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2016年6月16日

楽しいことだけやっていればいいわけではないことを痛感しました

最近私の世代では、急に運動してカラダを傷め、運動ができなくなったと嘆く人ご増えています。
私もその一人です。
でもそれは、カラダだけの話ではないことに気づかされるのです。

確実に運動不足

会社員を辞めて、自宅を拠点に仕事をするようになったら、著しく運動不足になりました。
元々の怠け者性分も手伝い、万歩計によれば1日当たり18歩!
もはや寝たきり状態です。
まあ、万歩計をつけ忘れていた時間もあるけど。
まず毎日の通勤がなくなるから歩かなくなるのです。
駅の階段の昇り降りも激減しました。
満員電車じゃないから、意外にゆっくり座れることも多くなります。

筋トレを、やらねばならぬ!しなくては!

そんなことから、近所の筋トレ施設に通うようになりました。
そこは比較的高齢者が多く来ているところで、皆さん驚くほど元気でした。
マシン30分、ストレッチ5分。 
コーチが回って指導したり、励ましたり。
毎回同じことを黙々とやってさっさと帰る。
今思えば、たぶんその時の私は少しずつ筋肉が増えていたのだと思います。

だけど、私にとってはその筋トレがどうにもつまらない。
人によっては、ストイックなまでに筋肉を鍛えることに熱心な人もいるようですが、私はあまり関心が持てませんでした。

つまらない、つまらない、つまらない。
もっと楽しくやりたい。

本当はダンスが好きで以前は少しやっていたのですが、
忙しくなって全くやらなくなってしまいました。
マメに通っていればそれなりに多少踊れるようになって楽しいのだけど、
忙しくなるとなかなか行けなくなってしまう。
そうすると踊れなくなり、楽しくなくなってしまう。
ーーいつのまにか行かなくなってしまいました。

加えて、走る・踊るなど有酸素運動だけでは筋肉が作りずらいことも知りました。

きちんとパーソナルトレーナーをつけて、私の志向に合うプログラムで、しかもカラダに合うものを、という選択もあるでしょう。
でもそうなれば、きっと1回当たり1時間ではすまない、
2〜3時間をかけ、それを週に2〜3回継続するなんてことはそうそうできることではないから仕方がない、
と自らを納得させ、「やらねばならぬ」の思いで、週に2〜3回、2年近く通ってはいたのです。

すると、近隣に全く違ったタイプのスポーツ施設ができました。



楽しそうだから、つまらないことはやめちゃおう!

ヨガ、ピラティス、太極拳、ズンバ、トランポリン・・・
全て音楽に合わせたグループレッスンで、1回45分。
しかも毎月プログラムが変わります。

楽しそうかも。
多少筋トレにも効果あるかも。

迷った挙句、私は今までの筋トレ施設のメンバーをさっさと退会し、
新しい施設のメンバーに入会し、通い始めました。

インストラクターのグループレッスン。
プログラムもバリエーションがあるから初めてやることも多く、
できずにアタフタしながらも、始めたのでした。
スローやアップテンポの音楽に合わせて。

楽しいかも(^^) 
たっぷり汗をかき、満足度が上がった感じ。
でもあまり筋トレになってる気がしない。
もっとハードにやればいいのかな。

いつも以上にハードにやった翌日、
私は膝の痛みで歩けなくなってしまったのです。


つまらなかったことを続ける価値もそれなりにはある

お医者さんの診断によれば、膝の痛みの原因は鵞足(がそく)の炎症。
持ってる筋肉以上の負担をかけて、その周りを傷めてしまった、ということでした。

残念ながら長年の運動不足は、思っていた以上に私を老化させ体力筋力が落ちていて、運動を楽しむには、やや負荷が強かったということです。

楽しいことをやりたい。
好きなことを。
そう思った結果でした。
それが間違いとは思わないけれど、「いきなり」はダメだったということ。

基礎練習、基礎体力。
上手な人は、基礎体力が違う。
それはコツコツと地味な努力の賜物です。

「ポッと出」がいきなりガンガンできるわけではなくて、
ガンガンできる人、上手な人は努力してたり、継続してたりするわけです。

運動に限らず、いろいろと思い当たる節があります。

便利な世の中になり、情報はたくさん転がっている。
だからあまり勉強しなくても、上っ面だけの切り貼りの知識で、
尤もらしい「わけ知り顔」をすることだってできてしまう。

私の膝の痛みは、そんなことまで気づかせてくれる出来事になりました。

ここまで書いて記事公開後にイチローが記録更新!


イチロー語録が次々とニュースで出てきて、
ますます地道な努力の積み重ねの重要さをタイミングよく知らされている今・・・です。

2016年6月4日

同意しないと何もできないから、どんなに同意したくなくても「同意します」

宮城県の部活では試合に行くのも大変。
東日本大震災依頼、鉄道が通らなくなったことで、公共交通機関では試合会場まで行けず、部活の顧問の先生の車で行かざるを得ない、という現実があるそうです。

入学時に保護者から「お子さんを先生の車に乗せることがありますけどいいですか」という同意書を取っている学校もある。教員の車による生徒の送迎なしには、学校運営そのものが成り立たない実態がそこにある。

部活動の送迎 違反に悩む教諭(2016年5月26日(木)掲載) - Yahoo!ニュース
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6202245


