2015年10月28日

その一言、言わなきゃいいのに・・・残念賞

平日の昼間、不意の来客に戸惑うことは少なくありません。
一番多いのは宅配便のお届けですが、
それ以外にもセールスや近隣のご連絡など、いろいろあるんですよ。
勤め人だった頃には知らなかった方々ばかりです(^^;;

今度建築工事が始まるんでご挨拶に

我が家の周りには空き地が多い。
それもこの半年の間にパタパタと家が壊され、空き地へと変わって行った。
原因は、たぶん高齢化。
周辺は古い住宅街だ。

ご近所の6070代の方は、小学生の頃からそこに住んでおられるそうだ。
15年前に引っ越してきたうちは、周辺から見れば新参者、若手でもある。
高齢化が進み、亡くなる人もいるし、家に住みきれない人は移っていく。
その結果、空き地がどんどん増えていくのだ。

空き地に接する我が家にとっては、この空き地がこの後どうなるのかは、気になるところである。

平日昼間にやってきたインターフォンごしの声

 近所の建築工事が始まるので、ご挨拶に来ました。

近所に空き地はたくさんあるけど、建築工事はどこかしら。
聞けば、我が家の隣接地だった。

都会でもなかなか土地や建物は売るのが大変だと聞いていたが、売れたんだ。。。
家が壊され、空き地いなったときには嫌な気持ちになったけれど、家が建つなら歓迎だ。

工事はいつから?
どんな家が建つの?
どういう人が住むの?

いろいろ気になり、玄関のドアを開けた。
30歳前後の男性だった。

あぁ、言わなきゃいいのに

その人は丁寧に私に資料を渡し、

・・・そして言った。

 区の指導で、隣接○メートル以内のお宅には
 挨拶するように言われているんです。
 
あっ、そう・・・
指導があるから・・・
渋々挨拶に来たみたいに見えてしまう・・・
丁寧ないい感じな人だったのに。
なんか、一気にイヤな気持ちになってしまった。

こういうのって、本当に残念賞。
そんなこと、わざわざ言わなくたっていいじゃないの。
あ~あ、何のために言うのかね?
ちょっと考えればわかりそうなものなのに。

ちなみに私はその一言のせいで彼の話を聞く気が失せた。
もらった資料を改めて見たところ、そこには三階建ての家が建つことが書かれていた。
なんと我が家の日当たりにも大きな影響が出そうとのこと。

え~?! ちょっと!
区の指導で挨拶だって?!
コラ!違うだろ?!

だけど、あまり考えずにモノを言うこと、私も珍しいことじゃない。
言われる方は気になるんだけど、言う方って結構そういうもの。
日常よくあることだ。

他人事じゃない。
気をつけなくっちゃ。






2015年10月26日

それは、一番言ってはいけない悪口でした

悪口を聞くのは気持ちの良いものではありません。
だから私も言いたくないし、言わないように気をつけているついもりです。

だけど、実は一番言ってはいけない悪口を私はとてもたくさん言っていたのでした。

人の悪口を言ってはいけません。

小学校の先生で、「母親を変える教室」(経済界)の著者、青木洋介さんは、
「お母さんが笑顔でいること、幸せであること」が、
子どもをその子らしく育てる上で一番大事なことだと論じている。



そんな子育て論を展開する青木さんが、

人の悪口を言ってはいけません。

本当にその通りです。
しかし、心の中に湧き出した感情は、適切に出すことが必要です。
そうなると、どうしても「悪口」も口にすることになるでしょう。

と、ブログで書いていた

だけど、それでも言ってはいけない悪口をがあると。

それは、
「自分への悪口」
です。

ガーン!

「自分への悪口」こそ、絶対に言ってはいけないこと

あらら。
私、よく言うなあ、これ。

しかも言っちゃいけないって思っていませんでした。。。

むしろ、いいこととすら思っていたような気がする。
自分への悪口は自分に厳しい証し。
甘やかさないように背筋を伸ばそうとしてるんだから、と。

ここ数年、私は自分にダメ出しを出し続けている。

何やってるんだろう、私。
こんなんじゃだめだ、私。
こういうところが本当にダメだ。
ダメダメだわ、私。・・・と。

でも考えてみると、10年くらい前までは逆だったような気がする。
自分のことをよく褒めていたのだ。
それも声に出して。

よしよし、よくやっているね~。
がんばったね~。
すごいじゃん、私。

これを会社の中で独り言でブツブツ言っていたのだから、ちょっと(かなり?)変な人だ。
ときどき周囲からも笑われた。
そのたびに「人が褒めてくれなくても、ちゃんと自分で褒めてあげるの。」と言っていたことを思い出す。

いつのまにかそれが逆になっていたのに気がついた。
褒めるのを忘れて、ダメ出しをするようになっていた。
何がきっかけでそうなったのかはわからない。
少しづつ少しづつ、そうなってきたようだ。
もしもこれが自分だけでなく、人に対してもそうなっていたらとても残念なことだ。
子育て論だけの話ではなかったんですね。

今日からまず、自分への悪口をやめるようにしようっと。
そして、できれば声に出して自分のことを褒めてみることにします。
・・・と、ここで宣言します!



2015年10月22日

「愛と仕事が人生のすべて」は、今も昔もきっと変わらない

そんなに映画をよく見るほうではありませんが、ロバート・デニーロは私が好きな俳優さんの一人です。

外国の俳優さんと言えばずーっと昔から好きだったロバート・デニーロ。
今、72歳。
今上映中の「マイ・インターン」は、デニーロの魅力満載です。


http://wwws.warnerbros.co.jp/myintern/

オープニングで出てくるフロイトから引用した言葉

 「愛と仕事が人生のすべて」

そしてマイヤーズの言葉

 「人生で目標をもつことと、評価されることは、
 愛し愛されることと同じぐらい基本的に必要なことだと思う

は、ここ数年の私のテーマそのもの。
う~ん、たまりません。
ぜひ多くの人に、それも同世代や先輩世代に観ていただきたい1本です。

寂しい、やることがない

この映画の主人公は、優しい夫と可愛い子どもがいる幸せなママで、家庭のキッチンで思いついたことをきっかけにアパレル会社を起こし、急成長させた成功者。
アン・ハサウェイ演じるその女性社長、ジュールスの心のうちがテーマなんだけど、私はその会社にインターンとして入社し社長付になった70歳男性、ベンの言動に、オープニング早々で私は釘付けになってしまった。

