2009年12月28日

2009年仕事納め

いよいよ28日。
一般的には今日が仕事納めのところが多いことだろう。
今月に入り、バタバタすることが多くて、結局このお仕事Blogもさぼりがち。
ほとんど更新することができず、申し訳ありませんでした。
バタバタしていたということは、新しい仕事がらみで動くことが多かったということでもある。
民主党政権に代わり、新しい税制度やエコがらみの政策が始まることに伴い、民間企業はそれをうまく使うための動きがスタートし始めた。私の方もそれに伴ったプロモーションで、お正月明けに1本プレゼンを抱えている。なかなか年末年始とはいえ、のんびりするのは難しそうだ。
さらに、新規事業立ち上げ準備も平行して実施していた。

お仕事Blogだから、本来ならその仕事内容をご報告したいところだが、諸事情で公開できることが少ない。けれども、年明けになれば少しオープンにできることもあるだろう。

皆さま、1年間お世話になりました。
ありがとうございました。
2009年は私にとって、つぼみがたくさん膨らみつつある価値ある年でした。
来年は、これを一つづつ咲かせて実りへとつなげていければと思っています。

皆さま、どうぞよいお年を。

2009年12月21日

不景気の効用?

巷では不景気だという話があふれているが、それでも世は師走。周りはどうなんだろう?
例年なら都内の繁華街は12月になれば人が溢れ、お店の予約も早めにとらないとなかなか多人数は入れないというのが常識だったが、今年はだいぶ様相が違う。「**名様以上なら1杯目のビールは100円」という看板を持って路上に立つ居酒屋さん。それも1軒だけでなく何軒も。今や昔のような忘年会は、当たり前ではないようだ。
飲食店とは異なり、知り合いの印刷会社は、休日返上はもちろん、昼夜関係なく仕事が入る。ぎりぎりまで値段を抑えさせられた仕事ばかりではあるが、息をつく間もないようだ。私のところでは、12月に入ってから急にバタバタといろいろなお問い合わせが入ってくるようになった。スケジュールはやや目まぐるしくなっている。「師走」を実感する。
とは言え、私のような仕事の場合、話が始まってから実際に売上が立つまでには相当の時間がかかる。それに、話があってもそれが仕事として成立するかどうかは、いろいろな立場の人が環境などさまざまな検証をした上でないと、なかなか前には進まない。だからバタバタと問い合わせが入ったということが、そのまま「商売繁盛」につながるとは必ずしも言えない。それでも、バタバタと問い合わせをいただくのはありがたいことである。
偶然かどうかはわからないが、この12月になって私に入ってくる問い合わせはどれも、「新しい」取り組みにかかわることである。「新しいシステム」「新しいサービス」「新規事業として開発した新商品」などに関わる企画、広告、プロモーション、プロデュース、コーディネートなどの話である。
世の中が閉塞感が高まり、このままでは立ち行かなくなるという危機感の中で、新しいことに向かおうとする動きが始まっているような気がする。不景気だから気持ちがふさいでしまうということもあるだろうが、不景気だからこそ、人はもっと知恵を絞ろうとしたり、新しいことに挑戦したくなったりするのではないだろうか?そういう動きが少しづつ出始めていることに私は少しワクワクしている。世の中がずっと不景気で、閉塞感がずーっと続くなんてあるわけない(と思いたい)。

2009年12月4日

仕事の継続は人間力

直接的な仕事相手にはならなくても、意見を聞いたり、業界情報を聞く取材などで、ビジネスの話を聞くために人に会う、ということは多い。
先日、私は小さな不動産会社の経営者に会った。経営者は79歳の女性で、私にとっては初対面だった。
彼女は不動産会社に勤務しているときに宅建の資格を取った。それが1950年代後半の話だ。その20数年後にその会社は自己破産する。当時彼女は役員でもあったので大変な時期であったには違いないが、幸い債権者に迷惑をかけることなく処理が終わり、その後、彼女自身が自ら新たに不動産会社を起こす。時代はバブルを迎え、その波にも乗って会社は大きく成長する。しかしそれから20年。彼女は、いつ仕事を辞めてもいいようにと業務を縮小し、かつて雇用していた人には退職金を払い、今は二人だけでやっている小さな不動産会社だ。今までお世話になったお客さんとのご縁だけで仕事を続けているという。「業界の集まりに出ると、オレのお袋よりも年上だ。なんて言われて、もうイヤになっちゃうわ。だから行きたくないの。」とケラケラ笑う。
彼女自身は、50年以上マンションの販売や賃貸管理業などを続けている。40年ほど前に投資用にマンションを購入したお客さんは、そのまま賃貸に出す際に彼女に依頼した。持ち主が年をとり代変わりをするときには名義変更など遺産相続の手続きまで行う。そのまま賃貸業務が継続し、ご縁が切れないままになるので、なかなか仕事をやめるわけにもいかないと笑う。そうして、数十年前にお世話になったお客さんとのご縁だけで業務を続けており、新規のお客さんとの取引はほとんど受けないそうだが、彼女の顧客数はかなりの数に上る。
彼女と話していて驚くのは、その人柄だ。温かさ、包容力、共感力。ジーンズを穿いて打ち合わせに臨み、話題は豊富で、私のような若輩者が言うのも憚られるが、実にチャーミングだ。経営者で長年の経験があるとはいえ、偉そうなところは、まったくない。私は今回、自分自身の不動産問題でセカンドオピニオンがほしくなり、意見を求めたくて面会するに至ったのだが、今後ぜひとも長くお付き合い願いたいと思うような魅力満載の人だった。
彼女によく似た、80歳を超える小さな広告代理店の取締役(男性)を、ふと思い出した。彼は取締役とは言うものの、現場密着型の現役営業マンだ。偉そうなところがなく、温かさ、包容力があり、謙虚だ。そして、赤いマフラーに帽子を身につけ、実にお洒落だ。
世の中の定年から考えれば、明らかにそれを大幅に超えるお二人だが、二人ともとても魅力的だ。長く仕事を続けるということは、長く顧客との関係が持続するということであり、それはその人自身が魅力的でなければ、成し得ないことに違いない。結局は人間力だ。

2009年11月30日

「人」対「人」

新たに始めるサービスのため、Webサイトを立ち上げようと準備に入っている。
イメージよりも内容訴求が目的なので、わかりやすくシンプルにしたい。訴求内容による変化を解析したいので、内容を小まめに書き換えたい。などと考え、制作にあたっては複数のプロのお願いしていた。それにもかかわらず結局は、偶然別件でネットサーフィンしている時に見つけた業者さんにお願いすることにしたのだ。
お願いした業者さんは、地域密着と子育てを中心に据えて、その中で個人でできる範囲の仕事をしていく、というスタンスを貫いている小さな個人事業主だ。
何よりも私が気に入ったのは、彼が誰にでもわかりやすい言葉を使い、相手の状況や立場を思いやり、そして自分の弱さを最初に説明し明確にした上で、「それでもよければ一緒にやりましょう」という対応のしかたであった。言葉にすると陳腐だし、私自身がそんなことは当たり前だと日ごろ思っていることなので、「今さら」感があるっものの、それでも書きたくなるのは、毎回彼の対応が唸ってしまうほど丁寧で、誠実だからである。当初は彼にお願いする気など全然なく、相談だけのつもりだったのだが、結局私は彼にお願いするしかない、という気持ちに変わるのに、そう時間はかからなかった。
仕事はやはり「人」対「人」。心が通うことで成立するものだと実感した。仕事をするうえでの基本姿勢を改めて学んだような気がした。
それでも、自らのサイト制作を発注するというのは、予想外に悩ましいことが多い。私自身が、クライアントのWebサイト制作には数多く関わってきたことを考えると、ちょっと情けない。それでもが問題を整理してくれたことで、現在順調に進行中である。