リスクの可能性もあるから同意

いつのまにか、何でもかんでも同意書ですね。
少なくとも、今から20年くらい前にはこんなに同意を取ることなどなかったように思います。



エンディングノートに携わっている立場から見ると、
同意書と言ってまず頭に浮かぶのは医療現場です。

インフォームドコンセント、インフォームドチョイス・・・
「きちんと説明を受けた」ということに間違いありません、とサインして
次に[治療を選択」し、万一のことがあるかもしれないけど責任は問わないことに同意する。

医学の進歩によって、医療は選択する時代へと移ってきています。
その分リスクも高まるわけで、どのたびに「同意」が求められるのです。

本当はイヤだと思っていても、同意しないと前に進めません。

「同意します」は、「仕方ないね」とほぼ同義語です。

前に進め、と言う意味の同意

ネットの世界はもっとひどいかもしれません。
なんだかよくわからないことがだ~っと書いてあって、
最後に「同意します」にチェック。

読んでもよくわからないし、とりあえず「同意」「同意」…
実際、ちゃんと読んで同意している人ってどれくらいいるのでしょう?!
だけど同意しなかったら、前に進まないから、
同意せざるを得ません。

「同意します」は、もはや「ススメ!」と同義語です。



アンケートに答える時も、
お店のお客様会員になる時も、「同意」を求められます。

今の時代、いちいち「同意」。
だけど、本当の意味で同意してなんかいません。
面倒くさいから「同意」。
前に進めないから「同意」
やむなく「同意」にチェックしているだけで、気持ちとして同意などしてはいないのです。

これ以上、実際は同意していないのに「同意」が増えていく世の中になると、
なんだか嘘ばかりな感じがして、私はどうもざわざわしてしまうのです。



2016年3月21日

東京のお寺めぐり お寺はいろんな可能性がありそうだ

少し前の話になるが、
日蓮宗の団体が主催したお寺をめぐるまち歩きに参加した。
東京・目黒区のお寺めぐりだ。



参加した人はお寺好きの人、檀家さん、まち歩きに興味のある人、
終活に関心のある人など、老若男女さまざま。
参加者数名が1チームになり、チームにはお坊さん一人が付き添い、
いろいろ説明をしてくれる。

私の場合、日々暮らしている中でお寺とおつきあいをすることはほとんどない。
必要性もないし、きっかけとなる事象も少ない。

私自身は東京の生まれではあるけれど、両親は二人とも東京の人ではなかった。
ちなみに実家のお墓は父の郷里にあるが、寺院墓地ではないので
お墓参りに行ってもそこにお寺があるわけではなく、
日常的なお寺とのおつきあいはほぼ皆無だ。

夫の実家のお墓は首都圏にあるけれど、こちらも公営の公園墓地。
近いのでたびたびお墓参りに行くけれど、やはりそこでお寺との関わりはない。

子どもの頃に通っていた幼稚園はお寺の経営で隣りにお寺があった。
お寺の敷地に入ることもあったし、おやつの時間などに手を合わせたり、
御仏さまにお参りしたりしたような記憶がうっすらとあるけれど、
卒園して以来ほとんど行くことはなかった。

その後の私にとってのお寺とは、旅行で訪れる場所、
もしくは大晦日の除夜の鐘だ。
そしてお坊さんと言えば、法事とお葬式でお経を読む人。
東京のお寺とのつながりはほぼ皆無だった。
ほとんど知らない。知る機会がない。



だけど歩いてみると、東京にはお寺がいっぱいだ。
10分歩けば必ずお寺がある。
公園のようなところ。
木造の歴史豊かなところ。
カッコいいところ。


目黒区内の立源時の外の様子。デザイン性に富み、古いお寺のイメージとは別物。

お寺は木造で畳敷きで寒いところだと思い込んでいたら、
今は必ずしもそうではないようだ。
全館床暖房のお寺もあるし、デザイン性に富んだ美術館みたいなお寺もある。

もちろん昔ながらの古い雰囲気のお寺もあり、
そういうところは今行くと、心が和み落ち着いた気持ちになる。


ココンクリート打ちっぱなしの壁面がオシャレ。

お寺だから、当然そこにはお坊さんがいる。
かつては外車を乗り回し、何もしない坊主などと揶揄された時代もあったが、
少なくとも今、私が知っているお坊さんたちは勉強熱心で優しいお坊さんが多い。

私自身は今、宗教や仏教とのつながりは薄く、
ほとんどお寺とのおつきあいはないけれど、
命を考えたり、生き方を考えたりする勉強会の場で、
僧侶の方々と出会う機会が増えた。
そこでは、開かれたお寺として、
檀家や信者に限らず新しい取り組みを始めているお寺、お坊さんが多い。
そういうお坊さんは、宗派の枠を超えたつながりを大事にしている。

居場所がないない人たち、
話し相手を求める人たち、
みんなが集まれるような場所がほしい人たち、
・・・
こんなにもたくさんお寺があり、しかもいろいろな形のお寺があるのだから、
昔々の「寺子屋」のように、名実ともに現代版の駆け込み寺になっていければ、
救われる人、喜ぶ人がきっとたくさんいるに違いない。