ロバート・デニーロ演じるベンは70歳。
愛妻と死別し、会社を退職後、いろいろやるけれど、寂しさがつのる。
時間をどうつぶすかが問題だと感じていたとき、偶然みつけた求人票を頼りに仕事をしようと思い立つのだ。

男性が会社を卒業して失う三つ、それが
 ① 行くところ
 ② 会う人
 ③ やること
というのは、以前このブログの「『シニア男性の引きこもり」から気づく、心がけのポイント」でも書いたことがあるけれど、まさにそういう背景からこの映画は始まる。

人生経験は、必ずどこかで誰かの役に立つはず


わがままな中高年や、よからぬ一部の人のせいで、最近はどうも中高年の悪評を耳にする機会が多くて残念な限りだけれど、それでも、
そうそう、どんな人でも生きてきた分だけ必ず経験豊富。
そんな人生経験は、最大のチカラになるはず。
それはきっと、どこかで誰かの役に立つはず。
そうしなくてはもったない。

・・・私はずっとそういう思いを抱いていた。
ずいぶん前から。

それが「キャリア」という考え方だと知ったのは、ここ10年くらいのことだ。
広告業界で長く生きてきた私は、会社員時代に管理部門経験がなく、そこに私の勉強不足も加わって、「キャリア」という考え方をそれまで知らなかった。
組織で生きている中で経験的にわかったこと、考えていたことが体系化されているのが「キャリア理論」だったと知ったのは、20年以上の社会人経験の後だった。

それでも、ずっと人生経験は力になるはずと思っていたのに、
肝心の諸先輩方でそういう風に思っておられる方が、私の周りにはあまりいないように見えた。
若輩者の私が気づかなかっただけかもしれないが。

今、自分自身が50代半ばになり、人生経験は大きなキャリアであるとの思いは、かつて自分が若かった時よりも強くなった。
反面、それが仇(あだ)になっていると感じるときもある。
私自身も会社を辞めて以来、自分の力になるはずの経験が、垢になってしまったのではないかと、自己嫌悪に陥った。
それも一度だけではない。
何度も何度も。

でもやっぱり、そうやって自己嫌悪に陥る気持ち自体も大事な経験。
その気持ちを知っていることが、どこかで誰かの役に立つこともあろう。
キャリアそのものである。

生きてきた時間はすべてキャリアになる

私が会社を卒業し、次に何をやろうかと考えていたとき、
一番に思ったのが、年長者がイキイキと輝ける社会づくりに何か寄与したいということだった。

少子高齢化、体力減退、どうも年をとることが好ましくないような風潮に風穴が開けたかった。
なぜなら、私自身が素敵な先輩から元気をもらえるから。
魅力的な先輩の存在は、私自身の希望でもあるから。

今、100歳の元気な人を見れば、80代、90代の人が元気をもらえる。
60代で頑張っている人の様子は、私たち世代の
そして私たちのありようは、30代40代にきっと影響していくに違いない。

とは言え現実は、楽しかった現場仕事を若手に移譲していく。
長く会社員をやり重責を担い、自負を持っていても、会社の中での役割が変わっていく。
そこに、健康への不安、家族問題、さまざまな将来への不安。
以前のようにイキイキとはいかず、なんとなく萎れていくのも仕方がないとは思う。

だけど、年長者であれば、イキイキしていることだけで後輩の力になることもある。
この映画の中のロバート・デニーロは、そんなことを再確認させてくれる。


2015年10月21日

オイオイ! 同じ世代で同じ女性の行動が私に突き付けること

男女雇用機会均等法施行からもうすぐ30年。
年功序列も崩れ、私自身は男とか女とか言うことにすごく否定的ではあるのですが、それでも同世代や先輩がアグレッシブだとやはり意識してしまうところがあります。
今になってふり返ると、ときどきそういうことを意識し、刺激を受けながら、進んできたのかもしれません。

平成10年 野田聖子さんが郵政大臣に就任


自民党の総裁選挙に野田聖子さんが出てきた時、私は17年前のことを思い出した。
当時、私は30代。
男女雇用機会均等法施行から10年。
多少肩に力が入りながらも、自分としては男性に混じってそれなりに働いてきた実感があった。
その頃、野田聖子さんが郵政大臣に就任したのだ。

え?!
そんなのあり?

私がなぜそう思ったのかは、今もうまく言葉にできないのだが、
初の女性閣僚だったわけではない。
もちろん私が政治家になりたいと思っていたわけでもないし、
閣僚に憧れていたわけでもない。
当時、野田聖子さんも30代だった。

それでも私は当時、やられた!と思ったのだ。
当時私は男性に混じって仕事をしているという自負を抱きながらも、どこかで

 まだ若いから仕方ない、

 オンナだからこんなもの、

と、甘えと諦めが混ざったような思いを抱きながら働いているんじゃないの~?!
と野田聖子さんに突きつけられたような気がしたのだ。 
そんなことを言ったら、

 大臣にでもなるつもり?

と言われそうで、当時、そんなことは誰にも言えなかった。

そして野田聖子さんは総裁選へ

あれから17年。

今回、圧倒的強さを持つ安部さんの対抗馬として、野田聖子さんは手を挙げた。
結果的には最低限必要な推薦人を集め切れず、
野田聖子さんは立候補を断念したけれど、かつて野田さんに感じた気持ちを思い出したのだ。

え?!
そんなのあり?