2009年11月20日

人生相談

元来のお節介な性格のせいか、「カウンセリングとか人生相談みたいなことを仕事にする予定はないのか?」と聞かれることが少なくない。
なぜか私は、人の相談ごとにのる機会が多い。それが仕事であったり、働き方に関連することであったり、生き方であったり、恋愛話だったり・・・。
そんなとき、私は特に何かをアドバイスする、というわけではない。大体、相談する本人自体がコトの本質を見失っていたりすることが多く、それを、話しながら結果的に私が紐といて整理するうちに、解決策が見えてくるのだ。
これは、私が今までコミュニケーション活動をプロデュースするうえで行ってきたことと同じ作業である。クライアント企業の不満や夢など、さまざまな話を聞きながら、現状の問題を発見し、そのための解決策を見つける作業だ。企業がその問題を解決するための魔法の杖や薬があるわけではなく、そのクライアント企業ならではの方策を見つけていかなくてはならない。
個人的な人生相談や働き方相談も同じような気がする。そういう相談をされた時に、私は、相談してくる人自体の価値化に屋感が合え方に寄り添うことを心がけている。特に女性の場合は、男性のように幼いころから「大人になったら働いて家族を養うもの」として育つわけではないので、人生の選択肢の幅がとても広い。例えば、「働くこと」ひとつでも、意識しているかどうかは別にして、自ら選択して選んだ結果だ。「働かない女性」という生き方も、社会では認められているわけだから。その選択肢をどのように選ぶかは、その人によって千差万別なわけで、誰にでも共通する答えなど、ありえないのだ。その人ならではの答えが必ずあるはずだ。
けれども私自身は、カウンセリングの勉強もコーチングの勉強もきちんとしたことがないし、現実的にはあくまでも友人・知人として相談を受けるだけだし、私自身もそれは厭うものでもない。
でも、もしそういうことを仕事にすると考えると、これはかなり「怪しい」きがするがどうだろう? 占いならともかく、もしも私自身が相談する立場だとしたら、そういうことを商売にするような人に相談などするだろうか?と考えてしまうのである。
とは言うものの、私に相談する人が、それによって明るくなり、結果喜んでくれるのであれば、私自身もハッピーだ。私と話をすると元気が出る、と言ってくれる人も少なくない。そんな嬉しい言葉をもらうと、私はもっと元気になり、それが私自身の仕事への活力にもなる。

2009年11月13日

出版不況

出版系の仕事に関わったことがきっかけで、出版企画を検討し、出版社に持ち込む機会があった。出版不況で本が売れないといわれる時代だが、それでも書籍ン御信頼性は高い。私は、出版社の負担をできるだけ減らし、安く作りたいと思い、しかも自分自身がほしいと思う本を提案したいと考えていた。
提案したところ、企画のおもしろさを理解してはくれたものの、即実現、とはなかなか進めにくいことになった。ここ数年で人は本を買わなくなり、特に若い人は、だいたい携帯で情報入手を済ませ、お金を出して本を買うことはない傾向に、出版は強い危機感を持っている。そのため、読者の「深刻なニーズ」に対応する書籍でないと、大手出版社ですら出版に対してとても臆病になっているような印象を受けた。「深刻なニーズ」に対応するものは、例え読者数がわずかなであっても、その人にとっては深刻なので、「お金を出して本を買う」行為につながりやすいというのだ。その通りだろう。けれども、例えば命に関わるような「深刻なニーズ」に対応する本ばかりが増えていくことを想像すると、私はなんともさびしい気がした。
出版社は、出版にあたっては今まで以上に売れるかどうかを厳しく精査する。当然のことながら、私の企画自体の弱さが大きいのは否めない。
現在の出版不況の厳しさを改めて感じるとともに、例え「深刻なニーズ」でなくても、豊かで楽しい気持ちになるために「お金を出して本を買いたくなる」ような出版企画をさらに練り直したいと思う。

2009年11月6日

情報のインパクトと社会の受け止め

私は、通勤電車で2回乗り換え、3種類の電車に乗る。電車に乗るとキョロキョロし、人の様子と中吊り広告を見るのが習慣になっている。
今日もいつものように電車に乗ったら週刊誌の中吊り広告が目に飛び込んできた。
「****34歳の正体」****には実名が入り、大きく顔写真も入っている。関わる男性の不審死で最近世間を賑わせている結婚詐欺師の女性だ。テレビや新聞の報道では写真にモザイクが入り、もちろん実名も出ていないため、正直驚いた。そして電車を乗り換えるとやはり同じ中吊り広告。こちらは実名部分が●●●●と黒く塗られた●で、写真も目の部分が黒く塗られていた。さらに電車を乗り換えたらまたもや目の前に同じ広告で、今度は実名&写真入り。最初に乗ったのは私鉄、2番目と3番目に乗ったのは東京メトロ(地下鉄)だ。その後外出で乗ったJRは、実名部分が●●●●と塗られており、東京メトロ(地下鉄)は実名、都営は●●●●だった。
実名を出す出さないの判断はどこの段階だったのだろう? 同じ東京メトロでも実名が出たりでなかったりしていることからして、少なくとも媒体側の判断ではない。広告主がどこかの段階で判断し、それが間に合ったものとそうでなかったものの違いかもしれない。しかし、これが出たかどうか、その様々な影響の違いは計り知れないだろうし、その週刊誌の売れ行きも大きく変わったはずだ。
中吊り広告の主目的が雑誌の売上アップであることは間違いないが、広告やPRなど、社会に対してコミュニケーション(1wayであったとしても)をとる際に、その出し方によって見識を問われることがある。現在、殺人容疑が確定しない段階でこのような出方になるのを、社会はどのように受け止めるであろうか?(掲載された本人や家族への影響はもちろんだが)
社会とコミュニケーションをとろうという時に、売上拡大という以上に大事なものがあるはずで、それはマスコミ業界に限った話ではないと思う。メーカー、サービス業など、どんな業界もコミュニケーション活動を行っており、それは顧客、社会に少なからず影響を与えるはずだ。その時、企業として恥ずかしくない発信をしたいと、私は思う。あえて言葉にすれば、それは品格や品位かもしれないし、「愛」かもしれない。コミュニケーションとは、そういうものを常に意識するようでありたいと私は思う。コミュニケーション活動というものは、そういうことがじわじわと伝わっていくはずで、長い目で見て、それが「売上拡大」という結果につながっていくはずだし、そこで信頼関係を勝ち得るものなのだと私は信じている。

2009年10月29日

コンサルタント

世の中には「コンサルタント」と称する人があふれている。
私自身、仕事でコミュニケーション活動に関わる相談を受けたり、アドバイスをさせていただいたりする機会もある。そういうときに「あなたはコンサルタントですね?」と言われるたびに「いいえ。私はコンサルタントではありません。」とお答えしている。それは、巷にあふれるコンサルタントの中には怪しげな人も少なくないからで、本音のことを言うと、私はコンサルタントに対して懐疑的だった。
でも中にはとても優秀なコンサルタントの方が多くいらっしゃるのも事実で、懐疑的な私も、コンサルタントの発行するメルマガを愛読していたりもする。先日、そのお一人から、私はコンサルティング(セッション)を受ける機会を得た。私にとっては初体験だ。
そもそも、私は自らの新規事業立案を模索中で、そのビジネススキームに不安を抱いていた。また一方で、日々の仕事に忙殺される中で、なかなかその新規事業をツメていく作業に特化しきれない自分に対してジレンマを抱えていた。そのあたりについて、コンサルタントの意見を聞きたいと考えていたのだ。
結論から言って、コンサルティングを受けるというのは、私にとって大きな意味があった。結局のところ、判断したり決定したりするのは私自身なのだから、答えは自分自身にあるのは間違いないのだが、コンサルティングというのは、それを導き出すうえでの後押しになると思った。物事を見る上でどちらから見るかという見方や、自分自身が気づかない視点に気づけたり、どうしても自分の問題では近視眼的になりがちなときに客観的な意見や俯瞰した意見などを聞くことができる。そのコンサルタントの言うことを聞くかどうかは私の判断であるし、義務もない。けれども、それによって私が日々悶々としていた悩みや迷いのような霧が、すっと晴れた面があった。
その方は水野与志朗さん。ブランディングに特化したコンサルタントで、パーソナルブランドに関するセッションも行う人だ。私は水野さんの仕事に対する考え方に共感することが多く、懐疑的だったコンサルティングを受けてみようと思ったわけだ。彼のセッションで私が何よりうれしかったのは、忙殺の日々についてジレンマを抱えていた事態を「いろいろなことにチャレンジする」個性と評価してくれたことだった。ジレンマがモチベーションに変わったわけで、俗に言う「背中を押してもらった」のだ。水野さんのおかげで、私のコンサルタントに対する悪イメージは払拭された(笑)。
コンサルティングというのは、企業にとっても個人にとっても、前に進むためのツール(道具)の一つになり得るのかもしれない。

2009年10月23日

書籍好調、感謝・・・!

