私は本来、広告や販促、広報を中心としたコミュニケーション活動をお手伝いするのが主な仕事だが、昨年以来、多少出版物の企画や編集をお手伝いさせていただく機会に恵まれ、春から手がけていた書籍、「日本の食材帖」(主婦と生活社)が、このたび発行になった。まもなく書店店頭に並ぶだろう(Web上の書店では既に発売開始)。
それに合わせ、右の「最近の仕事2」欄でも紹介させていただいた。
私自身は、学生時代に栄養学を学んだことから料理番組の企画制作に加わったのが、広告業界への入口だった。その後、農林水産系の食材の普及啓蒙活動、日本型食生活の普及活動や地域活性化策にも関わるようになった。その経験が、今回多少役立ったとは思うが、何よりもこの種の分野で素晴らしい実績を上げている編集スタッフの方々とのご縁に恵まれ、ご指導いただいたことに心より感謝している。
出版業界は広告業界とは近い業界でありながら、伝えたいことの見せ方、訴え方が違う。できるだけ情報を絞って印象深く訴求する広告に対して、出版物は豊富な情報をしっかりと、しかもわかりやすく見せることが重要になる。世の中には教科書的な解説書は多々あるが、そういうものには普通の人が知りたい情報は意外に載っていない。本書では、理解を深める本でありながら教科書にはしない方向でスタートし、普通の人が知りたい情報を満遍なく掲載するよう配慮した。知識のつまみ食いをしながら全体像が把握できるお手軽本なので、どんな方にも喜んでいただける本としてできあがったと思う。
自分の仕事の成果として、最終的にできあがる「本」は、まるで自分の子どものようだ。その本が書店店頭に並び、多くの人の目に触れ、さらに購入してくださる読者がいるということは、本当に嬉しく、ありがたいことだ。これは、仕事をした者にとっては、広告と全く違う、出版の仕事の仕事の価値だと思う。
私は、かつて全国の過疎地域の活性化策をお手伝いしていたせいか、その根幹産業である農林水産業には、たぶん人並み以上の愛着がある。数多くの生産者の方々との接点もあったので、厳しい環境ではあるが、がんばってもらいたいと思ってきた。、国産食材を紹介する本書の編集・執筆作業は、当時お世話になった生産者や地方自治体の方々のお顔、そしてご苦労を思い出しながら進めることになった。本書の発行が、そういう方々のお役に立つようになれば、と願うばかりだ。
2009年9月18日
イメージづくりと演出
民主党政権がスタートした。
官僚のメモなしに夜中まで及ぶ就任会見や、新大臣が翌日から次々と各省庁に方針変更決定を伝えたり、指示・命令を出したりしているのが、トップニュースで報じられている。自民党政権時代の新閣僚がどんな動きをしていたかなど覚えていない国民にとっても、テレビでは今の映像とともに以前とどう違うかを克明に説明するので、是非はともかく「変わったんだな」と誰もが思うような展開が、今のところ進んでいる。
一方で、覚醒剤で逮捕された酒井法子が保釈されたのが、もうひとつのトップニュースだ。警察署を出てくるところからの映像が流れる。微笑む酒井法子の表情に、私はやや違和感を覚えたが、その後、深々と頭を下げるつむじのまわりが、生え際の黒い髪がしっかり伸びて、茶色く染めた髪との境い目がはっきりするのを見て、逃亡から拘留までが確かなことをまざまざと見せつけられた気がした。けれどもどんなにかボロボロになっているだろうと同情していた気持ちは、酒井法子がきれいにメイクし、黒の上下スーツの清楚な雰囲気を醸し出していることで、再び違和感になってしまうのだ。今日になって、記者会見で涙を流しても化粧が崩れないことや、保釈直前にヘアメイク担当者が警察署に入って行ったことなどが報じられた。保釈直後の微笑みもあって、意地悪な私は、「やっぱり女優は違う。本当に反省しているのかな。」と感じてしまったし、テレビでもそういう論調だった。
最初のイメージ作りは重要だ。
民主党は新体制発足直後から、次々と「変わった」感を見せている。新たな出発を見事に演出していると思う。多少稚拙であったとしても、「変えようと頑張っている」様子は好意的に受け取られやすい。共感も得やすいだろう。
一方で、酒井法子は生まれ変わった再出発を見せるべきこの段階で、事件発覚前の清楚な酒井法子が謝罪したように見えた。これは「変わっていない」ことを見せたことに他ならない。だから反省しているように見えにくく、酒井法子に対して同情していた人までもが裏切られた感=否定的なイメージを抱いてしまうのだ。もしここでノーメイクで出てきて、声も出せないほどに傷つき反省している(ように見える)映像が流れれば、「もう許してあげよう」という空気が出てきたかもしれないのだ。SMAPの草彅クンはこの形だったと思う。
