ラベル エンディングノート の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル エンディングノート の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年7月29日

欧米から見て、仏壇の遺影に語りかける日本人の姿はヘンな人?!

遺影というのは、日本独特のものだとご存知でしょうか?


海外の場合はポートレート。
生きている時にこそ飾られるもので、
亡くなってから飾る、ということがないから遺影がないのですね。


この遺影との向き合い方は、日本人の死生観と大きく関わっているようです。



ご先祖さま、という概念


私たち日本人には、「ご先祖様」という概念があります。
無意識にも、亡くなった人が見守ってくれる、
亡くなった人に見られている、と思っている節があります。

そういう概念があるから、
故人に力を貸してください」と祈ったり、
故人に対して恥ずかしくないかと自分を戒めたり、
故人に叱られる、故人が褒めてくれる、
と思ったり・・・。

ほら、遺影に向かって話しかける人、あなたの周りにもいませんか。
もしかしたら、あなた自身も無意識に話しかけているかもしれませんね。

甲子園やオリンピックなどでも遺影を抱える姿もよく見かけます。
それは、大事な場面を故人に見せたい、
故人に対して、見ててね、力を貸してね、という
気持ちの表れでしょう。

もちろん人によって、宗教観によって、その違いはあるとは思いますが、
それでも日本人のこのような遺影に接する様子を見て、私たちはあまり違和感を感じないと思います。



この人、ダイジョウブ?


けれども欧米の人から見ると、
仏壇の遺影に語りかける日本人の姿は、ヘンな人にしか見えないようです。
この人、大丈夫かしら?と疑われかねない光景なのだそうです。

文化人類学と
「ターミナルケア(終末期医療)」「みとり」をキーワードとした
医療・福祉の文化的背景が研究テーマの郷堀ヨゼフさんは、
1979年、チェコスロバキア(現チェコ)生まれの
上越教育大非常勤講師で淑徳大(千葉市)准教授。

このたび日本人の死生観などに関する考察をまとめた著書
「生者と死者を結ぶネットワーク〜日本的死生観に基づく生き方に関する考察〜」
が出版されたそうですが、そのニュースによれば、

来日後に見た仏壇の遺影に語りかける日本人の姿を見て、
欧米では精神疾患すら疑われかねない光景に驚き、
これが研究の出発点になった

そうです。



この死んだ人と生きた人とのつながりというのが日本独特のもののようで、
これはその日本人らしい生き方というのに考察を加えた本だそうです。

私たち日本人にとっては普通の死者との会話、故人との対話で、
たしかに私たちは慰められたり、チカラをもらったり、します。

そこで自分が一人ではないことを再確認します。
でもそれは、自分自身と向き合うきっかけを得ることもあり、
実は自分との対話でもあるのです。

大事なことを故人に報告します、よね。
私の父はお墓詣りに行くと、
お墓に向かって大きな声で延々と家族の近況を報告していました。


今の時代、死者との対話の機会は激減


今、都会に暮らす私の家には仏壇がありません。
供養に関わるものもありません。
でも実家にはあるので、ときどき実家に帰ったときに仏壇に手を合わせ、
そこで故人を思う程度。
死者との対話の機会など、ほとんどありません。

郷堀さんは
新潟県糸魚川市能生地域で研究テーマのフィールド調査を実施したそうです。

地域には亡くなった人を含め、脈々と続く人々のさまざまなつながりがあり、
「決して1人ではなく、何かがあれば、手を差し伸べてくれる」関係性があった。
一方で、田舎の煩わしい人間関係を嫌い、都会に出て行った若者が孤立すると、
地域や死者との「縁」が断ち切られるという。

人との「縁」は故人とのつながりだけじゃない、ということです。

私たちは、日本人にとって日常だったはずの脈々と続くさまざまなつながり、縁
というものを、今、忘れつつある

外国人の目が警鐘を鳴らしている、とも言えます。


遺影があれば亡くなった人と対話できる

だけど、遺影だったらどうでしょうか。
仏壇がなくても、供養をしていなくても、
遺影という故人の写真を見るときには、私はふっと故人を思うことができます。
心の中で声をかけることもあります。

それは、実は自分自身に語っていることなのかもしれません。
報告しながらも

がんばれ!
よしよし!

と。

現代人は、この日本独特の「遺影」に対して、
もう少し注目してもよいのではないでしょうか。
人と人とのつながりを大事にする、手を差し伸べる、助けを乞える社会のためにも。

いい遺影を遺そうとすることは、やさしい社会のためにもなるのかもしれません。


2016年7月26日

百歳超えの人と若い人、大事なポイントって結局のところ変わらない

雑誌「百歳万歳」編集に35年たずさわり続け、シニア周りに関わったきたのが40年という植松さんは現在68歳。
偶々縁あって、今春その植松さんのお話を聞く機会がありました。


精神力が80%、自分が決めたことはやる

長年シニア周りに関わってきた植松さん。
もはや取材した相手は数え切れないでしょうが、
その中から超長寿者(100歳以上)の調査をしている慶應義塾大学医学部の広瀬信義先生のお話を紹介してくれました。
それが、
「精神力が80%、ポイントは自分が決めたことはやる」

こんなにも医学が発達し、厳しい病気もどんどん治せるようになりつつある時代であるにもかかわらず、精神力80%と内科の医学博士がおっしゃると言うのです。

なるほど。

結局、大切なのは
精神力を鍛えること、
自立(※)した生き方をすること、
ってことか。

けれども高齢になったからと言って、
さあ!精神力を鍛えよう!とか、
自分で決めたことをやろう!とか思ってみても、
そうそうできることではないでしょうね。

広瀬先生のおっしゃるお話は、
高齢者のみならず、どんな世代であったとしても
結局は同じこと。

シニアの心得とは、すなわち若者の心得でもありました(^^;;
それは人としての心得そのものでもあるわけで、
もはや生き方なんだなあと考えさせられます。


超長寿の10箇条

さて、その植松さんが教えてくれた超長寿の10箇条はこちら。

①新しいことが好き
②依存性が少ない
③几帳面
④外向性、活動的
⑤若い頃に一緒懸命働いている
⑥幸せ感が高い
⑦ストレスをためない
⑧周りとのコミュニケーションが上手
⑨親切 
   ※「憎まれっ子世にはばかる」はうそだった。
⑩ユーモアがある

超長寿を目指すかどうかはともかくとしても、
この10箇条を見ると、
やっぱり高齢者特有のものとは考えにくいことばかり。
年齢固有のことではないのですね。

もちろん人によって性格もいろいろ。
個性はさまざまなので、
こうでなきゃいけない、なんてことはないはずですが、
オトナになったら○○しよう、○○な人になろう、
仕事をリタイアしたら○○しよう、○○な人になろう、
ということは、実は机上の空論なのかもしれません。

