2016年7月29日

欧米から見て、仏壇の遺影に語りかける日本人の姿はヘンな人?!

遺影というのは、日本独特のものだとご存知でしょうか?


海外の場合はポートレート。
生きている時にこそ飾られるもので、
亡くなってから飾る、ということがないから遺影がないのですね。


この遺影との向き合い方は、日本人の死生観と大きく関わっているようです。



ご先祖さま、という概念


私たち日本人には、「ご先祖様」という概念があります。
無意識にも、亡くなった人が見守ってくれる、
亡くなった人に見られている、と思っている節があります。

そういう概念があるから、
故人に力を貸してください」と祈ったり、
故人に対して恥ずかしくないかと自分を戒めたり、
故人に叱られる、故人が褒めてくれる、
と思ったり・・・。

ほら、遺影に向かって話しかける人、あなたの周りにもいませんか。
もしかしたら、あなた自身も無意識に話しかけているかもしれませんね。

甲子園やオリンピックなどでも遺影を抱える姿もよく見かけます。
それは、大事な場面を故人に見せたい、
故人に対して、見ててね、力を貸してね、という
気持ちの表れでしょう。

もちろん人によって、宗教観によって、その違いはあるとは思いますが、
それでも日本人のこのような遺影に接する様子を見て、私たちはあまり違和感を感じないと思います。



この人、ダイジョウブ?


けれども欧米の人から見ると、
仏壇の遺影に語りかける日本人の姿は、ヘンな人にしか見えないようです。
この人、大丈夫かしら?と疑われかねない光景なのだそうです。

文化人類学と
「ターミナルケア(終末期医療)」「みとり」をキーワードとした
医療・福祉の文化的背景が研究テーマの郷堀ヨゼフさんは、
1979年、チェコスロバキア(現チェコ)生まれの
上越教育大非常勤講師で淑徳大(千葉市)准教授。

このたび日本人の死生観などに関する考察をまとめた著書
「生者と死者を結ぶネットワーク〜日本的死生観に基づく生き方に関する考察〜」
が出版されたそうですが、そのニュースによれば、

来日後に見た仏壇の遺影に語りかける日本人の姿を見て、
欧米では精神疾患すら疑われかねない光景に驚き、
これが研究の出発点になった

そうです。



この死んだ人と生きた人とのつながりというのが日本独特のもののようで、
これはその日本人らしい生き方というのに考察を加えた本だそうです。

私たち日本人にとっては普通の死者との会話、故人との対話で、
たしかに私たちは慰められたり、チカラをもらったり、します。

そこで自分が一人ではないことを再確認します。
でもそれは、自分自身と向き合うきっかけを得ることもあり、
実は自分との対話でもあるのです。

大事なことを故人に報告します、よね。
私の父はお墓詣りに行くと、
お墓に向かって大きな声で延々と家族の近況を報告していました。


今の時代、死者との対話の機会は激減


今、都会に暮らす私の家には仏壇がありません。
供養に関わるものもありません。
でも実家にはあるので、ときどき実家に帰ったときに仏壇に手を合わせ、
そこで故人を思う程度。
死者との対話の機会など、ほとんどありません。

郷堀さんは
新潟県糸魚川市能生地域で研究テーマのフィールド調査を実施したそうです。

地域には亡くなった人を含め、脈々と続く人々のさまざまなつながりがあり、
「決して1人ではなく、何かがあれば、手を差し伸べてくれる」関係性があった。
一方で、田舎の煩わしい人間関係を嫌い、都会に出て行った若者が孤立すると、
地域や死者との「縁」が断ち切られるという。

人との「縁」は故人とのつながりだけじゃない、ということです。

私たちは、日本人にとって日常だったはずの脈々と続くさまざまなつながり、縁
というものを、今、忘れつつある

外国人の目が警鐘を鳴らしている、とも言えます。


遺影があれば亡くなった人と対話できる

だけど、遺影だったらどうでしょうか。
仏壇がなくても、供養をしていなくても、
遺影という故人の写真を見るときには、私はふっと故人を思うことができます。
心の中で声をかけることもあります。

それは、実は自分自身に語っていることなのかもしれません。
報告しながらも

がんばれ!
よしよし!

と。

現代人は、この日本独特の「遺影」に対して、
もう少し注目してもよいのではないでしょうか。
人と人とのつながりを大事にする、手を差し伸べる、助けを乞える社会のためにも。

いい遺影を遺そうとすることは、やさしい社会のためにもなるのかもしれません。


2016年7月26日

百歳超えの人と若い人、大事なポイントって結局のところ変わらない

雑誌「百歳万歳」編集に35年たずさわり続け、シニア周りに関わったきたのが40年という植松さんは現在68歳。
偶々縁あって、今春その植松さんのお話を聞く機会がありました。


精神力が80%、自分が決めたことはやる

長年シニア周りに関わってきた植松さん。
もはや取材した相手は数え切れないでしょうが、
その中から超長寿者(100歳以上)の調査をしている慶應義塾大学医学部の広瀬信義先生のお話を紹介してくれました。
それが、
「精神力が80%、ポイントは自分が決めたことはやる」

