2014年12月29日

時代に取り残されるかもしれない、という焦り

掃除嫌いな私にとってはつらい年末に突入した。
1年間溜まった汚れを落とす大事なタイミングとなる。
日頃からキレイにしていればあっという間なんだろうが、私の場合は一つ一つに時間がかかり、大変な作業だ。

昨日の掃除は冷蔵庫。
すべての中身を出して、庫内の汚れを落とし、もう一度元に戻す。
毎年、一度使ったきりの調味料が奥の方に眠っていたのに気づいたり、同じ調味料が2本出てきたり、思わぬ食材が冷凍庫に眠っていたりするのを確認することになり、我ながら情けない。

この冷蔵庫、清潔な手入れができるようにと、ほとんどの棚が取り外し可能になっている。
特に日本製の冷蔵庫は、小さなポケットや引き出し、卵の置き場、バターの置き場、牛乳の置き場・・・と効率よく置けるように細かい仕切りがある。
使う上ではとても便利だ。



掃除をするとなると、
本来なら、
①まずすべての食品を出し、
②不要な食品を処分して、
③すべての取り外し可能なパーツを外し、水洗いして拭いて
④庫内を水拭きして、
⑤パーツをもとの位置に戻し
⑥食品を冷蔵庫に戻す。
という流れが一番やりやすいのだが、私の場合、この流れで進むと、
「⑤パーツをもとの位置に戻し」ができなくなる。
外すことはできても、取り付けることができなくなるのだ。

どこに、どのパーツが、どうやって入っていたか・・・。
まるで複雑怪奇のパズルのようになってしまう。
毎年これを繰り返してしまう。




そのため、まずAのパーツの部分だけについて、
①Aのパーツ部分にあった食品を外に出し、
②不要な食品を処分して、
③Aのパーツだけを外し、水洗いして拭いて、
④Aのパーツがあった庫内壁面を水拭きして、
⑤Aのパーツをもとの位置に戻し
⑥食品を冷蔵庫びAのパーツに戻す。
を行い、次にBのパーツを外して①~⑥を、次にCのパーツを外して・・・と、今年は一つ一つをやっていった。
こうすれば、そのパーツをどこに取り付けるかはわかるし、取り付け方がわからなくてもパーツは一つなのであれこれやっていればなんとかなる。
例年、元通りにできなくなって夫に助けてもらっていたが、今年は時間はかかったが、途中で途方に暮れることはなく、なんとか一人だけで終了できた。

私はこういう能力が極端に劣っている。
冷蔵庫だけじゃない。
最近はいろいろなもので組み立て式が多い。
収納家具などはほとんどが組み立て式で、私は欲しくても組み立てることを思うとできなかったらどうしようと思い、買うことをためらってしまう。
中には組み立てサービスというのもあるらしいが、なんだかダメ人間みたいでとても頼む気にはなれない。
つい先日も、姪っ子にプレゼントしたレインボールーム(輪ゴム編み機)で、私が教えてあげるはずが途中でできなくなりギブアップした。

組み立て式であれば、できあがった製品よりもメーカーは安く出せる。
運搬費も安くなる。
安いものを求める消費者にとっても好都合だ。

そういう中で、私のような組み立て能力に劣った者が置いてきぼりになってしまう。
でも私のように組み立て能力が劣る人だけじゃない。
体力がない人や、高齢者だって、きっと組み立てられなくて困っているのではないか。

かつては得手不得手の問題として自覚していたのだが、
今は何でも組み立て式の時代・・・そんな風に思うと、自分自身がこの時代の流れについていけない前時代的な人間であるような気がして、焦りすら感じている。

もしかすると、IT化の波に乗り切れない人の焦りというのもこんなものなのかもしれない。
まずい、まずい。
願わくば、そういう消費者がいることもメーカーにわかってもらいたいところだが、でもおかげでそういう人の気持ちも多少理解できる。

ちなみに我が家の冷蔵庫の組み立ては、作業のやり方で能力不足を補いとりあえずキレイになって、まずはめでたし、だ。



2014年12月26日

好きなことをして生きていく・・・それは必ずしも絶対正解とは限らないと思う。

「好きなことで生きていく」・・・この言葉で検索すると、Gppgleなら124万件がヒットする。

有名なところで行けば、今年の11月に出た心屋仁之助さんの「『好きなこと』だけして生きていく」だが、いろんな人がいろんな形で好きなことをして生きていこう、と言っている。

その通りだし、そうなれれば幸せだ。
誰だって、できればそうありたいと思うだろう。
でも、誰もがそうできるわけではない、きっと。・・・私はずっと、そう思っていた。

そうできる人と出来ない人がいるんじゃないかと。
その違いはいったい何なんだろう?!・・・おぼろげにそんなことを考えてきたような気がする。

それは、ここまで格差社会が進んできた今、そんな呑気なことを言っていていいのだろうかという思いがあったから、という面もある。
食べることにいっぱいいっぱいで、就職もままならない人が多い今の時代に、そんなことしてたら本当に食べていけなくなる人だっているんじゃないか。
好きな仕事って?という話をしていた時に、そうできる人ばかりじゃないんだから!と、今から10年くらい前に叱られたこともある。

好きなことをして生きている人には、そういう能力が優れているからできるんじゃないか。
頭の回転が速く、理解力が高く、文章もうまい、・・・そういう人だから可能になっているんじゃないか。
私の周りで好きなことをして生きている人は皆、実際に能力が高いと思う。

それなのに、こんなにもあちこちで、誰もが好きなことをして生きていこう、という今の風潮は果たしてどうなんだろう?

それはまるで、かつてよく言われていた
「諦めなければ夢はかなう」
と同じように、甘い夢を見せてくれているだけじゃないのかと思わないこともない。
ハシゴをかけるだけかけて外すんじゃないの?!って。

しかも今のこの風潮は、まるで好きなことをして生きていかないやつはマヌケだと言っているかのようにすら見える。
本来なら、好きじゃなくても何かのためにこんなにもがんばっている、ということで満足している人もいるかもしれないのに。

私が言いたいのは、誰もが好きなことをして生きていくのがいい、という風潮は少し気持ちが悪いんじゃないかということだ。

そういう人もいる。
でもそうじゃない人もいる。
そういう考え方もあるし、そうじゃない考え方もある。
そうできる人もいるし、そうしたくてがんばってもできない人もいるんじゃないかな。
すべてを自分で決めるよりも、ある程度決められている方がやりやすい人もいる。

どれを選ぶかどうかは人それぞれであって、どういう形を選ぼうが正解はない。
周りがとやかく言うべきものじゃないし、ましてや周りにどう見られるかなんてどうでもいい。
どういう形を選ぼうが、きっと迷いもあるし、嫌なこともある。

そういう多様性というか、柔軟性があっていいように思う。
大事なのは風潮とか世相とかに流されず、自分のスタイルを求めることなんじゃないかと思うのだ。
自分のスタイルがわからなければ、自分のスタイルを探すことだ。
極端なことを言えば、生きている限り探し続けるのかもしれない。、

そもそも好きなことをして生きていくってどういうことなんだろう?!

私自身について言えば、たまたま好きなことをして生きてきた部類に入るのかもしれない。
でもそれは、最近よく言われる形とは少し違うと思う。

受験で失敗したと当時は思ったけど入ってみれば意外に楽しかったし、就職したのは第1志望ではなかったけれど、新卒入社した会社には結局25年も勤め続けた。
1年目の時は、こんな会社すぐに辞めてやると思っていたにもかかわらずだ。
別に辛い中で我慢強かったわけではない。
そりゃあ楽しいことこともあるし嫌なこともあったけれど、でも今になって思えば、総じて好きなことだったと思う。
特に辞める頃は、まさに私の好きな仕事だなとしみじみ思っていた。
でも「好きなことだけ」をしてきたわけではない。

私の場合は、自分のスタイルを求めるなど考えたこともなく、成り行きの泥縄式で生きてきた。
普通に会社員をやっていた結果だが、今になって思えば、その中で好きなことを探し、わずかでも見つけられた好きなことに価値を見いだせていたような気がする。
現状の中から、小さな「好き」を探すことだって、できるのではないかしら。

好きなことをして生きていこうという発信が多いのは、きっと多くの人がそれを望んでいるからだろう。

だけど今までをリセットして、いきなり好きなことの世界で生きていくなんてあるはずがない。
そういう好きなことは、きっと今までの人生があるから、それが土台になって好きなのだ。
身近にも自分では気づかない「好き」が転がっているかもしれないし、好きじゃないと思っていても後から考えれば意外に好きなことだった、と思うことだってあるにちがいないのだ。

まず好きなことをしよう!ではなく、自分が心地よい生き方かどうか。
自分のスタイルでさえあれば、それでいいのだと思う。


「いい顔」にこだわってきたトラベシアが撮影する撮影会、参加受付中。
巣鴨で1月31日(土)に開催。


生き方を考えるワークショップ、参加受付中。1月21日(水)19時から麹町で。
若者にとっても生き方を考える時に便利なエンディングノートですが、その中でも難しい項目の医療にスポットをあてたワークショップ。
緩和ケア病棟看護師のお話をきっかけに、自分の今を考え、生き方を考えます。

2014年12月25日

人としてつきあう上で求められるのは、自信があるけど謙虚であること

20年以上前に仕事で出会った人、Zさんに久々にお会いした。
当時、私が勤務していた会社に出入りしていたプランナー兼コピーライターだった。

Zさんは感性も発想も豊かな方で、当時の私から見れば大先輩。
今も変わらず言葉に真摯で発想が豊かで尊敬するけど、今、私は緊張することなく和やかにZさんとお茶が飲めるようになった。
物理的な年齢差は変わらないのに、心理的な年齢差はどんどん縮まるように思うのは、年を重ねるメリットの一つかもしれない。

現在70代半ばと聞いたが、背筋はピンとしてるし、回転は早いし、話す内容は面白いし、とてもそんなお歳には見えない。
お孫さんにジイジと呼ばれるのを拒否し、ミスターと呼ばせているそうだ。
昔から大の長島ファンだったから。

まだまだ社会と関わることへの未練がいっぱいでね〜と笑う。
以前より随分減ったそうだが、今でもいろんな場面でアドバイスをしたり、企画を提案したりしている様子がうかがえる。
最近は30代40代の仕事仲間からもミスターと呼ばれるようで、彼らと飲みに行くことも少なくなさそうだ。

そのZさんは、男性の会社定年後に社会とうまく馴染むための方法として、以下の三つを挙げた。

 怒らない。
 威張らない 
 自慢しない。

せっかく新しいコミュニティに入っても、会社員時代に偉かった意識が抜けず、これができないために馴染めなくなる人が多いのだと言う。
地域デビューなども、定年後サラリーマンにとってはマンションや地域の自治会長は人気の役職だそうだが、いざ自治会長になると地域の人を「○○君」とクン付けで呼んだり、上から目線で仕事の指示を出したりして、次第に受け入れられなくなるケースがあるのだそうだ。
Zさん自身がこの三つを心がけているからこそ、若い世代から飲みに誘われることも多いのだろう。

この三つ、どこかで聞いたことがある話だなと思った。

NHKスペシャル 「JAPAN BRAND 日本式サービスで世界を目指す」(11月9日放送)の中で言われていた、日本企業が世界に進出する時に求められることによく似ていたのだった。

 威張(いば)らず、
 驕(おご)らず、
 媚(こ)びず、
 諂(へつら)わず、

Zさんの言っていたことに、さらに付加されている。

要は、自信があるけど謙虚であること。
人としてつきあう上で求められることだ。

偉そうにしちゃいけない。でもそれだけじゃない。
基盤はしっかりしているけど偉そうにしないから価値がある。
上から目線はダメだけど、自分の考えはある。

Zさんも、まさにそうだった。

会社仕事は、つきあいたくない人ともつき合わなくてはいけない場合がある。
会社仕事でなくても、、利害関係でつき合わなくてはいけないこともあるだろう。
しかし、無理してつきあう必要がなくなれば、威張る人、驕る人、媚びる人、諂う人とは、つきあいたくない。
自然に相手にされなくなるのだ。

智恵がつき、経験を重ね・・・・・年を重ねるゆえ、日常のおつきあいの中でも、ついつい驕る気持ちになりがちなのは無理もない。

でも、会社定年に限ることじゃない。
年を取るからだけじゃない。
人としていつだって・・・。
日本が諸外国でうまくいかない時もそうなように・・・。

自信があるけど謙虚であること。


私自身も意識しておかないと!
自分にも敢えて言っておこう。



「いい顔」にこだわってきたトラベシアが撮影する撮影会、参加受付中。
巣鴨で1月31日(土)に開催。


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緩和ケア病棟看護師のお話をきっかけに、自分の今を考え、生き方を考えます。

2014年12月23日

男性の女装嗜好が増えているような気がする

少し前まで、私はあるサイトで「イメージ・コンサルタント」のカテゴリーに登録されていた。
どうやら、私が人となりや生きざまが表れている「顔」に関心を持っていて、そこにかかわっていることから、このカテゴリーになったようだ。

私自身は、メイクもファッションもあまり興味がなく、色彩感覚も全然自信がないので、このカテゴリーには大いに違和感があるのだが、個人、あるいは企業の代表者がイメージ戦略としてどのような「顔」を出していけばよいかをアドバイスしたり、出している「顔」が企業理念に一致しているかどうかを見せていただいたり、企業理念を反映させた「顔」の撮影プロデュースをしたり・・・・そういうことに取り組んでいるので、イメージ・コンサルタントというカテゴリーに入ってしまったようなのだ。

それによって、「イメージ・コンサルタント」への質問が、そのカテゴリーに入っている人全員にメールで一斉に届けられる。
その中で、しばしばいただく質問が、男性からの女装に関する質問だった。

メイクのコツ、
肌の手入れ、
女性らしいきめ細やかな肌になるための手入れ法
女性らしい色の組み合わせやコーディネート    等々

男性が女装したときにより美しく見せるにはどうしたらいいかを尋ねてくる数があまりに多いことに、正直なところ私は驚いた。

念のため書き添えておくが、彼らは心が女性というわけではない。
また、性的に男性を恋愛対象としているというわけではない。
そういうことではなく、単純に女装して街を歩きたいというのだ。
世の中には、女装したい男性がそんなにたくさんいる、ということが、私には大きな驚きだった。

尾木ママで有名な教育評論家の尾木直樹さんが「男性が女装するって、想定外の綺麗さがある。自分が綺麗って発見できるのも楽しい」とテレビで語っていたのを聞いたことがある。