私自身もいろいろなお寺を見て、いろんなお寺に行きたくなった。
お寺を「場」として活用してみたいと思った。
もっともっとお坊さんに話を聞いてみたくなった。

この寺町ウォーキング、次回は4月2日だそうな。
私は次回も参加しようと思っている。




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2016年1月15日

卑下することは相手を傷つけることもある


思いもしないことでした。

私が自分のことを卑下しているなんて・・・。
そしてそのせいで人をイヤな気持ちにしていることもあるなんて・・・。

それは自分を守りたいがあまり、
自分へのいいわけをしていただけだったのかもしれません。


Facebookのコメントが教えてくれた

つい先日のこと。
天気予報の表現に違和感を感じて、
ツッコミたくなる思いをfacebookに書いた。

 天気予報では、
 「今日は真冬のような寒さです」を連呼してるけど、
 私は、「だって今、真冬じゃん!」って毎回ツッコミたくなる。
 たしかに今日はとっても寒いけどね。

天気予報の表現が気になって気になって仕方がない。

だから投稿したのだけど、そのあとでちょっと気になり始めた。
何言ってるの~?うるさいこと言うヤツ!って思う人もいるのかもね、って。
そこで、以下のように追加でコメントした。

 今日のことを言うなら、「真冬らしい寒さ」だろ?!って思うんですよ。
 「~のような」と言うなら、「春 のような暖かさ」とか。
 ・・・などと言いながら、ああ、私って細かいイヤな奴かもね~と
 もう一人の私が言ってる。

そうコメントして、ちょっと安心した自分がいたのも事実だ。
それに対して、Facebook友達が以下のようなコメントをくれた。

 正しい日本語を使い、残し、伝えていくためには
 石崎さんのような方の存在は必要ですので。
 ご自分を卑下?してはいけませぬ!
 石崎さんは、不正確な日本語使う中正しい道に導く女神さんのようです。

こそばゆいけど嬉しかった。
それと同時に、自分を卑下しているなど思いもしなかったので、
意外な気がしていた。

しかし考えてみれば、似たようなことがある。

いえいえ、たいしたものではございません・・・

12月にエンディングノートの取材を受けた。
それは1月7日発売の女性セブンで掲載されたのだが、
それに対して、喜んでくれる方、宣伝してくれる方、手に入れてくださる方・・・・
いろいろいらっしゃったにもかかわらず、私は

 いやいや恐縮です(^^;;

 ちょろっとしたものですよ(^^;;

 手に入れてもらうには申し訳ない程度のものですから。

と方々に言い続けたのである。
それを聞いた先輩が私に言った。

 掲載されてイヤだったの?

とんでもございません!
掲載していただいたのはありがたいことだし、
それを喜んでくれる方や宣伝してくれる方には素直に感謝の思いがある。
にもかかわらず、私は「いやいや」と、返していたのだ。

なぜ自分を下げて言うんだろう。

無意識の中で、
「たいしたないね」と言われるのが怖くて言っているのかもしれない。
どこか自分としては傷つけられたくなくてリスク回避のつもりで
そうなっているのかもしれない。

自分だけじゃない

しかし、それは自分だけの問題ではなかった。
先輩は私に続けた。

 石崎は掲載されてイヤだと思っていたんだ~と感じる人がいたかもしれないね。

想像もしないことだった。
そう感じた人は、私に余計なことを言ったと思ったかもしれない。
気まずい思いを抱かせたかもしれない。
せっかくのありがたい好意を、私は素直に受けなかった、ということだ。
申し訳ないことに。

ふり返るとそう言うことが度々ある。

お祝いしてもらった時に嬉しくないふり(!)をする、
お誕生日の時におめでとう、と言われ、
「トシですから」「めでたくなんかないよ」と悪びれて返す。
・・・・

自分を卑下するということは、自分だけの問題ではない。
卑下することで人を傷つけることがある。

遠慮すること、謙虚であることを美徳とする価値観が、
私の中でおかしな変化をしている。
それによって素直に感謝できず、知らないうちに相手を傷つけているとしたら、
なんと残念なことだろう。

今まで意識せずに失礼しちゃった皆さま、ごめんなさい。
こういうことに気づかせてくれたFacebookのお友達の方、先輩、ありがとうございました。

もう少し素直にならないとね、私。




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2015年11月20日

それでも、やっぱり、見た目が勝負? 否定したいけど侮れない。

見た目になんか左右されない。
本質をちゃんと見たい。
日頃からそう心がけているつもりでした。
それなのに、私は結構見た目で決めつけているところがあると発見し、反省したのでした。

セミナーに出かけて

女性の働き方・生かし方にフォーカスしたセミナーに行ったら、受付も、会場誘導も、会場のスタッフは女性ばかりだ。
始まるまでにはまだ多少時間があり、席に座っていた私は、メールチェックをしながら待っていた。
正面ではジーンズにセーターというラフな服装の女性が、セミナーで使用するパソコンをチェックしていた。

このセミナーを主催したのは、企業向け研修が主流の企業で、
今回の受講者は、主に人事・労務やダイバーシティー関係の担当者のようだった。

女性スタッフはみな黒っぽいスーツ姿。
セミナー参加者もジャケット姿が多かった。

日常的にあまりスーツを着ない私は、その日もふだん通り、カジュアルなカットソーのジャケットを羽織る程度で出かけた。

セミナーは、二人の講演の後、主催者のコーディネートのもとで参加者からの質問や講師二人を交えたパネルディスカッションという構成。
講師二人はもちろんのこと、コーディネーターの方も私が注目する人だったので、その日を楽しみにしていた。

