2015年12月12日

50代がこれからの人生を考える上でのお金の問題

私たち今の50代は、バブルを経験してきた世代。

贅沢している気分はなくても、そのときの経験がちょっとだけしみついていて、
バブルを経験していない世代や
その前の貧しい貧しい時代を経験してきた世代から見ると、
どうも経済観念が違うように見えるらしいです。

あまりそういう自覚はないのですが、
老後貧乏、老後破産、老後不安・・・そんな言葉を聞くと、
ひそかにドキッとしてしまい、
子どもの頃に読んだ童話「アリとキリギリス」が浮かびます。
私、キリギリスかしら・・・?!という思いが頭をよぎり、漠然とした不安に襲われるのです。


お金の問題を考えたくない、考えると不安になる

私がエンディングノートを使って自分の人生を考えていく講座を始めたのは
昨年の春。
毎月1回づつ開催しており、21回になる今月
私が最も苦手とするお金のことをテーマにした。

相続を考えるためにエンディングノートを使う人がいるくらい、
エンディングノートというと必ず出てくるのがお金の話。
相続を考えるためにエンディングノート講座をやっている先生も
いらっしゃるくらいだ。
私自身は、お金の話をするためにエンディングノートを使うのは好まないけれど、
お金の問題を避けて生きていくことはできない。

これからのお金の問題を考えていこうとすると、
必ずライフプランの視点が出てくる。
だけど、ライフプランを考えると、
 貯金しなきゃ
 そんなに貯金できない、
 無理だ、将来足りなくなりそう・・・・・
そんな思いが押し寄せて、考えて安心するはずが、
なんだか不安になっていってしまうのだ。
だから、少し違う視点でお金を取り上げたかったのだ。

そこで、今回お願いした専門家の先生は大江英樹さん
「老後貧乏は避けられる」の著者であり、
日経電子版の「定年楽園への扉」は人気コラムでファンも多い。

お金の問題は、生き方とリンクしている

現在、著述業や講演で活躍する大江さんは、
大手証券会社定年退職後に
リタイアしたサラリーマンが自由に生きるための支援をしたい
という思いで起業されたと言う。
そのお考えに、私も大いに賛同する。

さて、大江さんによれば、
老後に考えられる不安というのは三つの不安から構成されているという。
その三つが老後不安の正体でもあるのだが、
その一つがお金の問題だと大江さんは提示された。



大江さんご自身がかつて大手証券マンであり、
そのサラリーマンを終了・卒業した立場から、
講座では、現実にお金をどうコントロールし、実践しているのかをお話くださった。

どうやら、私たちはメディアに乗せられている部分が大きかったかも?!
実態をわからないままに不安感を煽られていただけだったのかも?!
・・・そんなことを気づかせていただきました。

印象的だったのは、お金の問題は生き方とリンクしているということ。
お金の問題だけを考えるから不安になるのだ。
どう生きたいかを考えることで、お金をどうコントロールするかにつながっていく。
その話は、リタイア前の今だからこそ考えるべきこと、考えたほうがいいことが山盛りだ。

その具体的方法については、大江さんの著書に委ねたいと思う。




自分の将来、生き方を考えると言ってもいったい何を考える?
そういうときに、エンディングノートに出てくる項目はガイドになる。
項目を一つづつ考えていくことが自分のこれからを考える上で役に立つ。
何となく不安なときに、何が不安か、どこが不安なのかを自分でみつけることができる。
そう思ってエンディングノートを使って生き方を考えていく講座を続けているけれど、
お金の問題もしかり。
お金と生き方が密接なのは間違いない。



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トラベシアのエンディングノート講座 毎月開催中
~エンディングノートを使って、これからの生き方を考える~ 

 ◎ 1月の開催 ◎

 1月13日(水)18:30~20:30
          麻布十番にて。

【 テーマ 】
  家族信託
  ~今だけでなく、これからもずっと円満家族でいるための契約になるか?!~

家族とどんな関係でいたいのか。
そのためにこれからどうつきあうのがいいのか。
親と。兄弟姉妹と。ほかの人たちと。

相続税改正で相続問題が注目されてきましたが、
金融保険業界の商売にならない「家族信託」については、
あまり語られることはありません。
でも、家族のことを今一度考えるきっかけになりそうです。
「家族信託」のパイオニアを目指す先生にお話を聞くことにしました。

会員制の継続講座ですが、初回は体験参加できます。 
体験参加費;3,000円(消費税別)
お申し込み、お問い合わせはこちらまで。
    

2015年12月8日

阿藤快さんの訃報で気づく、何かあった時に誰にも気づかれないかもしれない「一 人暮らし」について

個性派俳優でグルメリポーターとしてもご活躍だった阿藤快さん。
11月15日にご自宅で亡くなっていたのをご親族と事務所関係者が見つけたとの報道がありました。
享年 69歳。
あまりにも早い、突然の訃報でした。
お一人で暮らしていたのですね。





http://bonito-llc.com/

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/11/21/kiji/K20151121011545290.html

いつ人生が終わるかなんて、本人もわからない

阿藤さんはほんの数日前までお元気だったという。
急死だった。
布団の中で眠るように亡くなっていたのが見つかったのは15日午後。
「安らかな静かなお顔をして、眠った(ような)お顔をしていた」という。
14日はお誕生日で、10日〜14日はお休みで、連絡がとれなかった15日に親族と事務所関係者が見つけたのだ。
阿藤さんご本人は、14日の夜の時点では、翌日人生が終わるなど夢にも思わずに眠りについたのではないだろうか。

1人だと誰にも気づかれない

一般の人の場合、1人で暮らしていたら、本人が予想しないまま突然人生が終わっても、きっと誰にも気づかれない。
そのまま数日が経過する可能性が高いことは十分想像できる。
ましてや一人世帯が一番多いのが今の時代だ。

一般的だと言われる四人家族なんて、今や決して多くはない。
孤独死とか孤立死とか言われるけれど、一人暮らしの人が多くなったのだから、そんなことは当たり前な話なのだ。

阿藤さんの場合はご家族はいらしたけれど、お一人で暮らしていたらしい。
だけどご自宅にしばしば訪れるであろう事務所関係の人がいたから、亡くなったその日に発見された。