私自身は、自民党支持者でも野田聖子さんの支持者でもないのだが、
野田さんの総裁選立候補のニュースは、再び私にいろいろなことを突き付けてきた。

自民党の中には、安保法案、原発、TPP、それぞれ是々非々の人が実はたくさんいるにもかかわらず、
総裁選で安倍さんは揺るぎなかった。

気概を感じて生きているのか

長いものに巻かれろ?
次の選挙のために自分を守りたい?
政治家に必要なのは、情熱、見識、責任・・・・・

メディアは、野田さんの断念でそういうことをよく言っていた。
それを聞き、

 あなたは今、自分が大事にしたいことに対して、
 自分に恥ずかしくないような情熱、見識、責任を持っているか。

 何に気概を感じて、今、生きているのか。
 周りに流されてはいないか。

同じ世代で同じ女性の野田聖子さんが、今、私にそうささやいているような気がした。

男か女かなんて関係ない。
年なんか関係ない。
たしかにそりゃそうなんだけど、
やっぱり同世代の、しかも女の行動は、私に大きな刺激を与える。

気概が必要なのは、政治家だけじゃない。



2015年10月20日

テレビを見たことがきっかけで、老親が胃ろうについて考え出した

マスコミの力は弱くなったと言うけれど、それでもやっぱりテレビの影響はとても大きいようです。
特にNHKは(苦笑)。
だからこそ、中途半端な知識の人がそれに惑わされないように、正しい情報をきちんと発信してほしいものですね。

NHKスペシャルを見てね···



少し前のことだけど、実家に帰った時に、突然親が言い出したのです。

NHKスペシャル「老衰死」を見て、
胃ろうとかせずに自然の流れに任せるのがいいなあとパパと話しているんだけど、そういうことっ て遺言に書けばいいのかしら?

オイオイ!
あなたの娘の私が「失敗しないエンディングノートの書き方」を書いているんだから、そこはまずエンディングノートでしょ(笑)。。。

母は拙著が出た直後に読んで、

 いい本ね。
 とてもわかりやすい文章だったからすぐに読めましましましたわ。

と言っていたくせに···(^^ ;;
親でもそうなんだから、まあ、読者なんてそんなものですね....
私も本を読んで、仮にいいなあと思ってもほとんど忘れてます、ハイ(苦笑)。

物事はタイミング

私の親は、今までこういうことにあまり関心を示さなかきましましました。
特に父は、できれば考えたくないくらいに見えましましました。

こういうことは本人次第だと私は考えている。
どう説得したらいいか?
どう話したらいいか?
とよく聞かれるけれど、そもそも説得するなんてことはナンセンス。

いくら私がそういう本を書いていても、たとえいろいろ助言できるとしても、
絶対に無理強いがあってはならないと思っている。
それが家族、親子だとしても。

本人が知りたい、考えたいと思ったときがタイミングです。

子どもの頃、「勉強しなさい」といくら言われてもその気にならなかったけど、
自ら勉強しよう!と思えば、深夜まで頑張って勉強したのと同じ理屈です。

それにしても、NHKの影響力はさすがでします。

法的効力がないエンディングノートだからこそ

そもそも遺言は法的効力があるもの。
だから、法的に効力を発揮してほしい資産、相続について書くわけです。

エンディングノートは、法的効力を発揮しない。
エンディングノートは多種多様で独自な項目があるものもあり、
いろんな側面から自分の考えを整理することができる。
その思いを伝えることもできる。

現実的に延命治療の判断を迫られるとき

胃ろうや人工呼吸など、延命治療の判断が必要な時は、医師から家族が説明を受け、家族が判断することになる。
いざという時、家族に知識がないと咄嗟の判断は難しい。

仮に知識があったとしても、命は本人のものでもあるから、できれば家族の考えだけでなく、本人の思いに沿える判断をしたいものである。
だけどその本人の思いを、果たして家族はどこまで知っているだろうか。
そういうことをあまり口にしない親の場合は、日々の行動や発言から家族が推測して判断することになるのだ。

命について考えたり書きとめておくというのなら、エンディングノートがいいけれど

今、世の中に出回るエンディングノートは有料無料合わせて数百種類にも上るだろうけれど、どのエンディングノートにも、だいたい延命治療の項目が出ている。
その内容の正しさや深さは別にしても。
だからそういうことを考えるきっかけとして、エンディングノートはいい道具になる。

けれど、実際のところ、
延命治療と言ってもその中の胃ろうとはどういうものなのか、
人工呼吸とはどういうものなのか、
いったいどれだけの人が知っているかは、甚だ疑問である。
私の親も、胃ろうのことを言い出したけど、胃ろう自体についてどこまで理解したのかはわからない。
胃ろうについて言いだしたのは、
テレビに出てきた「胃ろうをせずに家族に見守られながら安らかにゆっくりと旅立って行く様子」を見て、それが胃ろうを選択しないイメージとして残ったような気がする。

今回、我が家はたまたまテレビがきっかけでそんな話題がぽろっと出ました。
書こうかなという意思が親にはあるらしい、ということももわかきました。

今までそういうことを口にしない父だったので、母がそう言ってきたこと引き合いに出して
私は父に「何でそう思ったの?」と聞いてみましましました。

 若い者にはわからないだろうが、年をとって体があちこち痛くなる。
 いつもどこか具合が悪く、スッキリいいということがない。
 胃ろうするくらいの頃には、きっ体中がボロボロであちこち痛いだろう。
 もう痛いのは嫌だ。
 また元気になるならまだしも、そうでないなら。

父とは今までそういう話はしてこなかったけれど、
「胃ろうを選ばない」という言葉の奥には、胃ろうそのものがどうこうと言うよりも、少し別の意味合いがうかがえた。
今、すでにあちこちがしんどいんだね···。


書かなくたっていい

エンディングノートの書き方講座があちこちで始まっている。

エンディングノートを書きましょう。
書くのが難しい人のために書き方講座もあります。
···今の流れはそういう方向だ。
けれども、エンディングノートの項目で選択肢を選ぶだけでは、どうも不十分ではないか。

なぜそう思うのか?
どういうことを大事にしたいのか?

