2014年1月31日

尊厳死の法制化は可能なのか。

うーん、法制化かあ。。。これは悩ましいなあ。

個人的には、私の時には自分の尊厳死を認めてもらいたいとは思う。
尊厳死とは回復する見込みがない場合に延命措置をしないこと。
しかし、この「回復する見込みがない」ということが本当に絶対見込みがないと言えるのか。
自分が愛する人に対して奇跡を信じたいと思うであろう場面で、「回復する見込みがない」ことに理解し、納得して尊厳死を認めることができるだろうか。
しかも医療はどんどん進歩しているのだ。

たしかに、患者の意志を優先し、延命治療を中止する尊厳死が、医師の殺人行為として捉えられないような法整備は必要なのだろう。

しかし尊厳死と安楽死の区別は難しい。
第三者の意思が介在するのが「安楽死」、本人の意思に基づくのが「尊厳死」ですURL。
とあるが、その線引きは実際、明確にできるものだろうか。
さらに本人の意志も、第三者の意志も、変わることもある。

拙著「失敗しないエンディングノートの書き方」でも、尊厳死や延命治療等、医療の問題についてはたびたび触れたが、結局のところ、命は誰のものなのか?自分だけのものなのか?という問題に行きつくように思う。

医療関係者に話を聞くと・・・続きは次回で。

2014年1月16日

遺影を決めていると語る芸能人の人たち

「壇蜜『何があってもいいように』と遺影用写真をファイル保存」
というニュースを見つけた。

セクシーなイメージで人気の壇蜜は、グラビルアイドルなだけに有名写真家が撮影した写真が多数あるはずだ。本人が気に入っていて遺影にしてほしい写真はファイルにして持っているそうで、遺影に使う場合は顔だけ切り取ってとお願いしているというからさすがだ。
「残された人が見る最後の姿ですから、ちゃんとしたものを用意したいんです」
大事なことでありながら、健康な30代前半がなかなかこういう意識を持つことは難しいだろうが、彼女は葬儀の専門学校出身、葬儀関係の仕事の経験もあるという。だからこそ、ということだろうか。
なんせ、壇蜜と言う芸名も、『壇』は仏教用語で『机』、『蜜』は『お供えもの』という仏教用語が暗号のようで面白くて、そこからとったという情報もあるくらいだ。

これと並んで紹介されていたのが、樹木希林さん(70才)。
娘婿の本木雅弘(48才)さんと死後のことを話し合い、遺影は映画『東京タワー』のときのものを使用すると決めているという。

さて私は昔から「人の顔」に興味があった。
それも年齢を重ねることで、目鼻立ちだけではない美しさや優しさ、凛々しさなど表れた顔だ。
樹木希林さんの顔などは、まさにそういう意味で穏やかさが素敵だと思う。

遺影は、当人がこの世から消えても、周りの人が最も思い出す顔になるように思う。
そういう顔が間に合わせでいいわけがない。
周りの人は、その顔からいろんなことを思い出すことができる。そういう顔だからこそ、ちゃんとお別れもできるのだと思う。
いい遺影を残すことは、本人だけでなく周りの人への思いやりでもある。
本人が嬉しい綺麗な写真は、昨今少しづつ出始めてきたが、願わくば本人だけでなく、周りの誰もがその人との関わりを思い出せるような写真であってほしいと思う。

社会的にも影響力ある芸能人が、しかも30代前半という若い人気者までもが、こういう発言をするようになれば、私たち一般人の意識も、これから少し変わってくることを期待したい。

ちなみにこの記事が掲載されていた女性週刊誌には「明日も生きられる」という好評シリーズがあり、そこには淡路恵子さんのインタビュー記事が掲載されていた。
発売日は、淡路恵子さんが亡くなった1月11日の直前、9日。
晩年、辛口コメントで人気だった淡路さんのお顔も、凛とした雰囲気に溢れていた。
ご冥福をお祈りします。


