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2015年11月16日

見ていてくれることと、覗かれていることの違い

私のことを見ていてくれる、大事にされていると感じられるのは
とても嬉しいことです。
だけど、覗かれている、監視されていると感じることはとてもイヤなもの。
不快だったり、不気味だったり、嫌悪感を感じます。
この違いってどこにあるのでしょうか?

Happy Birthday

年に一度のお誕生日。
仲間うちでのお祝いはもちろんのこと、最近はSNSを通じてのお祝いメッセージのシャワーなど、いろんな人からお祝いしてもらって、喜んでいる人はきっと多いに違いない。

ついこの前の私の誕生日に、パソコンをネットにつないだら出てきたのがこれ。


検索エンジン、Googleの画面だ。
Googleページだと認識していなければ、これをGoogleと読めるかどうかはわからないが(^^;; それはともかく、Googleは、「 G o o g l e 」の文字を季節に合わせて変えていく。

通常はこういう画面だけど、

思わぬデザインで出てくると楽しいし、見ていてワクワクすることもある。
例えば、バレンタイン、ハローウィンだけでなく、今日は何の日に合わせたり、ニュースに合わせたり楽しいものがいっぱいある。

そして、私の誕生日には、バースデーケーキが出てきたのだ。
びっくりした。

お誕生日おめでとうは販促の一環

そういえば先日の私の誕生日に合わせて、自宅には私へのお誕生日おめでとうメッセージのダイレクトメールがいっぱい来ている。

売上を上げるきっかけづくりとして誕生日はいいきっかけになると、神田昌典さんも著書の中でも書いていた。
そう言えば、ネット通販で買った商品のあちこちの会社からも、お誕生日おめでとうメールがいろいろ届いていた。

販売促進の手法として有効かもしれないのもわかる。

だけどGoogleに出てきたときに私が感じたのは、嬉しいだけではない何とも言えない違和感だった。

Googleは1個人ではなく、法人だから?
それもあるだろう。でもそれだけじゃない。

サプライズは、仕掛ける方も仕掛けられる方も私は大好きだ。
とは言うものの、仕掛けられる立場としては、
好きな人からのサプライズはとっても嬉しいものだけど、
あまり好きじゃない人からのサプライズは気持ち悪いものだ。

なんとなくGoogleに覗かれているような気持ち悪さだった。

実際は覗かれているのではなく、私がいつかきっと誕生日を入力したはずなのだ。
だけど、私はGoogleを検索エンジンとして意識していて、自分がGoogleに誕生日なんか教えた(入力した)気がしないのだ。

気持ち悪さの正体とは

Googleに感じた気持ち悪さ、覗かれている感じ・・・

私自身が自分の個人データを教えたかどうかも記憶がない中で、
そのデータをもとにメッセージが届く・・・。
私としては相手の存在すら忘れているような相手からも、メッセージが送られてくる・・・

先方は、自分が何気ない気持ちで記入した個人データを使って、
メッセージを送ってくるのだという当たり前なことを再確認したのだ。
データを分析し、商品を求めそうな人にアプローチするのは、
まあ向こうから見ればマーケティングの基本中の基本ではある。

ある程度予想している形なら、受け取るこちらは構えて見ることもできるけど、
もしかしたら予想もしないところで個人データをもとに私の気持ちを先回りされていくのではないかと思わせるような、そんな懸念を抱いてしまった。

「あなたのことならなんでも知ってますよ」
と言われそうな気分・・・
覗かれている、監視されている、操作されているような気持ち悪さ。

それは、私にとってはなんとなく納得できない気持ちの悪い感じがしたのである。

時事や季節に合わせて、「 G o o g l e 」がいろいろ変わるのは楽しみの一つではあったけれど、それが自分がテーマになるとちょっと気落ち悪いのである。

メッセージを送る側はどういう思いで送るのかということも大事はあるけれど
受け取る側がどう思うか、というところにも、送り手側は思いを馳せておきたい。
せっかくのメッセージが気持ち悪くなっては、台無しになってしまうのである。




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2015年8月10日

文章から覗ける心の中、変な思い込み

ブログのように、持論を展開したり、自己開示して発信するような文章を書く場合、誰でもついつい言い訳しがちなのだそうです。
イジイジした気持ちが、無意識の中で文章に滲み出ることがあるのですね。
これは意識してかからないと。

堂々と見えるのはみっともないこと

私は若い頃から、内心オドオドドキドキしている時でも、自信満々に見られることが多かった。
過去にはそれでラッキーしたこともたくさんあったのだけれど、
自信がないときに自信満々に見られることは、今となっては少々負担である。

いつの頃からだろうか。
なんとなく堂々と振る舞って見えることが恥ずかしいと感じるところがある。

できもしないくせに堂々と見えるのはみっともない、
脳ある鷹は爪を隠す、というのがカッコいい、
・・・どうもそんな風に思い込んでいる自分がいるのである。

言い訳めいた部分はごそっと削除

だからというわけかどうかはわからないけれど、
このブログの文章をプロに見てもらった時に指摘されたのが、

言い訳めいた部分はごそっと削除しちゃいましょう。

という言葉だった。

え? 言い訳?
最初は意味がよくわからなかった。

具体的に今までのブログ記事から指摘してもらったところ、
出てくる、出てくる・・・!
私自身は無意識なのだけど、
読み手から見ると自虐的に見える表現がしばしば出てくるのだ。
意図して書いているわけではないのだが、なんか言いたくなって自虐的に書く
・・・それが言い訳。 
たしかにそんなのない方が文章ははるかにスッキリするし、読みやすい。

それは、自分のダメな部分や弱い部分を書かない方がいいという意味ではない。
メな部分や弱い部分を書くだけでなく、
それに対して卑屈になったりいじけたりして、さらにわざわざ自分で落とす、
まさに自虐。
これをやめた方がいいという意味だったのだ。

意図的にやるなら別の効果があるのかもしれないけれど、
無意識にやるとウザくなるのだ。

文章には「自分」が滲み出てしまう


言い訳や謙遜は、自分を守る意味でついついしてしまいがちですが、
時によっては、とっつきにくい印象を与えます。
書き手の視点が、内向きであることを示す表現だからです。



宮野さんの指摘で、
日頃「堂々とふるまうのは恥ずかしい」と思っている自分がいるのに気づいた。
その恥ずかしい気持ちがつい滲み出てくるのだと思った。

そう言えば、人に会っている場面で思いもしない形で褒めていただいときにも
「いえいえ」
「とんでもない」
「滅相もない!」
「そんなこと言わないで」・・・・
どんどん自虐的になるクセがある。
あとになって、その場でありがとうと言えばよかったと後悔するのだ。
文章だけではなさそうだ。
実際、謙虚を美徳として素直に喜べない人は多いと言われる。

この文章術レッスンでは、他にもいろいろ指摘をもらい、
このブログも少し体裁を変えたり、少々意識して書き始めるよう意識している。

私はだいぶ前から、
顔には生き方が表れる、滲み出ると主張しているけれど、顔だけじゃなかった。
文章にも、生き方が滲み出てしまうのだ。
日頃の生き方、姿勢というのは本当に侮れない。


参考
花と緑のフォトライター&文章アドバイザー 宮野真有さん


自分らしく生きることや親との関係を考えていく講座
麻布十番にて。入会及び、体験参加受付中 
 ※エンディングノートを使って進めます

 8月19日 モノの整理と心の関係~自分のモノ整理、親のモノ整理~
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 7月 8日  もし親(配偶者)が認知症と診断されたら?
 6月10日 生きざまと顔の関係 自分の顔について考える。

2015年5月20日

年齢のことを気にしてる人、自分のことをもう歳だと思っているあなたへ

女性、36歳、
わたしは女にとってなかなか難しい年頃なのですが、
これから先、素敵な歳の重ね方をして
楽しくきれいに生きていきたいと思っています。

村上さんのところ」より

なんじゃ~?!
36歳でなかなか難しい年頃だって?!

これは、村上春樹さんが読者からの質問を受け付け、
それに回答するというサイトで見つけた質問である。
※新潮社(の人)の運営サイトで、5月13日に質問内容公開終了済み。


若者が何を言ってるんだよ~?と言いたくなるけど、
こういう記事に私が反応するのも、
私自身が「年齢なんか気にしない。」と言いながら、結構気にしている証しなんだろう。

ふと考えてみると、私も36歳の頃は、当時の自分の年を
微妙な年頃だと思っていたような気がする・・・・

でも50代になった今、私は50代を微妙な年頃だと思う。

きっと80歳になれば80歳を微妙な年頃だと思うんだろう。
そう、いつだって微妙なお年頃。
後から思えば、なんじゃ~!って感じであったとしても。

だから、
いつだって今が大事なの!