先日このBlogで紹介した書籍「日本の食材帖」(主婦と生活社)が、おかげさまで好調だ。
本書制作にあたって、取材させていただいた生産者関係の方々など多くの方からお褒めの言葉をいただくなど、ありがたいことに大変嬉しい評価をいただいている。
事典と図鑑を合わせたような書籍なのに全体に読みやすい構成であること、内容の濃いこと、「食」にあまり関心のないような消費者でもわかりやすく読めること、いろんな方に紹介したくなる、 写真がきれいでただ眺めているだけでも楽しい、説明文は簡潔でわかりやすい、などなど、わざわざご連絡くださった皆様に感謝申し上げたい。
実際、私が担当したのは、本書の「肉」「卵」についての部分だけなので、このような嬉しい評価をいただけるのは、全体をまとめてくださった方々の力が、何よりも大きい。つくづく、仕事をする上では、ご一緒させていただけることに感謝し、そういう方々とのご縁を大切にしていきたいと感じた。
書店での平積みに、人が手に取っているのを目にすると、やはり感謝だ。
仕事というのは、感謝のうえに成り立つものだと、改めて自分に言い聞かせている。
今後ネット書店のカスタマーレビューも気にしつつ・・・。

2009年10月15日

スピード出版

書店の目立つコーナーに、酒井法子に関する本が高く平積みされていた。見れば、あの酒井法子がなぜ覚醒剤にはまったのか?を書いてある本だ。
発売時期順に「碧いうさぎの涙」晋遊舎(憲旺利之)、「酒井法子 隠された素顔」イーストプレス(梨本勝)、「酒井法子 孤独なうさぎ」双葉社(渡邉裕二)と、現在3冊出ている。ワイドショーだけにとどまらず、あれだけのニュースになった素材だからこそ、出版化は必然とも言えるだろう。もっとも後発なのが「酒井法子 孤独なうさぎ」双葉社(渡邉裕二)で、10月9日発売、初版が2万部で既に増刷が決定したという。出版不況の中、発行した出版社にとってはドル箱になるであろうことは間違いない。
いずれも保釈記者会見までの内容になっていることから思えば、企画から発売までで、正味わずか1か月前後しかかかっていないことになる。著者の梨本氏は携帯サイトを、渡邉氏はブログを書いており、素材がそろっていた※とは言え、かなりのスピード出版である。
このような話題は、何よりも旬が大事だ。旬を逃したら大きな機会ロスになる。だから出版を急ぐ必要があったのだろうが、それを2週間から1カ月でやり遂げることに驚いた。梨本氏自身も、企画からわずか2週間で本が出ることに自分自身が驚いたと、あとがきで書いている。
DTP~印刷技術が進んだことに加え、すさまじい機動力がこれを実現させているに違いない。大手ではない出版社だからこそできたのかもしれない。本を読む人が減り、本を読まなくなり、本が売れない今の時代、出版社の倒産危機の噂話もしばしば耳に入ってくる。それでも、今知りたい情報を、今すぐに届ければ、本はちゃんと売れるのである。
この「旬」を逃さないスピード化は、出版界に限らず、今のような不況の時代を勝ち抜くカギの一つになるのだろう。

※憲旺氏に素材があったのかどうかは未確認。

2009年10月9日

農業ビジネス起業

世の中では今、農業がブームだ。
かつて、不人気だった農業は、今や自然回帰やエコブーム、安心安全志向などの追い風で、家庭菜園人気とともに、ビジネスとしても注目されている。そういう中で、農業ビジネスを進める上でアドバイスをする機会を得た。
依頼主は、親がリタイヤするのを機に地方に居を移したことがきっかけで、家族で家庭菜園をしながら畑を大きくしていったことから、農業をビジネスとして取り組んでいこうと考えたという。都会で会社員として今も働きながら、家族は地方で家庭菜園をしている。本人は農業については素人だが、家族が住む地方に週末通うようになり、不思議な現実を目にしたのがビジネス化へのきっかけだ。周辺は土壌に恵まれ、豊富な農作物が採れるものの、周囲で売られる野菜は他県産のものばかり。農産物販売所で売られるものまでが他県産なのだ。地元の農作物は農協に出しても大した収入にならないので、作った農産物は自家用が中心で、消費しきれないものは廃棄している。当然、農業の担い手は高齢化しつつあり、耕作放棄地も増えつつある。このおかしな現実を変えたい、というのがビジネス志向の始まりだったという。耕作地を守り、農業という産業を守るために、せっかくできた農作物を廃棄することなく地元で消費できるシステム作りをしたいというわけだ。
かつて、農業の活性化や地域活性化策を手がけてきた私にとっては、これは大いに興味深い話だ。何よりも、まず素人の会社員の発想から始まったこと、そして素人ゆえにが何の試算も持たなかったことが、さらに私に火をつける。その歩は、ゆっくりゆっくりになるだろうが、日本を元気にするためのチカラになることは間違いないだろう。いずれこのBlogでも、その経過を紹介していきたいと思う。

2009年10月2日

コントロール

最近出席したセミナーで聞いた話の一部を紹介したい。
「“ヒト”はコントロールしたい動物である。“ヒト”はコントロールされるのが嫌な動物である。それをうまく進めるために、世の中には“カウンセリング”とか“コーチング”とか“目標管理制度”とかいろいろなアプリケーションがある。しかしこれはあくまでもアプリケーションであって、OSではない。」
現実には指示されないと動けないような人も多くいるし、まったくの自由だと何もできなくなったりするのもよくある話だ。けれども、要はコントロールされている意識になるかどうか、が重要なのだ。同じように、どんな小さなことであっても自分がコントロールできる部分があれば、それで満足を得ることができる。この原則は、仕事だけでなく人間関係(友人、恋人、家族など)にもそのまま当てはまる話で、これを忘れると、人間関係はもちろん、ビジネスも失敗するのだ。
私自身を考えてみても、仕事では人をコントロールしようとしている傾向があると思う。それが相手にとってコントロールされている感があれば、さぞかし不愉快に違いない。改めて自戒の念を持つきっかけとなる話だった。

2009年9月25日

日本の国産食材

私は本来、広告や販促、広報を中心としたコミュニケーション活動をお手伝いするのが主な仕事だが、昨年以来、多少出版物の企画や編集をお手伝いさせていただく機会に恵まれ、春から手がけていた書籍、「日本の食材帖」(主婦と生活社)が、このたび発行になった。まもなく書店店頭に並ぶだろう(Web上の書店では既に発売開始)。
それに合わせ、右の「最近の仕事2」欄でも紹介させていただいた。

私自身は、学生時代に栄養学を学んだことから料理番組の企画制作に加わったのが、広告業界への入口だった。その後、農林水産系の食材の普及啓蒙活動、日本型食生活の普及活動や地域活性化策にも関わるようになった。その経験が、今回多少役立ったとは思うが、何よりもこの種の分野で素晴らしい実績を上げている編集スタッフの方々とのご縁に恵まれ、ご指導いただいたことに心より感謝している。
出版業界は広告業界とは近い業界でありながら、伝えたいことの見せ方、訴え方が違う。できるだけ情報を絞って印象深く訴求する広告に対して、出版物は豊富な情報をしっかりと、しかもわかりやすく見せることが重要になる。世の中には教科書的な解説書は多々あるが、そういうものには普通の人が知りたい情報は意外に載っていない。本書では、理解を深める本でありながら教科書にはしない方向でスタートし、普通の人が知りたい情報を満遍なく掲載するよう配慮した。知識のつまみ食いをしながら全体像が把握できるお手軽本なので、どんな方にも喜んでいただける本としてできあがったと思う。
自分の仕事の成果として、最終的にできあがる「本」は、まるで自分の子どものようだ。その本が書店店頭に並び、多くの人の目に触れ、さらに購入してくださる読者がいるということは、本当に嬉しく、ありがたいことだ。これは、仕事をした者にとっては、広告と全く違う、出版の仕事の仕事の価値だと思う。
私は、かつて全国の過疎地域の活性化策をお手伝いしていたせいか、その根幹産業である農林水産業には、たぶん人並み以上の愛着がある。数多くの生産者の方々との接点もあったので、厳しい環境ではあるが、がんばってもらいたいと思ってきた。、国産食材を紹介する本書の編集・執筆作業は、当時お世話になった生産者や地方自治体の方々のお顔、そしてご苦労を思い出しながら進めることになった。本書の発行が、そういう方々のお役に立つようになれば、と願うばかりだ。