今を大事にすること
・・・今できることは今のうちに。

今の蓄積が未来であることは間違いないのですから。



※自立
人に依存することなく自らの意志を持ち、しかも自分以外の人のことを慮る、と言う意味で私は使っています。
必ずしも経済的自立を指しているのではありません。


2016年7月13日

永六輔さん、逝く 「死ぬって言うからおかしくなる、先に行くっていうだけなんだから」

7月7日、七夕さまの日に永六輔さんがこの世を旅立ちました。
最後の仕事は2月.ということですので、結構最近まで仕事をしていたのですね。

有名人の訃報が出ると、それまでの功績がニュースで語られます。
そのおかげで、私にとっては知らなかったその人について初めて知ることが出てきたり、改めて思い出すことがあったり。
さらにそれで自分自身をふり返るきっかけになることもあります。

永六輔さんが作詞家をしていたことは知っていたけれど、その活動は私の世代から見るとひとつ前の時代。
私の時代には、作詞家と言うよりはマルチな才能を持って活躍する人の印象が強く、逆に何屋さんだかよくわからない人でもありました。

報道では、黒柳徹子さん、瀬戸内寂聴さん、加藤登紀子さん、倉本聡さん、落合恵子さん・・・
そうそうたる方々が永六輔さんの死を悼み、コメントを寄せられ、その功績と人望に、改めて気づかされます。

今回の報道で、
永さんが語った「死に方はいき方だ。」という言葉を紹介していました。
それは、永六輔さん著「大往生」で書かれている言葉でした。




大ベストセラーにもなった永六輔さん著「大往生」で語られたのが、
死ぬって言うからおかしくなる、先に行くっていうだけなんだから
ということでした。

永さんがそれを語ったのは、平成6年。
今から20年以上も前のことでした。
当時私はまだ、人生のこと、命のこと、死についてなど
考えたこともありませんでした。
命には限りがあると気づかなかったのだと思います。

それを語った永さんの年齢に、今の私は近づきつつあります。
そのせいか、今の私には「死に方は生き方だ」というのが
しっかり腹落ちする言葉になりました。
他にもそのように語る人は少なくありません。

エンディングノートに注目してきた私自身も、
今いろいろな場で同じようなことを言っています。

人は生きるように逝く、

逝くことは生きることそのものだ、

・・・と。

でも、平成6年当時の私は、そんなことを全く知らなかったのです。
その時にならなければわからない、時期が来ないと理解できない、
というのは、こういうことなのでしょう。

作家の柳美里さんは、訃報を知ったときに
ちょうど飾られていた永六輔さんの言葉を見ていたそうで、
twtterでその写真を公開していました。
その永さんの言葉は、今の私にはさらに心に沁みる言葉でした。


明日死んでもいいように
百まで生きてもいいように
考え考え生きて行こう
行きたいところに行っておこう
会いたい人に会っておこう
食べたいものを食べておこう
百まで生きてもいいように
少しは恋をして見よう
       永六輔の句より

偶然のようですが、
一昨日、私の伯父が亡くなりました。
昨日、友人がこの世を旅立ちました。

明日死んでもいいように、
百まで生きてもいいように・・・

私は今、その思いをさらに強くしています。




2年半続けてきたエンディングノート講座ですが、
今月の開催を最後に、一旦お休みすることを決めました。

そのテーマは、

これからの生き方を考えるワークショップ
「私の人生をふりかえる」~命が終わろうとする時~

-----------------

7月のエンディングノート講座

◇日 時 2016年7月14日(木) 18:30~20:30

◇場 所 麻布十番サロン

◇テーマ これからの生き方を考えるワークショップ
       「私の人生をふりかえる」~命が終わろうとする時~

◇ 宿題(ご参加にあたって考えてきていただくこと)
      自分の人生に大きく影響を与えた人物5人を書きだしてくる。
       よくも悪くも自分の人生に大きく影響を与えた人物
       (生きている人、死んでいる人、偉人、アイドルなんでも可)

-----------------
直前ですが、キャンセルが出たので
体験参加したい方など、あと1受け付けています。


2016年6月4日

同意しないと何もできないから、どんなに同意したくなくても「同意します」

宮城県の部活では試合に行くのも大変。
東日本大震災依頼、鉄道が通らなくなったことで、公共交通機関では試合会場まで行けず、部活の顧問の先生の車で行かざるを得ない、という現実があるそうです。

入学時に保護者から「お子さんを先生の車に乗せることがありますけどいいですか」という同意書を取っている学校もある。教員の車による生徒の送迎なしには、学校運営そのものが成り立たない実態がそこにある。

部活動の送迎 違反に悩む教諭(2016年5月26日(木)掲載) - Yahoo!ニュース
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6202245


リスクの可能性もあるから同意

いつのまにか、何でもかんでも同意書ですね。
少なくとも、今から20年くらい前にはこんなに同意を取ることなどなかったように思います。



エンディングノートに携わっている立場から見ると、
同意書と言ってまず頭に浮かぶのは医療現場です。

インフォームドコンセント、インフォームドチョイス・・・
「きちんと説明を受けた」ということに間違いありません、とサインして
次に[治療を選択」し、万一のことがあるかもしれないけど責任は問わないことに同意する。

医学の進歩によって、医療は選択する時代へと移ってきています。
その分リスクも高まるわけで、どのたびに「同意」が求められるのです。

本当はイヤだと思っていても、同意しないと前に進めません。

「同意します」は、「仕方ないね」とほぼ同義語です。

前に進め、と言う意味の同意

ネットの世界はもっとひどいかもしれません。
なんだかよくわからないことがだ~っと書いてあって、
最後に「同意します」にチェック。

読んでもよくわからないし、とりあえず「同意」「同意」…
実際、ちゃんと読んで同意している人ってどれくらいいるのでしょう?!
だけど同意しなかったら、前に進まないから、
同意せざるを得ません。

「同意します」は、もはや「ススメ!」と同義語です。



アンケートに答える時も、
お店のお客様会員になる時も、「同意」を求められます。

今の時代、いちいち「同意」。
だけど、本当の意味で同意してなんかいません。
面倒くさいから「同意」。
前に進めないから「同意」
やむなく「同意」にチェックしているだけで、気持ちとして同意などしてはいないのです。

これ以上、実際は同意していないのに「同意」が増えていく世の中になると、
なんだか嘘ばかりな感じがして、私はどうもざわざわしてしまうのです。



2016年4月17日

インフォームドコンセントはもう古い?! お医者さんから聞く説明



自分のカラダのことは自分が一番よく知ってる。

自分のカラダは自分で守らないと。

いろいろなことが言われますが、治療方法に対する考え方や感覚は、
ここ数年で大きく変わりました。

それによって、今までの当たり前が、当たり前ではなくなっているわけで、
この感覚についていくのはなかなか難しいものです。

医療のことはお医者さんしかわからない。

例えば風邪なのか、アレルギーなのか、喘息なのか、
診断するのはお医者さんです。
かつて、患者はシノゴノ言わずに、
お医者さんの言うことを信じるのが当たり前、という時代がありました。

治療法についても、お医者さんが決めてくれます。
信じてさえいれば、何も心配はいりませんでした。
患者は診てもらう立場で、どっちが偉いかって、そりゃあお医者さんです。
患者はまな板の上のコイ、そのもの。
誰もが「先生にお任せします!」と言うのが当たり前でした。

しっかり説明してくれる「インフォームドコンセント 」

たぶん昔はあまり表面化していなかったであろう医療過誤や医療事故。
ニュースになることが多くなり、
患者が医療に疑問を持ち、訴える事件が多くなったことも、
きっと影響しているのでしょう。

医療現場では、必ず患者やその家族にしっかり説明し、
患者(その家族)に納得、了解してもらってから、治療を始めようという動きが
出てきました。
それがインフォームドコンセント
訴訟社会のアメリカから来た流れだそうです。

お医者さんも、患者やその家族が話をわかるかどうかは別にして、
とにかく説明する。
患者とその家族は「話を聞きました。」の了解の証、サインをする。
この流れを完了しないと、治療をしてもらうことができません。
わかっているかどうかは、二の次と言えるかもしれないくらい。

よくわからないけど・・・とりあえずOK!