けれど、一般的にはどうだろう。
こちらから声をかけなくても家に訪ねに来るような人というのはどれくらいいるものなんだろう。

ちなみに我が家の場合は、かつては来客の多い家だった。
毎週末誰かが来ていた。泊まっていく人も多かった。
最近は来客が少なくなったが、かつて多かったときでもそれはこちらから声をかけるからいろいろな人が訪ねてくるのであって、全く声をかけなくても勝手に訪ねて来る人などほとんどいない。
1人で暮らしているわけではないので、もしも何かあったらきっと家族が気づくだろうけど、もしも一人だったらば・・・?
会社員の夫の場合は無断欠勤が続くことになるわけだから、会社の誰かが様子を見に来るかもしれない。
だけど会社勤めをしていない私の場合は、家にまで訪ねて来る人は、なかなか思い浮かばない。
比較的マメに連絡を取り合っている姉妹ですら、1〜2週間くらい音信不通のことはよくあることだ。
そう考えると、たぶん誰にもなかなか気づかれないだろう。


もはや対策なんてあるのか

子どもはやがて独立する。
連れ合いがいてもずっと元気とは限らない。
誰だって一人暮らしになる可能性がある。
しかも家族の形態は昔と比べて多種多様になり、ますます一人暮らしは増えている。

昔だったら家族が多いし、近所づきあいも濃かったから、何かあれば誰かに見つけてもらいやすかった。
裏を返せば見つかってしまいやすい、隠したくてもバレてしまうとも言える。
面倒くささやうっとおしさを避けると、何かあったときに誰にも気づかれないことにつながる。
阿藤さんの訃報ニュースをきっかけに、しっかりした組織への所属や強いつながりがない場合は、さらに気づかれにくいことを改めて再確認した。


私の家の近所では、一人暮らしの高齢者に対しては、ボランティアが運営するサロン(おしゃべり会)に参加するよう声がかかる。
誰もが参加するわけではないし、参加する場合も、声をかけてから実際に参加するようになるまでは長い時間がかかる。
たとえ参加しなくても、そのボランティアは何回も定期的に訪ねるようにしている。
それは80歳以上が対象で、それを進めるボランティアの平均年齢も、たぶん70歳くらいだった。
ときどきその場に顔を出してみると、私は最年少で、しかも
極端に若い存在だ。
私以外に次を担いそうな世代はいない。
このボランティアグループは、果たしてこのまま続いていけるのだろうか。

つながりは意識しないと

血縁〜家族や親戚との密着度が薄くなってきた今、つながりは意識して作っていこうという流れがある。
お墓をきっかけに親しくなる墓友は、そういう流れの一つではある。
わからなくはないけど、私にとってはあまり現実的ではない。

知り合いの女性は、夫が海外で単身赴任なので自分は日本で一人暮らしをしている。
彼女は、もし自分に何かあったとしても誰にも気づかれないだろうと思うと不安になると言う。
彼女はいろいろな活動をしているけれど、会社勤めをしているわけではない。

その話を聞いた周りの人たちは、音信不通に気づくきっかけとして、SNSを上げていた。
もしもFacebookの投稿が途切れたら、不信に思うからお互いに訪ね合うっていうのは?と。

私にとっては、墓友よりもはるかに現実的だと思った。
高齢者にはなかなか難しいかもしれないけど、SNSやネットを使いこなす50代以下であれば、お互いに気にして、お互いに訪ね合うという形はそんなにハードルが高くない。

ゆるい関係の友達だったらたくさんいる、という人は多いだろう。
でももう少し踏み込んだつながり。
ちょっとうっとおしいくらいのつながり。
そういうものがないと、何かあった時に家まで見に来てくれるような関係など、そうそうできるものではなさそうだ。
そういうつながりは、たぶん意識しないと作れそうにない。
仕事でも、家族でも、趣味でも。

そういう中で、今後はSNSが大事なつながりの役割を果たしていくようになるのかもしれない。


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エンディングノートを使って、これからの生き方を考えていく講座を毎月開催中 

 ◎ 1月の開催 ◎

 1月13日(水)18:30~20:30
          麻布十番にて。

【 テーマ 】
  家族信託
  ~だけでなく、これからもずっと円満家族でいるための契約になるか?!~

  エンディングノートには必ず出てくる相続関係のページ。

  その対策と言えば「遺言」が普通なのですが、そうではなくて
  あまり知られていない「家族信託」を取り上げます。
  なぜなら、人によって家族との関係はさまざまではあるけれど、
  生きていくうえで家族との関係は無視できないから。
  そして、「家族信託」を知ることは家族との関係性を考えるきっかけになるから。
 
  金融機関も保険会社も商売につながりにくいのであまり普及せず
  なかなか注目されませんが、

  もしかしたら「家族信託」は円満家族の証になるのでは?

    これからも円満でいるための証明書にもなるのでは?
  もしかしたら「最後に頼りになるのはお金」と「円満家族」が両立するのでは?

  という思いがあって、「家族信託」のパイオニアを目指す先生にお話を聞くことにしました。


会員制の継続講座ですが、初回は体験参加できます。 
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2015年11月20日

それでも、やっぱり、見た目が勝負? 否定したいけど侮れない。

見た目になんか左右されない。
本質をちゃんと見たい。
日頃からそう心がけているつもりでした。
それなのに、私は結構見た目で決めつけているところがあると発見し、反省したのでした。

セミナーに出かけて

女性の働き方・生かし方にフォーカスしたセミナーに行ったら、受付も、会場誘導も、会場のスタッフは女性ばかりだ。
始まるまでにはまだ多少時間があり、席に座っていた私は、メールチェックをしながら待っていた。
正面ではジーンズにセーターというラフな服装の女性が、セミナーで使用するパソコンをチェックしていた。

このセミナーを主催したのは、企業向け研修が主流の企業で、
今回の受講者は、主に人事・労務やダイバーシティー関係の担当者のようだった。

女性スタッフはみな黒っぽいスーツ姿。
セミナー参加者もジャケット姿が多かった。

日常的にあまりスーツを着ない私は、その日もふだん通り、カジュアルなカットソーのジャケットを羽織る程度で出かけた。

セミナーは、二人の講演の後、主催者のコーディネートのもとで参加者からの質問や講師二人を交えたパネルディスカッションという構成。
講師二人はもちろんのこと、コーディネーターの方も私が注目する人だったので、その日を楽しみにしていた。