開始時間になり、後半でコーディネーターを務める方の進行で、講師が紹介された。
そこで登場したのは、先ほどパソコンをチェックしていたジーンズにセーターというラフな服装の女性だったのだ。  

え?!
お手伝いの方かと思ってたら。。。

それがその時の私の正直な気持ちだった。
お顔をよく見れば、たしかにご本人だった。

見た目の印象と本質

いざセミナーが始まったら、その講師の話はとてもいい内容で、
私はグイグイと引き込まれた。

語り口調が力強いこともあるけれど、内容が深くて濃厚。
講師の人柄、信念も感じられ、感動的な内容だった。

それなのに、私は・・・。

私は、見た目の印象で人を判断するような人が好きになれない。
今までもそう公言してきたし、
見た目の印象で人を判断する人間にはなりたくないと、心から思ってきた。
そういう私が、ラフな服装という見た目の印象で、そう思ったのだから、
自分で自分にびっくりしてしまった。


視覚的な影響

コミュニケーションの3要素として、心理学者が「言語内容」のほかに「聴覚」「視覚」を挙げている中で「視覚」の占める割合が半分以上と言っている。
初めてそれを知った時、まさか!と思ったけれど、
現に自分がこうして思い込んでいたのである。

今回は、そんな自分にちょっとうんざりし、改めて本質を見ていかねばと思う機会になった。
裏返して言えば、それだけ視覚情報、見た目の影響が大きいとも言える。

人がコミュニケーションをとろうとするとき、
それがセミナーのような「1」対「大勢」のコミュニケーションに限らず、
1対1のコミュニケーションであろうが、「大勢」対「大勢」のコミュニケーションであろうが、
きっと視覚情報はとても大きい。

要は見た目か・・・

つまりは、見た目ってことだ。
コミュニケーションを受け取る時は、そうしないように気をつけるけれど、
コミュニケーションを送る側の時は、要は見た目なのだと思った方がいい。
表情、服装、髪型、メイク、持ちもの、色合い・・・
立ち方、歩き方、動き方・・・
使えるものは使った方がいい。

実際、私自身も思いもしないイメージでとらえられることが少なくない。
そこには、きっと見た目の影響が少なくない。
見た目なんかで勝負したくはないけれど、されど見た目。
侮れない。

とは言うものの、
やっぱり私は見た目の印象で人は判断する、という人にはなりたくない。
見た目の印象で人は判断する、という「常識」は忘れずに、
人とも社会とも関わっていきたい。
もちろん、そんなものを覆すくらいの本質が磨かれるのが一番なのだろうけど。



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 12月9日(水)18:30~

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2015年11月9日

チャンスを逃すことだってある・・・判断力やスピード感が落ちている理由

高齢者の交通事故が増えていることが問題になっています。
実は事故を起こす人の年齢層で高齢者が多いのは
今に始まったことではありませんが、
被害が大きく深刻な事態になったことで注目度が高まったのでしょう。
認知症などの脳の病気がどうかは別にして、
判断力やスピード感が鈍っていくというのは加齢に伴う困ったことの一つ
なのかもしれませんが、どうやらそれだけではないようです。

オトナになってゆっくりゆっくり

走りながら考えていた私が、今では立ち止まって考えるようになった。
走る前に止まる。
止まってよく考える。

若い頃の私を知っている人は、信じられないと思うかもしれない。
オトナになって、さらに年を重ねていくうちに、多少ゆっくりになってきたようだ。

落ち着いてきた?
いやいや、それだけじゃない。
ゆっくり考えるという行為は、判断が遅いとも言える。
判断力が鈍り、処理能力が落ちてきている側面もあるのかもしれない

ゆっくり考えていてチャンスを逃した・・・

まあ、もとは何事も前のめりでそそっかしいタイプだったから、
少し立ち止まるくらいがちょうどいいと思うこともあるけれど、
判断が遅れたり、処理が遅かったりすることで、実際にチャンスを逃すことがある。

つい最近も、インフルエンザの予防接種を便利に受けられる機会があり、行きたいなあと思っていたら、終わってしまった。
wifiルーターを解約しようと思っていたら、思ってるうちに自動更新されてしまい、解約できなくなってしまった。
行きたいなあと思ったセミナーを、行こうかどうしようかよく考えているうちに満員になってしまった。

やろうやろうと思いながらそのままにしている・・・そういうことが増えてきた。

「ゆっくり考える」じゃない。
ただ鈍いだけ。
結果的にたくさんのチャンスを逃してる。
そのたびに、
「私、年とっちゃったのかなあ」と、落ち込んでしまうのである。

年とったせいだけじゃない

なぜチャンスを逃すのか。
なぜやろうやろうと思いながらそのままにしているのか。

年のせいにしていたけれど、たぶんそうじゃないと気づいた。
気持ちが守りになってるから。
止まっているから。
気持ちが前進していないからではないか。

自分の時には気づかなかったのだけど、
まわりの知り合いがじっくり悩みながら機会を逃していくのを横で見ていて、
ハッとしたのだ。
ここのところ、その人の気持ち(心)が落ちて、止まっていたから。

前に向かって進んでいるときは、たぶん考える時もスピードが速い。
ゆっくり考えているときと、スピーディに考えているときと、
実は考えている深さはあまり変わらないような気がする。