いつだって「」は、「取り返しがつかない」時間。

そういうこと、日々の忙しさにまみれていたり、
なんとなくふわって生きていると、すぐに忘れちゃうんですよね。

人生とは、生まれてから死ぬまでの時間。
その間に「今」があるわけだけど、
「今」が積み重なっていくのが人生とも言えるわけです。

可愛い盛りの子どもを見て
「今だけよね~、こういうのって・・・」と言う言葉、
よく聞かれるけれど、いやいや、子どもだけじゃないよ。

子どもだって大人だって、
30代だって、50代だって、80代だって、「今」は「今だけ」。

そんな風に思うと、何やってるのよ、私!って思う。
自分に喝を入れられる。
人生を考えることは、「今」を大事にできるのだ。

だから微妙なお年頃なんて、今の年齢を気にしても仕方がない。
なぜならどんな年齢だろうと微妙なお年頃なのだから。
年齢を気にし過ぎず、今を大切に生きていけば、
いくつになっても、きっと素敵に生きていける。


・・・・・・・・・・・・
むむ?この記事、読んだことあるけど・・・そう思う方もいらっしゃるだろう。
そう、実は10日前に公開した記事のリメイク版。
改めて有名ブロガーかさこさんの添削を受けて書き直した原稿だ。

その添削と詳細アドバイスがこちらで↓公開されています。
「ブログ文章を生き返らせる!
 ブログ文章添削講座:余計な情報はバッサリ切れ!」
http://kasakoblog.exblog.jp/23132378/

これを受けて、さらに私自身がタイトル、本文に手を加えてみたのが
今日の記事でした。
ポイントはテーマに沿って主題以外の部分はバッサリ切ること。
書く本人は、つい欲張ってあれもこれもと言いたくなるもの。

言いたいことは何?
的を絞って!

これは、人には言えても自分に対してはおざなりになって気づきにくいもの。
公開添削はちょっと恥ずかしいけれど、
他からどのように見えるのかという視点を知る上で、かさこさんのアドバイスは有意義だった。

生きざまを生かしたブランディングのお手伝いをしている私でありながら、
自分のことは自分では見えにくくなる。難しい。
自分を客観的に見直してみたくて、去年入ったのが、4回完結のかさこ塾だった。

日々思うことをなんとなく書いていたブログではあったが、
読む側から見てどうなんだろう?・・・そう思って添削をお願いしてみたところ、
率直なアドバイスをいただいた次第。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

2015年5月18日

ブランディングとエンディングが、とても近いと思う理由

私がテーマにしているのは、ブランディングとエンディング(終活)。

いろんな場所で、いろんな人に、しばしば聞かれることがある。

元々広告業界なのに、なぜ関係のない終活に関わるようになったの?

広告の仕事から「人の生き死に」に変わったきっかけは何?



どうやら他の人から見れば全然違うことに見えるようだが、
私にとっては、とても近いテーマだ。

一般的には一見全然違うものと思われているかもしれないが、
今の時代は、人の生き方そのものがブランディングに大きな影響を与えていると思うから。

会社、商品、人、をどうブランディングしていくか、を考えるとときに
会社のトップや会社にいる人たち、商品を作った人、商品を売っている人が
どう生きてきたのか、どう生きたいと思っているのか、が
垣間見えるようなブランドが今、求められる時代だと思う。

一方、エンディング(終活)はどう生きるかと表裏一体である。
どうもメディアでは、葬儀や墓の「無駄」を省くことや相続ばかりがクローズアップ
され、「死に方を考えること」=「終活」と見えがちなのは実に残念。

人生が後半戦に入ったからこそ、これからの生き方をどうするかを考えていく。
それこそが本来の終活だ。
どんなお葬式をしたいかは、あとの話である。
どのように生きたか、という結果の一つの形が葬儀ではないかと私は思うのである。


これまでどんな人生を送ってきたか、これからどんな人生を送りたいか。
ブランドにはそういうものが込められていてこそ、顧客の心に届くものだと思うのである。
そういうブランディングができるのは、
やはりある程度の年齢を超えた人ならでは、と思うのだがいかがだろうか。

そんなわけで、私の目から見ると、ブランディングとエンディング(終活)はとても近いテーマなのである。

エンディングノートは、まさに自分の人生ノートそのものだ。

人生折り返し点を超えたかな、と思ったらエンディングノートを開いてみる。
書かなくてもいいから見てみる。
気が向けば書き始めてみる。
無理に書かなくたっていいから。
眺めてみるだけでいい。

あなたは自分が何歳くらいまで生きていると思っていますか?
あなたは今、その年齢の半分を超えましたか?

もしも超えているのなら、今までの人生でいろいろなことが積み上がっているはず。
だからエンディングノートを見てみることをオススメしたい。
書かなくたっていいから。
見るだけでいいから。

ましてや生きかたを反映したブランディングを考えたい人には、益々オススメだ。






 5月18日 人生の地図を描く(マンダラエンディングノートを使って)
   マンダラエンディングノート開発者をお招きしたワークショップ
   満席でしたがキャンセルが出ました。体験参加ご希望の方はお問い合わせください。

 6月10日 生きざまと顔の関係 自分の顔について考える。

2015年5月14日

やっていたこと・やったことは、見たり聞いたりするのとは全然違う

自宅を拠点に仕事をするようになってから、気がつくと運動量が激減した。
1日の歩数が100歩に満たない日が少なくない。
身体の調子もあちこちおかしくなってくる。

危機感を感じて、都心はできるだけ電車を使わず自転車で移動するようになった。


自転車乗りの夫の影響だ。

5年くらい前から、夫は自転車に夢中になった。
週末になると200キロ、400キロと走る。
そこには夫より一回り近く歳年上の師匠の存在がある。

もちろん、私は夫とは全く違って、近隣への交通手段の選択肢のひとつとして
自転車に乗るよういなったにすぎない。
せいぜい5~6キロのことで、長距離と言っても10キロ程度だ。

さて夫は、その師匠からこれまでにいろんなことを習ってきたと言う。
体力の温存の仕方、スピードコントロール、筋肉の使い方・・・
夫が自転車を始めて既に5年以上経つのだが、
夫にとっては、師匠はどう頑張っても超えられない大きな壁なのだそうだ。
60を優に超えているけど、とてもかなわないのだと言う。

師匠は穏やかな紳士で、
気張るとか偉そうなところが全然なく、私から見ても魅力的な素敵な60代だ。

大型連休の最終日、私は友人たちと車で群馬県の馴染みの宿に出かけた。
同日、夫は師匠と自転車で日光からいろは坂に向かい、私たちは宿で合流した。

一緒にお酒を飲みながらくつろいでいた時、その師匠から聞いた話。

どんなスポーツでも、多少でもやっていれば大体カラダは覚えている。
スポーツをやっていたことって無駄にならないんだよ。

サッカーをやっていた人とやっていない人、
テニスをやっていた人とやったことがない人、
スキーをやっていた人とやったことがない人、・・・
歴然とした差がある。

たしかにその通りだ。
私は昔、ずっとスキーをやっていた。
ここ20年は滅多にスキーに行かなくなったが、それでも今でもスキーをやれば、
一応多少は滑れる。
疲れるけど、板をかついで歩くこともなんとかできる(だろう)し、
リフト待ちではスキーを履いたまま少しづつ歩くこともできる。
スキーをやったことがなければ、
スキーを履くのも立っているだけでも、きっとイッパイイッパイだ。

やっていたという事実だけでなく、そのスポーツ特有のカラダの動かし方、
コツみたいなものをカラダはちゃんと覚えているのだ。
どんなに長い時間がたっていたとしても。

だからやったことがないことはできないのは当たり前だし、
やっていたことはそれだけで貯金でもある。
今からでも始めれば、カラダの中に貯金ができる、と。

今、私は自転車に乗るようになり、
私のカラダの中に少しづつ貯金がたまっているのかもしれない。
「やる」ということ・・・それは必ず貯金になる(と思う)。

だから、とりあえずやってみるというだけでも、きっと大きな力になるだろう。
カラダだけじゃない。
どんなことだって、やってみることに意味がある。

本で読んだり映像で見たりするだけでなく、実際に自分がやってみること。
やったことがあること、
それ自体は、見聞きするだけよりもずっとずっと大きな意味がある。
夫の自転車の師匠の話は、そんなことを教えてくれた。





 5月18日 人生の地図を描く(マンダラエンディングノートを使って)
       満席でしたが1名キャンセルが出ました。
       体験参加ご希望の方はお早めに。