開始時間になり、後半でコーディネーターを務める方の進行で、講師が紹介された。
そこで登場したのは、先ほどパソコンをチェックしていたジーンズにセーターというラフな服装の女性だったのだ。  

え?!
お手伝いの方かと思ってたら。。。

それがその時の私の正直な気持ちだった。
お顔をよく見れば、たしかにご本人だった。

見た目の印象と本質

いざセミナーが始まったら、その講師の話はとてもいい内容で、
私はグイグイと引き込まれた。

語り口調が力強いこともあるけれど、内容が深くて濃厚。
講師の人柄、信念も感じられ、感動的な内容だった。

それなのに、私は・・・。

私は、見た目の印象で人を判断するような人が好きになれない。
今までもそう公言してきたし、
見た目の印象で人を判断する人間にはなりたくないと、心から思ってきた。
そういう私が、ラフな服装という見た目の印象で、そう思ったのだから、
自分で自分にびっくりしてしまった。


視覚的な影響

コミュニケーションの3要素として、心理学者が「言語内容」のほかに「聴覚」「視覚」を挙げている中で「視覚」の占める割合が半分以上と言っている。
初めてそれを知った時、まさか!と思ったけれど、
現に自分がこうして思い込んでいたのである。

今回は、そんな自分にちょっとうんざりし、改めて本質を見ていかねばと思う機会になった。
裏返して言えば、それだけ視覚情報、見た目の影響が大きいとも言える。

人がコミュニケーションをとろうとするとき、
それがセミナーのような「1」対「大勢」のコミュニケーションに限らず、
1対1のコミュニケーションであろうが、「大勢」対「大勢」のコミュニケーションであろうが、
きっと視覚情報はとても大きい。

要は見た目か・・・

つまりは、見た目ってことだ。
コミュニケーションを受け取る時は、そうしないように気をつけるけれど、
コミュニケーションを送る側の時は、要は見た目なのだと思った方がいい。
表情、服装、髪型、メイク、持ちもの、色合い・・・
立ち方、歩き方、動き方・・・
使えるものは使った方がいい。

実際、私自身も思いもしないイメージでとらえられることが少なくない。
そこには、きっと見た目の影響が少なくない。
見た目なんかで勝負したくはないけれど、されど見た目。
侮れない。

とは言うものの、
やっぱり私は見た目の印象で人は判断する、という人にはなりたくない。
見た目の印象で人は判断する、という「常識」は忘れずに、
人とも社会とも関わっていきたい。
もちろん、そんなものを覆すくらいの本質が磨かれるのが一番なのだろうけど。



体験参加も受付中です。
 12月9日(水)18:30~

 【テーマ】
  老後貧乏は避けられる

   
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2015年11月16日

見ていてくれることと、覗かれていることの違い

私のことを見ていてくれる、大事にされていると感じられるのは
とても嬉しいことです。
だけど、覗かれている、監視されていると感じることはとてもイヤなもの。
不快だったり、不気味だったり、嫌悪感を感じます。
この違いってどこにあるのでしょうか?

Happy Birthday

年に一度のお誕生日。
仲間うちでのお祝いはもちろんのこと、最近はSNSを通じてのお祝いメッセージのシャワーなど、いろんな人からお祝いしてもらって、喜んでいる人はきっと多いに違いない。

ついこの前の私の誕生日に、パソコンをネットにつないだら出てきたのがこれ。


検索エンジン、Googleの画面だ。
Googleページだと認識していなければ、これをGoogleと読めるかどうかはわからないが(^^;; それはともかく、Googleは、「 G o o g l e 」の文字を季節に合わせて変えていく。

通常はこういう画面だけど、

思わぬデザインで出てくると楽しいし、見ていてワクワクすることもある。
例えば、バレンタイン、ハローウィンだけでなく、今日は何の日に合わせたり、ニュースに合わせたり楽しいものがいっぱいある。

そして、私の誕生日には、バースデーケーキが出てきたのだ。
びっくりした。

お誕生日おめでとうは販促の一環

そういえば先日の私の誕生日に合わせて、自宅には私へのお誕生日おめでとうメッセージのダイレクトメールがいっぱい来ている。

売上を上げるきっかけづくりとして誕生日はいいきっかけになると、神田昌典さんも著書の中でも書いていた。
そう言えば、ネット通販で買った商品のあちこちの会社からも、お誕生日おめでとうメールがいろいろ届いていた。

販売促進の手法として有効かもしれないのもわかる。

だけどGoogleに出てきたときに私が感じたのは、嬉しいだけではない何とも言えない違和感だった。

Googleは1個人ではなく、法人だから?
それもあるだろう。でもそれだけじゃない。

サプライズは、仕掛ける方も仕掛けられる方も私は大好きだ。
とは言うものの、仕掛けられる立場としては、
好きな人からのサプライズはとっても嬉しいものだけど、
あまり好きじゃない人からのサプライズは気持ち悪いものだ。

なんとなくGoogleに覗かれているような気持ち悪さだった。

実際は覗かれているのではなく、私がいつかきっと誕生日を入力したはずなのだ。
だけど、私はGoogleを検索エンジンとして意識していて、自分がGoogleに誕生日なんか教えた(入力した)気がしないのだ。

気持ち悪さの正体とは

Googleに感じた気持ち悪さ、覗かれている感じ・・・

私自身が自分の個人データを教えたかどうかも記憶がない中で、
そのデータをもとにメッセージが届く・・・。
私としては相手の存在すら忘れているような相手からも、メッセージが送られてくる・・・

先方は、自分が何気ない気持ちで記入した個人データを使って、
メッセージを送ってくるのだという当たり前なことを再確認したのだ。
データを分析し、商品を求めそうな人にアプローチするのは、
まあ向こうから見ればマーケティングの基本中の基本ではある。

ある程度予想している形なら、受け取るこちらは構えて見ることもできるけど、
もしかしたら予想もしないところで個人データをもとに私の気持ちを先回りされていくのではないかと思わせるような、そんな懸念を抱いてしまった。

