2011年11月29日

私のメンターって、誰?

私は、SNSなんて! ソーシャルメディアなんて! と言い続けてきたが、フェイスブックを使って連絡する人が増えてきたことや、かつてに比べて、企業単位ではなく個人単位のつながりが重視されるようになってきた今、なかなか無視できなくなったことから、私もこのページでもこうしてフェイスブックを出すようになった。
さて、私のお友達の数はまだまだとても少ないが、そのお友達のウォールを見ていたところ、「メンターの○○さんと」という写真が掲載されているのをみつけた。
そして、ふと思った。私にとってのメンターって誰だろう?
会社員時代も今もそうだが、そう言えば私はメンターを意識したことがない。
メンターの価値・重要性は十分認識しているつもりだし、新人にメンターをつけるのを横で見ていたことはあるのだが、自分自身のメンターを考えたことがなかったのだ。
メンターとは、良き指導者。
教育係、指導者、支援者、理解者・・・賢明な人、信頼のおける助言者、師匠。
自分の目指す方向性として、メンターの存在は大きいに違いない。
一般的に「この人が私のメンターです!」と言える人は、どのくらいいるのだろうか?
今になってメンター探しをするのもおかしいような気もするが、今だからこそ私はメンターが欲しいと思うようになっている。
もしかしたら、今、私が求めているのは「コーチ」なのかもしれない。

2011年11月22日

コーチングを勉強してみようと思う

今から10年くらい前に、コーチングというものを初めて知り、無料体験を受けたことがある。
設定したゴールまで、モチベーション高く、より早く効率的にたどり着けるためのサポートをするコーチというものは、私にとって魅力的だった。自分にコーチが欲しいとも思ったし、そういうコーチのスキルも魅力的だった。
けれども私は心理学や哲学などには縁遠く生きてきたので、普通に使っていた基本的な言葉や考え方が、よく言えば新鮮、悪く言えばなかなか馴染まなかった。
当時私は会社員。仕事は楽しかったし充実していたが、自分自身のことをゆっくり考えるなんて余裕もなく、結局そのまま長い時間が過ぎた。
そしてあれから10年たった今、私はそのコーチングについて勉強してみようと思い始めた。
私は今まで、次々と提案することを是としてきた。クライアントの状況から課題をみつけ、それを、広告などのコミュニケーション活動という手法を使って解決することを提案する。クライアントが気づかない課題、クライアントには目新しい提案。。。。そういうものに意義や価値を感じてきたように思う。
私が勉強しようとしているコーチングは、答えはクライアントが持っているという考え方に基づいている。だから、コーチは答えは提供しない。提案もしない。ここがコンサルタントとは大きく違うところだ。
コーチは、クライアントが自分の中にある答えを自分で見つけられるようにサポートしたり、クライアントが見つけた答えから次の目標を自分で設定するためのサポートをしたり。
理屈はわかるが、実際のところどうなのだろう・・・?そう思って、私は10年間動かなかったような気がする。
私が動いたきっかけは、このコーチングの手法を、他の仕事に取り入れることで、実績を上げている人がいることを知ったからである。
これからどうしたいのか。どういうふうにして行きたいのか。ーーー自分の中にあるはずの答えを、クライアント自身が見つけられるようにサポートし、その答えを元にして、こちらが提供できる提案へとつなげていく。クライアントが経営者であれば方向性は明確だし、方向性に合致したものが提案できる。
提案する際に、独りよがりや思い込みではなく明確なクライアントの課題に対して、満足度の高い提案ができるに違いない。
そう思って、勉強してみることにした。まずは基礎から。
私にこのスキルが身につくまで、どれくらいの時間がかかるかわからないが、果たして、成果が出るかどうか、乞うご期待だ。

2011年11月15日

2:6:2の法則

よく言われる、2:6:2の法則。
グループの中で、上位の2割がポジティブな動きをして、中位の6割は平均的な集団で、下位の2割のネガティブな動きをする、というあの法則だ。

マーケティングの視点では、上位2割のグループが生産性の高い優秀な集団、下位2割のグループが生産性の低い集団と言われ、いかにして上位をより生産性高く、6割の集団に対して影響力を発揮するか、が大事になってくる。

