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2016年7月29日

欧米から見て、仏壇の遺影に語りかける日本人の姿はヘンな人?!

遺影というのは、日本独特のものだとご存知でしょうか?


海外の場合はポートレート。
生きている時にこそ飾られるもので、
亡くなってから飾る、ということがないから遺影がないのですね。


この遺影との向き合い方は、日本人の死生観と大きく関わっているようです。



ご先祖さま、という概念


私たち日本人には、「ご先祖様」という概念があります。
無意識にも、亡くなった人が見守ってくれる、
亡くなった人に見られている、と思っている節があります。

そういう概念があるから、
故人に力を貸してください」と祈ったり、
故人に対して恥ずかしくないかと自分を戒めたり、
故人に叱られる、故人が褒めてくれる、
と思ったり・・・。

ほら、遺影に向かって話しかける人、あなたの周りにもいませんか。
もしかしたら、あなた自身も無意識に話しかけているかもしれませんね。

甲子園やオリンピックなどでも遺影を抱える姿もよく見かけます。
それは、大事な場面を故人に見せたい、
故人に対して、見ててね、力を貸してね、という
気持ちの表れでしょう。

もちろん人によって、宗教観によって、その違いはあるとは思いますが、
それでも日本人のこのような遺影に接する様子を見て、私たちはあまり違和感を感じないと思います。



この人、ダイジョウブ?


けれども欧米の人から見ると、
仏壇の遺影に語りかける日本人の姿は、ヘンな人にしか見えないようです。
この人、大丈夫かしら?と疑われかねない光景なのだそうです。

文化人類学と
「ターミナルケア(終末期医療)」「みとり」をキーワードとした
医療・福祉の文化的背景が研究テーマの郷堀ヨゼフさんは、
1979年、チェコスロバキア(現チェコ)生まれの
上越教育大非常勤講師で淑徳大(千葉市)准教授。

このたび日本人の死生観などに関する考察をまとめた著書
「生者と死者を結ぶネットワーク〜日本的死生観に基づく生き方に関する考察〜」
が出版されたそうですが、そのニュースによれば、

来日後に見た仏壇の遺影に語りかける日本人の姿を見て、
欧米では精神疾患すら疑われかねない光景に驚き、
これが研究の出発点になった

そうです。



この死んだ人と生きた人とのつながりというのが日本独特のもののようで、
これはその日本人らしい生き方というのに考察を加えた本だそうです。

私たち日本人にとっては普通の死者との会話、故人との対話で、
たしかに私たちは慰められたり、チカラをもらったり、します。

そこで自分が一人ではないことを再確認します。
でもそれは、自分自身と向き合うきっかけを得ることもあり、
実は自分との対話でもあるのです。

大事なことを故人に報告します、よね。
私の父はお墓詣りに行くと、
お墓に向かって大きな声で延々と家族の近況を報告していました。


今の時代、死者との対話の機会は激減


今、都会に暮らす私の家には仏壇がありません。
供養に関わるものもありません。
でも実家にはあるので、ときどき実家に帰ったときに仏壇に手を合わせ、
そこで故人を思う程度。
死者との対話の機会など、ほとんどありません。

郷堀さんは
新潟県糸魚川市能生地域で研究テーマのフィールド調査を実施したそうです。

地域には亡くなった人を含め、脈々と続く人々のさまざまなつながりがあり、
「決して1人ではなく、何かがあれば、手を差し伸べてくれる」関係性があった。
一方で、田舎の煩わしい人間関係を嫌い、都会に出て行った若者が孤立すると、
地域や死者との「縁」が断ち切られるという。

人との「縁」は故人とのつながりだけじゃない、ということです。

私たちは、日本人にとって日常だったはずの脈々と続くさまざまなつながり、縁
というものを、今、忘れつつある

外国人の目が警鐘を鳴らしている、とも言えます。


遺影があれば亡くなった人と対話できる

だけど、遺影だったらどうでしょうか。
仏壇がなくても、供養をしていなくても、
遺影という故人の写真を見るときには、私はふっと故人を思うことができます。
心の中で声をかけることもあります。

それは、実は自分自身に語っていることなのかもしれません。
報告しながらも

がんばれ!
よしよし!

と。

現代人は、この日本独特の「遺影」に対して、
もう少し注目してもよいのではないでしょうか。
人と人とのつながりを大事にする、手を差し伸べる、助けを乞える社会のためにも。

いい遺影を遺そうとすることは、やさしい社会のためにもなるのかもしれません。


2016年5月28日

家族だから難しい・・・家族はつらいよ

高齢になった父が話す話題と言えば、

○○の調子が悪い、
どこの医者が○○と言った、
・・・・

それも毎回同じような話ばかり。
娘の私としては、正直なところ心の中では「またか」。
親身になって聞くこと、共感することが何よりも大事なことは百も承知だけど、
頭ではわかっていてもなかなか難しいのが現実です。

