2012年4月20日

この人と仕事がしたい

5年近く前に辞めた会社員時代にお世話になったお取引先の方(女性)から、仕事の相談でメールをいただいた。
実際に仕事で懇意にしていたのは、退職する2年前だったが、退職時にご挨拶をしていてそれ以来のことだ。だからお目にかかるのも、ほぼ5年ぶりになる。
久しぶりにこうして思い出してもらい、ご連絡をいただくというのはありがたく嬉しいことだ。
彼女は当初から多忙な立場であるにも関わらず、いつも物腰が柔らかく丁寧な応対で、しかも優秀だったので、私の方も嬉しさ倍増で、ご相談いただいたことのお答えを兼ねてお会いすることになった。

彼女は、当時ベンチャーからどんどん急成長中だった企業の広報に所属していたのだが、今では大企業となった企業ブランドを管理推進する仕事をしていた。
入れ替わりの激しい業界でご苦労も多そうに見受けられたが、「今までの自分の周りの人はいい人ばかりで、人間関係にとても恵まれてきた。」とニコニコしながら話す様子は魅力的だった。

その彼女との話で、印象的だったことがある。
「この人と仕事をしたい」と思って仕事が始まることが多いというのだ。
特に女性はそういうことが多いのでは?とおっしゃった。
「この人と仕事がしたい」と思って、新しい仕事をつくったり、考えたりすることは、現実社会によくあることかもしれない。

「この人と仕事がしたい」
そんな気持ちで仕事が始まれば、お互いに気持ちよく仕事ができる。仕事の質も上がることだろう。
仕事人は、そう言われるようになりたいものである。
「この会社が好き、好きな会社のものが欲しい」これを世の中ではブランドというのだが、人も同じだ。
企業ブランドを管理推進立場の彼女から、そういうパーソナルブランドを構築し続けることの重要性を、改めて教えられた再会だった。

2012年4月14日

言葉を知らなければ意思疎通は図れない

私が関わる小さな会社でのことだ。
外回りをする営業マン、24歳。東京の有名私大を卒業し、新卒で入社した2年め男子で、素直で前向き、スポーツマンでもある。
その彼が、一人で大事な取引先のトップとの商談に臨むところまでにこぎつけた。
今までなかなか営業がうまくいかなかった彼にとってはそれだけでも快挙だが、せっかくのチャンスなので、価値ある商談にするための念入りな準備を進めた。
私も、彼の相談に乗ったり、商談リハーサルとも言えるロープレにつきあうなど協力し、当日を迎えたのである。
商談に臨んだのは彼一人なので、その場がどんな雰囲気で、どんな風に話が展開されたのかは彼にしかわからない。
後日聞いた彼の話によれば、商談後に取引銀行の話題が出たようで、商談相手はその銀行の頭取と所縁があることからそれに関連した話題になったという。
その話を聞いていたところ、彼は「頭取」の意味をわかっていなかったことに気づいた。彼は、「トウドリさん」という名前の人の話をしているものだと思い込んで会話が進んだのである。特につっこんだ話でもなかったようなので、会話に不自然なところはなかったはずだという話ではあったが、「頭取」を知らなかったことに、私は驚愕してしまった。今はこれは普通のことなのか。彼は特別な稀有な例にすぎないのだろうか。
その後、気になって周囲に聞いてみたところ、若者で「頭取」を知っていたのは、半分強にとどまった。私たちの世代にとって、おそらく「頭取」を知らない人はいないだろう。「社長」と同類の一般名詞のようなものだ。けれども若者にとって「頭取」は、誰もが知っている言葉ではないようだ。
伝わると思っていると伝わらない言葉がある。言葉の意味や解釈は、時代や世代で異なる場合がある。
難しい言葉は使わずに易しい言葉で---そんなことは当たり前だが、易しい言葉であっても知らなかったり、意味を勘違いされたりすることがある。今回の営業先での話は仕方がないにしても、コミュニケーションをとっているつもりが、実は全くとれていないということが十分にあり得るのだ。
少人数だったり、face to faceであれば、表情でコミュニケーションがとれているかどうか気づく可能性もあるが、人数が多かったり、直接会っていない場合は、気づかないまま通り過ぎてしまう。組織が大きくなるほど、トップの言葉も届きにくくなることだろう。
確実な意思疎通と情報共有がしやすい少人数組織は、企業理念やビジョンが重視され、スピードが求められる今の時代だからこそ大企業や大きな組織よりも強くなるチャンスなのかもしれない。社員一人一人の顔が見え、一人一人の個性までが把握できる小さな組織だからこそ伝わること、感じることが、たくさんあるに違いないと思う。