こんなにも医学が発達し、厳しい病気もどんどん治せるようになりつつある時代であるにもかかわらず、精神力80%と内科の医学博士がおっしゃると言うのです。

なるほど。

結局、大切なのは
精神力を鍛えること、
自立(※)した生き方をすること、
ってことか。

けれども高齢になったからと言って、
さあ!精神力を鍛えよう!とか、
自分で決めたことをやろう!とか思ってみても、
そうそうできることではないでしょうね。

広瀬先生のおっしゃるお話は、
高齢者のみならず、どんな世代であったとしても
結局は同じこと。

シニアの心得とは、すなわち若者の心得でもありました(^^;;
それは人としての心得そのものでもあるわけで、
もはや生き方なんだなあと考えさせられます。


超長寿の10箇条

さて、その植松さんが教えてくれた超長寿の10箇条はこちら。

①新しいことが好き
②依存性が少ない
③几帳面
④外向性、活動的
⑤若い頃に一緒懸命働いている
⑥幸せ感が高い
⑦ストレスをためない
⑧周りとのコミュニケーションが上手
⑨親切 
   ※「憎まれっ子世にはばかる」はうそだった。
⑩ユーモアがある

超長寿を目指すかどうかはともかくとしても、
この10箇条を見ると、
やっぱり高齢者特有のものとは考えにくいことばかり。
年齢固有のことではないのですね。

もちろん人によって性格もいろいろ。
個性はさまざまなので、
こうでなきゃいけない、なんてことはないはずですが、
オトナになったら○○しよう、○○な人になろう、
仕事をリタイアしたら○○しよう、○○な人になろう、
ということは、実は机上の空論なのかもしれません。

今を大事にすること
・・・今できることは今のうちに。

今の蓄積が未来であることは間違いないのですから。



※自立
人に依存することなく自らの意志を持ち、しかも自分以外の人のことを慮る、と言う意味で私は使っています。
必ずしも経済的自立を指しているのではありません。


2016年7月13日

永六輔さん、逝く 「死ぬって言うからおかしくなる、先に行くっていうだけなんだから」

7月7日、七夕さまの日に永六輔さんがこの世を旅立ちました。
最後の仕事は2月.ということですので、結構最近まで仕事をしていたのですね。

有名人の訃報が出ると、それまでの功績がニュースで語られます。
そのおかげで、私にとっては知らなかったその人について初めて知ることが出てきたり、改めて思い出すことがあったり。
さらにそれで自分自身をふり返るきっかけになることもあります。

永六輔さんが作詞家をしていたことは知っていたけれど、その活動は私の世代から見るとひとつ前の時代。
私の時代には、作詞家と言うよりはマルチな才能を持って活躍する人の印象が強く、逆に何屋さんだかよくわからない人でもありました。

報道では、黒柳徹子さん、瀬戸内寂聴さん、加藤登紀子さん、倉本聡さん、落合恵子さん・・・
そうそうたる方々が永六輔さんの死を悼み、コメントを寄せられ、その功績と人望に、改めて気づかされます。

今回の報道で、
永さんが語った「死に方はいき方だ。」という言葉を紹介していました。
それは、永六輔さん著「大往生」で書かれている言葉でした。




大ベストセラーにもなった永六輔さん著「大往生」で語られたのが、
死ぬって言うからおかしくなる、先に行くっていうだけなんだから
ということでした。

永さんがそれを語ったのは、平成6年。
今から20年以上も前のことでした。
当時私はまだ、人生のこと、命のこと、死についてなど
考えたこともありませんでした。
命には限りがあると気づかなかったのだと思います。

それを語った永さんの年齢に、今の私は近づきつつあります。
そのせいか、今の私には「死に方は生き方だ」というのが
しっかり腹落ちする言葉になりました。
他にもそのように語る人は少なくありません。

エンディングノートに注目してきた私自身も、
今いろいろな場で同じようなことを言っています。

人は生きるように逝く、

逝くことは生きることそのものだ、

・・・と。

でも、平成6年当時の私は、そんなことを全く知らなかったのです。
その時にならなければわからない、時期が来ないと理解できない、
というのは、こういうことなのでしょう。

作家の柳美里さんは、訃報を知ったときに
ちょうど飾られていた永六輔さんの言葉を見ていたそうで、
twtterでその写真を公開していました。
その永さんの言葉は、今の私にはさらに心に沁みる言葉でした。


明日死んでもいいように
百まで生きてもいいように
考え考え生きて行こう
行きたいところに行っておこう
会いたい人に会っておこう
食べたいものを食べておこう
百まで生きてもいいように
少しは恋をして見よう
       永六輔の句より

偶然のようですが、
一昨日、私の伯父が亡くなりました。
昨日、友人がこの世を旅立ちました。

明日死んでもいいように、
百まで生きてもいいように・・・

私は今、その思いをさらに強くしています。




2年半続けてきたエンディングノート講座ですが、
今月の開催を最後に、一旦お休みすることを決めました。

そのテーマは、

これからの生き方を考えるワークショップ
「私の人生をふりかえる」~命が終わろうとする時~

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7月のエンディングノート講座

◇日 時 2016年7月14日(木) 18:30~20:30

◇場 所 麻布十番サロン

◇テーマ これからの生き方を考えるワークショップ
       「私の人生をふりかえる」~命が終わろうとする時~

◇ 宿題(ご参加にあたって考えてきていただくこと)
      自分の人生に大きく影響を与えた人物5人を書きだしてくる。
       よくも悪くも自分の人生に大きく影響を与えた人物
       (生きている人、死んでいる人、偉人、アイドルなんでも可)

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直前ですが、キャンセルが出たので
体験参加したい方など、あと1受け付けています。