2009年9月18日

イメージづくりと演出

民主党政権がスタートした。
官僚のメモなしに夜中まで及ぶ就任会見や、新大臣が翌日から次々と各省庁に方針変更決定を伝えたり、指示・命令を出したりしているのが、トップニュースで報じられている。自民党政権時代の新閣僚がどんな動きをしていたかなど覚えていない国民にとっても、テレビでは今の映像とともに以前とどう違うかを克明に説明するので、是非はともかく「変わったんだな」と誰もが思うような展開が、今のところ進んでいる。
一方で、覚醒剤で逮捕された酒井法子が保釈されたのが、もうひとつのトップニュースだ。警察署を出てくるところからの映像が流れる。微笑む酒井法子の表情に、私はやや違和感を覚えたが、その後、深々と頭を下げるつむじのまわりが、生え際の黒い髪がしっかり伸びて、茶色く染めた髪との境い目がはっきりするのを見て、逃亡から拘留までが確かなことをまざまざと見せつけられた気がした。けれどもどんなにかボロボロになっているだろうと同情していた気持ちは、酒井法子がきれいにメイクし、黒の上下スーツの清楚な雰囲気を醸し出していることで、再び違和感になってしまうのだ。今日になって、記者会見で涙を流しても化粧が崩れないことや、保釈直前にヘアメイク担当者が警察署に入って行ったことなどが報じられた。保釈直後の微笑みもあって、意地悪な私は、「やっぱり女優は違う。本当に反省しているのかな。」と感じてしまったし、テレビでもそういう論調だった。
最初のイメージ作りは重要だ。
民主党は新体制発足直後から、次々と「変わった」感を見せている。新たな出発を見事に演出していると思う。多少稚拙であったとしても、「変えようと頑張っている」様子は好意的に受け取られやすい。共感も得やすいだろう。
一方で、酒井法子は生まれ変わった再出発を見せるべきこの段階で、事件発覚前の清楚な酒井法子が謝罪したように見えた。これは「変わっていない」ことを見せたことに他ならない。だから反省しているように見えにくく、酒井法子に対して同情していた人までもが裏切られた感=否定的なイメージを抱いてしまうのだ。もしここでノーメイクで出てきて、声も出せないほどに傷つき反省している(ように見える)映像が流れれば、「もう許してあげよう」という空気が出てきたかもしれないのだ。SMAPの草彅クンはこの形だったと思う。
すべてが演出、と考えるのは心地よいものではないが、最初のイメージ造成で、民主党は成功し、酒井法子は失敗したと、私は思う。
企業も商品も同じで、最初にどのようなイメージを作っていくか、どのように共感を得て行くかというのは重要だし、ここを間違えたりおろそかにしたりすると、次の1歩が難しくなっていくのだ。
とは言うものの、“イメージ作り”という視点からはこのように見てしまうけれど、それでもやはりイメージというものは、その心の中や本心というのが垣間見えて造成されるものであってほしい、と私は思う。

2009年9月15日

値上げ交渉から値下げ交渉

現在、ファッション関係クライアントに対して、冬のボーナス商戦に向けてのテレビスポット投下キャンペーンの提案準備を進行中だ。

テレビの広告効果が年々落ちていることは、このブログでもたびたび書いてきたが、それでもプロモーション手法の一つとして、そのクライアントがテレビを一切使用しないことは非現実的だ。たとえ効果が薄れているとはいえ、それでも確実にテレビ効果はあるので、無視はできない。どこのクライアントにとっても費用対効果が重要なわけで、広告予算としてテレビが高額だから問題になるのだ。たとえ高額でもそれに見合った効果があればいいわけだが、この効果に対しては高額すぎる、となるからテレビの広告効果が落ちてきていると言われるのだ。

昨年のリーマンショック以来、どこの会社でもコスト削減を行う中で、高額なテレビ広告はその削減対象になってきた。車業界、家電業界が大幅にテレビ広告を減らしたのは、日々テレビを見ていれば誰の目にも明らかだ。

民放テレビ局は、広告費を収入の柱とした事業スキームであるだけに、広告主のテレビ広告予算削減は死活問題だ。つい数年前には、テレビ広告を実施したくても枠がなく実施できなかった時期があったことなど、今や信じられないくらいだ。当時はCMを打つための枠取り合戦だったのが、今や需要供給バランスに各局の獲得戦争が加わり、どんどん値崩れを起こしているのだ。

クライアント側は費用対効果から、当然のことながら少しでも安く抑えたいというニーズがあるわけで、料金交渉は熾烈なものになってきた。2009年になって以降、テレビスポット投下コストの交渉は、毎回値下げ交渉。かつてテレビスポットのコストは実績重視で、毎年テレビ局から値上げ要請が出てきた。こちら側としてもクライアントにその値上げ経緯や理由を説明し、クライアントに納得してもらうための交渉をしなくてはならなかった。そのことを思うと、時代の移り変わりを痛感する。需要供給バランスと競争原理の中で、クライアントの要求が厳しいのは当然だし、クライアントに提案するこちら側としては、値下げ交渉のみならず、サービス付加まで交渉(要求)することになる。こちら側にとっては、クライアントのために動いているわけだから喜ばしいことであるのは間違いない。しかし毎回毎回このような交渉をしながら、テレビ業界のことを思うと、今後どこまで値下げ交渉が可能になっていくんだろう、と空恐ろしくもなる。

今後、景気が上向き、テレビ広告の需要供給バランスがまた変わったときには、テレビ局から値上げ要請される日が来るかもしれない。しかし、クライアント側の考える費用対効果のバランスに見合うだろうか? かつてのようなレベルの値上げは、もはや承服できなくなるだろう。この1年でそれを十分に検証してきたわけだから。その時、テレビ業界の事業スキームはどのように変わっているのだろうか。

2009年8月31日

行動を起こすもとはなに?

新型インフルエンザの流行が始まっている。
我が家では、夫の会社でインフルエンザ患者が出たそうだ。夫にとっては日々一緒に仕事をしていた同僚だったため、言わば夫は濃厚接触者だ。それが発覚したと同時に、夫は「そう言えばのどが痛い。鼻がグズグズする。」と言いだし、その日から寝室を別にした生活が始まった。
そういう中、夏休み最後の日とも言うべき今日、朝のラッシュが終わった午前中に電車に乗ったところ、中学生らしき6人の少女のグループに遭遇した。彼女たちは、これから遊園地に遊びに行くような会話で盛りあがっていた。皆はちきれそうに元気だったが、驚くことに全員がマスクをしていた。車内はすべての席が埋まり、吊皮が半分くらい埋まる程度の混雑だ。乗客は、仕事中と思しき男性が約4割、あとは老若男女が入りまじるような構成だったが、見まわす中で彼女たち以外でマスクをしているのは30代男性のたった一人だった。
ブラジルの豚インフルエンザが発見され、薬局のマスクが売り切れ、水際作戦で成田が厳戒態勢になったのは今年の4月。当時、街なかではマスク姿を多く見かけたものだ。その頃、アメリカ人の知り合いからは「日本人は、まるで国民全員が医療関係者のようにマスクをしていておかしい」と笑われたりもした。そして今、日本国内で亡くなられた方が出始め、これだけインフルエンザ流行がニュースで言われているにもかかわらず、外でマスクをしている人をあまり見ることはない。
元気なのにマスクをするということは、インフルエンザへの予防意識のあらわれだが、今日の電車で見る限り、、中学生にとってはインフルエンザの予防意識が非常に高いことは明らかだ。 いっぽう一般はインフルエンザに対する予防意識は極めて希薄だと言える。この予防意識の結果が「マスクをする」という行動に走らせるわけだが、人を行動させる(今回の例なら「マスクをする」という行動)きっかけとはいったい何なんだろう。

2009年8月27日

自分とは違う世代を見る目

「マスクをする」という人の行動に興味津々でいたら、なんと自分が風邪をひいてしまった。こういう時期なので新型インフルエンザを心配し、医者にシロと判定してもらった上で、電車に乗った。もちろんマスクをして。しかし、コホンと咳をした瞬間、隣りに座っていた人が席を立った。周りにいた人も離れて行った。
マスクをする、という行動が伴わないとしても、やはりインフルエンザに対して、人々は敏感なようだ。

さて、ある会社の新規事業立ち上げ検討ミーティングに参加する機会があり、出席してきた。
それは、この4月に入社したばかりの新入社員を中心にしたメンバー構成で、新しい視点を入れながら、新人研修の一環にも位置付けられていた。
その検討に向けてのヒントになる話をしてほしいとのオファーがあったので、このブログでも紹介した嗜好の変化の話や思い出マーケティングなど、30分間話をしてきた。
実は私が話をする前に、新卒新入社員を中心とするメンバーがミーティングするのを私は横で聞いていた。私が興味深かったのは、その20代前半の男女が、新規事業のターゲットを探るにあたって、団塊世代やアラフォーの意識やプライド、生活態度など、インサイなど、検討していた内容だった。これから始めようとしている事業とターゲットとの接点を探る作業だ。
20代が想像する団塊世代や40歳前後の心のうち。それは「まさしく!」とうなってしまうようなことから、笑ってしまうようなことまでいろいろ出てきた。聞いているだけではもったいないくらい、私から質問したいことはたくさんあったが、時間がなくお預け。その発想はどこからきたのか、なぜそう思ったのか、などにとくに興味がわいた。彼(女)らはついこの前まで学生だったわけで、社会経験は浅い。当然のことながら団塊世代やアラフォーとの接点は薄い。
中にはありえないだろう?!と思うような想像までしていた。経験不足から出てくるであろう間違いならわかるものの、そうでないものに関しては、若者からそんな風に思われている団塊世代、ということ自体が面白く意外で、少し哀しくもある。