そういう思いが託す人に伝われば、きっと必ずしも書かなくていい。
エンディングノートは考えるためにある。
項目をきっかけに家族で話をするためにある。
私は最近強くそう思っている。

 もしも書くというのなら、そういうことはエンディングノートに書く欄があるよ。
 難しいと思ったら無理して書かなくてもいいんだよ。
 聞きたいことがあったら言ってね。

両親は今後、新聞やテレビからまた新たな情報を仕入れるかもしれない。
今回のことがきっかけで、そういう情報に多少敏感になるかもしれない。
それだけでも、大きなステップである。
いずれにしろ、とりあえず、私は今の親の気持ちは聞けた。
今、何かあって判断が必要になったら、親の意をふまえて考えられる気がする。

エンディングノートは、書くこと以上に話すこと。
それが何より大事なことだと思う。





体験参加も受付中です。
 11月12日(木)18:30〜


   自分と向き合うことはなかなか難しいもの。
   講師にお招きする今井さんは、お墓参りがその大きなきっかけになると言います。
   11月は、お墓をきっかけに、自分と向き合うことを考えます。


   会員制の継続講座ですが、初回は体験参加できます。
   体験参加費用0.3000円(消費税別)
   お申し込み、お問い合わせはこちらまで。

2015年10月15日

私のルーツ、家族との関係 ~家系図を知ることで見えてくること~

エンディングノートに出てくる家系図のページは、相続に関係するところ。
だけど家系図はそんなことだけでなく、全く別な意味合いもあります。
それは、自分のルーツを探っていくということ。

家系図の専門家さんにお話を聞きました。
家系図は、親の人生、自分の人生に想いを馳せ、生きていることそのものを肯定できる。
人にはみんな物語がある
・・・そんなことを、強く感じさせてくれる時間になりました。


いざ!家系図を作りはじめる

毎月開催しているエンディングノート講座の10月は家系図がテーマ。
去年、相続がテーマだった回で、簡単な家系図を作成したことがあるが、
今回は少し趣が違う。
その場で自分の名前、自分の兄弟姉妹の名前、親の名前、祖父母の名前をフセンに書いて並べるところから始まった。

そこに書かれた人たちは、それぞれどこに住んでいたのか。
その人たちはそれぞれどんな仕事をし、どんな趣味を持っていたのか。
どんな体型で、例えばどんな髪質だったのか。
どんな性格で、どんなエピソードを知っているか。
どんな病歴があり、享年何歳で、死因は何だったのか。

そういうことを記憶を頼りに書いていく。
俯瞰してみると、そこに出てくる人の共通項が浮かび上がってきたり、
自分との類似性が見えてきたりする。
自分が今あるのはどんな人がいたからなのか・・・

家系図から広がる世界

家系図を作り始めることは、自分のことを知る作業でもあるのだ。
しかも、祖先を知ることで、自分とのつながりを確認し、その人の類似性、共通項から遺伝子を実感する。
連綿と流れる血、DNAを感じるのだ。

お話をしてくれた家系図の専門家さん、ファミリーヒストリー社代表の吉田富美子さんによれば、家系図にはたくさんの楽しみ方があると言う。
歴史上の人物と間接的につながっていたり、史実との関連を知ったり・・・。
戦死などは、まさに社会の動きに関わっていた証拠だ。

たくさんの楽しみ方が紹介されたが、
個人的には教育の場面での活用に興味を抱いた。
つまり、子どもが家族を知るという観点から、家系図を作るということ。
核家族化が進み、家族のつながりが希薄になってきたと言われる今の時代だからこそ、教育的観点から家系図を取り入れるのは面白いだろうと思った。
親子で家系図を作るワークショップも面白そうだ。

事実からしっかり作るなら戸籍

記憶から家系図を作るのではなく、事実から作るとしたら戸籍謄本だ。
親の前の祖父母、祖父母のその前の代、さらにその前の代・・・とどんどん上っていくと、家系図づくりのベースとなる素がわかってくる。
代変わりで地域が変わると、戸籍の取得もあちこちの自治体を追いかけていくことになる。

現在閲覧可能な戸籍でもっとも古いのは明治19年式なのだそうで、
それは80年保存。
2010年の戸籍法改正で150年保存に変更になったそうで、
2036年までに取得しておかないと、昔の戸籍は廃棄されてしまうかもしれないのだという。
古い戸籍は、地域によっては死んだ理由や死んだ場所が記載されているものもあるのだそうだ。

追いかけていけば江戸時代以前までさかのぼることもできるというから、
ロマンが広がる。

名字(苗字)と、家紋と、長く住んでいた場所

今回の講座に参加するにあたっては、
祖父母の名字(苗字)と、家紋と、長く住んでいた場所、を
あらかじめ確認してくることが宿題だった。
講座の中では、長く住んでいる地域から、参加者それぞれの名字(苗字)のルーツを探った資料が個別に配られ、講師から、参加者の地域の名字(苗字)の広がり具合、そこからどんなことが考察できるかについて紹介された。
さらに家紋との組み合わせで、それがどんどん絞り込まれていくのだと言う。

家系図で深まる家族の結び

今回の宿題のために、92歳の祖母としっかり話をしてきた参加者がいた。
今までに聞いたことがないような初めて知る話がいっぱいあったと言う。
聞けば、誰もが知る歴史上の人物の末裔らしい。
中でも驚いたのは、現存されている過去帳をその祖母が保管していたのだが、娘ばかりで家系が途絶えてしまうため、そろそろ焼こうと思っていたということ。
今回、講座の宿題のために話をしたことで、彼女に過去帳が引き継がれることになったのだと言う。

家系図は形だけど、その裏には物語がある。
実はその物語こそがきっと大事にしたいことであり、それによって子や孫に伝えていくべきこととは何かを考えることができるのではないか、と改めて感じる時間になった。







体験参加も受付中です。
 11月12日(木)18:30~


   自分と向き合うことはなかなか難しいもの。
   講師にお招きする今井さんは、お墓参りがその大きなきっかけになると言います。
   11月は、お墓をきっかけに、自分と向き合うことを考えます。


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   体験参加費用;3,000円(消費税別)
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2015年10月12日

ずっと前にもらった手紙、どうしてますか?

