2011年3月30日

お見舞いと復興応援

あまりにもの大惨事に言葉を失い、精神的なダメージも受け、私はこれまでの日常をそのまま続けることができずにいる。今まで自分がやってきた仕事を普通に継続させねばと思うのに、気付くと頭のなかは思考停止になっていたり、またはまったく別のことを考えていたりしている。このブログも、震災前の1か月が特に多忙で更新が手薄になっていたことも手伝い、そのまますっかり更新しなくなっていた。正直なところ、何を書いていいかわからなくなってしまうのだ。
私はちょうど昨年11月から、漁業関係の業界・団体と接点を持った仕事をしていた。それは水産振興にも関わるもので、現在進行中の仕事だ。その相手先は北海道から沖縄まで、全国にわたる。
当然のことではあるが、今回の地震で相当の被害を受けている相手先が多くあることは間違いない。施設などは流されてなくなってしまったところもあるように、報道されている。直接何度も話をしてきている相手先も多く、私自身はとても心配している。けれども、まだ連絡をできずにいる。これだけの災害で地元のご苦労は今、大変なものだろうし、私のような水産振興に向けた話題は、時期尚早ではないかと思うからだ。
今回の仕事で東北・東関東地方の相手先の件数は、少なくない。そういう方々に、未だにお見舞いの連絡すら入れていないのはどうなのか? お見舞いの連絡だけでもすぐにすればよかったのかどうか・・・? 日々悶々としているが、正解がわからない。
こんなときに私は普通に仕事なんかしていていいのか? もっとやるべきことがあるのではないか? それはなんだろう? 
一方で、私は経済活動を止めてはいけないとも思っている。経済が縮小したら、思うような復興支援すらできなくなってしまう。そう思うと、結局、今までの仕事を継続させる方向で、私は再び動き出す。でもまた立ち止まる。それが震災後2週間の私の仕事生活だ。
昨年から私が手がけていた水産振興に多少はつながるはずの仕事-------、これが、水産業が主産業だった東北と東関東の太平洋側地域の復興に向けての応援歌になれれば・・・私は今、そんなことを思いながら、もう少し時間が経ったら相手先に連絡を入れようと思う。お見舞いはもちろんだが、仕事の話をしていけるようになりたいと思う。たとえ今は時期尚早であったとしても。

2011年3月15日

大惨事の後

仕事がだいぶ立て込んでいて、申し訳ないことにしばらく更新ができずにいた。そろそろ・・・・と思っていたらあの地震が来た。
地震があったときは、その揺れ方(私の場合は東京の揺れ方)やその時の対処、その後の帰宅方法などがもっぱらの関心事。その後テレビのニュース映像などを見るうちに、事態の大きさがわかり、改めて驚いている。週末に入る前、ここまでの事態になるとは想像していなかった。
そして今日、5日目の夜を迎えている。
被災した皆さまには心よりお見舞い申し上げます。
そして、まだご家族や親しい人が見つかっていない方の心痛もどれほどでしょう。
言葉もありません。

あの地震をきっかけに、当たり前のことではあるが、前向きな消費が急速に冷え込んだ。テレビはどの局も報道だし、民放各局のCMはほとんどなくなった。たまにあってもACくらいだ。
つい1週間前まで、テレビの広告需要は急速に拡大していた。3月も4月のフタ(=売切状態でもう入れないこと)、5月もフタ間近という状況だった。広告業界の間では、どうやら景気が戻ってきたようだと話題になっていた。
しかし今、広告・販促まわりは、続々キャンセルが続いている。週末を明けて、地震や津波の問題に加えて原発事故の問題がクローズアップされ、株価も暴落していることも大きく影響しているだろう。こういう状況だから当然だろうし、先行きの読みにくく、クライアントの苦悩もよくわかる。しかも、私たち消費者の消費欲がすっかりしぼんでしまったのだ。
広告自体はしょうがないにしても、この経済が止まったような状態が続くことは、好ましいことではない。こういうときだからこそ、できるだけ消費を活発化し、経済を回していかなくてはならない。こんな状態が続き、企業が立ちいかなくなってバタバタ倒産するようなことになったら、日本経済は本当に大変だ。被災者への二次災害にまでつながってしまいかねない。
個人的にはできるだけ楽しいことをしかけながら気持ちを上げていき、活発な消費へとつなげていけるようなことを仕掛けたいと思う。