2015年3月11日

抗わない。畏怖の念を抱く。

3月11日、忘れもしない、東日本大震災の日。
あらから4年たった復興の様子にスポットを当てたニュースを、
ここ数日はよく目にするようになった。
地域によっていろいろな復興の形がある。

いかに防ぐか。
それを目指す形がもちろんあるのだけど、
それとは少し違う形の方向、「いなしの構造」という言葉があった。

8日のサンデーモーニング(TBS)で 造園家の涌井雅之さんが語っていた言葉だ。

津波を超えさせない壁を作るのではなく、
もし津波が来ても逃げられるような整備をする。
力を分散して被害を最小限にするようにする。
・・・・すなわち「いなす」のだ。

住んでいた人々は海が生活の一部だったのだから、
海が見えないくらいの壁を作るんじゃなくて毎日海を眺められるように。
そのために暮らしの拠点は高台で。
でも万一の時には水が抜けて流れやすい構造にして津波の力が弱まるように。

抗うのではなく、自然への畏怖の念を払う。
自然の暴走をいなすのだ。

いなす。
大事な考え方だと思った。
他にも通じる考え方だと思う。

例えば、今の時代だからこその人の生き方。
いろんな人がいる。
いろんな価値観がある。
合わないからと言って抗う(争う)のではなく、いなす。
人や価値観の存在自体は認めながら、ねじ伏せようとするのではなく、
いなすのだ。

例えば、年齢。
アンチエイジングに注目が集まり、いかに若くあるか、若く見えるようにするかばかりが重視されがちだけど、年を重ねること自体をいなす。
やってくる老化に抗うのではなく、そのまま受け入れてただ老化するのでもなく、いなす。

いろんなことをいなす。
抗うよりも、結果的には継続した強さが発揮される。

たぶん人生というものは、いなしの連続なのかもしれない。




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