「話を聞きました。」の了解サインって、今のネット上の「同意する」と似てますね。
だって、とりあえずそれをOKしないと前に進めないんですから。
わかる人、納得する人はきっとちゃんと理解してサインするのでしょうが
なかなか理解するのは難しい・・・です。

選んでください

医療や薬の進歩は、今まで無理だったことが可能になることもあります。
喜ばしいことです。
だけどどんどん進歩して、次々と新しい治療法が登場すると、
答えは一つではなくなってきます。
治療法によっては、その分、カラダやお金や時間に負担が増える場合も出てきました。

その結果、「きっちり説明する」インフォームドコンセプトの次の流れは
選んでください」でした。
そう、インフォームドコンセント改め、インフォームドチョイスです。

いろいろな治療法があるけれど、それぞれにあるメリットとデメリット。
それを一通り説明してくれた上で・・・・

どれにしましょうか?

選んでください。

場合によっては、

あなたの人生観に照らし合わせてよく考えてください。

と言われることもあります。

自分のカラダのこと、自分の治療法のことだから、きちんと自分で選びたい。
メリット、デメリットをきちんと聞いた上で。
・・・そう思う人はきっと多いでしょう。

だけど誰もが選べるわけではありません。
私たちは選べるほど、そもそもその治療法について知っているでしょうか?
いくら説明を受けたとしても、どれくらい理解できるでしょうか。

選択肢がなければ選ぶ必要もないし、悩まないのに。

選択肢が提示されても、何を基準に選べばいいのか?
人生観に照らし合わせてって言われても、
人生観なんて考えたことがない人も少なくありません。
考えたことがあったとしても、やっぱり迷って悩んで苦しみます。

お医者さんが決めてくれればいいのに・・・

よくわからないけど・・・え~い!これでいこう!

そんな風に思う人は、きっとたくさんいるのではないでしょうか。

お医者さまにお任せしたくても、お医者さまは選んでくれない、
自分(たち)で選ばなくてはならない、というのは、大変苦しいことでもあります。

本人の意志を尊重する。

本人が選んだのだから仕方がない。

意地悪な見方をすれば、
インフォームドチョイスは医療者側の都合だとも言えます。
だって、自己責任だから。

心の準備なんかできない

今から30~40年前の病気の告知というのは、
患者以外の家族が診察室ではない別室に呼ばれて伝えられました。
本人に何て言おうかと家族が悩むこともありました。
映画やドラマで、そういうシーンはしばしば出てきました。
だからそういうものだと思いきや、今はまったく、全然違います。

今の告知は、熱が出て風邪かなと思ってお医者さんに行ったときに、
「インフルエンザですね」と言われるのと同じ。
ちょっと具合が悪いから病院に行き、検査を経て、いきなり
「ガンですね」と言われます。

1人で行くから、いきなり感はハンパなく、ボーゼン・・・!

治療法も同じ。
ボールはこちらに投げられる。

先生が示してくれると思いきや、「選んでください」と言われるわけで、
そんな風になるとは予想もしていないから、びっくりしてしまうのです。
特に昔々の「お医者さまにお任せします」が常識だった世代にとっては、
これは本当に難しい局面になります。

「知っている」と「知らない」は大違い

だけど今は、医療だけではないですが、
リテラシーが求められる時代になりました。知っていないと、不利益を被る。
医療を受ける側にも力が必要なのです。

医療を受ける側に課せられる姿勢が、こんなにも変わってきているのに、
患者になる私たち、患者の家族になる私たちは、
意外にその変化をよく知りません。
だって、病院や病気とはあまり縁がなかったから。
ずっと元気だったから。

自分が病気なる時、家族が病気になる時というのは通常突然のことですが
じっくりゆっくり検討し、考えるような時間は、あまりないのが普通です。

そういうとき、
「多少知識があること」、
「知識はないけど、考えたことがあること」は、
大きな力になります。

それについては気楽に相談できるような詳しい知り合いがいれば、
さらに大きな力になることでしょう。

「知っている」と「知らない」は、全然違います。

エンディングノートの中にも、医療についての項目があります。
たとえ何も書かなくても、それを見て
「考えたことがある」「家族と話してみたことがある」ことは
いざという時に大きな力になります。
それはやってくるかどうかわからない災害のための備蓄と同じ。

エンディングノートなんてまだまだ・・・

高齢者のためのものでしょ~?!

そう思っている人は多いけれど、
世代を問わず「知る」「考える」きっかけに、もっともっとエンディングノートが活用されればいいのに、と思います。



================


100人いれば100通りの人生がある。
生きるってなんだろう?
生き方とは? 命の終わりとは?
2014年4月から毎月1回、そんなことをご一緒に考える講座を開催しています。

エンディングノートを使って、これからの生き方を考える
================
トラベシアのエンディングノート講座 毎月開催中。


5月の開催(第26回)

 5月17日(火)18:30~20:30 麻布十番にて。

【 テーマ 】

 生きがいとは何か ~アクティブ・シニアからの提案 ~



6月の開催(第27回

 6月8日(水)18:30~20:30 麻布十番にて。

【 テーマ 】

 ライフプラン崩壊は突然に ~脳卒中経験者から直接聞く話から学ぶ~



=======

体験参加も受付中。
参加ご希望の方はこちらまで。
メールは info@travesia.biz まで。

「私がエンディングノートを使って講座をしているわけ」はこちら



2016年3月10日

年寄り扱いはイヤ、若く見られることはやっぱり嬉しい。

電車で座っていて目の前に70歳前後と思しき方が立っておられたとしても、席を譲ろうか、やめようか・・・最近は逡巡してしまいます。
少し前だったら、スッと立ち上がることに何の違和感もなかったのですが、
最近の高齢者はお元気な方が多く、却って失礼にならないかどうか、気になってしまうからです。
そんなことを気にするのは、きっと私自身の年齢意識も大いに関係しているのかもしれません。

年長者は敬うものだったのに?!