2009年8月21日

思い出マーケティング

私が愛読しているメルマガで興味深かったことが書かれていた。
「生活環境ががらりと変わる瞬間(ライフステージの変化)を捉えてブランドの露出を試みること」は、消費者のこころにブランドを印象深く刻む方法だというのだ。
ライフステージの変化というと、進学や就職、一人暮らしのスタートや結婚、女性なら出産などなどさまざまなタイミングがある。団塊世代の退職なども、まさに大変化だ。
私自身で振り返ってみると、自宅で家族とともに暮らしていたところから一人暮らしに変わったタイミングや、結婚などは大きな変化に当たるのかもしれない。その時にそろえた家具や電化製品などは今も鮮明に思い出すことができる。
この「思い出す」気持ち=なつかしむ気持ち、というのが、人のこころを動かすのだろうと私は思う。
最近私は食べものにまつわる仕事が多いが、たとえば印象深い思い出とセットになる味、においは、誰にもあるに違いない。
50代の人がクジラを食べたがるのも、その昔学校給食でよく食べた時の楽しかった時間を呼び起こすのかもしれない。

私はこのメルマガを読んで、これから手がける仕事で、ある程度年齢を重ねた対象に対しての「思い出」を切り口にしたマーケティング展開を考えていきたいと思った。

2009年8月17日

嗜好の変化

食べ物に対する人の嗜好は、変わってくるようだ。
年齢によって、志向する味が変わるのはもはや常識だが、そういうことではなく、「おいしい」という概念自体が変わってきているような気がする。
たとえば牛肉―。
霜降りで口に入れるととろけるような味わいの銘柄黒毛和牛は、その生産者たちの努力の結果、国際的にも「WAGYU」と呼ばれ、日本の食文化を代表する芸術品だ。その味わいは、甘みやコクなど、均一に入っている脂のおいしさである。
しかし今、料理人たちの間で注目されつつあるのは、赤身のおいしさだ。脂(あぶら)が少なくてもおいしい赤身自体が持つうまみなどのおいしさ。その正体は脂ではなくイノシン酸などのアミノ酸だ。
人はまず空腹が満たされ、おなかがいっぱいになることを求め、その後は甘いことやカロリーが豊富なものをおいしいと感じるようになり、結果的に油や脂のおいしさを求める。それが満たされると次に求めるのはうま味になるのではないかと思う。うま味は油や脂のおいしさに比べて、そのおいしさが非常に繊細だし、味に敏感な人ほどそれを感じるものだからだ。
わかる人にはわかる(=わかる人にしかわからない)という味わいが、自己満足にもつながることで、ますますおいしく感じさせるのではないかと、個人的には考えている。
さらに、世の中の健康志向やダイエット志向などが反映され、健康的なものをおいしいと思うようになっているのかもしれない。今後は、よりエコなものなどをおいしく感じるようになる、などの変化が起きて行くのだろうか・・・?

2009年8月10日

テレビの効果

ずいぶん前から、テレビの広告効果が落ちていると言われている。コマーシャルを打っても思うような効果が出ないと。確かに、かつてに比べて、その効果は確実に落ちていると思う。
理由としては、テレビを見る人が減っているからだと言われている。
しかし、必ずしもそれだけではないような気がする。なぜなら、テレビの番組で紹介されるとものすごい効果があるからだ。番組で商品などについて好意的に取り上げられると、その該当商品は飛躍的に売れる。問い合わせも急増する。その数は何割増しなどというケタではない。何倍という数字にまで拡大する。とくに、新商品や新しいサービスの提供など、あまり広く知られていない商品の場合だ。広告主にしてみれば、ぜひとも番組に取り上げてほしいのはいうまでもない。
コマーシャルや広告にすっかり慣れた私たちは、あふれる情報の中で、自分にとって必要か不要かを選別しなくてはならない。そういう中で、番組ではコマーシャルよりもはるかに長い尺を使って、どういう人のためのどんな商品か、どんな使い方をすると便利か、などをリアルなシーンの中でわかりやすく説明してくれる。自分にジャストフィットする情報の取り上げ方だと、コマーシャルなどに比べて、必要か不要かを選別することなく、自分にぴったりだ、という届き方がされるのかもしれない。あるいは面倒だからその情報をそのまま鵜呑みにする、という構図なのか。
今や広告や販売促進など、情報量数が多すぎて、もはや何が自分にとって有益な情報かを選別することも、私たちは放棄しているのかもしれない。
しかし、テレビ局の制作サイドでは、メーカーからの情報提供やプロモートがあまりに多く、広告みたいな番組が増える危機感があり、その傾向が強まると番組は打ち切りになるという。

2009年7月29日

パソコントラブル

事務所移転に伴い、パソコン(以下PC)を新規購入したものの故障し、直ってようやく落ち着いたと7月3日に書いたが、実はこのPC、結局その後も、故障~回復をたびたび繰り返し、入退院を何回も行い、ほとんど事務所にない始末。こうなると仕事の効率がものすごく下がる。PC、メール、インターネットは、まさにインフラそのもの。電気・ガス・水道と同じだ。

購入から1ヶ月以上過ぎ、その間でパソコンが使用できたのは1週間に満たない。いくら入院してもすぐ壊れるのでこのたび返品を決断した。今回のPC購入は価格コムを参考にしながら、以下に同レベルのものを安く買うか、を中心に検討し、メーカー品を安く販売するネット通販店で購入したのだが、使用できない今となっては、価格以上に深刻だ。そこで、今度は商品が信頼できるメーカー直販を中心に検討して注文した。サポートもこれで安心・・・・。

と思いつつ、購入注文後に商品到着日を確認したら、なんと3週間も先!

確かにメーカー直販は、注文後に生産に入ることで在庫を極端に減らすことができ、それでコスト削減を図っているんだった。。。

そんなわけで、このBlog更新もかなり手薄になりがちなのです(って言い訳?)。

2009年7月16日

不景気の怖さ

昨年9月のリーマンショック以来、倒産の噂や、仕事がない(=少ない)という話が減ることはない。
ただ、それよりも重大なのは、個人のお金の使い方が変化していることではないだろうか。
つまり、「お金がないわけではないのに、なんとなくお金を使わなくなっている」という現実だ。お金を使うノリが出てこないのだ。もっとも、実際にお金がなくてお金を使わない人も少なからずいるだろう。しかし、ムード的にお金を使わない人の増加=これが、実はかなり深刻な問題だと私は思う。
実際、私自身も遊びに行く回数、外食の回数が確実に減った。衝動買いもしなくなった。お金がないというよりも、お金をできるだけとっておいたほうがいい、つまり使わない方がいいような気がするからだ。その明確な根拠はないにも関わらず・・・・。
世界の動きとしても、カジノは軒並みダウンだそうで、世界のお金持ちたちも同様にお金を使わなくなっているのだろう。先日軽井沢に行ってきたが、避暑のハイシーズンなのに、道を歩く人の数は例年より少なく、混雑しているのはアウトレットモールとその周辺の公園だけだった。
本当にお金のない人は、当然お金を使わない。
多少のお金のある人は、なんとなく今のところはお金を使わない。
たっぷりお金のある人は、今後のためにお金をとっておこうと思って使わない。
だから、誰もお金を使わないのだ。
この空気が、実は大変なことだ。誰もお金を使わないから、経済が動かなくなり、皆で共倒れになってしまう。。。

2009年7月10日

広告のチカラ

広告効果が薄れてきた、広告が効かないと言われて久しい。
広告代理店勤務が長く、今でも広告の周辺で仕事をしている私にとっては、さびしい話だ。
広告と言えば、テレビ・新聞・雑誌などのマス媒体が中心だが、今や多くの人の「通勤」行動をキャッチする交通媒体は見逃せない。働く女性が増えたことも追い風になっているはずだ。
駅の展開で、「柱巻き」という手法がある。駅の太い柱の周りをポスターがぐるりと囲む、あの形だ。地下鉄なら銀座や表参道など、いわゆる「オシャレ」と言われる場所でよく行われる。駅貼りの大型ポスター全盛以降、さらにインパクトを求めた結果だが、実際にきれいなビジュアルが多く、見るだけでも楽しい。私は通勤で表参道を経由することもあり、比較的よく駅地下の柱巻きをよく見ている。
少し古い話だが、先週の数日間、表参道の地下は人であふれかえっていた。何をするでもなく、うようよと幅広い年代の女性がいる。そこで記念撮影をする人たちも少なくない。彼女たちのお目当ては柱巻きだった。韓国の5人組アイドル「東方神起」だ。柱に大写しになった彼らの顔があったのだ。ただそれを眺める人、記念写真を撮る人、見ながらおしゃべりする人・・・・。日を追うごとに見物人(?)女性は増え、「立ち止まらないでください」と誘導する警備員まで出始めた。
「東方神起」新譜プロモーションであろうと思われるが、広告を見にこれだけ人が集まる、ということが凄い。広告効果が薄れている今、この柱巻きが、その後の新譜売上にどのように効果を出すのか、気になるところだ。

2009年7月3日

安全の担保

事務所引越し後、ようやく日常業務に入り始めた矢先に、今回購入したばかりのパソコンが壊れ、ウンもスンも言わなくなり、修理を依頼・・・・などなど、とても働く環境ではないアクシデントが続き、なかなか落ち着かない日々が続いていたが、ここに来てようやく落ち着いてきた。