そう、止まっているときは判断が鈍る。
止まっているときはチャンスを逃す。

それを年齢のせいなんかにしちゃいけないのだ。



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2015年11月5日

今のカラダへの悪影響は、昔々のちょっとした小言がモトだったのかもしれない

歯医者さんが大嫌いです(歯医者さん、ごめんなさい)。
子どもの頃から歯には散々悩まされてきたので、十分大人になった今、
定期的にメンテナンスに通うようにしています。
今日はいつもの衛生士さんのクリーニングだけでなく、久しぶりに
歯医者さんに見てもらったところ、噛み合わせが極端に強いと言われました。
そう言われて思いうかべることがありました。

歯を噛みしめる

噛み合わせ、食いしばり、愕関節症・・・、よく聞くけれど、今まで他人事だった。
無意識のうちに強く噛む状態で一番多いのが眠っているときだそうだ。
歯ぎしりなんて言われたことないし・・・と言ったら、
音が出ない歯ぎしりもあるのだそうな。
ぎゅーっと強く噛むことで歯が欠けたりヒビが入ったり、
歯ぐきへの負担も大きいのだそうだ。
この噛み合わせが強すぎることは、
歯(口の中)の健康状態に悪い影響を与えているというのである。

そう言えば、仕事中に自分が歯を噛みしめていることに気づくことがある。
パソコン使用中などはしばしばだ。
仕事中の肩こりがひどかったので、肩こりの要因になるかもしれないと思い、
仕事中に歯を噛みしめていると気づくと、
私は意識して緩めるように心がけていた。


口を閉じているときというのは、
本来口の中では噛みしめていないはずなのに、
噛み合わせの強い人はなぜか噛みしめている人が多いんです。

歯科衛生士さんにそう言われて、ふと思い当たることがあった。

子どもの頃の記憶

幼い子どもの頃、私はしばしば「口を閉じて」と、言われていた。
ぼーっとしている子どもが、
口をポカンとあけている様子を見ることがあるでしょう?
私はそういう子どもだったのだ、たぶん。

口をあけっぱなしにしているとおバカさんに見えるから、
きちんと口を閉じなさい。

子どもの頃にしばしば言われていたその小言を、
歯医者さんからの噛み合わせの話を聞いて、ふいに思い出したのだ。

いつも頭の片隅に、
私は無意識のうちに口をポカンと開けてはいないだろうか?
口をきちんと閉じていなくては!
という意識があることに私は気づいたのである。

実際、その小言が今の私の噛み合わせに影響しているのかどうかはわからない。
でも潜在意識の中で影響を与えているのかもしれないと思った。

子どもが口を開けたままぼーっとしている顔は、
確かにおバカさんみたいな顔かもしれないけれど、
子どもらしい顔でもある。
もしも当時何も言われずそのまま放っておいたら、
果たして大人になった今でも、
私は変わらず口をポカンと開けっぱなしでいただろうか。。。

いつのまにか頭の片隅に残る

幼い子どもの頃に受けた注意や指導がいつのまにか頭の片隅に残って、
無意識のうちにそれにとらわれていることって、意外に多いのではないだろうか。

ちょっとした癖、ちょっとした習慣、ちょっとした行動・・・、
私の噛み合わせのように、カラダへの影響だけでなく、
生活習慣や行動パターン、思考方法なども、
そういう影響が及んでいるのかもしれない。

だからこそ、
ん?!って気づく瞬間って大事。
どんなことでも、
ん?!って思ってみるのは、きっと悪くない。

噛みしめる悪影響を軽減するために

ちなみにこの噛み合わせ、最近は学会でも注目のテーマの一つだとか。
眠っているときに噛みしめる力は、
昼間や食事中の噛む力とは比較にならないほど強いのだそうだ。
だから悪影響を軽減させるためには、
できれば眠っているときに噛みしめないようにしたい。

ということで、私は眠っているときに噛みしめないようにするための
「ナイトピース」なるものを作ることになった。

しかしこれをはめて眠る睡眠妨害の影響はどうなんだろう。
いったいどっちのほうが大事なのか・・・。
まあやってみて様子を確認してから考えることにしよう。




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 11月12日(木)18:30~


   自分と向き合うことはなかなか難しいもの。
   講師にお招きする今井さんは、お墓参りがその大きなきっかけになると言います。
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2015年11月2日

会社を辞めたらやろうと思ったこと、思っていたのにやらないこと

できれば会社を辞めたいと思っている人、もうすぐ辞めようとしている人、意に反して辞める人・・・・
もしも辞めたら、何をしていたいと思っていますか。
私の場合、いざ辞めてみると、意外にそんなにやりはしないものでした。

やろうと思っていたことはいっぱいあった

会社にいるときには、もしも会社を辞めたらあれをしよう、これをしよう、あんなことがしたい、こんなことがしたい、といろいろ思っていた。
欲張りで好奇心が強い私は、やりたい、やろうと思っていることが数えきれないほどあった。

 レディスデーの日に映画を見る
 ゆっくり本を読む
 毎朝コーヒーを飲みながらゆっくりと新聞を読む
 一人旅に出かける
 いろんな顔に会える写真展に行く
 カフェ巡りをする
 ピアノを弾く
 ブラジルで買ってきたカバキーニョの練習をする
 ウクレレの練習をする
 スキーに行く
 ライブに行きまくる
 コンサートに行く
 体力づくりをする。
 ダンスレッスンにしっかり通う。
 昔読んでた漫画を全巻一気に読み返す