2013年12月18日

本日発行 「失敗しないエンディングノートの書き方」

こちらで予告をしたように、本日12月18日、「失敗しないエンディングノートの書き方」(法研)が発行された。



全国の書店で販売中のはずだが、私はまだ本屋さんに行っていないので未確認だったが、昨日、東京・恵比寿の本屋さんで買ったと連絡をくださった方がいるので、そろそろ本屋さんに出回り始めているようである。

ついこの前まで知らない人が多かったエンディングノートは、今やほとんどの人が知るものになった。
ものすごい数のエンディングノートが出回っている。
エンディングノートを持っている人も増えてきたことだろう。
しかし、実際に書いている人はあまり多くない。
書き始めても、すぐにやめてしまう人も多いと言う。

エンディングノートに興味を持っている70代の方々に、私がお話をした時も、書いている人は0(ゼロ)だった。
書こうと思っても、書きたいと思っても、ちゃんと書こうとするとエンディングノートは結構難しいのだ。
でも、書こうとすることで小さな発見があることも確かだ。

エンディング=終焉。
そう考えると、なかなか書けなかったり、まだまだ先と思ったりする人が多いが、エンディングノートの項目は、実は終焉の為だけとは限らない。
30代、40代、50代・・・どんな年代であっても、エンディングノートを書こうとすることは、自分の人生を再確認する上で意味があると、実際に書いてみると実感する。
家族関係や友人関係を再確認することもできる。

それは、これから自分がどう生きていくか、どうやって自分らしく生きていくか、を考える上で、とても役に立つことであり、意味のあることだ。
終焉の為だけにエンディングノートを書くなど、あまりにもったいないことに思えてならない。

世の中は終活ばやりと言う。
エンディングノートを書きましょう、という活動や講座も数多い。
相続問題、お葬式の方法、お墓問題・・・そういうことも大事だが、そこにいくまでどう生きるか?どう自分らしく生きるか?
その生きた結果が最期、終焉であるにもかかわらず、今はそこばかりに注目が集まっているように見えるのは、残念なことだ。
そういうことを考えるのならば、ぜひとも「どう生きるか」と合わせて考えていきたい。

「エンディングノートを書こう」と思うことは、終焉だけでなくもっともっといろんな意味を持つことであり、自分らしく生きるために役立ててこそ、価値が出るものだと私は思う。

私は、エンディングノートについて、そういうことを書きたかった。

本書で、そういうことまでお伝えしきれているかどうかは甚だ自信がないが、エンディングノートをきっかけに、今よりももっとイキイキと生きていく人、ワクワクしながら生きていく人が増えていけばいいなと願うばかりである。

2013年12月10日

いまの時代の手帳とは

この時期、文房具売場は手帳売場が大きくなる。
買う年、いただく年、さまざまだが、それでも自分が使いやすい手帳は決まっていた。
愛用していたのは「能率手帳」。
それがなくなり、NOLTYに変わると言っていたのが、10月2日掲載の新聞広告だった。



「変更の大きな要因は時代背景の変化だ。
仕事の能率化をテーマに『能率手帳』を作ってきたが、もっと自由に様々な用途で使ってもらいたい。若い人や仕事以外でも使ってもらうためにはどうすればよいのか。5、6年前から名称変更の思いがあった。『能率』という言葉が自由に使ってもらう幅を狭めてしまう、ということで思い切って変更することにした」と言うことだ。

私が能率手帳を使い始めて、たぶん20年くらいになると思う。
それでもここ数年はあまり使わなくなっていた。
イマドキの、ネット上のクラウド手帳(スケジューラ)を併用して使い始めたらそれが便利になり、気づくと紙の手帳をあまり使わなくなって行ったのだ。
そのうち紙の手帳に書き忘れることが多くなり、毎日持ち歩いているのに、開かなくなっていった。