「あなたのことならなんでも知ってますよ」
と言われそうな気分・・・
覗かれている、監視されている、操作されているような気持ち悪さ。

それは、私にとってはなんとなく納得できない気持ちの悪い感じがしたのである。

時事や季節に合わせて、「 G o o g l e 」がいろいろ変わるのは楽しみの一つではあったけれど、それが自分がテーマになるとちょっと気落ち悪いのである。

メッセージを送る側はどういう思いで送るのかということも大事はあるけれど
受け取る側がどう思うか、というところにも、送り手側は思いを馳せておきたい。
せっかくのメッセージが気持ち悪くなっては、台無しになってしまうのである。




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2015年11月9日

チャンスを逃すことだってある・・・判断力やスピード感が落ちている理由

高齢者の交通事故が増えていることが問題になっています。
実は事故を起こす人の年齢層で高齢者が多いのは
今に始まったことではありませんが、
被害が大きく深刻な事態になったことで注目度が高まったのでしょう。
認知症などの脳の病気がどうかは別にして、
判断力やスピード感が鈍っていくというのは加齢に伴う困ったことの一つ
なのかもしれませんが、どうやらそれだけではないようです。

オトナになってゆっくりゆっくり

走りながら考えていた私が、今では立ち止まって考えるようになった。
走る前に止まる。
止まってよく考える。

若い頃の私を知っている人は、信じられないと思うかもしれない。
オトナになって、さらに年を重ねていくうちに、多少ゆっくりになってきたようだ。

落ち着いてきた?
いやいや、それだけじゃない。
ゆっくり考えるという行為は、判断が遅いとも言える。
判断力が鈍り、処理能力が落ちてきている側面もあるのかもしれない

ゆっくり考えていてチャンスを逃した・・・

まあ、もとは何事も前のめりでそそっかしいタイプだったから、
少し立ち止まるくらいがちょうどいいと思うこともあるけれど、
判断が遅れたり、処理が遅かったりすることで、実際にチャンスを逃すことがある。

つい最近も、インフルエンザの予防接種を便利に受けられる機会があり、行きたいなあと思っていたら、終わってしまった。
wifiルーターを解約しようと思っていたら、思ってるうちに自動更新されてしまい、解約できなくなってしまった。
行きたいなあと思ったセミナーを、行こうかどうしようかよく考えているうちに満員になってしまった。

やろうやろうと思いながらそのままにしている・・・そういうことが増えてきた。

「ゆっくり考える」じゃない。
ただ鈍いだけ。
結果的にたくさんのチャンスを逃してる。
そのたびに、
「私、年とっちゃったのかなあ」と、落ち込んでしまうのである。

年とったせいだけじゃない

なぜチャンスを逃すのか。
なぜやろうやろうと思いながらそのままにしているのか。

年のせいにしていたけれど、たぶんそうじゃないと気づいた。
気持ちが守りになってるから。
止まっているから。
気持ちが前進していないからではないか。

自分の時には気づかなかったのだけど、
まわりの知り合いがじっくり悩みながら機会を逃していくのを横で見ていて、
ハッとしたのだ。
ここのところ、その人の気持ち(心)が落ちて、止まっていたから。

前に向かって進んでいるときは、たぶん考える時もスピードが速い。
ゆっくり考えているときと、スピーディに考えているときと、
実は考えている深さはあまり変わらないような気がする。

そう、止まっているときは判断が鈍る。
止まっているときはチャンスを逃す。

それを年齢のせいなんかにしちゃいけないのだ。



エンディングノートを使って、自分らしく生きることを考える講座
麻布十番にて開催

体験参加も受付中です。

 11月12日(木)18:30〜
 【テーマ】心を整えるお墓磨き〜お墓参りから見える新しい自分〜
  自分と向き合うことはなかなか難しいもの。
  講師にお招きする今井さんは、お墓参りがその大きなきっかけになると言います。
  11月は、お墓をきっかけに、自分と向き合うことを考えます。

 12月9日(水)18:30~
 【テーマ】老後貧乏は避けられる~将来のお金について考える~


  会員制の継続講座ですが、初回は体験参加できます。
  体験参加費用3000円(消費税別)
  お申し込み、お問い合わせはこちらまで。


 


2015年11月5日

今のカラダへの悪影響は、昔々のちょっとした小言がモトだったのかもしれない

歯医者さんが大嫌いです(歯医者さん、ごめんなさい)。
子どもの頃から歯には散々悩まされてきたので、十分大人になった今、
定期的にメンテナンスに通うようにしています。
今日はいつもの衛生士さんのクリーニングだけでなく、久しぶりに
歯医者さんに見てもらったところ、噛み合わせが極端に強いと言われました。
そう言われて思いうかべることがありました。

歯を噛みしめる

噛み合わせ、食いしばり、愕関節症・・・、よく聞くけれど、今まで他人事だった。
無意識のうちに強く噛む状態で一番多いのが眠っているときだそうだ。
歯ぎしりなんて言われたことないし・・・と言ったら、
音が出ない歯ぎしりもあるのだそうな。
ぎゅーっと強く噛むことで歯が欠けたりヒビが入ったり、
歯ぐきへの負担も大きいのだそうだ。
この噛み合わせが強すぎることは、
歯(口の中)の健康状態に悪い影響を与えているというのである。

そう言えば、仕事中に自分が歯を噛みしめていることに気づくことがある。
パソコン使用中などはしばしばだ。
仕事中の肩こりがひどかったので、肩こりの要因になるかもしれないと思い、
仕事中に歯を噛みしめていると気づくと、
私は意識して緩めるように心がけていた。


口を閉じているときというのは、
本来口の中では噛みしめていないはずなのに、
噛み合わせの強い人はなぜか噛みしめている人が多いんです。

歯科衛生士さんにそう言われて、ふと思い当たることがあった。

子どもの頃の記憶

幼い子どもの頃、私はしばしば「口を閉じて」と、言われていた。
ぼーっとしている子どもが、
口をポカンとあけている様子を見ることがあるでしょう?
私はそういう子どもだったのだ、たぶん。

