2012年5月24日

中高年の起業意識、アメリカの調査から考えた日本人の意識

前回、60歳以上の人の本音は、実は仕事をしたいが環境的に難しい、という人が多数派だと私は思い込んでいたのだが、実際は、仕事をしていない人の半分以上は、仕事をしたくないという調査結果があり、私としては、小さな驚きを覚えたことを書いた

でも、アメリカの事情は少し違うようだ。 アメリカでは、55歳以上の起業活動が活発だという。
2010年の新しい起業家の23%は55歳から64歳の年齢層だ。1996年には15%であったことから、 高齢の起業家が増加しているのがわかる。
その記事によれば、年齢を重ねてきたことで、間違いを含めて多くの経験をしてきたこと、 専門知識が蓄積されていること、そして資金があること、等が、 高齢者の起業メリットとして上げられているのだ。 多くの人は新しいことに挑戦することに対して意欲が高いと伝えている。 
日本の60歳以上がそこまで積極的だとはイメージしてはいなかったものの、 私は、日本も多少はそういう傾向があるのかな、と思いこんでいたのだ。
 今まで日本経済を引っ張ってきた人たちは、内心、それまでの仕事がつまらなかったのか。 仕事を卒業した60歳以上には、仕事なんかよりも、他にやりたい明確なことがあるのか。 
私だって、多少はくたびれているし、仕事以外にやりたいこともある。 でも、それだけではなく仕事だってしたい。 仕事を通じて、多少は世の中や人の役に立てることもありそうだし、 仕事で充実感を得られることもある。 
多くの日本人は、すっかりくたびれてしまったのではないだろうか。。。。 私にはなんとなくそう思えて、ちょっと寂しい。ほどほどでいいと言う若い人が増え、中高年もくたびれている人がもしも多いのだとしたら、今のグローバル時代と言われる世の中、なかなか厳しいのでは?と思ってしまう。

データで見る限り、働きたくないから仕事をしない、というのは、全体から見れば2~3割程度なので、そう憂慮するほどのことではないのかもしれない。 実際、私の周りの中高年女性は意外と元気だ。多数派ではないものの、起業熱の高い女性は少なくない。 日本の60歳以上だって結構すごいよ・・・そんな姿を確認したいのは、誰よりもこの私なのかもしれない。 素敵な先輩諸姉を目指したいと願うから。

2012年5月14日

中高年の「働きたい」「働きたくない」、私のイメージとは少し違う

厚生労働省の中高年齢者に対する継続的な調査「中高年者縦断調査(中高年者の生活に関する継続調査)」の第6回調査結果(2012年2月発表)によれば、60~64歳の高齢者のうち、仕事をしていない人は4割近く。
その理由としては「仕事をしたくない」がもっとも多く、半分以上を占める。
そして、「仕事をしたい・準備中」は、1割強。
そんなものか・・・が、私の感想だった。
私自身のことを考えてみると、後進に道を譲ってだんだんとフェイドアウトしていく定年という会社のルールは、どうも自分に馴染まない気がしていた。
後進にはどんどん道を譲りたいが、それは新しい道をどんどん開拓したいからに他ならない。
ルールというフェイドアウトではなく、終わり方や終わる時期は自分で決めたいと思っていた。
だから、定年よりもずっと早くに、「退職」という道を選び、いろいろなことを始めたいと思ったのだ。
そんなわけで、60歳以上の人の本音は、実は仕事をしたいが環境的に難しい、という人が多数派だと、私は思い込んでいたのだ。

もう少し読み進めると、
女性は「仕事をしていない人」の7割が「したくないからしていない」。
男性とは13.6ポイントもの差がある。
そもそも60代の女性は、男性より仕事をしている率は低く、
「仕事をしたくないが、(仕方ないので)仕事をしている」人の比率も低いという。
ここで言う「仕事」には家事は含まれないので、彼女たちは「家事に専念したい」、もしくは「もう十分家事も含めて働いたから、これからはゆっくりしたい。」ということのようだ。