忙しいなか、来てるのに。
他の話題はないのかしら。
年をとればあちこちガタが来るんだから。
もう少しおもしろい話はないのかしら。
等々。

これが家族じゃなければ、そんな風にはあまり思わないだろうに、家族だとそう思ってしまうのです。

前はこんな話ばかりじゃなかったのに。
しっかりしてよ。

内心そう思うのですが、
それでもまた親が喜びそうな情報を一生懸命集めてきたり、
話してみたり。

私にとって大きな存在だったはずの親が小さくなってきました。
理屈では理解しているのですが、私の中ではかつての親との関係性の記憶が残っていて、今でも親に褒めてもらいたい〜みたいな厄介な気持ちも少し残っているのです。
だから親のために一生懸命やってやってやって、それなのに思うような反応が得られないと、勝手に不満に感じたり、自分がバカみたいに思えたり、親に文句を言ってみたり。

家族だから期待があるし、甘えもある。
だいたい親に良かれと思って言ったりやったりするのですが、
肝心の親は別にそんなことは望んでなどいない。
おそらく親の方も、娘なんだからこれくらいはわかってほしい、聞いてほしい、愚痴らせてくれ、という気持ちで話しているに違いないのです。
甘えがあるし、遠慮がない(偏ってる?)から、文句を言ってるうちに言わなくてもいいことまで口にしたり、喧嘩になってしまったりまでしてしまうこともあります。

私は、今までコミュニケーションやカウンセリングを勉強してきました。
その私自身が、家族のこととなるとなかなか学んできたことを生かしきれないのは実に残念な限りです。
でも、これが家族というもの。
近い関係性の難しさを感じます。

日常のことになると日々の繰り返し。
不満や愚痴は蓄積していくから、ブレーキが利かなくなっていくことも想像に難くありません。

だから介護というのは、地域やプロの力を借りるのがよいのですね。

家族のことは家族だけ、という形にすることで、澱んでドロドロしたものが見えないまま溜まっていって、勝手に増殖していくような気がします。
友だちやお節介なご近所さんや役所やプロなどなど、他の手を借りることは、そういう増殖へのブレーキに。
だって他の人の目があれば、そうそう喧嘩もできませんから。
不満やストレスの受け皿だけではありません。

とは言うものの、現実はなかなか厳しく、外の方のお世話になろうとすると父は強硬に拒否し続けています。
でもどんなに嫌がったとしても、その価値や意味を私が理解した上で、父の賛同を得る努力を続けることは、私たち家族にとって、そして父本人にとってもいいことに違いないのです。

2016年2月8日

中高年が再就職するときには、予想外の難しさもあった

ハローワークでは45歳以上はシニアの括りになるようです。
私が新卒から長年勤めていた会社を退職してハローワークに行ったときは
既に45歳を超えていたため、
「シニア」と言われて大いに傷ついたことを思い出します。
自分をシニアだなんて、思ってもみなかったので。
ある日突然、年寄り扱いをされたような気がしました。

人材不足というけれど、50代の仕事環境は厳しい。

手厚い早期退職制度、割増退職金のある大手企業の場合は
一見羨ましく見えるけれど、その後の展開はなかなかうまくいかない。

上場企業、大手企業だからと言って、定年まで安泰ではないのは、もはや常識。
バブル崩壊で大手企業の倒産に驚き、
そんなことは百も承知と誰もが思っていながらも、
業績が厳しくなった大手企業の大量リストラのニュースは、毎度ショッキングだ。
それでも大企業の場合は再就職支援会社との提携などがあり、
まだまだ恵まれていると言うべきなのかもしれない。




中高年の再就職支援の現場で

日本シニア総研というのがある。
聞いたところ、バリバリ元気な70代の皆さんが中心になった一般社団法人で、
そこがやっている
元気シニアカレッジというのがあり、1月27日に
「シニア世代(人財)が再就職する際の心構え、注意点」をテーマに話をする
というので聞きに行った。
お話してくれた方は、
中高年に特化した再就職支援会社の1940年生まれ(現在75歳)の
現役産業カウンセラーだ。

大変な人材不足の今、
その方は50件/月前後の案件を抱えているそうだが、
3件/月くらいしか採用まで至らないという。

ついこの前まで部下を持ち、
雑務は部下にお願いしてきた中高年には、
長年で染みついた感覚がある。
無意識のうちに上から目線。
けれどもそれまでと同じような職種の求人には滅多にお目にかかれず、
なかなか希望には沿わない。
新しいことに挑戦しようと応募するも、次々と不採用通知が来る。

これだけでも相当大変なことだ。


次なる試練は足元に


やっと採用に至ったそのとき、次なる試練が待っていると言う。
・・・・・家族だ。

 なんでそんな会社に勤めるの?

 聞いたことがない会社になんて勤めないで。

 そんな会社に行くくらいなら仕事なんかしなきゃいい。


大手企業勤務だった夫や父に対して、家族の言葉は容赦ないそうだ。
無邪気で悪気がない。
遠慮がない。

そしてせっかく採用が決まっても、家族の反対で辞退する人が多いのだそうだ。
中には息子や娘が
「もう少しまともな会社を紹介してもらえないか?」
と実際に再就職支援会社に訪ねてきて直談判してくることも珍しくないのだと言う。

中高年を中心に求人をかけた企業の人からも、
採用後に家族の反対で辞退した人がいた話を聞いたことがある。
その人は

 何のために応募してきたのか?