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2015年5月12日

一人のいろんな顔は、意外になんとなくバレてるもの。隠している方が恥ずかしいこともある。

会社の顔、家庭の顔、趣味の場での顔・・・

人にはいろんなコミュニティがあり、誰にもそれぞれに応じた顔が
きっとあるだろう。

私は何もかもをオープンにするのではなく、
それぞれの場でそれぞれの顔を出すというのをヨシとしていた。
それが、TPOに応じて、というものだと思っていた。

さらに、一人でいろいろな顔をたくさん持っている、という人を
私はカッコいいと思っていたようだ。
たぶん若い頃からずっと。

そのせいか、
××なイメージを抱いていた人が、実は○○、
みたいな意外性には、めっぽう弱かった。
それだけでその人がメチャクチャ魅力的に思え、勘違いした失敗もある(苦笑)。
単にこっちの思い込みに過ぎないのだが。

そんなこともあってか、
自分自身もたくさんの顔を持っていた方がいいと考えていたようだ。
しかも意外性があれば、尚よいと。

 会社では遊びの顔をあまり見せない方がいい。
 どんなふうに遊んでいるのか、休日にどんなふうに過ごしているのかを
 敢えて知らせない方がいい。
 だけど、ふとした時にチラッと見えると、ちょっとカッコいいかも?。

今となっては笑い話だが、どうやら私にはそんな思い込みがあったようだ。
もはや7年以上前のことだが、会社にいる頃の私は
そんな風に思っていたことに今さらながら気がつくのである。
随分恥ずかしい自己顕示欲だ(汗)。

私は仕事も大好きだったけれど、遊びも大好きで
スキーをやり、キャンプをし、音楽をやり、ダンスをし、
大勢を集めた野外遊びイベントを主催し・・・・
いろんなことをやっていたけれど、
会社の中ではそれについてはあまり語らなかった。

そういう遊び仲間の一部が偶々社内の人であった場合には、
私は会社の中では彼らとほとんど言葉を交わさなかった。
彼らは、私がそういうことを社内でオープンにしたがらない気配を悟り、
社内でそういう話題しないように気をつけていたらしい。

当時の私は、仕事の場に遊びを持ち込むのをヨシとしなかったし、
私は後輩には厳しかったつもりなので、
そんな顔を仕事の場で知られたら示しがつかないと勝手に思っていたのだ。

だけど、社内にいた遊び仲間は、全く違うように思っていたらしい。

 公子さんは自分が厳しい人、仕事では怖い人だと思っているだろうけど
 周りは意外にそうは思っていない。
 オッチョコチョイだったり、ヌケていたり、
 そういうことを含めて、周りは公子さんを見ているんだから
 別に気負わなくてもいいんだけど・・・ね。

あはは、なんともお恥ずかしい話で・・・・
自分では結構うまく演出しているつもりでも、意外に周りは知っている。
「素」のままでいいのに。

今でも私は、どこかオープンにしきれない弱さがある。
ちょっと秘密、あまり知られたくない、と(苦笑)。

今の時代は、どこかでいろんなことがすぐにバレてしまう。
どんなふうに生きてきたのか、調べようと思えば普通の人でも簡単に調べられる。
その人の仕事だけでなく、働き方だけでなく
実はいろんな部分が見える方が信頼を得やすい時代でもある。

いくつもの顔を持つ人が素敵だと、私は思う。
意外性もやっぱり魅力だろうと思う。

だけど、そのいくつもの顔を持つのは一人の人間であり、ベースは一つ。
必ずつながっている。
いくつもの顔は別個のものではなくて、積み上がることできっと価値を持つのだろう。
足し算ではなく掛け算で。







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2015年4月20日

こんな時代に「人」を感じられるサービスに感動した話

夫が趣味関係の何かをネットショップで購入したときのこと。
商品にこんな紙が同封されていた。


梱包を担当した人の名前が、自筆で書いてあったのだ。

自分の名前を書く以上、梱包する人は梱包だけでなく商品そのものにも責任を感じながら、梱包するに違いない。
しかもそれが自筆なのだから。

でも、効果は発送元だけじゃない。
受け手にとっても、これだけですごい信用!信頼感がぐっと高くなる。

その時の納品書の金額欄を見て驚くなかれ!


なんと!
300円に満たない金額なのだ!

この会社、すごい。
とは言え、この売上に対してこれだけのことをしていては、とても合わない。

でも今やネット社会。
私みたいにこうやってネットで発信する人がいるように、
こういう会社がある、すごい、っていう声はきっと広がっているのだろう。
だって、感動ものでしょ、この丁寧さ。

Good Job!って思いませんか?!

この会社は二六製作所
創業70年を超える磁石の会社だ。
サイトを見ると、その丁寧な仕事ぶりがこの会社の文化であることをうかがわせる。
「磁石」というニッチな市場なだけに、限定された顧客の中では、きっと「知る人ぞ知る」存在であるに違いない。


個人の名前を出す・・・ただそれだけで信用はぐっと上がるのだ。
会社側からすれば、個人が責任感を持って働いてもらう上でも、
絶大な効果をもたらすこと、間違いなし。

誰もがコンシェルジュを求め、誰もがコンシェルジュになりうる時代になった。
金太郎飴みたいにマニュアル的な顔の見えないお決まりのサービスではなく、
その人となりが覗けるような、温かみあるサービスを求めるような時代に入ったのだと思う。

会社だって、今や個人を出すことが大事な時代になった。


さて、これ↓は、比較的リーズナブルなアジアンなレストランで、
会計後にいただいたカードだ。


食事をした全員がそれぞれ1枚づついただいたのだが、そのメッセージはすべて手書き。
しかも書いてある内容は、すべて違う内容だった。

個人の名前こそ書いてはいないけれど、まさに個人的な感じ。
書いている人の心持ちが伝わってくる。

デジタル化が進み、効率優先な時代になるほど、
こういう温もりみたいなものを感じられるサービスの価値があがっていくのだ。

私はこういうことにとても心が動く。
嬉しい。
また買おう、また行こうと強く思うのである。

ITが進み、人間臭さを感じにくくなった今でも、やっぱり個人の力というのは、マーケティング的にもとても強いと思う。


2015年4月7日

誰でもいろんな顔を持つ。その顔は、「怖そうな人!」「面白そうな人!」・・・ 顔は勝手に語る。

年間8万枚の撮影、年間90万字の執筆をこなすカメライター(カメラマン&ライター)、トラベルライターで、ブロガーとしても絶大な人気を博すかさこさん。

http://kasakoblog.exblog.jp/


かさこさんのブログは、私の興味領域とも一致する「生き方」や「働き方」
についてもしばしば書かれているが、その記事はかなりの辛口。
例えば下記のような感じで、読んでいる方まで冷や汗ものだ(苦笑)。







これが実際に会ってみると、
かさこさんは時々くすっと笑い、どこかはにかんだ表情すら見せる。
話をしてみると実に穏やかな語り口調、虫も殺さないような感じで、
優しさで包みこむような雰囲気を醸し出している。
いろいろなものに好意的な関心を示す。
美しい女性を前にすると、さらにニコニコになる(笑)。

現在、そのかさこさんのプロフィール写真は、
プライベートの旅先で娘さん(3歳?)が撮影した写真らしい。
(そういう話をSNSで読んだことがある。)

けれど、私がもらったかさこさんの名刺の写真をはじめ、
かさこさんがそれまで外に出していた写真や、通常公開されている写真と
いうのは、証明書写真のような真顔でいらっしゃる。

例えば、このブログ記事
http://kasakoblog.exblog.jp/22929329/

に出ているのは「好きを仕事に」の講座終了時の記念写真だが、
まさにこういう顔をしばしば公開されている。


かさこさんは去年から「好きを仕事に」をテーマにかさこ塾を開講している。
この4月からは6期生が始まり、
今は6月2日スタートの7期生募集が始まったばかりだ。
http://www.sanctuarybooks.jp/eventblog/index.php?e=960


かさこさんのブログだけしか知らず、会ったことがない人は
これまでのかさこさんの顔写真を見て
きっとかさこさんを怖い人だと思っているのではないだろうか。

先日、イベント会場で久しぶりにかさこさんと会った。

そのかさこさんがカウンセラーコンサルタント@Rinさんとお二人でいた際に、
私は、カウンセラーコンサルタント@Rinさんからスマホのシャッターを押すのを
頼まれた。
その時の写真がこちら。

(写真提供は、カウンセラーコンサルタント@Rinさん


正確に言うと、この写真を撮る前に、もう1枚の写真がある。
実はそちらの方がまず頼まれてシャッターを押した写真だった。
そのかさこさんはいつもの真顔のかさこさんだったのだ。
だけど、これじゃ本来のかさこさんらしさが出ていないなあ、と思って
私がもう一度シャッターを押したのがこれ。