昔の常識は、年長者は敬うのがあたりまえ。
年を取れば給料が上がる、年を取れば偉い・・・
多少おかしなことを言っているなと思っても、まあ聞いておこう、
余計なことは言うまい・・・
そんなものだったような気がします。

ところが年功序列が崩壊し年齢は関係なくなり、年齢が上だから偉いという常識はなくなりました。
さらに世間の見方は、若いことこそがすばらしいみたいな雰囲気。
そんな時代のせいか、年齢が高いことはちっとも誇らしいこととは言えず、実際の年齢よりも低く見えることは自慢です。

老いを受け入れる、なんて理屈だけ

考えてみれば、私自身も若く見られたい願望は、ずっとむくむくしています。

その昔30代の頃、姪(妹の子ども)が生まれた時に、私は絶対におばちゃんとは呼ばせませんでした。
その指導(?)のせいで、姪っ子の幼稚園のお迎えに行った時に先生から「おばちゃん?」と関係性を聞かれても、姪っ子は「違う。キミコちゃん」と答えたくらいです。

そして今、4才の姪っ子たちも同じ。
私のことを「キミコちゃん」と呼びます。
ちなみに彼女らは私が50を越えてから生まれた姪っ子です。 

年齢に抗うことなく、老いを受け入れて・・・
そう提唱する方はたくさんいらっしゃるし、その理屈はよくわかるけれど、
感情と理屈はなかなか一致するものではありません。
私自身は今だに、なかなか自分の年齢を受け容れていないような気がします。
特に50歳を超えたとき、もう人には絶対に年齢を言えない、と思ったものです(苦笑)。
そして今も若く見られればメッチャ嬉しいのは否定できません。

年寄り扱い お断り

1月に見つけたこちらの投稿記事。



74歳の女性読者からの投稿でした。
よくよく読んでみたら、投稿したご本人の話ではなく、そのお母様のこと。
御年100歳。
96歳の時にバスで席を譲られたことに対して
「帽子をかぶっていたのにどうして年寄りとわかったのか」と言ったお母様のエピソードを元に、今も年寄り扱いされることに不満気な様子について、娘の立場で投稿していたのでした。

愛すべき存在!
私としては目標にしたいような100歳女性です。
今、100歳前後のことを「アラハン」と呼ぶそうで、
長寿家系の両親を持つ「アラフィフ」の私にとっては憧れの存在でもあります。

この人も「年齢を受け容れていない」ひとり。
だけどいいじゃないですか!
年寄り扱いされたくない思いは、きっと意地みたいなもの。
ジタバタしながら、自分を守っているように思え、そこに可愛げがあるように思うのはわたしだけかしら。

とは言うものの、席を譲る側として考えてみると、これはなかなか悩ましいところです。
私が悩ましく思うのも、きっと私自身が年齢についていろいろ思うからに違いないと思う今日この頃です。




エンディングノートを使って、これからの生き方を考える
================
トラベシアのエンディングノート講座 毎月開催中

 ◎ 3月の開催 ◎

 3月10日(水)18:30~20:30 麻布十番にて。

【 テーマ 】
 生まれるということ。死ぬということ。~科学的側面から見つめる~

=======

2月に、看護師で僧侶の玉置妙憂さんをお招きして人の「尊厳」とは
何かを考え、考えれば考えるほど難しくなりました。
観念的に考えるのは難しい。
・・・そこで3月は生物学的に命を考えてみようと思います。

テーマによって、専門家の先生をお招きしてお話してもらっていますが、
今回はそれが叶わず、私が生物学の先生から学ばせてもらったことを
もとに自らの考えと合わせてお話させてもらいます。
皆さんとシェアする時間をできるだけとりながら、ご一緒に考えていきましょう。

参加ご希望の方はこちらまで。
※当日の場合は、メール info@travesia.biz まで。

「私がエンディングノートを使っているわけ」はこちら



2016年3月1日

私がエンディングノートを使って講座をしているわけ

2014年4月から
エンディングノートを使って生き方について考える講座を毎月開催しています。
それも「書き方を習う」のではなく、現役世代を中心に一緒に生き方を考える講座です。

なんでエンディングノート?
そこにはいろいろな理由があります。

あなたはエンディングノートって、どんなノートか知っていますか?

今や、エンディングノートを知らない人はほとんどいないけれど、
実際に見たことがある人はそう多くはありません。
60歳未満となると、ほとんどいません。

エンディングノートというと、死ぬときのために準備するノートだと思う人が多いようです。
でもエンディングノートは、むしろ人生ノートと言った方がいいくらい。
死ぬときのために準備するノート」とは実はちょっと違うんじゃないかと思うのです。

この講座をスタートした時の思いは、今とは少し違った

当初、この講座をスタートした時
私は、エンディングノートを書くための講座にしよう、書くための情報を提供する講座にしよう、と考えて始めました。
なぜなら、エンディングノートを実際に書いている人がほとんどいなかったから。
シルバー世代の方々を意識していました。

エンディングノートの項目は、
すぐに答えられること、
なかなか答えられなくて考えこんでしまうこと、
答えたくないこと、
などいろいろ。

だから書こうと思ってもなかなか書けるものではないのですね。
あそのうちに…と思ってしまい込んでしまう人も多く、
持っていても書いている人はほんのわずかです。

書けない理由は、
書くための情報や、選択肢を選ぶための情報が圧倒的に不足しているから。
さらに、質問項目は今までに考えたこともないようなことを突き付けてくるので
「そんなこと言ってもね~」という気持ちになってしまうから。
なかなか書くところまで行かなかったり、
書き始めてもすぐにやめてしまったりするんですね。

だから、エンディングノートの項目一つ一つについて、
その言葉の意味や周辺情報を提供し、
必要に応じて周辺の情報に詳しい専門家をお招きしてお話を聞いて・・・
という講座を始めようと考えたのでした。


エンディングノートは、自分とは何者ぞ?!を聞いてくる

だけどいくら情報があっても、あるだけでは足りませんでした。
むしろ情報よりも必要なのは、自分らしいとはどういうことか?ということ。
たとえば、
どんなことを大事にして生きてきたのか。
これからどんなことを大事にしていきたいのか。
ということ。
それは、自分が生きてきた証をどう残したいか、につながります。


要はエンディングノートというのは、
「あなたは誰?何者?」と聞いてくるノートなのです。

だからとっても難しい。
一人ではなかなか考えにくい。進めない。
漠然としすぎてどう考えたらいいかわからない。

エンディングノートではなく、私ノート、人生ノートと呼びたい

たしかに難しいのだけど、この自分らしさを探す作業は、
自分を大事にすることにつながります。
まわりへの感謝を再確認する機会にもなります。
そこでささやかな幸せに気づけることもあります。
だから年齢に関係なく意味があるのです。

エンディングノートによって、
私たちは生まれてから死ぬまでの自分の人生を見直すことができる。
つまり、エンディングノートはこれからの人生を考えるためには絶好のツールなのです。
人によっては結果的にエンディングに向けての準備や対策につながるので、
どうしてもそちらの方ばかりに目が行くのでしょう。

例えばお金・・・・
例えば医療・・・・
例えば・・・・

私たちは言葉を聞いてなんとなくわかったような気になっているけど、
実は具体的なことはあまり知りません。
どの項目も、人によって回答は違うし、正解なんてない。
そこで意味を持つのは、それまでの生き方であり、
エンディングノートに書いていることは生きざまの結果そのもの。
だから私は、本当のことを言えばエンディングノートではなく、
私ノートと、人生ノートと呼びたいところなのですが、
それではなかなかわからないのでも、エンディングノート講座と称して続けています。

時には専門家さんに来ていただき、日頃知る機会のないお話をお聞きすることもあります。
テーマによっては、参加者同士で意見交換・情報交換することもあります。
少人数だからこそ、本音トークで盛り上がることもあります。
こうして、毎回毎回、人生、生き方を考える講座を続けています。