口をあけっぱなしにしているとおバカさんに見えるから、
きちんと口を閉じなさい。

子どもの頃にしばしば言われていたその小言を、
歯医者さんからの噛み合わせの話を聞いて、ふいに思い出したのだ。

いつも頭の片隅に、
私は無意識のうちに口をポカンと開けてはいないだろうか?
口をきちんと閉じていなくては!
という意識があることに私は気づいたのである。

実際、その小言が今の私の噛み合わせに影響しているのかどうかはわからない。
でも潜在意識の中で影響を与えているのかもしれないと思った。

子どもが口を開けたままぼーっとしている顔は、
確かにおバカさんみたいな顔かもしれないけれど、
子どもらしい顔でもある。
もしも当時何も言われずそのまま放っておいたら、
果たして大人になった今でも、
私は変わらず口をポカンと開けっぱなしでいただろうか。。。

いつのまにか頭の片隅に残る

幼い子どもの頃に受けた注意や指導がいつのまにか頭の片隅に残って、
無意識のうちにそれにとらわれていることって、意外に多いのではないだろうか。

ちょっとした癖、ちょっとした習慣、ちょっとした行動・・・、
私の噛み合わせのように、カラダへの影響だけでなく、
生活習慣や行動パターン、思考方法なども、
そういう影響が及んでいるのかもしれない。

だからこそ、
ん?!って気づく瞬間って大事。
どんなことでも、
ん?!って思ってみるのは、きっと悪くない。

噛みしめる悪影響を軽減するために

ちなみにこの噛み合わせ、最近は学会でも注目のテーマの一つだとか。
眠っているときに噛みしめる力は、
昼間や食事中の噛む力とは比較にならないほど強いのだそうだ。
だから悪影響を軽減させるためには、
できれば眠っているときに噛みしめないようにしたい。

ということで、私は眠っているときに噛みしめないようにするための
「ナイトピース」なるものを作ることになった。

しかしこれをはめて眠る睡眠妨害の影響はどうなんだろう。
いったいどっちのほうが大事なのか・・・。
まあやってみて様子を確認してから考えることにしよう。




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 11月12日(木)18:30~


   自分と向き合うことはなかなか難しいもの。
   講師にお招きする今井さんは、お墓参りがその大きなきっかけになると言います。
   11月は、お墓をきっかけに、自分と向き合うことを考えます。


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2015年11月2日

会社を辞めたらやろうと思ったこと、思っていたのにやらないこと

できれば会社を辞めたいと思っている人、もうすぐ辞めようとしている人、意に反して辞める人・・・・
もしも辞めたら、何をしていたいと思っていますか。
私の場合、いざ辞めてみると、意外にそんなにやりはしないものでした。

やろうと思っていたことはいっぱいあった

会社にいるときには、もしも会社を辞めたらあれをしよう、これをしよう、あんなことがしたい、こんなことがしたい、といろいろ思っていた。
欲張りで好奇心が強い私は、やりたい、やろうと思っていることが数えきれないほどあった。

 レディスデーの日に映画を見る
 ゆっくり本を読む
 毎朝コーヒーを飲みながらゆっくりと新聞を読む
 一人旅に出かける
 いろんな顔に会える写真展に行く
 カフェ巡りをする
 ピアノを弾く
 ブラジルで買ってきたカバキーニョの練習をする
 ウクレレの練習をする
 スキーに行く
 ライブに行きまくる
 コンサートに行く
 体力づくりをする。
 ダンスレッスンにしっかり通う。
 昔読んでた漫画を全巻一気に読み返す

 等々。

もっともっとあったけれど、書き上げたらきりがない。

長く会社にいると、どうしても時間が拘束される。
働いている時間以外に寝る時間、移動時間などを考えると
自分が自由に使える時間はそう多くない。 
むしろとっても少ない。
だから「自由に使える時間」が欲しくて欲しくてしかたがなくて、
もし時間ができたら・・・と、妄想をめぐらすのだ。

ところが現実は

実際に会社を辞めていざ時間が自由になると、
私の場合、これが意外にやっていないのである。
あれだけやりたいと思っていたのに。

それどころか、会社にいた頃のほうがやっていたことがたくさんあった。
当時は時間がなかったから、どうしてもやりたいことはなんとしても時間を作ってやろうとしていたのである。
ところが時間が自由になると、今日やらなくても明日があると思う。
やりたいことであるはずなのに、明日やろうと先延ばしすることが出てくるのである。

あれ?
やりたいんじゃなかったっけ?

そこでやりたいと思う自分の思いの強さや優先順位に気づくのだ。
やりたいと思っていても、そのやりたい気持ちの度合いがまあそこそこなのか、
それともとてもやりたいことなのか。

漠然とやりたいと思っていても、いつの間にか忘れられていくことも、実は少なくない。
時間の経過とともに興味関心の対象も変わっていくせいか、
やりたいと思っていたことすら忘れてしまうこともある。

まるで、列車に乗っていて景色を見ているようなものだ。
「きれい!」と思う景色があったとしても、そこで途中下車しない限りは、どんどん通り過ぎて後ろに行ってしまい、どんな景色を綺麗と思ったのかも忘れられていく。

会社を辞めたらやろうと思うことなんて、どの程度やりたいものかなんて、実はわからない。
意外と大したことないのかもしれない。
忙しくて全然できなくても、それでも時間をやりくりしてやろうとするくらいのものでないと、意外にやらないことなのだ。

私の場合、上記に記載したことは、
時間がないからできなかったり、やりたいけど我慢していたはずのことばかりだったが
時間ができても実際にはほとんどやっていないことばかりなのだ。

自分が思っていることなんて、結構アテにならないものだ。
自由になる時間に対する渇望感が強いから、
そのせいですごくやりたいことだと思い込んでいただけ。

会社を辞めて時間がある中で、やっていること、
やらなきゃいけないことが他にあるのに、ついついやっちゃうこと、やりたくなっちゃうこと・・・
頭よりもカラダの方が、正直なのかもしれない。
つまり、頭で思っていることよりも、身体が動いてしまう「行動」の方が、正直なのかもしれない。






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 11月12日(木)18:30~


   自分と向き合うことはなかなか難しいもの。
   講師にお招きする今井さんは、お墓参りがその大きなきっかけになると言います。
   11月は、お墓をきっかけに、自分と向き合うことを考えます。


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2015年10月28日

その一言、言わなきゃいいのに・・・残念賞

平日の昼間、不意の来客に戸惑うことは少なくありません。
一番多いのは宅配便のお届けですが、
それ以外にもセールスや近隣のご連絡など、いろいろあるんですよ。
勤め人だった頃には知らなかった方々ばかりです(^^;;