断捨離という言葉がでてきたのは、今から何年前のことでしょうか。
近藤麻里江さんの本がベストセラーになったのが2010年の年末。
それ以来、捨てることこそがよいこと、幸せに生きる秘訣でもある、というのが今や常識です。

断捨離の前にはまず整理整頓。

私は整理整頓がたぶん大嫌いだ。
そもそも整理整頓は好きとか嫌いとか言うものではないと思っていた。
だけど、
何をするよりまず整理整頓しないとやる気にならないと言う人がいる一方で、
私の場合は、整理整頓しよう、しよう、と思ってはいるのだが、
ついつい先延ばし。
他のことをやりたくなってしまうのだから、「たぶん」嫌いなのだろう。
なかなか整理整頓に着手できず、モノがどんどん増えていく。

先日、ファイナンシャルプランナー(FP)の集まりで
エンディングノートをテーマにお話させていただいた後の懇親会では、
モノ整理の話題で盛り上がった。

親のモノの整理にはヘトヘトになる

そこにいたのはベテラン世代が中心で、
ご自身の親御さんを見送るご経験を経た方が多く、
大変だったのは親御さんが遺したモノの整理だったと言う。
お聞きした方のお父様がお持ちだったのは
8,000冊の本、2,000枚のレコード、さらにおもちゃなどなど。

どう処分しようかと途方にくれたそうだ。
作家別に揃えた全集などは、蔵書として大事にされていたそうだが、
いざ処分しようとしたら二束三文どころか、
お金を払わないと処分すらできなかったという。
逆に漫画の単行本、大昔の商品カタログ、箱つきのブリキのおもちゃ等々は、
予想外に高く引き取ってもらえたと笑う。
それにしても、現役を退いて多少は時間があったとは言え、
それらを少しづつ処分していくのに1年半もかかってしまったのだそうだ。


自分のモノにしない

モノの整理は大変だ。
その人は親御さんのモノ整理にほとほと疲れてしまったせいで、
今や自分のモノを持たないように気をつけるようになったそうだ。

本は買わない。
図書館だけ。

自分のモノにしないのか。。。
そうすれば、読みたいと思いながら積んでおくこともないだろう。
モノ整理の観点からは歓迎すべきことなのだろう。
でも読みながら端を折ったり、書き込みをする癖がある私にはなかなか真似ができそうにない。

じゃあ手紙は?

なぜか捨てられないモノについて、その理由を書いていたブログを読んだ。


気持ちがあるものを捨てるのは難しい。

私は結婚する前のラブレターを今でもとっておくということはないけれど、
ラブレターじゃないにしても、過去にもらった手紙をどうするかは意外に悩ましい。
それはきっと、そこに気持ちがつまっているから。
それも、手紙を書いた人の気持ちと、受け取った方の気持ち。
両方の気持ちだ。
最近は手紙を書く機会ももらう機会も激減したけれど、
自分自身の転機でもらった手紙などはなかなか捨てられないのではないか。
少なくとも私は捨てられない。
他の人はどうしているのだろう?

とっておくことをそろそろ辞める頃かな


前述の、
親御さんのモノ整理に疲れて自分のモノを持たないようにしていると言っていた男性に聞いてみた。

手紙は捨てるのは嫌なので燃やす。
自宅の焼却炉で。

燃やす? 
なるほど。
捨てるのがイヤというところには、やっぱりね・・・と思った。
それは、きっと気持ちが覗けるからだろう。
燃やすのなら、捨てるよりも手放しやすかもしれない。
でも自宅に焼却炉がある人はそうそういない。

燃やすということは、要はとっておかないということ。

生きていれば次々モノが増えていくのは当たり前。
やはり、どんどん捨てるのを前提にしていかないとダメそうだ。







体験参加も受付中です。
  10月14日(水)18:30~
    自分のルーツと家族の関係
     ~家系図から見えてくること~

  11月はお墓参りがテーマです。

   会員制の継続講座ですが、初回は体験参加できます。
   体験参加費用;3,000円(消費税別)
   お申し込み、お問い合わせはこちらまで。




2015年10月10日

エンディングノート 書いていいこと、悪いこと

拙著を読んでくれた方からのご依頼で、
ファイナンシャルプランナーの方々の勉強会で「エンディングノート 書いていいこ、と悪いこと」をテーマにお話をしてきました。

書く意味なんてあるのかしら、
書いて悪いことがあるなら書かないほうがいいんじゃない?

ハイ、そうですね。
そういうこともあるかもしれません。



エンディングノートはなかなか書けないもの

「終活」という言葉が誰にでも知られるようになって以来、その象徴ともいえるエンディングノート。
巷ではエンディングノートの書き方講座があちこちで開催されている。
だけど現実的には、エンディングノートなんてそうそう書けるものではない。

私は「失敗しないエンディングノートの書き方」なんて本を書いているけれど、

一般の人は、実際問題エンディングノートを書けるか~?!

とツッコミを入れたいところだ(苦笑)。

実際に書いている人は2%という調査もあるくらいだ。
たとえ書いている人でも、

書き始めた

途中まで

という方ばかりで、最後まで書いているという人にはあまりお目にかかることがない。

エンディングノートとは?

そもそもエンディングノートとはなにか?
エンディングノートを書くことでトラブルがあるのか?
それはどんなトラブルなのか?

今回、ファイナンシャルプランナーの皆さんには、そんなことから中お話させていただいた。
ファイナンシャルプランナーはお金の専門家だけど、エンディングノートについてはそれが何かということは必ずしもご存知ない。
今回も、エンディングノートという言葉は全員がご存知だったけど、エンディングノートそのものを見たことがない人も多かった。

エンディングノートはまだまだ知られているとはいいがたい。

私がエンディングノートに出会って感じたのは、
いざという時にこういうことが問題になるのか!
ということ。
しかも考えていくと、そこに書くべきことは、実は今までの生き方や価値観が如実を表れるものだということ。

だから逆に考えると、一つ一つの項目が、自分のこれからを考えるためにもとてもいい道具だなと思った。

いつ書くの?

東日本大震災があったとき、
私たちは自然の脅威と命の儚さ、いつ何があるかわからないと思い知った。

その翌年の調査では、20代30代の若者の40%「今のうちにがエンディングノートを書きたい」と回答していて驚かされた。

けれどもそれからさらに1年半ほど経って終活やエンディングノートのお話をすると、そのときによく聞く言葉が、

まだ書いていない

ということ。

まだ?
そのときが来たら書くつもり?
じゃあ、それはいつ?