直近の予定はこちら

40代・50代の方、おひとりさまの方、
その他ご興味のある方、体験参加をお待ちしています。
お申し込み、お問い合わせはこちらまで。

2016年2月12日

50歳を過ぎたら・・・かかりつけ医を探せ!大作戦

高齢者の医療と介護を学び考える場面で、必ず出てくるのが「かかりつけ医」。

本来、かかりつけ医というのは、
ずっとずっと若い頃からの体質や既往症、家庭環境などをひっくるめて
総合的にカラダを診てくれるお医者さん。

そう考えると、
今かかりつけ医がいる人はいいけれど、
いない人はできるだけ早く探した方がよいのです。
さあ、50歳を超えたんだから、かかりつけ医を探せ!大作戦のスタートです。

現代医療は専門化、高度化

看護師で僧侶の玉置妙憂さんから2月9日開催の講座でお聞きした話。

 頭が心配で念のためと思って脳外科に行ってCTを撮る。
 その時、「実は最近お腹も痛くて」と言うと
 「では消化器科に診てもらってください」と言われ、消化器科に回される。
 消化器科でお腹の診察を受けた後に
 「最近目がかすむんですよ~」と言えば眼科に、
 「肌がカサカサして痒くえ」と言えば皮膚科に、と
 次々いろいろな専門科を回ることになる・・・・

参加者の皆さんと「笑い話みたいですね~。」と笑った。


日本の現代医療は、どんどん専門化し、高度化していると言う。
それが医学の進歩にはつながったのは確かだけれど・・・。

さもありなん。


よりよい医療を求めてあちこち通ううちに

私の父は、
内科と整形外科と消化器内科と泌尿器科と心療内科と皮膚科に通っている。
いずれも通院しているのでしばしば予約が入り、高齢なのに意外と忙しい。
病院に行くために、病気にもなれない。

あちこちでいろいろな薬をもらうので、家には大量な薬がある。
全部を飲むのは大変だ。
しかも本人が言うには、ある部分に効く薬を飲むと、別の具合が悪くなることが多々あるらしく、毎朝その日の自分の体調に合わせて、勝手に薬の量を減らしたりもする。
例えば痛み止めの薬を3錠飲むように言われても、
その日の体調によってはそれだけ飲むとお腹の具合が悪くなるので
1錠にしたり、2錠にしたりと、自分で加減しているのだ。
お医者さんからきちんと指示が出ているにもかかわらず・・・

これってどうなのよ?!

カラダの部分の専門家はたくさんいるのだけれど、
父の体全体を診てくれる先生がいないのだ。
そこで大事だと言われるのがかかりつけ医である。

元気な世代に、かかりつけ医?!

しかし元気な世代は、滅多にお医者さんになど行かない。
健康診断でパスすれば終わり。
何か引っかかれば大病院に行って精密検査を受ける。
そこで行くのは、精密検査で引っかかった専門科だ。
ふだん風邪をひいてもお医者さんになんか行かない。
行くとしてら、職場の近くに飛び込んで
「熱を下げるために注射の1本でも打ってください。今、休めないんで…」
とお願いする。
かかりつけ医どころじゃない。

「40代からの終活」をテーマにしたシンポジウムの基調講演で
ノンフィクションライターの中澤まゆみさんが提案した「老後の備え 10ヶ条」の
中にも、かかりつけ医を、という項目があった。

やはり、かかりつけ医である。
私は随分前に意識してかかりつけ医を探し、今お世話になっている先生がいる。
たぶん60代後半の男の先生。
そうそうあることじゃないけど、
精密検査が必要かもしれない時、何か心配なことがある時には
大病院と連絡をとり、予約までとってくれる。


切実にかかりつけ医が必要になる時のために

だけど、10年後、20年後、30年後、
今の私のかかりつけ医の先生は私を診てくれるかしら。
私自身がかかりつけ医を切実に必要とするのは、
きっと70代、80代になったときだ。
そのとき、先生は80代、90代・・・

将来私が年をとった時に、
私が風邪をひくと元々どういう症状になりやすい体なのか、
どういう時に風邪をひきやすいのか、等
かかりつけ医はこの今の状態から私の体質や既往症等を時系列で
知っておいてもらうことに価値があるのだ。

夫は、日常的にかかりつけ医を持たなかった。
何かあれば便利な場所のお医者さんで診察を受け、
便利な場所の調剤薬局で薬を受け取る。
しかし、そろそろかかりつけ医を持った方がいいかも、と話し合っていたら、
ある日かかりつけ医を決めてきた。

話を聞いてくれて、感じが良くて、良心的な対応をしてくれて、
自分より若くて、しかも家から比較的近い場所にある先生、という観点で、
彼は探し当てた。
ネットの評判や待合室で待つ患者さんの様子なども参考にしたようだ。
新たに決めたかかりつけ医の先生に、
彼は仕事の状況なども少しづつ話していそうだ。
仕事のストレスと体調との関係、体質、既往歴等もふまえて、
その時の体の状況を診てもらえることは、心強いに違いない。

私は、今のかかりつけ医には十分感謝してはいるけれど、
これからのことを考えて、私も将来のかかりつけ医をどうするか、考えよう。

今から探すのだから、大前提は私よりも若いお医者さん。
そして、私と相性がいい先生であること。
信頼できる先生であってほしいけれどそれだけじゃなくて、
たまには冗談なんかも言えるような先生だといいかも。
夫と同様に、自宅に近いこともはずせない。
男の先生、女の先生、どっちかなあ。それは私にはあまり関係ないかなあ。

日本の医療制度は、病院から地域医療へと変わろうとしている。
だからこそ、今の私から知っておいてもらえるようなかかりつけ医を探し始めよう。
東京には近所にお医者さんがいっぱいいる。
近隣候補をリストアップし、まずはちょっと具合が悪くなったら行ってみよう。
私の「かかりつけ医を探せ!大作戦」、スタートである。



エンディングノートを使って、これからの生き方を考える
================
トラベシアのエンディングノート講座 毎月開催中

2015年12月12日

50代がこれからの人生を考える上でのお金の問題

私たち今の50代は、バブルを経験してきた世代。

贅沢している気分はなくても、そのときの経験がちょっとだけしみついていて、
バブルを経験していない世代や
その前の貧しい貧しい時代を経験してきた世代から見ると、
どうも経済観念が違うように見えるらしいです。

あまりそういう自覚はないのですが、
老後貧乏、老後破産、老後不安・・・そんな言葉を聞くと、
ひそかにドキッとしてしまい、
子どもの頃に読んだ童話「アリとキリギリス」が浮かびます。
私、キリギリスかしら・・・?!という思いが頭をよぎり、漠然とした不安に襲われるのです。


お金の問題を考えたくない、考えると不安になる

私がエンディングノートを使って自分の人生を考えていく講座を始めたのは
昨年の春。
毎月1回づつ開催しており、21回になる今月
私が最も苦手とするお金のことをテーマにした。

