2016年8月9日

「ザビエルになって愛を語れない」・・・なぜ?!できないと思うのにはわけがある

覚せい剤取締法違反で14年に懲役3年(執行猶予4年)の判決を受けたASKAは、フランシスコ・ザビエルになったから、愛を語れないと嘆いているのだそうです。



これだけ知って、私が思ったのは、
なぜ伝道師になると愛を語れないのかしら?ということでした。
私にとって、ザビエルと言えば「伝道師」なので。
 
だけどASKAが言うザビエルは見た目のことだったのです。

フランシスコ・ザビエルと言えば

フランシスコ・ザビエルと言えば、キリスト教伝道師。
歴史をほとんど知らない私でも、
歴史の教科書にザビエルのイラスト(肖像画?)が出ていたのは知っています。
最近はその肖像画が誤りだという話もあるようで、
今の教科書には載っていないらしいですが、
私たちの世代で、その風貌を知らな人はあまりいないと思います。

ASKAの言うザビエルとは、その風貌だったのです。
つまりは、髪の毛が薄い人、それも頭のてっぺんが薄い人のことでした。

ザビエルはなぜ愛を語れないの?


ASKAの嘆きはさも当然のようで、そこに理由なんてありませんでした。
でも私には、それがどうにも不思議な感じがしました。

誰なら愛を語れて、誰なら愛を語れないのか。
・・・そんなこと、きっと誰も思っちゃいないつもりなんだけど、
ふと自分がそうなると、これじゃダメだと思う。

それはきっと自分では気づかなかったけど、
実は○○だと愛は語れないと思いこんでいた自分が確実にいたから。

ASKAの場合も、きっと無意識にそう思っていたのでしょうね。
だから、自分が覚せい剤か治療の影響で髪の毛が抜けたことで、
そんなことを嘆いたんだと思います。

それより嘆くこと、他にいっぱいあるでしょう?とツッコミたいくらい、
私から見ればどうでもいいようなことだけど、ね。

でもASKAは、自分が髪が薄くなることはあり得なかったのでしょう。

私の○○はなに?あなたの○○は?

「○○だと愛は語れない」はほんの一例ではあるけれど、
でもそんな○○は、きっと人によっていろいろあると思うのです。
それが髪の毛ではなく顔の中身だったり、体型だったり、匂いだったり、声だったり・・・
それは人の好みの場合もあるでしょうが、
もし自分が○○になった時、と思うのは、
自分が大事にしていることの裏返しなのかもしれません。

「私が○○になったら、愛を語れない」と思うことはいったい何だろう?
そんなことをふと考えてしまいました。


2016年8月7日

「女性にとってのロールモデル」・・・必要なのかな?!

「会社を辞めたのはロールモデルがいなかったからかも・・・」
私がそう言ったら、同世代の男性が言いました。

「ロールモデルがいない~それ、女性はよく言うよね?!
そんなにロールモデルって必要なのかなあ?!」

うーん、
たしかに必要ではないのかもしれません。
だけど、私の世代の場合、目指す形であるかどうかは別にしても、
そもそも先輩(女性)が極端に少なかったんです。
なぜなら、私の場合、社内では27歳の時からずっと最年長の女性社員だったので。
それは、その会社を辞めるまで20年以上も続きました。

目指す相手はもちろんのこと、比較対象もいなかったから、
私の前に道はない・・・・

今から考えると、常に「ロールモデルがいない」
不安と不満を抱えていたような気がします。


女性活躍推進の課題はロールモデル


そんな風に思っていたのは私だけかと思ったら、
そんなことはありませんでした。

全産能連の調査によれば、
女性活躍推進に向けての職場の課題は、
「ロールモデルの不在、または不足」がトップ。
漠然と感じていた私の不安は、当時から意外にみんなも感じていたのかもしれません。



http://www.jad.or.jp/knowledge/tabid/225/Default.aspx



男性の場合、もともと先輩がたくさんいるでしょう?
中には自分のロールモデルに近い人がいるかもしれない。

たとえロールモデルなんかいなくても、
複数の人のいいとこ取りで自分の目指す形をイメージできたり、
「ああいう風にはなりたくない」と逆イメージできたり、
することはないでしょうか。

あるものを肯定したり否定したりすることと、
何もないところから考えることとは、
雲泥の差。

女性が「ロールモデルがいない」としばしば言うのは、
たぶんそういうことではないかと思います。

もちろん、何もなくても自ら一生懸命考えられる人、
悩まずに走れる人もいるでしょうが、
誰もがそうはいきません。

私の場合、当時はロールモデルがいないから不安だったということにすら、
気づいていませんでした。
10年以上経って初めて、
私の不安とは、結局はそういうことだったのかと思うに至ったのです。

東洋経済の記事には「ロールモデルは不要、百害あって一利なし
とあったけれど、私は必ずしもそうは思いません。

目指す形をイメージしやすいかどうかは、実はとっても重要なこと。
ロールモデルって、自分が目指す形をイメージするための
お助けになるのはずですから。


これからのロールモデルは?

50歳を目前にして私は会社を辞めましたが、
その後は、流れに身を任せてみたり、自発的に仕掛けてみたり。
会社員の時以上に試行錯誤しているように思います。

では、今の私にロールモデルがあるか?と言うと
あるような、ないような、・・・・

生きていれば先輩諸姉はたくさんいるから、参考にできることも無限大。
年齢を重ねていけば、必ずしもロールモデルは年上とは限らないかもしれない。

その結果、今の私は具体的なモデルは持たないけれど、
多くの先輩諸姉の生き方を見つつ、自分より若い人の生き方も参考に、
自分自身と相談することが多くなりました。

ロールモデルがあることはきっと力になるでしょう。
だけど、ロールモデルがないことは、必ずしも問題ではない。

今の私はそう思っています。