 等々。

もっともっとあったけれど、書き上げたらきりがない。

長く会社にいると、どうしても時間が拘束される。
働いている時間以外に寝る時間、移動時間などを考えると
自分が自由に使える時間はそう多くない。 
むしろとっても少ない。
だから「自由に使える時間」が欲しくて欲しくてしかたがなくて、
もし時間ができたら・・・と、妄想をめぐらすのだ。

ところが現実は

実際に会社を辞めていざ時間が自由になると、
私の場合、これが意外にやっていないのである。
あれだけやりたいと思っていたのに。

それどころか、会社にいた頃のほうがやっていたことがたくさんあった。
当時は時間がなかったから、どうしてもやりたいことはなんとしても時間を作ってやろうとしていたのである。
ところが時間が自由になると、今日やらなくても明日があると思う。
やりたいことであるはずなのに、明日やろうと先延ばしすることが出てくるのである。

あれ?
やりたいんじゃなかったっけ?

そこでやりたいと思う自分の思いの強さや優先順位に気づくのだ。
やりたいと思っていても、そのやりたい気持ちの度合いがまあそこそこなのか、
それともとてもやりたいことなのか。

漠然とやりたいと思っていても、いつの間にか忘れられていくことも、実は少なくない。
時間の経過とともに興味関心の対象も変わっていくせいか、
やりたいと思っていたことすら忘れてしまうこともある。

まるで、列車に乗っていて景色を見ているようなものだ。
「きれい!」と思う景色があったとしても、そこで途中下車しない限りは、どんどん通り過ぎて後ろに行ってしまい、どんな景色を綺麗と思ったのかも忘れられていく。

会社を辞めたらやろうと思うことなんて、どの程度やりたいものかなんて、実はわからない。
意外と大したことないのかもしれない。
忙しくて全然できなくても、それでも時間をやりくりしてやろうとするくらいのものでないと、意外にやらないことなのだ。

私の場合、上記に記載したことは、
時間がないからできなかったり、やりたいけど我慢していたはずのことばかりだったが
時間ができても実際にはほとんどやっていないことばかりなのだ。

自分が思っていることなんて、結構アテにならないものだ。
自由になる時間に対する渇望感が強いから、
そのせいですごくやりたいことだと思い込んでいただけ。

会社を辞めて時間がある中で、やっていること、
やらなきゃいけないことが他にあるのに、ついついやっちゃうこと、やりたくなっちゃうこと・・・
頭よりもカラダの方が、正直なのかもしれない。
つまり、頭で思っていることよりも、身体が動いてしまう「行動」の方が、正直なのかもしれない。






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 11月12日(木)18:30~


   自分と向き合うことはなかなか難しいもの。
   講師にお招きする今井さんは、お墓参りがその大きなきっかけになると言います。
   11月は、お墓をきっかけに、自分と向き合うことを考えます。


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2015年10月28日

その一言、言わなきゃいいのに・・・残念賞

平日の昼間、不意の来客に戸惑うことは少なくありません。
一番多いのは宅配便のお届けですが、
それ以外にもセールスや近隣のご連絡など、いろいろあるんですよ。
勤め人だった頃には知らなかった方々ばかりです(^^;;

今度建築工事が始まるんでご挨拶に

我が家の周りには空き地が多い。
それもこの半年の間にパタパタと家が壊され、空き地へと変わって行った。
原因は、たぶん高齢化。
周辺は古い住宅街だ。

ご近所の6070代の方は、小学生の頃からそこに住んでおられるそうだ。
15年前に引っ越してきたうちは、周辺から見れば新参者、若手でもある。
高齢化が進み、亡くなる人もいるし、家に住みきれない人は移っていく。
その結果、空き地がどんどん増えていくのだ。

空き地に接する我が家にとっては、この空き地がこの後どうなるのかは、気になるところである。

平日昼間にやってきたインターフォンごしの声

 近所の建築工事が始まるので、ご挨拶に来ました。

近所に空き地はたくさんあるけど、建築工事はどこかしら。
聞けば、我が家の隣接地だった。

都会でもなかなか土地や建物は売るのが大変だと聞いていたが、売れたんだ。。。
家が壊され、空き地いなったときには嫌な気持ちになったけれど、家が建つなら歓迎だ。

工事はいつから?
どんな家が建つの?
どういう人が住むの?

いろいろ気になり、玄関のドアを開けた。
30歳前後の男性だった。

あぁ、言わなきゃいいのに

その人は丁寧に私に資料を渡し、

・・・そして言った。

 区の指導で、隣接○メートル以内のお宅には
 挨拶するように言われているんです。
 
あっ、そう・・・
指導があるから・・・
渋々挨拶に来たみたいに見えてしまう・・・
丁寧ないい感じな人だったのに。
なんか、一気にイヤな気持ちになってしまった。

こういうのって、本当に残念賞。
そんなこと、わざわざ言わなくたっていいじゃないの。
あ~あ、何のために言うのかね?
ちょっと考えればわかりそうなものなのに。

ちなみに私はその一言のせいで彼の話を聞く気が失せた。
もらった資料を改めて見たところ、そこには三階建ての家が建つことが書かれていた。
なんと我が家の日当たりにも大きな影響が出そうとのこと。

え~?! ちょっと!
区の指導で挨拶だって?!
コラ!違うだろ?!

