2016年2月12日

50歳を過ぎたら・・・かかりつけ医を探せ!大作戦

高齢者の医療と介護を学び考える場面で、必ず出てくるのが「かかりつけ医」。

本来、かかりつけ医というのは、
ずっとずっと若い頃からの体質や既往症、家庭環境などをひっくるめて
総合的にカラダを診てくれるお医者さん。

そう考えると、
今かかりつけ医がいる人はいいけれど、
いない人はできるだけ早く探した方がよいのです。
さあ、50歳を超えたんだから、かかりつけ医を探せ!大作戦のスタートです。

現代医療は専門化、高度化

看護師で僧侶の玉置妙憂さんから2月9日開催の講座でお聞きした話。

 頭が心配で念のためと思って脳外科に行ってCTを撮る。
 その時、「実は最近お腹も痛くて」と言うと
 「では消化器科に診てもらってください」と言われ、消化器科に回される。
 消化器科でお腹の診察を受けた後に
 「最近目がかすむんですよ~」と言えば眼科に、
 「肌がカサカサして痒くえ」と言えば皮膚科に、と
 次々いろいろな専門科を回ることになる・・・・

参加者の皆さんと「笑い話みたいですね~。」と笑った。


日本の現代医療は、どんどん専門化し、高度化していると言う。
それが医学の進歩にはつながったのは確かだけれど・・・。

さもありなん。


よりよい医療を求めてあちこち通ううちに

私の父は、
内科と整形外科と消化器内科と泌尿器科と心療内科と皮膚科に通っている。
いずれも通院しているのでしばしば予約が入り、高齢なのに意外と忙しい。
病院に行くために、病気にもなれない。

あちこちでいろいろな薬をもらうので、家には大量な薬がある。
全部を飲むのは大変だ。
しかも本人が言うには、ある部分に効く薬を飲むと、別の具合が悪くなることが多々あるらしく、毎朝その日の自分の体調に合わせて、勝手に薬の量を減らしたりもする。
例えば痛み止めの薬を3錠飲むように言われても、
その日の体調によってはそれだけ飲むとお腹の具合が悪くなるので
1錠にしたり、2錠にしたりと、自分で加減しているのだ。
お医者さんからきちんと指示が出ているにもかかわらず・・・

これってどうなのよ?!

カラダの部分の専門家はたくさんいるのだけれど、
父の体全体を診てくれる先生がいないのだ。
そこで大事だと言われるのがかかりつけ医である。

元気な世代に、かかりつけ医?!

しかし元気な世代は、滅多にお医者さんになど行かない。
健康診断でパスすれば終わり。
何か引っかかれば大病院に行って精密検査を受ける。
そこで行くのは、精密検査で引っかかった専門科だ。
ふだん風邪をひいてもお医者さんになんか行かない。
行くとしてら、職場の近くに飛び込んで
「熱を下げるために注射の1本でも打ってください。今、休めないんで…」
とお願いする。
かかりつけ医どころじゃない。

「40代からの終活」をテーマにしたシンポジウムの基調講演で
ノンフィクションライターの中澤まゆみさんが提案した「老後の備え 10ヶ条」の
中にも、かかりつけ医を、という項目があった。

やはり、かかりつけ医である。
私は随分前に意識してかかりつけ医を探し、今お世話になっている先生がいる。
たぶん60代後半の男の先生。
そうそうあることじゃないけど、
精密検査が必要かもしれない時、何か心配なことがある時には
大病院と連絡をとり、予約までとってくれる。


切実にかかりつけ医が必要になる時のために

だけど、10年後、20年後、30年後、
今の私のかかりつけ医の先生は私を診てくれるかしら。
私自身がかかりつけ医を切実に必要とするのは、
きっと70代、80代になったときだ。
そのとき、先生は80代、90代・・・

将来私が年をとった時に、
私が風邪をひくと元々どういう症状になりやすい体なのか、
どういう時に風邪をひきやすいのか、等
かかりつけ医はこの今の状態から私の体質や既往症等を時系列で
知っておいてもらうことに価値があるのだ。

