それまでの仕事も部分的に続けられるようにと、独立した。そして所謂「夢」探しを始め、あれこれ考えてきた。少し挑戦し、うまくかずに少しくじけて、軌道修正してまた挑戦し…を繰り返している。くじけるときはそれなりに凹むが、再び立ち上がるのは、会社員時代からの起き上がりこぼし気質、生来の鈍感と楽観主義のおかげかもしれない。「諦めない!」というほどの強いものでもないような気がする。
それでも、一人では悶々とするので、時々人に話してみたり、相談したりしながら思考錯誤を繰り返すわけだ。
ただ、この「夢」への思いは私だけのもので、いくら人に話したところで、その人は理解してくれたとしても、その思いに共感して共に走ることなどない。
だから、自分の考えや方向性に自信がなくなった時などは結構きつい。
けれども自分自身の発想の転換ができたり、新たな協力者ができたりすると、再び頑張ってみようと思う。

今以上に頑張ろうと思う時は「諦めなければ夢がかなう」ことを信じ、
もう止めてしまおうと思う時は「誰もがかなうわけじゃない」と思うのだ。

おもしろかったのは、「謂わば『夢圧力』ですね」と語ったコラムニストのオバタカズユキさんの言葉。
やりたいことがみつからない若者に対して、「『夢をもて』というメッセージが、若者に精神的負荷をかけ続けている面もある、と指摘する。」。
若者だけではない。「夢は?」と問われて、即答できる人など、果たしてどれくらいいるのだろう。誰もに対して、夢があるのが当たり前で、夢を追いかけて諦めずに頑張ること正しいことかのように語られるのも、少し不健全な社会な気がする。
どんな形であったとしても、自分に少しだけ負荷をかけ、それをクリアする方向に向かっているのであれば望ましいと捉えたいし、志や考え方みたいなものでもいい。それが「夢」であろうと、日々のことであろうとなんであろうと。そんなことで圧力なんて、残念だし、「どうせ・・・」と思うようにだけはしたくない。

さて「be」の、読者アンケートによれば、「諦めなければ夢はかなう?」の「はい」は54%、「いいえ」は46%。この数字、どうなんだろう?