2015年5月30日

50歳以上のあなた、ファッションに興味ありますか?

Q)ファッションに興味ありますか?

テレビで見た街頭インタビューの一コマ。
対象は50代以上の男性だ。

60代男性〉
昔はね。でも今はもう・・・
40年くらい前はバキーパンタロンとか、マンボとか・・・。
あ!スカジャンとかもね。気張ってたよね〜(苦笑)

<50代男性>
どうせこのカラダだから何着たって似合わないでしょう?

<70代男性>
ええ? そんなのもう・・・
何着たらいいかわからないからテキトーだよ、テキトー。

オジサンだけじゃない。

着たい服を探しに行っても、体型が変わって自分のサイズに合う服がない。
買物に行くこと自体がつまらなくなる。
スーパーで売ってる服しか、体に合わなくなってしまい、オシャレする気になれない。

テレビの街頭インタビューに限らず、私の周囲の同世代女性からも、しばしばそう言う声を聞く。
私自身も例外じゃない。


だけどそういう声が多かったなか、テレビの街頭インタビューでひときわ目立っていたオシャレな男性は次のように答えていた。

そりゃ気にしますよ。
年とってくるとたるんでくるから隠したり工夫したりね・・・
大事な関心事だね。

この方、81歳だったが、とてもそんな年には見えなかった。


加齢で多少残念なことはあるけど、
本当はみんなオシャレしたいのに諦めちゃってるだけ。
実はオシャレさんなのに・・・・
内心興味あるのに、興味ないと自分に言い訳してるだけ・・・。

81歳の男性が教えてくれた。
素直にオシャレに関心があると言えるから、この人、オシャレなんだ。

本当は興味があるのに、興味がないと思いこんだり諦めちゃうのはもったいない。
それはファッションだけじゃない。
いろんなことに対して、自分に言い訳するのがどんどん上手になっているような気がする。


だけど、自分自身も、年齢を重ねていく中で言い訳しながら開き直っていくような、
ある種残念な気持ちを突きつけられるような感覚を抱いた。


どこか、そんなものかと思い込んでる。
81歳のオシャレさんのコメントに、つい私が驚いてしまうなんてことも、我ながら大問題!
本人だけでなく周りに、「オシャレは若い人のもの」という思い込みがあるのも
かなり残念な話だ。
そんなもんだと思い込んでいるから、オシャレができない。
オシャレなものが見つけにくいのだ。

それにしても、アパレルメーカーさんは大きな機会ロスをしている。
内心ンオシャレしたい気持ちをもっと知ってほしいし、
カラダに会う服を用意してほしいし、オシャレしたくなる服をもっとわかりやすく見つかるようにしてくれればいいのにね。

2015年5月26日

出世すると残りの人生が大変・・・偉くならない方がいい理由

今の若い人は、仕事とプライベートをきっちり分け、
職場での飲み会にも昔に比べてあまり行かないと聞く。
ということは、会社の中で「出世」することなんかに対して、
興味がないのかもしれない。

当時から「出世したい」などと声高らかに言う人はあまりいなかったけれど、
それでもみんな密かに出世を望んでいる空気はあったように思う。
やっぱりサラリーマンは偉くなってナンボなんじゃないかなあと、
私も漠然と思っていたように思う。

でも、出世の結果が明らかに見える年齢になった今、
周りを見渡してふと思うことがある。

なんでみんな出世したかったんだろう? 
どうして偉くなりたかったんだろう?
偉くなった人は、それでよかったと、心から満足しているのだろうか。


偉くならなかった方が、ずっと楽しく働けるって!

今、趣味やコミュニティ活動などを活発にやるだけでなく、
ても楽しそうに仕事をしているT.Oさん。今、65歳だ。

偉い人は、使う方も使いにくいでしょ?
使う方は気楽に使いたいじゃない?
働く方は、定年後なら小さい会社でもいい、
好きなことをさせてさえもらえれば働くだけで楽しい。
1人社長より上場会社の部長クラスの方よっぽど優秀なことも多いのに、
なまじ偉くなったせいでリタイアして他で働けなくなってくすぶっているのは残念だよね〜

そういうT.Oさんはも、昔は偉くなりたかったのだそうだ。
現役のときは休日出勤たり、残業したりして人並み以上に頑張って来られたそうだ。
でも、もしももう少し出世して子会社の社長にまでなっていたら・・・・
今のようには働けなかっただろうと笑う。
もしそうなっていれば、きっと残りの人生が大変だろう、と。

今、考えてみると、会社は人使いが上手いな!