ちなみに、女性からのよりたくましく見せるための質問というのは1本もなかった。
想定外のたくましさや凛々しさを表現したいという超えはほとんど聞かないのに、なぜ、女性の外見になりたい声が多いのか。
女性のように綺麗になりたいと思うのか。

ここが私が不思議に思うところだ。

今の世の中、どちらかと言うと女性の方が生きやすい世の中に見えることはないだろうか。
女性蔑視は論外で、女性の権利を守ることを推奨され、女性は大事にされることが多い。
場所によっては必要以上に優遇されることもある。
本来女性はそれをあまり望んでいないことがあったり、実際は見せかけだけの優遇だったりするケースも実は多いのだけど、それでも瞬間的にでも女性になりたい男性が、今、増えているような気がする。

男とか、女とか、そんなことは関係なく生きれば楽なのに・・・私はそう思っている。

蛇足だが、最近私はその「イメージコンサルタント」に登録されていたサイトから離脱したので、今ではそういうカテゴリーで登録はされていません。

2014年12月21日

私の場合、意外に「孤独」は仕事の大敵だった

一人で仕事をすることで私が困ることの一つに「孤独」がある。
寂しいと言うわけではないのだが、私にとって孤独は少々困りものだ。

一人で考えていくと行き詰まることがある。
モチベーションが下がっていくこともある。

でも人と関わることで、自分の頭の中が整理されたり動いたり、元気になったりすると、強く感じるからだ。
それは必ずしもいい話を聞けるとかアドバイスをもらえるとか、そういう類のことだけではない。
たとえイラついたり、面倒だったりする関係であったとしても、自分以外の人の話を聞くことで、新しいことに気づいたり忘れていたことを思い出したりすることがある。
それをきっかけに、それまで固まっていた頭の中がクルクルとまわり出すような気がする。
まるで、かざぐるまに息を吹きかけて回すような感じだ。

会社を辞めて一人で仕事をしようと思った時には、周りに邪魔されなくなるから好きなようにできるつもりだった。
一人が困ることなど、予想もしなかった。

しかし、いざ一人で仕事を始めてみると、それまで周りに人がいるのは当たり前になっていたことに気づかされた。
その周りの人のおかげで自分の頭が回っていて、自分一人だと動いてもすぐに止まってしまうことに気づいた。
自分一人の弱さにがっくりし、仕事への自信も落ちてくる。

そういう時に、力になったのが一緒に学んだ知り合いだった。
学びの友だち、学友。
普通に読めばガクユウだが、今どきの言葉ならマナトモ、とでも言おうか。

仕事で行き詰っているとき、普通の友だちや遊び友だちは大事な気分転換にありがたい存在だけど、学友はそれとはまた少し違う意味があるように思う。

会社員時代は、会社がらみの研修以外にどこかで学ぶことなどほとんどなかったのだが、最近の私はいろいろなところで勉強するようになった。
特に今年は、いろいろなところでいろいろなことを学ぶ機会が増えた。
参加者(受講者)は共通の目的意識があるので、共通した価値観があったり、わかり合える部分があるせいか、ちょっとした会話だけでも元気をもらったり、新しい発想が浮かんだりすることがある。
こrは、私にとっては学ぶことと同じくらい価値がある。

学友の中でも、私と同じように個人で仕事をしている学友は、一人で考えていて行き詰った時は、ノートだけを持って散歩に出かけると言っていた。
街を歩く人を目にしたり、話をしている声が聞こえてくるだけで、アイデアが浮かぶと言う。
やはり、ずっと一人で引きこもっていると思考が止まってしまうと言う。

人は一人では生きていけない・・・なんてあまりにもよく言われるから陳腐なくらいだけれど、たしかにその通りだと、今、身に染みて感じる。
私の場合、一人では頭が動かなくなる。動きが鈍くなってくるのだ。
だから「孤独」だと、きっと仕事の質が落ちていくのだ。

一人の時間はとても大切だけど、一人じゃない時間も大切で、それがあるから頭の中が動いたり止まったりを繰り返し、アイデアが浮かんだり、と俄然やる気が出てきたりする。
私の場合は人と話をすることで、新しい発想が次々と湧いてくることもあるし、次にやりたい新しい仕事がはっきりすることもある。今の仕事がスピードアップしたりもする。

一人で仕事をするようになってせっかく得た「孤独」ではあるが、その「孤独」に負けないように、私は時々意識して人と会うように心がけている。
場合によっては、あまり知らない人でも、自ら連絡をとることもある。
そういう時に、営業の匂いを感じさせたくないし感じたくもないので、学友はありがたい存在だ。

2014年12月16日

ご用件をお伺いします。ご用件はなんですか?

ネット環境や機器の充実で、どこででも仕事ができるような時代になった。
おかげで、私はいろいろなものを持ち歩くようになっている。
携帯電話、wifi、iPad、パソコン、資料、手帳・・・これらを毎日持ち歩くのは大変だ。
考えてみると、今ではまずメール連絡が中心で、携帯電話で話す時間が激減している。

私は今までずっと、ガラケー派でこだわってきたけれど、通話時間が減ってきたのでそろそろスマホの方ががいいのか検討を進めていた。

実際のモノを見てみようと、携帯ショップに入るとすかさず、
「ご用件をお伺いします。ご用件はなんですか?」
と聞かれた。
見に来た段階なので、まだ「ご用件」にはなっていない。
ちょっと見るだけ、というのはなんとも気まずい。



「ご用件をお伺いします。」
・・・・伺わなくてもいいんですけど(私の心の声)。

「ご用件はなんですか?」
・・・・用件ってほどのものじゃないので、ちょっと店内を見させてください(私の心の声)。

お店の人は、おそらく顧客サービス向上のために聞いてくれるのだろうが、私にとっては、ちょっと放っておいてほしい。
わからなければこちらから聞くので、と思う。
でも、あまりそうは言えない。
せっかく声をかけてくれているのに、悪いかなと思うからだ。

銀行でもそうだ。
普段の銀行との関わりはATMだけど、窓口とのやりとりが必要で店舗に入るとすかさず、
「ご用件をお伺いします。ご用件はなんですか?」
と聞かれる。
用件を言うと該当する整理券を取ってくれて、それを渡されて
「お待ちください」だ。

時には、あまり言いたくない用件のこともある。
いくら言ったところで、どうせこの人とは違う人にまた説明しなきゃいけないのになぁと、面倒な気持ちになることもある。

携帯ショップもそうだけど、あれはいったいなんのためにやってるんだろう。

整理券くらい自分で取れる。
用件があれば、こちらから聞ける。

来店客をさばきやすいように振り分けるためというのなら、それは顧客サービスではなく、お店都合だ。
無意識にそういう感じがするから、私はそれに抵抗したくて放っておいてほしいと感じるのかもしれない。

もしも顧客サービス向上のためであるなら、お客さんを放っておいてくれればいいし、何か用がありそうな人や戸惑っている人がいたら、すかさず声をかけてくれれば、心配りのある優しいお店だなと感じられるのだけど。

そういう店舗であってほしい。
いろんなお店で、すかさず聞かれるたびに、私はいつもそう思う。

2014年12月15日

学ぶことと、自分で考えようとすることが、新しい可能性を伸ばすはず

p25年勤務した会社を退職した直後、あるご縁でビジネススクールの
MBAエッセンスというクラスに通ったことがある。

それは、MBAの導入部分を網羅的に学ぶというものだったが、
その中には、ネゴシエーション、プレゼンテーション、という
カリキュラムがあった。
お稽古ごとではなく、会社の研修でもなく、
いわゆる学校に定期的に長期で通うというのは、大学を卒業後
初めての体験だった。

それまで私は広告会社の企画部門で6年、営業部門で19年
仕事をしてきた。
MBAとは言え、ネゴシエーションやプレゼンテーションを
授業で学ぶこと自体に、若干疑問を抱えて出席したのだが
それは予想に反して、とても意味のあることだった。

今まで長い時間をかけて経験的に身につけ、培ってきたことが体系化
され、理論的に整理されていたからだ。
しかもワークが豊富で身につきやすいだけでなく、新しい気づきも
豊富な構成になっていた。
もっと早い時期に、もっと若かった頃に、こういうことを学んでいれば、
おそらくもっと早くにもっと大きな成果を得られただろうと思った。

経験で学ぶには、長い時間がかかることがあるし、
いくら経験しても気づかないこともあるし、気づけないこともある。

考えてみれば、私はそれまで「考えるより先に行動するタイプ」だった。
意識無意識問わず、自分の興味の赴くままに情報をキャッチしてきた。
偶々仕事が好きだったので、その時の仕事に関わることは多少勉強して
きたとは思うが、どちらかといえばそれも成り行き。
行き詰まったり、苦しんだり、うまくいったりを繰り返しながら、
まがりなりにも多少は成長してきたように思う。

それは、ABCを知らないまま外国に行ってビジネス英語を身に
着けていくようなプロセスだったかもしれない。
意識を高く持ち、一生懸命頑張ればそりゃあ身につくのだろうが、
きっと事前に英語の基礎を学んでいれば、より早く身につくだろう。
基礎なしでも身につくかどうかは、本人の資質が大きく影響するのではないか。

「座学だけじゃ意味がない」
「理論ばかりで頭でっかちじゃしょうがない」
会社の研修に対してそういう声を耳にすることがあるが、
それは学び方とその後の生かし方によるのだと思う。

仕事は学校の勉強とは違うので、経験はたしかに大事だけど、
経験が浅い頃こそ、そのベースとなる考え方や方向性、やり方を知ることに意味があると思う。
その後の成果に関わるのではないかと思う。
それも、仕事を始めて少し経った頃に学ぶ価値が大きい。
多少仕事がわかってからだと、学ぶことがグングン浸み込んでくる気がする。

しかも、その学びで、どんな経験を積むのがよいかを自分で考えられれば、
その人のキャリア形成に、大いに生かされるように思う。

そうでないと、結局は元々個人が持っている資質やそれまでの経験に頼る要素に
左右される気がしてならないのだ。

私自身は、元々勉強することは全然好きじゃなかった。
それでも、今、学ぶことの価値を感じている。
企業も個人も、元々の資質に頼るだけではもったいない。
人は、いつからだって、どんな時からだって、
学び、そして自ら考えようとすれば、その新しい可能性を必ず伸ばせるはずだと思う。


2014年12月12日

この人と私の距離は近過ぎる?遠すぎる? 程よい距離感とは?

運動不足の日常が心配になって、簡単なスポーツクラブに通って1年になる。
自宅仕事の合間に行くので行くのはだいたい平日の昼間で、よく会うのは50代60代の女性たちだ。
そこのスタッフ(コーチ)は入会した会員全員の名前を覚えていて、行った時と帰る時には必ず名前、それも下の名前を呼んで挨拶する。
例えばドアを開けて中に入ると、いつも必ずスタッフ(コーチ)が「キミコさん、こんにちは!」と名前で声をかけてくるのだ。
これが、毎回必ず、見る限り全会員に対して、だ。
そして運動中には会員を励まし、時には話し相手にもなる。

入った当初、すごいなと思った。
ちょっとこそばゆいけど、覚えられていることを実感でき、悪くない気分だ。
火を重ねるごとに、スタッフとの心の距離感が縮まっていく。

スタッフ(コーチ)はほぼ固定している。
でも、時々応援スタッフ(コーチ)がやってくることがある。
その応援スタッフ(コーチ)が
「キミちゃん、おはよう!」と声をかけてきたことがある。

それを聞いて、私はとても嫌な気がした。
その人はいつもの固定スタッフよりも年上で、立場も上の人のようだった。
でも、私はその人と1対1で一度も話をしたことがない。
名前もあまりよく知らない。
だから、あなたに「キミちゃん」なんて呼ばれたくない!と思ったのだ。

このクラブでは、会員同士はとてもフレンドリーだ。
特に50代60代の女性たちはおしゃべりが大好きで、ストレッチをしながら、運動が終わっても、本当によくしゃべっている。
しかも、そこにはスタッフ(コーチ)も引き込まれておしゃべりに熱中することも少なくない。

私がプログラムを終了して帰ろうとする時は、スタッフ(コーチ)が毎日「キミコさん、お疲れ様!今日は○○でしたね。」などと声をかけてくれるのだが、会員のおしゃべりに巻き込まれているときにはそれができないこともある。
そうなると私は、冷たくされたような気がしなくもないのだ。

人との距離感とはそういうものなのだ。

自分が近いと感じるようになった相手には近くあってほしいと感じ、自分が近いと感じていない時に近くまで入ってこられるのは気分がよくない。
近すぎると怖かったり、不愉快だったりするし、遠すぎると寂しさを感じたりする。

セミナーや新しい学びの場で会う人、仕事で会う人の中でも、この距離感は微妙なものがある。
私が感じている距離と相手が感じている距離とに大きな差があると、気持ち悪さが出てくる。
例え初めて会ったとしても、距離感の感じ方というのがずれることもある。

私は、どちらかと言うとズケズケとモノを言うタイプに見られるので近い感覚に感じられがちだが、実際には初対面に弱く、距離感には結構神経質になりがちだ。

年齢を重ねると、距離感のとりかたはどんどん難しくなると感じているのだが、いかがだろうか。
会社など、閉ざされた組織の中の距離感は簡単だが、組織外の距離感、地域の距離感・・・・

程よい距離感をとれるかどうか。
ここを躓いてしまうと、意外と関係性の構築は難しいと思う。


2014年12月5日

強制じゃないという強制。

私の住む地域は古い住宅街で、うちの近所は約2割が60年以上前からこの場所に住んでいる。
うちは今から約15年前に引っ越してきた新参者だ。
その2割に当たる昔から住む人たちは、小学校時代からのご近所さん。
言わば幼なじみだそうで、ご近所の奥さまは60歳を超えた紳士を今も◯◯クン(下の名前)と呼ぶ。

ここでは細々ながらも町内会が維持されていて、例年、今の時期は歳末助け合いの募金があり、1年交代の当番制で回ってくる地域の係がこの集金に回る。

私が前回係をやった時から、うちの周りの加入世帯数は3割ほど減った。
高齢化で亡くなった人や老人ホームに移った人で空き家が増えたからだ。
家を売却して老親の介護のために移転した人もいるが、その家に新たに転入した世帯は町内会には入らない。

