2015年3月8日

残存能力を奪わないで。

高齢者に対して優しいことはたしかに大事なことだ。
だけど、そのせいで高齢者が弱ってしまうこともたくさんあるような気がする。

子どもがいない一人暮らしをしている80代の女性が、
「私は一人だから、誰も頼ってなどいられない!」
と言いながらも元気で暮らしているのを見ると、特にそう思うのだ。

なんだって自分でしなきゃいけない~というのは
大変なことではあるけれど、でもそのおかげでその能力が衰えずにいられる。

心配する、という愛情のせいで、残像能力を奪ってしまうのはあまりにもったいない。
よかれと思う周りの気遣いが弱らせてしまう。

80代の私の恩師は、子どもが心配するからと行動を控えておられた。
それによって自分が弱るかもしれないという自覚などたぶんないと思うし、
もちろん心配する子どもの方も、そんなつもりなどあるはずもない。

心配するあまりに弱らせてしまうのは、意外に親孝行な人が陥りがちなことだと思う。

だけどこれ、実は私自身も、全くもって他人ごとではない!
高齢者の暮らし問題だけではないと思うのだ。

会社員をやっていると、なんでも会社(の人)がやってくれる。
偉くなれば、秘書がなんでもやってくれる。

お茶を煎れてくれる、
コピーをとってくれる、
メールを見て出力してくれる、
スケジュールを管理してくれる、
手土産を用意してくれる、

エラいオジサンの場合、いろんなことを周りがやってくれる。
知らないうちに何もできない人へと育てられていく。
そのため、会社をやめると一人では何もできなくなってしまうことになるのだ。
だから、定年退職した男性は、それも偉ければ偉いほど大変なことになってしまう。

私も会社を辞めてフリーランスで仕事をスタートした時、
別に偉くなんてなかったのに、
さてパソコンの設定をどうしよう?
会社でやっていたような出力やスキャンはどうやってやろうか?
セキュリティは?    等々・・・
当たり前に思っていたことも、実は自分では意外にできなくて、
何でもかんでも自分でやらなきゃいけないことにはほとほと参った。 

考えてみれば、私も会社員時代にはずいぶん後輩たちに世話になっていた。
若手から「石崎さんはPCリテラシーが低いから・・・・」って言われたよな~などと
ふり返って苦笑いしたものだ。

でも見方を変えれば、それは能力が育つ機会が奪われている、とも言える。

面倒でもやった方がいい。
暮らしも、仕事も。

私の周りには優しい人が多いし、私も甘ったれで怠け者だから
ついつい、やって!教えて!とすぐ言ってしまう。
頼ってしまう。
でも、それであとから自分が痛い目に会うのだ。

周りの人がやさしいのはとてもありがたいし、嬉しいことなんだけど、
危ないアブナイ。
自分が何もできなくなる方へと急降下していることでもある。

経験を重ねると目をつぶってもできることが増えてくる分、
そうでないことは丸投げしたり、やってもらうことをあたり前に思ったりする。

でも、なんでも少しづつやってみることに意味がある。
そのおかげで、数年後には
私のPCリテラシーが低いと言っていた若手にもちょっと褒められた。

誰だって年をとるし、年をとることで衰えることもある。
体力とか、記憶力とか、新しい技術を身につける力とか・・・・
だけど、だからと言って人にやってもらうと、
せっかくある自分の能力が急速に錆びてしまう。

残存能力は磨かないと。
キープすらできなくなるのだ。

年老いて弱った親を見ていて、
やってあげることは、必ずしも親切なんかじゃない、と思う。
親とのつきあい方として最近考えることの一つでもある。
多少、親不孝と思われたとしても、わざと助けない。やってあげない。
そんなやさしさもあるのだ。

家の中でも、せっかく親切にしてくれる夫に対して
私は失礼ながら「私の残存応力を奪わないで。」と言うことがある。
そのせいで、最近は夫に高いところに置いてあるものを取ってほしいと頼むと
「自分でやらないとできなくなるよ」と言われる。
そうだった、そうだった・・・・(苦笑)。

今の私も
もし周りが助けてくれない時には、それはラッキーなんだと思うことにしよう。


きっとそれが、オトナの生きる道なんだと思う。


念のため、補足しますが
私はなんでも自分でできなくてはいけないと思っているわけではありません。
苦手なことは誰かにお願いすればいいとも思っています。
ただ、それによってもしかしたら自分ができるようになるかもしれないのに
どんどんそれができなくなる。
しかもそうなっていくことに無自覚であるというのは怖いと思うのです。