2015年3月3日

40歳以上~50代、60代のオトナがイキイキ生きていける世の中にしたい。

ダイヤモンドの記事によれば、オジサン社員が「お荷物」化して、企業経営を悩ませているのだという。
働かないオジサンは、若手社員の大きなストレスなのだそうだ。

自分がまだ若かったころの会社を思い出した。
終身雇用が当たり前で、年齢とともに給料が上がっていた時代だったが、
バブルが崩壊して少しづつ会社の状況が厳しくなり、以前ほどの賞与が見込めなくなっていた。

仕事をどんどん拡大し、ガンガン働く自分たち世代に比べて、
はるかに高い給料をもらう大先輩たち。
働いた分だけ分配されないのは、割に合わないと思った。
全体から見ればそういう大先輩はわずかなのだが、大先輩たちが呑気に見えた。
仕事帰りの飲み屋では、少し上の先輩たちと一緒にそういう話をよくしていた。

しかも残念だったのは、かつて活躍していた大先輩までもが、
定年が近くなっていくとその傾向が強くなるように私には感じられるようになった。

その後まもなく成果主義が当たり前の時代になり、給与体系もそれに伴って変わっていった。
それに伴って次第に現場から浮いていく大先輩が私は気になるようになり、
精彩を欠いていく様を見ると、せつなくなった。

自分の将来はどうなるんだろう・・・。
私はずっと会社の最年長女子社員だったこともあり、目標がみえづらくなっていた。

ああいう風にはなるまい・・・。
私が会社を辞めようと思ったきっかけは、そこにあったような気がする。

私は幸運にも仕事が好きだったので、忙しいと文句を言いながらも、働くことがイヤだと思ったことはない。
若い頃は末端仕事まで仕事はいろいろあるし、誰もがガンガン働けるけど、
ずっと会社にいると、好きな仕事ができなくなるのかも?
長くいると好きじゃないことをしなくてはいけなくなり、つまらなくなるのかも?

会社に長く居ることで好きな仕事を奪われるくらいなら、
好きな仕事に囲まれている今のうちに、自分で自分の次の仕事を作ろう。
・・・そんな風に思ったのが、私が会社を辞めることを考え始めるきっかけだった。

追われるよりは追っていきたい。
そう思ったのだけど、ちょっとカッコをつけたかったのかもしれない。

私自身、長いこと仕事ばっかりしてきたせいか、
今になって、ときどき自分がかなりオヤジ化しているな、と感じることがある。
下戸だったくせに、
コミュニケーションが大事だからと誘われれば大体飲みに行き、
仕事も若いうちは残業は当たり前と思い、
仕事場にプライベートを持ち込むことを是とせず
・・・長くそういう感覚でいたのだから、まあ典型的なオヤジだ。

ダイヤモンドの記事を読んで、
もしあのまま会社にいたら、若手から迷惑がられていたかもしれないと思った。
まだガンガン働いているうちに辞めたおかげで、そんな風に思われずに済んで本当によかった。

きっかけはそうだったけれど、そもそも私が目指していたのは、
年を重ねた大人がしょぼくれることなく、
イキイキワクワクと生きていける世の中にしたい、
それに貢献できることを何かしたい、
・・・ということだったと、今、改めて再確認する。

日々の仕事に追われ、雑事に追われている中で、
元々掲げていたはずの自分の思いを忘れそうになる。

何のためにこれをやっているのか。
うまくいかなければもう全部やめてしまおうかと思うこともある。

だけど・・・・・、そうだった。
私は、大先輩を見て自分の将来に希望が持てないような社会はおかしいと思っていたのだ。

素敵な先輩がいる社会は希望が持てる社会でもある。
それは、若い世代にとっても大事なことでもあるのだ。

私が自分らしい働き方や生き方を考える勉強会を行うのも、
エンディングノートとか終活にも関わるようになったのも、要はそこにつながっている。
しかもそれはあくまでもイキイキと生きていくために。

そして、その素敵な先輩の「素敵」を一番わかりやすく表現しているのが「顔」だ。
生きざまがにじみ出る顔。顔つき。
顔は説明不要。見てすぐわかる。バレてしまう。

そして今、本当に素敵な大先輩たちの存在が、今私に大きな力を与える。

オジサンとかオヤジという表現は、
どうも小バカにしたような匂いがプンプンしてしまうけれど、
そうではなく、改めて私は素敵なオジサンオバサン増殖計画を掲げていきたい。