今度建築工事が始まるんでご挨拶に

我が家の周りには空き地が多い。
それもこの半年の間にパタパタと家が壊され、空き地へと変わって行った。
原因は、たぶん高齢化。
周辺は古い住宅街だ。

ご近所の6070代の方は、小学生の頃からそこに住んでおられるそうだ。
15年前に引っ越してきたうちは、周辺から見れば新参者、若手でもある。
高齢化が進み、亡くなる人もいるし、家に住みきれない人は移っていく。
その結果、空き地がどんどん増えていくのだ。

空き地に接する我が家にとっては、この空き地がこの後どうなるのかは、気になるところである。

平日昼間にやってきたインターフォンごしの声

 近所の建築工事が始まるので、ご挨拶に来ました。

近所に空き地はたくさんあるけど、建築工事はどこかしら。
聞けば、我が家の隣接地だった。

都会でもなかなか土地や建物は売るのが大変だと聞いていたが、売れたんだ。。。
家が壊され、空き地いなったときには嫌な気持ちになったけれど、家が建つなら歓迎だ。

工事はいつから?
どんな家が建つの?
どういう人が住むの?

いろいろ気になり、玄関のドアを開けた。
30歳前後の男性だった。

あぁ、言わなきゃいいのに

その人は丁寧に私に資料を渡し、

・・・そして言った。

 区の指導で、隣接○メートル以内のお宅には
 挨拶するように言われているんです。
 
あっ、そう・・・
指導があるから・・・
渋々挨拶に来たみたいに見えてしまう・・・
丁寧ないい感じな人だったのに。
なんか、一気にイヤな気持ちになってしまった。

こういうのって、本当に残念賞。
そんなこと、わざわざ言わなくたっていいじゃないの。
あ~あ、何のために言うのかね?
ちょっと考えればわかりそうなものなのに。

ちなみに私はその一言のせいで彼の話を聞く気が失せた。
もらった資料を改めて見たところ、そこには三階建ての家が建つことが書かれていた。
なんと我が家の日当たりにも大きな影響が出そうとのこと。

え~?! ちょっと!
区の指導で挨拶だって?!
コラ!違うだろ?!

だけど、あまり考えずにモノを言うこと、私も珍しいことじゃない。
言われる方は気になるんだけど、言う方って結構そういうもの。
日常よくあることだ。

他人事じゃない。
気をつけなくっちゃ。






2015年10月26日

それは、一番言ってはいけない悪口でした

悪口を聞くのは気持ちの良いものではありません。
だから私も言いたくないし、言わないように気をつけているついもりです。

だけど、実は一番言ってはいけない悪口を私はとてもたくさん言っていたのでした。

人の悪口を言ってはいけません。

小学校の先生で、「母親を変える教室」(経済界)の著者、青木洋介さんは、
「お母さんが笑顔でいること、幸せであること」が、
子どもをその子らしく育てる上で一番大事なことだと論じている。



そんな子育て論を展開する青木さんが、

人の悪口を言ってはいけません。

本当にその通りです。
しかし、心の中に湧き出した感情は、適切に出すことが必要です。
そうなると、どうしても「悪口」も口にすることになるでしょう。

と、ブログで書いていた

だけど、それでも言ってはいけない悪口をがあると。

それは、
「自分への悪口」
です。

ガーン!

「自分への悪口」こそ、絶対に言ってはいけないこと

あらら。
私、よく言うなあ、これ。

しかも言っちゃいけないって思っていませんでした。。。

むしろ、いいこととすら思っていたような気がする。
自分への悪口は自分に厳しい証し。
甘やかさないように背筋を伸ばそうとしてるんだから、と。

ここ数年、私は自分にダメ出しを出し続けている。

何やってるんだろう、私。
こんなんじゃだめだ、私。
こういうところが本当にダメだ。
ダメダメだわ、私。・・・と。

でも考えてみると、10年くらい前までは逆だったような気がする。
自分のことをよく褒めていたのだ。
それも声に出して。

よしよし、よくやっているね~。
がんばったね~。
すごいじゃん、私。

これを会社の中で独り言でブツブツ言っていたのだから、ちょっと(かなり?)変な人だ。
ときどき周囲からも笑われた。
そのたびに「人が褒めてくれなくても、ちゃんと自分で褒めてあげるの。」と言っていたことを思い出す。

いつのまにかそれが逆になっていたのに気がついた。
褒めるのを忘れて、ダメ出しをするようになっていた。
何がきっかけでそうなったのかはわからない。
少しづつ少しづつ、そうなってきたようだ。
もしもこれが自分だけでなく、人に対してもそうなっていたらとても残念なことだ。
子育て論だけの話ではなかったんですね。

今日からまず、自分への悪口をやめるようにしようっと。
そして、できれば声に出して自分のことを褒めてみることにします。
・・・と、ここで宣言します!



2015年10月22日

「愛と仕事が人生のすべて」は、今も昔もきっと変わらない

そんなに映画をよく見るほうではありませんが、ロバート・デニーロは私が好きな俳優さんの一人です。

外国の俳優さんと言えばずーっと昔から好きだったロバート・デニーロ。
今、72歳。
今上映中の「マイ・インターン」は、デニーロの魅力満載です。


http://wwws.warnerbros.co.jp/myintern/

オープニングで出てくるフロイトから引用した言葉

 「愛と仕事が人生のすべて」

そしてマイヤーズの言葉

 「人生で目標をもつことと、評価されることは、
 愛し愛されることと同じぐらい基本的に必要なことだと思う

は、ここ数年の私のテーマそのもの。
う~ん、たまりません。
ぜひ多くの人に、それも同世代や先輩世代に観ていただきたい1本です。

寂しい、やることがない

この映画の主人公は、優しい夫と可愛い子どもがいる幸せなママで、家庭のキッチンで思いついたことをきっかけにアパレル会社を起こし、急成長させた成功者。
アン・ハサウェイ演じるその女性社長、ジュールスの心のうちがテーマなんだけど、私はその会社にインターンとして入社し社長付になった70歳男性、ベンの言動に、オープニング早々で私は釘付けになってしまった。