ここのところ、手がけている「お肉」仕事。その品質や味、料理の情報に接するのが楽しいのはもちろんだが、日本の「お肉」の業界は奥深く、さらに興味深いことが多い。
「お肉」の生産とも言える動物の繁殖と肥育。と殺から枝肉へ、部分肉へ、精肉へという加工・流通の流れなどなど。
何よりもすごいのは、その安全管理だ。牛のBSEや鶏インフルエンザなど脅かす問題が多いとは言え、うるさい日本の消費者のための安全管理体制の充実は目を見張る。
日本の牛肉が全頭検査が行われているのは、ニュースでも言われている通りだ。さらにどんな牛肉にも個体識別番号がついていて、販売時には必ずその番号が表示されている。インターネットでその番号を検索すると、その牛肉の元となる牛の素性はすべてわかる。その牛の誕生年月日、父、母、どこの農場で生まれ、どこの農場で育ったか、どこでと殺されたか、などなど。これによって、万一、牛肉に何かトラブルが発生しても、その原因究明がスピーディにできる仕組みだ。
すばらしい安全管理体制だと思う。世界中で、ここまで徹底している国はない。
しかし、それにかかるコストはいかほどのものだろう。そこまで気をつけなくてはいけないほど、日本の消費者は神経質なんだろうか。そこまで管理しなくてはいけないほど、食品の安全への信頼度は薄まっているのか。
その体制のすばらしさに感動しながらも、反面そんなに神経質にならなくてはいけない現状が、むしろ普通でないような気がしてならない。

2009年6月15日

事務所の引越

引きこもりの中、今日は朝から事務所の引越だった。
電話工事のほか、インターネット回線の開通工事、パソコンの設定、プリンターの設定・・・・
もはやすべてインフラなので、どれも最低限必要になる。
午前中朝イチに工事を済ませ、その後で設定して午後から仕事。
これが本来の予定だったが、工事業者は前の現場が遅れたとかで昼ごろ到着。
そんなわけで、今日は全く仕事にならなかった。
こういうことは、本来土日のうちに済まさなくてはいけないんだな、と知った。
明日から、がっつり仕事しなくては。

2009年6月12日

引き込もり状態

今、秋に発行される食材関係の事典編集に関わっている。
本来、編集や原稿執筆は私の主たる仕事ではないのだが、こういう仕事はフリーという個人の立場にとって、もっとも引き受けやすい仕事の一つだと思う。そういうわけで、自然の流れとしてそういう仕事をお引き受けすることになった。
全国のおいしい食材生産関係者の方にお話を聞けるのは興味深い。特に第1次産業は、地域の特性を生かした、言わば芸術品だ。会社員時代に地域活性化プロモーションを担当したことを懐かしく思い出しながらも、当時から格段にバージョンアップしていることにも驚かされる。
そういう取材や資料収集がほぼ終了し、現在原稿執筆の真っ最中。こうなると“引きこもり状態”になり、外界との接触も格段に減少する。
“引きこもり状態”から抜け出せるまで、もう少しだ(のはず・・・)。

2009年6月4日

気持ちのいい循環

毎年この時期、ライフワークのようにして群馬県でイベントを開いている。今年は5月30日~31日の実施だった。
完全な趣味として実施しているのだが、ここ数年は参加者70名前後と決して小規模とは言えない。人数が多くなったこともあり、メールやサイトもフル活用するようになった。日常、仕事としてイベントのプロデュースもやらせていただく私としては、お金をいただかない、ということを除けばもはややっている内容自体は趣味か仕事かよくわからなくなっている。クライアントさんは参加者でスポンサーがつかない、というのが大きな違いだろうか。
自らの仲間がまたその仲間を呼び、という形でだんだんと多人数に膨れ上がっていった。会場現地の方と仲間10名前後のスタッフ協力のもとで運営しているが、参加する方が楽しんだり喜んだりしてくれることが嬉しく、今年はどうやって参加者を楽しませようかと考えることもまた楽しい。
終了後の今は、その片付けや忘れ物管理、サイト上での写真や動画アップ、ドタキャン者への返金など、ややバタバタしており、本来の仕事がちょっとおざなりだ(苦笑)。

仕事も、こういう循環でできればいいと思う。
いかにして(消費者に)(クライアントに)喜んでもらうかを柱にしながら進め、(消費者が)(クライアントが)感謝する循環。

今回、この趣味イベントに初参加した人からいただいたお礼のメールの中の言葉にそのカギがあると思った。
「このイベントが何より楽しい理由は、スタッフが参加者と一緒に楽しんでいること。そして参加する人が皆いい人であること。次回ぜひ参加させてください。」

2009年5月28日

就職?!

古い知り合いから久々に電話がかかってきた。
「今、再び就職する気はないですか?」
彼はもちろん、私が会社を辞めたこと、ひとりで仕事を始めたことをよく知っている。

聞けば、某メーカーの宣伝部長に、という話だった。
退社して1年半もたつのに、そういうお話をいただくこと自体、とてもありがたいお話だ。特に今のような厳しい時代に、日々や将来の不安もなく定期的なお給料をいただけるということが、いかに価値のあることか、今の私にはよくわかる。
けれども、残念ながら私にとってはまるで現実感のないことのように思えた。決まった時間に出勤し、会社のビジョン・方針のもとで働く、というごくあたりまえのことが、もうできそうにないと思った。

いったいなぜなんだろう。それが自分でもよくわからない。たぶんその理由こそが、これからの私の仕事の道しるべなのだろう。

2009年5月21日

食肉の市場を見て

取材で、東京・品川にある食肉市場を訪れた。
そこでは、食肉用の牛と豚がセリにかけられている。ちょうど牛のセリのところをおじゃますることになった。

セリは、生体ではなく、枝肉になった状態でセリにかけられる。
枝肉とは、皮、頭部、内臓などを除去してから、これを中心線に沿って背骨のところから2分割した半丸状のもの。だから半身というのだが、半身ふたつが1対で1頭分だ。

上から吊るされた1頭分の半身(二つセット)が次々とやってくる。
枝肉には、どれも半身の一方の6番目と7番目の肋骨の間に切り込みが入っている。この切り込みから、肉の様子、つまり脂肪交雑や肉の光沢、しまりなどがわかるのだ。だから仲買人はその切り込みの間をじっくり見ている。懐中電灯で照らしてみている人も多い。
また、枝肉の表面には等級が刻印されている。A、B、Cの等級がある(それそれがさらに5段階に分かれる)のだが、吊るされている枝肉の刻印には、Aが多く見受けられる。

国産牛肉は、和牛と呼ばれるものとそうでないものがある。和牛は高価なので、数としてはそうでないものの方が、はるかに多いはずなのだが、実際にその日セリにかけられた品種を見ると、圧倒的に和牛が多かった。
聞くと、いいものは東京市場で売れる、東京市場でないと高く売れない、ということだそうだ。
中でも高級品は超高級品。肉だけで1人前程度の量で1万円以上は当たり前。おそらく高級料理店向けの食肉として流通していくのだろう。一般庶民の口に入ることなどありえない。

水産業界では、おいしいものは築地に集まる、と言われるが、食肉も結局は東京に集まるのかもしれない。

それにしてもこれを実際に召し上がるのは、一体どこのどのような方なのでしょう?!

2009年5月16日

自らを活性化するために

決してヒマなわけではないが、なんとなく自分自身が停滞している。
4月下旬から、そんな感じを抱えていた。
このままではいけないと思い、かつての友人にコンタクトしたみた。
その友人は、経営戦略やマーケティング、財務、などを包括的に学んだビジネススクールでのクラスメイトだ。 彼も私も、退社して自由の時間があった時に勉強していた。
卒業後、その友人は自らが社長になって仲間とともにベンチャーを立上げた。私は個人事業主(フリー)として活動をスタートした。彼と私は、過去の経験も業界も職種もまったく違うのに、どこかで同志的な意識があった。
その後に訪れたリーマンショック。リーマンショック直後はまだよかった。政府でさえ楽観的だった。しかしその3か月後、6か月後になって、じわじわと影響が出てきたのだ。どこの企業もとりあえずすべての予算は凍結。彼の会社もその影響を確実に受けていた。
その友人の会社を、卒業後初めて、今の時期に訪ねたところ、会社の調子がすこぶる順調というわけではなかったが、友人の表情は明るかった。前に進む、チャレンジしている、そう実感できる日々が、彼を元気にしているようだった。 彼のことばからはエネルギーがあふれていたし、私は、勇気を持とうとしない自分を、なんだかひどく恥ずかしく感じた。

あぁ、自らの停滞感は、結局は自分自身だ。挑戦しようとしない、だから前に進まない、それが停滞感の源なのだ。
それがよくわかったので、私はこれから確実に前に進みます。

2009年5月13日

教育による食事習慣の改善

昨日に引き続き、服部先生の食育関連の話を。。。

服部先生の専門学校では、入学時に1週間の食事日記をつけさせるそうだ。
そして卒業直前にもう一度、1週間の食事日記をつけさせる。
さて、その食事の改善率はどの程度か???


