2015年9月28日

資格にはどんな意味があるのか。あの人、資格持ってるのに・・・。資格取ったくせに・・・。

私は会社員の頃、甚だ僭越ながら資格というものをバカにしていました。
机上の学びより現場だ、と。
資格なんかより、仕事ができるかどうかだと。
でも、会社員でなくなって7年。
この間に、必ずしもそうではないとだんだん感じるようになってきました。
でもせっかくそう思うようになったのに、
またまた資格に疑問を感じてしまうことがあり・・・。
だけど結局のところ、それは自分の生き方次第なのですね。

「ちょっと!」大きな声で怒鳴られた

先日、かねてから興味のあったイベントに出かけたら、
以前一度だけお見かけしたことがある人が、受付スタッフをやっていた。
ご挨拶しようかなと思ったけど、先方が私を忘れているみたいだったのでそのままにしていた。

私はそのまま会場内に入り一通り見学したところで、ちょうどお目当てのセミナーが始まる時間になっていたことを知った。
MC(司会者)も動員を呼びかけていたので、私は急いでセミナー席に駆け寄り、座った。

そのとき、

ちょっと! ここから入っちゃダメです!

私はとても大きな声で怒鳴られてしまった。
声の主は先ほどお見かけしたスタッフさん。

え? 私? ダメ?

ダメですよ!
ちゃんと入口があるんだから!

あ、すみません・・・
知らなくって・・・

私は周りから一斉に視線を浴びながら慌てて立ち上がり、外に出て、
改めて本来の入口に向かった。
申し訳なさと恥ずかしさ・・・

コミュニケーションスキルをいっぱい学んできたくせに

知らないとは言え、間違えた私が悪いのはたしかとは言え、
それでももう少し言い方があるんじゃない?

その人はコミュニケーションスキルに関わる数々の資格をお持ちの方だった。
私自身が憧れて勉強したことや、
今後体系的に学びたい、目指したいと思うことを既にたくさん学び、
それに関係する資格をたくさん保有する同世代の女性だったのだ。

そういうことををいっぱい学んできたくせにコレ?!
・・・私はつい、そう思ってしまった。

資格取得の学びというのは

会社を退職し、これからの働き方を私が模索していた頃、
偶々貴重な学びの機会を得て、そこで、「学ぶこと」の異議や価値に私は気づいたのだ。
その時、資格取得というのは、学ぶ結果なのだと思った。

通常は長い時間かかる経験や諸先輩の助言などから得るスキルや力を、
資格取得のための勉強によって
短時間に、しかも体系だてて学べる機会になることを知った。
長い長い経験に伴う時間とか、人によって微妙に異なる解釈を、
理論というベースを元に、理解していくプロセスであると。
そこには、わかっていたつもりでも漠然としていたことや
今までの勘違いに気づく機会があり、資格取得以上に得る価値がある。

資格については、もう一つ思うことがあった。
会社を辞めると、会社員のときに背負っていた「見えない看板」を失う。
そんなことは想定内と思っていたはずなのに、
私の中で「資格が欲しくなる自分」というのがムクムクと顔を出してきたのだ。
見回せば資格を持っていた人が結構多いのに、気づけば私は何にも資格を持っていなかったからだ。

学ぶ価値を感じて学ぶ資格取得の養成講座に通う自分。
その一方で、バカにしていたはずの資格をほしいと思っている自分。
心の中では両方を抱えながらの学びだった。

結果としては、学ぶ価値は想像以上に大きかったし、
学ぶという機会を通じて得た人とのつながりも大きかったし、
資格取得以上の価値はあった。

学ぶ価値があるなどとは言ってられなくもなる

しかし、その資格試験に合格するのがとても大変だったりすると、
学ぶ価値があるなどとは言ってられなくなる。
そうは言っても資格だ、という気になっていく。
私よりもはるかに立派で尊敬する人が資格試験に合格しなかったり、
その逆があったりする現実の中で、いったい資格ってなんだろうと思う。
そんな割り切れなさをずっと抱えていたときに、冒頭のような人に会うと
本当に悲しくなるのだ。
学ぶ価値があるのだろうか、と。
私が大事にしたいことを汚さないで、と。

けれども反面、いろいろ資格を持っている人と話していると、
いろいろ勉強しているだけあってさすがだなあ、と唸ってしまうような人にお会いすることもある。

結局のところ、私がどうしたいのか。要は自分の問題

結局は私の問題なのだろう。
学ぼうが学ばなかろうが、私が学びたいか学びたくないかのこと。
それをどう生かすのかも、私の問題。
それは私がどう生きていきたいのか、そのものなのだ。

社会では資格で判断されることも多いし、
その資格がないとできないもの、できないこと、というものもあるのはたしか。
だけど「資格」という目に見えるものに頼ろうとした自分は
まぎれもなく「資格」に惑わされていたわけで、
それは本質を見そこねていたのかもしれない。

「資格」というのは、「学びました」の宣言書。
資格取得する以上は、自分で胸を張って宣言できるようでありたい。
人がどういう言うかなんて関係ないことではあるけれど、
少なくとも○○を学んだくせに・・・・などと言われるような恥ずかしいことにはなりたくないものである。



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