だけど、あまり考えずにモノを言うこと、私も珍しいことじゃない。
言われる方は気になるんだけど、言う方って結構そういうもの。
日常よくあることだ。

他人事じゃない。
気をつけなくっちゃ。






2015年10月26日

それは、一番言ってはいけない悪口でした

悪口を聞くのは気持ちの良いものではありません。
だから私も言いたくないし、言わないように気をつけているついもりです。

だけど、実は一番言ってはいけない悪口を私はとてもたくさん言っていたのでした。

人の悪口を言ってはいけません。

小学校の先生で、「母親を変える教室」(経済界)の著者、青木洋介さんは、
「お母さんが笑顔でいること、幸せであること」が、
子どもをその子らしく育てる上で一番大事なことだと論じている。



そんな子育て論を展開する青木さんが、

人の悪口を言ってはいけません。

本当にその通りです。
しかし、心の中に湧き出した感情は、適切に出すことが必要です。
そうなると、どうしても「悪口」も口にすることになるでしょう。

と、ブログで書いていた

だけど、それでも言ってはいけない悪口をがあると。

それは、
「自分への悪口」
です。

ガーン!

「自分への悪口」こそ、絶対に言ってはいけないこと

あらら。
私、よく言うなあ、これ。

しかも言っちゃいけないって思っていませんでした。。。

むしろ、いいこととすら思っていたような気がする。
自分への悪口は自分に厳しい証し。
甘やかさないように背筋を伸ばそうとしてるんだから、と。

ここ数年、私は自分にダメ出しを出し続けている。

何やってるんだろう、私。
こんなんじゃだめだ、私。
こういうところが本当にダメだ。
ダメダメだわ、私。・・・と。

でも考えてみると、10年くらい前までは逆だったような気がする。
自分のことをよく褒めていたのだ。
それも声に出して。

よしよし、よくやっているね~。
がんばったね~。
すごいじゃん、私。

これを会社の中で独り言でブツブツ言っていたのだから、ちょっと(かなり?)変な人だ。
ときどき周囲からも笑われた。
そのたびに「人が褒めてくれなくても、ちゃんと自分で褒めてあげるの。」と言っていたことを思い出す。

いつのまにかそれが逆になっていたのに気がついた。
褒めるのを忘れて、ダメ出しをするようになっていた。
何がきっかけでそうなったのかはわからない。
少しづつ少しづつ、そうなってきたようだ。
もしもこれが自分だけでなく、人に対してもそうなっていたらとても残念なことだ。
子育て論だけの話ではなかったんですね。

今日からまず、自分への悪口をやめるようにしようっと。
そして、できれば声に出して自分のことを褒めてみることにします。
・・・と、ここで宣言します!



2015年10月22日

「愛と仕事が人生のすべて」は、今も昔もきっと変わらない

そんなに映画をよく見るほうではありませんが、ロバート・デニーロは私が好きな俳優さんの一人です。

外国の俳優さんと言えばずーっと昔から好きだったロバート・デニーロ。
今、72歳。
今上映中の「マイ・インターン」は、デニーロの魅力満載です。


http://wwws.warnerbros.co.jp/myintern/

オープニングで出てくるフロイトから引用した言葉

 「愛と仕事が人生のすべて」

そしてマイヤーズの言葉

 「人生で目標をもつことと、評価されることは、
 愛し愛されることと同じぐらい基本的に必要なことだと思う

は、ここ数年の私のテーマそのもの。
う~ん、たまりません。
ぜひ多くの人に、それも同世代や先輩世代に観ていただきたい1本です。

寂しい、やることがない

この映画の主人公は、優しい夫と可愛い子どもがいる幸せなママで、家庭のキッチンで思いついたことをきっかけにアパレル会社を起こし、急成長させた成功者。
アン・ハサウェイ演じるその女性社長、ジュールスの心のうちがテーマなんだけど、私はその会社にインターンとして入社し社長付になった70歳男性、ベンの言動に、オープニング早々で私は釘付けになってしまった。

ロバート・デニーロ演じるベンは70歳。
愛妻と死別し、会社を退職後、いろいろやるけれど、寂しさがつのる。
時間をどうつぶすかが問題だと感じていたとき、偶然みつけた求人票を頼りに仕事をしようと思い立つのだ。

男性が会社を卒業して失う三つ、それが
 ① 行くところ
 ② 会う人
 ③ やること
というのは、以前このブログの「『シニア男性の引きこもり」から気づく、心がけのポイント」でも書いたことがあるけれど、まさにそういう背景からこの映画は始まる。

人生経験は、必ずどこかで誰かの役に立つはず


わがままな中高年や、よからぬ一部の人のせいで、最近はどうも中高年の悪評を耳にする機会が多くて残念な限りだけれど、それでも、
そうそう、どんな人でも生きてきた分だけ必ず経験豊富。
そんな人生経験は、最大のチカラになるはず。
それはきっと、どこかで誰かの役に立つはず。
そうしなくてはもったない。

