2011年9月5日

「人」対「人」のコミュニケーション

平日の百貨店は毎日ガラガラだ。
かつて朝10時前になると百貨店の入口には開店を待つ多くの人が群がっていたものだ。しかし、ここ1年はそういう景色を見ることはほとんどない。地下の食品売り場以外は、平日など夕方までの1日中、店内はガラガラだ。わずかの人しか見かけない。買い物をする側としては、のびのびと買い物ができて快適ではあるものの、かつての活況を知る私としては、やや不気味ですらある。
私自身も、今やほとんど百貨店でモノを買わなくなった。本も音楽も洋服も家具も電化製品も、ほとんどWeb上で購入している。リアルな店は、ユニクロや100円ショップなど、安売り系店舗だけだ。百貨店に行くのは、地下の食料品売り場、手土産のお菓子購入、カフェの利用、そしてプレゼント購入の時くらいになってしまった。あとは、実際の商品を、買うのではなく見に行くために百貨店に行くのだ。
こんな状態では百貨店という業態自体、もたないだろうことは容易に想像できる。百貨店という業態自体がもはや社会に合わなくなっているのかもしれない。ネット系流通業の隆盛ぶりをみると、顧客がWeb系流通に流れているのは一目瞭然だ。
そんな風に思っていたら、私の学生時代の女友だちが、メイクのアドバイスを受けたり相談をするために友だちと連れ立って百貨店の化粧品売場に行くという楽しげな話を聞いた。
ちょうど時期を同じくして、ここ2~3年、買い物はネットショッピングしかしなかった女性が「最近はセールスマン返りしている」という話を聞いた。彼女は、どうやら熱中していたネットショッピングにそろそろ飽きてきたようだと自分自身を語った。久しぶりに、セレクトショップやブティック、百貨店で洋服を買うことの楽しさに、今、目覚めていると言う。少し前まで鬱陶しかったはずの人とのコミュニケーションが、今心地よく、楽しく感じると言うのだ。お店の人(セールスマン)にアドバイスをもらいながら、時々自分の個性を褒められたりしながらのショッピングは、まさにレジャー。ネット上の買い物とは全く違う楽しみがあると言う。
震災以降、絆の重要性が叫ばれ、かつては煩わしいと思われていた「人との関係」を再認識したり、人のナマの声や言葉を心地よく感じる流れがあることは確かだ。この流れは今後さらに加速していくのか? それとも一過性なのか?
かつてレジャーだったはずのショッピングがレジャーではなくなり、買い物はネットで充分と私たちが感じるようになっていったことでこれまでWeb系流通業が成長してきたわけだが、振り切った振り子が戻るように、人の気持ちも戻っていくのだろうか。
私から見れば、もはや社会に合わないと思われる百貨店だが、再びお店の人とのやりとりを伴う買い物の楽しさを志向する顧客層が百貨店には戻り、増えていくのだろうか? それとも・・・。
確かに今後、百貨店業態が返り咲く日が来るかもしれない。しかし、それは今すぐというわけではなさそうだ。そういう気持ちが戻ってくるまでの時間を待つ体力が、今の百貨店には残っているだろうか。残っているところしかその日を待つことはできない。もしくは振り子が戻る回顧などせずに、新しい業態開発に向かっていくのか。
震災をきっかけに、ヒューマンコミュニケーションが再認識され、そういうものを求める心が広がっていることは間違いない。が、それは必ずしも「人」対「人」であるかどうかは、まだ答えは出ない。