今年の係は我が家だった。
50歳を超えた私たち夫婦は、この地域では若夫婦世帯だ。

さて、この係の仕事で私が最もイヤなのが、年に何回かある恒例の募金活動である。
私は、地域力の重要性を感じているし、町内会の意義を支持しているから、係のおつとめがイヤなのではない。
地域のつながりが大事なのは十分理解しているつもりだ。

宛先ははっきりしている募金だし、その募金が大きな助けになるだろう人たちがいっぱいいるのもわかっているが、毎年のことだからと誰もが募金するのが当然のように、係の私が直接各家を訪問して、募金をお願いするというのが苦痛なのだ。

1年に何度もいろんな募金があり、歳末助け合い募金は、今年で3回目の集金になる。




もちろん募金は強制ではない。
毎回、もしよろしければ・・・という形でお願いするものではある。
けれども実際に近所のよく知る人に直接自宅に訪問され、お願いされた時、「今回は遠慮します」などと言える人がいったいどれだけいるのだろう。
そう思うと、私は集金が苦痛になるのだ。

今年の2回目だった秋の募金活動のときは、私は考えた挙句、直接訪問せずに募金袋にお手紙を添えて各世帯のポストに投函した。
賛同した人だけが我が家のポストに投函してくれればいいと考えたのだ。

結果は、1軒以外全世帯からいつもと同じように集まってきた。
「こういう形にすることは大賛成です」と返事を同封してくださる方も複数いた。
多少は前進だったかもしれないが、それでも強制力があったのではないかと気にはなった。

さあ、今回はどうしよう。
もしも係の私が何もしなかったらどうなるのだろう。
・・・そう思って、今回私は何も動かずそのままにしておいた。

時間が経ち、〆切を過ぎ、役員の方が我が家にやってきた。
「集まった募金を受け取りに来ました」と。

来たか。。。
私は正直に気が進まなくて回っていないことを伝え、私の分だけ募金をお支払いするわけにいかないかと申し出たが・・・・ダメだった。

 例年のことだから大丈夫。

 あなたが気に病むことはない。

 皆さん、ちゃんと理解してくださる。

 あなたが恨まれることはない。

 お辛いなら、私が代わりに回って差し上げるから。

役員さんからはそういう話だった。

私が気にしたのはそういうこととは全く違うことだったのだが、伝わったのか、伝わらなかったのかはわからない。
その役員さんは、さらにこの募金をまとめてどこかに提出する立場だし、ご近所さんでいつも献身的に動いてくださる人なので、悩ませるのも不本意だ。
私はそれ以上言うのをやめた。

「わかりました。私がすぐに集めます。」

そんなわけで先ほど秋と同様にポストへの投函をした。
週末明けたところで集まった募金を提出する予定だ。

今月中には母子家庭など然るべきところに集めたお金が届けられるのだそうだ。
こういう形でなければなかなかお金が集まらないのは残念なことだけど、これがきっと大きな助けになるのだろう。

でもこれは「強制じゃない」と言いながらも、やっぱり半強制だ。

昔からずっとやっていることだから。
みんながやることだから。
言う通りにしておいた方が波風が立たないから。

結局私は何も言えなかったし、何も変わらないのだけど、交代で回ってくる係が、半強制な呼びかけをする張本人になることに、どうしても違和感を感じずにはいられないのである。







2014年12月4日

子どものいる世界

我が家には子どもがいないので、日々の暮らしで小さな子どもがいる状況というのがあまり想像ができない。

私の妹たちには子どもがいるし、夫の妹にも子どもがいて、その子どもたちが小さい頃から接してきているので、私が子どもを全然知らないというわけではない。
それでも、私は一般女性が妊娠・出産する時期もずっと会社員として働いてきたこともあり、我が家には子どもがいないので、そもそも子どもを目にする機会が極端に少ないと思う。
子どもは好きだし、苦手というわけではないのだが、暮らしの中にいる図はイメージができないのだ。

会社員を辞め、仕事も作業は自宅をベースにするようになってから、私は子どもを目にすることが増えた。
それは、昼間前後に近所を歩くようになったからだ。
子どもを連れたママが比較的多い時間だ。

先日、昼間に最寄駅から電車に乗ろうとしたら、子どもを連れた知り合い(女性)に会った。
会ったのは3年ぶり。
その頃彼女は子どもを産んだばかりだったが、その赤ちゃんだった子どもは、3歳になっていた。

一緒に電車に乗り、互いの近況を話していると、私ではなく自分と話してほしいと、子どもがママになった彼女に甘える。

彼女たち親子が数駅で先に電車を降りるその時、その3歳の子どもが

「バイバイ、お仕事がんばってね~。
ちゃんとしなきゃダメだよ~。」

と、私に大きな声で呼びかけた。

電車の中で、知らない人たちが一斉に笑った。
親子が電車を降りた後で、「かわいい子ね~」と声をかけあい、しばらく知らない人と電車の中で話をした。
子どもの何気ない一言が、電車の中の空気を一気に変えたのだ。

もちろん、子どもはかわいい時だけでなく、ぐずることもあるだろう。
しかし、こういうちょっとした一言で一気に周りを和ますような、こういう世界を私は今、あまり感じたことがない。
私にとって近しい子どもだった甥っ子姪っ子たちや、友人の子どもたちがどんどん大きくなり、私自身が子どもに接する時間が少なくなったということもある。
でもそれだけでなく、世の中の子どもが少なくなり、子どもを「見る機会がないから、そういう世界を感じることがないのだ。
しかも今、安全面もあって、普通に遊んでいる子どもの姿を目にしにくくなってきた。

近年の世知辛い世の中、ぎすぎすした空気、というのは、かわいい子どもたちを見る機会が減り、子どもの何気ない一言を聞く機会が減ってきたことも影響しているのかもしれない

2014年12月2日

人は生きてきたように死んでいく

どんなに目鼻立ちがよかった人でも、年齢を重ねると素敵でなくなる人がいる。
それと逆に、目鼻立ちとは関係なく、年齢を重ねて実にいい顔つきで魅力的な人がいる。

その違いはどこにあるんだろうと思う時、そこにはそれまでの生き方が出てくるのだと思わずにはいられない。

優しい人は優しい顔をしている。
お金に執着する人は卑しい顔をしている。
ふてぶてしい人はふてぶてしい顔をしているし、いつもイラついている人はイライラした顔をしている。

若い頃と違って、年齢を重ねた顔は生き方そのものである、と思う。


初めて、中下大樹さん(僧侶)のお話を聞いたのは何年前だろう。

  平常時は、隠れている人間の本性が、非常時にむき出しになる。
  「死」というのは、人の最大の修羅場であり、誰しも本性がむき出しになる。
  いざという時に、その人の進化・人間力が問われる。

そういう話だった。
それは、中下さんの著書、「死ぬ時に後悔しないために今日から大切にしたいこと」(すばる舎)に書かれている次の言葉につながっている。

  「逝き方」は「生き方」です。
  人は生きてきたようにしか死ねないのです。


年齢を重ねた顔に通じる話だと思った。

私は、昔から哲学や倫理観には疎い人間だ。
そもそも、そういう発想がなかった方だし、そういうことを考えずにいい歳の大人になった。
そんな哲学や倫理観に疎かった私でも、「生き方が表われる顔」に照らして考えてみるとわかりやすかった。


「『死にざま』こそ人生 『ありがとう』と言って逝くための10のヒント 」、「人生の実力―2500人の死をみとってわかったこと」等多数の著書があるターミナルケアの第一人者、柏木哲夫医師も、「人は死を背負って生きている」「人は生きてきたように死んでいく」のだと語る。

  しっかり生きてきた人は、しっかりと亡くなっていく。
  ネチネチ生きてきた人は、ネチネチと亡くなっていく。
  普段から感謝している人は、感謝しながら亡くなっていく。
  不平ばかり言って生きてきた人は、不平ばかり言って亡くなっていく。

  死に際に現れるのは 地位や職業ではなく
  その人の「生き様、人生への態度」だそうです。

上記は、九州のセレモニー司会者、高橋加代子さんが、以前Facebookでご友人が書いた柏木哲夫医師の話をシェアしていたもの。
私の心にずっと残っていた。

日頃、元気に毎日を暮らし、家族も元気で、多少メチャクチャなことをやっても一応日々がまたくりか返されていくと、特に何かを考えることなく日常が過ぎていく。
ましてや、なかなか生きることをちゃんと考えることなどない。
人生への態度、などとてもとても・・・私には難しすぎる。
ありがたいことに、私は心身ともに健康に恵まれていたので、特にそうなのかもしれない。

けれども、数年前に義父(夫の父)が病気になり、その治療に付き添い、段階ごとに治療方法を一緒に選択し、1年後に看送った経験がきっかけで、私は死について向き合い、考えざるを得ない状況になった。
その後、東日本大震災があった。

きっかけがあれば、少し考えることができる。
さすがに、私の人生への態度を考える、態度を変えるのはちょっと難しそうだが、それでも少しだけ考えることができる。

死を意識すると、今をもう少し大事に生きていけるように思う。
意識する機会を作ることは、自分を大事にすることはもちろん、自分の周りの人との関係を大事にすることにつながっているように思う。




■ワークショップを開催します。

 エンディングノートを通して、自分らしく生きるために考える

2014年12月1日

無意識に我慢している・・・・朝の電車から。

1年半前から、私は仕事場を固定しない働き方をしている。
事務所の住所はあるものの、事務所でも、自宅でも、外出先でもどこでも作業できる、いわゆるノマドワーカーだ。

考える作業はどこでだってできるし、メールはどこででも確認できる。
ITの進化のおかげで、メールだけでなく、かつて職場でやっていたことのほとんどが、どこででもできるようになった(ようだ)。
私のITリテラシーの問題があるので、すべて何でもというわけにはいかないが、それでもちょっと前とは雲泥の差だ。
それまでは、朝出勤し、夜帰宅する、というリズムで働いていたのが、今ではその日のスケジュールによって何時頃家を出るかがばらばらになった。

そういう日常の中でも、朝9時頃都心に行かねばならなかったのが今日。
ただでさえ電車が最も混み合う時間帯なのに、今日は月曜日。
しかも朝から雨。
いつも以上に混んでいて、電車は混雑による遅延により、乗り切れない人たちがホームに溢れていた。
その状況に、私はすっかり怯んでしまった。
その怯んでいる自分に、私は自分で驚いてしまった。

私は中学の頃から満員電車で通っていたせいか、中学生の頃からずっと、大人になっても、かつて勤務先に電車通勤していた頃も、私は満員電車がイヤだと思うことはほとんどなかった。
その中で何ができるかを考えれば、できることはいろいろあった。
お友達とのおしゃべり、文庫本を読んだり、音楽を聴いたり、新聞を読んだり、それなりに有効活用できていたからかもしれない。
麻は電車が混むもの、そういうものだと思っていた。

けれども、それが当たり前ではなくなった今の私は、今まで平気だったことが大きな苦痛に変わっていた。
もしかしたら、昔からずっと大きな苦痛だったのを、自分でも気づかずにフタをしていたのかもしれない。

働くということは、そうやって無意識に我慢していることが意外にたくさんあるのだろう。
無意識に我慢していたというのは気づかない幸せだったのかもしれない。
しかし、無意識であったとしても我慢していた私はちょっとかわいそうだった(苦笑)。
それは私だけでなく誰だってそうだ。
できれば、そんな我慢は最小限で働けた方がいいし、職場自身が職場として成果を上げるためにも、我慢を最小限にしながら働く環境を整えていけたらいい。

ノマドワーカーにとっては、いつでもどこでも仕事できる今の環境は大歓迎だが、会社員にとってはなかなか厳しい。
会社用携帯を支給され、仕事時間とは関係なくいつでもどこでもつかまってしまい、グローバル化も進んだせいで、休みも夜中も関係なく仕事に追われる会社員は多い。
いつもいつも追われていて、我慢は昔以上なのではないか。
それなのに、朝の通勤電車ラッシュが今も昔も変わらないと言うのは、どうにも不思議でならない。
どこの職場も、休みの日まで仕事を強要しながら、昔と同じように朝出勤して夜仕事を終わるリズムを守っているに違いない。
そうやって我慢を無意識に重ねている人が増えているであろう現代は、会社も経済も疲弊していくのではないかと思う。

2014年11月28日

最近、香りが強すぎやしないか?

ルームフレグランス、洗濯時の柔軟剤、入浴剤・・・・
いつのまにか私たちの周りには人工的な香りがいっぱいだ。

私自身は、ほのかに香る柔軟剤や、シャンプーの香り、石鹸の匂いは決して嫌いではないのだが、いつのまにかそれが「度」を超えてきたような気がするのだが、いかがだろう?

まだ私が若かった頃は、香りと言えば香水やオーデコロン、オードトワレだった。
自分の好きな香りを探したり、香りを贈ったり、贈られたり。
当時は、残り香で人の気配を感じていた。
それまで会議室にいた人やエレベーターに乗っていた人がわかることもあった。
私自身も、何種類かの香りの中からその日の気分の香りを選ぶこともあったけれど、時の経過とともに香りをつけなくなった。
あれは一時ブームだったのだろうか。
香りの好みが変わってきたのか、いつのまにか面倒になってしまったのか・・・。
気づいたら、香りをつけるよりは、香りがない方を好むようになっていたし、香水をつける周りの人も激減している気がする。

その後しばらくして、洗濯の柔軟剤に香りがつくようになり、そのほのかな香り・・・それがちょっと心地よい感じがして、我が家では好んで使うようになった。
今から10年くらい前のことだ。

そして今。
以前に比べて、柔軟剤の香りはとても強くなったように思う。

香り(匂い)というのは、心地よくしてくれるし、身だしなみにもなるし、お洒落でもあるけど、最近の香りの強さは私にとってはちょっときつすぎ。

聞くところによれば、香りアレルギーと言うのもあるらしい。
香のせいで気分が悪くなったり、頭痛がしたり・・・。
混んだ電車の中やオフィスの中は換気も悪く香り(匂い)がこもりやすく、もはや逃げることもできずに苦しんでいる人がいるのだと言う。
こうなると、もはや香りは暴力にもなってしまう。

強すぎる香りには注意したほうがよさそうだ。

2014年11月24日

初老って何歳から?

