うーん、法制化かあ。。。これは悩ましいなあ。
個人的には、私の時には自分の尊厳死を認めてもらいたいとは思う。
尊厳死とは回復する見込みがない場合に延命措置をしないこと。
しかし、この「回復する見込みがない」ということが本当に絶対見込みがないと言えるのか。
自分が愛する人に対して奇跡を信じたいと思うであろう場面で、「回復する見込みがない」ことに理解し、納得して尊厳死を認めることができるだろうか。
しかも医療はどんどん進歩しているのだ。
たしかに、患者の意志を優先し、延命治療を中止する尊厳死が、医師の殺人行為として捉えられないような法整備は必要なのだろう。
しかし尊厳死と安楽死の区別は難しい。
第三者の意思が介在するのが「安楽死」、本人の意思に基づくのが「尊厳死」ですURL。
とあるが、その線引きは実際、明確にできるものだろうか。
さらに本人の意志も、第三者の意志も、変わることもある。
拙著「失敗しないエンディングノートの書き方」でも、尊厳死や延命治療等、医療の問題についてはたびたび触れたが、結局のところ、命は誰のものなのか?自分だけのものなのか?という問題に行きつくように思う。
医療関係者に話を聞くと・・・続きは次回で。