T.Oさんは苦笑する。
上に行けば行くほど権限はある、給料は上がる、待遇か良くなる。
例えば新幹線はグリーン、飛行機はファーストクラス、送迎の車・・・
こうやって見せつけられるから、当然のようにみんな上を目指す。
会社は管理職と言うニンジンをぶら下げて働かせる仕組み・・・

T.Oさんの場合、一部上場会社の部長まで昇ったけれど、
子会社へ出向したことで考えが変わったそうだ。
その出向先で若い上司に仕える業を修得し、
結果的に長く雇ってもらえるようになったのだ。
おかげで今、仕事で全国~世界を飛び回り、
仕事をしながら、合わせて趣味を楽しみ倒している。

休日出勤し、残業し、出世することを目標に、
モーレツ社員と言われながら会社のために頑張ってきた人の中には
今、家の中にひきこもりになり、毎日やることがないという人が多いと言う。

それはオジサンだけだと思ったら大間違いだ。
あと10年もすれば、キャリアウーマンともてはやされ、
働き続けて定年を卒業した女性たちもどんどん放出される。他人事じゃない。

私自身も、会社員だった頃には
「いざとなれば、ファーストフード店でスマイル0円って言って働くもん!」
などと言っていたけれど、会社員でなくなった今、本当にそれができるかどうかは
甚だ疑問である。
長年の経験、というプライドにしがみついているかもしれない。
そうなれば使う方も、オジサン化した私を使いにくいはずだ。

誰もがT.Oさんのようになれるわけじゃないけれど、
楽しく長く働き続けるためには、偉くならないほうがよさそうだ(笑)。
T.Oさんの実感ある言葉の意味が、私は今、少しわかるような年齢になってきた。


 6月10日 生きざまと顔の関係 自分の顔について考える。
   体験参加受付中 

2015年5月21日

離れて暮らす年老いた親・・・それは「突然の出来事」だ。

実家を離れて東京で仕事してかなりの時間が経つ。
今まで自分のことだけ考え、好きなようにやってきたけど、
いつのまにか親が随分老いてきた。。。。

私が生き方やエンディングノートに関わるようになって、こういう話を聞く機会が増えてきた。

高齢化社会についての報道が多いから、
親のことは頭の片隅にはあるけれど、まだまだ、もう少し・・・、
いずれは向き合わねば、等々思いながら、
まだ問題にはなっていないから、そこまで真剣には考えていない。

高齢の親がだんだん弱ってくる・・・・。
離れているから心配だけど、まだまだ元気だし、自分も忙しいし、
自分の生活、リズムもあるし・・・

そんな時にある日突然、親の健康状態で事態が動くと、
どうしたらいいかわからなくなるのだ。



何から考えたらいいかわからない。
自分が仕事を辞めなくてはならないだろうか。
自分の今の生活はどうなるのだろうか。

いろんな不安が渦巻いているのがわかる。

特にご自身は都会で仕事をし、老親が離れた郷里で暮らしている場合、
シングルの人は自分がやらねば、という思いを抱える人も多く、
切羽詰まったように見える。

何もできずにいる人たちから直接声をかけられたり、
そういう人を見かねて、知り合いが私に声をかけてきたりする。

どこの家にも、出てきそうな話だ。
私自身も、似たような状況が過去もあったし、今も進行中だ。

これが経験者だったら、ある程度知識もあるし、それをもとにどこから手をつけたらいいかを考えていく。
だけど未経験者だと、どんな支援体制があるのか、どこに聞けば分かるのか、を知らず、問題の本質がどこにあるかもわからないままに、自分自身の将来不安と重なって呆然となってしまうように見受けられる。

私の場合は、似たような経験をしている人をあちこち探してそれぞれに話を聞きながら、一つ一つ新しい知識を仕入れた。
それを自分の問題に照らし合わせながら、解決策を探っていった。
今も進行中だ。

周りを見回すと、経験者と未経験者とでは、事態が起きたときの心構えや対応が全然違うのがよくわかる。
また、情報や知識がある人とない人とでは、対応力や落ち着き度合が全然違う。