すべてが演出、と考えるのは心地よいものではないが、最初のイメージ造成で、民主党は成功し、酒井法子は失敗したと、私は思う。
企業も商品も同じで、最初にどのようなイメージを作っていくか、どのように共感を得て行くかというのは重要だし、ここを間違えたりおろそかにしたりすると、次の1歩が難しくなっていくのだ。
とは言うものの、“イメージ作り”という視点からはこのように見てしまうけれど、それでもやはりイメージというものは、その心の中や本心というのが垣間見えて造成されるものであってほしい、と私は思う。
官僚のメモなしに夜中まで及ぶ就任会見や、新大臣が翌日から次々と各省庁に方針変更決定を伝えたり、指示・命令を出したりしているのが、トップニュースで報じられている。自民党政権時代の新閣僚がどんな動きをしていたかなど覚えていない国民にとっても、テレビでは今の映像とともに以前とどう違うかを克明に説明するので、是非はともかく「変わったんだな」と誰もが思うような展開が、今のところ進んでいる。
一方で、覚醒剤で逮捕された酒井法子が保釈されたのが、もうひとつのトップニュースだ。警察署を出てくるところからの映像が流れる。微笑む酒井法子の表情に、私はやや違和感を覚えたが、その後、深々と頭を下げるつむじのまわりが、生え際の黒い髪がしっかり伸びて、茶色く染めた髪との境い目がはっきりするのを見て、逃亡から拘留までが確かなことをまざまざと見せつけられた気がした。けれどもどんなにかボロボロになっているだろうと同情していた気持ちは、酒井法子がきれいにメイクし、黒の上下スーツの清楚な雰囲気を醸し出していることで、再び違和感になってしまうのだ。今日になって、記者会見で涙を流しても化粧が崩れないことや、保釈直前にヘアメイク担当者が警察署に入って行ったことなどが報じられた。保釈直後の微笑みもあって、意地悪な私は、「やっぱり女優は違う。本当に反省しているのかな。」と感じてしまったし、テレビでもそういう論調だった。
最初のイメージ作りは重要だ。
民主党は新体制発足直後から、次々と「変わった」感を見せている。新たな出発を見事に演出していると思う。多少稚拙であったとしても、「変えようと頑張っている」様子は好意的に受け取られやすい。共感も得やすいだろう。
一方で、酒井法子は生まれ変わった再出発を見せるべきこの段階で、事件発覚前の清楚な酒井法子が謝罪したように見えた。これは「変わっていない」ことを見せたことに他ならない。だから反省しているように見えにくく、酒井法子に対して同情していた人までもが裏切られた感=否定的なイメージを抱いてしまうのだ。もしここでノーメイクで出てきて、声も出せないほどに傷つき反省している(ように見える)映像が流れれば、「もう許してあげよう」という空気が出てきたかもしれないのだ。SMAPの草彅クンはこの形だったと思う。
すべてが演出、と考えるのは心地よいものではないが、最初のイメージ造成で、民主党は成功し、酒井法子は失敗したと、私は思う。
企業も商品も同じで、最初にどのようなイメージを作っていくか、どのように共感を得て行くかというのは重要だし、ここを間違えたりおろそかにしたりすると、次の1歩が難しくなっていくのだ。
とは言うものの、“イメージ作り”という視点からはこのように見てしまうけれど、それでもやはりイメージというものは、その心の中や本心というのが垣間見えて造成されるものであってほしい、と私は思う。
2009年9月15日
値上げ交渉から値下げ交渉
現在、ファッション関係クライアントに対して、冬のボーナス商戦に向けてのテレビスポット投下キャンペーンの提案準備を進行中だ。
テレビの広告効果が年々落ちていることは、このブログでもたびたび書いてきたが、それでもプロモーション手法の一つとして、そのクライアントがテレビを一切使用しないことは非現実的だ。たとえ効果が薄れているとはいえ、それでも確実にテレビ効果はあるので、無視はできない。どこのクライアントにとっても費用対効果が重要なわけで、広告予算としてテレビが高額だから問題になるのだ。たとえ高額でもそれに見合った効果があればいいわけだが、この効果に対しては高額すぎる、となるからテレビの広告効果が落ちてきていると言われるのだ。
昨年のリーマンショック以来、どこの会社でもコスト削減を行う中で、高額なテレビ広告はその削減対象になってきた。車業界、家電業界が大幅にテレビ広告を減らしたのは、日々テレビを見ていれば誰の目にも明らかだ。