相続を考えるためにエンディングノートを使う人がいるくらい、
エンディングノートというと必ず出てくるのがお金の話。
相続を考えるためにエンディングノート講座をやっている先生も
いらっしゃるくらいだ。
私自身は、お金の話をするためにエンディングノートを使うのは好まないけれど、
お金の問題を避けて生きていくことはできない。

これからのお金の問題を考えていこうとすると、
必ずライフプランの視点が出てくる。
だけど、ライフプランを考えると、
 貯金しなきゃ
 そんなに貯金できない、
 無理だ、将来足りなくなりそう・・・・・
そんな思いが押し寄せて、考えて安心するはずが、
なんだか不安になっていってしまうのだ。
だから、少し違う視点でお金を取り上げたかったのだ。

そこで、今回お願いした専門家の先生は大江英樹さん
「老後貧乏は避けられる」の著者であり、
日経電子版の「定年楽園への扉」は人気コラムでファンも多い。

お金の問題は、生き方とリンクしている

現在、著述業や講演で活躍する大江さんは、
大手証券会社定年退職後に
リタイアしたサラリーマンが自由に生きるための支援をしたい
という思いで起業されたと言う。
そのお考えに、私も大いに賛同する。

さて、大江さんによれば、
老後に考えられる不安というのは三つの不安から構成されているという。
その三つが老後不安の正体でもあるのだが、
その一つがお金の問題だと大江さんは提示された。



大江さんご自身がかつて大手証券マンであり、
そのサラリーマンを終了・卒業した立場から、
講座では、現実にお金をどうコントロールし、実践しているのかをお話くださった。

どうやら、私たちはメディアに乗せられている部分が大きかったかも?!
実態をわからないままに不安感を煽られていただけだったのかも?!
・・・そんなことを気づかせていただきました。

印象的だったのは、お金の問題は生き方とリンクしているということ。
お金の問題だけを考えるから不安になるのだ。
どう生きたいかを考えることで、お金をどうコントロールするかにつながっていく。
その話は、リタイア前の今だからこそ考えるべきこと、考えたほうがいいことが山盛りだ。

その具体的方法については、大江さんの著書に委ねたいと思う。




自分の将来、生き方を考えると言ってもいったい何を考える?
そういうときに、エンディングノートに出てくる項目はガイドになる。
項目を一つづつ考えていくことが自分のこれからを考える上で役に立つ。
何となく不安なときに、何が不安か、どこが不安なのかを自分でみつけることができる。
そう思ってエンディングノートを使って生き方を考えていく講座を続けているけれど、
お金の問題もしかり。
お金と生き方が密接なのは間違いない。



================

トラベシアのエンディングノート講座 毎月開催中
~エンディングノートを使って、これからの生き方を考える~ 

 ◎ 1月の開催 ◎

 1月13日(水)18:30~20:30
          麻布十番にて。

【 テーマ 】
  家族信託
  ~今だけでなく、これからもずっと円満家族でいるための契約になるか?!~

家族とどんな関係でいたいのか。
そのためにこれからどうつきあうのがいいのか。
親と。兄弟姉妹と。ほかの人たちと。

相続税改正で相続問題が注目されてきましたが、
金融保険業界の商売にならない「家族信託」については、
あまり語られることはありません。
でも、家族のことを今一度考えるきっかけになりそうです。
「家族信託」のパイオニアを目指す先生にお話を聞くことにしました。

会員制の継続講座ですが、初回は体験参加できます。 
体験参加費;3,000円(消費税別)
お申し込み、お問い合わせはこちらまで。
    

2015年12月8日

阿藤快さんの訃報で気づく、何かあった時に誰にも気づかれないかもしれない「一 人暮らし」について

個性派俳優でグルメリポーターとしてもご活躍だった阿藤快さん。
11月15日にご自宅で亡くなっていたのをご親族と事務所関係者が見つけたとの報道がありました。
享年 69歳。
あまりにも早い、突然の訃報でした。
お一人で暮らしていたのですね。





http://bonito-llc.com/

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/11/21/kiji/K20151121011545290.html

いつ人生が終わるかなんて、本人もわからない

阿藤さんはほんの数日前までお元気だったという。
急死だった。
布団の中で眠るように亡くなっていたのが見つかったのは15日午後。
「安らかな静かなお顔をして、眠った(ような)お顔をしていた」という。
14日はお誕生日で、10日〜14日はお休みで、連絡がとれなかった15日に親族と事務所関係者が見つけたのだ。
阿藤さんご本人は、14日の夜の時点では、翌日人生が終わるなど夢にも思わずに眠りについたのではないだろうか。

1人だと誰にも気づかれない

一般の人の場合、1人で暮らしていたら、本人が予想しないまま突然人生が終わっても、きっと誰にも気づかれない。
そのまま数日が経過する可能性が高いことは十分想像できる。
ましてや一人世帯が一番多いのが今の時代だ。

一般的だと言われる四人家族なんて、今や決して多くはない。
孤独死とか孤立死とか言われるけれど、一人暮らしの人が多くなったのだから、そんなことは当たり前な話なのだ。

阿藤さんの場合はご家族はいらしたけれど、お一人で暮らしていたらしい。
だけどご自宅にしばしば訪れるであろう事務所関係の人がいたから、亡くなったその日に発見された。

けれど、一般的にはどうだろう。
こちらから声をかけなくても家に訪ねに来るような人というのはどれくらいいるものなんだろう。

ちなみに我が家の場合は、かつては来客の多い家だった。
毎週末誰かが来ていた。泊まっていく人も多かった。
最近は来客が少なくなったが、かつて多かったときでもそれはこちらから声をかけるからいろいろな人が訪ねてくるのであって、全く声をかけなくても勝手に訪ねて来る人などほとんどいない。
1人で暮らしているわけではないので、もしも何かあったらきっと家族が気づくだろうけど、もしも一人だったらば・・・?
会社員の夫の場合は無断欠勤が続くことになるわけだから、会社の誰かが様子を見に来るかもしれない。
だけど会社勤めをしていない私の場合は、家にまで訪ねて来る人は、なかなか思い浮かばない。
比較的マメに連絡を取り合っている姉妹ですら、1〜2週間くらい音信不通のことはよくあることだ。
そう考えると、たぶん誰にもなかなか気づかれないだろう。


もはや対策なんてあるのか

子どもはやがて独立する。
連れ合いがいてもずっと元気とは限らない。
誰だって一人暮らしになる可能性がある。
しかも家族の形態は昔と比べて多種多様になり、ますます一人暮らしは増えている。

昔だったら家族が多いし、近所づきあいも濃かったから、何かあれば誰かに見つけてもらいやすかった。
裏を返せば見つかってしまいやすい、隠したくてもバレてしまうとも言える。
面倒くささやうっとおしさを避けると、何かあったときに誰にも気づかれないことにつながる。
阿藤さんの訃報ニュースをきっかけに、しっかりした組織への所属や強いつながりがない場合は、さらに気づかれにくいことを改めて再確認した。