昔、仲間うちで、40歳を超えた人たちの塊りを冗談で「初老部」と言っていた。
その仲間とは、私が30代前半からのつきあいだった。
仲間は仕事も年齢もバラバラで、下は10代から、上は40代までがいた。
つきあいが長くなるうちに、それぞれが年齢を重ねるようになる。
いわゆる高齢化なのだが、自分自身も30代から40代になった。

ある時、どういうことでそういう話になったのかは思い出せないが、メンバーの中の40歳以上の何人かを称して「初老部」と呼ぶようになった。
ちょうど私が40歳を超えた頃だ。
つまり私は初老部設立メンバーだったことになる。

今の私から見れば、40歳などまだまだ若いヒヨッコだが(苦笑)、当時は40歳をそれなりの年と感じていたのかもしれないし、我ながら結構な年になったものだと思ったのかもししれない。

まあ、半分以上は冗談で言ってただけではあるのだが、それにしても「初老」とは一体何歳からなんだろう?!

高齢者とは、定義はさまざまではあるらしいが、一般には65歳以上のことを言うらしい。
その中でも、前期高齢者と後期高齢者があり、75歳以上が後期高齢者というのは、よく知られている通りだ。

では、初老は?
調べてみると、昔は40歳を初老と呼んだらしい。
けれども今は、60歳ぐらいからを『初老』と考える人が多いようだ(NHK放送文化研究所調査2010年)。
なんだ。冗談のつもりで「初老部」と呼んでいたけど、ふざけるどころか、昔からの本来の意味では、大真面目に正しかったわけだ。
それも、10代の意見では「初老」は平均48.8歳。50代の意見では平均59.1歳と、幅が出るのも面白い。

誰もがその年齢に近づくと、いやいやまだまだ、先のことと考えるようになり、知らないうちに初老の定義を先延ばしにしていく。

そう言えば、70歳前後の方々を対象にした終活関係の講座で参加者の皆さんにエンディングノートを書くことについてお尋ねすると、「いつかは書こうと思うけれど、そのうちに。」と考えている人が多いことを思い出す。
書こうとは思っているのだ。でもまだ先でいいだろうと思っている。
ほとんどの人がエンディングノートを知っているが、書いている人はわずか2%と言われている。

人は、「老い」の自覚を先延ばししたいのだ。
いつまでも若い頃の記憶やイメージが残っていて、なかなか現実を直視していない、直視できないということもあるのだろう。

かつては冗談で初老部と言っていたけど、どうやら私は今、リアルに初老になろうとしている。
微妙な女ゴコロとしても、やはり自分が実は初老だったとはなかなか認めにくいところではあるが、それでも私は随分前に仲間内の「初老部」に入ったので(笑)、意外にすんなり受け入れられそうだ。

2014年11月22日

遺影が語る。顔が語る。

毎日新聞に、仲畑流万能川柳というのがある。

Wikipediaによれば、

1991年11月に毎日新聞でスタートした川柳のニューウェーブ。正式には「仲畑流万能川柳」と呼ぶ。日本を代表するコピーライター、仲畑貴志が毎日18句をピックアップして朝刊(通常は3面)掲載。最優秀作品には「秀逸」作としてニコニコマークがつけられ、毎月「月間賞」と「月間大賞」が選ばれる。さらにこの中から年間大賞、年間準大賞各1句、年間特別賞3句が選定され、受賞者は毎年5月に東京と大阪で交互に開かれる「強運者の集い」で仲畑から表彰される。
世相を鋭く風刺したり、人生の喜怒哀楽を率直に表現する句風が特徴。毎月約1万通(5万句)の葉書が寄せられ、新聞社の投句数としては全国一。これを仲畑がひとりで選定する。

とある。

その、11月20日に発表された句の中で、仲畑貴志さんが秀逸と選んだ句がこれ。

軍服の遺影が何か言いたそう 山口 英智郎


仲畑さんは、これを風刺かたとえ話として秀逸と判断したかもしれない。
でも私は、遺影は「言いたそう」ではなく、「言っている」と思う。
きっと語っている。

まあ昔の遺影は白黒の証明書写真のようなものばかりなので、「言いたそう」までで、なかなか「言っている」とは言えないかもしれない。
でも今の遺影は、随分変わってきた。
ふだんのそのままを捉えた写真を遺影にするケースが増えてきた。
そういう遺影は「語る」。

遺族や親しい人が見れば、きっとその人の声が聞こえる。
褒められたこと、叱られたこと、励まされたこと・・・。
そういう言葉を思い出させてくれる。
それは、遺族や親しい人へのメッセージ、贈り物にもなる。
お別れは悲しいことだけど、メッセージが僅かでも力になる。
そういう遺影を残すことは、周りの人への思いやりでもあると思う。

オトナになると、なかなか自分の写真を撮らなくなる。
だけど、年齢だけじゃなく、いつどこで何が起こるかわからないことを、
ここ数年で私たちは何度も実感させられてきたはずだ。

あなたは遺影にしてもいいくらいのお気に入りの写真を持っていますか?

今日はこれから、百歳の人の顔を撮り続けてきたカメラマン、小野庄一さん
とのトークイベントだ。
どんな話になるか、私も楽しみである。

「遺影」についてのトークイベント
百歳王写真館(巣鴨)にて。
11月22日(土) 13:30〜15:00 入場無料 出入り自由



2014年11月21日

自分の場所がたくさんあった方が、自分の中に余裕ができる。

昨日も冒頭で少しふれたが、20年以上前に参加した北海道の町おこしイベントがきっかけで、当時私がよく一緒に遊んでいた仲間がいた。
そのイベントというのは、サバイバルツアーだった。

電気もガスもない中で過ごす2泊3日。
トイレも参加者が自分たちで作る。
最高の贅沢は、満天の星空の下で入るドラム缶風呂。
そのお風呂も、錆びたドラム缶を洗い、川から水を汲み、薪で炊いて沸かす。
でもその背景には、企画運営を進めた地元の人たちの大きな努力がある。
参加するのは、首都圏、関西圏の10代20代30代40代の男女で、
友達同士は不可。全員が一人参加だ。
あっという間の3日間だったが、
参加者たちは最後には東京(大阪)に戻ってもまた会おう!飲もう!という話に
なって別れ、日常生活が始まってしばらくすると集まった。
集まれば、
3日間の思い出や世話を焼いてくれた地元の人たちの話題で盛り上がる。

また、初開催の参加者はの一部は、次年度開催の時には手伝いに行った。
その結果、毎年必ずOBが手伝いに行く。
このサバイバルツアーは毎年9月上旬に行われていたのだが、
内容はほとんど変わらない。
だから違う年に参加しても、あたかも一緒に参加したような気にもなり、
OB、OGがスタッフになって橋渡しをするので、どんどん仲間が増えていった。

1期、2期、3期、4期、5期・・・・
ちなみに私は3期。2期に夫がいた(当時は独身)。

1回参加者は一部例外を除いて約20名。
毎年回を重ねるごとに、仲間が増え、すぐに会報を作るようになり、
会費を集めるために会則や規約を作った。
会報作りでは定期的にみんなで集まり、手作業で仕上げ、印刷・郵送準備をした。
できあがった会報は、会員だけでなく北海道の人たちにも送った。

だから、その町が東京で北海道フェアに出店すると言えば、
みんなで手伝いに駆けつけた。
食材のおいしさや町のよさを、私たちは地元の人のようにお客さんに自慢した。
アルバイトを雇っていた周りの出店市町村とは大違いだった。

今の言葉で言えば、それはまさにコミュニティ。
当時、私がそのコミュニティのどこにおもしろさを感じていたかと言えば、それは、
メンバーの年齢が幅広かったこと。
仕事、職業がバラバラだったこと。
だけど、その北海道の町なり、サバイバルツアーなりに興味を持って、
自ら応募してきた人たちであり、「同じ釜の飯」とも言えるような、
その2泊3日を経験したという強力な共通項があった。

オトナになると、なかなか新しい友達を作りにくい。
家族以外のおつきあいが、狭くなりがちでもある。
つきあいのある自分の周りの人たちと言えば、仕事関係の人や、昔の友達・・・。
気づくと小さな世界だ。

似たような仕事をしてる人たちだったり、
ライフスタイルや考え方が想像できそうな人たちが多くなる。
場合によっては利害関係もある。
学生時代を一緒に過ごした昔の友達は気のおけない仲間ではあるが、
住んでいた世界は意外によく似ている。
自分と近い世界、似ている人たちの世界だけだと、
つい無意識にその中で比較して、得意になったり、うらやましくなったりすることもあるのではないか。

そのツアーは、予算と運営スタッフの事情により15期で終了したが、
仕事関係でもなく、学生時代でもないときの友だちがいる・・・ただそれだけで、
当時の私は、自分の中に余裕ができたような気になった。
きっと、何か大変なことがあった時に、
「私の場所はここだけじゃない。」と思えるからなのだろう。
それは実際に大変なことがあろうがなかろうが、
そう思えるだけで心に余裕ができる。
何より、一緒に遊ぶのが楽しかった。
いろんなところで、いろんな形でよく遊んだものだ。

自分の場所をいくつも持つこと。
私の場合は、それが意外に大事なことだったことに、今、改めて気づく。
あの仲間づくりを経験したから、今でも新しい仲間や出会いに貪欲になれるような気がする。

昨今、コミュニティが注目されているが、きっとそういうことなんじゃないかな。
コミュニティとは、きっと自分の場所づくり
勤務先だって、家族だって、友達だって、どれもコミュニティなのだけど、
自分にとって居心地のいい場所を一つだけでなく複数持てれば、
もしある場所で行き詰まったとしても、一時的に逃げ出せる場になる。
そんなことがなかったとしても、
そういう場があると思うだけで気持ちの余裕が違う。

言葉を換えれば、
それは違う顔を持てるかどうか、ということでもあるのかもしれない、
偶然にも、ウェルネス&ビューティライターのユウコさんが、ちょうど、週に1度別の顔を持つことがメンタル上も好ましいと書いていた

遊びだけじゃない。
セミナー流行りで、今はあちこちでいろんな学びの場が増えている。
今年の私は意外とよく勉強していて(苦笑)、
学びの場で出会った人たちがたくさんいる。
新しい居場所が、少しづつ増えていくような予感がする。

世の中には、本当にいろんな人がいる。いろんな世界がある。
・・・そういうことを実感できる窓を持つこと。
そして、それだけじゃなく自分自身もいろんな顔を持つことが、
今の時代に自分が心地よくいるためにも、きっといい方法なのだと思う。

その方が、きっと人生は楽しい。





少人数で和気あいあい。まじめで楽しいクラスです。

2014年11月19日

大事なことも「あとで」にすると、「あとで」はなかなかやってこない。

もう20年以上前のことだが、北海道の町おこしイベントに行き、そこで出会った仲間たちとコミュニティーを作り、親しく遊んでいた。

おもしろいのは、メンバーの年齢が幅広いこと。
仕事、職業がバラバラなこと。
サバイバルツアーの町おこしの企画を何かで知り、それに応募してきた人たち、というのが唯一の共通項だった。

今みたいにSNSもないし、インターネットだってほとんど利用されていない。
どこでそれを知ったのかは、みんなバラバラ。

人に聞いた人、新聞で見た人、偶々テレビで見た人。
どこかでもらったチラシを見た人・・・・

ネットがないので、あとで調べよう、はない。
その場で聞く。忘れないようにすぐメモする。
見た記事は切り抜いて保存する。
そうしないと、応募することはできなかった。

応募ものだけじゃない。
買いたい商品。
体験してみたいサービス。
ちょっと気になること。。。。
当時は、その時にしっかり聞く。メモする。保存する。

でも今は、「あとで調べよう」だ。
ネットでいくらでも調べられる。
新聞や雑誌など、リアルなものから情報を得ても、
詳しいことは「あとで」調べられる。
でも次々気になることが出てきて・・・、
そして「あとで」がどんどん溜まっていくのだ。

でも実際は「あとで調べよう」と思っても、「あとで」がやってこないことの方が多い。
最近は日常的に忙しい人が多いし、特に私の場合は最近すぐに忘れてしまうことが多いので、「あとで」はなかなかやってこない。
次の「あとで」が積み上がっていって、古い「あとで」が遠く彼方に消えていくのだ。
ネットは便利だけど、本当に大事なことをぽろぽろとこぼしているような気がする。

どんなに大事なことも「あとで」にすると、「あとで」はなかなかやってこない。
大事だったはずのことが、いつのまにかどうでもいいことに変わってしまう。

高倉健さん訃報に寄せて


大物俳優、高倉健さんが亡くなった。
出先で知らない人が話しているのを聞き、私は思わずその人に「本当ですか?」と声をかけてしまったくらい驚いた。

半信半疑ですぐにテレビをつけたら、健さんの遺作になった映画「あなたへ」で初めて共演した長塚京三さんが、健さんについて語っていた。
「そういう人がいる・・・そう思うだけでホッとしたり、背筋が伸びたりする人っているでしょう? 誰にもそんな人がいるのではないかと思いますが、高倉健さんは、私にとってはそういう人でした。」
長塚京三さんは、この映画で共演するまで、健さんに会ったことはなかったと言う。

「幸せの黄色いハンカチ」で共演した武田鉄也さんは、健さんはコツコツ努力している人が好きだったから、今、自分が60歳を過ぎても、バッタリ会ったときに恥ずかしくないようにという思いがあり、地道に努力できたのだと語る。

このように思う方がきっとたくさんおられるのだろう。
長塚京三さんも、武田鉄也さんも、きっと健さんの姿勢のようなものに魅せられていたのではないかと思う。

姿勢とは、生きざまとも言えるかもしれない。
生きてきた軌跡。
どこを見て、何を見て生きてきたか。
何を大事にしてきたのか。


Yahoo!ニュースに、所属事務所が発表したコメントが掲載されている。


生ききった安らかな笑顔でございました。

病名 悪性リンパ腫
「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」
83歳の命を全う致しました。

治療に携わって下さいました病院スタッフの皆様から温かい涙とともにお見送りを戴き、故人の遺志に従い、すでに近親者にて密葬を執り行いました。


健さんは、自分というものをもちながらも、一方でいつも迷いながら生きていく人だったという。

器用になんでもこなし、コミュニケーション力に優れている人こそが今の時代によいとされるが、健さんは正反対(に見える)。
役柄からは不器用そのものに見える。
お話がうまいわけでもない。けれど、心の通った気遣いをされる方だったという。
素(す)の健さんは饒舌だったそうだが・・・。

回りを見まわしても、似ている人がいない。
こういう人はもう出てこないんじゃないか、と残念がる声も聞かれた。

今の時代、よしとされるタイプと正反対のように見える健さんみたいな人は、たしかにもうなかなか出てこないかもしれない。
この訃報に接し、今の時代によしとされないタイプの健さんが、ますますあこがれの対象になっている。
でもこれを、古き良き昭和な感じ、とまとめたくはない。