2012年4月5日

働き方の新しいカタチ

ICという働き方をご存知だろうか?
Independent Contractorの略だ。all aboutでは、かつて「独立業務請負人」という訳で紹介していたことがある。
企業と雇用契約ではなく、業務単位の契約を結んで仕事をする、インディペンデント・コントラクター(IC)。独立・起業ではない、組織から自律したその働き方だ。

今から4年半前に私が勤務先を退職して独立した際、私はその勤務先を退社はしたが、ある部分のみ継続して仕事をする契約を結んだ。今になって考えてみれば、これはまさにICという働き方だったようだ。
私自身の契約は、それ1本だけでというほどの仕事量ではなかったし、他のこともやりたかったので他の仕事もやっているため、純粋なICとは言えないが、IC自体は、当時新しい働き方として少しだけ騒がれたことがある。
当時はあまりそういうことを意識していなかった。今になって考えてみたらそうだったなと思ったので調べてみたところ、今はほとんど言われていないようである。

all aboutで取り上げられたのも、2006年と2008年。
他の記事でも2005年から2009年までがほとんどだ。
アメリカではかなり一般的な働き方と言うことだが、今の日本ではどうなんだろう?

ちなみに、私は今でもICとしての業務は多少継続して行っているが、いろいろな意味で余裕があるので、今、ICとしての仕事は1業務にすぎない、というのが実態である。

そして、今の時代、新しい働き方として脚光を浴びているのはノマドワーキングだろうか。
決まった場所(オフィス)ではなく、カフェや公園など好きな場所でノートPCやスマホ片手に仕事するスタイルだ。

この5年の大きな違いはITの進化だろう。クラウドサービスのハードルは低くなった。各種のサービスが、しかも無料で利用できることが増えてきた。
実際、カフェに行って周りを見回せば、仕事をしている様子の人は少なくない。
私自身も、無料のクラウドサービスを多数利用するようになった。
打ち合わせやアポイントで外出する際に、ちょっとした時間があけばカフェで仕事ができるので、外出先からいったん戻ってまた外出、ということはあまりしなくなった。
それでも私自身はまだオフィスはいらないとは思わないが、外出先でクラウドサービスを利用して仕事をすることができるので、時間の無駄がない。
 
ICとノマド、どちらもそれぞれの時代の新しい働き方と言われたカタチではあるが、社会の中の立ち位置や向かい方が少し違うように思う。
ICは、企業と個人が契約する働き方。終身雇用が崩れ、企業がリストラを進める中で、企業にとっても個人にとっても都合のいい働き方とも言える。個人は自分自身の能力部分だけを企業に買ってもらうのだ。
これに対してノマドは、契約の仕方や雇用主についてはあまり問われていない。個人事業主、自営業の人、一般的なサラリーマン、契約社員や派遣社員等々、いろいろな形態があり得るだろう。それよりもどこでどんな風に仕事をするか、ということが、問題なのだ。
ICに比べて、ノマドは、より自分らしく、 より心地よい働き方のカタチであり、自由度も高いように私には思われ、今の時代の流れを感じる。
これからの時代の新しい働き方は、どんなふうに変わって行くのだろうか。

2012年3月26日

古くて新しい「手間をかける戦略」

ここのところ、私の中で気になっている言葉がある。
「惜しむなよ。やりすぎるくらいがちょうどいい、人間関係ってやつは。」
という言葉だ。

放映中のドラマ「最高の人生の終わり方~エンディングプランナー」(TBS)
の中の山崎努のセリフだ(苦笑)。

私は遺影に興味があり、ブログ「遺影について思うこと~自分らしく生きるために」を書いていることもあって、このドラマを放映前からチェックしていた。
そのブログの発展型新サービス、i-faceを2月に立ち上げたこともあり、関連情報として欠かさず見ていたドラマだった。