夫は、日常的にかかりつけ医を持たなかった。
何かあれば便利な場所のお医者さんで診察を受け、
便利な場所の調剤薬局で薬を受け取る。
しかし、そろそろかかりつけ医を持った方がいいかも、と話し合っていたら、
ある日かかりつけ医を決めてきた。

話を聞いてくれて、感じが良くて、良心的な対応をしてくれて、
自分より若くて、しかも家から比較的近い場所にある先生、という観点で、
彼は探し当てた。
ネットの評判や待合室で待つ患者さんの様子なども参考にしたようだ。
新たに決めたかかりつけ医の先生に、
彼は仕事の状況なども少しづつ話していそうだ。
仕事のストレスと体調との関係、体質、既往歴等もふまえて、
その時の体の状況を診てもらえることは、心強いに違いない。

私は、今のかかりつけ医には十分感謝してはいるけれど、
これからのことを考えて、私も将来のかかりつけ医をどうするか、考えよう。

今から探すのだから、大前提は私よりも若いお医者さん。
そして、私と相性がいい先生であること。
信頼できる先生であってほしいけれどそれだけじゃなくて、
たまには冗談なんかも言えるような先生だといいかも。
夫と同様に、自宅に近いこともはずせない。
男の先生、女の先生、どっちかなあ。それは私にはあまり関係ないかなあ。

日本の医療制度は、病院から地域医療へと変わろうとしている。
だからこそ、今の私から知っておいてもらえるようなかかりつけ医を探し始めよう。
東京には近所にお医者さんがいっぱいいる。
近隣候補をリストアップし、まずはちょっと具合が悪くなったら行ってみよう。
私の「かかりつけ医を探せ!大作戦」、スタートである。



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2016年2月8日

中高年が再就職するときには、予想外の難しさもあった

ハローワークでは45歳以上はシニアの括りになるようです。
私が新卒から長年勤めていた会社を退職してハローワークに行ったときは
既に45歳を超えていたため、
「シニア」と言われて大いに傷ついたことを思い出します。
自分をシニアだなんて、思ってもみなかったので。
ある日突然、年寄り扱いをされたような気がしました。

人材不足というけれど、50代の仕事環境は厳しい。

手厚い早期退職制度、割増退職金のある大手企業の場合は
一見羨ましく見えるけれど、その後の展開はなかなかうまくいかない。

上場企業、大手企業だからと言って、定年まで安泰ではないのは、もはや常識。
バブル崩壊で大手企業の倒産に驚き、
そんなことは百も承知と誰もが思っていながらも、
業績が厳しくなった大手企業の大量リストラのニュースは、毎度ショッキングだ。
それでも大企業の場合は再就職支援会社との提携などがあり、
まだまだ恵まれていると言うべきなのかもしれない。




中高年の再就職支援の現場で

日本シニア総研というのがある。
聞いたところ、バリバリ元気な70代の皆さんが中心になった一般社団法人で、
そこがやっている
元気シニアカレッジというのがあり、1月27日に
「シニア世代(人財)が再就職する際の心構え、注意点」をテーマに話をする
というので聞きに行った。
お話してくれた方は、
中高年に特化した再就職支援会社の1940年生まれ(現在75歳)の
現役産業カウンセラーだ。

大変な人材不足の今、
その方は50件/月前後の案件を抱えているそうだが、
3件/月くらいしか採用まで至らないという。

ついこの前まで部下を持ち、
雑務は部下にお願いしてきた中高年には、
長年で染みついた感覚がある。
無意識のうちに上から目線。
けれどもそれまでと同じような職種の求人には滅多にお目にかかれず、
なかなか希望には沿わない。
新しいことに挑戦しようと応募するも、次々と不採用通知が来る。

これだけでも相当大変なことだ。


次なる試練は足元に


やっと採用に至ったそのとき、次なる試練が待っていると言う。
・・・・・家族だ。

 なんでそんな会社に勤めるの?