ロバート・デニーロ演じるベンは70歳。
愛妻と死別し、会社を退職後、いろいろやるけれど、寂しさがつのる。
時間をどうつぶすかが問題だと感じていたとき、偶然みつけた求人票を頼りに仕事をしようと思い立つのだ。

男性が会社を卒業して失う三つ、それが
 ① 行くところ
 ② 会う人
 ③ やること
というのは、以前このブログの「『シニア男性の引きこもり」から気づく、心がけのポイント」でも書いたことがあるけれど、まさにそういう背景からこの映画は始まる。

人生経験は、必ずどこかで誰かの役に立つはず


わがままな中高年や、よからぬ一部の人のせいで、最近はどうも中高年の悪評を耳にする機会が多くて残念な限りだけれど、それでも、
そうそう、どんな人でも生きてきた分だけ必ず経験豊富。
そんな人生経験は、最大のチカラになるはず。
それはきっと、どこかで誰かの役に立つはず。
そうしなくてはもったない。

・・・私はずっとそういう思いを抱いていた。
ずいぶん前から。

それが「キャリア」という考え方だと知ったのは、ここ10年くらいのことだ。
広告業界で長く生きてきた私は、会社員時代に管理部門経験がなく、そこに私の勉強不足も加わって、「キャリア」という考え方をそれまで知らなかった。
組織で生きている中で経験的にわかったこと、考えていたことが体系化されているのが「キャリア理論」だったと知ったのは、20年以上の社会人経験の後だった。

それでも、ずっと人生経験は力になるはずと思っていたのに、
肝心の諸先輩方でそういう風に思っておられる方が、私の周りにはあまりいないように見えた。
若輩者の私が気づかなかっただけかもしれないが。

今、自分自身が50代半ばになり、人生経験は大きなキャリアであるとの思いは、かつて自分が若かった時よりも強くなった。
反面、それが仇(あだ)になっていると感じるときもある。
私自身も会社を辞めて以来、自分の力になるはずの経験が、垢になってしまったのではないかと、自己嫌悪に陥った。
それも一度だけではない。
何度も何度も。

でもやっぱり、そうやって自己嫌悪に陥る気持ち自体も大事な経験。
その気持ちを知っていることが、どこかで誰かの役に立つこともあろう。
キャリアそのものである。

生きてきた時間はすべてキャリアになる

私が会社を卒業し、次に何をやろうかと考えていたとき、
一番に思ったのが、年長者がイキイキと輝ける社会づくりに何か寄与したいということだった。

少子高齢化、体力減退、どうも年をとることが好ましくないような風潮に風穴が開けたかった。
なぜなら、私自身が素敵な先輩から元気をもらえるから。
魅力的な先輩の存在は、私自身の希望でもあるから。

今、100歳の元気な人を見れば、80代、90代の人が元気をもらえる。
60代で頑張っている人の様子は、私たち世代の
そして私たちのありようは、30代40代にきっと影響していくに違いない。

とは言え現実は、楽しかった現場仕事を若手に移譲していく。
長く会社員をやり重責を担い、自負を持っていても、会社の中での役割が変わっていく。
そこに、健康への不安、家族問題、さまざまな将来への不安。
以前のようにイキイキとはいかず、なんとなく萎れていくのも仕方がないとは思う。

だけど、年長者であれば、イキイキしていることだけで後輩の力になることもある。
この映画の中のロバート・デニーロは、そんなことを再確認させてくれる。


2015年10月21日

オイオイ! 同じ世代で同じ女性の行動が私に突き付けること

男女雇用機会均等法施行からもうすぐ30年。
年功序列も崩れ、私自身は男とか女とか言うことにすごく否定的ではあるのですが、それでも同世代や先輩がアグレッシブだとやはり意識してしまうところがあります。
今になってふり返ると、ときどきそういうことを意識し、刺激を受けながら、進んできたのかもしれません。

平成10年 野田聖子さんが郵政大臣に就任


自民党の総裁選挙に野田聖子さんが出てきた時、私は17年前のことを思い出した。
当時、私は30代。
男女雇用機会均等法施行から10年。
多少肩に力が入りながらも、自分としては男性に混じってそれなりに働いてきた実感があった。
その頃、野田聖子さんが郵政大臣に就任したのだ。

え?!
そんなのあり?

私がなぜそう思ったのかは、今もうまく言葉にできないのだが、
初の女性閣僚だったわけではない。
もちろん私が政治家になりたいと思っていたわけでもないし、
閣僚に憧れていたわけでもない。
当時、野田聖子さんも30代だった。

それでも私は当時、やられた!と思ったのだ。
当時私は男性に混じって仕事をしているという自負を抱きながらも、どこかで

 まだ若いから仕方ない、

 オンナだからこんなもの、

と、甘えと諦めが混ざったような思いを抱きながら働いているんじゃないの~?!
と野田聖子さんに突きつけられたような気がしたのだ。 
そんなことを言ったら、

 大臣にでもなるつもり?

と言われそうで、当時、そんなことは誰にも言えなかった。

そして野田聖子さんは総裁選へ

あれから17年。

今回、圧倒的強さを持つ安部さんの対抗馬として、野田聖子さんは手を挙げた。
結果的には最低限必要な推薦人を集め切れず、
野田聖子さんは立候補を断念したけれど、かつて野田さんに感じた気持ちを思い出したのだ。

え?!
そんなのあり?

私自身は、自民党支持者でも野田聖子さんの支持者でもないのだが、
野田さんの総裁選立候補のニュースは、再び私にいろいろなことを突き付けてきた。

自民党の中には、安保法案、原発、TPP、それぞれ是々非々の人が実はたくさんいるにもかかわらず、
総裁選で安倍さんは揺るぎなかった。

気概を感じて生きているのか

長いものに巻かれろ?
次の選挙のために自分を守りたい?
政治家に必要なのは、情熱、見識、責任・・・・・

メディアは、野田さんの断念でそういうことをよく言っていた。
それを聞き、

 あなたは今、自分が大事にしたいことに対して、
 自分に恥ずかしくないような情熱、見識、責任を持っているか。

 何に気概を感じて、今、生きているのか。
 周りに流されてはいないか。

同じ世代で同じ女性の野田聖子さんが、今、私にそうささやいているような気がした。

男か女かなんて関係ない。
年なんか関係ない。
たしかにそりゃそうなんだけど、
やっぱり同世代の、しかも女の行動は、私に大きな刺激を与える。

気概が必要なのは、政治家だけじゃない。



2015年10月20日

テレビを見たことがきっかけで、老親が胃ろうについて考え出した

マスコミの力は弱くなったと言うけれど、それでもやっぱりテレビの影響はとても大きいようです。
特にNHKは(苦笑)。
だからこそ、中途半端な知識の人がそれに惑わされないように、正しい情報をきちんと発信してほしいものですね。

NHKスペシャルを見てね···



少し前のことだけど、実家に帰った時に、突然親が言い出したのです。

NHKスペシャル「老衰死」を見て、
胃ろうとかせずに自然の流れに任せるのがいいなあとパパと話しているんだけど、そういうことっ て遺言に書けばいいのかしら?