この2:6:2の法則、経営コンサルタントの石原明氏が発行するメルマガ「◎社長、『小さい会社』のままじゃダメなんです!」(無料)の昨日発行の記事によれば、集団だけではなく、腸内細菌でも同じような動きをするそうだ。醸造学の研究者からの話として紹介しているのだが、腸内の善玉菌と悪玉菌がそれぞれ2の割合で存在し、「日和見(ひよりみ)菌」が6というバランスだそうで、善玉菌が強いと日和見菌がそっちに味方して、腸内で良い菌がどんどん増えていくそうで、反対に悪玉菌が強いと日和見菌がそっちに引っ張られ、腸が腐敗していくとか。
私は自分のカラダのなかで、2:6:2の法則が動いているとはおもしろい!と思って読んだのだが、考えてみれば身体的なことだけでなく、気持ち(モチべーションなど)もそういう法則があてはまるな、とふと思った。
個々人の中の「さあ!がんばろう!」という気持ちと「「どうでもいいや」という気持ち。
いくら常にやる気満々の人と言えども、日々いろんな状況が訪れる。普通の人なら、前向きになることもあれば、後ろ向きになることもあるのは否めないと思う。が、全体的には、自分自身がそのどちらが強いかによって、おおよその方向がどちらに引っ張られていくかが決まるような気がする。
そう考えると、ますます自分自身の前向きな気持ちは大事にしなくてはならないし、後ろ向きな気持ちは早いうちに原因を見つけて潰して行くことが重要だ。

2:6:2の法則は、侮れない。

2011年11月11日

プラスの感情、すかさず褒める

世界体操で金メダルをとった内村航平選手。
かねてから野菜が嫌いなど、アスリートでありながらその偏食ぶりは、ずいぶん前から有名だった。内村選手の母親のは話によれば、「嬉しい」「楽しい」「やりたい」を大事にしてきたという。内村選手は、好きな段違い平行棒の下で眠ってしまうこともあるくらい、鉄棒が好きだったという。

9月4日に放映されたNHKスペシャル「脳がよみがえる~脳卒中・リハビリ革命~」の中では、脳は褒めれると活性化するという話が出てきた。すかさず褒める、それも具体的に褒めるとよいという話だ。

私自身のことを振り返って考えてみると、学生から社会人になったばかりの1年目。右も左もわからず、毎日上司に叱られてばかりだった。叱られながらもどのように改善したらいいかもわからず悶々とし、泣いてばかりの苦しい日々だった。それでも、幸い私は知恵もなく鈍感な方だったので、逃げるという選択肢も浮かばず、耐え続けていた。当時は、その上司に「がんばったね」と褒めてもらうためだけに、がんばっていたことを、今になって可笑しく思いながらも思い出す。その後、私が褒められたかどうかはあまり記憶にはないのだが。

さて、そんな私だったが、今はそれなりのベテランになって、就職して間もない20代の若手広告マン数名の指導にあたっている。
はじめの頃、彼らは私が思いもつかないような妙な考え方をしたり、配慮に欠けて問題を起こしたり、問題があっても気づかなかったりしていた。おそらく彼らは、何がわからないかも理解できずにいたのだ。
それでも、彼らにはそれぞれ固有の個性があり、それが取引先に喜ばれたり、社内の者を気持ちよくしたりすることがある。そういう時、すぐその場ですかさず褒めると、不思議なことにその後がぐんと変わってくるのだ。褒めたことと全然関係ないことであったとしても。もちろん、私は日々褒めるばかりではなく、叱ることもあるのだが、褒めることによって、叱ったことが生きてくるように思う。

NHKスペシャルで出てきた話のように、内村選手も、その20代の若手広告マンも、そして大昔の私も、つながっている。プラスの感情というのは、マイナスの感情よりもずっと大きな力を持つのだ。

仕事上の人間関係もきっと同じことだろう。
相手のいいところを見る・・・よく言われることではあるが、それによって関係がどんどんよくなっていくことを、仕事の場面でも実感する。
関係性というのは鏡みたいなものでもあるから、好意的であれば相手も好意的になる。
相手のある仕事は、相手のいいところを発見し、すかさずそのことを伝えることで、よりよい仕事にしていきたいものである。

2011年11月5日

諦めなければ夢はかなう?

土曜日、日常の仕事もなく、ゆっくり過ごす朝。
朝日新聞土曜版の「be」は、私の楽しみの一つだ。
11月5日「be」読者とつくるページのテーマは「諦めなければ夢はかなう?」だった。
経済界やスポーツ界の成功者が、必ずと言っていいほど発する言葉である。
しかし、一般人にとってはどうだろう?