考えてみれば、この世代はクロワッサン症候群の直前、少し先輩の女性たちだ。
女性の仕事と言えば、勤め人の場合は、まだ公務員と教師以外はなかなか自己実現しにくく厳しい時代だったのかもしれない。
元々そういう経験者でもない限りは、自己実現的な仕事のイメージが描きにくいことも想像できる。
環境問題などで、ボランティアや社会貢献意識が高い女性は少なくないが、
ペイを得るものではないので仕事ではなく、仕事イメージが膨らみにくいのだろう。

特に女性の仕事の場合は、その人の生きた時代によって環境が大きく変わるため、意識やイメージはぐっと変わるのかもしれない。

60代の仕事、「働くこと」について、次回も書いてみようと思う。

2012年5月7日

PRを改めて考える

PRは、広告とは明らかに違う効果や価値がある。
ネタによって、タイミングによって、広告のようなコストをかけずに、予想以上の大きな効果を上げることがある。
だから、広告やPRを生業としてきた私としては、PRを仕掛ける場合はPRの反響後の受け皿の準備の必要性を同時に説いてきた。
PRがうまくいった場合の反響は、とてつもなく大きいことがあるからだ。
そうでないと、機会ロスになるばかりか、信用は信頼を一瞬にして失う可能性すらあるからだ。

大企業であれば、人員も豊富だし関係部署も関係各社も多いので、反響が大きかった時にはすぐに手を打つことができるため、反響を心配するよりもいかに大きな反響を獲得することが何よりも重要なことになるだろう。
けれども、信用第一の小さな企業にとっては、大きな反響は命取りになりかねない。
大きな反響が出て体制整備が間に合わずに信用を失ったり、機会ロスを回避するために体制整備の投資をした後に反響が落ちたり、対応が悪くなったことでそれまでの大事な得意先が逃げたり・・・・、さまざまなリスクがあるからだ。
ネタやタイミングによっては、PR効果は瞬間風速的な作用にしかなり得ないことがあるのだ。
事前にしっかり体制整備を、受け皿作りを、と言うのは簡単だが、PRは広告と違って必ず露出されるものではなく予想以上に反響が低いこともあるわけで、小さな企業にとっては難しいところだ。
その企業にとって、そのPRが将来的にも効果的であるかどうか、そのPRによって価値を得るであろうお客様(ユーザー)に今も将来も不満を与えてしまうことがないかどうか、というところが大事な視点になると思う。

だからPRは、身の丈にあったやり方でやらなくてはいけないと思う。
どうも、爆発的にマスメディアに紹介されることが最良とされる傾向があるが、それが必ずしも正解とは言えないと思うのだ。
特に中小企業は、PR活動を始めると大々的に露出されることを望む声が強いが、瞬間風速的なPR効果の場合は要注意だ。
知名度アップは期待できるが、それ以外の大事なものを失っては元も子もない。
PRを活動をするのならば、企業にとっても、顧客にとっても、満足度の高いPR活動であってほしい。
PR関係や広告業界側から見れば、露出が多ければ成功、露出が多すぎるPRを心配するなんてあり得ない、笑われるような話かもしれないが、やはりPR効果はうまく使わなければならないと私は思うのだ。
小さな企業は、身の丈に合ったPR活動をじわじわと行いながら、少しづつ話題性を高め、企業側は並行して足腰を強くしながら体制強化を図り、信頼を高めていく。

・・・そういう地道な成長を、私自身もしたいと思うし、クライアントにもそうあってほしいと私は思うのだが、スピードが重視される今の時代、そんなのんきなことを言っていては時代に取り残されてしまうのだろうか。

2012年4月20日

この人と仕事がしたい

5年近く前に辞めた会社員時代にお世話になったお取引先の方(女性)から、仕事の相談でメールをいただいた。
実際に仕事で懇意にしていたのは、退職する2年前だったが、退職時にご挨拶をしていてそれ以来のことだ。だからお目にかかるのも、ほぼ5年ぶりになる。
久しぶりにこうして思い出してもらい、ご連絡をいただくというのはありがたく嬉しいことだ。
彼女は当初から多忙な立場であるにも関わらず、いつも物腰が柔らかく丁寧な応対で、しかも優秀だったので、私の方も嬉しさ倍増で、ご相談いただいたことのお答えを兼ねてお会いすることになった。

