2015年1月29日

子育てお母さんの顔が、険しくて厳しいわけ

平日の朝9時半過ぎ、私は山手線のある駅から大通りの歩道を歩いていた。
東京の都心の駅だ。
歩道は、駅からは近隣事業所に出勤すると見られる人がたくさん歩いていた。
また、駅周辺の住宅地からはこれからどこかに出かけるために駅に向かう人もたくさん歩いていた。

そこに、前方から歩道を自転車がこちらに向かってきた。
抱っこひもで小さな子どもを前に抱えながら、もう一人の子どもをハンドルについた前座席に乗せて、若い女性が自転車をこいでいた。
彼女は、2人の子どもを自転車に乗せてこちらに向かって走ってきたのだ。

これから保育園に子どもたちを預けに行くのかな、
それともどこかに子どもを連れて行くのかな、と思った瞬間、
自転車がバランスを崩し、歩道の真ん中で大きな音を立ててひっくりかえってしまった。

あーっ!危ない!
前の座席にいた子どもが半分投げ出され、
びっくりした表情をした後に泣き出した。
ひっくり返った自転車まで、私から約5メートルくらい。

すぐ近くにいた40代くらいの女性が駆け寄った。
「大丈夫ですか?!」

子どもの泣き声はますます大きくなる。

そのとき、お母さんはとても厳しい顔をしていた。
子どもに対して。そして駆け寄った女性に対して。
声をかけられても何も答えず、険しく厳しい顔をしていた。
怒っているようにさえ見えた。

そして伏し目がちで小さな声で言った。
「大丈夫ですから!」

彼女はきっと疲れているのだろう。
小さな子どもを育てるのに、周りに頼ることも甘えることもできず、一人で必死に頑張っているように見えた。

今、こういうお母さんがいっぱいいるんじゃないか。

自転車が転んでしまうのは仕方がないかもしれない。
自転車に二人の子どもを乗せるのも仕方がないかもしれない。

でも、例えば誰かが少しの間見ていてくれる環境があったり、
「ちょっと見ててくれる?」と言える人が周りにいたり・・・
そういうことが全然ないんじゃないか、と思わせるような顔だった。
お母さんが一人で、一人だけで頑張っている。

どこにも助けてもらえない。
誰にも頼ることができない。
私のことなんか、放っておいて。
~そんな声が聞こえるような顔をしていた。

少子高齢化が問題になり、働く女性を増やそうというけれど、
こういうお母さんが大量生産されるようであってはならないと思う。
お母さんだけが苦難を背負うようでは、子育ては苦しいだけになってしまう。

私は投げ出された子どもに「びっくりしたね。大丈夫だよ。」と声をかけただけで、
お母さんには、何も言えなかった。
でも、あのお母さんの顔は、SOS!のサインだったのかもしれない。
あのお母さんが、これからずっと
あの険しい顔、厳しい顔をしていくのかと思うとつらい。

2015年1月28日

人はどんな時に「いい顔」になるのか? その6つ+2つのポイント

人はどんな時に「いい顔」をするのだろうか?
このブログでもたびたび顔について書いてきた。

今までずっと、人の生きざまが表われた「いい顔」に注目してきたので、
人はどんな時に「いい顔」になるのか、
経験的に感じているそのポイントを挙げてみよう。


1.嬉しかったときの話をする。思い浮かべる。

2.幸せに思った瞬間の話をしている。その時のことを思い浮かべる。

3.今楽しいことや、楽しかったことを話している。

4.自慢話をしている。

5.何かに夢中になっている時

6.愛する人(子ども、孫、恋人、伴侶等)といる時


上記のどのポイントの時に「いい顔」になるかが、
人によって異なっているというのも面白い。
嬉しかったり楽しかったりする話の真っ最中よりも、
話す前に思い出し笑いのような顔をする時が素敵な方や、
話した後にはにかんだりする顔が妙に愛らしい方がいらっしゃる。
「いい顔」と脳の働きで、きっと何か相関関係があるに違いない。

このように、私は今まで、
「いい顔」とは、その人にとって「いい話」をする時(またはそれを思い浮かべる時)の顔、
と言い続けてきた。
たぶん多くの人も、そう言われれば納得してくれるに違いない。

