2014年11月16日

新しいことは面倒だけど、ザビエルがいて、はじめの一歩があれば、前に進める

5年前から夫が自転車を始めた。
ロードバイクと言って、細いタイヤでハンドルの握る部分が羊の角のように丸くカーブしている自転車、ヘルメット、ピタピタのウェアという、街中で見かける、あのタイプだ。

彼は元々スポーツをやっていたわけでもなかったが、知り合いから誘われて試しに乗ってみたら、あっという間に虜になった。
いつの間にか100キロ、300キロ、600キロ、と走るようになった。

「一緒にやらない?」
何度か誘われたが、その走り方が私から見るとストイックに見えて、私はまったくそういう気にはなれなかった。
彼が走ることは大歓迎だったのだが、自分が走ることは想像できなかったのだ。

そのうち、彼は軽井沢にカニクリームコロッケを食べに、茅ケ崎にアジフライを食べに、というふうにちょっとそこまでの軽い気分でも自転車で出かけるようになった。
一方で、長距離を24時間以上走り続けることもある。
1人でも行くし、連れ立って行くこともある。
楽しそうなときもあるし、苦しそうなときもある。

自転車を始めて、彼はいろいろなものが変わり始めた。
モノの感じ方、表現の仕方、好み、家で話をする内容・・・
彼が、自分の時間そのものをしっかり味わっているような感じとでも言おうか。
これは彼が自転車を始める前には感じなかったことだった。

まわりの友人知人に自転車の面白さを語るようになり、自転車に興味のなかった人たちに「騙されたと思ってやってみない?」と言って、「初めての自転車体験」をさせる。
その結果、次々と自転車を始める人が増えていく(らしい)。

夫は昔から「オレが楽しいことは、きっとみんなも楽しい。」が持論で、自分が楽しいことを語ると止まらない。
それは、学校の教科書に写真が出ていたザビエルのように見える。
日本にキリスト教を布教させた宣教師、ザビエルだ。

私は羨ましくなっていった。
50歳で新しいことを始め、それに夢中になって知らない人にまでその話をしながらどんどん広がっていく彼から、取り残されていくような気がしてきたのだ。

それは、自転車をやらないから、ということではない。
私自身が新しいことを始めることに対して面倒になっていたことに気づいたからだった。

面倒くさい・・・
わざわざそこまでして・・・
どうせ体力的に無理だろうし…

いろいろ理由を並べながら、言い訳をしている自分がいた。
昔の私はそうじゃなかった。
やりたいことはとりあえずすぐにやってみたし、躊躇なんかしなかった。

でもいつの間にか守りの体制にいる。
そういう自分に嫌気がさし、取り残されていく感じがしたのだと思う。

私もやってみようかな・・・
自分の体を使いたい。風を感じたい。町の景色をゆっくり見たい。

そこで私は、今年の夏に夫から助言をもらいながら、ロードバイクではなく、クロスバイク(ハンドルがフラットのタイプ)を購入した。
これが、私の「はじめの一歩」だった。
クロスバイクなら、ピタピタを着なくていいし(苦笑)、ゆっくり走ってもいい。

そして、まずは近所を自転車で走る。
ちょっと先まで自転車で走る。
旅行先に持参して、夫に先導してもらいながら山道を自転車で走る。
・・・私のペースで進み始めた。

なんだって、きっとそうなんだろう。
新しいことを始めるのは面倒くさい。
年をとればとるほど、億劫になっていく。

だけど、自分自身が「はじめの一歩」を踏み出しさえすれば、きっとどんなことでも前に進める。
そこに「こうすると楽しいよ。」と教えてくれる助言者、がいれば、その「はじめの一歩」は、そんなに大変ではなくなっていく。
周りを見渡せば、きっとザビエルがいる。
ザビエルに出会えれば、はじめの一歩は踏み出しやすくなる。踏み出した後も進みやすくなるに違いない。