これだけ知って、私が思ったのは、
なぜ伝道師になると愛を語れないのかしら?ということでした。
私にとって、ザビエルと言えば「伝道師」なので。
だけどASKAが言うザビエルは見た目のことだったのです。
フランシスコ・ザビエルと言えば
フランシスコ・ザビエルと言えば、キリスト教伝道師。歴史をほとんど知らない私でも、
歴史の教科書にザビエルのイラスト(肖像画?)が出ていたのは知っています。
最近はその肖像画が誤りだという話もあるようで、
今の教科書には載っていないらしいですが、
私たちの世代で、その風貌を知らな人はあまりいないと思います。
ASKAの言うザビエルとは、その風貌だったのです。
つまりは、髪の毛が薄い人、それも頭のてっぺんが薄い人のことでした。
ザビエルはなぜ愛を語れないの?
ASKAの嘆きはさも当然のようで、そこに理由なんてありませんでした。
でも私には、それがどうにも不思議な感じがしました。
誰なら愛を語れて、誰なら愛を語れないのか。
・・・そんなこと、きっと誰も思っちゃいないつもりなんだけど、
ふと自分がそうなると、これじゃダメだと思う。
それはきっと自分では気づかなかったけど、
実は○○だと愛は語れないと思いこんでいた自分が確実にいたから。
ASKAの場合も、きっと無意識にそう思っていたのでしょうね。
だから、自分が覚せい剤か治療の影響で髪の毛が抜けたことで、
そんなことを嘆いたんだと思います。
それより嘆くこと、他にいっぱいあるでしょう?とツッコミたいくらい、
私から見ればどうでもいいようなことだけど、ね。
でもASKAは、自分が髪が薄くなることはあり得なかったのでしょう。
私の○○はなに?あなたの○○は?
「○○だと愛は語れない」はほんの一例ではあるけれど、でもそんな○○は、きっと人によっていろいろあると思うのです。
それが髪の毛ではなく顔の中身だったり、体型だったり、匂いだったり、声だったり・・・
それは人の好みの場合もあるでしょうが、
もし自分が○○になった時、と思うのは、
自分が大事にしていることの裏返しなのかもしれません。
「私が○○になったら、愛を語れない」と思うことはいったい何だろう?
そんなことをふと考えてしまいました。