私の家の近所では、一人暮らしの高齢者に対しては、ボランティアが運営するサロン(おしゃべり会)に参加するよう声がかかる。
誰もが参加するわけではないし、参加する場合も、声をかけてから実際に参加するようになるまでは長い時間がかかる。
たとえ参加しなくても、そのボランティアは何回も定期的に訪ねるようにしている。
それは80歳以上が対象で、それを進めるボランティアの平均年齢も、たぶん70歳くらいだった。
ときどきその場に顔を出してみると、私は最年少で、しかも
極端に若い存在だ。
私以外に次を担いそうな世代はいない。
このボランティアグループは、果たしてこのまま続いていけるのだろうか。

つながりは意識しないと

血縁〜家族や親戚との密着度が薄くなってきた今、つながりは意識して作っていこうという流れがある。
お墓をきっかけに親しくなる墓友は、そういう流れの一つではある。
わからなくはないけど、私にとってはあまり現実的ではない。

知り合いの女性は、夫が海外で単身赴任なので自分は日本で一人暮らしをしている。
彼女は、もし自分に何かあったとしても誰にも気づかれないだろうと思うと不安になると言う。
彼女はいろいろな活動をしているけれど、会社勤めをしているわけではない。

その話を聞いた周りの人たちは、音信不通に気づくきっかけとして、SNSを上げていた。
もしもFacebookの投稿が途切れたら、不信に思うからお互いに訪ね合うっていうのは?と。

私にとっては、墓友よりもはるかに現実的だと思った。
高齢者にはなかなか難しいかもしれないけど、SNSやネットを使いこなす50代以下であれば、お互いに気にして、お互いに訪ね合うという形はそんなにハードルが高くない。

ゆるい関係の友達だったらたくさんいる、という人は多いだろう。
でももう少し踏み込んだつながり。
ちょっとうっとおしいくらいのつながり。
そういうものがないと、何かあった時に家まで見に来てくれるような関係など、そうそうできるものではなさそうだ。
そういうつながりは、たぶん意識しないと作れそうにない。
仕事でも、家族でも、趣味でも。

そういう中で、今後はSNSが大事なつながりの役割を果たしていくようになるのかもしれない。


================

エンディングノートを使って、これからの生き方を考えていく講座を毎月開催中 

 ◎ 1月の開催 ◎

 1月13日(水)18:30~20:30
          麻布十番にて。

【 テーマ 】
  家族信託
  ~だけでなく、これからもずっと円満家族でいるための契約になるか?!~

  エンディングノートには必ず出てくる相続関係のページ。

  その対策と言えば「遺言」が普通なのですが、そうではなくて
  あまり知られていない「家族信託」を取り上げます。
  なぜなら、人によって家族との関係はさまざまではあるけれど、
  生きていくうえで家族との関係は無視できないから。
  そして、「家族信託」を知ることは家族との関係性を考えるきっかけになるから。
 
  金融機関も保険会社も商売につながりにくいのであまり普及せず
  なかなか注目されませんが、

  もしかしたら「家族信託」は円満家族の証になるのでは?

    これからも円満でいるための証明書にもなるのでは?
  もしかしたら「最後に頼りになるのはお金」と「円満家族」が両立するのでは?

  という思いがあって、「家族信託」のパイオニアを目指す先生にお話を聞くことにしました。


会員制の継続講座ですが、初回は体験参加できます。 
体験参加費;3,000円(消費税別)
お申し込み、お問い合わせはこちらまで。
    

2015年10月20日

テレビを見たことがきっかけで、老親が胃ろうについて考え出した

マスコミの力は弱くなったと言うけれど、それでもやっぱりテレビの影響はとても大きいようです。
特にNHKは(苦笑)。
だからこそ、中途半端な知識の人がそれに惑わされないように、正しい情報をきちんと発信してほしいものですね。

NHKスペシャルを見てね···



少し前のことだけど、実家に帰った時に、突然親が言い出したのです。

NHKスペシャル「老衰死」を見て、
胃ろうとかせずに自然の流れに任せるのがいいなあとパパと話しているんだけど、そういうことっ て遺言に書けばいいのかしら?

オイオイ!
あなたの娘の私が「失敗しないエンディングノートの書き方」を書いているんだから、そこはまずエンディングノートでしょ(笑)。。。

母は拙著が出た直後に読んで、

 いい本ね。
 とてもわかりやすい文章だったからすぐに読めましましましたわ。

と言っていたくせに···(^^ ;;
親でもそうなんだから、まあ、読者なんてそんなものですね....
私も本を読んで、仮にいいなあと思ってもほとんど忘れてます、ハイ(苦笑)。

物事はタイミング

私の親は、今までこういうことにあまり関心を示さなかきましましました。
特に父は、できれば考えたくないくらいに見えましましました。

こういうことは本人次第だと私は考えている。
どう説得したらいいか?
どう話したらいいか?
とよく聞かれるけれど、そもそも説得するなんてことはナンセンス。

いくら私がそういう本を書いていても、たとえいろいろ助言できるとしても、
絶対に無理強いがあってはならないと思っている。
それが家族、親子だとしても。

本人が知りたい、考えたいと思ったときがタイミングです。

子どもの頃、「勉強しなさい」といくら言われてもその気にならなかったけど、
自ら勉強しよう!と思えば、深夜まで頑張って勉強したのと同じ理屈です。

それにしても、NHKの影響力はさすがでします。

法的効力がないエンディングノートだからこそ

そもそも遺言は法的効力があるもの。
だから、法的に効力を発揮してほしい資産、相続について書くわけです。

エンディングノートは、法的効力を発揮しない。
エンディングノートは多種多様で独自な項目があるものもあり、
いろんな側面から自分の考えを整理することができる。
その思いを伝えることもできる。

現実的に延命治療の判断を迫られるとき

胃ろうや人工呼吸など、延命治療の判断が必要な時は、医師から家族が説明を受け、家族が判断することになる。
いざという時、家族に知識がないと咄嗟の判断は難しい。

仮に知識があったとしても、命は本人のものでもあるから、できれば家族の考えだけでなく、本人の思いに沿える判断をしたいものである。
だけどその本人の思いを、果たして家族はどこまで知っているだろうか。
そういうことをあまり口にしない親の場合は、日々の行動や発言から家族が推測して判断することになるのだ。

命について考えたり書きとめておくというのなら、エンディングノートがいいけれど

今、世の中に出回るエンディングノートは有料無料合わせて数百種類にも上るだろうけれど、どのエンディングノートにも、だいたい延命治療の項目が出ている。
その内容の正しさや深さは別にしても。
だからそういうことを考えるきっかけとして、エンディングノートはいい道具になる。

けれど、実際のところ、
延命治療と言ってもその中の胃ろうとはどういうものなのか、
人工呼吸とはどういうものなのか、
いったいどれだけの人が知っているかは、甚だ疑問である。
私の親も、胃ろうのことを言い出したけど、胃ろう自体についてどこまで理解したのかはわからない。
胃ろうについて言いだしたのは、
テレビに出てきた「胃ろうをせずに家族に見守られながら安らかにゆっくりと旅立って行く様子」を見て、それが胃ろうを選択しないイメージとして残ったような気がする。

今回、我が家はたまたまテレビがきっかけでそんな話題がぽろっと出ました。
書こうかなという意思が親にはあるらしい、ということももわかきました。

今までそういうことを口にしない父だったので、母がそう言ってきたこと引き合いに出して
私は父に「何でそう思ったの?」と聞いてみましましました。

 若い者にはわからないだろうが、年をとって体があちこち痛くなる。
 いつもどこか具合が悪く、スッキリいいということがない。
 胃ろうするくらいの頃には、きっ体中がボロボロであちこち痛いだろう。
 もう痛いのは嫌だ。
 また元気になるならまだしも、そうでないなら。

父とは今までそういう話はしてこなかったけれど、
「胃ろうを選ばない」という言葉の奥には、胃ろうそのものがどうこうと言うよりも、少し別の意味合いがうかがえた。
今、すでにあちこちがしんどいんだね···。


書かなくたっていい

エンディングノートの書き方講座があちこちで始まっている。

エンディングノートを書きましょう。
書くのが難しい人のために書き方講座もあります。
···今の流れはそういう方向だ。
けれども、エンディングノートの項目で選択肢を選ぶだけでは、どうも不十分ではないか。

なぜそう思うのか?
どういうことを大事にしたいのか?