書かなきゃいけないわけじゃないけど、使わないのはもったいない

ただ、実は私自身は、エンディングノートをきちんと書かねばならないとは思っていない。
項目によっては、誤解していたりいい加減に書くくらいなら、むしろ書かなくてもいいくらいだと思う。

だけど見ることだけはしておいた方がいい。
見るだけでもいいから。

エンディングノートは、
自分がどんな最期を望むのかを次々と突きつけてくる。
けれど、それはたとえ望んだとしても、誰かに託さないと実現はできない。

自分は何を望むのか。どんなことを望むのか。
そしてそれを誰に託すのか。
なぜそう思うのか。
そのためにこれから大事にした方がいいことは何か。

・・・エンディングノートは、そんなことを考えるきっかけをくれる。

その時が来たら

ではなく、今でしょ(ちょっと古いね・・・苦笑)

早ければ早いほど、これからに生かせるはずだ。

エンディングノートを見たことがないというのはあまりに残念だ。
せっかくの自分のこれからを価値あるためにするチャンスをみすみす逃しているようなものだと思う。




エンディングノートを使って、自分らしく生きることを考える講座
毎月第2水曜日18:30~麻布十番にて開催

体験参加も受付中です。
  10月14日(水)18:30~
    自分のルーツと家族の関係
     ~家系図から見えてくること~

  11月はお墓参りがテーマです。

   会員制の継続講座ですが、初回は体験参加できます。
   体験参加費用;3,000円(消費税別)
   お申し込み、お問い合わせはこちらまで。




2015年10月7日

もしも今・・・?!  命にかかわる医療について、もう一度考えてみる

毎月開催しているエンディングノートのグループ講座。

10月5日、

もしも今・・・?!
 命にかかわる医療について、もう一度考えてみる

をテーマに、第18回を開催しました。

参加しているのは40歳からの現役世代。
実はこのエンディングノート講座は毎月第2水曜開催が原則で、9月9日の開催予定だったのですが、当日大型台風来襲により、10月5日に延期しての開催となりました。

この講座で医療について取り上げるのは、
昨年10月に終末医療の緩和ケア認定看護師をお招きして以来の2回目。
今回は、医療や介護にきちんと活かせる(※)エンディングノートを開発した株式会社健育社の社長で、自ら医療ライターでもある畑川郁江さんをお招きし、命にかかわる医療とはどういうことなのかを参加者ともに考えました。


大切な人が突然倒れたら・・・?!
では、それがもし自分だったら・・・?!

命の終わり方を考えるワーク・・・


世の中に出回るエンディングノートには、しばしば

延命治療を希望しますか?

という項目が出てきます。
でもいったいどれだけお人が「延命治療」とは何かを知っているのでしょう?
延命治療にもいろいろな種類があり、

 希望する、
 希望しない、

なんてそう簡単に答えを出せるものではありません。
種類によって、状態によって、その後の可能性によって、さまざまな人との関係性によって・・・

大体、そんな設問じゃあ、いざという時にどこまで活かせるかどうか。
本人の願いは何だったのか。
家族はそれをどう解釈するのか。

参加者間でそんなことを話しながら、難しく悩ましいテーマに向き合い、自分自身の命、大切な人の命について考える時間になりました。
現実によくあるエンディングノートが、いざという時の医療や介護に活かせるかどうかは、実はまだまだ疑問が残りそうです。
講座では命にかかわる医療、治療の内容の一部についての説明もあり、エンディングノートに向き合うなら、表面的ではなく「本当の意味」を知ることが大事なのだと思い知る時間にもなりました。




その上でどういう形を希望するのかということは、やはり人によっていろいろ。
価値観や関係性などそれまでの人生の歴史に大きく関わるところですね。

誰にでもそれまでの人生の歴史があるからこそ、いろいろ考える。。。


さて、次回は10月14日。
本来の10月開催、第2水曜日になります。

テーマは、

 自分のルーツと家族の関係
  ~家系図から見えてくること~

今やNHKでもすっかり有名になったファミリーヒストリー
・・・家族の歴史。

住んでいる地域や名前によって、ある程度ルーツが推測できるそうです。
10月14日の講座では、家系図やルーツを調べるファミリーヒストリー社代表の吉田富美子さんを講師にお招きしてお届けします。


【テーマ】
 自分のルーツと家族の関係 ~家系図から見えてくること~

 今の自分があるのは、父親と母親がいたからこそ。
 父にも父親・母親が、母にも父親・母親がいて・・・
 自分のルーツを考えるとき、
 良くも悪くも家族の存在は否定できません。
 家族、先祖・・・家系図から自分の何が見えてくるのか、考えます。

【日時】
 10月14日(水)18:30~20:30

【場所】
 麻布十番

私が主催しているエンディングノート講座は、自分らしく生きることを考えていく講座。
それもエンディングノートを使って。
エンディングノートには、ふだんあまり考えることがないけれど考えなくてはいけないこと、考えることでもっと自分らしく生きられることの要素が詰まっています。

でも

 一人で考えるには難しい。
 何がわからないかがよくわからない。
 他の人はどんな風に考えているんだろう。

きっとみんなそんなふうに思っているのではないでしょうか。

このエンディングノート講座は、毎月1回開催の会員制ですが、体験参加を受付中です。
メンバーは40歳からの現役世代の方々が中心。
専門家を招いて超少人数でフランクで和やかな雰囲気の中で開催しています。

これから私はどうなっていくんだろう。
自分らしく生きるってなんだろう。
私が大事にしていることを再確認したい。
老親が弱ってきて、家族のことをどう考えていこうか。

~そんなことを思う方々の体験参加、受付中です。


※参考
入会金 10,000円
月会費  6,000円
★体験参加は、3,000円
(いずれも消費税は別途)

トラベシアのエンディングノート講座は、原則毎月第2水曜日開催、
会員制・月謝制の継続講座ですが、体験参加は随時受付中です。

お問い合わせ、お申し込みはこちら。
Facebookでも体験参加を受付中です。


2015年10月2日

川島なお美さんの夫、鎧塚さんの言葉、「 しいて言うなら 『なお美葬』です。」

9月24日、川島なお美さんが亡くなりました。
享年54歳。
私は同世代であるばかりか、お誕生日が1日違い(さそり座(^^;;)。
ご本人にはお会いしたことはありませが、私は勝手に近しい感覚があります。
ちなみに鎧塚さんには数年前に仕事でお会いしたことがあり、そのときに奥さまの川島なお美さんのことをとてもさりげなく語っておられた姿が印象的でした。

