2013年12月18日

本日発行 「失敗しないエンディングノートの書き方」

こちらで予告をしたように、本日12月18日、「失敗しないエンディングノートの書き方」(法研)が発行された。



全国の書店で販売中のはずだが、私はまだ本屋さんに行っていないので未確認だったが、昨日、東京・恵比寿の本屋さんで買ったと連絡をくださった方がいるので、そろそろ本屋さんに出回り始めているようである。

ついこの前まで知らない人が多かったエンディングノートは、今やほとんどの人が知るものになった。
ものすごい数のエンディングノートが出回っている。
エンディングノートを持っている人も増えてきたことだろう。
しかし、実際に書いている人はあまり多くない。
書き始めても、すぐにやめてしまう人も多いと言う。

エンディングノートに興味を持っている70代の方々に、私がお話をした時も、書いている人は0(ゼロ)だった。
書こうと思っても、書きたいと思っても、ちゃんと書こうとするとエンディングノートは結構難しいのだ。
でも、書こうとすることで小さな発見があることも確かだ。

エンディング=終焉。
そう考えると、なかなか書けなかったり、まだまだ先と思ったりする人が多いが、エンディングノートの項目は、実は終焉の為だけとは限らない。
30代、40代、50代・・・どんな年代であっても、エンディングノートを書こうとすることは、自分の人生を再確認する上で意味があると、実際に書いてみると実感する。
家族関係や友人関係を再確認することもできる。

それは、これから自分がどう生きていくか、どうやって自分らしく生きていくか、を考える上で、とても役に立つことであり、意味のあることだ。
終焉の為だけにエンディングノートを書くなど、あまりにもったいないことに思えてならない。

世の中は終活ばやりと言う。
エンディングノートを書きましょう、という活動や講座も数多い。
相続問題、お葬式の方法、お墓問題・・・そういうことも大事だが、そこにいくまでどう生きるか?どう自分らしく生きるか?
その生きた結果が最期、終焉であるにもかかわらず、今はそこばかりに注目が集まっているように見えるのは、残念なことだ。
そういうことを考えるのならば、ぜひとも「どう生きるか」と合わせて考えていきたい。

「エンディングノートを書こう」と思うことは、終焉だけでなくもっともっといろんな意味を持つことであり、自分らしく生きるために役立ててこそ、価値が出るものだと私は思う。

私は、エンディングノートについて、そういうことを書きたかった。

本書で、そういうことまでお伝えしきれているかどうかは甚だ自信がないが、エンディングノートをきっかけに、今よりももっとイキイキと生きていく人、ワクワクしながら生きていく人が増えていけばいいなと願うばかりである。

2013年12月10日

いまの時代の手帳とは

この時期、文房具売場は手帳売場が大きくなる。
買う年、いただく年、さまざまだが、それでも自分が使いやすい手帳は決まっていた。
愛用していたのは「能率手帳」。
それがなくなり、NOLTYに変わると言っていたのが、10月2日掲載の新聞広告だった。



「変更の大きな要因は時代背景の変化だ。
仕事の能率化をテーマに『能率手帳』を作ってきたが、もっと自由に様々な用途で使ってもらいたい。若い人や仕事以外でも使ってもらうためにはどうすればよいのか。5、6年前から名称変更の思いがあった。『能率』という言葉が自由に使ってもらう幅を狭めてしまう、ということで思い切って変更することにした」と言うことだ。

私が能率手帳を使い始めて、たぶん20年くらいになると思う。
それでもここ数年はあまり使わなくなっていた。
イマドキの、ネット上のクラウド手帳(スケジューラ)を併用して使い始めたらそれが便利になり、気づくと紙の手帳をあまり使わなくなって行ったのだ。
そのうち紙の手帳に書き忘れることが多くなり、毎日持ち歩いているのに、開かなくなっていった。

ところが最近、私はネット上のスケジューラに問題を感じ始めていた。

「書く」作業をしないせいか、予定が頭に入らないのだ。
日にちがいつだったか、時間が何時だったかをすぐに忘れる。
明日のことなのに、何回も見て確認する始末だ。
1週間後の予定となると、ますます何日の予定だったか思い出せなかったりする。
ひどい時は予定自体を完全に失念し、慌てることすらある。
さらに困るのは、対面でスケジュール調整をする時に、咄嗟にスケジュール確認をしたくても電波状況が悪くそのスケジューラが見られない時があることだ。

そこで、本当に使いやすい紙の手帳をきちんと選び直そうと思い立ち、まだ暑い頃から探し始め、やっとみつけた手帳を先月から使い始めた。

ネットかリアルか・・・。

まだまだネット上のスケジューラと、紙の手帳の併用ではあるが、今のところ、紙の手帳の使い心地は上々だ。
ネット上のスケジューラは、空き時間がどこにあるかが一目瞭然ではあるが、常にその日1日のスケジュールの確認、「点」でとどまっているような気がする。
けれども紙の手帳は、今、少し先、ずっと先、・・・というのが一つの線につながっていくような感覚がする。

広告の中で注目したフレーズがある。
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右肩上がりでない時代
書くことは考えることであり、振り返ることであり、思い描くこと、
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今、私は紙の手帳に戻って、日々書く作業を繰り返しながら、改めてこのフレーズに賛同する。それは古い世代だからなのか、それとも・・・?!
来年が終わる頃、私は今と同じような気持ちでいるだろうか?

能率手帳ではなく、NOLTYか。
覚えられるかな。