2011年8月29日

夢はなんですか?

NHKの朝のドラマ「おひさま」。私は個人的にすっかりはまってしまい、今やこれを見ないと1日が始まらなくなってしまった。実際、視聴率自体も健闘しているようだ。
視聴者の私にとっては、ドラマで描かれていた市民にとっての戦争と、今年3月の東日本大震災が重なり、またドラマの時代当時はまだ珍しい働く女性の先駆けでもある主人公の思いと、自分の仕事観を重ねてみたりする中で、いつしか離れられなくなったように思う。タイトルにもしたが、第21週に出てきた言葉、「夢はなんですか?」。まさしく最近、私が気にしていることだ。
貧しい時も豊かな時も、苦しい時も楽しい時も、夢を考えている人といない人…。夢を持っている人といない人…。
生きる上で、まず衣食住に不自由しているときは、本来なら夢など考える余裕もなく、日々の暮らしに手いっぱいなはず。夢を語るなど、豊かな証しなのかもしれない。しかし、豊かであっても、今楽しくあったとしても、やはり夢を考え、夢を追う人は、私から見るととても魅力的だ。それはきっと、夢を持っている人の強さのせいだと思う。夢があるから頑張れる、夢があるからくじけない、夢があるからやさしくなれる・・・。わ仕事でも、家族のことであっても、あるいは趣味の世界であったとしても、どんな夢でもいい。
だから私自身も、改めて自らに問うのだ。「夢はなんですか?」と。
この朝ドラが堅調なのも、こういうセリフ一つ一つが、視聴者の胸に刺さっているのかもしれない。
そう言えば、この朝ドラの中で主人公の祖母役の渡辺美佐子さんが、次のようなニュアンスのセリフを語ったことがある。無理や我慢をしないとシャンとしない。シャンとするために無理や我慢をすることがある。自分は人に甘えるのではなく、甘えられる人間でいたい…というようなニュアンスのセリフを語ったことがある。このセリフ、私にとっては忘れられない言葉の一つで、「夢はなんですか?」と自らに問うとき、その言葉が思い出されるのである。
「おひさま」最終回まであと少し。私は、益々ドラマに夢中になっている一視聴者である。

2011年8月22日

Facebookは少し不気味…

2011年1月の映画公開とともに、日本でも急速に広がったFacebook。
実名登録が基本だし、意外と浸透しないのではと思っていたが、そうでもなかった。プライバシーリスクをどう守るかが難しいはずだが、意外にもそのリスクや問題点を叫ぶ人も、そう多くはない。多少、ゲームなどに誤ってアクセスするなどの詐欺などが出てきたりするが、警鐘を鳴らすのは、かなり前の記事であることが多い。
けれども、私自身が感じているのは、日本独特の「見ぬもの清し」という概念・価値観は、どうなってしまうのだろうということだ。
例えば、誰と誰がお友だちになって、誰がどこの場所でチェックインして、知り合いが発言した内容に、別の誰がどんなコメントを寄せて・・・。しかも、見たい人が見に行くことで知るのではなく、そういうことをご丁寧にFacebookがメールでお知らせしてくれたりすらするのだ。
リアルに話をしながら、偶然、知り合いの知り合いは、自分の知り合いだったとわかることは感動ものだが、Facebookからもらうメールで知るのは、私にとっては少し不気味だ。名前を知っている程度の知り合いのことを「この人は、あなたの知り合いではありませんか?」とFacebookから言われるのも、私にはちょっと気持ちが悪い。
さらに、私の場合、仕事のおつきあいと、プライベートの友だちは、一部共通する部分もあるが、かなり明確に分かれている。実名登録のFacebookは、仕事もプライベートも同様に「お友だち」になるため、プライベートの友だちにどんな仕事をしているかが見えるし、仕事関係の知り合いにはプライベートでどんな風に遊んでいるかが見える。これも、私にとってはかなり不思議な感覚だ。
中には知られたくない情報もあるのではないか? 余計なことを知ることで人間関係に疑心暗鬼になる人がいるのではないか? こういう風に思うのは、古臭い人間の感じ方なのだろうか。
世の中には、知らない方が幸せなこともあるだろう。
Facebookを見ながら、無用な情報提供でストレスが高まる人が増えるような気がしてと余計な心配をしながら、一方でそんなことを思うなら私もやめればいいのに…とも思いながら、それでも私はやっぱりやめることまではできずに、私はこれからどうやってFacebookとつきあっていけばいいのだろうと、日々考えている。

2011年8月15日

「がんばろう、日本」は継続中

今年は、いろいろな業界で震災や原発事故のさまざまな影響が出ている。
私も関わっていた水産関係の実用書は、東北から東関東の取材先が被災したことや、復興途上であることをふまえ、当初予定だった発行時期を延期することになった。
水産関係の皆さんとお話をすると、当然ながら、震災の影響は地域によって違いがある。沖縄の水産加工会社さんは、震災が書籍の発売時期に影響することを知って、あらためて、震災の大きさを再認識したとおっしゃった。
けれども、その沖縄の水産加工業者さんは、別の形で被害を受けておられた。
それは、震災以降、沖縄への修学旅行が軒並みキャンセルとなったこと、沖縄を訪れる観光客数が激減したことで、沖縄土産や外食など、観光客に依存していた売上は少なくなかったため、その結果、例年の30%程度まで売上が落ち込んだとのことだった。
沖縄では、土産品販売業やホテル業などのように直接的被害を被った業種にとどまらず、東北向けの菊を栽培していた農家なども出荷の目処が立たないために、全て廃棄処分にせざるをえなくなる等、さまざまな分野で大きな影響があったそうで、自分たちも頑張らなくては!と思っているとのことだった。
最近は、関東の海水浴客もだいぶ戻り、12日は海外旅行の出国ラッシュピークになるなど、少しづつ消費も戻りつつあるようだが、それでも被災地はもちろん、それ以外の地域も、いろいろな影響があったのは間違いない。
震災から5カ月がたち、人の記憶や話題から少しづつ震災が薄れつつあるが、時がたったからこそ、ますます「がんばろう、日本」を心に刻みながら、私自身も頑張って行きたいと思う。

2011年8月8日

クールビズのカジュアル化はどう変わるのか?