けれども最近、上記に加えてもう一つ重要なポイントがあったことを私は確信した。
それが次の7番と8番。

7.辛かったり苦しかったりした時をふり返り、
  「今思えばそれも意味があった」と語っている時

8.苦しかったときにどうやってそれを乗り越えたかを話している時。


この7番と8番はとても大事なポイントだった。

男性・女性、年齢や職業などといったことは一切関係なく、
誰もがこの話をしているときには「いい顔」になる。・・・というのが実感だ。
ほぼ間違いない。
ただし、そこに嘘がないこと。
真摯であることが前提だ。

特に、個人(経営者を含む)ごビジネスモードのブランディングで使う顔の場合、
この8番目のポイントはぜひとも押さえたいところだと思う。

そういう顔にはその人の生きざまが表れると思うからだ。

今があるのはかつてあった苦しいことを乗り越えてきたから。
いろいろ辛いことがあったからそういう気持ちも知っている。

そういう顔は必ずしもキレイな顔ではないかもしれないのだが、
人の心を動かす魅力的な顔だ。

そんな苦難や苦悩は誰にもわからないことだけど、
それでもそういう“人となり”や“物語”がチラッとでも覗けることは、
魅力度としては大きいと思うのだ。

「この人、いい顔してるなあ」
思わずそう言ってしまうような顔とは、きっとそういう顔なんじゃないか。

順風満帆な人生の人になど、魅力はない。

例えば仕事を頼む時だって、仕事の内容や質はもちろん大事ではあるけれど、
担当者が気持ちよい人かどうかは、実は大事な要素だ。

なんだか好かない!感じ悪い!・・・そういうことで、ぎりぎりで仕事を頼むのをやめてしまった経験がないだろうか。
一度は仕事しても、二度目はないなと思うのは、たぶん私だけではないだろう。

顔は、そういうことを自然に伝えるように思う。
バレてしまう、とも言う。

苦難があっても、気分が落ち込んでも、それを乗り越えると、きっと顔がよくなっていく。
生きざまがあふれた「いい顔」とは、そういう顔だ。
現実が逃避し、考えることから逃避し、嫌なことやうまくいかないことを、
人のせい、社会のせいにし続けていくと、きっとそれが顔に表れてしまう。
「いい顔」になる機会を失っていくのではないか。
「いい顔」の方々と接することで、そういうことを教えてもらえる。


ちなみに、上記ポイントに入れなかったけれど、
「心身ともに健康であること」も、「いい顔」のポイントとしては大事な要件だと思う。




上記ポイントを押さえた撮影会。現在、1枠、空いています。
 「いい顔」にこだわってきたトラベシアが撮影する撮影会、参加受付中。

2015年1月26日

人と関わっていないと、心だけでなくカラダまで・・・・・人づきあいと健康との関係

まだ世の中に「食育」という言葉がなかった今から30年以上前に、子どもの個食(孤食)が注目され始めた。



なぜひとりで食べるの―食生活が子どもを変える 
日本放送出版協会 (1983/01)

栄養素の働きに目が行く中で、誰と食べる?どこで食べる?という「食べる」行動と健康との関係に着目したのが、当時はとても新しかった。
著者が実施した子どもの朝食調査では、ゼミの学生も多数参加しており、栄養学専攻の大学生だった私もその一人として都心の小学校に出向いた。
学校に行く前に一人で菓子パンをかじる、という朝ごはんの絵を描いた子どものお母さんは、明け方まで働いていてまだ寝ている・・・。
一人で食べる子どもの栄養状態は悪く、貧血や不定愁訴など、健康状態も悪かった。
今のようにコンビニもなかった時代だ。

そこから食教育の重要性が語られ、その後「食育」と呼ばれるようになり、今ではCSRとして食育に取り組む企業が多い。


さて、それから30年。

生活習慣病やメタボが問題とされるとき、まず注目されるのが高血圧。
その高血圧が、
独身の一人暮らしは、既婚者の1.75倍!
同居人がいれば既婚者の1.15倍!

大人の問題だ。
NHKのニュースで報じられたことなので、見た人も多いに違いない。


厚生労働省「国民健康・栄養調査」の結果を基に、滋賀医科大学の三浦克之教授などのグループが分析した結果だという。
これは、実際に一緒に食べるかどうか、食べたかどうかではない。

血圧のデータと、結婚しているかどうかの関連を分析すると
高血圧の人は、既婚者だと48.2%だけど、独身者は68.%。

むしろ、家族関係が多様な時代になった今、
調査でも
同居人がいれば既婚者の1.15倍!
と言っているように、これは既婚か独身かということよりは、同居人がいるかどうかに注目するところだろう。
実際、既婚者でも別居している人や家庭内別居、あるいは結婚していない同居人、シェアハウス・・・・いろいろな形がある。