時代が求める形は、必ずしも求める形ではないのだ。
みんなが同じ方向を求める必要はない。そんなのは気持ちが悪い。
ここのところ、誰もが一斉に同じ方向に向くような気持ち悪さを感じることがある。
でも人はみんな違う方がいい。
自分自身も、周りの人たちの違いを受け入れられる大きさを持ちたい。
その時代、その時代ごとに、「○○な人がいい。」とされる人間像が言われるけれど、自分もそうならねばなどと、そんなものに振り回されてはもったいない。

自分の足で立つ。
そして、自分の姿勢とはどういうものか、どこに向かって、何を見ていくのか。
そういうことを大事にしたい。
どんなに迷いながらであったとしても。

そんなことを健さんの訃報で感じさせてもらった。

それにしても、83歳でカッコよすぎ。
ご冥福をお祈りします。


2014年11月18日

オトナもたのし、初めてのおつかい

新しいことが億劫になっていた私だが、小さな勇気で「はじめの一歩」を踏み出し、自転車を始めた。
それでも、私が自転車で行くのは知っているところばかり。
家の周りや、家から都心方向に向かうばかりだ。

日曜日に練馬区方面で行われたイベントに出向くにあたり、私は自転車で行ってみようかなという気になった。
地図で見ると11.5キロの距離だ。
徒歩で2時間20分という。

普段ほとんど運動をしていない私にとっては、これは大きな大冒険だった。
自宅での仕事が多いこともあり、下手をすると万歩計の1日の歩数が20歩!という驚く日もあるくらいなのだから。

途中でしんどくなったらどうしようか・・・。
自転車を置いて帰ってくればいい。
絶対に行かなければいけないイベントではなく、見に行きたいイベントだから、もしも辿り着けなくても誰に迷惑をかけるわけでもない。
そう自分に言い聞かせて、いざ、出発した。

代田を抜けて、永福町を抜けて、浜田山、高井戸・・・・
街路樹や公園の紅葉の始まりで、木々が黄色く、赤く変わりつつある。
住宅街の庭には、柿や夏みかん、柚子などさまざまな実がなっていて、その色もいっぱいだ。

南荻窪をぬけ、西荻窪をぬけ・・・・
昭和風情のお店が並ぶ。
住宅街の中には、突然、昔そのままの美容院が現われる。
中を見れば高齢のご婦人方が何人も見える。
昔ながらの小さな魚屋さん、八百屋さん、雑貨屋さん、素朴なカフェ・・・・。

善福寺を抜けて・・・目的の練馬区内のイベント会場に着いた。
イベントを覗いた後は、また自転車で家まで帰ることにはなったのだが、とりあえずカラダがしんどくなることもなく、無事目的地に辿り着き、しかも家まで帰れたことに満足だった。

これは、オトナの「初めてのおつかい」だった。
できるかな?という不安、挑戦する気持ち、もしできたら自分でも褒めたくなるような、褒めてもらいたいような・・・。
オトナの「初めてのおつかい」は、素像以上面白いものだった。
子どもの気持ちを思い出した。
これから一人でふらふら東京を走るという新しい楽しみをみつけたように思う。

2014年11月16日

新しいことは面倒だけど、ザビエルがいて、はじめの一歩があれば、前に進める

5年前から夫が自転車を始めた。
ロードバイクと言って、細いタイヤでハンドルの握る部分が羊の角のように丸くカーブしている自転車、ヘルメット、ピタピタのウェアという、街中で見かける、あのタイプだ。

彼は元々スポーツをやっていたわけでもなかったが、知り合いから誘われて試しに乗ってみたら、あっという間に虜になった。
いつの間にか100キロ、300キロ、600キロ、と走るようになった。

「一緒にやらない?」
何度か誘われたが、その走り方が私から見るとストイックに見えて、私はまったくそういう気にはなれなかった。
彼が走ることは大歓迎だったのだが、自分が走ることは想像できなかったのだ。

そのうち、彼は軽井沢にカニクリームコロッケを食べに、茅ケ崎にアジフライを食べに、というふうにちょっとそこまでの軽い気分でも自転車で出かけるようになった。
一方で、長距離を24時間以上走り続けることもある。
1人でも行くし、連れ立って行くこともある。
楽しそうなときもあるし、苦しそうなときもある。

自転車を始めて、彼はいろいろなものが変わり始めた。
モノの感じ方、表現の仕方、好み、家で話をする内容・・・
彼が、自分の時間そのものをしっかり味わっているような感じとでも言おうか。
これは彼が自転車を始める前には感じなかったことだった。

まわりの友人知人に自転車の面白さを語るようになり、自転車に興味のなかった人たちに「騙されたと思ってやってみない?」と言って、「初めての自転車体験」をさせる。
その結果、次々と自転車を始める人が増えていく(らしい)。

夫は昔から「オレが楽しいことは、きっとみんなも楽しい。」が持論で、自分が楽しいことを語ると止まらない。
それは、学校の教科書に写真が出ていたザビエルのように見える。
日本にキリスト教を布教させた宣教師、ザビエルだ。

私は羨ましくなっていった。
50歳で新しいことを始め、それに夢中になって知らない人にまでその話をしながらどんどん広がっていく彼から、取り残されていくような気がしてきたのだ。

それは、自転車をやらないから、ということではない。
私自身が新しいことを始めることに対して面倒になっていたことに気づいたからだった。

面倒くさい・・・
わざわざそこまでして・・・
どうせ体力的に無理だろうし…

いろいろ理由を並べながら、言い訳をしている自分がいた。
昔の私はそうじゃなかった。
やりたいことはとりあえずすぐにやってみたし、躊躇なんかしなかった。

でもいつの間にか守りの体制にいる。
そういう自分に嫌気がさし、取り残されていく感じがしたのだと思う。

私もやってみようかな・・・
自分の体を使いたい。風を感じたい。町の景色をゆっくり見たい。

そこで私は、今年の夏に夫から助言をもらいながら、ロードバイクではなく、クロスバイク(ハンドルがフラットのタイプ)を購入した。
これが、私の「はじめの一歩」だった。
クロスバイクなら、ピタピタを着なくていいし(苦笑)、ゆっくり走ってもいい。

そして、まずは近所を自転車で走る。
ちょっと先まで自転車で走る。
旅行先に持参して、夫に先導してもらいながら山道を自転車で走る。
・・・私のペースで進み始めた。

なんだって、きっとそうなんだろう。
新しいことを始めるのは面倒くさい。
年をとればとるほど、億劫になっていく。

だけど、自分自身が「はじめの一歩」を踏み出しさえすれば、きっとどんなことでも前に進める。
そこに「こうすると楽しいよ。」と教えてくれる助言者、がいれば、その「はじめの一歩」は、そんなに大変ではなくなっていく。
周りを見渡せば、きっとザビエルがいる。
ザビエルに出会えれば、はじめの一歩は踏み出しやすくなる。踏み出した後も進みやすくなるに違いない。

2014年11月15日

大人数でクライアント企業を訪問するのは、NGサインだった

クライアント企業への提案で訪問する際に、大人数でやってくる会社、それをズラズラ病と言うのだそうだ。
各部署が連携して作業を進める提案の場合、どうしてもそれぞの部署の人がズラズラ来ることになるのだ。

ズラズラ病は、組織がかかっている病いの一つなのだという。
厄介なのは、
病いに罹っていることを組織や本人が気づいていないことだというのだ。
耳が痛い会社がきっと多いに違いない。

10年以上前、会社員として営業部門で働いていた私は、
クライアントからのオリエンテーションというと、
上司、そしていくつかの関連部署の人たちを何人も連れて訪問し、
メンバーで一緒に話を聞くように心がけていた。
そしてプレゼンとなればさらに大勢で訪問し、
営業の私はできれば黒子でいたいと思ったし、
各担当が自分の担当分を説明するように意識して促した。
それがいいこととされていたように思うし、私もそう思っていた。

特に相手が大企業であればあるほど、
大きな仕事、大きな予算であればあるほど、そういう傾向があった。
しかも、担当営業としては、どれだけの人を巻き込めるかというのが、
自分の力の証でもあったと思う。
これがコンペになれば益々それに拍車がかかった。

言ってみればそれは、
我が社は、これだけのスタッフが御社のために力を尽くしますよ。 」
という表明でもあったのだ。
私の勤務先は大きい会社ではなかったので、
後方支援体制がしっかりしているであろう大手に負けないことを見せたいという思いもあった。
また、連れて行くメンバーに対しての、暗黙の「よろしくね」「頼むよ」という
メッセージでもあったと思う。

果たして今はどうしているだろう。
私が会社を辞めてだいぶ経つので、
今の会社の風土がどうなっているかはわからない。
もちろん当時、私はそれを「病気」と思うわけもなく、
ズラズラをいいことだと思ってやっていた。

なぜ「ズラズラ病」が病いなのかというと、全体を把握し大局感を持ちながら、
かつ個々の内容や技術の大枠を適切に答えられる人がいないからだという。
こういう企業と仕事をすると、発注側の手間が増えるから、
つきあわない方がいいと言うのだ。
「ズラズラ病」企業は、きっとそれに気づかないまま、
全体把握のできる人を育てられず、そのうちそれが当たり前になっていくのだ。

たしかに、昔、大勢を連れてクライアント企業に行った時のことを思い出すと、
一人で行く時に比べて状況把握のアンテナが鈍くなっていたような気がしなくもない。
本来、多少能力不足であったとしてもそれを最大限活用しようとするところを、
大勢を連れていくことで無意識の中で甘えてしまうこともあるかもしれない。

大勢で行くことを是としている企業は、
自社の病いに気づかないままどんどんズラズラ病が進み、
その弊害も進んでいき、結果的に個人の成長も止まってしまうのだろう。

思い起こせば、
実際、大勢連れて行っても最初から最後まで一言も話さない人もいるし、
場違いな雰囲気を醸し出したり、
うっかり不勉強であるこを露呈させてしまったりと、
却って逆効果になることも度々あった。

時代は変わり、どこだって形式よりも本質を求めるようになってきた。
全体を俯瞰する力、相手目線でものを読み取る力は、
これまで以上に求められるようになってきた。
そういう強い個人の集合体が、強い組織である。

組織は個人を信じる。
個人は足りないところを自覚しつつも精一杯がんばる。
個人は自分を信じる。頑張る。

そんなことがやはり大事なんだろう。

2014年11月14日

「かさこ塾」入塾をふりかえる

今年の私はよく勉強している(笑)。
勉強嫌いだった学生時代を考えると、信じられないくらいだ。

秋は、毎週1回×4回の塾に通っていた。
毎週塾の宿題に追われながら悪戦苦闘を繰り返し、11日に終了(卒業)した。

その塾がかさこ塾。
テーマは、「好きを仕事にするブログ術&セルフブランディング術実践編」。

年間8万枚の撮影、年間90万字の執筆をこなす、写真も撮影できるライター=カメライター、ブロガーのかさこさんがやっている塾だ。
かさこさんはブログ更新を毎日欠かさない。
ちなみに今日のBLOGOS記事ランキングトップが、かさこさんのブログ記事 「フリーーのクリエイターがジリ貧になり食えなくなる4つのパターンとその対策」の転載だった。

実際に会うかさこさんはとても穏やかな人だけど、ブログでは時々過激なことを書いている。
過激な論調で書くことも多い。
だけど、それは核心を突いていて、彼がブログで書いていることに、私はいちいち納得する。
取り上げるテーマは幅広く、かさこさんが何の専門家かはよくわからない。
私よりずーーーっと若いのだけど、興味の対象、幅が私とは結構近い(気がする)。
こういう感性を持っている若いのがいるんだ、と、最初の頃は小さな驚きを感じていた。

そんな彼が半年くらい前に「かさこ塾」を始めた。
塾を開講してすぐに、かさこさんがとても面倒見よく塾生に対応している様子が、FBから透けて見えてきた。
そのうち、SNSの投稿を見ていて私の知っている人が入塾しているのに気づき、その人がどんどん変わっていくのが見えたのだ。

すごいな、かさこさん・・・・

それを受けてみたくなって、私は入塾した。

もともと私はブログ「術」を学びたかったわけでも、セルフブランディング「術」を学びたかったわけでもなかった。
正直言うと、かさこ塾は若い人のためのものだろうと思っていたし、当初は自分とは関係がないものだと思っていた。
だけど、私はかさこさんのことをもっと知りたくて、入塾したのだった。

ただ、自分のことをどう説明するかは、いつも私にとっての難問だったのも否めなかった。
誰だって、自分のことは自分ではわからないものだと私は思っているので、かさこさんに私のことを見てもらいたいという思いがなかったわけではない。

さて入ってみたら、若い人だけのためではなかった。
塾生には私と同世代の人もちゃんといたし(笑)、もちろん若い人もたくさんいたし、個性豊かないろんな人がいた。
共通するのは、「かさこさんに会いに来た人たち」だったということ。

世の中にはブログ「術」を教える人はたくさんいるし、セルフブランディングの話をする人もたくさんいる。
だけどそこに来ていたかさこ塾生は、明確に「かさこさんから」それを教わりたいと思っている人たちだった。
極論すれば、必ずしもブログ術やセルフブランディング術を教わるのが目当てではなく、「かさこさんから」何かを学びたいと思っている人たちだったと思う。

これこそがかさこさんのブランディング成果だ。
2001年から毎日、PVが大してなかった時も毎日ブログを書き続け、時には炎上させながらも明確に主張し続けてきたからこそ。
その内容に共感した人たちがどんどん増えていったんだろう。
違うテーマであったとしても、「かさこさんから」何かを学びたいという人たちが、きっとまた集まってくるのだ。

ブランディングには正解はない。
人によって目指す形は違っていいし、違うのがあたりまえだ。

個人のブランディングは、生き方だったり、考え方だったり、そういうものの力が大きい。
いくらきれいにしても、最後は「素(す)」。
素材が試される時代に入ったように思う。
かさこ塾でそれを確信できたことが、私には大きい価値だった。

入塾し、もちろん私はかさこさんをもっと知ることができた。
当初はセルフブランディング「術」なんて・・・と思っていた私だったが、私自身のブランディングについて、しっかり考え直す機会をもらった。
かさこさんからは何度もフィードバックをもらった。

これをこれからどう生かすか。
これからどうメンテナンスしていくか。
これが次の課題だ。

さらに、かさこさんの生き方・考え方に共感する人たちと出会えた。
これも大きい価値だ。

これから新しい何かが生まれそうな、そんな気がする。

実際にどんなことを学び、どんな宿題が出て、どんなフィードバックがあるのか。
それは、他の塾生の体験記に譲ろうと思う。



かさこ塾 次回開講は2015年1月だそうです。



2014年11月13日

供給側にとって当たり前のことは、利用者にとって当たり前とは限らない。

女性が気にする美肌。一番大事なのは洗顔というのは、たぶん常識だろう。
そのためにはモコモコのもっちり泡で、というのもたぶん常識。

最近は洗顔しないことが美肌のポイント、なんて説もあるけど、わざわざそういう説が出てくるのも、洗顔常識があるからこそ。

7~8年前には、化粧品業界の洗顔市場では、いかにモコモコのもっちり泡ができるかを宣伝していた。
手の平をひっくり返しても手の平に乗せた泡が落ちないくらいに固くしっかりした泡など、どこもこぞってそれを伝えていた。
私自身も、広告会社勤務当時には、クライアントのモコモコのもっちり泡をどう見せるか、どう伝えるかをクリエイターと一緒に考えたものだ。

あれから8年。
今や洗顔でモコモコのもっちり泡は当たり前だから、どこもわざわざそんなことを言わなくなった。

しかし、私はふと思うのだ。
そのモコモコのもっちり泡、それを顔に乗せた後、どうやって洗うのが正しい洗顔なんだろう。

昔、まだモコモコのもっちり泡がメジャーになる前は、そんなにモコモコにせずに手を洗う時と同じような泡立て方で顔を洗っていた。
顔全体をやさしくごしごしとでも言おうか、顔全体に行き渡らせ、顔の上で泡立てるように。

でも今はモコモコのもっちり泡だから、顔に乗せた時にはもう泡立てる必要はない。
ちょっと触れば泡は横に広がり、1秒で顔全体に行き渡る。
さて、ここからどうしたらいいんだろう。。。。。。

実は、内心ずっと気になることだった。
顔に泡を載せたら、どうするのか?