そういう思いが託す人に伝われば、きっと必ずしも書かなくていい。
エンディングノートは考えるためにある。
項目をきっかけに家族で話をするためにある。
私は最近強くそう思っている。

 もしも書くというのなら、そういうことはエンディングノートに書く欄があるよ。
 難しいと思ったら無理して書かなくてもいいんだよ。
 聞きたいことがあったら言ってね。

両親は今後、新聞やテレビからまた新たな情報を仕入れるかもしれない。
今回のことがきっかけで、そういう情報に多少敏感になるかもしれない。
それだけでも、大きなステップである。
いずれにしろ、とりあえず、私は今の親の気持ちは聞けた。
今、何かあって判断が必要になったら、親の意をふまえて考えられる気がする。

エンディングノートは、書くこと以上に話すこと。
それが何より大事なことだと思う。





体験参加も受付中です。
 11月12日(木)18:30〜


   自分と向き合うことはなかなか難しいもの。
   講師にお招きする今井さんは、お墓参りがその大きなきっかけになると言います。
   11月は、お墓をきっかけに、自分と向き合うことを考えます。


   会員制の継続講座ですが、初回は体験参加できます。
   体験参加費用0.3000円(消費税別)
   お申し込み、お問い合わせはこちらまで。

2015年10月15日

私のルーツ、家族との関係 ~家系図を知ることで見えてくること~

エンディングノートに出てくる家系図のページは、相続に関係するところ。
だけど家系図はそんなことだけでなく、全く別な意味合いもあります。
それは、自分のルーツを探っていくということ。

家系図の専門家さんにお話を聞きました。
家系図は、親の人生、自分の人生に想いを馳せ、生きていることそのものを肯定できる。
人にはみんな物語がある
・・・そんなことを、強く感じさせてくれる時間になりました。


いざ!家系図を作りはじめる

毎月開催しているエンディングノート講座の10月は家系図がテーマ。
去年、相続がテーマだった回で、簡単な家系図を作成したことがあるが、
今回は少し趣が違う。
その場で自分の名前、自分の兄弟姉妹の名前、親の名前、祖父母の名前をフセンに書いて並べるところから始まった。

そこに書かれた人たちは、それぞれどこに住んでいたのか。
その人たちはそれぞれどんな仕事をし、どんな趣味を持っていたのか。
どんな体型で、例えばどんな髪質だったのか。
どんな性格で、どんなエピソードを知っているか。
どんな病歴があり、享年何歳で、死因は何だったのか。

そういうことを記憶を頼りに書いていく。
俯瞰してみると、そこに出てくる人の共通項が浮かび上がってきたり、
自分との類似性が見えてきたりする。
自分が今あるのはどんな人がいたからなのか・・・

家系図から広がる世界

家系図を作り始めることは、自分のことを知る作業でもあるのだ。
しかも、祖先を知ることで、自分とのつながりを確認し、その人の類似性、共通項から遺伝子を実感する。
連綿と流れる血、DNAを感じるのだ。

お話をしてくれた家系図の専門家さん、ファミリーヒストリー社代表の吉田富美子さんによれば、家系図にはたくさんの楽しみ方があると言う。
歴史上の人物と間接的につながっていたり、史実との関連を知ったり・・・。
戦死などは、まさに社会の動きに関わっていた証拠だ。

たくさんの楽しみ方が紹介されたが、
個人的には教育の場面での活用に興味を抱いた。
つまり、子どもが家族を知るという観点から、家系図を作るということ。
核家族化が進み、家族のつながりが希薄になってきたと言われる今の時代だからこそ、教育的観点から家系図を取り入れるのは面白いだろうと思った。
親子で家系図を作るワークショップも面白そうだ。

事実からしっかり作るなら戸籍

記憶から家系図を作るのではなく、事実から作るとしたら戸籍謄本だ。
親の前の祖父母、祖父母のその前の代、さらにその前の代・・・とどんどん上っていくと、家系図づくりのベースとなる素がわかってくる。
代変わりで地域が変わると、戸籍の取得もあちこちの自治体を追いかけていくことになる。

現在閲覧可能な戸籍でもっとも古いのは明治19年式なのだそうで、
それは80年保存。
2010年の戸籍法改正で150年保存に変更になったそうで、
2036年までに取得しておかないと、昔の戸籍は廃棄されてしまうかもしれないのだという。
古い戸籍は、地域によっては死んだ理由や死んだ場所が記載されているものもあるのだそうだ。

追いかけていけば江戸時代以前までさかのぼることもできるというから、
ロマンが広がる。

名字(苗字)と、家紋と、長く住んでいた場所

今回の講座に参加するにあたっては、
祖父母の名字(苗字)と、家紋と、長く住んでいた場所、を
あらかじめ確認してくることが宿題だった。
講座の中では、長く住んでいる地域から、参加者それぞれの名字(苗字)のルーツを探った資料が個別に配られ、講師から、参加者の地域の名字(苗字)の広がり具合、そこからどんなことが考察できるかについて紹介された。
さらに家紋との組み合わせで、それがどんどん絞り込まれていくのだと言う。

家系図で深まる家族の結び

今回の宿題のために、92歳の祖母としっかり話をしてきた参加者がいた。
今までに聞いたことがないような初めて知る話がいっぱいあったと言う。
聞けば、誰もが知る歴史上の人物の末裔らしい。
中でも驚いたのは、現存されている過去帳をその祖母が保管していたのだが、娘ばかりで家系が途絶えてしまうため、そろそろ焼こうと思っていたということ。
今回、講座の宿題のために話をしたことで、彼女に過去帳が引き継がれることになったのだと言う。

家系図は形だけど、その裏には物語がある。
実はその物語こそがきっと大事にしたいことであり、それによって子や孫に伝えていくべきこととは何かを考えることができるのではないか、と改めて感じる時間になった。







体験参加も受付中です。
 11月12日(木)18:30~


   自分と向き合うことはなかなか難しいもの。
   講師にお招きする今井さんは、お墓参りがその大きなきっかけになると言います。
   11月は、お墓をきっかけに、自分と向き合うことを考えます。


   会員制の継続講座ですが、初回は体験参加できます。
   体験参加費用;3,000円(消費税別)
   お申し込み、お問い合わせはこちらまで。