2015年4月14日

自分が成長するには、「いい先輩」が必要だし、「いい先輩」になることも大事

求職中の20代女性の前職は、なんせ仕事量が多かったと言う。

聞いたところ、彼女は夢と希望に燃えて就職した。
次々と興味深いことに接する機会があり、
仕事は面白かったのだけれど、やってもやっても終わらない。
残業も休日出勤も多い。
周りも忙しいから相談もできない。

肝心の直属の上司は40歳前後の育休明け女性で時短勤務だった。
教えてもらうどころか、本人がイッパイイッパイで声もかけられない。
ちょっと声をかけると、邪魔しないでと言わんばかりだったと言う。

さらにその上の上司は50代。
その人の仕事は書類の承認印を押すだけで、毎日定時にサッと帰る。
相談しても、彼女の直属上司に任せているからと関知しなかったと言う。

結局、彼女は身も心もヘトヘトに疲れはてて、・・・退職した。

こういう話を聞くと、本当に心が痛い。


私と同年代の人たちが、若者世代の夢を奪おうとしている。
なぜそうなってしまうのだろう。

彼女というのは、知人の娘さんだ。
私と同じ分野を学び、その専門を生かす形で、
私と似たような仕事をしてきたことから、
私と話がしてみたいと言いだしたそうで、私が会って話を聞くことになったのだ。



私が若かった頃、上司は仕事を任せてくれたのに
当の私は全然できなくて、期待にはちっとも応えられなかった。
悔しくて情けなくて仕方がなかった。
必死にやるしかないんだけど、できないし、終わらない。

仕事をしながら私はメソメソ泣いてばかりいたが、
泣いてもいいような場、許される時があったように思う。
私の仕事場には厳しく叱る人、怒る人だけでなく、温かく包んでくれる人が必ずいた。
上司ではないけど仕事を教えてくれる人、慰めてくれる人、
事情はよくわからないけど、まあヨシヨシ、と言ってくれる人・・・
夜になれば、仕事が終わらなくてもまあ飲みに行こうよ!と、
あちこちに連れて行ってくれる人もいた。
そういう人は、みんな先輩だ。

私はそういう先輩たちに助けられながら、だんだん強くなっていったように思う。

そういう先輩たちに感謝するたびに、
「次は自分が後輩にそうするんだよ。」
と、いつも言われたものだ。

今、私が若者の夢を応援しよう、応援せねば、と思えるのは、
そういう先輩がいたからだと思う。

だけど、そういう先輩に恵まれなくて
自分だけの力で孤独に必死に頑張ってきた人には、
そういう思いが持てないのではないか。

連鎖するのだ、きっと。

先輩に見守ってもらった経験がないから、
育ててもらったと実感できていないから、
職場の同僚や後輩に目が行かない、気づけないのではないだろうか。

しかも個の時代になり、成果主義が続いたせいで、
チームの力が軽視されるようになってきた。
グローバル化が進み、ITの発達でいつでもどこでも連絡がつくようになり、
いつも追われている。
いつも忙しい。

だからますます人を育てる余裕がなくなったり、
人の顔色、顔つきに気づかなくなる。
ヘトヘトになっている同僚や後輩にも気づかなくなってしまうのではないだろうか。

10年後、20年後、その職場の20代が、30代40代になると、
今よりさらに若者をヘトヘトに追い込んでしまうのかもしれない、と
彼女の話を聞きながら思った。

本人ががんばるかどうか、
本人ががんばれるかどうか、は
確かに大事なことではあるだろうけど、私はそれだけじゃないと思うのだ。

人ががんばれるかどうかは、当人の問題、個人の問題だけではないと思う。
若者ががんばれるかどうかは、年長者の責任でもある。

今、いい先輩に恵まれない環境にいる人は、いい先輩探しをした方がいい。
それは必ずしも会社の中でなくてもいいのかもしれない。
今はいろんな働き方、生き方がある。
人生の先輩として、自分がいいと思える先輩だ。

いい先輩に恵まれないと、10年後、20年後、
自分自身がいい先輩になりにくく、
それは社会にとってあまりいいことじゃない。

なぜなら、素敵な先輩がたくさんいる社会であれば
若者にとってのロールモデルがたくさんあることにつながるから。

年長者がイキイキ生きていくことは、若者に対する責任でもある。

いつまでも夢や希望に溢れた年長者が一人でも多い社会。
そういう社会であってほしい。




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