いくらモコモコもっちり泡とは言っても、手を動かせば泡はつぶれてしまう。
泡をつぶさないようにそのまましばらくじっと待つのか、それともつぶしてもいいから手を動かすのか、手を動かすけどつぶさないように気をつけるのか。それとも?!

やさしく洗いましょう、とよく言われるけど・・・
私はもう何年も、毎回そう思いながら洗顔している。
やさしくって、具体的にどうするんだろう?

あまりにも当たり前なことだと、なかなか聞けない。
誰もが当然のようにやっているようなことは、誰もわざわざ教えてくれない。
調べてみても、当たり前のことについての具体的な説明はないものだ。
当然ながら、広告にも出てこない。

こういうことって、日常生活でも意外によくあるのではないか。

供給側にとって当たり前のことが、利用者にとっても当たり前のこととは限らない。
利用者が最も知りたいことは、供給側にとっては当たり前のことでだったりすることもあるのではないか。

当たり前は必ずしも当たり前なんかじゃない。




最後に・・・
どなたか正しい洗顔方法をご存じでしたら、教えてください(苦笑)。





2014年11月11日

顧客満足がいくら高くても、期待値はどんどん上がる。もっともっともっと・・・・

お客様を満足させるホテルとして有名なホテルは、入り口が奥まっていても、わかりにくくても、さすがにラウンジはたくさんのお客様でいっぱいだ。
今日は曇っているとはいえ、最上階からは東京スカイツリーに幻想的なライトアップが見える。
周りは2~3人でお茶を飲む人たちばかりだが、私はそこで一人、フリーWifiを使ってPCに向かっている。
広くてゆったりした席でおいしいお茶を飲みながら。

実は先日、そのホテルのラウンジの音がうるさくて打ち合わせしてても相手の声が聞き取れない、、という話を聞いたのだ。
まさか?!
顧客満足でいつもナンバーワンのあそこが、まさかそんなこと!
信じられなかったので、贅沢にも来てみたというわけだった。
私は普段そのホテルに行き慣れてなどいないし、偶々やってきた物見遊山の野次馬だ。
それでも、そのホテルでゆっくりお茶を飲むなんてちょっと憧れだし、そこに一人でいるなんて、なんと贅沢な時間でしょう・・・・そう思ってやってきたのである。

結果は・・・・
確かにすごい音だ。
話によれば、ラウンジの隣が工事中だという。
まさに道路工事でアスファルトを削るのに近いような、ガーッ!というか、キーン!という音が、壁の向こうから聞こえる。

ここに来るまで、入り口でも、エレベータの乗り場でも、本当にいい気持にさせてもらって来たのに。
ラウンジの入り口から席までの案内してくれる感じも、お茶を入れてくれる様子も、わざとらしくないのに丁寧で、とても気持ちがいいのに・・・。
この音が・・・・。

う~ん、これにはちょっと驚いた。
イチゲン(一見)の野次馬から見れば、あこがれの時間が壊されてしまった。

周りは混雑しているし、常連さんから見ればこれは大したことないことなのだろうか。
それとも、大好きなホテルが工事していることを承知で、あたたかく見守っているということなのだろうか。
それとも顧客満足度ナンバーワンは昔の話であって、今は方針が変わっているのか。

少なくとも私にとっては大きな不満。
ゆっくりのお茶も、丁寧に対応してくれたスタッフの気持ちのよさも、残念ながらその価値は半減。
こんな中でも気持ちの対応を心がけようとしているスタッフさんが気の毒にさえ思えてくる。

きっと、私にとっては期待値が高いから裏切られた思いがあるのだ。
期待値が低ければ、そんなものかと思うのだろう。

いい評判というのは難しい。
いい評判が立てば次々とお客さんを呼ぶだろうが、確実に期待値が上がっていく。
期待しなければ、ふたを開けたときに大きな感動ができるけれど、期待値が高いとそれ以上でないと感動できない。

私は憧れを抱いていたし大きな期待をして来たから、まさかそんなわけはないだろうと思ってきたから、余計にがっかりしたのだ。

モノも、サービスも、品質を良くすることが大事なのは当たり前のことではあるが、もっともっともっともっと・・・・・人の欲望は際限がない。
供給する側も、いくらいい品質を提供しているとはいっても、常に努力し続けないと、きっとお客さんはいずれ離れてしまうのだ。

2014年11月10日

ケーキやごちそうがない、日常の1日の誕生日

誕生日というと、ケーキを囲んで、♪Happy Birthday to you♪と歌って、ごちそうを食べて・・・そういうイメージがあった。
そうやって過ごさないと、ちょっと幸せじゃないような、可哀想かなみたいな、そんなイメージを持っていたように思う。
子どものころからそうしてきたし、若いころには集まってワイワイしたし・・・。

今年の誕生日はそういう過ごし方はしなかったけれど、だからと言ってちょっと幸せじゃないようには感じなかった。自分が可哀想とも思わなかった。

我が家では、比較的記念日を大事にしてきた、と思う。
我が家は子どもがいないので夫婦二人だが、
どこで食事しようか? どうやって過ごそうか? 何がほしい?
・・・そんな相談をしながら、毎年その日の過ごし方を考えてきた。

そういえば最近の20代に、そういう過ごし方をするのはバブル世代だからだと言われたことがある。
今の若者は慎ましく、せいぜいケーキを買ってきて家で食べるくらいですよ、と。
彼個人の見解だったのか、世の中一般の20代がそうなのか、それはわからない。

さて、今年の我が家がそういう過ごし方をしなかったのは、バブルからの脱却で慎ましくしようと思ったからではない。
それには理由があった。

夫も私も、それぞれ自分のための予定が入っていたからだった。
それも、その日じゃないといけない予定だったのだ。
まあ夫の場合は、天気の関係で結果的にはその予定は急きょキャンセルになったのだが、私の方は天気は関係なく、その予定は「必」だった。
その結果、私にとっては誕生日でありながら、全く普段と変わらない日常の1日になった。

世の中のイメージ、周りの見方では、誕生煮にはケーキとご馳走という形なのかもしれない。
どこかそれにとらわれていて、それがないと幸せじゃないみたいに思いこんでいた節が、私自身にもあったかもしれない。

が、大事にしていた誕生日イベント以上の「必要」な予定、「やりたいこと」が入ること・・・これは悪くない気がする。
それは、自分の中で大事なことが一つ一つ増えていく証拠だと思うから。
大事なことが増えていくことは、これから充実した時間が増えてくことにつながるのではないかと思えるのだ。
たとえそれがやらねばならないことであったとしても。

来年の誕生日はどう過ごすかはわからない。
ケーキやご馳走はなかったけれど、こういう今年の誕生日のことを忘れないようにしようと思う。


2014年11月8日

エンディングノートは「終活」で話題だけど、実は年齢不問の人生ノートだ


何度か書いているが、私はずっと人の顔が気になって仕方がなかった。
それも年齢を重ねた顔、 人生が表れている顔に興味があるのだ。
その究極の形が遺影なんじゃないかなと考えていたことがきっかけで、私はエンディングノートに出会った。

遺影にしてもいいくらいの自分の顔ってどんな顔かしら?と考えることと、エンディングノートの項目は、ちょっと似ている。

エンディングノートの中身を見てみると、エンディングノートは終わりのためのノートではなく人生ノート、そしてコミュニケーションノートだと感じた。
なぜなら、エンディングノートは自分の人生を考えて整理するためのノートであり、しかもそれを自分以外の人に伝えることを前提としているノートだから。

人生のゴールである「死」を意識することで、
生きることを再確認できたり、思い込んでいた価値を考え直したり、再発見したりする・・・ということも、エンディングノートを通じて気づいたことだった 。

そして今、「終活」という言葉が市民権を得るようになり、「エンディングノートを書きましょう」というセミナーが高齢者に人気だという。自治体でも、孤立し対策の一環で積極的に行っているようだ。
でも、このセミナーに出て、実際に書き始める人、書き続ける人はどれくらいいるだろうか。

「ふーん、なるほどね・・・。」
「いずれ、そのうち書こうかな・・・。」
これが大多数ではないだろうか。


また、書き始めた人の中には、「なかなか完成しない」と言う人が多い。

そりゃそうでしょう。
生きているんですから(笑)。

人の考えは、情報や知識、社会の流れ、人との関わりによって変わるもの。
状況が変われば判断も変わるし、考え方が変わることだってある。
進化していくこだってあるだろう。
もしも変われば、どんどん修正・加筆していけばいいのだ。
ぜひ加筆・修正しておきたい。

つまり、生きている限りはエンディングノートは完成しないのだ。
だから無理に完成させようなどと思う必要などないと思う。

しかも、実はエンディングノートの中身は人生ノートなので、別に高齢者だけのためのものではないのだ。
どんな世代であっても、人生を考えるならエンディングノートを使えばいいのに、と思う。

特に「顔」にこだわる私としては、生きざまが顔に表れ始める頃(40歳)には書き始めよう!と言いたい。
例え書かなくても、中身を見てみたら? 考えてみたら?

自分に照らし合わせて考えてみるもよし。
親のことで考えてもよし。
自分の最後を少しでもイメージすることで、今の捉え方が、きっと変わってくるはずだ。



エンディングノート講座開催中
http://www.travessia-endingnote.biz/group/index.html


2014年11月7日

働く人の電話相談、悩みは人間関係だけど・・・

働いている人たちの24時間を考えてみると、その中で働いている時間の占める割合は高い。
だからこそ働いている時間が有意義かどうかはとても大事なものになってくる。
悩みがないに越したことはないが、何にでも悩みはつきもの。

日本産業カウンセラー協会が公表した「働く人の電話相談室」に寄せられた相談内容の集計結果によれば、職場の悩みのトップは「人間関係」。
それも、男性の場合は「上司」との関係に悩む人が6割で、女性の場合は、4割。女性は「上司」よりも「同僚」との関係に悩んでいる人の方が多い(6割)。
とは言うものの、男女とも「上司」に悩むけど、意外に「上司」に悩みを相談しているというのも面白い。

30~40代に限ってみれば、「人間関係」に続く悩みが「パワハラ」。
パワハラを行うのは上の立場、常識的に考えれば40代~50代というところだろうか。
10年前にはパワハラという言葉自体がなかったので、今までだったら悩みとして認識されなかったかもしれないし、我慢するもの、我慢しなくてはいけないものだったのかもしれない。
悩んでいる人にとっては「パワハラ」だろうが、今でもパワハラ加害者にパワハラの自覚があるのかどうかは疑わしい。

中でも私が最も注目するのは、この記事のタイトルにもなっているが、職場で悩む女性は男性の2倍以上に上ったこと。
それだけ悩む女性が多いのだ、男よりも女の方が悩むのだ・・・・とは、私は思わない。

これは、相談件数が女性が2倍だったということであるに過ぎない。
悩む人の数ではない。
「悩んでいる」と言える女性と、言いにくい男性、ということかと思う。

噂話やおしゃべりが好きな女性は、男性に比べて悩みを相談することに慣れており、男性は気持ちを話すことに慣れていないように思う。
事実を述べることや論理的にモノを言うのが得意でも、自分の心の内を語ることに、どちらかと言えば男性は慣れていない。
だから、悩み相談件数として上がりにくいのではないだろうか。

その分、悩んでいること自体にも自覚しにくく我慢を重ねやすく、頑張って、頑張って、頑張っていくうちに、ポキンと心が折れる・・・そういう男性が増えているような気がしてならない。

そりゃあ、悩まないくらいのタフな精神力があればいいのだけど、そうでないなら、
悩みは小さい悩みのうちにでできるだけ解放すること。
ウジウジ愚痴るでもいいから、人に言うこと。
でも昔と違って今は飲ミニケーションも激減しただけに、職場内の発散場自体があまりないのかもしれない。

私は「働く人の電話相談室」の存在を今まで知らなかったが、今のような時代だからこそ、このような相談室があちこちにあってほしいし、その存在はもっともっと知られるようでなければ、と思う。



2014年11月6日

人の顔が気になるなら、自分の顔のことも気にしないとダメ・・・?!