 何度も面接があり、ここまで来るのも大変だったはずなのに。

と不思議がっていた。

長い時間の中で価値観が染みついている

中高年には、
上から目線の人が多いこと、
PCスキル、ITスキルが低く自分でできることが少ないこと、
評論家タイプで自ら手を動かさないこと、
等は比較的よく言われることではある。

けれどもそういうことではなく、
一番身近な家族の賛成が得られないというのは予想外だった。
大企業で相応のポジションで働いてきた人にとっては、
不採用通知が続くだけでも心が折れていくだろうに、この状況はなんとも切ない。
それまでの勤務先が大手企業だったからこそ、のことでもある。

もはや大企業と言えどもどうなるかわからない、
企業に人生を委ねる時代ではない、
そんなことはたぶん家族だって理屈としてはわかりきっているはずなのに、
染みついた大企業至上主義の価値観は、いかんともしがたいのだろう。

その価値観は、
当の本人も含めた家族の中で長い時間をかけて作り上げられたものでもある。
今、苦しい状況を家族とどこまで共有できるか、
それまでの家族との関係性が問われているのかもしれない。

2016年1月27日

ケアしてもらうのではなく、自分で暮らしを作っていく ~高齢になってからの住まい方①

かつて入居金2億円という高級有料老人ホームを見学したことがあります。
そのとき一緒に見学した男性は、

 いいね〜、
 やっぱり金なんだね〜

と言っていました。
今でも彼は、お金さえあればそういうところに入りたいと言います。
だけど私は、全くそうは思いませんでした。

いくらきれいでも、いくら優しくしてくれても、
それだけではどこか満たされないような感じがしたからです。


心のためにいい暮らし方を考えたい


一人暮らしをしていた高齢のお医者さんが80歳を過ぎ、
その子どもたちが心配して一緒に暮らそうと持ちかけて、
呼び寄せたエピソードを聞いたことがある。
それまで町医者として近隣に住む人の健康管理をしていたお医者さんは、
子どもたち家族と一緒に暮らすようになった。
家族で同居すれば安心だ。
それと同時に、お医者さんは、自分の健康管理をしてもらう患者さんになった。
診ていた人から診てもらう人になったことで張り合いがなくなり、
みるみる弱っていったそうだ。

私の両親は80歳を超えたが、夫婦二人で暮らしている。
大きな病気をするわけではないけれど、年齢を重ね、だんだんと弱ってきたのを、

本人たちも子どもである私たちも感じている。
私たち姉妹は親にメールしたり電話でしたり、交代でときどき訪問したりしている

状況だけれど、この状況が今のまま永遠に続かないことは、
全員がわかっていること。
おぼろげに、これからどうなっていくのかなあと思う日々が続いている。

 できるだけ自宅で暮らし続けたい、
 医療は納得できる医療を受けたい
 いよいよの時に入る施設は、自分が本当に気に入る施設がいい

両親がいろんなことを言うので、
何かの参考になるかもしれないと、
今、私は高齢者のいろいろな住まいを見学している。


どんなに手厚いケアがあったとしても、
人が生きるというのは、それだけでは満たされないものがあると思う。
それは、
お金がたくさんあれば心が満たされるというわけではない、
というのと似ている。
お医者さんのエピソードはそれを如実に表わしている。

私の両親が何をもって心が満たされるのかは、娘の私でもわからない。
父の場合と母の場合では、また少し違うように思う。

少なくとも私自身だったら、と考えると、
高級な住まいとか、手厚いケアがある住まいとかいうのとは、
少し違うものを求めると思う。


サービスを提供するのではなく、一緒に「暮らしを作っていく」

ある有料老人ホームのwebサイトを見ていたら書いてあった。

サービスを「提供する」のではなく、一緒に「暮らしをつくっていく」という観点から、
皆さんの自分らしい暮らしをサポートします。

そう、私の場合はやってもらうことよりもこれが大事。
自分の暮らしは自分で好きに作っていきたい。
できれば気を遣わず自由でいたい。

そう思って見に行くことにした。





地域の人も利用できる食堂やオープンスペースがある

これが食堂の中の様子。
入居者さんにもここから食事を運ぶのかな。


綺麗にお化粧をし、、素敵なネックレスをつけ、スカーフを巻き、
洒落た腕時計とブレスレットをした装いで、
お一人で食事をしている方がいたので声をかけてみたら
入居者さんだった。

 今は寒いから外に行かないでここで食べるのよ。
 今日はあまりおいしくないわね。
 昨日はとてもおいしかったの。
 ここ?
 私は今89歳で、もう自分の食事の用意が難しくなって
 半年前にここに来たんだけど、ここは比較的自由でいいわよ。
 あっちの建物は入居金がお高いの。こっちはお安いんだけどね。

そう言って、私に入居金を教えてくれた。
その人が高い方にいるのか安い方にいるのかはわからなかったけれど、
今の住まいにとても満足している様子はうかがえた。


今日の日替わり定食。720円。
入居者さんだけでなく、近隣で仕事している人なのか、いろんな人が食べに来る。



食事をしながら隣りの席にいた女性の二人組と話してみたら、
そこから車で数十分の距離にある同じ系列の施設の食堂の人だった。
見学に来たと伝えたら、
それならうちも見に来ない?と言われ、連れて行ってもらうことになった。