女性とのツーショットにちょっとにやけていて(失礼!)、
まるで学校の同級生のようにかさこさんと仲良くなれそうな雰囲気や
気安さが伝わるのではないかと思うのだがいかがだろうか。

よく見ればかさこさんのピントがちゃんと合っているわけではない。
写真として技術的にうまいかどうかは疑問ではある。

でも、どんな人なのかを伝える上で必要な「顔」は、
撮影技術よりもどんな顔を見せるかどうかだと私は思うのだが、いかがだろうか。
どんな人にもいろんな顔があるから。

かさこ塾を知りながらかさこさんが怖いかもと思っている人も、
この顔を見れば親近感がぐっと増すのではないだろうか。

これが顔の持つ力であると、私は思っている。

ちなみに、カウンセラーコンサルタント@Rinさんに聞いたところ、
この前にシャッターを押した真顔のかさこさんが写った写真は既に削除されたそうな。

ところで、普段私が撮影プロデュースをするとき、
私はカメラマンではないので、撮影するのはもちろんプロのカメラマンだ。
その写真を出す場面にふさわしいその人の顔を探し、
その顔を引き出すのが私の役目である。




ときどき開催中 その人らしいいい顔撮影会
http://www.travessia-endingnote.biz/past_seminar/index.html#ad04

ご興味のある方はお問い合わせくださいね。

2015年3月28日

自分の自分らしい「いい顔」は、自分ではなかなか見ることができない。

誰でも、自分の顔は子どもの頃からずっと見ている。
見慣れているけれど、でもそれは鏡に映る自分の顔だ。
人が見ている自分の顔は、実は自分ではなかなか見ることができない。

でも、その人らしい「いい顔」というのは、本来、自分は知らない顔。
・・・私はずっとそう思ってきた。

「この人、なんていい顔するんだろう!」と私が思う人の顔というのは、
だいたい何かに夢中な時の顔だったり、真剣な顔だったり、
楽しそうにおしゃべりしている顔だったり、ゆったりのんびりした顔だったり
するからだ。
きっとそういう顔は、自分では見られない。
鏡の中では絶対に見られない顔だ。

私が「いい顔」の撮影サービスを始めようと思ったのは、
そういう顔をその人に見せてあげたかったから。
ふだんのあなたって、こんなにいい顔してるのよ!〜そう伝えたかった。

私自身がそうやって撮ってもらった顔を見て、意外に感じ、
でもちょっと嬉しかった、という本音もある。
実際、お客さんからも「あれ?!私ってこんな顔してますかね?」と
言われることが多い。
自分の普段の顔って、なかなか知らないものだ。

半年ほど前にこんな動画がSNSで話題になったことがある。
http://feely.jp/426/

カンヌでグランプリを受賞した、「ダヴ」のCM。
私がずっと思っていたことを表現されていた。

日本には、奥ゆかしさや控え目を美徳とする歴史がある。
私たちは子どもの頃から無意識のうちに
ものそれを教え込まれ、
知らないうちに謙遜を身につけてきたのではないか。

「私なんて・・・」「どうせ・・・」
十人十色のありのままのよさを認められなくなり、
そのうち見なくなり、
ワンパターンの美しさに向かっていったような気がする。
今、みんな同じような化粧をし、みんな同じような顔になっている。
若い人は特に、そういうモデルっぽい、モデルに似たような顔をよく見る。
プロに写真を撮ってもらう人には、そういう顔の写真を撮ってもらう人が多い。
たしかにキレイだけど、どこか嘘くさい顔に見える。

この動画の最後の言葉が、私にはしみる。
「気づいてください。あなたは自分が思うよりもずっと美しい。」

ちょっとした表情やにじみ出る雰囲気・・・
それは必ずしも「美しさ」とは言えないかもしれないけれど、
そこには、「美しさ」を超える魅力があり、
人が惹かれるのは、そういうところだと私は思うのだがいかがだろうか。
目鼻立ちの美しさ以上に、そういうところに心を動かされる。
特に年齢を重ねた顔にはそういうものが出てくると思うのである。





あなたらしさを引き出す大人のための撮影、アイ・フェイス i-face
http://www.travessia-i-face.jp/


おなやみ相談フェスティバルで名刺に出した顔写真診断を行います。
4月4日、東京・水道橋(御茶ノ水)の「YMCAアジア青少年センター」で。

2015年3月26日

名刺に顔写真を出すんだったら、考えた方がいいと思うこと

何度となく言ってきていることだが、
私は目鼻立ち・顔立ちではなくて、「顔つき」が気になっている。
「顔つき」にはそれまでの生き方がにじみ出てくると思うから。

私は長く広告業界で仕事をしてきた。
つまりイメージづくりやイメージアップ、売りにつながる広告やPRを
追及してきたわけだが、このイメージを伝える上で、
「顔つき」が果たす役割ってあるんじゃないかと考えている。

商品を開発した人の顔、商品を作った人の顔、サービスを提供する人の顔・・・、
「顔」を見せることは、リアリティにつながる。

この顔の人が提供する、ということはいわば署名のようなもの。
顔がわからなかった時よりも、より信頼できるというか、
決してごまかしてなどいない、と伝えるような雰囲気がある。

例えば10年くらい前からよく目にするようになった、野菜の作り手の「顔」。
同じ野菜でも、農家の人の顔が出た野菜だったら安心できる、という感覚を抱く人は
多いはずだ。

「顔」を出すことは、うやむやなものをはっきりさせる効果があったり、
胡散臭いと見られがちなもの(こと)も、顔を見せることで軽減させる効果もある。

ただ、この顔が嘘くさい顔だと、逆効果になることもある。
いざご対面となった時に、あらかじめ出ていた顔と全然違うために信用がガタ落ちに
なることもある。

ちあみにこのブログで最も読まれている記事はこれ↓

 今の時代のプロフィール写真、その撮り方とは
 http://kimikoishizaki.blogspot.jp/2014/08/blog-post_19.html

なんだかんだ言って、写真を出そうと思う人なら、どんな顔にしようかと気になるのではないか。

一般的には名刺に顔写真を出す場合は、いい写真を、綺麗な写真を、と
言われている。
けれど、私はもしも名刺やWebサイト、パンフレット等々イメージ発信するツールに
顔写真を出すというのであれば、綺麗な写真かどうかよりも、
その商品を開発・販売する者として、そのサービスを提供する者として、
信用を得られる顔つきになっているか、を重視したほうがよいと思っている。

ただ、自分の顔の目鼻立ちのことは自分でもわかるけれど、
この顔つきというものは、残念ながら自分ではなかなかわからないものなのだ。
もうちょっと**すればもっとよさが出るのに、と思う人は少なくない。
中には勘違いしていると思われる人がいて残念だ。

ツールに顔が出すことに躊躇する人も多いだろう。
既に顔写真を出しているけれど、それが客観的にはどのように見えるのか。
商品・サービスを提供する者として、ツールに出すのにふさわしい顔写真とは
どういうものか、等々、気になる人もいるのではないか。


4月に、いろんなお悩み相談を受ける人が60人勢ぞろいするイベントがある。

おなやみ相談フェスティバル
http://onayamisoudanfes.wix.com/nayafes

相談と言っても、内容はとても多岐にわたる。
お金の相談、介護の相談、アロマセラピーや占い、ハンドマッサージや
筆跡診断などなど、不思議で面白そうな人たちも集まり、
気楽な悩みも、重めの悩みも、会場でいろんな人が格安で聞いてくれる。

縁あって、私もそこに出展することになったので、
私は、名刺に出した顔写真診断を行うことにしました。
診断は無料なので、ご興味のある方は会場にてお待ちしてします。


くどいようですが、自分の顔つきと言うのは自分ではなかなかわかりません。
だから私自身も、顔にこだわると言いながらも、
自分のことを棚に上げないと言えないところがつらい(苦笑)。

「そんなこと言ってる石崎さんが出している顔もちょっと・・・・」
そういう声、ありましたらぜひお聞かせください。
私自身も客観的な声に耳を傾けたいと思います。
ただし、あくまでも「顔つき」で、「目鼻立ち」の顔についてはお受けしておりませんので(汗)。


