2015年7月31日

年を重ねてわかること、若い時に思っていたこと

メガネをかけたり外したり

現金を引き出すために銀行のATMに行ったら、男性がタッチパネル画面と手元の書類を頻繁に見比べながら、メガネをかけたり外したりしていた。
銀行に限らず、しばしば見かける風景である。

手元を見る時、やや離れたところを見る時、だいぶ離れたところを見る時、焦点が合わず見にくくなるから、メガネをかけたり外したり・・・・・


俗に言う「老眼」のためだ。

そういう光景を見るたびに思い出すことがある。
50~60歳前後の女性を対象にした商品の広告関係の仕事をしていた時のことだ。

この文字、読みにくくないか・・・

それは真摯に作っているいい商品で、
パッケージや説明書類、案内パンフレット等々、高級感、上質感、品位・品性を大事にしていた。
華美になりがちなものも抑えて抑えて。
色、レイアウト、書体は、あくまでも品よく、綺麗でいいものを作っていた。

だけど・・・この文字、小さくないか、老眼のお客さまに読みにくくないか・・・。
気になった。

文字の大きさとデザイン

キャッチフレーズ、小見出し、本文、注釈等々、
文字にはいろんなサイズの文字がある。
その強弱がきちんとついていること。それはデザインに大きく関係することだった。

小さい文字を大きくすると、全体のおさまりが悪くなる。
文字の強弱が少し曖昧になる。結果、言いたいことの優先順位がわかりにくくなる。

デザイナーに相談すると、

新聞、雑誌、パンフレット・・・それらは、さあ読もうと思って読むもののはずです。
そういうとき、老眼の人はメガネをかけるでしょう?
文字を大きくしたら、デザインが崩れてしまう。
しかもわかりにくくなっては意味がないでしょう?
だからこのままでいいと思いますよ。
さあ読もうと思って読むものについては、そういう心配はありませんよ。

なるほど、そうか。
私も納得し、部分的には多少文字を大きくしたものの、
上質感、デザイン性とわかりやすさを優先させた。

想像していたことが現実になると

私自身は子どもの頃から目がよくて、遠くのものがとてもよく見えた。
学校の黒板、車に乗ればずっと遠くの標識、遠くの方にいる人の顔・・・なんでもよく見えたので、目の悪い人の気持ちがあまりよくわからなかった。

だけど、今、バリバリの老眼で苦労している。
見えないということがいかに大きいストレスを生むのかがよくわかる。
近眼と違って手元が見えない老眼の場合、ふと手元を見るとそのままでは見えないのだ。
手元で見るものというのは、細かいものが多い。
料理中の手元や使用する食品のパッケージだったり、届いた郵便物だったり、スマホやガラケーの画面だったり、識別したいものだったり・・・
それらは、「さあ読もうと思って読む」ものではない。

家で家事をしているとき、私はメガネをかけていない。
さあ読もうと思っていない時に目にすると、読みづらいから読まないのだ。
かつて、テレビを見ながらなどちょっとした時間の合間にも目を通すことができたはずの新聞・雑誌などの読み物は、もはや、さあ読もうと思った時しか読まなくなる。
バタバタと忙しくしているとき、「さあ読もう」という時間をとるのはなかなか難しい。

さあ読もうと思って読むときはメガネをかけるはず

間違いではないけれど、いざその立場になってみると、微妙に違った。
綺麗な仕上がりは大事なことの一つではあったけれど、
それ以前に情報を伝えるというコミュニケーション機会を失っていたことになる。

想像とリアルは確実に違う

お客様はきっとこういうところが不自由だろう・・・
こういう風に行動するだろう・・・

私たちはいろいろなことを想像し、思いをめぐらす。
企業もきっとそうやって商品を開発したり、企画したりしていることだろう。

しかし所詮想像だ。

私自身が想像していた40代50代と、実際に40代になり、50代になってみて思う感覚は全然違う。
50代に突入しても、心の中は大学生の頃とあまり変わっていない気がする自分がいる。
だけど、私がイメージしていた50代はもっともっと「オバサン」だと思っていた。
自分の年齢を口に出し、自分でびっくりしてしまうねと同級生と笑いあったことがある。

そうは言っても体型が変わり、体力が衰えているのも事実。
そうなってみて初めて、今あるこれがもっとこうなっていればいいのに、
こういうモノがあればいいのに、と思うことが多いこと多いこと・・・。
ファッション、化粧品、雑貨、食べもの、飲食店、靴、街・・・・
若い頃に欲しかったもの、欲しかったこととは確実に違う。