当然、しかるべき教育を施すわけなので、それなりの成果が期待できるはずだ。

正解は・・・・改善率わずか6%。


ペーパー栄養士である私も、かつて栄養学を学んだ大学生の頃、
入学してすぐに食事日記をつけさせられた。
面倒で嫌なものだった。
しかし、大学1年のクラブ合宿で民宿に宿泊した際のことだ。
2・3年生の先輩が宿に着くなり、野菜や果物、乳製品の買い出しに行くのだ。
民宿の食事は栄養が偏るから、と。
翌年2年生になった私は、同じような行動をして1年生を驚かせた。

入学式の日に学長から
「卒業する頃には食事行動も食物選択も確実に変化しているはずだから覚悟するように」
と保護者向けに断言された、と私の母は今でもその日を思い出して笑う。

私の頃には、学校が違うとは言え入学してわずか1年で、食行動が変わっていたのだ。
時代の変化なのか、学校の違いなのか、それとも・・・・・。



わずか6%の改善率なら、まさに学びが机上の空論そのものである。

2009年5月12日

家庭力?

美味しい豚肉で数年前から話題のTOKYO-X 。
総会と合わせて、10周年記念講演会があった。
出席者の一人、服部幸應先生の話でいいくつかおもしろい内容があったので紹介したい。
服部先生と言えば、今は料理評論家にとどまらず、食育提唱者としての位置づけも大きい。
その主張は、
「(食べ物を)選ぶ力」
「(食べ方など食の伝承の源の)家庭力」
「(地球規模でみた)食糧事情」
を3本柱とする。

中でも家庭力のエピソードは興味深かった。
かつて誰もが知っている桃太郎や赤ずきんちゃんなどの童話だが、今の大学生で知っているのはわずか1/3。読み聞かせなど親から受け継がれてきたはずのお話のはずが、それがなくなっているのだという。
テレビを見ながら食事をするという行為は、日本は世界的に見て驚異的に多いそうだ。欧米ではテレビをつけっぱなし及びつけたり消したりを含めて、全体の1/3以下というのに対して、日本は60%以上。しかも欧米は、教養のない層がそれに当たるという。
かつて大学の講義をすると、受講者たちは講師の話にうなづくなどの相づちを打つ人が相当数いたのに、最近の大学生は相づちを打つ人がいないことも関係しているのかも、という話があった。学生は聞いてるんだか聞いたいないんだかわからなくて講義をするのが嫌になるそうだ。

そもそも親の務めというのは、ヒトも動物も子どもがひとりで生きていける(食べていける)ようにさせることなのに、それがなされていないことがなげかわしい、という。
まさに親の助けなしに一人で生きていけるようになる、これこそが大人になるということなのだと思う。そう考えると、「食育」ではなく、「生育=生きるための教育」なのかもしれない。
しかし自分自身を振り返ると、私が実際に大人になったのは20歳ではなく、30歳を超えてからのような気がする。

服部先生のお話も、確かに「食」に起因している面はあるだろうが、どの話も決して食育に限った話ではないような気がする。

私がかつて大学性の頃、まだ「食育」という言葉はなかった。しかし卒業研究で入った研究室の教授が「食教育」を提唱し、「食べ方」について研究していた。今の食育の礎だ。その教授が、当時誰も注目していなかった個食に注目していた。その考え方は、大いに共感できる。

最後に、食料需給率の問題として国内の需給率はよく議論されるが、都道府県内の需給率をみると、東京都はわずか1.2%。最も高いのは北海道で190%。関東でも千葉、埼玉、茨城などは70~80%。
自分自身の食料購入を考えると、うなづける話でもあり、耳が痛い。

蛇足だが、講演で次々と出てくる各種データ、数字・・・。服部先生は何のメモを見ることなくすべるように話していた。こちらがメモできるようなスピードではなかった。食事中のテレビ視聴は5~6カ国、都道府県別食料需給率は7~8件など。話の内容もさることながら、その記憶力にも感服しました。

2009年5月3日

ダイエット本発売

昨年末から関わっていた本が、いよいよ発売となりました。

いわゆるダイエット志向者のための実用本です。

世の中のダイエット本やカロリー本はどうも説教くさくて、
わかっちゃいるけど、好きなもの食べるのは我慢するだなんて嫌だし、
一方ですべてしっかり手作りするのを前提としているのなんて、
今の時代、非現実的だなあ、と常々思っていたので、
そうじゃない形の、ダイエット志向者のためのカロリー本を
作りたい、と思ってスタートしました。

基本は、世の中に出回っている市販食品=インスタント食品などの
加工食品やペットボトルのドリンク、缶ビールなどのアルコールは
もちろん、お菓子やアイスクリーム、コンビニ系のサンドイッチなどの
他、全国チェーンの外食などなど、日常生活で口にする機会の多いものの
カロリーをずらりとご紹介する本です。
似たような本はいくつも出ていますが、この本では商品はすべてカロリーが
低いものから順に掲載し、しかも1人分の量にこだわって掲載してあるので
とてもわかりやすくなっています。
さらにダイエットのためのアドバイスも網羅し、かなり実用的な本に仕上がりました。
我慢しないでダイエットする、という方針を崩さずに構成したので、
きっと多くの人のお役に立てるはずです。

今回ご協力いただいた会社さんとお話しする中で、
日本の食品会社は、本当にカラダにいい食べ物を作るために努力していることが
改めてよくわかったのは大きな収穫でした。

2009年4月25日

しなやかでクールな女性

偶々、いくつかの仕事が集中し、寝る時間が取れない日が続いていた。
不思議なもので、そうやって忙しい時ほど素敵な出会いがあったりします。

ある業界の仕事をするにあたって、その業界情報や基礎知識を知りたいと思っていたところ、偶然にも知人を通じて、その業界団体OBと一緒に食事をする機会に恵まれた。
その人は、現在72歳。業界団体に来る前はキャリア官僚の女性だ。
考えてみれば、まだ女性の役人自体が非常に少なかった頃、雇用機会均等法ができることなど想像もできなかった時代に官僚になったはずだ。今はほぼ引退し、悠々自適の日々だ。

彼女は非常にクレバーなのにそれをあまり人に見せず、物腰が柔らかく、限りなく気さくだった。
かつて仕事関係で出会った人、能力のある人ない人、年配の人若い人、など関わらず、誰とでもわけへだてなくおつき合いを継続させていた。
そして、各々の今の状況を、我が事のように今でも喜んだり心配したりするような人だった。
女性が役所で仕事をするだけでも大変だったであろう時代から仕事をしてきた人、というのは、こういう人なのだろう、と改めて尊敬し、「人間力」を感じました。

「人間力」・・・生きていく上でだけでなく、仕事をする上でも、実は最も必要な能力なのかもしれない、と考えさせられた出会いでした。

2009年4月13日

「寒い」と「暖かい」の境界

私はもともととても寒がりだ。
だから家ではスリッパなしで歩くなど、足が冷たくて耐えられない。
ここ数日暑いくらいの暖かな日が続いているが、気づいたらスリッパなしで
裸足(靴下なし)でフローリングの床を歩いていた。
しかもその感覚が気持ちいい。

この、「裸足で耐えられない」→「裸足で歩きたい」への変化。
この境目が、マーケティング的に大いに意味がある季節変化なのだと思う。
つまり、この変化を感じるとき、冷たい飲み物が飲みたくなったり、
ファッションでは涼しげな服を買いたくなったり、と購買刺激になるはずだ。
企業側から見れば、売上アップするかどうかの境目であるのだ。

冷え込んだ景気とは言え、この暖かくなった1週間で、きっとあちこちで
ホッとしているに違いない。

2009年4月9日

「いきいき」の落とし穴

「いきいき」を発行していたユーリーグが民事再生申し立てをしたことについて
少しだけ風の便りでその情報が流れてきた。
テレビ東京「カンブリア宮殿」で取り上げられるほどに話題の「いきいき」だったが、
ピーク時に比べて部数はずいぶん落ちていたようだ。
とは言え、出版不況と言われる最近の出版業界の中ではかなりの健闘だったはず。
むしろ痛かったのは他にあったようだ。
「いきいき」ではずいぶん前から携帯サイトを立ち上げていたらしい。
その投資が大きすぎたのか、かなりの負担になっていたようだ。
確かに、今や中高年の女性だってかなりの数が携帯電話を持ち、携帯で写真を撮る時代。
パソコンはダメと言いながら、携帯ならメールOKという人も少なくないはずだ。
でも携帯サイトはどうなんだろう?

