2011年8月22日

Facebookは少し不気味…

2011年1月の映画公開とともに、日本でも急速に広がったFacebook。
実名登録が基本だし、意外と浸透しないのではと思っていたが、そうでもなかった。プライバシーリスクをどう守るかが難しいはずだが、意外にもそのリスクや問題点を叫ぶ人も、そう多くはない。多少、ゲームなどに誤ってアクセスするなどの詐欺などが出てきたりするが、警鐘を鳴らすのは、かなり前の記事であることが多い。
けれども、私自身が感じているのは、日本独特の「見ぬもの清し」という概念・価値観は、どうなってしまうのだろうということだ。
例えば、誰と誰がお友だちになって、誰がどこの場所でチェックインして、知り合いが発言した内容に、別の誰がどんなコメントを寄せて・・・。しかも、見たい人が見に行くことで知るのではなく、そういうことをご丁寧にFacebookがメールでお知らせしてくれたりすらするのだ。
リアルに話をしながら、偶然、知り合いの知り合いは、自分の知り合いだったとわかることは感動ものだが、Facebookからもらうメールで知るのは、私にとっては少し不気味だ。名前を知っている程度の知り合いのことを「この人は、あなたの知り合いではありませんか?」とFacebookから言われるのも、私にはちょっと気持ちが悪い。
さらに、私の場合、仕事のおつきあいと、プライベートの友だちは、一部共通する部分もあるが、かなり明確に分かれている。実名登録のFacebookは、仕事もプライベートも同様に「お友だち」になるため、プライベートの友だちにどんな仕事をしているかが見えるし、仕事関係の知り合いにはプライベートでどんな風に遊んでいるかが見える。これも、私にとってはかなり不思議な感覚だ。
中には知られたくない情報もあるのではないか? 余計なことを知ることで人間関係に疑心暗鬼になる人がいるのではないか? こういう風に思うのは、古臭い人間の感じ方なのだろうか。
世の中には、知らない方が幸せなこともあるだろう。
Facebookを見ながら、無用な情報提供でストレスが高まる人が増えるような気がしてと余計な心配をしながら、一方でそんなことを思うなら私もやめればいいのに…とも思いながら、それでも私はやっぱりやめることまではできずに、私はこれからどうやってFacebookとつきあっていけばいいのだろうと、日々考えている。