リアルな声、もっと生かされれば

60代、70代、80代のことも、私が今想像している様子とはきっと全然違うんだろう。
きっとこうだろう、という想像をもとに作られたものでは、どこか中途半端なんじゃないかな。
今、シニア世代に売れていると言われているものだって、本当に満足しているとは限らない。
それしかないから選んでいることだってあるだろう。

リアルな声が生かされたモノづくりの必要性を感じる。
高齢者というと介護問題がクローズアップされがちだけど、実際は元気な高齢者の方が多い(年代にもよるが)。。
高齢化がどんどん進む今の時代だからこそ、60代、70代、80代、それ以上のリアルな声が生かされるモノづくりがされるといい。

60代、70代、80代、それ以上の人たち自身が、実際の商品開発に多少でも関われたら・・・
元気な高齢者が心から満足できる商品がたくさんあれば、
今よりももっと楽しい60代、70代、80代、それ以上になるように思えてならない。


2015年7月28日

「若く見えるより魅力的に見えたいの」Over60のNYマダム達から教わること


若く見えるより魅力的に見えたいの

Over60のマダム達にスポットを当てたドキュメンタリー映画に出ていた一人の女性が語った。
映画、「アドバンスト・スタイル~そのファッションが人生~」の一コマだ。


新聞に掲載された広告

実はこの映画、
写真集発売と合わせて開催された写真展に出かけたときに知った。
私はファッションにはとんと疎いのだけれど、
写真展でたくさんのOver60のマダム達を見て、お洒落をしたくなった。
ワクワクしちゃう、楽しくなっちゃう・・・
そんな気がした。
たぶん、写真展にいた私は、一人だったけど笑っていたと思う。

写真集は、
Advanced Style--ニューヨークで見つけた上級者のおしゃれスナップ


映画では、そのなかの7人が紹介されていた。
これを着ればモテる、みんなから浮かないのはコレ、できる女に見せるには、
・・・・そんな小手先じゃなくて、自分の魅せ方をちゃんと知ってるマダムたちのファッション。
ファッションとは、自分を表現すること。
生き方そのものである!とマダムたちは教えてくれる。
今まで大変だったこと、楽しかったこと、生きる上での信条、ファッションへの思い・・・
映画の中で、そんなことをいろいろ語っていた。

いろいろあったから、今がある。
年齢を重ねているからこその魅力が、あちこちに溢れている。
それは、私が常々「顔」「顔つき」について言っていることではあるけれど
ファッションもそうなのだと教えてくれる。

それでも加齢は残酷で、映画ではそんなきれいごとだけじゃないことも最後に語っている。
哀しいこと、怖いこと、辛いこと・・・・

それでもやっぱり力強い。カッコいい。
あんなふうになれたらいいなあ・・・・

若く見えるより魅力的に見えたいの

そうだ、そうだ。
かつては、
私、たぶん人より若く見えるかも・・・そんなことを自慢に思っていた頃もあったけれど、魅力的でなければ意味なし!
今、私の周りには、素敵な先輩が何人もいる。その方々は魅力的だ。

魅力的に見えるってなんだろう。
そんなことをたくさん考えさせてくれる、写真集と映画だ。
で、私が映画を見て思う魅力的というのは、結局のところ、自分らしくいるかどうかに尽きるように思う。

人は歳をとると、自分自身を受け入れるようになるわ。
自己評価が寛容になるのよ。
私は私。どうにもならないでしょう?
   (会場で購入した映画のプログラムより部分抜粋)

これは、映画に出てきた95歳のマダムが言った言葉。
しばしば自分を受け入れられなくなる私だが、年をとることが怖くなくなる。楽しみになる。
私をとても嬉しくさせる。
自分らしく生きることを大事にしようと改めて思う。

この映画、5月29日公開ロードショーで、私はすぐに観に行った。
観たとき、気持ちがいっぱいでどうやって文章にしようかなと思ってたら、こんなに時間が経ってしまったのだけれど、どうやら場所によって今も公開されている模様です。



全女性、いや男性にもオススメです。






2015年7月27日

年を食ってからする勉強は、若かりし学生時代よりずっと楽しい

大人になる(=年齢を重ねる)とは、
いろいろな経験をしてきたこと、そのものです。
その結果、勉強することが若い時に比べて、大好きになったりします。
きっと、「知りたい」気持ちが大きくなったり、
勉強する「意味」や「価値」が自分の中でちゃんと認識できるようになっていくからでしょう。
おもしろいことじゃありませんか?!