 聞いたことがない会社になんて勤めないで。

 そんな会社に行くくらいなら仕事なんかしなきゃいい。


大手企業勤務だった夫や父に対して、家族の言葉は容赦ないそうだ。
無邪気で悪気がない。
遠慮がない。

そしてせっかく採用が決まっても、家族の反対で辞退する人が多いのだそうだ。
中には息子や娘が
「もう少しまともな会社を紹介してもらえないか?」
と実際に再就職支援会社に訪ねてきて直談判してくることも珍しくないのだと言う。

中高年を中心に求人をかけた企業の人からも、
採用後に家族の反対で辞退した人がいた話を聞いたことがある。
その人は

 何のために応募してきたのか?

 何度も面接があり、ここまで来るのも大変だったはずなのに。

と不思議がっていた。

長い時間の中で価値観が染みついている

中高年には、
上から目線の人が多いこと、
PCスキル、ITスキルが低く自分でできることが少ないこと、
評論家タイプで自ら手を動かさないこと、
等は比較的よく言われることではある。

けれどもそういうことではなく、
一番身近な家族の賛成が得られないというのは予想外だった。
大企業で相応のポジションで働いてきた人にとっては、
不採用通知が続くだけでも心が折れていくだろうに、この状況はなんとも切ない。
それまでの勤務先が大手企業だったからこそ、のことでもある。

もはや大企業と言えどもどうなるかわからない、
企業に人生を委ねる時代ではない、
そんなことはたぶん家族だって理屈としてはわかりきっているはずなのに、
染みついた大企業至上主義の価値観は、いかんともしがたいのだろう。

その価値観は、
当の本人も含めた家族の中で長い時間をかけて作り上げられたものでもある。
今、苦しい状況を家族とどこまで共有できるか、
それまでの家族との関係性が問われているのかもしれない。

2016年2月2日

現代の都市型お墓を見に行ってきました~特徴は、綺麗で便利~

東京ではかなり前からお墓不足と言われています。
時代の流れで、最近はいろんなお墓の形が出てきました。
今、話題なのは、やはり機械搬送式の納骨堂でしょう。
いい機会があったので見学(※)に行ってきました。

※今回の見学は、供養コンシェルジュ協会の勉強会。
 供養コンシェルジュ協会では毎月1回勉強会を実施しています。
 供養コンシェルジュだけでなく、一般も参加できる勉強会で、
 供養や供養周りの事情や話題をきっかけにいろいろ考えるいい機会になります。
 なかなか機会がない見学や聞なかなか聞けない話を聞けることもあります。


山手線目黒駅から1駅、そこから徒歩5分。

こちらが正面入口である。


ひかり陵苑は都心とは言いながらも、
入口はご覧のように古いお寺の風情はたっぷりだ。
ちなみに私は間違えて裏の入口から入ったのだが、そちらからは階段なしで入れた。


中に入るとこの建物がそびえている。
広告でよく見かけるのもこちらの建物。
周辺は普通の住宅街なので離れていてもこの高い建物を見つけられる。
私は駅からこの建物を目指して歩いてきたのだ。

建物の中に入り、カードを使ってお墓を呼ぶ

建物の中に入ると、まるでホテルのようだ。
気楽に何でも聞けるようなフロントがある。
その前にはエレベーターがある。
現代のお墓はバリアフリーが基本だ。

フロント横にはこういう↓パネルがある。
キャッシュカードのようなカードをかざすと、


お墓詣りするためのお墓が自動的に呼び出される仕組みだ。
でももしカードを持ってなくても、名前を言えばフロントで調べてくれるそうなので、
カードがないからと言ってお参りができないわけではない。

エレベーターでフロアを上がり、お墓詣りの部屋に入ると、こんな風になっている。
とても綺麗な空間だ。


一見すると銀行のATMによく似ていて、ブースが左右に並ぶ。
隣りブースとはパーテション付き柱で仕切られており、
屏風のように見える扉が開くとお墓が出てくるのだ。


先ほどかざしたカードを元に呼ばれてきたお墓がこちら。
実際には墓石ごと呼ばれてくるわけではなく、
墓石手前の「○○家(写真の場合は浦田家)」の周りの墓石は固定されており、
「○○家(写真の場合は浦田家)」の部分だけが差し替わって呼ばれてくる仕組みだ。