民放テレビ局は、広告費を収入の柱とした事業スキームであるだけに、広告主のテレビ広告予算削減は死活問題だ。つい数年前には、テレビ広告を実施したくても枠がなく実施できなかった時期があったことなど、今や信じられないくらいだ。当時はCMを打つための枠取り合戦だったのが、今や需要供給バランスに各局の獲得戦争が加わり、どんどん値崩れを起こしているのだ。
クライアント側は費用対効果から、当然のことながら少しでも安く抑えたいというニーズがあるわけで、料金交渉は熾烈なものになってきた。2009年になって以降、テレビスポット投下コストの交渉は、毎回値下げ交渉。かつてテレビスポットのコストは実績重視で、毎年テレビ局から値上げ要請が出てきた。こちら側としてもクライアントにその値上げ経緯や理由を説明し、クライアントに納得してもらうための交渉をしなくてはならなかった。そのことを思うと、時代の移り変わりを痛感する。需要供給バランスと競争原理の中で、クライアントの要求が厳しいのは当然だし、クライアントに提案するこちら側としては、値下げ交渉のみならず、サービス付加まで交渉(要求)することになる。こちら側にとっては、クライアントのために動いているわけだから喜ばしいことであるのは間違いない。しかし毎回毎回このような交渉をしながら、テレビ業界のことを思うと、今後どこまで値下げ交渉が可能になっていくんだろう、と空恐ろしくもなる。
今後、景気が上向き、テレビ広告の需要供給バランスがまた変わったときには、テレビ局から値上げ要請される日が来るかもしれない。しかし、クライアント側の考える費用対効果のバランスに見合うだろうか? かつてのようなレベルの値上げは、もはや承服できなくなるだろう。この1年でそれを十分に検証してきたわけだから。その時、テレビ業界の事業スキームはどのように変わっているのだろうか。
テレビの広告効果が年々落ちていることは、このブログでもたびたび書いてきたが、それでもプロモーション手法の一つとして、そのクライアントがテレビを一切使用しないことは非現実的だ。たとえ効果が薄れているとはいえ、それでも確実にテレビ効果はあるので、無視はできない。どこのクライアントにとっても費用対効果が重要なわけで、広告予算としてテレビが高額だから問題になるのだ。たとえ高額でもそれに見合った効果があればいいわけだが、この効果に対しては高額すぎる、となるからテレビの広告効果が落ちてきていると言われるのだ。
昨年のリーマンショック以来、どこの会社でもコスト削減を行う中で、高額なテレビ広告はその削減対象になってきた。車業界、家電業界が大幅にテレビ広告を減らしたのは、日々テレビを見ていれば誰の目にも明らかだ。
民放テレビ局は、広告費を収入の柱とした事業スキームであるだけに、広告主のテレビ広告予算削減は死活問題だ。つい数年前には、テレビ広告を実施したくても枠がなく実施できなかった時期があったことなど、今や信じられないくらいだ。当時はCMを打つための枠取り合戦だったのが、今や需要供給バランスに各局の獲得戦争が加わり、どんどん値崩れを起こしているのだ。
クライアント側は費用対効果から、当然のことながら少しでも安く抑えたいというニーズがあるわけで、料金交渉は熾烈なものになってきた。2009年になって以降、テレビスポット投下コストの交渉は、毎回値下げ交渉。かつてテレビスポットのコストは実績重視で、毎年テレビ局から値上げ要請が出てきた。こちら側としてもクライアントにその値上げ経緯や理由を説明し、クライアントに納得してもらうための交渉をしなくてはならなかった。そのことを思うと、時代の移り変わりを痛感する。需要供給バランスと競争原理の中で、クライアントの要求が厳しいのは当然だし、クライアントに提案するこちら側としては、値下げ交渉のみならず、サービス付加まで交渉(要求)することになる。こちら側にとっては、クライアントのために動いているわけだから喜ばしいことであるのは間違いない。しかし毎回毎回このような交渉をしながら、テレビ業界のことを思うと、今後どこまで値下げ交渉が可能になっていくんだろう、と空恐ろしくもなる。
今後、景気が上向き、テレビ広告の需要供給バランスがまた変わったときには、テレビ局から値上げ要請される日が来るかもしれない。しかし、クライアント側の考える費用対効果のバランスに見合うだろうか? かつてのようなレベルの値上げは、もはや承服できなくなるだろう。この1年でそれを十分に検証してきたわけだから。その時、テレビ業界の事業スキームはどのように変わっているのだろうか。
2009年8月31日
行動を起こすもとはなに?