一人暮らしだとどうしても食生活を気にしなくなりがちだから、言われてみればわからなくもない。
それでも今の時代、世帯人数で最も多いのが一人だ。


報道では、
 食べすぎに注意。
 高血圧防止なら、カリウムを。生野菜、付け合わせの野菜を。
 塩分を控えめに。
 一人暮らしはカップラーメンを食べることが多いから、調味料は全部使わないように。
等々、一人暮らしの人への食べ方アドバイスをしていた。

まあ、栄養学的にはそれはもちろん正しいアドバイスではあるけれど、
私は、ここは人との関わり方に注目したい。

昔食いしん坊で大食いだった私自身も、最近は量も食べられなくなり、食べることやおいしいものへの執着がみるみる減ってきた。
それに伴って、好きだった料理も面倒になり、一人ご飯の時はろくなものを食べていない。

できれば人と暮らす。
例え暮らさなくても、できるだけ人と関わる。人と食事をする。
人との関わりは心の問題として語られることが多いけれど、
「食べる」という行為が心だけでなく、カラダ、健康面にも影響を与える。

オトナだからこそ、人と食べることを意識したい。
外食でなくても、家に定期的に集まって食べる形でもいい。

昔「おいしい顔ってどんな顔?」というコマーシャルがあったのを思い出す。
「おいしい顔」とは、食べる顔、それも人と一緒に食べる顔。

人と一緒に食べよう。



2015年1月23日

「2分の1成人式」するくらいなら、「×2成人式」「×3成人式」を。自分の人生を考えるために。

今、小学校で「2分の1成人式」が大流行とは知らなった。
これから旬の季節を迎えるのだという。

最近は、家族が多様化し、虐待が横行する今の時代に、
この「2分の1成人式」の開催は時代に逆行していると指摘し、イベント開催を見直すようのが促しているのがこちらの記事だ。

最もだと思う。
なぜ「2分の1成人式」なのだろう。
子どもは親への感謝を語り、親子の愛情を確認し合うイベントなのだそうだが、
親子にもいろんな親子がある。
円満な家庭ばかりではない。

そんなお仕着せの「2分の1成人式」よりもむしろ、私は「×2成人式」「×3成人式」をオススメしたい。

企業が終身雇用を前提とした経営ができない時代になり、
個人も一つの会社に働き続ける人がどんどん減り、
どんなに大きな会社でも、勤務先など頼りにならない今の時代、。

「×2成人式」の40歳は、自分の将来、自分の適正、好きなことが何かがまだよくわからなかった20歳の時から、さらに20年後にあたる。
自分を見つめ直すのにはとても良い時期だと思う。
しかも今の時代だからこそ、これからどうやって生きていくのかを考えるのにも、絶好な機会になると思うのだが、いかがだろうか。

日本人の平均寿命はものすごく伸びた。
男も女も80歳を超えた。
「×2成人式」の40歳は、まだ半分なのだ。

40歳は、学校だけでなく社会経験を経ている。
嬉しいことや悲しいことを経験し、充実感を得たり、苦難を立ち向かったり、そういうことをいくつか乗り越えてきたはずだ。
得意なことや自分の志向がはっきりしてきた40歳。

ここでどれだけ自分と向き合うか。
それが60歳、70歳、現役リタイア後の生き方にも大きくかかわっていくような気がするのだ。

その少し上の世代でもある私は、自分が40歳の頃、バブルはとっくに崩壊していたけれど、時代の変化を感じながらも、それが自分の問題とは考えられなかった。
時代の変化も、ここまでの変化であるとは気づかないままに時を過ごしてしまったような気がする。
いや、時代は変わりそうだ、と思いながらも、自分とは向き合ってこなかったのだ。

この世代はちょうど、キャリア教育を受けることなくここまで生きてきてた。
そういう考え方に慣れていない世代とも言える。

そんな私が自分の人生を改めて考えようと思い始めたのは、「×2成人式」をずいぶん超えてから。
もう少し早くから考えればよかった、と思った。
考えれば考えるほど、これからどうしたらいいかわからなくなった。
やっぱりこれが大事だと確信することもあった。
そんなこんなを繰り返しながら、今、自らの10年後、20年後を考える。