ちょっと見にくいけど両脇に飾られている花は造花ではなく生花。
霊園側が毎日お花を生けてくれるそうで、
お参りに行くのは手ぶらでもOKとのこと。これは便利だ。

このタイプでも十分綺麗なのだけど、
別のフロアにはこちらとはまた違うデラックスなタイプもある。


お参りの時に故人が好きだったものをお供えする場合は
お参りが終わったら、そのお供物は墓前からは引き上げなくてはいけない。
けれども、ブースが左右に並ぶ部屋の正面には豪華な供養台があり、
もしお花や御供物などを持参した場合は、お参り後にこちらにお供えすることができる。

最近は、昔ながらのお墓でも
「お供物は鳥が荒すから持ち帰るように」と言うところもよくあるが、
持ち帰るのもちょっと・・・と思っていたけどこれならいいですね~
などと勉強会参加者たちが語り合っていた。そういう人にも安心だ。
その日もいろんなお供物がお供えしてあった。
綺麗で立派な供養台だ。
持参してもしなくてもいい、
持参した場合には持ち帰ってもお供えしておいてもいい、
こういうフレキシブルなところは、
都会の人に受け入れられやすいことの一つだろうと思った。



さらに奥にはこんなお部屋↓も。
ここで遺族が待ち合わせもできるんだとか。
お参りのあとにゆっくり休むこともできる。
なお、ブルーの天井には星のように輝くのはスワロフスキーだそうな。



最上階には立派なお寺の本堂があった。
別のフロアには葬儀や法事法要ができるような個室が各種用意されている。
もちろん食事もできる。

ここに来れば全部いっぺんにできるから
移動に不安な高齢者が集まる場合に喜ばれるのもわかる。
まさに便利そのもの。
そして建物自体もお部屋もお墓も清潔感があり、綺麗なのがいい。

都心にあって、駅にも近くて、綺麗で、バリアフリーで、
いかにも都会の人のためのお墓である。

今、近くにお墓がない人には
お墓参りの習慣がないまま大人になる人もきっとたくさんいるだろうけれど、
こんなに近くて便利で綺麗な場所であれば、
家のお墓がこういう場所にある都会の子どもは、意外に家族に連れられて
日常的にお墓参りの習慣が身についていくのかもしれない。

なぜ機械搬送式の納骨堂なのか


今、このような機械搬送式お墓を求める層として代表的なのは
改葬を視野に入れる人たちなのだという。
改葬というのは、すでにあるお墓を移すこと。
首都圏に住む人たちの中には、お墓が遠く離れた郷里にあるという人は少なくない。

集団就職がニュースになり、続々と地方から首都圏に就職で出てきた人たちが、今60~70代だ。
ちょうど核家族がだんだん当たり前に変わっていった世代でもある。

郷里にはもう親類縁者はほとんどいなかったり、
いてもおつきあいが薄くなっていたりする人たちが
首都圏にお墓を移したいと思うのは、理解できる。
さてどこのお墓に移そうか、というときに今はこういうタイプに注目が集まっているのだ。

前は眺めの良い霊園が人気だった。
富士山がきれいに見える、ピクニック気分でお墓参りに遊びに行けるから寂しくない、と。
丘陵地帯を切り開いたお墓を購入し、当時お墓参りをしていた人たちも、
だんだん高齢化してきた。
丘陵地帯の霊園は坂道が大変、遠方だと1人では行けない、等々
お墓詣りに行くことが簡単ではなくなってきたことを身に沁みる人たちは少ないはずだ。
そういう高齢者に付き添うような子ども世代が、ちょうど今、お墓の選択決定権を握る。

昔々は、お墓なんて偉い人しか持っていなかった。
一般的な寺院墓地の歴史だってまだせいぜい200年というところだろうか。
公園墓地の歴史なんて、100年もたっていないだろう。

お墓というのは、この機械式搬送式納骨堂からさらに進化していくのかもしれない。