ここは旧公団(今のUR)の団地にエレベーターを敷設し、
横に食堂兼交流スペースを建てて高齢者住宅としてリノベーションした
施設だった。
入居者さんはお元気な方たちばかり。
昔の団地をそのまま残してきれいにしているから、
かつてお住まいの方にとっては懐かしさもあると言う。

右側の平屋が食堂兼交流スペース

こちらの食堂も、入居者さんだけでなく誰もが自由に食べに来られる。

白い部分が敷設されたエレベーター
食堂の中の窓は大きなガラス張り。眺めがよくてとても気持ちがいい。

ドアを開けてまず驚くのは空間の気持ちよさだ。
床、壁、テーブル、椅子、木の温もりが温かく、眺めも抜群。
優しい空気に包まれるような感じだ。
食堂の営業時間はランチと夕食限定で、
この時間は入居者さんも外の人も、入りまじって出入りしている。
私が行った時間には、
おそらく職場が近い仕事をしている人、
近隣に住んでいると思われる高齢者さん、
そして数人が固まってワイワイおしゃべりをしている入居者さんグループが入りまじっていた。
ここは食材や環境にこだわっている食堂だそうで、お料理の彩りもとてもきれいだった。

営業時間以外の時間は入居者さんの活動に使われる。
私が失礼する頃には、テーブルを並べ替えていたので、
きっとこれから何か始まるのだろう。

入居者さんの出入り口。入ってすぐにフロントがある。
通路の本棚には図書。寄贈されたものも多い。



奥の白い建物が高齢者住宅(施設)だが、手前のブルーの建物は子どもがいる若い家族が暮らす住宅。

高齢者用、家族用と並んで建つこの建物は、外国人と大学生が一緒に暮らすシェアハウス。

高齢者の住宅、
若い家族世帯が暮らす住宅、
外国人と大学生が暮らすシェアハウス。

上記写真の建物はすべてURの団地をリノベーションしたものだ。
夏祭りなど、団地でイベントをやる時には、高齢者も若い家族も外国人も大学生も、みんなに声をかけているのだとか。
住んでいる人が年老いて、建物もボロボロに古くなった団地が、
こうやって再生していくのはおもしろい。

webにあるように、「一緒に暮らしをつくっていく」業者の姿勢が見えてくる。
それでもやはり運営者主導。
これがさらに住民主導で暮らしをつくっていけたらどんどんおもしろくなるだろう。
それも多世代がまじりあいながら作っていけたら・・・・
高齢になった時、それがどこまで機能するのかが問題ではあるけれど。

だけど、その「おもしろい」は私の場合だ。

嗜好も、目指すものも、価値観も、みんな人それぞれ。
一緒に暮らすとなれば、ますますいろいろ難しくなるのはあたりまえだ。
だけど、だからおもしろいことがいっぱいありそうな気がする。
いくら文句を言っていたとしても、文句を言わなくなる方がむしろつまらなくなる。
文句を言いながらでもやることは、周りとの関係がある証拠。

さて、私の両親の場合はどうなんだろう?!
父の場合は? 母の場合は?

いろいろ見ておくことが、
これからの両親の暮らし方、住まい方を考えるために、
そして私自身の暮らしを考えるためにも、きっと役立つはずだ。


トラベシアのエンディングノート講座開催中
====================================
■2月のエンディングノート講座■

◎日時:2月9日(火)18:30~20:30

◎テーマ:人生の最後(最期)と尊厳
     ~最後の最期に人は何を思うのか~

◎参加費(消費税別)
単発参加 ¥8,000
メンバー(入会金 ¥10,000 / 月会費 ¥6,000)
※体験参加は¥3,000

◎宿題
 ・「最後の最期に人は何を思うのか」
  考えてきてください。
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さて「尊厳」とはなんでしょうか?!
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2015年12月8日

阿藤快さんの訃報で気づく、何かあった時に誰にも気づかれないかもしれない「一 人暮らし」について

個性派俳優でグルメリポーターとしてもご活躍だった阿藤快さん。
11月15日にご自宅で亡くなっていたのをご親族と事務所関係者が見つけたとの報道がありました。
享年 69歳。
あまりにも早い、突然の訃報でした。
お一人で暮らしていたのですね。





http://bonito-llc.com/

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/11/21/kiji/K20151121011545290.html

いつ人生が終わるかなんて、本人もわからない

阿藤さんはほんの数日前までお元気だったという。
急死だった。
布団の中で眠るように亡くなっていたのが見つかったのは15日午後。
「安らかな静かなお顔をして、眠った(ような)お顔をしていた」という。
14日はお誕生日で、10日〜14日はお休みで、連絡がとれなかった15日に親族と事務所関係者が見つけたのだ。
阿藤さんご本人は、14日の夜の時点では、翌日人生が終わるなど夢にも思わずに眠りについたのではないだろうか。

1人だと誰にも気づかれない

一般の人の場合、1人で暮らしていたら、本人が予想しないまま突然人生が終わっても、きっと誰にも気づかれない。
そのまま数日が経過する可能性が高いことは十分想像できる。
ましてや一人世帯が一番多いのが今の時代だ。