50代になって新たに出会う「ご学友」

50代になると同窓会が活発になるそうだ。

子育てが一段落する、
仕事は自分でコントロールできるようになったり、最前線から少し引いたりと、
環境が変わる、
会社だけじゃない関係を大事にしたくなる、
等々、いろいろ理由があるだろうけど、
私の場合も、ここ数年で学生時代の仲間と会う機会が増えてきた。

だけど、私にとっての“ご学友”は、若かりし学生時代の仲間だけじゃない。
昔のご学友だけでなく、
オトナになってからのご学友も、なかなか貴重な存在である。

昔の学生時代にはあんなに大嫌いだった勉強だけれど、
だいぶ大人になってからの今、勉強するのはとても面白いのだ。





もっとおもしろいのは、学びの場で出会う人たち、“ご学友”だ。
経歴や年齢はバラバラだけど、

その学びの場で出会うのだから、そのテーマへのアンテナを持っていることが最低限の共通項になる。
そんな共通項をふまえた出会いは、学びの場だけでなく、

いろいろな意味を持っていくと予感している。

昔と今では「学ぶ」ことのいろいろが違う。

20年くらい前に定年退職した叔父が大学生になったときのこと。
経済畑一筋だった叔父が選んだのは、社会人向けに開かれた農学部だった。
当時、叔父がそこで「一生の友を得た」と言うのを聞き、
30歳くらいだった私は何を大仰なことをと思ったけれど、
今、それはあり得るかもしれないと思う。

学ぶと言っても、机に向かう、教科書(テキスト)を読むというだけではない。
自分の幅を広げたくて、自分が成長したくて、仕事に活かしたくて、お友達に会いたくて・・・という、自分自身の心がまえの違い。
そこではさらに新しい視点に出会えたり、体系的な理論を知ったり、知らない世界のことを知ったり・・・といった知る喜びの違い。

いつのまにか、私は勉強好きになった。

自分から勉強したい、学びたい、と思ってその場に臨むのが今。、
勉強しなくてはいけないから勉強する、
学校には行くものだと思って行ったことで結果的に勉強することになった若かりし頃。
昔いやいや勉強していた学生時代と、今知りたくて勉強する一番の違いはここだ。

さらに言うなら、昔は親が学費を払ってくれた。
けれど、今、お金を払うのは自分だ。
だいたい昔は学費がいくらかなんて知らなかったが、今はちゃんと知っている。

お洋服を買うか、旅行に行くか、飲食に使うか、学びに使うか・・・
いろいろ買いたいものの中の一つとして、自分で学費を選択しているのである。

そこに込められる気持ちは、違って当然。
だからご学友も、昔と今では少し自分にとっての意味が変わる。


・・・と思っていたら、

昔、机を並べた「ご学友」と再び

昔のご学友から、

同級生で学びの会をやらないか?

という話が飛び出した。

高校を卒業して30年以上が経ったよね。
みんなそれぞれ、いろいろな専門に進んだり、経験をしたりしてきたでしょう?
それを分かち合えれば、私たちいろんなことが学べるんじゃない?

・・・これから、年に何回か集まる学びの会を始めようと言うのだ。
何十年の時を越え、再び机を並べようと。


それを聞いて今、その企画をおもしろがり、楽しみにしている自分がいる。
思いもしない形で、昔のご学友が再び今のご学友になろうとしている。

かつてあれほど勉強嫌いだった私が、
数十年後にこう思うようになるなんて、想定外だ、
昔の私に見せてあげたい(笑)。

まあ、昔若かった学生の時から、「もっと知りたい」と思い、学ぶ「意味」や「価値」をきちんと認識できていた同級生も、実はちゃんといたんだけどね・・・。

ゆっくり成長して50の坂を超えた今、やっと私もかつての彼女たちに追いつくことができたのだから、やっぱり時間というものは偉大にしてありがたいものである。

2015年7月24日

こんな場所に入り浸りたい!「居場所ハウス」という「居場所」~岩手県大船渡市

「居場所ハウス」という言葉を聞いて、あなたが想像するのはどんな家でしょうか?
岩手県で実際に見てきたそれは、「施設」ではなく「家庭」をめざした、高齢者を中心に多世代の人が集まるまさしく「居場所」でした。
「将来は自分もこんな場所に入り浸りたい」
私と同じ気mポチを感じる人は少なくないと思います。

「居場所ハウス」の理念

岩手県大船渡市に「ハネウェル居場所ハウス」という場所がある。



東日本大震災復興の拠点としてできた場所だ。
米国ハネウェル社から建設資金の支援を受けて建設された。
そこには、高齢者自らが社会的役割を見つけることで活動を促進させるNGO「ibasho」(本部;ワシントンDC)が大きく関わっている。