2015年3月13日

その人の「素(す)」に魅力が詰まっている

ふとした時に出る「素(す)」の表情に魅力が詰まっている

これ、直木賞作家、西加奈子さんが、NHK[あさイチ」(3月13日)で語っていた。
私も、まさしくそう思う。

メチャクチャ偉そうな人が、ふとした時に見せるあどけなさや弱さ。
頼りなさげな人が、ある瞬間に見せる力強さ。
・・・

人の魅力って、そういう時にぐっと高まると思うんだけど、どうだろうか。

それが見える表情、顔に、私はとても惹かれる。
ちょっと眉が上がったり、目が力強くなったり、目尻に優しい皺が出たり。

今まで怖そうに思っていたから、直接会うのは避けていた。
悪い人じゃなさそうだけど、仕事を頼む気持ちにはならない。
・・・そういうこと、意外に多いのではないだろうか。

だけど、抱いていたイメージとは違うことがわかると、
一気に距離感が縮まる。
だったら一度会ってみようかな、
仕事をお願いしてみようかな、と思うことはないだろうか。

そういう時に、「顔」のチカラって結構大きいはずだと私は思っている。

西加奈子さんの言葉は、それをうまく表してくれた。

日常の顔、できるだけ自然ないつもの顔を出していくことももちろん大事なんだけど、
そういうふとした時に出るまた別の「素」の顔。

意外に本人は、
日常の顔も、「素」の顔も、あまり気づいていない知らない顔だと思う。
本人が知っている自分の顔というのは、仏は鏡に映っている顔だから。

だから、どうしても証明書写真風のきちんとした写真や、
ちょっと斜めに立ってモデルさんのように綺麗なオスマシ写真が選ばれ、
世の中にはそういう顔がよく出てくるのだろう。

もちろん、ビジネスの写真はちゃんとプロに撮ってもらいましょう、
というコンサルタントが多いのは事実だし、私もその方がいいとは思う。

けれど、人が心を動かされる顔というのは、
必ずしもきれいな写真とは限らないことを知っておきたい。
私が顔、それも顔つきにこだわっている理由の一つに、そういうことがある。

会社の顔として出す経営者の顔写真、
相談業務が多い士業のプロフィール写真、
・・・

仕事ができること、優秀であることはもちろん大事なことではあるけれど、
お客様はそれだけではない「何か」を求めているのも事実。

その人はどんな人で、どんな強みがあって、
仕事をするときにどんな顔をしているのか。
私が顧客だったら、そういう顔が見たい。
そして、できればその顔に、その人のビジョンが垣間見えたり、
ちょっと想像できそうだったりしたらベストだと思う。

誰もがきちんとした写真がいいとは限らない。
本人が気づいていない魅力的な顔がきっとある。

ちなみに、西加奈子さんが直木賞を受賞した作品はこちら。




正直なところ、私は上記作品も今までの西加奈子さんの作品も読んだことがなく、
西加奈子さんがどういう人なのか知らない。
けれど、
ふとした「素」が出る表情に魅力が詰まっている
と言うところに、「そうそう!」と思ったので、改めて作品を読んでみようと思う。



トラベシアの、「その人らしい“いい顔”撮影会報告」

2015年3月12日

その人らしい「いい顔」撮影会 ご報告

1ヶ月以上も前になるけど、「いい顔」にこだわってきた私が主催した撮影会にご報告です。


1月31日(土) 、その人らしい「いい顔」をとらえる「“いい顔”撮影会」を開催しました。


撮影場所は、東京・巣鴨の百歳王写真館で。

 遺影にしてもいいくらいお気に入りの写真を持っていますか?
 あなたのプロフィール写真は、ウソをついていませんか?

・・・そんな呼びかけで、
長年「いい顔」にこだわってきた私が、事前セッションとセットで開催した撮影会。

撮影会の約1週間前に、これまでのご経験や思いを伺う打ち合わせ(=ヒキダシストセッション)を行い、そのお話をもとに、いい顔を引き出す撮影を行いました。

ちなみに撮影会ではありますが、私自身はカメラマンではありません。
私が行う撮影プロデュースも、撮影会も、撮影するのは
もちろんプロのカメラマンの方。
私は、ただお話をお聞きする係です。

と言うのも、その方の本当にいいお顔を引き出すうえで、
どんなお話をしながら撮影するかが大事だと考えているからです。
人によって、それは嬉しい話だったり、苦労話だったり、人それぞれです。

だから撮影の数日前に実際にお会いして、お話をお聞きし、
どんなお話の時にどんな顔をするかを事前に確認してから撮影に臨みました。


数十点の写真を納品するのですが、その際には、
カメラマンチョイスとヒキダシストチョイスをそれぞれ選びます。
ご自身が選ぶお気に入りの顔と同じかどうか?!・・・それもお楽しみの一つ。

撮影会だから、できあがった写真を納品するのはもちろんなのですが、
 
 撮影に当たって(撮影中に)どんなお話をしたか、

 その人はどんなお話をしている時にどんなお顔をされるか、

 どんなお話をした時にその人が魅力的になるか、目が輝くか、


・・・そんなことも、簡単なメモにして添えました。
これまでは口頭でお伝えするのみだったので、
このメモ添えは今回初めての試みでしたが、これが好評でした。

当日の様子はトラベシアの過去の開催ページでもご紹介しています。


いい顔を引き出すプロフィール撮影をご希望の方、承ります。
お申し込み・お問い合わせはこちらから。


2015年3月10日

自分の顔のよさって、意外に自分ではわからないものだ

私がブログを始めてからは、もう5年以上経つけれど、
ネット上に自分の顔写真を出すようになってからはまだ3年経つか経たないか、だ。

自分の顔を出す、というのはなかなか勇気が必要だった。

ブログは遊びだけでなく、
仕事をいただくツールの一部としても位置づけていたので、
本来なら顔出しをしっかりするのが当然なのだが、これがなかなかできなかった。

いやいや、顔なんて出さなくていいでしょ?!
ずっとそう思っていた。

顔が出ていないので、私の大体の年齢も不明だ。

しかし、何もないのもちょっと・・・と思い、似顔絵を出していた。
髪型、輪郭、眉、目、鼻・・・それぞれのパーツごとに何種類もあるので、
その中から自分に近いものを一つづつ選んでいく。
そうすると似顔絵が完成するのだ。
絵心がない私でも簡単に作ることができ、それをブログに掲載していた。

しかし、似顔絵は写真とは違う。
似顔絵が出ているということは、写真を出せないと言っているようでもあり、
却って怪しくも見えただろう。

その結果、私を知らない人のためにあるべきはずったブログが、
私を知っている人が私を確認するためのものになっていったように思う。
知らない人に知ってもらうために書いていたのに・・・。

今になって考えてみると、
なぜそんなに顔出しができなかったのかがよくわからない。
自意識過剰も甚だしい(苦笑)。

そんな私が、顔を出すようになったきっかけがあった。

それは、初対面の人(女性)と名刺交換をし、
お互いに簡単な自己紹介をした後のこと。
私が書いていた遺影のブログの話題になり、
その人が私が書いている遺影ブログに興味を示してくれた。

彼女はとても感じの良い女性だったこともあり、帰宅後に私は、
御礼と合わせてブログのURLをメールしたのだ。

後日、彼女からブログを見たと返信をもらったのだが、
そこに書いてあったのが、

石崎さん、ブログの似顔絵、うーん、っていう感じです。
遺影じゃないけれど、実物はもっと素敵なので、
イラストもっと素敵に描いてもらった方がいいのに、と思います。

私は、遺影が残念な形になるともったいない、と言う話をしていて、
遺影ブログでもそういうことをしばしば書いていたのを受けてのことだった。

これには正直とても驚いた。
なぜなら、私は実物(写真)を出すよりもよいと思って、似顔絵を出していたからだ。

彼女に、自分の似顔絵は頼んだイラストではなく、
自分でパーツを選んで書いたお手軽制作であったことを伝えたところ、

自作ですか!なるほどね〜。
だからきっと、謙遜が絵にでちゃってるんですね。

と再び返信が返ってきた。

強みとか、長所とか、魅力とか・・・・
自分自身の棚卸しが必要だといろいろな場面でよく言われるけれど、
自分で自分の肯定的な棚卸しをするのは、意外に難しいものだ。
それどころか、勘違いと言うこともある。

それが目に見えないことならいざ知らず、
目に見える「顔」のようなわかりやすいものでもそうなのだ。

他の人が魅力に感じてくれる顔は、
意外に自分から見たらどうってことない顔なのかもしれない。
自分でいいと思う顔は、
他の人から見るとあまりよくないことがあるのかもしれない。