このセリフがずっと心に残っていて、仕事でも、そうでない時も、
いろんな時に私の心の声が、私にささやくのだ。
「惜しむなよ。やりすぎるくらいがちょうどいい。」

毎日の仕事をきっかけに、新たに出会う人は数多い。
直接仕事には関係なくても、いつどこでどんなふうにお世話になるかも知れず、そのたびにご縁を大事にしたいと思う。せっかく出会った方なので、できることならメールだけでも Thank you letterを出したいところだ。
それでも、日々の仕事の中で時間に追われていると、なかなか手が回らないことが多い。
面倒だと思うこともあるし、流れ作業のように流したり、場合によってはスルーして(何もせずに通り過ぎて)しまうこともある。
そこに心の声が「惜しむなよ」とささやき、でも忙しくてできないから仕方がないと言い訳してみたり、後ろめたさを感じたりして、それも私のストレスになるのだ。

そんなことを思っていたら、ブランド経営コンサルタントのメルマガ記事のタイトルが
手間をかける戦略」だった。

手間をかける、丁寧にコミュニケーションするということは、
今、古くて新しい「手間をかける戦略」・・・。
いかに効率的に進めるかを長いこと考えてやってきたから、私は過去の思考で、つい効率的でないことにストレスを覚えるのかもしれない。
しかし手間をかけるコミュニケーションは、今の時代だからこそ希少な戦略とも言えるのだ。
一般的な効率優先のスタンスでは、そんなことは誰もができることではなくなっているから。

さて私も、そういう視点に立てば、私自身のストレスも軽減できるかもしれない。


このコンサルタント、水野与志朗さんは、パーソナルブランディングのセッションを行うこともあり、私にとっては迷った時の羅針盤的な存在で、時々お世話になっている方である。
ちょうど上記のようなストレスを感じていた時に届いたメルマガのテーマだっただけに、やられた!と思ったというのが本音だ。

ちなみにドラマ「最高の人生の終わり方からエンディングプランナー」(TBS)は、既に3月15日に最終回を終えた。

私にささやく心の声のもと、ドラマのTBSに感謝することにしよう。

2012年3月13日

ストレスと向き合う意味

株式会社ビジネス・ブレークスルーが公開した「ビジネスパーソンのストレス意識調査」の結果が、フェイスブック上で多くの人にシェアされている。

この調査は、大前研一さんが主宰するビジネス・ブレークスルー大学で実施されている「問題解決力トレーニングプログラム」を受講するビジネスパーソンを対象に実施したものであるが、注目を集めたのは、Yahooニュースのタイトル「年収1000万円を超えると、仕事のストレスが減少」の影響も大きいのだろうと思う。

そもそも年収が増えるとストレスが減るというのではなく、高年収のビジネスパーソンは主体的に仕事する人が多く、仕事内容やスケジュールを自分でコントロールできるケースが多いから、結果的にストレスが低いと解釈する方が自然だ。
ストレスの主な原因が
「仕事内容を自分でコントロールできない」(49%)、
「会社の業績が思わしくない」(34%)、
「社内の人間関係がうまくいかない」(27%)
ということをふまえても、そう思う。

また別の側面からは、ストレスの耐性の強さもあるのではないかと思う。
というのは、年収が高くなるにはそれなりの努力や苦労があるわけで、そういう努力や苦労を繰り返していく中でストレスに強くなっていくことがあるのではないか、と思うのだ。

誰もが同じ指標を持たず(持てず)、成長が約束されるわけもない今の時代。
価値観は人それぞれだし、正解があるのかどうかもわからず、仮にあったとしても正しいことは一つとは限らない。どこに向かって進むのかの答えは自分でみつけるしか方法はなく、それを考えられないことは、結果的にストレスにつながっていく。

ストレスは心だけの問題ではなく、体にも危険サインを出していく。
いろいろな病気の遠い原因として、ストレスが挙げられることは珍しくない。
腰や首が痛かった人が、ストレスと向き合うことで痛みが緩和することもよく聞く話になりつつある。

先行きは確かに不安ではあるけれど、自分の人生を自分でどう切り開くのか、それを考え続けることが、ストレスを減らす(鈍感になれる)ことにつながって行くように思う。