私は“顔”に興味がある。それも目鼻立ちではない人の顔つき、生きざまが表れる顔が気になって仕方がない。
ずっとそう思ってきたことを、ブログでもWebサイトでもSNSでもよく言ってきた。
初めてお会いする方にも、ときどきそう言うことがある。

よく聞かれるのが、次の質問。

「あの~、私の顔はどうでしょうか?」 
「私、ちゃんといい顔しているでしょうか?」
「悪い顔ってあるんですか? どういう顔ですか?」


今までそういうことを聞いてきた人は、みんなすごくいい顔をしていた。
真摯、ひたむき、実直、夢がある・・・・そういう顔の方ばかりだ。
でもみんな40歳かそれ以下と比較的若いので、生きざまがでた顔になるのは、むしろこれからなのかもしれない。

それでも、いきなり質問を受けると意外に答えにくくて即答しないでいると、、「え?!悪い顔ってこと?」と逆に先回りして言われたりする。
いやいやごめんなさい、と謝って余計ややこしくなることもある。

じゃあ、私が悪い顔と感じるのはどういう顔なのか。
どんな目、鼻、という法則はないのだが、しいて言葉にすると、例えば“お金のことばかり考えている顔”、“いいかげん(そう)な顔”、“卑しい顔”、“回りよりも自分と主張しそうな顔”・・・
例を挙げればきりがないのだが、電車の中などでそういう顔に遭遇することがある。
異業種交流会などでお会いする人の中でも、口では笑いながらも損得が前に出ているようなお顔をされている方にお会いすることもあり、はっとすることがある。

じゃあ私自身の顔はどうなのか。

「人の顔のことを言ってるくせに、自分の顔のことはどう思っているんだろう?!」と思われやしないかと、内心はちょっとびくびくしている。
ここがイタイところで、実は自分の顔のことはまるでわからない。
私こそ、誰かに聞きたいくらいだけど、怖くて聞けない。
でもまあ、ある程度自分のことを棚に上げないと前に進めないというのはよくあることとして(苦笑)、そこはご勘弁ください(苦笑)。

誰でもそうだ。
自分のことは意外によくわかっていない。

私自身は、顔つきに興味があるといいながら、自分のファッションやメイクにはほとんど関心がない。そのくせ、微妙なオンナゴコロで年齢を公開するのはちょっと・・・などと言ってウジウジしている輩だ。
また、今の私の公開しているプロフィール写真が果たしてこれでいいのかどうか。
実物と違い過ぎて差し替えた方がいいと思われる人をよく目にするので、このプロフィール写真をも見た初対面の人が実際の私を見て、別人と思うようなら差し替えねばならない、とは思うもののなかなかそういう声を聞く機会もない。
そう思っていたら、昨日、このプロフィール写真を入れた名刺を自作して名刺交換をしながら名刺の講評をもらうという機会があった。

結果は・・・
概ね好評ではあったのでホッとしたものの、お一人から「髪型が違うから差し替えた方がいい」という意見をもらった。
おぉ! 顔にこだわる私としてはスルーできない(笑)。
でも実は髪型など変わっていないのだ。
違くはないが、偶々前髪が邪魔にならないようにバレッタ(ヘアクリップ)でまとめていた時にお会いしたからだったようだ。
私にとっては何も変わっていないけれど、きっと人から見る印象となると、少し違うんだろう。

自分目線と他人目線。
特に自分に対する他人目線はわからないものだ。



いい顔、撮ります!大人のための出張青空写真館「i-face

http://www.travessia-i-face.jp/


2014年11月4日

昔の顔で未来がわかる?! いや、今が未来の顔を作る!

ずっとずっと昔から、人の顔に興味がある私としては、スルーできないタイトル本が出た。

卒アル写真で将来はわかる 予知の心理学 」(文藝春秋)
マシュー ハーテンステイン (著), Matthew Hertenstein (原著), 森嶋 マリ (翻訳)

本屋さんでは平積みされているようだが、何ともニクいタイトルである。
誰でも卒業アルバムは、甘酸っぱかったり、ワクワクしたり、あるいは悲しくなっちゃったり、思い出したくなかったり、いいにつけ悪しきにつけ、心が揺れるものであるに違いないと思うからだ。

しかも、その卒業アルバムの写真、それも顔写真で、その後の人生がどうなるかを予想できるという話なのだ。

スルーできないと言いながら私はまだ購入しておらず、読んでもいないので無責任な話ですみません(汗)。
今朝のフジテレビ「とくダネ!」で取り上げていて、出演者やその他の人たちの卒業アルバムの写真に載っていた顔と、本で書かれている内容との検証を試みていたのだ。

それによれば、基本は”手相”ならぬ”顔相”に基づいており、そのベースは統計学だという。
成功している人の顔、離婚しそうな人の顔、モテる顔・・・・

番組内では、離婚する顔に分類された人が実際に昔一度結婚したがその後独身・・という紹介をしていたが、主演者の中でもっとも離婚する確率が高い顔とされたのは、気象予報士のアマタツだった。愛妻弁当を食べている映像とともにそんな紹介がされ、本人も「そんな予定はない」と苦笑い。

もっとも成功している顔に分類された大田区のプラスチック加工業の人は社長さんだった。
ご本人によれば、今まで本当に大変な人生だったとは思うけど、成功者だという自覚はない。
でも、これから成功する顔、っていうんだったら悪くないからがんばる、とコメントしていた。

スタジオでは、今後結婚する時には卒業アルバムの顔写真を確認してから、などと笑いとともに盛り上がっていたが、取り上げ方がかなりテレビ的だったので、実際に書いてある内容に本当に沿っているのか、忠実なのかどうか。
私もまだ読んでいないのでわからない。

ただ、書籍の企画として、人の心を突っつくうまさを感じて、内容の善し悪し以前に、正直参った!と思った。

ちなみに私が興味を持っている顔というのは、顔相ではない。
目鼻立ちではなく、顔つきだ。
目鼻立ちなんかで決められてなるものか!という思いがある。

私が興味のある顔というのも、卒業アルバムに載るような若い頃の顔ではなく、年齢を重ねた顔、せめて40歳以上の顔だ。

若いころ、いつの時代も私の友達は美人だった。
乙女心としては、それはうらやましくてうらやましくて・・・(苦笑)。
彼女たちを恨むことはなかったが、自分の親とDNAを恨んだ。
周りを見渡し、やっぱり綺麗な子はトクだよなあ、と内心は指をくわえていたものだ。

けれど、年齢を重ねると必ずしも目鼻立ちだけではなくなっていく。
年齢とともに、だんだんと「顔つき」が「顔立ち」よりも優先してくことに気づいたのだ。

今の私が思うのは、人の生き方は顔にあらわれる・・・これは間違いないと思う。
それが「顔つき」になり、目鼻立ちよりも優先し、そのオーラとともにその人の魅力を盛り上げていくのだと思う。
私の周りにも、そういう顔をしている人が何人もいる。
逆に、残念になってしまった顔も、今までたくさん見てきた。

だから、今、どう生きているかが、未来の顔になるのだ。
過去の顔から今が見えるのかどうかは私は知らないけれど、今が未来の顔を作っていく。
私はそう信じている。


いい顔、撮ります!大人のための出張青空写真館「i-face
http://www.travessia-i-face.jp/

2014年11月3日

いい会社とは、会社を辞めた人を温かく見守れる度量があるかどうか

いつだって、どんな立場だって、育てる立場からすれば、一生懸命育てても辞められちゃうときの辛さは大きい。
私も会社員時代は何人も何人もそういう人を見送ってきた。
私がいた会社では、社長はどう思っていたかは知らないが、社員は、たぶん上司も、辞めた人を罵倒したり責めるようなことはなかった。
辞められるのが平気というわけではない。
そりゃあ育ててきたのだから、辞められるのは残念なだし、寂しいし、がっくりくる。
けれど、辞める時には大勢で送別会を開き、これからの未来を応援する雰囲気を漂わせたいい会社だった。
私もそうやって見送ってもらった。それは今でも大きな宝になっている。

なぜその人は辞めちゃうのか?!問題はここにある。
会社に不満があったのか、育て方が悪かったのか、それとも給料が悪かったのか、それとも・・・
私のように、会社が嫌なわけじゃなく、仕事がイヤじゃなく、でも無謀にも他のことがしたくなったから辞める人だっている。

そういう気持ちで辞める私としては、辞めた後も会社といい関係を続けたいと心から願い、そこはそれなりに心を配った。
辞めて7年にもなるので、今でもいい関係と会社の方々に果たして思ってもらえているかどうかはわからないが、年に一度くらいはかつての上司や同僚、後輩とそれぞれ会う機会を設けている。
でも私の知っている社員も次々退職した。
先に辞めたくせに言えた義理ではないが、よく知る社員の数が減っていくのは、やっぱり寂しい。

誰にだって会社を辞める権利があるのは当然だが、できればあたたかく見送ってやりたい。
見送ってほしい。
たとえ内心は悔しくても、だ。

それがオトナの度量というものだし、力ある者はますますそうありたい。
そうあってほしい。

なのに、こちらの社長さんはちょっと残念なことをやってしまった。

私が退職希望者に「激怒」した理由 (藤田晋氏の経営者ブログ) 」

私のいた会社とはレベルも質も全然違う。辞め方もずいぶん問題ではある。
書けない事情もいろいろあるんだろう。
怒る気持ちはもちろんわかる。
それでも、残念なのは、「社長が怒っている」という噂が社内に拡散するよう、意図的に怒ったということである。

さらにそれをまるで公開処刑のようにメディア上に掲載したということ。
お金も立場も名声もある人だから、その影響力は計り知れない。

社員が辞めるなんて日常茶飯事だとあっさりと吐き出すような物言いも残念だ。
人を大事にしない会社とみられても仕方がない。

ここは逆なんじゃないだろうか。
競合会社に行ったというその社員を、失礼千万でありながらもここは意図的に度量の大きさを見せればいいのに・・・。

うちの経験を社会で生かしてもらえればいい。
残念だけど、いずれ、辞めなきゃよかったと将来思われるよう、ますますいい会社にしていきたい。
うちで培ったスキルでもしも大物になったら、一緒にビジネスができるといいね。

・・・どうせ公開するんであれば、それぐらいの度量の大きさを見せてしまえばいい。
どんなに失礼な辞め方なのかは知らないが、社内の人にはますます度量が大きく見えるはずだ。
よくある社員の退職に、いちいちそんなことは言ってられないかもしれない。
けれども、こんなふうに意図的に怒るよりはよっぽどよかったのではないだろうか。

失礼な彼を多少は応援する姿勢くらい見せて、そのうわさが社内に拡散した方が会社の雰囲気も、社長のイメージもずっと良かったんじゃないかと思う。

そんな風に思う私は、甘いだろうか。

私がこの記事を知ったきっかけになったのは、かさこさんのブログだったのだが、驚いたのはかさこさんの見解だった。
プロジェクトを途中で投げ出されたくなかったら、フリーを使えばいい
社員はいつ辞めようと勝手だがだが、フリーは途中で逃げ出さないから、と。

確かにそうなんだけど、会社の重要なプロジェクトはやはり信用できる社員というのが暗黙の了解ではないだろうか。
社員が投げ出さないなんて、もちろん何の保証もないのだけれど、社外だと秘密漏えいなどの不安があって出せない、というイメージが一般的な企業ではないかと思う。

でも、きっともうそんな時代は終わったんだ。
正社員のほうがいいというのは心え情的なことであって、今や運命共同体の会社などないし、心情的なものを支えているものがなくなった今、こんなに不安定なことはない。
お金で解決し、責任の所在を明確にする方がはるかに今っぽい。明快なのだ。

でも私はどこか心でつながっていたいと思っている。
会社を辞めようが、辞められようが、陰ながら互いに応援しあえる関係、たとそれで裏切られたとしてもグチグチなど言わない・・・そんな会社と社員の関係であったらいい。
もし会社に勤めるのであるならば、そういうトップのもとで働きたいと思うし、そういうトップの会社を人には薦めたい。

2014年11月2日

いただきますって言いますか

半年ほど前のことだ。
お坊さんと一般の人が語り合う場に参加した時に、「思わず合掌する(した)瞬間とは?」をテーマにディスカッションしたことがある。
その時、
私がすぐに頭に浮かんだのは、「いただきます」と「ごちそうさま」の時だった。

家で食事をするとき、家族と一緒の時は必ず「いただきます」言うけれど、
合掌はしているかどうかあまり自信がない。
家で食事するにしても、1人の時は「いただきます」と言っているかどうか
自信がない。

外食の時だって、「いただきます」と当然言っているだろう、と思っていたけれど、
今日、6人で外でランチした時に「いただきます」と声に出していたかどうか
思い出せない。
「冷めるからお先にどうぞ。」と言いながら、自分のところに注文したものが
来た段階で何も言わずに食べ始めていたかもしれない。

思い返してみると、なぜか一人の時は声には出さないけれど
手を合わせることが多いような気がする。
でも仲間と一緒の時は手を合わせない。

なぜだ?!
そんなことを思っていて見つけたのがこの記事。
株式会社ぐるなびがやった、「『いただきます』って言いますか。」という調査だ。

こういう記事をきっかけに、
ちゃんとやっているつもりだった「いただきます」や「ごちそうさま」を
いつの間にか忘れていることがある自分に気がつく。
言いたい、言おうとしている気持ちがあるにもかかわらず、
忙しさだったり面倒くささだったりでつい忘れてしまうことがある。
いけない、いけない。
「いただきます」「ごちそうさま」は、日本人らしい大事な習慣の一つだと思う。

朝昼晩、声に出して「いただきます」という人、35%。
家族と食事をする時に「いただきます」と言う人、60%以上。
「いただきます」と言う割合が最も高い世代は、20代の女性。

ふ~ん、本当かなあ。

自分ではそう思っている、ということと、実際にそうしている、ということは、
きっと違うだろうなあ。
でもまあ、そんなことは追及せず、
これをきっかけに私が意識して言うようにしてみよう。
時々忘れたりしていた習慣も、
意識してやるうちにきっと確実な習慣になっていくだろうから。


2014年11月1日

夜型人間にとって、今の朝型勤務の流れは苦痛にはならないだろうか。

早起きが得意な人、朝は仕事の効率が上がる、という人が心底うらやましい。
私は典型的な夜型人間だからだ。

かつて会社員時代も、私は残業の多いほうだった。
夜になるとやる気がどんどん上がるし、頭が活性化していく。
午前中の仕事はどうもはっきりせず、夜に30分でできることが、午前中だと1時間半くらいかかるし、気分的にもノラない。
提案資料や段取りを考えるときも夜のほうがスピードアップするし、中身も濃いものになる。
残業代を払わなければならない企業としては、厄介なヤツだ。

でも、周りに聞くと朝のほうが業務効率がいいそうだ。
夜になると疲れてしまうし、惰性で仕事をするようになり、いいものができないという。

そんなことを言っていても年を取るとだんだん寝てられなくなるから・・・と笑われていた時期もあるが、私の場合はそんなことはなかった。
今だって寝ていてよければ昼過ぎまでいくらでも寝ていられる(苦笑)。