川島なお美はやっぱり川島なお美のままでした

川島なお美さんが結婚したのは48歳の時。2009年のことだ。
5歳年下のパティシエ、鎧塚さんとの結婚は「大人婚」と言われた。
自立した大人の男女の結婚、という強い印象がある。

その鎧塚さんが、

本日19時55分妻なお美が他界致しました
一週間前まで舞台を勤め、そして最後の最期まで女優として、女房として、人として全力で生を全う致しました。
なお美を支え応援して下さった皆様方には心より御礼申し上げます。
息を引き取るまで川島なお美はやっぱり川島なお美のままでした。
本当に立派でした。

と、9月24日にFacebookで投稿したという。
(日刊スポーツ)


私は、川島なお美と同世代。
同じ時代を生きてきた。
キラキラに若かったころにバブル時代の恩恵を受けた世代だ。
当時、川島なお美は女子大生キャラでチャラチャラキラキラしていた。
その彼女が、その後あまり売れなかった時期を経て、再び女優として開花したのは20年近く前のこと。
その後、ワインで有名になり、そして48歳で結婚。

私たちは、昔、25歳を過ぎれば売れ残りなどと揶揄される一方で、DINKS(ダブルインカムノーキッズ)と働くことを推奨もされた。
仕事に熱中し、リシングルや結婚しない女性が多い世代でもある。
衰えなど全く感じさせず、キラキラ輝いた48歳の結婚は、
同世代の独身女性たちにもたぶん勇気を与えた。

ただ、川島なお美はこの間ずっと、人知れずストイックに努力し続けていたと言う。

川島なお美さんは、結婚する時に
「あえて言うなら“3Dなし婚”です。妥協、打算、惰性なし」
と語っていたという報道があった。
出典)壮絶! 川島なお美さんが貫き通した「3Dなし」人生(朝日新聞出版


それが、夫の鎧塚さんに

息を引き取るまで川島なお美はやっぱり川島なお美のままでした。


とまで言わせることにつながったように思う。

亡くなる3時間前に片岡鶴太郎さんが病室を見舞ったそうだが、
川島さんは病床でもきれいにネイルをしていたという。(スポニチ
「最後まで女優として」の一つの表われでもある。

逝き方は生き方

僧侶の中下大樹さんが、
「人は生きるように逝く」とたびたび語っていた言葉を、今、改めて思い出す。
川島なお美さんの生き方そのままに旅立った、
彼女の生きざまそのものなのだ、
と感じさせた。
まさに「逝き方は生き方」。

そういう女性に、私は尊敬と驚愕を抱いてしまう。
そんなに人は凛々しくいられるものだろうか。
同世代の死を前にして、
私の最後の最期は、どうなるだろうかと思わずにはいられない。

今生きているように、そのまま出てしまうのだろう、きっと。
そら恐ろしくもある。

川島さんにかわいがられていたという西川史子さんは
女の人は、男の人を「立てる、褒める、甘える」のが大事、
とアドバイスされたと語っていたが(TBS「サンデージャポン」)、
川島さんご本人は凛々しくはあるだけでなく、本音のところで夫に甘えていたのだろうか。

心の中の故人と相談する

最近は自分らしい葬儀を、とよく言われる。
どんな葬儀にしたいかをエンディングノートに書いておきましょう、とも言われる。
家族葬が増えた背景には、葬儀を儀礼的なものではなく、本当に家族だけで見送ってほしいいから、という心理が働いているからだろう。

だけど、葬儀は誰のものなのか。何のためなのか。
故人のもの、遺族のもの・・・

夫である鎧塚俊彦さんのFacebookから。

「案内状がきていない人でも行っていいんですか?」
という問合せがたくさん来ております。
妻なお美と交流のあった方々全てに御案内状を送らせて頂く事が出来ず申し訳ございません。
御希望の方はどなた様でも私達と一緒になお美を見送って頂きたく願っております。
ファンの皆様用にも祭壇の外に拝礼所を設けます。
尚、ワイン葬という誤報がどこからか流れておりますが強いて言うなればなお美葬です。
独自のスタイルを作り上げた川島なお美最後の幕
心の中のなお美と相談しつつ
なお美ならきっとこうやったであろう最終幕を悶々と構築しております」

お経の代わりに音楽を流す音楽葬、映像を流すムービー葬など、個性的な葬儀が増えつつあると言われる。
こんな風にしてほしい、と希望を遺す人も多くなっているだろう。

生前からきちんと準備している葬儀が話題に上ることが多いけれど、
本人も遺族も何の準備もしていないけれど、遺族が心の中の故人と相談しながら構築する葬儀。
わずか6年の結婚生活とは言え、濃厚に話をし、深く通じ合っていた様子をうかがい知ることにもなり、悲しみを誘う。

鎧塚さんは、川島なお美さんが亡くなってから喪服を用意した、という報道も目にした。

家族葬が多くなっている今、今回は希望の方はどなたでも。
案内は行き届かないからFacebookで、という形だ。

今の時代の葬儀の進め方の一つを見た気がする。


その葬儀にうかがってきました。




弔辞や、司会の徳光さんの言葉を聞けば聞くほど、川島なお美が最後の最期まで川島なお美だったということに納得させられた。

写真は、会場の外に飾られていたもの。
私が着いたとき、大きな祭壇が飾られていた部屋は近しい方が中心ですでに満室で、別に用意された部屋に通されたのだが、その部屋の正面の壁いっぱいに白とピンクの花が飾られた中央に飾ってあった写真と同じ写真だった。
一人の写真ではないので、ここで遺影とは言えない。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

葬儀の様子は別にこちらで。





エンディングノートを使って、自分らしく生きることを考える講座
毎月第2水曜日18:30~麻布十番にて開催
体験参加も受付中です。
  10月5日(月)18:30~
    ※9月9日(水)開催予定でしたが台風の影響により延期を決定しました。
    もしも今・・・?!
     命にかかわる医療について、もう少し考えてみる
  10月14日(水)18:30~
    自分のルーツと家族の関係
     ~家系図から見えてくること~