この「居場所ハウス」が、建築家・設計士らが学ぶ勉強会でテーマとして取り上げられ、その講師、NGO「ibasho」創設者が米国から招かれていた。
参加していたのは、高齢者施設や病院を手がける建築家や設計士だろうか。
縁あって私はそれに参加する機会を得、この「ハネウェル居場所ハウス」を知った。

「施設的」から「家庭的」へ
家庭は不便だし非効率的だし、片付いていない。
でも居心地がいいのは、家庭のそういうゆるさであって、完璧は実は心地よくない。
・・・そんな話から始まった。

その「ハネウェル居場所ハウス」には8つの理念がある。、
 ①高齢者が知恵と経験を生かすこと
 ②「普通」を実現すること
 ③地域の人がオーナーに
 ④あらゆる世代がつながり
 ⑤いろんな経歴・能力を持つ人が力を発揮し(できることを探す)
 ⑥地域の魅力や文化を発見し
 ⑦持続性ををもって
 ⑧完全を求めない。

「ハネウェル居場所ハウス」は、高齢者を弱者ではなく地域のリソースと捉え、
高齢者の知恵や経験が生かされる場所を目指して作られた。
ゆるやかに混ざり繋がる場所。
多世代の知り合いができる場所。
さまざまな背景の人々が混ざって安心できる場所。

この話を聞き、これはどんなものかぜひ見に行きたいと思って行ってきた。

子どものころ遊びに行った、おじいちゃん・おばあちゃんの家のようなゆるさ

大船渡の高台の普通の住宅街の中に表れた立札のような看板。



古民家風建物の壁にはこんなメッセージがあった。

中に入ると、
大勢の人たちが何か食べながらテーブルを囲んでおしゃべりをしていた。
どなたがスタッフさんなのか、それともお客さんなのか、見る限りはわからない。

この居場所ハウスではランチも出しているということなので、
昼時にうかがっていただくことにした。
そうしたら、さっきまでテーブルを囲んでおしゃべりしていた女性たちが立ちあがり、キッチンで支度をはじめ、太巻き、お漬物、サラダ、うどん、フルーツ・・・
次々と食卓に食べ物が出てきた。
子どもの頃に、おじいちゃんおばあちゃんの家に遊びに行ったようだ。


どれも「懐かしく、ほっこりするような味だ。
ランチをいただきながら、館長の鈴木軍平さんにお話をうかがった。


この施設は東日本大震災の被災者支援でスタートした。

 支援というのは、まず日常生活の支援。
 生活環境の改善。
 まず買物。

居場所ハウスでは朝市を開き、近隣の人が集まってくる。
元々近隣に住んでいる人たちや、仮説住宅に住む被災した人たちで
80代など、高齢者の人たちが中心だ。
来た人たちは買っていくだけでなく、来た人同士が交流する。おしゃべりする。
そういう人たちのイキイキしている一人一人の顔を見るのが嬉しいと、
館長の鈴木軍平さんは言う。

お話を聞いている途中に、次々といろんな人が表れる。
外で、このハウス関連の何か仕事をしてきた人たち、
偶々届け物を持ってやってくる近隣の人・・・
そのたびに鈴木さんは声をかける。

勉強会で聞いた話そのまま、その理念を貫いて運営されているのがよくわかる。
とても居心地のいい空間だ。

続けるためには課題もある

それでも運営し続けるためには、なかなか難しい現実もありそうだった。
最初は補助金だのみで運営してきたけれど、2年目になった。
これからどう自立していくか、が課題だ。

 自分たちで運営する。
 お客さんも一緒になって運営する。
 ・・・そうは言っても、
 誰もが自由に出入りできる「居場所ハウス」であるためには
 決められた時間はいつも開いていなくてはなりません。
 それは最低限必要なことです。
 たとえ誰も来なくても。
 
 そうなると、一番の問題は人件費です。
 いくらボランティアを中心に運営する、などと言っても
 お金を全く払わずに、ということはできないし、したくはありません。
 だって1日2日の話じゃない。継続していくいことが大事なんですから。

今、「居場所ハウス」ではそのための収益事業を少しづつ始めようとしていた。
いただいた昼食の提供も、居場所ハウスとして野菜を作ること、
それを朝市で販売すること、などもその一環である。
理念だけでは成立しない。

さらに、たとえ収益にならなくてもより多くの人に施設を利用してもらうためにと、次々と新しいことを始めようとしていた。
イベント的なことを企画したり、実施したり・・・。

そのために毎月定例会を行い、ボランティアの人たちも一緒に企画を考える。
ボランティアも高齢者が中心だ。

今、新しい試みとして「わらしっこ見守り隊」というのが始まった。
高齢者だけでなくいろんな世代に、ということで子どもたちにも来てもらおう、と。
子どもたちを見守っていこうという取り組みだ。
中心となるのは、元学校の先生である。

顔を出さないと、みんなが心配してくれる

昼食をいただいたテーブルの奥にはこんな和室が広がる。
スタッフの一人が話していた。

 あれ? ○○さん今日はまだ来ていないね。
 どうしたんだろう?

