2016年3月10日

年寄り扱いはイヤ、若く見られることはやっぱり嬉しい。

電車で座っていて目の前に70歳前後と思しき方が立っておられたとしても、席を譲ろうか、やめようか・・・最近は逡巡してしまいます。
少し前だったら、スッと立ち上がることに何の違和感もなかったのですが、
最近の高齢者はお元気な方が多く、却って失礼にならないかどうか、気になってしまうからです。
そんなことを気にするのは、きっと私自身の年齢意識も大いに関係しているのかもしれません。

年長者は敬うものだったのに?!

昔の常識は、年長者は敬うのがあたりまえ。
年を取れば給料が上がる、年を取れば偉い・・・
多少おかしなことを言っているなと思っても、まあ聞いておこう、
余計なことは言うまい・・・
そんなものだったような気がします。

ところが年功序列が崩壊し年齢は関係なくなり、年齢が上だから偉いという常識はなくなりました。
さらに世間の見方は、若いことこそがすばらしいみたいな雰囲気。
そんな時代のせいか、年齢が高いことはちっとも誇らしいこととは言えず、実際の年齢よりも低く見えることは自慢です。

老いを受け入れる、なんて理屈だけ

考えてみれば、私自身も若く見られたい願望は、ずっとむくむくしています。

その昔30代の頃、姪(妹の子ども)が生まれた時に、私は絶対におばちゃんとは呼ばせませんでした。
その指導(?)のせいで、姪っ子の幼稚園のお迎えに行った時に先生から「おばちゃん?」と関係性を聞かれても、姪っ子は「違う。キミコちゃん」と答えたくらいです。

そして今、4才の姪っ子たちも同じ。
私のことを「キミコちゃん」と呼びます。
ちなみに彼女らは私が50を越えてから生まれた姪っ子です。 

年齢に抗うことなく、老いを受け入れて・・・
そう提唱する方はたくさんいらっしゃるし、その理屈はよくわかるけれど、
感情と理屈はなかなか一致するものではありません。
私自身は今だに、なかなか自分の年齢を受け容れていないような気がします。
特に50歳を超えたとき、もう人には絶対に年齢を言えない、と思ったものです(苦笑)。
そして今も若く見られればメッチャ嬉しいのは否定できません。

年寄り扱い お断り

1月に見つけたこちらの投稿記事。



74歳の女性読者からの投稿でした。
よくよく読んでみたら、投稿したご本人の話ではなく、そのお母様のこと。
御年100歳。
96歳の時にバスで席を譲られたことに対して
「帽子をかぶっていたのにどうして年寄りとわかったのか」と言ったお母様のエピソードを元に、今も年寄り扱いされることに不満気な様子について、娘の立場で投稿していたのでした。

愛すべき存在!
私としては目標にしたいような100歳女性です。
今、100歳前後のことを「アラハン」と呼ぶそうで、
長寿家系の両親を持つ「アラフィフ」の私にとっては憧れの存在でもあります。

この人も「年齢を受け容れていない」ひとり。
だけどいいじゃないですか!
年寄り扱いされたくない思いは、きっと意地みたいなもの。
ジタバタしながら、自分を守っているように思え、そこに可愛げがあるように思うのはわたしだけかしら。

とは言うものの、席を譲る側として考えてみると、これはなかなか悩ましいところです。
私が悩ましく思うのも、きっと私自身が年齢についていろいろ思うからに違いないと思う今日この頃です。




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