新型インフルエンザの流行が始まっている。
我が家では、夫の会社でインフルエンザ患者が出たそうだ。夫にとっては日々一緒に仕事をしていた同僚だったため、言わば夫は濃厚接触者だ。それが発覚したと同時に、夫は「そう言えばのどが痛い。鼻がグズグズする。」と言いだし、その日から寝室を別にした生活が始まった。
そういう中、夏休み最後の日とも言うべき今日、朝のラッシュが終わった午前中に電車に乗ったところ、中学生らしき6人の少女のグループに遭遇した。彼女たちは、これから遊園地に遊びに行くような会話で盛りあがっていた。皆はちきれそうに元気だったが、驚くことに全員がマスクをしていた。車内はすべての席が埋まり、吊皮が半分くらい埋まる程度の混雑だ。乗客は、仕事中と思しき男性が約4割、あとは老若男女が入りまじるような構成だったが、見まわす中で彼女たち以外でマスクをしているのは30代男性のたった一人だった。
ブラジルの豚インフルエンザが発見され、薬局のマスクが売り切れ、水際作戦で成田が厳戒態勢になったのは今年の4月。当時、街なかではマスク姿を多く見かけたものだ。その頃、アメリカ人の知り合いからは「日本人は、まるで国民全員が医療関係者のようにマスクをしていておかしい」と笑われたりもした。そして今、日本国内で亡くなられた方が出始め、これだけインフルエンザ流行がニュースで言われているにもかかわらず、外でマスクをしている人をあまり見ることはない。
元気なのにマスクをするということは、インフルエンザへの予防意識のあらわれだが、今日の電車で見る限り、、中学生にとってはインフルエンザの予防意識が非常に高いことは明らかだ。 いっぽう一般はインフルエンザに対する予防意識は極めて希薄だと言える。この予防意識の結果が「マスクをする」という行動に走らせるわけだが、人を行動させる(今回の例なら「マスクをする」という行動)きっかけとはいったい何なんだろう。
我が家では、夫の会社でインフルエンザ患者が出たそうだ。夫にとっては日々一緒に仕事をしていた同僚だったため、言わば夫は濃厚接触者だ。それが発覚したと同時に、夫は「そう言えばのどが痛い。鼻がグズグズする。」と言いだし、その日から寝室を別にした生活が始まった。
そういう中、夏休み最後の日とも言うべき今日、朝のラッシュが終わった午前中に電車に乗ったところ、中学生らしき6人の少女のグループに遭遇した。彼女たちは、これから遊園地に遊びに行くような会話で盛りあがっていた。皆はちきれそうに元気だったが、驚くことに全員がマスクをしていた。車内はすべての席が埋まり、吊皮が半分くらい埋まる程度の混雑だ。乗客は、仕事中と思しき男性が約4割、あとは老若男女が入りまじるような構成だったが、見まわす中で彼女たち以外でマスクをしているのは30代男性のたった一人だった。
ブラジルの豚インフルエンザが発見され、薬局のマスクが売り切れ、水際作戦で成田が厳戒態勢になったのは今年の4月。当時、街なかではマスク姿を多く見かけたものだ。その頃、アメリカ人の知り合いからは「日本人は、まるで国民全員が医療関係者のようにマスクをしていておかしい」と笑われたりもした。そして今、日本国内で亡くなられた方が出始め、これだけインフルエンザ流行がニュースで言われているにもかかわらず、外でマスクをしている人をあまり見ることはない。
元気なのにマスクをするということは、インフルエンザへの予防意識のあらわれだが、今日の電車で見る限り、、中学生にとってはインフルエンザの予防意識が非常に高いことは明らかだ。 いっぽう一般はインフルエンザに対する予防意識は極めて希薄だと言える。この予防意識の結果が「マスクをする」という行動に走らせるわけだが、人を行動させる(今回の例なら「マスクをする」という行動)きっかけとはいったい何なんだろう。
2009年8月27日
自分とは違う世代を見る目