一般的だと言われる四人家族なんて、今や決して多くはない。
孤独死とか孤立死とか言われるけれど、一人暮らしの人が多くなったのだから、そんなことは当たり前な話なのだ。

阿藤さんの場合はご家族はいらしたけれど、お一人で暮らしていたらしい。
だけどご自宅にしばしば訪れるであろう事務所関係の人がいたから、亡くなったその日に発見された。

けれど、一般的にはどうだろう。
こちらから声をかけなくても家に訪ねに来るような人というのはどれくらいいるものなんだろう。

ちなみに我が家の場合は、かつては来客の多い家だった。
毎週末誰かが来ていた。泊まっていく人も多かった。
最近は来客が少なくなったが、かつて多かったときでもそれはこちらから声をかけるからいろいろな人が訪ねてくるのであって、全く声をかけなくても勝手に訪ねて来る人などほとんどいない。
1人で暮らしているわけではないので、もしも何かあったらきっと家族が気づくだろうけど、もしも一人だったらば・・・?
会社員の夫の場合は無断欠勤が続くことになるわけだから、会社の誰かが様子を見に来るかもしれない。
だけど会社勤めをしていない私の場合は、家にまで訪ねて来る人は、なかなか思い浮かばない。
比較的マメに連絡を取り合っている姉妹ですら、1〜2週間くらい音信不通のことはよくあることだ。
そう考えると、たぶん誰にもなかなか気づかれないだろう。


もはや対策なんてあるのか

子どもはやがて独立する。
連れ合いがいてもずっと元気とは限らない。
誰だって一人暮らしになる可能性がある。
しかも家族の形態は昔と比べて多種多様になり、ますます一人暮らしは増えている。

昔だったら家族が多いし、近所づきあいも濃かったから、何かあれば誰かに見つけてもらいやすかった。
裏を返せば見つかってしまいやすい、隠したくてもバレてしまうとも言える。
面倒くささやうっとおしさを避けると、何かあったときに誰にも気づかれないことにつながる。
阿藤さんの訃報ニュースをきっかけに、しっかりした組織への所属や強いつながりがない場合は、さらに気づかれにくいことを改めて再確認した。


私の家の近所では、一人暮らしの高齢者に対しては、ボランティアが運営するサロン(おしゃべり会)に参加するよう声がかかる。
誰もが参加するわけではないし、参加する場合も、声をかけてから実際に参加するようになるまでは長い時間がかかる。
たとえ参加しなくても、そのボランティアは何回も定期的に訪ねるようにしている。
それは80歳以上が対象で、それを進めるボランティアの平均年齢も、たぶん70歳くらいだった。
ときどきその場に顔を出してみると、私は最年少で、しかも
極端に若い存在だ。
私以外に次を担いそうな世代はいない。
このボランティアグループは、果たしてこのまま続いていけるのだろうか。

つながりは意識しないと

血縁〜家族や親戚との密着度が薄くなってきた今、つながりは意識して作っていこうという流れがある。
お墓をきっかけに親しくなる墓友は、そういう流れの一つではある。
わからなくはないけど、私にとってはあまり現実的ではない。

知り合いの女性は、夫が海外で単身赴任なので自分は日本で一人暮らしをしている。
彼女は、もし自分に何かあったとしても誰にも気づかれないだろうと思うと不安になると言う。
彼女はいろいろな活動をしているけれど、会社勤めをしているわけではない。

その話を聞いた周りの人たちは、音信不通に気づくきっかけとして、SNSを上げていた。
もしもFacebookの投稿が途切れたら、不信に思うからお互いに訪ね合うっていうのは?と。

私にとっては、墓友よりもはるかに現実的だと思った。
高齢者にはなかなか難しいかもしれないけど、SNSやネットを使いこなす50代以下であれば、お互いに気にして、お互いに訪ね合うという形はそんなにハードルが高くない。

ゆるい関係の友達だったらたくさんいる、という人は多いだろう。
でももう少し踏み込んだつながり。
ちょっとうっとおしいくらいのつながり。
そういうものがないと、何かあった時に家まで見に来てくれるような関係など、そうそうできるものではなさそうだ。
そういうつながりは、たぶん意識しないと作れそうにない。
仕事でも、家族でも、趣味でも。

そういう中で、今後はSNSが大事なつながりの役割を果たしていくようになるのかもしれない。


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エンディングノートを使って、これからの生き方を考えていく講座を毎月開催中 

 ◎ 1月の開催 ◎

 1月13日(水)18:30~20:30
          麻布十番にて。

【 テーマ 】
  家族信託
  ~だけでなく、これからもずっと円満家族でいるための契約になるか?!~

  エンディングノートには必ず出てくる相続関係のページ。

  その対策と言えば「遺言」が普通なのですが、そうではなくて
  あまり知られていない「家族信託」を取り上げます。
  なぜなら、人によって家族との関係はさまざまではあるけれど、
  生きていくうえで家族との関係は無視できないから。
  そして、「家族信託」を知ることは家族との関係性を考えるきっかけになるから。
 
  金融機関も保険会社も商売につながりにくいのであまり普及せず
  なかなか注目されませんが、

  もしかしたら「家族信託」は円満家族の証になるのでは?

    これからも円満でいるための証明書にもなるのでは?
  もしかしたら「最後に頼りになるのはお金」と「円満家族」が両立するのでは?