○○さんとは、居場所ハウスに毎日欠かさず来ている女性だ。
普段家で食べる分程度の野菜を畑で作っているという彼女は、
自宅から歩いて約20分。
毎日来ているから、来ないと自然にそう思うようになるのだ。
その直後に、話題の彼女がやってきた。

 来れば楽しい。
 誰かしらいるからね。
 ここがあるから、毎日歩くんだよね。

この女性がやってくるほんの少し前、
それはまさに施設ではなく「もうひとつの家」のようなものだった。

いつか東京にも

こんな施設が東京にもできたらいいと思う。
隣近所とのお付き合いが薄くなっている都市部だからこそ、
いろんな人が自由に出入りできるような場所がほしい。
ときには茶飲み話をしに、ときにはイベントに参加するために、ときには・・・。
夢はどんどん広がる。

大船渡の居場所ハウスは、古民家を改造したそうだ。
デッキがあって、スペースもたっぷり広々。
もし都市部で、と考えるとこんな余裕あるスペースはなかなか難しいかもしれない。

例えスペースは無理でも、こういう居場所があったらいい。
あってほしい。
もしあれば、私も行きたい。将来は入り浸りたいものである。


ハネウェル居場所ハウス
大船渡市末崎町字平林54-1

「居場所ハウス」の活動を継続するためのサポーター(賛助会員)募集中。
年会費/個人サポーター(1口) 2,500円
※会費は「居場所ハウス」の運営、「居場所ハウス」を通した地域づくりために活用。
振込先(ゆうちょ銀行口座記号・番号)
*02280-7-115147
加入者名(漢字):特定非営利活動法人居場所創造プロジェクト
加入者名(カナ):トクヒ)イバショソウゾウプロジェクト
詳しくは「運営サポートのお願い」参照

2015年7月23日

家に住む人の高齢化で、街の景色が変わる。

ご近所の大きな家が解体され、あっと言う間に更地になる。


ついこの前まで人が住んでいたお宅だ。
これが一軒二軒ではない。
この半年で何軒が解体されたことだろう。

住んでいた人は、毎朝家の前を掃除されていた人、
お庭の薔薇の手入れに余念がなかった人、しばしばマイカーを磨いていた人、
お会いすればご挨拶をしていた人、・・・皆さん高齢だった。

私が今の家に移り住んだのは、今から15年前。
ご近所は何十年も前からそこに住む人たちが多く、当時アラフォーだった私たち夫婦は、周辺では超若手だった。

15年経った今、周辺には空き家が増えた。
その理由は、住んでいた人が亡くなる、家で暮らすのが難しくなり施設に入る、などなど。
お元気でお一人で暮らしていた人が突然家で亡くなったこともあった。
もともと住んでいた人は、みな高齢だった。

その一部が今、こうして解体されている。
土地もそこそこ広いし、大きな家だった。
更地になったあとは、きっと小さな家がいくつも建つようになるのだろう。

そうすれば、街の景色が変わる。住む人も変わる。
それは経済を動かすことなんだろう。

それでも、15年そこに住んできた私にとっては、なんとも寂しい限りである。

寂しい理由はいくつかある。
それは、
長く空き家だったわけではなく、ついこの前まで住んでいた家であること、
解体しなくてもいいくらいの立派な家が壊されてしまうこと、
壊されて更地になるのは、あっという間であること、
木々の緑や季節のお花も一緒になぎ倒されること、
ご近所づきあいが皆無になること、など。

解体前、比較的大きな家でお庭があって緑が豊富だった場所は、
きっと小間割りされて何軒かが建つようになる。
そうなればおそらくお庭がない小さな家がたくさん建つ。
お庭がない家が建てば、庭木もお花もあまり見られなくなるだろう。
若い世代が入ってくるだろう。

街というのは、きっとそうやって変わっていくものなのだろう。
頭ではわかるけれど、寂しい。なんとも残念だ。
こんなふうに私が古きよきものを懐かしむのは、自分が年をとったからなのだろうか(苦笑)。