2015年3月5日

そう言えば・・・行きたいところ、やりたいことがいろいろ。京都のひとり歩き、街歩き・・・

昨夜から京都に行っていた。
ある勉強会で出会った人に会いに行ったのだ。

お互いの仕事に接点があったのだが、その人に会った時にあまり時間がなく、
改めてゆっくり会いましょう、と言ったら、
なんとその人が京都在住で、独立して約1年の人だった。

4月に東京に来るかも・・・・と言う話だったが、
私も身軽なフリーランスだし、それだったら私が京都に行きます!ってことに
なった次第。

会社員じゃなくなって一番いいのは、こういうふうにフットワークよく動けることだ。
その分、出張費を会社が出してくれない、といデメリットもあるけど。

当初は日帰りの予定だったが、せっかくなので1泊することにしたら、
今度は次々とその人と関係する人にお会いする機会が設定された。
打ち合わせの場所になったカフェも、これまた京都らしい。



生まれてからずっと東京の私から見ると、
京都という街はどこに行っても絵になる街だ。
小さなビジネスホテルの窓の外には五重塔がすぐ見えて、
その向こうには山が広がる絶景で、でも足元に見えるのは普通の民家で、
だけどその民家も街に調和するようなデザインで、
街歩き自体がエンターテイメントだ。


いつもより早起きして、朝食後に近所のお寺まで散歩をした。


そう言えば、私、京都い行きたいたいとずーっと思っていたんだった。
もう20年くらいしてないけど、私、一人でふらっと旅がしたいとも思っていたんだった。

歩きながら、そんなことを思い出していた。

忙しい日々が続いていると、
やりたいこと、行きたいところを後回しにしていくうちに時がどんどん過ぎていく。
そういう忘れ物が、いったいどれくらいあるんだろう・・・?
だけど、一つ思い出すと次々つながって、
やりたかったこと、行きたかったところ・・他にもいろんなことを思い出してくる。

いつのまにか私は、やりたい、行きたいと思いながら、
どこか億劫に感じたり、面倒に感じていたような節がある。
だけど、今回京都での隙間時間を使って少し歩いたことで、
面倒とか億劫とかの鎖が少し外れたような気がした。

そもそもエンディングノートは、
人生をふりかえり、これからの人生を考えるものであるから、
中にはやりたいこと、行きたい場所を書く欄を用意されたものが時々ある。
エンディングノートを語る場合に、
葬儀とか相続とか「死」の周辺ばかりが注目されがちだけど、
それだけでなく、これからの人生でやりたいことにも目を向けたいと私は常々考えている。
エンディングノートは、やりたいこと、行きたいところを思い出したり考えたりする
きっかけとしても、使えると思うのだ。

日々に流されがちな中で、最初のステップは思い出すこと、考えること。
だけど、「思うだけ」ではまだ足りないのだ。
・・・・行動すること。
行動につなげないと。

動くまでは、なぜか面倒。やっぱり億劫。
でも動き出してみると、意外にそうでもない。


動くということは、負の回転を逆回しにしてくれるのかもしれない。