  という思いがあって、「家族信託」のパイオニアを目指す先生にお話を聞くことにしました。


会員制の継続講座ですが、初回は体験参加できます。 
体験参加費;3,000円(消費税別)
お申し込み、お問い合わせはこちらまで。
    

2015年10月20日

テレビを見たことがきっかけで、老親が胃ろうについて考え出した

マスコミの力は弱くなったと言うけれど、それでもやっぱりテレビの影響はとても大きいようです。
特にNHKは(苦笑)。
だからこそ、中途半端な知識の人がそれに惑わされないように、正しい情報をきちんと発信してほしいものですね。

NHKスペシャルを見てね···



少し前のことだけど、実家に帰った時に、突然親が言い出したのです。

NHKスペシャル「老衰死」を見て、
胃ろうとかせずに自然の流れに任せるのがいいなあとパパと話しているんだけど、そういうことっ て遺言に書けばいいのかしら?

オイオイ!
あなたの娘の私が「失敗しないエンディングノートの書き方」を書いているんだから、そこはまずエンディングノートでしょ(笑)。。。

母は拙著が出た直後に読んで、

 いい本ね。
 とてもわかりやすい文章だったからすぐに読めましましましたわ。

と言っていたくせに···(^^ ;;
親でもそうなんだから、まあ、読者なんてそんなものですね....
私も本を読んで、仮にいいなあと思ってもほとんど忘れてます、ハイ(苦笑)。

物事はタイミング

私の親は、今までこういうことにあまり関心を示さなかきましましました。
特に父は、できれば考えたくないくらいに見えましましました。

こういうことは本人次第だと私は考えている。
どう説得したらいいか?
どう話したらいいか?
とよく聞かれるけれど、そもそも説得するなんてことはナンセンス。

いくら私がそういう本を書いていても、たとえいろいろ助言できるとしても、
絶対に無理強いがあってはならないと思っている。
それが家族、親子だとしても。

本人が知りたい、考えたいと思ったときがタイミングです。

子どもの頃、「勉強しなさい」といくら言われてもその気にならなかったけど、
自ら勉強しよう!と思えば、深夜まで頑張って勉強したのと同じ理屈です。

それにしても、NHKの影響力はさすがでします。

法的効力がないエンディングノートだからこそ

そもそも遺言は法的効力があるもの。
だから、法的に効力を発揮してほしい資産、相続について書くわけです。

エンディングノートは、法的効力を発揮しない。
エンディングノートは多種多様で独自な項目があるものもあり、
いろんな側面から自分の考えを整理することができる。
その思いを伝えることもできる。

現実的に延命治療の判断を迫られるとき

胃ろうや人工呼吸など、延命治療の判断が必要な時は、医師から家族が説明を受け、家族が判断することになる。
いざという時、家族に知識がないと咄嗟の判断は難しい。

仮に知識があったとしても、命は本人のものでもあるから、できれば家族の考えだけでなく、本人の思いに沿える判断をしたいものである。
だけどその本人の思いを、果たして家族はどこまで知っているだろうか。
そういうことをあまり口にしない親の場合は、日々の行動や発言から家族が推測して判断することになるのだ。

命について考えたり書きとめておくというのなら、エンディングノートがいいけれど

今、世の中に出回るエンディングノートは有料無料合わせて数百種類にも上るだろうけれど、どのエンディングノートにも、だいたい延命治療の項目が出ている。
その内容の正しさや深さは別にしても。
だからそういうことを考えるきっかけとして、エンディングノートはいい道具になる。

けれど、実際のところ、
延命治療と言ってもその中の胃ろうとはどういうものなのか、
人工呼吸とはどういうものなのか、
いったいどれだけの人が知っているかは、甚だ疑問である。
私の親も、胃ろうのことを言い出したけど、胃ろう自体についてどこまで理解したのかはわからない。
胃ろうについて言いだしたのは、
テレビに出てきた「胃ろうをせずに家族に見守られながら安らかにゆっくりと旅立って行く様子」を見て、それが胃ろうを選択しないイメージとして残ったような気がする。

今回、我が家はたまたまテレビがきっかけでそんな話題がぽろっと出ました。
書こうかなという意思が親にはあるらしい、ということももわかきました。

今までそういうことを口にしない父だったので、母がそう言ってきたこと引き合いに出して
私は父に「何でそう思ったの?」と聞いてみましましました。

 若い者にはわからないだろうが、年をとって体があちこち痛くなる。
 いつもどこか具合が悪く、スッキリいいということがない。
 胃ろうするくらいの頃には、きっ体中がボロボロであちこち痛いだろう。
 もう痛いのは嫌だ。
 また元気になるならまだしも、そうでないなら。

父とは今までそういう話はしてこなかったけれど、
「胃ろうを選ばない」という言葉の奥には、胃ろうそのものがどうこうと言うよりも、少し別の意味合いがうかがえた。
今、すでにあちこちがしんどいんだね···。


書かなくたっていい

エンディングノートの書き方講座があちこちで始まっている。

エンディングノートを書きましょう。
書くのが難しい人のために書き方講座もあります。
···今の流れはそういう方向だ。
けれども、エンディングノートの項目で選択肢を選ぶだけでは、どうも不十分ではないか。

なぜそう思うのか?
どういうことを大事にしたいのか?