この人、本当はもっと素敵なのに・・・。
この人、ちょっと勘違いしてる・・・。

私のことはわからないけれど、他の人の顔写真を見るとしばしばそう思うことがある。


他人の方が自分の魅力をよく知っている。
他人がいいと思うことに、自分では意外に気づかないものだ。

私にそう気づかせてくれたのが、その彼女のメールだった。
2011年11月のことだ。

今でも彼女の言葉にはとても感謝している。


2015年3月3日

40歳以上~50代、60代のオトナがイキイキ生きていける世の中にしたい。

ダイヤモンドの記事によれば、オジサン社員が「お荷物」化して、企業経営を悩ませているのだという。
働かないオジサンは、若手社員の大きなストレスなのだそうだ。

自分がまだ若かったころの会社を思い出した。
終身雇用が当たり前で、年齢とともに給料が上がっていた時代だったが、
バブルが崩壊して少しづつ会社の状況が厳しくなり、以前ほどの賞与が見込めなくなっていた。

仕事をどんどん拡大し、ガンガン働く自分たち世代に比べて、
はるかに高い給料をもらう大先輩たち。
働いた分だけ分配されないのは、割に合わないと思った。
全体から見ればそういう大先輩はわずかなのだが、大先輩たちが呑気に見えた。
仕事帰りの飲み屋では、少し上の先輩たちと一緒にそういう話をよくしていた。

しかも残念だったのは、かつて活躍していた大先輩までもが、
定年が近くなっていくとその傾向が強くなるように私には感じられるようになった。

その後まもなく成果主義が当たり前の時代になり、給与体系もそれに伴って変わっていった。
それに伴って次第に現場から浮いていく大先輩が私は気になるようになり、
精彩を欠いていく様を見ると、せつなくなった。

自分の将来はどうなるんだろう・・・。
私はずっと会社の最年長女子社員だったこともあり、目標がみえづらくなっていた。

ああいう風にはなるまい・・・。
私が会社を辞めようと思ったきっかけは、そこにあったような気がする。

私は幸運にも仕事が好きだったので、忙しいと文句を言いながらも、働くことがイヤだと思ったことはない。
若い頃は末端仕事まで仕事はいろいろあるし、誰もがガンガン働けるけど、
ずっと会社にいると、好きな仕事ができなくなるのかも?
長くいると好きじゃないことをしなくてはいけなくなり、つまらなくなるのかも?

会社に長く居ることで好きな仕事を奪われるくらいなら、
好きな仕事に囲まれている今のうちに、自分で自分の次の仕事を作ろう。
・・・そんな風に思ったのが、私が会社を辞めることを考え始めるきっかけだった。

追われるよりは追っていきたい。
そう思ったのだけど、ちょっとカッコをつけたかったのかもしれない。

私自身、長いこと仕事ばっかりしてきたせいか、
今になって、ときどき自分がかなりオヤジ化しているな、と感じることがある。
下戸だったくせに、
コミュニケーションが大事だからと誘われれば大体飲みに行き、
仕事も若いうちは残業は当たり前と思い、
仕事場にプライベートを持ち込むことを是とせず
・・・長くそういう感覚でいたのだから、まあ典型的なオヤジだ。

ダイヤモンドの記事を読んで、
もしあのまま会社にいたら、若手から迷惑がられていたかもしれないと思った。
まだガンガン働いているうちに辞めたおかげで、そんな風に思われずに済んで本当によかった。

きっかけはそうだったけれど、そもそも私が目指していたのは、
年を重ねた大人がしょぼくれることなく、
イキイキワクワクと生きていける世の中にしたい、
それに貢献できることを何かしたい、
・・・ということだったと、今、改めて再確認する。

日々の仕事に追われ、雑事に追われている中で、
元々掲げていたはずの自分の思いを忘れそうになる。

何のためにこれをやっているのか。
うまくいかなければもう全部やめてしまおうかと思うこともある。

だけど・・・・・、そうだった。
私は、大先輩を見て自分の将来に希望が持てないような社会はおかしいと思っていたのだ。

素敵な先輩がいる社会は希望が持てる社会でもある。
それは、若い世代にとっても大事なことでもあるのだ。

私が自分らしい働き方や生き方を考える勉強会を行うのも、
エンディングノートとか終活にも関わるようになったのも、要はそこにつながっている。
しかもそれはあくまでもイキイキと生きていくために。

そして、その素敵な先輩の「素敵」を一番わかりやすく表現しているのが「顔」だ。
生きざまがにじみ出る顔。顔つき。
顔は説明不要。見てすぐわかる。バレてしまう。

そして今、本当に素敵な大先輩たちの存在が、今私に大きな力を与える。

オジサンとかオヤジという表現は、
どうも小バカにしたような匂いがプンプンしてしまうけれど、
そうではなく、改めて私は素敵なオジサンオバサン増殖計画を掲げていきたい。

2015年1月28日

人はどんな時に「いい顔」になるのか? その6つ+2つのポイント

人はどんな時に「いい顔」をするのだろうか?
このブログでもたびたび顔について書いてきた。

今までずっと、人の生きざまが表われた「いい顔」に注目してきたので、
人はどんな時に「いい顔」になるのか、
経験的に感じているそのポイントを挙げてみよう。


1.嬉しかったときの話をする。思い浮かべる。

2.幸せに思った瞬間の話をしている。その時のことを思い浮かべる。

3.今楽しいことや、楽しかったことを話している。

4.自慢話をしている。

5.何かに夢中になっている時

6.愛する人(子ども、孫、恋人、伴侶等)といる時


上記のどのポイントの時に「いい顔」になるかが、
人によって異なっているというのも面白い。
嬉しかったり楽しかったりする話の真っ最中よりも、
話す前に思い出し笑いのような顔をする時が素敵な方や、
話した後にはにかんだりする顔が妙に愛らしい方がいらっしゃる。
「いい顔」と脳の働きで、きっと何か相関関係があるに違いない。

このように、私は今まで、
「いい顔」とは、その人にとって「いい話」をする時(またはそれを思い浮かべる時)の顔、
と言い続けてきた。
たぶん多くの人も、そう言われれば納得してくれるに違いない。

けれども最近、上記に加えてもう一つ重要なポイントがあったことを私は確信した。
それが次の7番と8番。

7.辛かったり苦しかったりした時をふり返り、
  「今思えばそれも意味があった」と語っている時

8.苦しかったときにどうやってそれを乗り越えたかを話している時。


この7番と8番はとても大事なポイントだった。

男性・女性、年齢や職業などといったことは一切関係なく、
誰もがこの話をしているときには「いい顔」になる。・・・というのが実感だ。
ほぼ間違いない。
ただし、そこに嘘がないこと。
真摯であることが前提だ。

特に、個人(経営者を含む)ごビジネスモードのブランディングで使う顔の場合、
この8番目のポイントはぜひとも押さえたいところだと思う。

そういう顔にはその人の生きざまが表れると思うからだ。

今があるのはかつてあった苦しいことを乗り越えてきたから。
いろいろ辛いことがあったからそういう気持ちも知っている。

そういう顔は必ずしもキレイな顔ではないかもしれないのだが、
人の心を動かす魅力的な顔だ。

そんな苦難や苦悩は誰にもわからないことだけど、
それでもそういう“人となり”や“物語”がチラッとでも覗けることは、
魅力度としては大きいと思うのだ。

「この人、いい顔してるなあ」
思わずそう言ってしまうような顔とは、きっとそういう顔なんじゃないか。

順風満帆な人生の人になど、魅力はない。

例えば仕事を頼む時だって、仕事の内容や質はもちろん大事ではあるけれど、
担当者が気持ちよい人かどうかは、実は大事な要素だ。

なんだか好かない!感じ悪い!・・・そういうことで、ぎりぎりで仕事を頼むのをやめてしまった経験がないだろうか。
一度は仕事しても、二度目はないなと思うのは、たぶん私だけではないだろう。

顔は、そういうことを自然に伝えるように思う。
バレてしまう、とも言う。

苦難があっても、気分が落ち込んでも、それを乗り越えると、きっと顔がよくなっていく。
生きざまがあふれた「いい顔」とは、そういう顔だ。
現実が逃避し、考えることから逃避し、嫌なことやうまくいかないことを、
人のせい、社会のせいにし続けていくと、きっとそれが顔に表れてしまう。
「いい顔」になる機会を失っていくのではないか。
「いい顔」の方々と接することで、そういうことを教えてもらえる。


ちなみに、上記ポイントに入れなかったけれど、
「心身ともに健康であること」も、「いい顔」のポイントとしては大事な要件だと思う。




上記ポイントを押さえた撮影会。現在、1枠、空いています。
 「いい顔」にこだわってきたトラベシアが撮影する撮影会、参加受付中。

2015年1月10日

人が生きる価値というのは、次の世代につなぐことにある、と思う。

元旦に放映された異なる世代が一堂に集い、戦後の70年を一緒にふりかえる番組「戦後70年 ニッポンの肖像 プロローグ 私たちはどう生きてきたか」(NHK)
をご覧になっただろうか。

出演は、80代の半藤一利さん、今年70歳になるタモリ、50代の中園ミホさん、40歳の堺雅人さん。

中園ミホさんと同じ年の私は、
番組中で語る中園さんの感覚にとても近いものがある。
世代意識というのはこういうものだろう。
映像が流れれば、たまらない懐かしさだ。
子ども時代、青春時代、バブル時代の体験が次々と思いおこされる。

今年は戦後70年。
今年70歳になるタモリは、
厳しい戦況の中でお腹に宿り、戦争が終わった直後に誕生している。
そのタモリが語ったのが、
こんなにおもしろい70歳はない!