私の周りを見回しても、自分の仕事、生き方や働き方について、流されることなくしっかり考えるようになるのに、40歳を超えて、という人が多いように思う。

そう、「×2成人式」は自分の人生を考えるのにいいタイミングなのだ。
考えてみると、もう少ししたら私に「×3成人式」のタイミングがやってくる。

20年の節目というのは、人生を考えるタイミングとして、なかなかいい時ではないだろうか。
ハタチの時と違い、頼っていたはずの親もみるみる弱ってくる。
親の変化を感じ、親の人生に自分の人生を重ね合わせるにもいい節目だ。

「×2成人式」、「×3成人式」・・・。
私のオススメは、このとき、エンディングノートに接すること。

エンディングノートというと、高齢者のためのもの、老いじたく、死ぬ準備、・・・そう思う人が多いけれど、とんでもない。
子どもの頃のことをふり返ってみたり、改めて家系図を書いてみたり、といろいろなページがある。
言わば、人生ノートだ。

結構いろんな種類がある。
例えば下記は、明らかに若年層を意識して作られたものだ。

 あした死んでも後悔しないためのノート
 


 私の家族ノート



 未来に残すエンディングノート



書かなくたっていい。見るだけでもいい。

例えば、「×2成人式」の時は親のことを考えながら。
もし親が書くとしたら、どんなことを書くだろうと。
実は親のことを意外と知らないと思うことも多いのではないか。
戦後の高度経済成長時代のことなど、もっともっと親に聞いてみたくなるに違いない。

そして「×3成人式」の時は自分のことを考えながら。

二十歳の成人式の後にやってくる「×2成人式」、「×3成人式」は、人生を考える絶好のタイミング。
愛情のお仕着せの「2分の1成人式」よりもよっぽど意味があると思うのだが、いかがだろうか。


2015年1月21日

いまの20代女性が「老後が不安」と訴える理由

就職を悩んでいる20代の女性に会う機会があった。

忙しい職場で、身も心もヘトヘトになって辞めて1か月。
これからの就職について大きな不安を抱えていた。

その大きな不安が、「老後」なのだと言う。
まだ20代の女性だ。

そんなことを考えても仕方がないと頭では分かっているのだが、
それでも、介護報酬の引き下げ決定、生活保護の引き下げ検討・・・
新聞ではそういうニュースがどんどん出てくる。

働かないと年金が出ない。
正社員じゃないと厚生年金がない。
私は将来どうなってしまうんだろう?

そういうことが不安でたまらないのだと言う。
私の20代の頃をふり返ると、考えられないことだ。

私が20代の頃、世の中はバブル景気の終わり頃だった。
バブルがはじけた後も、その状況がわからないままだったように思う。
当時の私にとっての将来の不安は、恋愛がうまくいくかどうか、自分が結婚するのかどうかがメインで、あとはせいぜいボーナスの金額や会社の人事くらいのものだったような気がする。
それが私にとっては大問題だった。
当時の私は、自分自身の老後など考えようとしたことすらなかった。

先々を考える、考えない・・・どちらがいいのかはわからないが、
まだ20代の女性が、これからいろんな可能性が広がっているはずの女性が、
その可能性を考えようとするときに、「老後が不安」でたまらない思いで就職先を探そうとしているのを見て、心が痛んだ。

要介護高齢者の厳しい状況や高齢者の貧困、介護難民、孤独死・・・
若年者の就職難民、派遣と正社員の給与格差、ワーキングプア・・・
そういうニュースが夢や希望を奪っていくのだろう。

高齢者の問題は高齢者だけの問題ではないことを感じる。
高齢者が明るい未来が想像できる社会は、40代、30代、若者にとっても明るい社会になる。
明るい未来がイメージできなければ、夢や希望に向かって頑張ろうという活力は出てこない。

それは若者だけではない。
私の世代や団塊の世代にとっても、明るい80代、90代が見えなければ、今があまりに切なくなる。

上の世代は下の世代への責任があるとよく言われるが、
それは、自分自身が自分の子どもへとつなぐだけでなく、ちょっと下の世代へとつなぐためにも。

カッコいい先輩が増えることは、社会の活力になる。
誰もが、下の世代に対してカッコよくありたいものだ。
ずっとそう思い続けてきたが、「老後が不安」な20代の女性の話を聞いて、その思いはますます強くなる。




なかなか聞けない、終末医療現場で働いていた緩和認定看護師さんの話を聞くコラボイベント。
そのお話から自分の今を考え、生き方を考えてみませんか。
生き方を考えるのに便利なエンディングノートと、その中でも特に難しい項目の医療にスポットをあて、明るく考えていきます。