そういう思いが託す人に伝われば、きっと必ずしも書かなくていい。
エンディングノートは考えるためにある。
項目をきっかけに家族で話をするためにある。
私は最近強くそう思っている。

 もしも書くというのなら、そういうことはエンディングノートに書く欄があるよ。
 難しいと思ったら無理して書かなくてもいいんだよ。
 聞きたいことがあったら言ってね。

両親は今後、新聞やテレビからまた新たな情報を仕入れるかもしれない。
今回のことがきっかけで、そういう情報に多少敏感になるかもしれない。
それだけでも、大きなステップである。
いずれにしろ、とりあえず、私は今の親の気持ちは聞けた。
今、何かあって判断が必要になったら、親の意をふまえて考えられる気がする。

エンディングノートは、書くこと以上に話すこと。
それが何より大事なことだと思う。





体験参加も受付中です。
 11月12日(木)18:30〜


   自分と向き合うことはなかなか難しいもの。
   講師にお招きする今井さんは、お墓参りがその大きなきっかけになると言います。
   11月は、お墓をきっかけに、自分と向き合うことを考えます。


   会員制の継続講座ですが、初回は体験参加できます。
   体験参加費用0.3000円(消費税別)
   お申し込み、お問い合わせはこちらまで。

2015年10月15日

私のルーツ、家族との関係 ~家系図を知ることで見えてくること~

エンディングノートに出てくる家系図のページは、相続に関係するところ。
だけど家系図はそんなことだけでなく、全く別な意味合いもあります。
それは、自分のルーツを探っていくということ。

家系図の専門家さんにお話を聞きました。
家系図は、親の人生、自分の人生に想いを馳せ、生きていることそのものを肯定できる。
人にはみんな物語がある
・・・そんなことを、強く感じさせてくれる時間になりました。


いざ!家系図を作りはじめる

毎月開催しているエンディングノート講座の10月は家系図がテーマ。
去年、相続がテーマだった回で、簡単な家系図を作成したことがあるが、
今回は少し趣が違う。
その場で自分の名前、自分の兄弟姉妹の名前、親の名前、祖父母の名前をフセンに書いて並べるところから始まった。

そこに書かれた人たちは、それぞれどこに住んでいたのか。
その人たちはそれぞれどんな仕事をし、どんな趣味を持っていたのか。
どんな体型で、例えばどんな髪質だったのか。
どんな性格で、どんなエピソードを知っているか。
どんな病歴があり、享年何歳で、死因は何だったのか。

そういうことを記憶を頼りに書いていく。
俯瞰してみると、そこに出てくる人の共通項が浮かび上がってきたり、
自分との類似性が見えてきたりする。
自分が今あるのはどんな人がいたからなのか・・・

家系図から広がる世界

家系図を作り始めることは、自分のことを知る作業でもあるのだ。
しかも、祖先を知ることで、自分とのつながりを確認し、その人の類似性、共通項から遺伝子を実感する。
連綿と流れる血、DNAを感じるのだ。

お話をしてくれた家系図の専門家さん、ファミリーヒストリー社代表の吉田富美子さんによれば、家系図にはたくさんの楽しみ方があると言う。
歴史上の人物と間接的につながっていたり、史実との関連を知ったり・・・。
戦死などは、まさに社会の動きに関わっていた証拠だ。

たくさんの楽しみ方が紹介されたが、
個人的には教育の場面での活用に興味を抱いた。
つまり、子どもが家族を知るという観点から、家系図を作るということ。
核家族化が進み、家族のつながりが希薄になってきたと言われる今の時代だからこそ、教育的観点から家系図を取り入れるのは面白いだろうと思った。
親子で家系図を作るワークショップも面白そうだ。

事実からしっかり作るなら戸籍

記憶から家系図を作るのではなく、事実から作るとしたら戸籍謄本だ。
親の前の祖父母、祖父母のその前の代、さらにその前の代・・・とどんどん上っていくと、家系図づくりのベースとなる素がわかってくる。
代変わりで地域が変わると、戸籍の取得もあちこちの自治体を追いかけていくことになる。

現在閲覧可能な戸籍でもっとも古いのは明治19年式なのだそうで、
それは80年保存。
2010年の戸籍法改正で150年保存に変更になったそうで、
2036年までに取得しておかないと、昔の戸籍は廃棄されてしまうかもしれないのだという。
古い戸籍は、地域によっては死んだ理由や死んだ場所が記載されているものもあるのだそうだ。

追いかけていけば江戸時代以前までさかのぼることもできるというから、
ロマンが広がる。

名字(苗字)と、家紋と、長く住んでいた場所

今回の講座に参加するにあたっては、
祖父母の名字(苗字)と、家紋と、長く住んでいた場所、を
あらかじめ確認してくることが宿題だった。
講座の中では、長く住んでいる地域から、参加者それぞれの名字(苗字)のルーツを探った資料が個別に配られ、講師から、参加者の地域の名字(苗字)の広がり具合、そこからどんなことが考察できるかについて紹介された。
さらに家紋との組み合わせで、それがどんどん絞り込まれていくのだと言う。