   会員制の継続講座ですが、初回は体験参加できます。
   体験参加費用;3,000円(消費税別)





川島なお美さんの葬儀に行ってきました

9月24日に亡くなった川島なお美さん。
10月2日、青山葬儀所でお葬儀があり、行ってきました。


会場まで


わかりにくい場所じゃないのに最寄りの乃木坂駅からの案内板は6箇所以上。
案内する人がついているところも多く、会場に着く前から気遣いの細やかさに驚く。 







会場に入ると

流れるBGMは川島なお美さんの歌声だ。
私が着いた時は祭壇のある本会場は近しい人たちを中心にすでに満席。
別に通された部屋も300席以上はあろうか。
正面には壁いっぱいに白とピンクの花が飾られ、その中央には鎧塚さんと二人が寄り添い合った全身写真が飾られらていた。



一般人の一般的な遺影のサイズで全身なので近づかないと顔がわからないくらい。
二人がそれぞれ花束をかかえているのかと思いきや、抱えているのは愛犬。
要は家族写真だ。 

本会場ではないので姿は見えないけれど、音声だけが流れてくる。
司会は徳光さんだ。
ご導師さま(浄土宗)が入場され、短いお経のあに川島なお美さんへの語りかけが始まった。


その後、弔辞が続く。

まず事務所の代表、そして林真理子さん、倍賞千恵子さん。

林真理子さんは、文化人、スポーツ人の活動団体エンジンゼロワンでの様子をふり返り、街頭でのビラ撒きも厭わない川島なお美さんのたくましさや、素敵な男性にご馳走してもらう会 のお茶目ぶりを語った。
そして最後に、

鎧塚さんを孤独にはしません。

と涙を流して締めた。

倍賞千恵子さんは最初に「はぁーっ」と息を吐き、

なお美ちゃん、私、あなたにどう話しかけたらいいのか。

と話しはじめた。

鎧塚さんのことをトシと呼び

「トシと一緒にいた」時の川島なお美さんのことを「古風な日本女性がいた。」と評した。
別荘に遊びに行った時に部屋に入ったらかわいいメッセージが置いてあったすばらしい気遣いのことも。
そして体が弱っていた時に倍賞千恵子さんが

そんなに頑張らなくていい

と言ったら、

だって私、女優だから!

と答えた話を披露した。倍賞さんの弔辞は

尊敬と感謝と限りない愛を込めて、女優、川島なお美様

で締められた。
司会の徳光さんによれば、倍賞さんは最期の看取りにも付き添ったようだ。

亡くなる20分前に病室を見舞い、仕事で今日は会場に来られなかった片岡鶴太郎さんからのメッセージが弔電として披露された。 

いつもご主人を気遣い、・・・

プライベートで親しくしていた人から必ず聞かれる言葉だ。
鎧塚夫婦と一緒に食事からカラオケに行き、Hiromi Goの歌を歌ったことに触れ、
川島なお美さんのことを、最後に

髪の芯まで爪の先までオンナだったね。

と締めた。



喪主、鎧塚俊彦さんからの挨拶は、
女房が、」「女房が、」と川島なお美さんの生き方を、すすり泣きながらも讃えた。

川島なお美さんは過去を振りかえることをしなかったという。
常に前向き、現在と未来だけ。
病気のことも後ろ向きに捉えることはなかったという。
去年大手術した前日に川島なお美さんが書いたメモが出てきたそうで、そこには、

もっともっと、川島なお美を進化、熟成させる、そのための試練をありがとう、

と書いてあったそうだ。

女房は他界したくらいでへこたれるやつじゃない。
今頃、私は次のステージで次のことを考えているから、と言ってるんじゃないかと思います。

腹水5リットル溜まった中でも舞台に立ち続けていたのは奇跡だと医師に言われたという。


戸籍名の鎧塚ではなく川島なお美で

葬儀は、本名の鎧塚直美で、という意見があったようだが、戸籍名ではなく川島なお美で、というのは鎧塚さんからの申し出だったそうだ。。

祭壇は白とワインレッドで構成された花祭壇。 

ワインボトルが複数並び、特に大きなボトルに深紅(ワインレッド)のバラが生けられ、たくさんのワイングラスの中には火が灯されていた。

浄土宗のお坊さんは4人。
驚くくらいいいお声をされていたのは、舞台の川島なお美さんのお式だからか。

お焼香後、出棺までは長い時間がかかったが、芸能人の方も含めて多くの人がお見送りまで待っていた。

出棺の際に鎧塚さんが、

女房は拍手をもらうのが大好き、それが生き甲斐だと言っていました。
どうか割れんばかりの拍手で送ってください。

と語った言葉を受け、場内はまさに割れんばかりの拍手が起き、それがいつまでも続いた。
拍手が続く中で鎧塚さんが霊柩車の助手席に乗り出発すると、大きく開いた窓から大粒の涙を流しながら、両手で持った戒名が書かれた位牌を窓の外に高く掲げた。

拍手はずっと鳴り止まず、車が見えなくなっても、誰もがそこからなかなか立ち去ることができかった。

夫婦二人、違う道を歩きながらも相手を気遣う川島なお美さんと鎧塚さんの様子は、同世代であること、子どもがいないことなども手伝い、私自身や私たち夫婦のあり方について今一度考えさせてくれる。
誰にとってもいつ終わるかわからないこれからの人生だか、命の終わりは、今日という日、今という時間の大切さを感じるきっかけになると思う。

川島なお美さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

会場外には、プライベート姿の写真がいっぱい。
一番手前は病室のノーメイク姿にもかかわらず、とても愛らしい。












エンディングノートを使って、自分らしく生きることを考える講座
毎月第2水曜日18:30~麻布十番にて開催
体験参加も受付中です。
  10月5日(月)18:30~
    ※9月9日(水)開催予定でしたが台風の影響により延期を決定しました。
    もしも今・・・?!
     命にかかわる医療について、もう少し考えてみる
  10月14日(水)18:30~
    自分のルーツと家族の関係
     ~家系図から見えてくること~

   会員制の継続講座ですが、初回は体験参加できます。
   体験参加費用;3,000円(消費税別)