彼女は、当時ベンチャーからどんどん急成長中だった企業の広報に所属していたのだが、今では大企業となった企業ブランドを管理推進する仕事をしていた。
入れ替わりの激しい業界でご苦労も多そうに見受けられたが、「今までの自分の周りの人はいい人ばかりで、人間関係にとても恵まれてきた。」とニコニコしながら話す様子は魅力的だった。

その彼女との話で、印象的だったことがある。
「この人と仕事をしたい」と思って仕事が始まることが多いというのだ。
特に女性はそういうことが多いのでは?とおっしゃった。
「この人と仕事がしたい」と思って、新しい仕事をつくったり、考えたりすることは、現実社会によくあることかもしれない。

「この人と仕事がしたい」
そんな気持ちで仕事が始まれば、お互いに気持ちよく仕事ができる。仕事の質も上がることだろう。
仕事人は、そう言われるようになりたいものである。
「この会社が好き、好きな会社のものが欲しい」これを世の中ではブランドというのだが、人も同じだ。
企業ブランドを管理推進立場の彼女から、そういうパーソナルブランドを構築し続けることの重要性を、改めて教えられた再会だった。

2012年4月14日

言葉を知らなければ意思疎通は図れない

私が関わる小さな会社でのことだ。
外回りをする営業マン、24歳。東京の有名私大を卒業し、新卒で入社した2年め男子で、素直で前向き、スポーツマンでもある。
その彼が、一人で大事な取引先のトップとの商談に臨むところまでにこぎつけた。
今までなかなか営業がうまくいかなかった彼にとってはそれだけでも快挙だが、せっかくのチャンスなので、価値ある商談にするための念入りな準備を進めた。
私も、彼の相談に乗ったり、商談リハーサルとも言えるロープレにつきあうなど協力し、当日を迎えたのである。
商談に臨んだのは彼一人なので、その場がどんな雰囲気で、どんな風に話が展開されたのかは彼にしかわからない。
後日聞いた彼の話によれば、商談後に取引銀行の話題が出たようで、商談相手はその銀行の頭取と所縁があることからそれに関連した話題になったという。
その話を聞いていたところ、彼は「頭取」の意味をわかっていなかったことに気づいた。彼は、「トウドリさん」という名前の人の話をしているものだと思い込んで会話が進んだのである。特につっこんだ話でもなかったようなので、会話に不自然なところはなかったはずだという話ではあったが、「頭取」を知らなかったことに、私は驚愕してしまった。今はこれは普通のことなのか。彼は特別な稀有な例にすぎないのだろうか。
その後、気になって周囲に聞いてみたところ、若者で「頭取」を知っていたのは、半分強にとどまった。私たちの世代にとって、おそらく「頭取」を知らない人はいないだろう。「社長」と同類の一般名詞のようなものだ。けれども若者にとって「頭取」は、誰もが知っている言葉ではないようだ。
伝わると思っていると伝わらない言葉がある。言葉の意味や解釈は、時代や世代で異なる場合がある。
難しい言葉は使わずに易しい言葉で---そんなことは当たり前だが、易しい言葉であっても知らなかったり、意味を勘違いされたりすることがある。今回の営業先での話は仕方がないにしても、コミュニケーションをとっているつもりが、実は全くとれていないということが十分にあり得るのだ。
少人数だったり、face to faceであれば、表情でコミュニケーションがとれているかどうか気づく可能性もあるが、人数が多かったり、直接会っていない場合は、気づかないまま通り過ぎてしまう。組織が大きくなるほど、トップの言葉も届きにくくなることだろう。
確実な意思疎通と情報共有がしやすい少人数組織は、企業理念やビジョンが重視され、スピードが求められる今の時代だからこそ大企業や大きな組織よりも強くなるチャンスなのかもしれない。社員一人一人の顔が見え、一人一人の個性までが把握できる小さな組織だからこそ伝わること、感じることが、たくさんあるに違いないと思う。