当時子どもだった私にはわからなかったけれど、今になってみれば、過去の人はすごかった。
終戦直後のボロボロの日本が、「アメリカに追いつき、追い越せ」ではなく、
「世界一」を狙っていたのだから。
番組中では、大人世代としてバブルを経験していない堺雅人さんも、
そこに驚いていた。

少子高齢化が問題視される最近の風潮は、弱々しい高齢者イメージだが、
なんのなんの・・・!
私から見れば、輝かしい高齢者だ。
豊かで恵まれた時代とは違い、覚悟が大事とか、覚悟を持とうなんて思わなくても、
厳しい時代だからこその覚悟がある。
それは、ひたすら「一生懸命」「夢中」・・・。
それに加えて、上を、上を、という目標意識とでも言おうか。

高齢者というと悲惨なことや暗い話題ばかりがクローズアップされがちだけれど、
実際には、そういう過去を経て、それを礎に、今、ますます輝く人たちがたくさんいるはずで、今だからこそ、そういう人たちがもっともっと注目されてもいいと思う。
そういう人たちの人生(生き方)に、私はとても興味がある。

そういう人の存在や、そういう人の話から、私は大きな力をもらえるからだ。
勇気すらわいてくる。
だから、そういう生きざまが表れている顔に、私は惹かれる。

「人が生きる」という価値は、そういうことにあるんではないかと思う。
子孫繁栄だけでなく、生き方や思いを次の世代につなぐこと。
どんな世代であっても、「生きる」ことは次の世代への責任があるはず。

改めて過去をふり返り、タモリじゃないけど今の私も、改めて思う。
「こんなに動く55歳はない。」

55年間は、高度成長とバブルと急速な景気冷えこみと・・・
悲しい災害や、驚くくらいの大事件もたくさんあった。
目まぐるしい変化の波が次々と来た(来る)。
こんなこと、そうそう経験できないんじゃないか?!

そして、どんな世代の人も、
「こんなに××な○○歳はない。」と思えるといい。





生き方を考えるセミナー&ワークショップ、参加受付中。1月21日(水)19時から麹町で。
なかなか聞けない、終末医療現場で働いていた緩和認定看護師さんの話を聞くコラボイベント。
そのお話から自分の今を考え、生き方を考えてみませんか。
生き方を考えるのに便利なエンディングノートと、その中でも特に難しい項目の医療にスポットをあて、明るく考えていきます。


「いい顔」にこだわってきたトラベシアが撮影する撮影会、参加受付中。
巣鴨で1月31日(土)に開催。

2015年1月7日

ネット上の自分、いつまで生かす? いつまで生き続ける?

今、ネット上に自分で書いた自分情報がある人は、数年前に比べてとても多くなっている。

前々から気になっていたことではあるが、朝日新聞デジタルの「死後もネットに漂う自分の痕跡 消去を託せる相手は…」を読み、改めてネット上の自分情報を考えてみた。

私がこのブログを書き始めたのが6年前。
他にもこんなブログを書いている(いた)し、ずっと前には会社を辞めるまでのカウントダウンブログなんていうのも書いていた。
mixiやtwitter、Facebook等のSNSもある。
さらに、Webサイトを3つ持っている。

上記以外にも、だいぶ前に少しだけ書いたブログもあったが、今ではその名前もパスワードもわからない。
張本人の私が今では書くことはおろか、見ることも探すこともできない。
自分の頭の中では消滅しかけているのに、ネット上にはたぶん・・・・ある。

他の人やメディアが自分のことを書くのは別として、これらの自分で書いた情報を管理しているのは自分だ。
基本的には自分でないと、消したくても消せない。
消すかどうか決めるのは自分だ。

数年前に亡くなった知人は、今でもネット上で笑顔で微笑む。

彼はいち早くGoogleにプロフィールと写真を掲載していた。
まだFacebookの日本語インターフェースがなかった頃で、ネット上に出していることが珍しいくらいだった。
その後、その画面はいつのまにかGoogle+に変わっていた。
無味乾燥だったプロフィールページが、今では彼の写真とともに出身地や学校、当時の勤務先がきれいに表示されている。
彼がネット上に出していたのはたぶんGoogleだけ(今でているのはGoogle+だけ)だろうが、実際のところはわからない。

彼は、我が家にとって大切な兄貴分で、家族のようなつきあいをしていた。
私はネット上で会えてうれしいけど、誰も何もできないからたぶんずっとこのまま。
これからもずっとここにいる・・・。

当時に比べて、ネットの上の情報は今、爆発的に増えた。
何百倍か、何千倍か、それ以上だ。
私自身がそうであるように、一般的に個人一人一人のネット上情報も、おそらくすごく増えているだろう。
たとえば今、私が事故で突然この世から消えたら、現段階では私が書いたネット上情報はたぶん彼と同じようにずっとネット上で生き続けることになる。
もしかしたら永遠に?

有名人が亡くなった場合は、ブログなどそのまま保持していつまでもファンがコメントを投稿し合うこともあるし、Facebookでは、家族がタイムラインに亡くなったお知らせを投稿する場合も見かけるようになってきた。
ネット上でどう生きていくか、ネットをどう利用するかは、いろいろな形が出始めている。

現在、私が書いたネット上情報のほとんどについては、私だけしかID・パスワードを知らない。
記録はあるがきちんと伝えていないので、たぶん私だけしか管理できない。

「終活」の世界では、自分の死後にこのネット上の情報をどうやって消すか、消せるようにどうやってIDやパスワードを記録しておくか、等を考えるようアドバイスするのが基本だ。
ネット上情報を消すことを前提に、消さねばならないという前提に立ったアドバイスが多い。
私が書いたエンディングノートに関する本でもネット上情報の管理についてはほぼ同様の形で少しふれているが、本が出てから1年以上たつ。

日本でFacebookが急速に広まってからまだ4年。
これからさらにいろいろなものが出てくるだろうし、逆に消えていくかもしれない。
新しいルールができるかもしれない。

ネットとのつきあい方や関わり方がどんどん変わっていく今の時代に、ネット上の自分情報を消す必要があるのかどうかさえ、正直なところ今の私にはよくわからない。
個人的には、人によっていろいろな選択肢があっていいように思う。

ネット上にいつまで生きる? 
ネット上にいつまで生かす?

ちょっと前の常識は、すぐに非常識に変わるかもしれない。




生き方を考えるワークショップ、参加受付中。1月21日(水)19時から麹町で。
若者にとっても生き方を考える時に便利なエンディングノートですが、その中でも難しい項目の医療にスポットをあてたワークショップ。
緩和ケア病棟看護師のお話をきっかけに、自分の今を考え、生き方を考えます。



2015年1月4日

SNSへの気持ち、つきあい方がどんどん変わる

SNS、中でもFacebookとのつき合い方で、この半年くらい悩んでいることがある。
お友達ルールについてだ。

私はFacebookについては当初かなり懐疑的だった。
Facebookで事前に個人情報を調べることに対しても、私は否定的だった。
友達というのはリアルなしにはあり得ないと考えていたので、Facebook上の友だちの数など意味なしと考えていた。

当時、私にとってFacebookは不気味で気持ちが悪く、2011年には何度もそういうことを書いていた。
だったらFacebookなどやらなければいいのだが、それでも当時、私はFacebookのアカウントを持ちたかった。
初対面の名刺交換で、Facebookのアカウントの有無を尋ねられることがあるので、アカウントがあった方が何かと好都合だったからだ。

でもmixiで、気づくと深夜まで延々とやり続けてしまった苦い経験があったので、当初はSNSにあまり前向きにはなれなかった。

mixiと違って実名登録が基本のFacebookの場合、投稿を見ることは疑似面会のようなもの。
名刺交換をしてもその後会うことがなくなると記憶が薄れてしまうのが常なのだが、Facebookをやっていると、時々名前を見る可能性が高くなる。
どんな行動をしているのかがわかる。そのため、記憶が薄まりにくい。
内容によっては好感度が増す。
プロフィール写真がきちんと入っていればなおさらだ。

