2015年4月1日

「自分に自信が持てない」と思ったことがない人なんて、あんまりいないようだ。

言われてびっくりしたのだけれど、どうやら私は自信満々に見えるようだ。
たまにはそういう時もあるかもしれないが、そんな時はめったにない。
意外と人が私を自信満々に見ている時ほど、内心はそんなことはないような気がする。

 自分に自信を持ちなさい。
 もっと自分に自信を持って。

そう言う人が多い。
本人にとってはそんなことは百も承知だけど
そうなりたいと思うけれど、そうなれないから困るのだ。

巷には自信をもつためのハウツー本があふれ、ベストセラーも多い。





そういう本に惹かれて読んでみたりすることもあるけれど、
読んだから自信がつく、なんて特効薬はない。
でもいろいろあるんだから、それだけもっと自分に自信を持ちたいと思う人が多い証でもある。

私自身、
「自信満々に見えるんだから、そのイメージをうまく使うといいのに。」と
言われたことがあるが、冗談じゃない!
決して自信満々じゃないのに自信満々に見られることが、
私としては困ったものだと感じるのだ。

どうして私はこんなに自信がないのだろう。
もっと自信が持てればいいのに。
・・・私がそう思う時は、自分だけがダメ人間のように感じている時だ。
しかし、実際にいろんな人と話していると、
そういう思いを感じたことがない人、というのはそうそういないということに気づく。

「え?あなたでもそういう風に思うことがあるんですか?!」
と、改めて驚いてしまうことがある。
私から見れば、そんなことを感じていたなんて到底思えないような
心が強そうな人さえも、だ。

強気に語っているように見えるホリエモンだって、ユニクロの柳井会長だって、
お会いしたことはないけど、きっとそういう思いを抱いたこともあるんじゃないかな・・・
などと想像して、うふふ、と思う。

まあ冷静に考えれば、そりゃあいろんなことがあるから、
誰だってそういうことがあるのだろうが、
自信がないのは自分(のようなダメな人間)だから自信が持てないのだ、と
どこか無意識に思い込んでいるところがある。

大体、「自信がない」とは言いながら、
どんな人でもずっと自信がなかった、というわけではないだろう。
今までの人生で、生涯を通じて(子どもの頃からずっと)
いつもいつも、24時間365日、何年もずっと自信がなく悶々とし続けてきた、という
わけではないのではないか。

私の場合は、ひどく自信を無くしている時期と、
自信があるとかないとかそういうことを全く気にしていない時期とが
繰り返して訪れてくるような気がする。
そのふり幅が、小さかったり大きかったり、
インターバルが短かったり、長かったりしながら、繰り返し訪れてくる。

改めて考えてみると、その自信を無くしている時期というのは、私の場合、
人からどう見られているかが気になる時期、気にしている時期のように思う。
人からの見られ方、人の評価、周りの評判・・・
その「人」というのも、漠然と周りの人だったり、
自分が尊敬する人のように特定の人だったり・・・。

あとは、どこか人を羨ましく思って自分と比べているときだ。

私がそうであるように、堂々としているように見える人であっても、
意外とそういう繰り返しををしていて、
そういう人も、周りからの見られ方を気にしたり、周りと比較したり、
ということがあるようだ。
話をしてみると、そういうことが覗ける。

だけど、つまるところ、人の物差しじゃなくて自分の物差しで考えられるかどうか。
~結局は、どうもそこに尽きるように思う。

結局、自分が自分らしくあること。
自分らしく生きられるかどうか、ということなのだ。
自分で納得しているかどうか・・・

そういうことは、きっとじわじわと顔にも表れていくに違いない。
いくらその瞬間自信満々に見えても、内心オドオドしていたら
その数年後の顔には、どこか違う雰囲気が漂うようになるんじゃないか。
そんな気がしてならない。

だから時々立て直さないと、ね。





第13回になる4月のテーマは、
「宗教のはなし ~生きる上で仏教が果たせる役割~」。
お坊さんにお話を聞きます。
開催は4月8日。体験参加受付中。



おなやみ相談フェスティバルで名刺に出した顔写真診断を行います。
4月4日、東京・水道橋(御茶ノ水)の「YMCAアジア青少年センター」で。