オイオイ!
あなたの娘の私が「失敗しないエンディングノートの書き方」を書いているんだから、そこはまずエンディングノートでしょ(笑)。。。

母は拙著が出た直後に読んで、

 いい本ね。
 とてもわかりやすい文章だったからすぐに読めましましましたわ。

と言っていたくせに···(^^ ;;
親でもそうなんだから、まあ、読者なんてそんなものですね....
私も本を読んで、仮にいいなあと思ってもほとんど忘れてます、ハイ(苦笑)。

物事はタイミング

私の親は、今までこういうことにあまり関心を示さなかきましましました。
特に父は、できれば考えたくないくらいに見えましましました。

こういうことは本人次第だと私は考えている。
どう説得したらいいか?
どう話したらいいか?
とよく聞かれるけれど、そもそも説得するなんてことはナンセンス。

いくら私がそういう本を書いていても、たとえいろいろ助言できるとしても、
絶対に無理強いがあってはならないと思っている。
それが家族、親子だとしても。

本人が知りたい、考えたいと思ったときがタイミングです。

子どもの頃、「勉強しなさい」といくら言われてもその気にならなかったけど、
自ら勉強しよう!と思えば、深夜まで頑張って勉強したのと同じ理屈です。

それにしても、NHKの影響力はさすがでします。

法的効力がないエンディングノートだからこそ

そもそも遺言は法的効力があるもの。
だから、法的に効力を発揮してほしい資産、相続について書くわけです。

エンディングノートは、法的効力を発揮しない。
エンディングノートは多種多様で独自な項目があるものもあり、
いろんな側面から自分の考えを整理することができる。
その思いを伝えることもできる。

現実的に延命治療の判断を迫られるとき

胃ろうや人工呼吸など、延命治療の判断が必要な時は、医師から家族が説明を受け、家族が判断することになる。
いざという時、家族に知識がないと咄嗟の判断は難しい。

仮に知識があったとしても、命は本人のものでもあるから、できれば家族の考えだけでなく、本人の思いに沿える判断をしたいものである。
だけどその本人の思いを、果たして家族はどこまで知っているだろうか。
そういうことをあまり口にしない親の場合は、日々の行動や発言から家族が推測して判断することになるのだ。

命について考えたり書きとめておくというのなら、エンディングノートがいいけれど

今、世の中に出回るエンディングノートは有料無料合わせて数百種類にも上るだろうけれど、どのエンディングノートにも、だいたい延命治療の項目が出ている。
その内容の正しさや深さは別にしても。
だからそういうことを考えるきっかけとして、エンディングノートはいい道具になる。

けれど、実際のところ、
延命治療と言ってもその中の胃ろうとはどういうものなのか、
人工呼吸とはどういうものなのか、
いったいどれだけの人が知っているかは、甚だ疑問である。
私の親も、胃ろうのことを言い出したけど、胃ろう自体についてどこまで理解したのかはわからない。
胃ろうについて言いだしたのは、
テレビに出てきた「胃ろうをせずに家族に見守られながら安らかにゆっくりと旅立って行く様子」を見て、それが胃ろうを選択しないイメージとして残ったような気がする。

今回、我が家はたまたまテレビがきっかけでそんな話題がぽろっと出ました。
書こうかなという意思が親にはあるらしい、ということももわかきました。

今までそういうことを口にしない父だったので、母がそう言ってきたこと引き合いに出して
私は父に「何でそう思ったの?」と聞いてみましましました。

 若い者にはわからないだろうが、年をとって体があちこち痛くなる。
 いつもどこか具合が悪く、スッキリいいということがない。
 胃ろうするくらいの頃には、きっ体中がボロボロであちこち痛いだろう。
 もう痛いのは嫌だ。
 また元気になるならまだしも、そうでないなら。

父とは今までそういう話はしてこなかったけれど、
「胃ろうを選ばない」という言葉の奥には、胃ろうそのものがどうこうと言うよりも、少し別の意味合いがうかがえた。
今、すでにあちこちがしんどいんだね···。


書かなくたっていい

エンディングノートの書き方講座があちこちで始まっている。

エンディングノートを書きましょう。
書くのが難しい人のために書き方講座もあります。
···今の流れはそういう方向だ。
けれども、エンディングノートの項目で選択肢を選ぶだけでは、どうも不十分ではないか。

なぜそう思うのか?
どういうことを大事にしたいのか?

そういう思いが託す人に伝われば、きっと必ずしも書かなくていい。
エンディングノートは考えるためにある。
項目をきっかけに家族で話をするためにある。
私は最近強くそう思っている。

 もしも書くというのなら、そういうことはエンディングノートに書く欄があるよ。
 難しいと思ったら無理して書かなくてもいいんだよ。
 聞きたいことがあったら言ってね。

両親は今後、新聞やテレビからまた新たな情報を仕入れるかもしれない。
今回のことがきっかけで、そういう情報に多少敏感になるかもしれない。
それだけでも、大きなステップである。
いずれにしろ、とりあえず、私は今の親の気持ちは聞けた。
今、何かあって判断が必要になったら、親の意をふまえて考えられる気がする。

エンディングノートは、書くこと以上に話すこと。
それが何より大事なことだと思う。





体験参加も受付中です。
 11月12日(木)18:30〜


   自分と向き合うことはなかなか難しいもの。
   講師にお招きする今井さんは、お墓参りがその大きなきっかけになると言います。
   11月は、お墓をきっかけに、自分と向き合うことを考えます。


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