この言葉ほど、人によって受け方・捉え方の差が出る言葉はないに違いない。
例え同じ人であったとしても、その時のさまざまな状態によって、受け方が変わるのではないだろうか。

前回も書いたように、私は「何か新しいこともやりたい」という理由で、無謀にも、居心地がよく働きやすく好きだった会社を辞め、それまでの仕事も部分的に続けられるようにと、独立した。そして所謂「夢」探しを始め、あれこれ考えてきた。少し挑戦し、うまくかずに少しくじけて、軌道修正してまた挑戦し…を繰り返している。くじけるときはそれなりに凹むが、再び立ち上がるのは、会社員時代からの起き上がりこぼし気質、生来の鈍感と楽観主義のおかげかもしれない。「諦めない!」というほどの強いものでもないような気がする。
それでも、一人では悶々とするので、時々人に話してみたり、相談したりしながら思考錯誤を繰り返すわけだ。
ただ、この「夢」への思いは私だけのもので、いくら人に話したところで、その人は理解してくれたとしても、その思いに共感して共に走ることなどない。
だから、自分の考えや方向性に自信がなくなった時などは結構きつい。
けれども自分自身の発想の転換ができたり、新たな協力者ができたりすると、再び頑張ってみようと思う。

今以上に頑張ろうと思う時は「諦めなければ夢がかなう」ことを信じ、
もう止めてしまおうと思う時は「誰もがかなうわけじゃない」と思うのだ。

おもしろかったのは、「謂わば『夢圧力』ですね」と語ったコラムニストのオバタカズユキさんの言葉。
やりたいことがみつからない若者に対して、「『夢をもて』というメッセージが、若者に精神的負荷をかけ続けている面もある、と指摘する。」。
若者だけではない。「夢は?」と問われて、即答できる人など、果たしてどれくらいいるのだろう。誰もに対して、夢があるのが当たり前で、夢を追いかけて諦めずに頑張ること正しいことかのように語られるのも、少し不健全な社会な気がする。
どんな形であったとしても、自分に少しだけ負荷をかけ、それをクリアする方向に向かっているのであれば望ましいと捉えたいし、志や考え方みたいなものでもいい。それが「夢」であろうと、日々のことであろうとなんであろうと。そんなことで圧力なんて、残念だし、「どうせ・・・」と思うようにだけはしたくない。

さて「be」の、読者アンケートによれば、「諦めなければ夢はかなう?」の「はい」は54%、「いいえ」は46%。この数字、どうなんだろう?

2011年11月1日

新事業と商標登録

広告会社のサラリーマンを辞めて丸4年。
独立して、今でも広告やコミュニケーションの仕事を中心に行っているのだが、広告にはこだわらない新しい仕事を始めたい、とずっと思っていた。そのために私は会社を辞めたような側面すらある。
実は、私は広告の仕事が好きだったし、勤務していた会社も好きだったので、わざわざ退社する必要などなかった。けれども、いくら好きとは言え、広告にこだわらない新しい仕事がやりたい私としては、そのまま勤続していると、日々の充実感でそのことを忘れてしまったり、後回しにしてしまいそうな、自分への不安があった。そんなわけで退社を決意したのだ。
まあ、今思えばずいぶん無謀な決断だった。その先の仕事の保障もなかったし、辞めて何をするかも決めていなかった。「広告にこだわらない新しい仕事」と言いながら、その準備など手もついていなかった。
そして実際に辞めてから、その「他にもやりたいこと」をどれくらいできたか?と言えば、ほとんど結果など出せずにいる。そして、実際にしている仕事は、以前の仕事の延長線でもある広告の仕事が中心になっているという現実がある。
それでも、精神的充足感で言えば、会社員時代とは大きく変わった。少なくとも会社都合はなくなったわけなので、まず自分のペースで仕事ができる。投資(時間的・経済的)したいことも、私の判断ひとつで可能だ。
そういう中、コツコツとブログ(このブログとは別)で書きながら温めてきた新しい仕事(企画)…その商標登録について、ようやく先週出願が終わった。
仕事内容やスキームの検討はもちろんだが、ライターさんの知恵を借りながらのブランド名(商標)検討、弁理士さんに相談しながらの商標登録出願・・・・・・。
ここに至るまで、当初予定よりはずいぶん時間がかかってしまったが、何より忘れずに(笑)続けてきたのでどうにかここまで来た感もあるが、むしろこれからがスタートでもある。
私が目指すのは、「大人がもっとワクワク生きていける社会のためにできる」ことを提案していくこと。
ちなみにここで言う「大人」とは、年齢で言えば不惑の年を越えたあたりの40歳以上、精神的に自立している人を大体のイメージにしている。
いずれ、このページでも発表するつもりだが、私にとっては、まずは商標を決定し、ひとつの山を越えたところだ。