「いきいき」は書店売りなしの定期購読誌だったので、多くの読者は既に将来分の
購読料を支払っているわけで、言わば債権者だ。
彼(彼女)らが声をあげたら大問題のニュースになるところだが、金額が極端に
たかくなかったことが不幸中の幸いというところか。

新しいことへの投資は大切だが、当たり前のことながら体力とのバランスを
忘れてはならない、と教訓を得る思いだ。

2009年4月6日

本作り

昨年末から、ダイエットに関わる実用本制作に関わっていました。
基本的にはカロリー本ですが、使う人(=読者)にとっていかに便利で
使いやすくするかをかなり考えて作ったので、他社で発行されている
類書に比べて、実用本としてはかなりいい本ができたと、満足しています。
今月末(ゴールデンウイーク前)に発行予定なので、詳細はその時に。

そんなことがきっかけで、またもや食品関係の本作りのお仕事のお話をいただきました。
ありがたいことです。
これからの打合せや取材が楽しみです。

2009年4月2日

「いきいき」がなくなる

3月31日にユーリーグが、2回目の手形不渡りを出し、
再生手続き申立てを出した。

ユーリーグと言えば、中高年向けの雑誌「いきいき」を出していた会社。
雑誌自体は読者参加型。あくまでも現場主義、リアリティを大切にし、
一つの世界観を形成していたことを、私は大いに注目していた。
読者を対象に、独自のファッションや雑貨など幅広く扱う通信販売事業や
編集長と名所旧跡を訪ねるなどのオリジナル企画満載の旅行業などなど、
事業展開もおもしろかった。
読者は超富裕層というわけではないが、比較的経済的に豊かでアクティブ。
知的好奇心や社会参加意識が強い女性が多かったと思う。
雑誌自体は書店販売をしていなかったが、
その影響力はとても大きく、熱烈なファンを多く抱えていたはずだ。

それなのに、なぜ財務状況が悪化したのだろうか。
その雑誌に、あるいは雑誌に伴う事業に何があったのか・・・・?
昨秋からの不況とは言え、そんなに影響を受けそうな読者を多く抱えていたとは
思えないのに。
一方で、企業経営の落とし穴がきっとあったに違いないのです。

個人的にも、実に残念です。
その落とし穴が何だったのか、そこから何が学べるか、などなど
考えさせられることが多いです。

2009年4月1日

新年度スタート

今日から新年度の始まりです。

今までどこに行っても、「仕事がない」「収益が上がらない」「予算が厳しい」
などなど、 不況がらみの話ばかり。
そういう時こそチャンスなんだ、と自分に言い聞かせながら鼓舞するものの
口ばかりで行動がなかなか伴わない。
3月には大手企業含めて倒産企業続出で大変なことになるだろうと
思っていたけれど、 蓋を開けてみたら、大パニックになることはなかった。
苦しい中でも、みんながんばっているのでしょう。

さあ、新年度に入り、予算もリスタート!(のはず)
心もリスタートしたいものですね。

2009年3月27日

かなり前から、漠然とやりたいなあと考えていたことがある。

できることならそれを事業化したい、

将来的には私はそれで食べていきたい、

そんなことをずーーーーーーっと考えてきた。

けれども、いろいろ考えれば考えるほど、それは事業として成立する図が見えてこない。

客観的には、私の趣味もしくはボランティアにしか見えないでしょう。。。。



どうやって、事業化する方向を考えていったらいいんだろう・・・?



悶々としていると、仕事の依頼が入る。

そうそう、まずは目の前の仕事をやらなくっちゃ。



気づくと、「漠然とやりたいなあ」と思っていたことは、

はるか遠くに行ってしまって、そのうちそのうち・・・と時間だけが過ぎていくのです。



自分自身が実に弱い人間だと実感するのは、こんな時です。

2009年3月15日

一人で困ること

一人なので、仕事は一人でしかできない。



プロジェクトで見れば、仕事はチームで動かすとか、

手分けをするとか、会社員時代にはいろいろあった。

しかし、個人(フリー)になってみると、全体の仕事自体はチームで動かすものの

いい意味でも悪い意味でも、自分の変わりは誰もいないことが、実感としてよくわかった。

自分自身が不在時のフォロー体制もない。

時間がない仕事の場合は、40度の熱を出しても私しかいないので

私が仕事をしなくてはならないのだ。たとえそれが単なる作業だけであっても。

会社員時代、いかにまわりの部下や後輩に助けられていたか、と

改めて感謝、です(苦笑)。



さらに、組織を離れて一人になることは、そのために自分のキャパが狭まり、

結果的に仕事のサイズが小さくなることも否めない。

こんなことは頭では十分分かっていたはずだったのに、いざ現実がそうなると、今さらながら大いに実感。せつないことだ。

仕事も、全体を見るよりも、部分を見る傾向になりがち。

求められるのが、そういうサイズだからだ。



結果的にこれがいいことなのかどうか・・・。
私自身のよさが発揮できない(=弱さが前に出やすい)ような気が・・・。

一人になるということは、それなりにいろいろ問題もあるものだ。

一人になっても組織の一員?

私の退社後の、「お金を産む」という意味での仕事は、

結局のところ、元在職していた会社との協力を前提とした仕事が中心になった。



「一人になった」と偉そうに言ったところで、所詮、仕事面では前の会社組織の

一部であることに、何も変わりないのである。

しかしながら退社したわけだから、前の会社に出勤するのではなく訪問だ。

そして会社に訪問したら、まず打合せが中心。

一応、私のために席も用意してくれてはいるが、打合せが終わっても

自分の席でゆっくりWebを見る、などというのはなかなかできない。

かつての上司、同僚、後輩に対して、仕事上の話をするにも、どこかに遠慮がある。

諸先輩に、「会社辞めても、変わらずに若いのを指導してね」などと

いくら言われても、なかなかできるものではない。

組織的に上司でもないのに、何かと偉そうに言われるのは、

さぞかし彼(彼女)にはうっとおしいに違いない、などと当事者に同情してしまうのだ。

このような仕事の仕方だけを客観的にみていくと、

果たして私は会社を辞めてよかったのだろうか?

などと、考えるようになってしまう。



このような仕事のしかたは、私の中の一部ではあってもいいが、

大部分であってはならないのだ。

最初の作業

辞めてすぐの最初の仕事は、
長年おつきあいいただいた皆様へのご挨拶状の発送だった。
お金を産むわけではないので、正確には「仕事」とは言えません。
最初の「作業」というべきですね。

そのためにまず、今までの名刺の整理。
これが実に大変な作業で、丸々2か月を費やしてしまった。

失礼なことに、
名刺を見ても残念ながらお顔を思い出せない人、
お顔どころか何の仕事で関わったかひとかもわからない人、
まったく記憶のない人など・・・・・

皆さま、ごめんなさい。

日頃、人脈は財産だと豪語していたくせに、記憶が曖昧で自己嫌悪です。
とは言え、名刺の数のあまりもの多さに圧倒され、結局大変お世話になった方々に限ってご挨拶を出させていただくことにした。
その発送先の絞り込み、ご挨拶文の検討、これだけに費やした時間は2か月!
会社勤務時代には考えられないスローペースだ。
それでもあとから誤植が発見される、というお恥ずかしい事態もあった。
発送後、ありがたいことに、激励などとても多くのお返事をいただいた。
想像もしていなかっただけに、感謝、感謝、感謝・・・。
その結果、「もう後戻りができないぞ!」という気分になり、気持ちの上でようやくエンジンを吹かすことができたような気がする。

ひとりになった始まり

会社という組織の一員ではなく、もしも一人になったら何ができるか?
そんなことを長いこと悶々と考えながら、結局25年勤務した会社を辞めた。

会社は中堅(弱小?)総合広告代理店。
企画を経て営業に移り、プロデューサー的な動きをしてきた。
長年勤務の結果、多種多様な業種を経験できた。
今思うと、仕事は大好きだったし、会社を愛していたし、
会社の居心地もよかったし、 辞める必要などなにもなかったように思うのだが、
このまま継続の道ではなく、 違った道を歩みたい、という気持ちは
どうにも抑えられなかった。
自分がもしも二人いたら、間違いなく辞めることなく続けていたと思う。
会社員時代の得意先仕事はすべて会社に残し、一部の仕事に限り、
会社と協力する前提でその仕事を継続する、という会社との取り決めで
良好関係を保ちつつ退社。

一人になることで、不安半分期待半分。
そして、1年以上が過ぎた。

辞めてみたら、組織の一人ではない、という状況に今ひとつピンと来なくて、
最初の頃はしばらくペースがつかめなかった。
学校に通ってビジネスについて改めて勉強したりしながら、
かつての仕事関係で 親しくしていた事務所内に間借りする準備を始める一方、
自宅内に自分の 仕事用スペースも確保した。