家系図で深まる家族の結び

今回の宿題のために、92歳の祖母としっかり話をしてきた参加者がいた。
今までに聞いたことがないような初めて知る話がいっぱいあったと言う。
聞けば、誰もが知る歴史上の人物の末裔らしい。
中でも驚いたのは、現存されている過去帳をその祖母が保管していたのだが、娘ばかりで家系が途絶えてしまうため、そろそろ焼こうと思っていたということ。
今回、講座の宿題のために話をしたことで、彼女に過去帳が引き継がれることになったのだと言う。

家系図は形だけど、その裏には物語がある。
実はその物語こそがきっと大事にしたいことであり、それによって子や孫に伝えていくべきこととは何かを考えることができるのではないか、と改めて感じる時間になった。







体験参加も受付中です。
 11月12日(木)18:30~


   自分と向き合うことはなかなか難しいもの。
   講師にお招きする今井さんは、お墓参りがその大きなきっかけになると言います。
   11月は、お墓をきっかけに、自分と向き合うことを考えます。


   会員制の継続講座ですが、初回は体験参加できます。
   体験参加費用;3,000円(消費税別)
   お申し込み、お問い合わせはこちらまで。

2015年10月12日

ずっと前にもらった手紙、どうしてますか?

断捨離という言葉がでてきたのは、今から何年前のことでしょうか。
近藤麻里江さんの本がベストセラーになったのが2010年の年末。
それ以来、捨てることこそがよいこと、幸せに生きる秘訣でもある、というのが今や常識です。

断捨離の前にはまず整理整頓。

私は整理整頓がたぶん大嫌いだ。
そもそも整理整頓は好きとか嫌いとか言うものではないと思っていた。
だけど、
何をするよりまず整理整頓しないとやる気にならないと言う人がいる一方で、
私の場合は、整理整頓しよう、しよう、と思ってはいるのだが、
ついつい先延ばし。
他のことをやりたくなってしまうのだから、「たぶん」嫌いなのだろう。
なかなか整理整頓に着手できず、モノがどんどん増えていく。

先日、ファイナンシャルプランナー(FP)の集まりで
エンディングノートをテーマにお話させていただいた後の懇親会では、
モノ整理の話題で盛り上がった。

親のモノの整理にはヘトヘトになる

そこにいたのはベテラン世代が中心で、
ご自身の親御さんを見送るご経験を経た方が多く、
大変だったのは親御さんが遺したモノの整理だったと言う。
お聞きした方のお父様がお持ちだったのは
8,000冊の本、2,000枚のレコード、さらにおもちゃなどなど。

どう処分しようかと途方にくれたそうだ。
作家別に揃えた全集などは、蔵書として大事にされていたそうだが、
いざ処分しようとしたら二束三文どころか、
お金を払わないと処分すらできなかったという。
逆に漫画の単行本、大昔の商品カタログ、箱つきのブリキのおもちゃ等々は、
予想外に高く引き取ってもらえたと笑う。
それにしても、現役を退いて多少は時間があったとは言え、
それらを少しづつ処分していくのに1年半もかかってしまったのだそうだ。


自分のモノにしない

モノの整理は大変だ。
その人は親御さんのモノ整理にほとほと疲れてしまったせいで、
今や自分のモノを持たないように気をつけるようになったそうだ。

本は買わない。
図書館だけ。

自分のモノにしないのか。。。
そうすれば、読みたいと思いながら積んでおくこともないだろう。
モノ整理の観点からは歓迎すべきことなのだろう。
でも読みながら端を折ったり、書き込みをする癖がある私にはなかなか真似ができそうにない。

じゃあ手紙は?

なぜか捨てられないモノについて、その理由を書いていたブログを読んだ。


気持ちがあるものを捨てるのは難しい。

私は結婚する前のラブレターを今でもとっておくということはないけれど、
ラブレターじゃないにしても、過去にもらった手紙をどうするかは意外に悩ましい。
それはきっと、そこに気持ちがつまっているから。
それも、手紙を書いた人の気持ちと、受け取った方の気持ち。
両方の気持ちだ。
最近は手紙を書く機会ももらう機会も激減したけれど、
自分自身の転機でもらった手紙などはなかなか捨てられないのではないか。
少なくとも私は捨てられない。
他の人はどうしているのだろう?

とっておくことをそろそろ辞める頃かな


前述の、
親御さんのモノ整理に疲れて自分のモノを持たないようにしていると言っていた男性に聞いてみた。

手紙は捨てるのは嫌なので燃やす。
自宅の焼却炉で。

燃やす? 
なるほど。
捨てるのがイヤというところには、やっぱりね・・・と思った。
それは、きっと気持ちが覗けるからだろう。
燃やすのなら、捨てるよりも手放しやすかもしれない。
でも自宅に焼却炉がある人はそうそういない。

燃やすということは、要はとっておかないということ。

生きていれば次々モノが増えていくのは当たり前。
やはり、どんどん捨てるのを前提にしていかないとダメそうだ。







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  10月14日(水)18:30~
    自分のルーツと家族の関係
     ~家系図から見えてくること~

  11月はお墓参りがテーマです。

   会員制の継続講座ですが、初回は体験参加できます。
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