日本式の残業の弊害やワークライフバラスの観点から、今、少しづつ朝型へのシフトが進んでいる。
企業でも効率がアップするからと朝型勤務へのシフトが進んでいるようだ。

うらやましい。
できることなら夜はプライベートの時間に充てたいから、私もできれば朝型人間になりたい。

理想の形は、朝早くに起きて5時半くらいからメールをチェックする。
その後、ウォーキングと称した朝の散歩に出かけ、近隣の公園のラジオ体操に合流。帰宅してからシャワーを浴び、朝食。少々の家事を済ませたら仕事開始。
午後は打ち合わせ等の外出仕事を。

前々からこれをイメージするのだができない。

会社員のころは始業時間が決まっていたので、早起きができなかった私は、起きたらまず朝食を作り、食べ、片づけて出かけるのが精いっぱいだった。
出勤後、午前中はぼーっとしていて、午後からエンジンがかかる。
夕方近くになるとエンジン全開。残業時間に入ると頭が動き始めるのを感じる。
いろいろな仕事を次々とこなしていくのに楽しくさえなっていくのだ。

そうは言っても、午前中に大事な仕事を一切入れないなんてことはできないから、私だってたまには午前中にハードな仕事をすることだってある。
だから、朝起きられないのは甘えだという人もたくさんいる。
私も、そうかもしれないと思う。
でもそういう時は前日からかなりの気合をいれるし、終わった後の疲れも大変なものになるので、やはり、自分のペースには合っていないんだろうと思う。

私のような夜型人間は、世の中にはあまりいないのだろうか。
そういう人の中では、自分の所属する会社で朝型勤務が推進されて、ますます疲れてしまう人はいないだろうか。
結果的には仕事が非効率になっている人はいないだろうか。

朝型勤務は素晴らしいし、私もできればそうしたいとは思うけれど、それが苦痛な人もいるのではないか。
私は今サラリーマンではないから、無理にそういう流れに乗らなくてもいいけれど、自分が勤務する会社の流れが自分に合っていないとなると、本人にとってはきっと大きな苦痛に違いないと思う。

何かいいとなると、みんながそれがいいと言い出し、そっちの方向に向かう・・・
朝型勤務についてもどうもそういう感じがして、こういう流れに私は違和感を感じる。

今、会社を辞めて自由の身になった私は、朝起きるのが前よりもさらに遅くなってしまった。
目覚ましをかけても一度で起きられないからだ。下手すると二度寝してしまうことすらある。
やっと起きても、しばらくぼーっとしている。
朝食後もなかなかすぐには活動に入れず、コーヒーを飲みながらぼーっとしている。
一応9時には仕事を開始するが、メールチェックをしながらなんとなくフェイスブックを見たり、ネットを見たりしながらのウォーミングアップをしている。、
本当に仕事のエンジンがかかるのは、午後3時過ぎ。
でもその前やその頃に打ち合わせのアポが入ることが多く、結局自分が考える仕事にはなかなか手がつかないまま。
帰宅後、夕食を済ませ、片づけをしたり家族との話をしたりとだらだらゆっくり過ごす時間を経て、私は10時頃から再びエンジンがかかる。
ノッてくると、日付を超えてもこれが止められない。
そうして就寝時間が遅くなり、朝、起きられないという悪循環に入っていく。

翌朝、素敵な朝型生活に私はやはり入れない人間なのだと感じて、私自身が自己嫌悪に陥っていくのだ。

2014年10月31日

体験談、ナマの話には説得力がある

先週から短期の塾に通い始めた。
塾生は20名で、今回は4期生になる。
目的はもちろん講師の考えや話を聞くことにあるのだが、そこに集まってくる人たちとの出会いも興味深い。

さて、その塾生同期に東洋医学、日本の伝統食、自然療法、アロマ等をまとめて専門にするセラピストがいる。
私の周りにも薬膳や東洋医学、健康やカラダに精通した人はいるので、似たような話は今までにも聞いたことはあった。
が、彼女の話で興味深かったのは彼女自身の体験だった。

3年間、湿度90%のシンガポールに彼女は住んでいた。
そこから、湿度30%以下のヨーロッパに向かい、約1か月旅行をし、
そこで風邪をひいた(と思った)。なんせ咳が止まらない。
咳はカラ咳なのだがどんどんひどくなる一方で、ひどい咳こみに嘔吐しそうになるほどに。

アロマセラピストだった彼女はそれまで薬を飲んだことはなかったそうだが、
やむなく薬を飲むが治らない。
お医者さんで肺炎の検査をするが異常なし。

そんなとき、彼女の体は東洋医学でいう「金」であることがわかった。
「金」は乾燥がカラダに害をもたらしやすいそうだ。

そこで一切の薬をやめ、ひたすら保湿に心がけたら、だんだん咳がおさまり元気になったのだという。

この乾燥に弱いかどうかはその人次第のことだそうで、誰もが保湿すればいいというわけではない。
人によっては逆の場合もあるし、全く違うところに原因がある場合もある。
この自分のカラダがどういうタイプなのか?・・・ここが問題なのだが、これがわかると、いろいろとコントロールできてよい、というのが彼女の話だった。

この話を聞いて、私もその「自分のカラダ」を知ることができたらいいだろうと思わずにはいられなかった。
聞けば、生年月日から調べるのだそうだ。

ん?!
生年月日?!
そんなもんでわかるのかしら?
正直、そう思った。

彼女と別れたのはその日の夜11時。
帰宅したのは深夜、日付をまたいでいた。
話はそのままになっていたが、それでも気になる気持ちが抑えきれず、私は帰宅後すぐに彼女に自分の生年月日とともに私のカラダについて尋ねるメッセージを送った。

翌日、彼女からメッセージが届いた。
「湿気に注意」と。
驚いた。心当たりがあったのだ。

私はほかの人に比べて極端に湿度に弱かった。
梅雨時穂はいつもフラフラしている。
湿度の高い日本の夏は苦手だが、40度の暑さで友人がぐったりしていたギリシャ旅行では、乾燥しているからケロッとしていた。

彼女の体験を聞いたことが、私に大きな説得力を与えたんだろう。
すぐに聞かずにはいられなかった理由はそれだけではないかもしれないけれど、一般論なんかよりもたった一人の体験、それもリアリティのある体験は、行動を起こさずにはいられない大きな力があるようだ。
リアリティーは強い。
実際に経験したこと、体験したこと・・・現実には大きな説得力がある
それも知らない人の体験話ではなく、本人の口から聞くナマの話だ。

私は彼女からのメッセージで、さらいいろいろ聞きたくなった。
次回の塾で会うのが楽しみである。

2014年10月29日

ブログタイトル、変更しました。

会社を辞めて一人で仕事をするようになってから、名刺の肩書きには悩み続けてきた。

 事務所代表というだけで肩書きなし
 コミュニケーション・スペシャリスト
 i-faceプロデューサー
 ヒキダシスト


私は退職後も前職の延長的な仕事をしていたので、変な肩書きや聞きなれない肩書きを名乗ると、前勤務先や関係者に「なにそれ?」と言われたらどうしようと思う恥ずかしさが払しょくできなかった。

だから曖昧にしておくと、今度は新しく知りあう方に、「ナニしている人ですか?」と大体聞かれる。
そうすると「まあ、広告屋です。」などと照れ半分でごまかすのだが、そうすると相手はデザインする人と思う人もいれば、コピーライターだと思う人もいるし、Web制作の人だと思う人もいる。
話が続けば少しづつ説明していく・・・こんな状況が何年も続いていた。

なんとかしなくちゃ。
そう思っていた。

私は長いこと「いいところ」を探し、見つけて、それを表現するためのお手伝いをする仕事をしてきた。
それは会社のいいところ、商品やサービスのいいところ、人のいいところ・・・。
そう、つまり広告・広報関係の仕事だ。

クライアントである会社は、せっかくいい面を持ちながらもそれが当たり前になると、それを自慢することを忘れてしまうことがある。
商品も、その会社で普通になると、たとえ珍しいくらいの価値があってもなかなかそれにスポットを当てなくなることがある。
外の人だからこそ見える部分がある。
私はそんな仕事をして、約30年になる。

総合広告代理店で、企画~マーケ~営業を25年間経験。
我ながら長くいたと思う(笑)。それは、「いいところ」を探すのが好きだったからだ。
テレビラジオ・新聞・雑誌・Webとオールメディアだけでなく、イベントも経験した。
大きくない会社だったおかげで、仕事は部分ではなく、全体を見渡せた。
経験が長いので、必然的に多種多様のクライアントを担当し、多くの業界を覗き、「いいところ」を探してきた。

でも、広告代理店に「いいところ」を探してもらえるような会社は、絶対数から見れば決して多くない。個人になればほぼ不可能だ。
また、小さな会社の会社ブランドは社長ブランドの場合が多く、会社の価値は社長の「いいところ」とイコールだったりする。
今の私は、そういう小さな規模の「いいところ」探すお手伝いをしている。

そういう方々にいつも申し上げるのが
「自分のことはなかなか見えない、わからない。」ということ。
これは実感である。
なぜなら、そう言っている私自身が、ずっと肩書きに悩んできたのだから。

ずっと悩んでいるだけでは何も変わらない
~そう覚悟して、私は積極的にプロからのアドバイスを乞うようになった。
自分だけで前に進めない時は、外圧に限るからだ。

このヒキダシストという肩書きは、
実は以前からこっそり名乗ってきたものではある。

「思わぬことをズバズバ聞いてきて、ついいろんなことをしゃべらされちゃう」
「あなたと話すと自分を整理できる」
「自分の知らない自分に気づかされる」

無意識に話していて、こう言われることが多かったので、「いいところ」を引き出す人という意味合いで名乗ったものの、そんな肩書き聞いたことないし、「なにそれ?」って言われそうだし、これを乗り越えるには、なかなかの覚悟が必要だった。

そして、ブランディングのプロからも、爆発的読者を持ち多種多様な仕事をする名ブロガーからも、背中を押してもらい・・・

そういうわけで、昨夜からこのブログは
「ヒキダシスト、石崎公子のお仕事ブログ」にタイトルを変更しました。

え? 前はなんていう名前だったっけ?
人は意外と名前なんて覚えていないんですよね(笑)。
まあ、昔のことはいいじゃないですか。



で、何してるの?ということについては、追い追いご紹介していく予定です。
引き続き、どうぞよろしくお願いします。

2014年10月20日

中小企業の方が社員の勤続年数が長い理由と、転職する理由

終身雇用が崩壊したと言われて、どれくらいになるだろう。

私自身は、新卒後ずっと一つの会社、それも大企業ではなく中小企業に勤務し続けた。
バブル崩壊直前にはより高い報酬の話が見え隠れすして次々と同僚が会社辞めたので、会社の中は浮き足だった。私自身も転職を考えたことがないと言えば嘘になるし、同僚が引き抜かれて会社を辞める時には、羨ましい気持ちがなかったとは言えない。

それでも、もし自分が退職するんだったら、それは転職ではなく自分一人で何かする時・・・おぼろげにそう思っていた。
その会社は60年近く前の創業時から男女の給与体系が同じだったこともあり、当時他の会社に比べて確実に女性の未来が明るく見えたことも、女である私には大きかった。

だから私は転職の経験がない。

オールアバウトの特設サイト「国民の決断」で実施した「転職」に関する意識調査は興味深い。

男性の場合、大企業勤務者よりも中小企業勤務者の方が勤続年数が長いのだと言う。
レポートを見ると男性についてのみ記述されているが、男性ほど顕著ではなくても、女性もそういう傾向がある。
(調査はインターネット調査で、対象は20代~50代、男女比も年齢比もほぼ均等)

レポートでは、中小企業では一年未満など短い期間で退職をする人と、10 年以上長く勤める人と、二極化するからではないかと推察しているが、果たしてそうだろうか。

企業にもよるとは思うけれど、働く面白味ややりがい、トップ(や上司)の考え方や情熱等は、大企業よりも中小企業の方が満たされやすいことはないだろうか。
企業が大きくなると、自分が何のためにその仕事をしているのかがわからなかったり、役立っている実感が得にくかったりすることはないだろうか。

中小企業の場合、組織が大きすぎないので、経営陣との接点は持ちやすい。
叶うかどうかは別にしても、希望を伝える機会もある。
叶えたかったら、いろいろな手を尽くす。
仕事の規模が大きすぎないので全体像が見えやすい。
忙しいので、多少経験不足でもどんどん任せてもらえる。
・・・私の場合は、そういうことが当時は比較的満たされていたから、転職を考えることなく、ずっと勤務していたのだと思う。

もちろん中小企業であっても、自分の仕事がどのように成果につながるのかが社員自身にわかりにくかったり、役立っている実感が得にくかったりするような企業も多いので、そういう場合はきっと勤続年数が短くなるのではないだろうか。

転職理由のトップは「給料への不満」。
そりゃあそうだろうが、人の気持ちは複雑怪奇。それだけではないはずだ。
気持ちが満たされているかどうかが、まずは大前提だ。

「給料への不満」の次が、男性は「自身のキャリアアップのため」。
女性は「職場の人間関係」。

結局のところ、転職する理由は未来に希望が持てるかどうかということに尽きると思う。

今の給料への不満があっても、将来の給料に夢が持てれば我慢できる。
人間関係だって、期限付きなら耐えられるのではないか。
「自身のキャリアアップ」などは、まさに未来に向けての話だ。

現在、やりがいがあって仕事に満足していれば転職は比較的考えにくいが、
会社の未来、自分の未来を考えたときに希望が持てるかどうか。
自分の5年後、10年後が描けるかどうか。
産業としての未来が明るいか、仕事の未来は開けているか。
自分のやりたいことができそうかどうか。

社会構造や機械化、IT化が進み、人々の嗜好や価値観の変化は、
今まで以上に速い。
明るいはずの未来が、そうではなくなることだってある。
会社も人も、未来に向けての多様性や柔軟性が益々求められるようになる。

大企業は今まで以上に人がいらなくなるから、大企業を目指すのはいよいよ狭き門だし、終身雇用で運命共同体だった時代は、大企業にいさえすれば安泰だったが、今は大企業だってつぶれないとは限らない。

日本の企業のほとんどは中小企業なのだし、これからの時代はますます中小企業の価値が認められてもいいはずだと思う。
中小企業を盛り上げることこそが、今求められていると思うのである。