老親も、どんな病気なのか、どういう介護が必要なのか等、
状況はいろいろだろうが、ネットではいろいろな情報が溢れていて、
自分にフィットする情報にはなかなか辿り着けないことが多い。

しかも未経験者で知識がない人の場合には、まず気持ちがイッパイイッパイ。
「どうしよう、どうしよう、」が心から溢れているから、
益々、当事者にとって本当に必要な情報、適切な情報に辿り着けないのである。

本来、こういう状況はじわじわとやってくることが多いのだが、
今の時代は、家族(老親)と一緒に暮らしている人が少ないから、
子どもから見ると、「突然の出来事」になりがちだ。

心の準備がない。
情報や知識がない。
しかも最近の親がどんなふうに暮らしているのか、どんなふうに考えているのか、を想像以上に知らないのである。
だから大変なのだ。

お医者さんにはどこにどれくらいの頻度で行っているのか?
朝、何を食べているのか。
誰と仲がよいのか、誰とどこに出かけるのか。
何をしている時間が楽しいのか。
苦痛なのはどういうことなのか。
等々・・・

当たり前にに知り得た情報が、一緒に暮らしていないとわからない。
昔、元気だった頃の記憶やイメージしかない。
意外に変化しているものだけど、今でもそうだと思い込みがちだ。

行政の支援体制、民間の支援体制の情報を知ることは大前提ではあるけれど、
それに加えて、暮らしぶりを知っていると、「突然の出来事」への対応力がさらに上がるように思う。

そういうことまで整理する上で、エンディングノートは便利である。
とは言え、エンディングノートを持っている人でも、
実際に書いている人はわずか2%と言われる。

親に書いてもらうのではなく、一緒に書く。
あるいは、子どもの方がエンディングノートを参考にしながら、親に話を聞く。
~そんな風にエンディングノートを使えるとよいと思う。



 6月10日 生きざまと顔の関係 自分の顔について考える。
   体験参加受付中

 5月18日 人生の地図を描く(マンダラエンディングノートを使って)
   マンダラエンディングノート開発者をお招きしたワークショップ
   終了しました。

2015年5月20日

年齢のことを気にしてる人、自分のことをもう歳だと思っているあなたへ

女性、36歳、
わたしは女にとってなかなか難しい年頃なのですが、
これから先、素敵な歳の重ね方をして
楽しくきれいに生きていきたいと思っています。

村上さんのところ」より

なんじゃ~?!
36歳でなかなか難しい年頃だって?!

これは、村上春樹さんが読者からの質問を受け付け、
それに回答するというサイトで見つけた質問である。
※新潮社(の人)の運営サイトで、5月13日に質問内容公開終了済み。


若者が何を言ってるんだよ~?と言いたくなるけど、
こういう記事に私が反応するのも、
私自身が「年齢なんか気にしない。」と言いながら、結構気にしている証しなんだろう。

ふと考えてみると、私も36歳の頃は、当時の自分の年を
微妙な年頃だと思っていたような気がする・・・・

でも50代になった今、私は50代を微妙な年頃だと思う。

きっと80歳になれば80歳を微妙な年頃だと思うんだろう。
そう、いつだって微妙なお年頃。
後から思えば、なんじゃ~!って感じであったとしても。

だから、
いつだって今が大事なの!

いつだって「」は、「取り返しがつかない」時間。

そういうこと、日々の忙しさにまみれていたり、
なんとなくふわって生きていると、すぐに忘れちゃうんですよね。

人生とは、生まれてから死ぬまでの時間。
その間に「今」があるわけだけど、
「今」が積み重なっていくのが人生とも言えるわけです。

可愛い盛りの子どもを見て
「今だけよね~、こういうのって・・・」と言う言葉、
よく聞かれるけれど、いやいや、子どもだけじゃないよ。

子どもだって大人だって、
30代だって、50代だって、80代だって、「今」は「今だけ」。

そんな風に思うと、何やってるのよ、私!って思う。
自分に喝を入れられる。
人生を考えることは、「今」を大事にできるのだ。

だから微妙なお年頃なんて、今の年齢を気にしても仕方がない。
なぜならどんな年齢だろうと微妙なお年頃なのだから。
年齢を気にし過ぎず、今を大切に生きていけば、
いくつになっても、きっと素敵に生きていける。