「マスクをする」という人の行動に興味津々でいたら、なんと自分が風邪をひいてしまった。こういう時期なので新型インフルエンザを心配し、医者にシロと判定してもらった上で、電車に乗った。もちろんマスクをして。しかし、コホンと咳をした瞬間、隣りに座っていた人が席を立った。周りにいた人も離れて行った。
マスクをする、という行動が伴わないとしても、やはりインフルエンザに対して、人々は敏感なようだ。
さて、ある会社の新規事業立ち上げ検討ミーティングに参加する機会があり、出席してきた。
それは、この4月に入社したばかりの新入社員を中心にしたメンバー構成で、新しい視点を入れながら、新人研修の一環にも位置付けられていた。
その検討に向けてのヒントになる話をしてほしいとのオファーがあったので、このブログでも紹介した嗜好の変化の話や思い出マーケティングなど、30分間話をしてきた。
実は私が話をする前に、新卒新入社員を中心とするメンバーがミーティングするのを私は横で聞いていた。私が興味深かったのは、その20代前半の男女が、新規事業のターゲットを探るにあたって、団塊世代やアラフォーの意識やプライド、生活態度など、インサイなど、検討していた内容だった。これから始めようとしている事業とターゲットとの接点を探る作業だ。
20代が想像する団塊世代や40歳前後の心のうち。それは「まさしく!」とうなってしまうようなことから、笑ってしまうようなことまでいろいろ出てきた。聞いているだけではもったいないくらい、私から質問したいことはたくさんあったが、時間がなくお預け。その発想はどこからきたのか、なぜそう思ったのか、などにとくに興味がわいた。彼(女)らはついこの前まで学生だったわけで、社会経験は浅い。当然のことながら団塊世代やアラフォーとの接点は薄い。
中にはありえないだろう?!と思うような想像までしていた。経験不足から出てくるであろう間違いならわかるものの、そうでないものに関しては、若者からそんな風に思われている団塊世代、ということ自体が面白く意外で、少し哀しくもある。
マスクをする、という行動が伴わないとしても、やはりインフルエンザに対して、人々は敏感なようだ。
さて、ある会社の新規事業立ち上げ検討ミーティングに参加する機会があり、出席してきた。
それは、この4月に入社したばかりの新入社員を中心にしたメンバー構成で、新しい視点を入れながら、新人研修の一環にも位置付けられていた。
その検討に向けてのヒントになる話をしてほしいとのオファーがあったので、このブログでも紹介した嗜好の変化の話や思い出マーケティングなど、30分間話をしてきた。
実は私が話をする前に、新卒新入社員を中心とするメンバーがミーティングするのを私は横で聞いていた。私が興味深かったのは、その20代前半の男女が、新規事業のターゲットを探るにあたって、団塊世代やアラフォーの意識やプライド、生活態度など、インサイなど、検討していた内容だった。これから始めようとしている事業とターゲットとの接点を探る作業だ。
20代が想像する団塊世代や40歳前後の心のうち。それは「まさしく!」とうなってしまうようなことから、笑ってしまうようなことまでいろいろ出てきた。聞いているだけではもったいないくらい、私から質問したいことはたくさんあったが、時間がなくお預け。その発想はどこからきたのか、なぜそう思ったのか、などにとくに興味がわいた。彼(女)らはついこの前まで学生だったわけで、社会経験は浅い。当然のことながら団塊世代やアラフォーとの接点は薄い。
中にはありえないだろう?!と思うような想像までしていた。経験不足から出てくるであろう間違いならわかるものの、そうでないものに関しては、若者からそんな風に思われている団塊世代、ということ自体が面白く意外で、少し哀しくもある。
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