その昔、「省エネルック」と言われる半袖のスーツが登場した。国をあげての大々的なPR だったが、そのファッション性はかなり「?」で、全く国民の賛同を得られず、定着するはずもなかった。
あれから10年以上がたち、今度は「クールビズ」と呼ばれてじわじわと浸透しつつあったところ、今年は節電事情も加わり、一気に一般化した。6月からの大変な暑さの中、通勤時間帯の電車内でネクタイを見ることはほとんどなくなった。7月に入ったらまったく見なくなった。通勤するサラリーマンの服装は、単にジャケットなしのビジネスシャツとビジネスズボンという出で立ちの人は少ない。上はポロシャツなど、、下はコッパンなど、実にカジュアルだ。7月に入って「クールビズ」や「スーパークールビズ」のことがしばしばニュースになった影響も大きいのだろう。
実際、クールビズ需要がそれなりに伸長したのは確かだが、一方で紳士服業界では、6月に夏物スーツの不振にあえいでいるという話も聞いている。
60歳手前の、おそらく会社では上のポジションにおられるであろう人が、ポロシャツにコッパンで、トートバッグを肩から提げて通勤している様子を日常的に目にすると、果たして秋が来た時に、どうなっているのだろうと思ってしまう。カジュアルな服装は、楽ちんだし、肩がこることもない。そういう楽な形に慣れた私たちは、再び前と同じようにきちっとした形に戻れるのだろうか?
秋を超えれば寒い冬になる。今年は節電でウォームビズだ。セーターやニットなどカジュアルなものが次々出てくるだろう。一部の人を除いて、全体的にカジュアルな服装への流れが始まっているのかもしれない。仮にそうだとしたら、紳士服業界のスーツ不振は、この夏だけの話ではとどまらなくなる。

2011年8月2日

調査設計も顧客目線で

ある会社が商品の定期点検に我が家を訪れると言う。休日をつぶしたくなかったので、仕事をやりくりして在宅待機し、定期点検に立ち合うことになった。
定期点検は約20~30分。点検の結果、何も問題はなかった。点検に来てくれた人はとても丁寧に見てくれたことに加え、商品内容についても、改めてかなり詳しく説明してくれた。けれどもその内容は、私にとっては重々承知している内容だった。私自身はその商品について比較的詳しかったからだ。時間をやりくりしていた私にとっては、そんあことより早く終わらないかなあ、と気持ちが大きかったのも事実だ。
その後2週間ほどたって、顧客満足向上のためのアンケートが郵送で届いた。アンケートは比較的ボリュームがあり、あらかじめ謝礼が同封されていた。
そのアンケート内容は、点検マンに失礼がなかったか、感じがよかったか、わかりやすかったか、有益な情報が提供されたか、等々の設問だ。それぞれについて、点数で評価するというものだった。この結果が、点検に来た人の評価につながるのかもしれないし、今後の点検を担当する人への教育に生かそうというものであることは一目瞭然だった。
しかし、その設問の仕方は、いかにも回答を社内で整理しやすいようにつくられたもののようで、とても答えにくいものだった。点数評価ではあるものの、いいか悪いかが点数化されており、その点数には「普通」とか「どちらとも言えない」という内容は点数化されていなかった。
私は、点検項目や点検方法、立ち合いの仕方等についての設問があればいろいろ言いたいことがあった。事前に多少情報交換できればお互いに無駄な時間を排除でき、よりよい点検ができるであろうにとも思った。そういうことをできればそのアンケートを通じて伝えたかったが、そういうことを回答できる設問はなかった。
例えば、「有益な情報が得られたか?」という設問があった。「とても得られた、やや得られた、あまり得られなかった、得られなかった」で回答するのだが、これには本当に困ってしまった。なぜなら、私はその時、商品について詳しい内容を説明してもらうよりも、早く点検が終わってほしいと思っていたわけで、どんなに説明をしても有益とは受け取りにくい。けれども、もしここで「得られなかった」と回答すると、ますますいろいろ説明しようとその企業が頑張ることに加担することになるかもしれない・・・と思ったのだ。そういう状況の私への、必要以上の情報提供は、うっとおしくなってしまう側面をはらむ。
そのアンケートの設計は、やはりずさんだと言わざるを得ない。
蛇足だが、とても残念なことに、このアンケートが来たことで、私にとってその企業への信頼性は少し低くなってしまった。さらに、点検に来てくれた人への忘れていたもやもやとした不満が、改めて明確になってしまった。ほんの少しだが、こんな点検があるくらいなら、面倒だからその商品は今後ご遠慮したいという気持ちがちらりとかすめるくらいだ(いい商品なので、そういうことはないが)
調査の設計とは難しい。顧客目線で設計しないと、本当に得たい情報は何も得られないアンケートになってしまうことになる。さらに、よりよくするためのステップが、逆に顧客離れを起こすかもしれない、ということを、私は一顧客として痛感したのだった。