私はアカウントだけ持ちたかったのが、だんだん見るようになり、気づくと自らも発信するようになっていった。
そのおかげで、思わぬ共通の知り合いを発見し、距離感が縮まったり、理解度が深まったりすることもしばしばになった。
当初は、Facebookで共通の知り合いが出てくるのが不気味だと書いていたのだから、変われば変わるものだ。

それでも、プライベートな友達に自分がどんな仕事をし、どんなことを考えているのかを知られることには少々躊躇するところがあり、趣味関係の友人や、大昔の友人には長いことFacebookをオープンにしてこなかったのだが、昨年あたりから少しづつオープンにし始めた。

仕事の顔、家庭の顔、趣味の世界の顔・・・、これらのいろんな顔を、今まで私は使い分けているつもりだったのだ。
そうやって八方美人を志向していたのかもしれない。
でもFacebookで投稿すれば使い分けが難しくなる。
そもそも何のために使い分けるのか。
その意味や必要性が自分でもわからなくなり、今、私はオープンにしつつある。

それでもお会いしたことがない人からの友達申請については、オープンになれずにいる。
たとえ共通の友人が複数いたとしても、知らない人からの友達申請が来ると身構えてしまうのだ。

そのため当初から「一度もお会いしたことがない人とはFacebookでは友達にならない」というマイルールを設けてきた。
友達申請に当たってご丁寧にメッセージをいただいた方からの場合には、いつも丁重にお断りの返信をしてきた。
しかし、お会いしたことがないためにお友達になれずに残念!と思った方が今までに数多くいた。
が、ルールを設けた以上は、曖昧にしてはならないと思い、私はずっとそうしてきた。

それはそれで、ちゃんとしている、信用できる、というそれなりの評価をいただいてはきたものの、そもそも私は何のためにそんなルールを設けているんだろう?
こうしてブログを書き、Webサイトを複数持ち、メディアの取材を受けることもあるのに、何のためにFacebookの友達申請をお断りする必要があるのか。

何となく怖いから・・・ただそういう漠然とした思いだけでそんなマイルールを設けてきたけれど、それは私自身が自分で考えることを放棄していただけなのかもしれない。

私は、自分が思うこと、目指すことと近いことを考えている人の情報を得るために、
そして自分が思うこと、目指すことを発信するためにFacebookを使ってきた。
今、私は「なんとなく怖いこと」への対処や、どうブロックしたらいいかは、多少智恵がついたようについたように思う。

2015年はこのマイルールを解禁しようかと思う。
杓子定規なルールではなく、その都度自分の考えを大事にして意味のあることをしようと思う。

SNS、それもFacebookへの私の思いが、この数年でこんなにも変わっている。

周りでは、Facebookはもう疲れてやめようと思う、という人もいる。
これからますます変わっていくだろう。
使い方が変わるだろう。
人によっても変わるだろう。
要は人それぞれ。
何のために使うのか。何を求めて使うのか。
自分に合った使い方をすればいい。


「いい顔」にこだわってきたトラベシアが撮影する撮影会、参加受付中。
巣鴨で1月31日(土)に開催。


生き方を考えるワークショップ、参加受付中。1月21日(水)19時から麹町で。
若者にとっても生き方を考える時に便利なエンディングノートですが、その中でも難しい項目の医療にスポットをあてたワークショップ。
緩和ケア病棟看護師のお話をきっかけに、自分の今を考え、生き方を考えます。


2015年1月3日

一人ではできないときは、人に連れていってもらう

女優の田中裕子さんは、「写真撮影でポーズを決めるのが苦手だ。」そうだ。
今日の朝日新聞(別刷りbeテレビ番組表)のインタビュー記事に書かれていた。
女優さんらしからぬ言葉だが、一般人ともなればますますだ。

その田中裕子さんの自然体な演技、印象的な演技のもとになるのが、「連れていってもらう」ということに、私は興味を引かれた。

ドラマで演じるとき、自分一人では行けないところに共演者に連れていってもらう、というのだ。

「芝居をしている時、私の目に映るのは自分じゃなく、相手の役者さんですから。」
「私にとって、共演者がだれか、はとても重要なことなんです」



自分の足で立つ、
自立する、
自分の軸を持つ、
・・・そういうことの重要性や大事さを私はしばしば言ってきたけど、同じくらい大事なのが他との関係性。
相手によって気づかされれることの重要性を、私は最近しばしば感じている。
時には身をゆだねるくらいの緩さや柔軟性が大事だな、と。

すなわち、連れていってもらうこと。



自立しなくちゃ、自分でがんばらなくちゃ。
私自身がずっとそう思ってがんばってきたけれど、一人で頑張ることに限界を感じて来たのも事実。
私にとって孤独は困りものだ。

自立するというのは、私が私が・・・ではなく、たぶん相手を認めること、相手を受け入れること。
さらに、相手を応援することでもあるように思う。
わかっているはずなのに、時々私はそれをできなくなることがある。
そんなとき、自立してないなあと思うのだ。

私が私が・・・ではなく、連れていってもらう。そうありたいと思う。
そして、あなたを連れていきましょう、という存在でもありたいと思う。



さて、女優も田中裕子さんでさえ苦手なように、写真撮影が苦手な人は少なくない。
そんな方のために、いい顔撮影会を行います。

特徴は、撮影の数日前に私がお会いして、今までに嬉しかったこと、しんどかったこと、頑張ってきたこと、つまり今までの人生をお聞きすること。
撮影日には、さらに詳しくお聞きし、その方らしい「いい顔」の瞬間にお連れしましょう。
夢中でお話をお聞かせくださるときの人の顔って、とても自然体でいい顔です。

撮影するのは、数多くの百歳の顔を撮り続けてきた、小野さん。
写真集や写真展、雑誌などでも活躍するプロのカメランです。

1月31日(土)、百歳王写真館(東京・巣鴨)にて。
お問い合わせ、お申し込みは、こちら

2014年12月16日

ご用件をお伺いします。ご用件はなんですか?

ネット環境や機器の充実で、どこででも仕事ができるような時代になった。
おかげで、私はいろいろなものを持ち歩くようになっている。
携帯電話、wifi、iPad、パソコン、資料、手帳・・・これらを毎日持ち歩くのは大変だ。
考えてみると、今ではまずメール連絡が中心で、携帯電話で話す時間が激減している。

私は今までずっと、ガラケー派でこだわってきたけれど、通話時間が減ってきたのでそろそろスマホの方ががいいのか検討を進めていた。

実際のモノを見てみようと、携帯ショップに入るとすかさず、
「ご用件をお伺いします。ご用件はなんですか?」
と聞かれた。
見に来た段階なので、まだ「ご用件」にはなっていない。
ちょっと見るだけ、というのはなんとも気まずい。



「ご用件をお伺いします。」
・・・・伺わなくてもいいんですけど(私の心の声)。

「ご用件はなんですか?」
・・・・用件ってほどのものじゃないので、ちょっと店内を見させてください(私の心の声)。

お店の人は、おそらく顧客サービス向上のために聞いてくれるのだろうが、私にとっては、ちょっと放っておいてほしい。
わからなければこちらから聞くので、と思う。
でも、あまりそうは言えない。
せっかく声をかけてくれているのに、悪いかなと思うからだ。

銀行でもそうだ。
普段の銀行との関わりはATMだけど、窓口とのやりとりが必要で店舗に入るとすかさず、
「ご用件をお伺いします。ご用件はなんですか?」
と聞かれる。
用件を言うと該当する整理券を取ってくれて、それを渡されて
「お待ちください」だ。

時には、あまり言いたくない用件のこともある。
いくら言ったところで、どうせこの人とは違う人にまた説明しなきゃいけないのになぁと、面倒な気持ちになることもある。

携帯ショップもそうだけど、あれはいったいなんのためにやってるんだろう。

整理券くらい自分で取れる。
用件があれば、こちらから聞ける。

来店客をさばきやすいように振り分けるためというのなら、それは顧客サービスではなく、お店都合だ。
無意識にそういう感じがするから、私はそれに抵抗したくて放っておいてほしいと感じるのかもしれない。

もしも顧客サービス向上のためであるなら、お客さんを放っておいてくれればいいし、何か用がありそうな人や戸惑っている人がいたら、すかさず声をかけてくれれば、心配りのある優しいお店だなと感じられるのだけど。

そういう店舗であってほしい。
いろんなお店で、すかさず聞かれるたびに、私はいつもそう思う。