ところが最近、私はネット上のスケジューラに問題を感じ始めていた。

「書く」作業をしないせいか、予定が頭に入らないのだ。
日にちがいつだったか、時間が何時だったかをすぐに忘れる。
明日のことなのに、何回も見て確認する始末だ。
1週間後の予定となると、ますます何日の予定だったか思い出せなかったりする。
ひどい時は予定自体を完全に失念し、慌てることすらある。
さらに困るのは、対面でスケジュール調整をする時に、咄嗟にスケジュール確認をしたくても電波状況が悪くそのスケジューラが見られない時があることだ。

そこで、本当に使いやすい紙の手帳をきちんと選び直そうと思い立ち、まだ暑い頃から探し始め、やっとみつけた手帳を先月から使い始めた。

ネットかリアルか・・・。

まだまだネット上のスケジューラと、紙の手帳の併用ではあるが、今のところ、紙の手帳の使い心地は上々だ。
ネット上のスケジューラは、空き時間がどこにあるかが一目瞭然ではあるが、常にその日1日のスケジュールの確認、「点」でとどまっているような気がする。
けれども紙の手帳は、今、少し先、ずっと先、・・・というのが一つの線につながっていくような感覚がする。

広告の中で注目したフレーズがある。
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右肩上がりでない時代
書くことは考えることであり、振り返ることであり、思い描くこと、
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今、私は紙の手帳に戻って、日々書く作業を繰り返しながら、改めてこのフレーズに賛同する。それは古い世代だからなのか、それとも・・・?!
来年が終わる頃、私は今と同じような気持ちでいるだろうか?

能率手帳ではなく、NOLTYか。
覚えられるかな。

2013年11月28日

予告「失敗しないエンディングノートの書き方」

昨年2月よりスタートした大人の出張写真館i-face(アイ・フェイス)は、遺影を意識した「いい顔」撮影サービスだ。
私はカメラマンではないので、プロカメラマンを同行して「いい顔」を引き出すためのプロデュースを行う。
モデルや役者さんと違って、一般人は特に、カメラマンの存在を忘れた瞬間に一番「いい顔」になると私は信じているのだ。

もちろん、出来上がった写真は遺影などにとらわれることなく、最近ならSNSのプロフィール写真など、いろいろ使っていただいてよいのだが、私がこだわっていたのは、自分らしい生き方をしていくために、自らの顔をいつも確認し続けて行こう、ということだ。

 何かに夢中になっている顔、
 嬉しくてたまらない顔、
 心の底から楽しんでいる顔、
 真剣な顔 ・・・

それは、必ずしもメチャクチャ綺麗な写真とは限らないかもしれない。
しかしそういう写真からは、心が見えてくる。
メッセージが聞こえる。
だから遺影にふさわしいはずだ、と提案してきた。今も変わらずそう思っている。
最近は、別人かと思うほど綺麗に撮ってくれる写真もあるが、それは本人は嬉しい写真ではあるにはちがいないが、遺影の場合はどうだろうか。
遺影だったら、その人が普段よく言ってた話が聞こえてくるような、そんな写真を目指したいと、私は思う。

そんなことがきっかけでエンディングノートに出会い、私なりにエンディングノートについて思うことや考えていることを話してきたら、今年の春にそういうことを書いてみないかと言うお話をいただいた。

それから悪戦苦闘の9か月。
多くの方からのご指導やご協力のおかげで、12月18日に発行となる。

世の中には、多くの終活本が出ているが、私の場合は相続や法律の専門家さんではなく、いわゆる普通の人の目線で書きたいと思った。
私自身がわからないこと、ついつい先延ばしにしていることがたくさんあったからだ。
だから、本書には自分の親や、義理の両親、友人知人のエピソードなどもまじえ、できるだけ日常に近いことを書いてみた。

「失敗しないエンディングノートの書き方」
監修 弁護士 武内優宏先生(法律事務所アルシエン)
A5判 定価(本体1300円+税)
出版社は、あの上野千鶴子さんの「おひとりさまの老後」を出した法研さん。
12月中旬より全国書店で発売予定です。




とりあえず今回は予告まで。
詳しくはまたこちらでご案内します。