・・・・・・・・・・・・
むむ?この記事、読んだことあるけど・・・そう思う方もいらっしゃるだろう。
そう、実は10日前に公開した記事のリメイク版。
改めて有名ブロガーかさこさんの添削を受けて書き直した原稿だ。

その添削と詳細アドバイスがこちらで↓公開されています。
「ブログ文章を生き返らせる!
 ブログ文章添削講座:余計な情報はバッサリ切れ!」
http://kasakoblog.exblog.jp/23132378/

これを受けて、さらに私自身がタイトル、本文に手を加えてみたのが
今日の記事でした。
ポイントはテーマに沿って主題以外の部分はバッサリ切ること。
書く本人は、つい欲張ってあれもこれもと言いたくなるもの。

言いたいことは何?
的を絞って!

これは、人には言えても自分に対してはおざなりになって気づきにくいもの。
公開添削はちょっと恥ずかしいけれど、
他からどのように見えるのかという視点を知る上で、かさこさんのアドバイスは有意義だった。

生きざまを生かしたブランディングのお手伝いをしている私でありながら、
自分のことは自分では見えにくくなる。難しい。
自分を客観的に見直してみたくて、去年入ったのが、4回完結のかさこ塾だった。

日々思うことをなんとなく書いていたブログではあったが、
読む側から見てどうなんだろう?・・・そう思って添削をお願いしてみたところ、
率直なアドバイスをいただいた次第。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

2015年5月18日

ブランディングとエンディングが、とても近いと思う理由

私がテーマにしているのは、ブランディングとエンディング(終活)。

いろんな場所で、いろんな人に、しばしば聞かれることがある。

元々広告業界なのに、なぜ関係のない終活に関わるようになったの?

広告の仕事から「人の生き死に」に変わったきっかけは何?



どうやら他の人から見れば全然違うことに見えるようだが、
私にとっては、とても近いテーマだ。

一般的には一見全然違うものと思われているかもしれないが、
今の時代は、人の生き方そのものがブランディングに大きな影響を与えていると思うから。

会社、商品、人、をどうブランディングしていくか、を考えるとときに
会社のトップや会社にいる人たち、商品を作った人、商品を売っている人が
どう生きてきたのか、どう生きたいと思っているのか、が
垣間見えるようなブランドが今、求められる時代だと思う。

一方、エンディング(終活)はどう生きるかと表裏一体である。
どうもメディアでは、葬儀や墓の「無駄」を省くことや相続ばかりがクローズアップ
され、「死に方を考えること」=「終活」と見えがちなのは実に残念。

人生が後半戦に入ったからこそ、これからの生き方をどうするかを考えていく。
それこそが本来の終活だ。
どんなお葬式をしたいかは、あとの話である。
どのように生きたか、という結果の一つの形が葬儀ではないかと私は思うのである。


これまでどんな人生を送ってきたか、これからどんな人生を送りたいか。
ブランドにはそういうものが込められていてこそ、顧客の心に届くものだと思うのである。
そういうブランディングができるのは、
やはりある程度の年齢を超えた人ならでは、と思うのだがいかがだろうか。

そんなわけで、私の目から見ると、ブランディングとエンディング(終活)はとても近いテーマなのである。

エンディングノートは、まさに自分の人生ノートそのものだ。

人生折り返し点を超えたかな、と思ったらエンディングノートを開いてみる。
書かなくてもいいから見てみる。
気が向けば書き始めてみる。
無理に書かなくたっていいから。
眺めてみるだけでいい。

あなたは自分が何歳くらいまで生きていると思っていますか?
あなたは今、その年齢の半分を超えましたか?

もしも超えているのなら、今までの人生でいろいろなことが積み上がっているはず。
だからエンディングノートを見てみることをオススメしたい。
書かなくたっていいから。
見るだけでいいから。

ましてや生きかたを反映したブランディングを考えたい人には、益々オススメだ。






 5月18日 人生の地図を描く(マンダラエンディングノートを使って)
   マンダラエンディングノート開発者をお招きしたワークショップ
   満席でしたがキャンセルが出ました。体験参加ご希望の方はお問い合わせください。

 6月10日 生きざまと顔の関係 自分の顔について考える。