・・・私はずっとそういう思いを抱いていた。
ずいぶん前から。

それが「キャリア」という考え方だと知ったのは、ここ10年くらいのことだ。
広告業界で長く生きてきた私は、会社員時代に管理部門経験がなく、そこに私の勉強不足も加わって、「キャリア」という考え方をそれまで知らなかった。
組織で生きている中で経験的にわかったこと、考えていたことが体系化されているのが「キャリア理論」だったと知ったのは、20年以上の社会人経験の後だった。

それでも、ずっと人生経験は力になるはずと思っていたのに、
肝心の諸先輩方でそういう風に思っておられる方が、私の周りにはあまりいないように見えた。
若輩者の私が気づかなかっただけかもしれないが。

今、自分自身が50代半ばになり、人生経験は大きなキャリアであるとの思いは、かつて自分が若かった時よりも強くなった。
反面、それが仇(あだ)になっていると感じるときもある。
私自身も会社を辞めて以来、自分の力になるはずの経験が、垢になってしまったのではないかと、自己嫌悪に陥った。
それも一度だけではない。
何度も何度も。

でもやっぱり、そうやって自己嫌悪に陥る気持ち自体も大事な経験。
その気持ちを知っていることが、どこかで誰かの役に立つこともあろう。
キャリアそのものである。

生きてきた時間はすべてキャリアになる

私が会社を卒業し、次に何をやろうかと考えていたとき、
一番に思ったのが、年長者がイキイキと輝ける社会づくりに何か寄与したいということだった。

少子高齢化、体力減退、どうも年をとることが好ましくないような風潮に風穴が開けたかった。
なぜなら、私自身が素敵な先輩から元気をもらえるから。
魅力的な先輩の存在は、私自身の希望でもあるから。

今、100歳の元気な人を見れば、80代、90代の人が元気をもらえる。
60代で頑張っている人の様子は、私たち世代の
そして私たちのありようは、30代40代にきっと影響していくに違いない。

とは言え現実は、楽しかった現場仕事を若手に移譲していく。
長く会社員をやり重責を担い、自負を持っていても、会社の中での役割が変わっていく。
そこに、健康への不安、家族問題、さまざまな将来への不安。
以前のようにイキイキとはいかず、なんとなく萎れていくのも仕方がないとは思う。

だけど、年長者であれば、イキイキしていることだけで後輩の力になることもある。
この映画の中のロバート・デニーロは、そんなことを再確認させてくれる。


2015年10月21日

オイオイ! 同じ世代で同じ女性の行動が私に突き付けること

男女雇用機会均等法施行からもうすぐ30年。
年功序列も崩れ、私自身は男とか女とか言うことにすごく否定的ではあるのですが、それでも同世代や先輩がアグレッシブだとやはり意識してしまうところがあります。
今になってふり返ると、ときどきそういうことを意識し、刺激を受けながら、進んできたのかもしれません。

平成10年 野田聖子さんが郵政大臣に就任


自民党の総裁選挙に野田聖子さんが出てきた時、私は17年前のことを思い出した。
当時、私は30代。
男女雇用機会均等法施行から10年。
多少肩に力が入りながらも、自分としては男性に混じってそれなりに働いてきた実感があった。
その頃、野田聖子さんが郵政大臣に就任したのだ。

え?!
そんなのあり?

私がなぜそう思ったのかは、今もうまく言葉にできないのだが、
初の女性閣僚だったわけではない。
もちろん私が政治家になりたいと思っていたわけでもないし、
閣僚に憧れていたわけでもない。
当時、野田聖子さんも30代だった。

それでも私は当時、やられた!と思ったのだ。
当時私は男性に混じって仕事をしているという自負を抱きながらも、どこかで

 まだ若いから仕方ない、

 オンナだからこんなもの、

と、甘えと諦めが混ざったような思いを抱きながら働いているんじゃないの~?!
と野田聖子さんに突きつけられたような気がしたのだ。 
そんなことを言ったら、

 大臣にでもなるつもり?

と言われそうで、当時、そんなことは誰にも言えなかった。

そして野田聖子さんは総裁選へ

あれから17年。

今回、圧倒的強さを持つ安部さんの対抗馬として、野田聖子さんは手を挙げた。
結果的には最低限必要な推薦人を集め切れず、
野田聖子さんは立候補を断念したけれど、かつて野田さんに感じた気持ちを思い出したのだ。

え?!
そんなのあり?

私自身は、自民党支持者でも野田聖子さんの支持者でもないのだが、
野田さんの総裁選立候補のニュースは、再び私にいろいろなことを突き付けてきた。

自民党の中には、安保法案、原発、TPP、それぞれ是々非々の人が実はたくさんいるにもかかわらず、
総裁選で安倍さんは揺るぎなかった。

気概を感じて生きているのか

長いものに巻かれろ?
次の選挙のために自分を守りたい?
政治家に必要なのは、情熱、見識、責任・・・・・

メディアは、野田さんの断念でそういうことをよく言っていた。
それを聞き、

 あなたは今、自分が大事にしたいことに対して、
 自分に恥ずかしくないような情熱、見識、責任を持っているか。

 何に気概を感じて、今、生きているのか。
 周りに流されてはいないか。

同じ世代で同じ女性の野田聖子さんが、今、私にそうささやいているような気がした。

男か女かなんて関係ない。
年なんか関係ない。
たしかにそりゃそうなんだけど、
やっぱり同世代の、しかも女の行動は、私に大きな刺激を与える。

気概が必要なのは、政治家だけじゃない。