私が仕事を始めた頃は、雇用機会均等法施行の直前だった。当時は女が男同様の環境で働けるのは、教師に代表されるような公務員くらいで、一般企業ではほぼありえなかった。女が男のような仕事をしたければ、ひとつづつ勝ち取っていくものだった。一方でそれがモチベーションにもなっていたような気がする。「この仕事がしたいから・・」「私を認めてもらうために・・・」そう思いながら、与えられる以上のことを一つづつ勝ち取って行ったような気がする。
雇用機会均等法から20年以上が過ぎ、目に見える男女差別は今では違法だ。セクハラも市民権を得た。けれども、時代が変わっても働き女子の苦悩は、やっぱり続いているようだ。
私自身は、「男」とか「女」とかを仕事に持ち込むことをあまり好まない。そういうエクスキューズをしたくないとも思っている。けれども、私は頑張っている働き女子には多少弱いようで、多少の“えこ贔屓”もあるかもしれない。それは、その昔の自分自身に重ねてしまうからかもしれず、応援せずにはいられない気持ちもある。
もっと生き生きと働きたいと願い、オンナの個性や視点を仕事に生かしたいと願いながらも、悶々とする20代30代の働き女子たち。なんとなく雑務が押しつけられ、酒席ではホステスのような扱いを受ける。例えば取引先との酒席には必ず若い女子社員が呼ばれる。女子社員のテーブルには氷と水が置かれ、出席者のお酒を作るのは彼女の役割だ。そういう酒席が頻繁に行われる。出席への要請は上司から直接言われるので、異論を言う空気などない。今後も平穏に仕事を続けるためには、黙々と従うのが一番よい、大事な取引先だし、これも仕事だと頭では理解してはいるのだが、「気持ち」は納得できていない。
「こんなことをするために仕事をしているわけではないのに・・・」
「なんでこんなことをしなくてはいけないんだろう・・・」
この気持ち、オトコにはわかるまい。比較的フェミニストな男性であっても、意外と気づいていないようだ。
昔は、“仕事を勝ち取るため”という大義があり、オンナは自分自身を納得させることができた。けれども今の働き女子は、どうやって自分を納得させたらいいのだろう。。。鈍感力の強い人はそれをスルーできるだろうが、そうでない人には大きなストレスになって、これが少しづつ蓄積していくのだ。
男女平等とか、セクハラが違法とか言われ、時代の流れで表に出にくくなった分だけ、苦悩は闇に埋もれて行く。
できることなら無用な戦いなどせずに、働き男子諸君が、女子のそういう思いに自ら気づいてくれるのが一番だ。そのためにも、女子は、働き男子ならではの苦悩をも理解しながら、女子の苦悩を気づいてもらう処世術を、なんとかうまく身につけてもらいたいと私は思う。
2011年2月3日
上司力
指導しない、叱らない上司が増えている時代ではあるが、それでも部下を教育する重要性はしばしば言われることだ。組織の維持発展のためには、必要だし重要なことだ。ユニクロの社長、柳井さんはそれを「上司力」と呼び、部下一人一人の思いや考え方を想像し、部下の長所を生かしてチームで力を発揮していくことためにも、部下が主役になる環境を作ってあげることような上司をになれとエッセイで書いている。
かつて私は「人間力」と言っていたことがあるが、後輩を指導する視点に立てば、それは「上司力」なのかな、などと考えていた時、広告業界で働く27歳の女子が、「上司は、男なら子どものいる人がいい。」と力説したのを聞いて驚いた。「子どものいる人」と「子どものいない人」・・・彼女にとっては部下の育て方が違うと言うのだ。
「子どものいる人」は子どもを育てた経験がある分、「できない」事実を受け入れた上で教えようとする。「父親」として育てる経験をしたせいか、子どものいない人に比べて許容範囲が大きく、部下は失敗を恐れず安心して働ける。一方、子どもがいない男である上司は、「できない」ことがそもそも理解しにくい。上司にとって基本的なことで部下にとってわからないことなどが起きると、「そんなことも知らないの?」というリアクションが目立つと言うのだ。そのくせ、仕事を進める段階ではなかなか部下にまかせず、権限委譲も小出しにしていく。そういう上司の何気ない言葉は部下を傷つけ、部下は上司に指示を仰いだり指導を受けようと言う気も失せていく。そして部下は上司の指示だけをただこなすのが、傷つかないし楽でいい、という考えになっていくのだという。
私自身は子どもがいないので、これはイタイ言葉だと思った。彼女は、「女は元々母性があるせいか、子どもがいてもいなくてもそんなに違いを感じないけど、男は明らかに違う」と言っていたが、これは子どもがいない私への気遣いがそう言わせたに違いない。
また、「子どものいない人」は自分とは異質な個性を認めにくいせいか、丁寧に教えてくれない気がすると言う。
部下を育てることも、上司に育ててもらうことも、営業することも、すべてはコミュニケーション。相手の立場や思い、考え方を想像し、思いやることで、うまくいくかどうかが決まるのは間違いない。私が指導を受けていた頃は、「子どものいない男」である上司はそもそも数としては少なかったので、そんなことは考えたこともなかった。
時代が変わり、少子化や離婚で子どものいない父親が増え、私自身も年齢やキャリアを重ねて指導されるよりはする側に回った。私自身、部下の育てられる方の気持ちへの想像力を少し欠いているかもしれない。
かつて私は「人間力」と言っていたことがあるが、後輩を指導する視点に立てば、それは「上司力」なのかな、などと考えていた時、広告業界で働く27歳の女子が、「上司は、男なら子どものいる人がいい。」と力説したのを聞いて驚いた。「子どものいる人」と「子どものいない人」・・・彼女にとっては部下の育て方が違うと言うのだ。
「子どものいる人」は子どもを育てた経験がある分、「できない」事実を受け入れた上で教えようとする。「父親」として育てる経験をしたせいか、子どものいない人に比べて許容範囲が大きく、部下は失敗を恐れず安心して働ける。一方、子どもがいない男である上司は、「できない」ことがそもそも理解しにくい。上司にとって基本的なことで部下にとってわからないことなどが起きると、「そんなことも知らないの?」というリアクションが目立つと言うのだ。そのくせ、仕事を進める段階ではなかなか部下にまかせず、権限委譲も小出しにしていく。そういう上司の何気ない言葉は部下を傷つけ、部下は上司に指示を仰いだり指導を受けようと言う気も失せていく。そして部下は上司の指示だけをただこなすのが、傷つかないし楽でいい、という考えになっていくのだという。
私自身は子どもがいないので、これはイタイ言葉だと思った。彼女は、「女は元々母性があるせいか、子どもがいてもいなくてもそんなに違いを感じないけど、男は明らかに違う」と言っていたが、これは子どもがいない私への気遣いがそう言わせたに違いない。
また、「子どものいない人」は自分とは異質な個性を認めにくいせいか、丁寧に教えてくれない気がすると言う。
部下を育てることも、上司に育ててもらうことも、営業することも、すべてはコミュニケーション。相手の立場や思い、考え方を想像し、思いやることで、うまくいくかどうかが決まるのは間違いない。私が指導を受けていた頃は、「子どものいない男」である上司はそもそも数としては少なかったので、そんなことは考えたこともなかった。
時代が変わり、少子化や離婚で子どものいない父親が増え、私自身も年齢やキャリアを重ねて指導されるよりはする側に回った。私自身、部下の育てられる方の気持ちへの想像力を少し欠いているかもしれない。
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