ときどきそんな話題でおしゃべりをすることがありました。
「終わっちゃった」とは、どういうことなのでしょうか。
それは、一般的な表現ではなく、私固有の表現だったのかもしれません。
「終わっちゃった人」とはマイナスか?!
いつぐらいからだろうか。ガツガツ活躍していた人が、落ち着くようになると、
「あの人、もう終わっちゃった・・・・」
と思うようになった。
それは、テレビの中の芸人さんや著名人だったり、
自分の身近な人、仕事関係の人だったり・・・。
私が「終わっちゃった」というのは、
かつてのアグレッシブな感じが落ち着いてきた感じに変わったときだ。
「脂がのった」状態から「脂がぬけた状態」に変わったとでも言おうか。
旬な時期ではなくなった、とも言える。それは誰から見てもマイナス、というわけではないだろうが、
私から見るとマイナスな表現だった。
でもそれは、
いつもいつもアグレッシブでなくてはならない、
旬であり続けなければならない、ということの裏返しでもあった。
そんなことは無理に決まっているのに・・・
人はみんな違う、同じ人でもいろんな時がある
「アグレッシブ」と言っても、人によってその形は違う。「終わっちゃった」と思うのは本人ではなく周りの人であって、
そう思っている周りの人がどこまで本質を捉えているかなんてわからない。
同じ人であったとしても、
全速力で走るとき、
軽く走るとき、
キョロキョロ周りを見ながらゆっくり歩くとき、
ちょっとお休みするとき、・・・・・
いろんな時がある。
「終わっちゃった」かどうかなんて、実はわからない。
でも、私はそんなことには気づかず、勝手にいろんな人を見ながら
「この人、終わっちゃったな・・・」なんて思っていたのだ。
思うことは自分に返ってくる
そうやって思っていたから、そのままブーメランのように自分に戻ってくる。いずれ「終わっちゃった人」って思われるんじゃないか?
「終わっちゃった人」って思われたらどうしよう。
今の私、「終わっちゃった」かしら?!
年齢と共に少しづつ体力が衰える、
すぐ眠くなって徹夜なんてもうできない、
覚えられないこと、思い出せないことが増える、
以前のような食欲がなく、食べる量が減る、
等々、ちょっとした変化がきっかけで、
私は自分が「終わり」が近づいているのではないか、
「終わっちゃった」んじゃないかとビクビクするようになった。
でもそう思うのは、
きっと私自身が人のことを「あの人、もう終わっちゃった。」と思っていたから。
そのまま自分に返ってくるのだ。
自分がそう思っていたから、自分に対してもそう思う、
・・・そんなことに、私はずっと気づかなかった。
「終わっちゃった」ことについて
いろんな人といろんな話をする機会があったおかげで、
その考え方が「旬であり続けなければならない」という私固有の概念、
私独特な観念であることに、最近ようやく気づき始めた。
アグレッシブであること、がんばること、目標に向かって一目散に走ること
・・・どれも素敵なことだけれど、そうでなければいけない、というわけではない。
力が抜けても素敵な人だってたくさんいる。
私は今、ようやくそういう風に考えられるようになった。
終わっちゃうことなんて、きっとない。
だからいくつになっても、何をしていても「終わっちゃった人」なんてきっといない。
そう思うと、人のことも自分のことも、
以前よりもずっと優しく見られるようになるから不思議だ。
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